散歩から探検へ~個人・住民・市民

副題を「政治を動かすもの」から「個人・住民・市民」へと変更、地域住民/世界市民として複眼的思考で政治的事象を捉える。

多くの側面を持つ国連活動~政治課題としての慰安婦問題 (3)

2013年06月16日 | 国際政治
日本が国連に加盟したのは1956年、記念切手が発売され、当時小学生であった筆者もその中に描かれた世界地図を象徴する「国連マーク」に親しんだことを覚えている。国連が国家を超えた存在との教育は、おそらく受けていたのだろう。

その後、日本は「国連中心主義外交」を標榜しているが、日米同盟を基軸にした具体的な外交活動との整合性がとこにあるのか?曖昧にされたままのようだ。この曖昧さは、国連自体に内在するのだが、一方、日本にとって、国連の位置づけを日本自身が不明確にしていることをも意味する。

しかし、国連は世界一の巨大組織である。簡単には以下の図に示されるが、200ヶ国弱が、それぞれの利害を考えながら、理事会、国連機関、専門機関、事務局等に入り乱れて活動し、更にNPO等の団体も主張する様を理解するのは並大抵ではない。

 国際連合の機構

慰安婦問題が取り上げられた「クマラスワミ報告書(1996)」は経済社会理事会のもと、人権委員会の仕事だ。国連の報告と聞いただけで私たち一般人は、正しく、権威あるものと思いがちだが、秦郁彦「慰安婦問題と戦場の性」によれば“学生レポートなら落第点”とのことである。秦氏はプリンストン大で教鞭をとり、レポートの採点方法も簡単に記している。ところが「ク報告書」は事実関係をただ一冊の風俗本から引用し「その文献も初歩的な間違いと歪曲だらけで救いようがない」のだ。

従って「ク報告書」もまた、歪曲と誤記が1頁全部を使った表にのぼる。クマラスワミ女史が、本当に書いたのかとの疑いもあるようだ。また、秦氏もク女史に直接渡した資料とその論旨を正反対に歪めて紹介された被害者でもあったのだ。

 「慰安婦と戦場の性」秦郁彦

詳細については、秦氏の著作を参照指定頂きたいが、人権委員会での諸報告に対する決議をまとめると、次のようである。評価として1)賞賛 2)歓迎 3)評価しつつ留意 4)留意 5)拒否 の順である。

報告第49号「女性に対する暴力の根絶」の中に付属文書1として「ク報告書」は含まれる。第49号に対する評価は全体として「留意(take note)」であり“認知”ではなく“聞きおく”程度の評価である。また、「ク報告書」そのものに対し、賞賛・歓迎・評価はなく、作業の奨励に止まった。これが客観的な評価である。

問題はこれらの結果に対して、日本政府を含めて関係者だけが“勝った・負けた”と騒いでいるだけで、客観的な情報がマスメディアを通じて一般国民に伝わらないことだ。すなわち、正確な情報が“循環しない”ことだ。

政府は自らの主張と共に、事実関係を明確に国民へ示す必要がある。特に諸外国で誤解があるような問題については、蓋をしてはならない。つい最近のプロ野球における飛ぶボール問題は、情報開示の点で、構造的に慰安婦問題と重ねられる。

また、一部の確信的な政治団体、法律家、学者、宗教団体が自らの政治的主張に引き込んで解釈するのは、やむを得ないが、マスメディアが情報の切り取り、恣意的な選択をするのは,その役割の放棄になるだろう。

      

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 「ウソ発見器」は何を発見す... | トップ | 形を作っただけのサッカー~... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

国際政治」カテゴリの最新記事