散歩から探検へ~個人・住民・市民

副題を「政治を動かすもの」から「個人・住民・市民」へと変更、地域住民/世界市民として複眼的思考で政治的事象を捉える。

柔構造社会、霞ヶ関ビルからの発想、~永井陽之助の現代政治社会論(4)

2014年05月25日 | 永井陽之助
シンポジウム「“学生の反逆”と現代社会の構造変化」(中央公論1968年7月号)において、永井は先進諸国を“柔構造社会”と命名し、それらの国々での学生運動を、東欧、後進地域の場合と区別して、理由なき反抗とよんだ。

その由来を次の様に云う。
「このシンポジウムに出席するために、車で迎えに来てくれた粕谷編集長と、車中でこれから話し合う内容を打ち合わせていた。…現代学生の鬱積した精神状況と現代社会との関連をピタリと表現する概念がつかめず、イライラしていた。」

「何気なく、拘束道路をとばす車窓から前方を見ると、当時、新装なったばかりの、霞ヶ関ビルの36階がくっきりと浮かんでいた。“柔構造”社会という語を思いついたのはそのときである」(「柔構造社会と暴力」『あとがき』(中央公論社1971)

何か、出来過ぎた話のようで、粕谷編集長と他に会話があったような気もするが、一方で、「永井の発想の起点」を顕す手がかりを与える挿話でもある。現代的な新事象の混沌とした状況に対して、一つの概念を与えるべく、思考の中から生み出す努力の過程を示していると云えようか。

ひとまず、「理由なき反抗」とよんだものの、その背後には鬱積した精神状況があることを理解し、それでも自らが「理由なき反抗」と感じたことを一つの手掛かりとして、自らの社会認識の枠組を修正しつつ、浮き上がらしているのだ。

そこで「この語を思いつくと今までバラバラだった想念が、次第に明確な形をとってまとまるように思えた」と述べている。シンポジウムでは、「欧米日先進国対東欧・後進国」、「柔構造社会対剛構造社会」、「理由なき反抗対理由ある反抗」と対比的に並べている。

そこからシンポジウムでは、H・マルクーゼの「寛容的抑圧」を想起させながら、
「制度や階級の硬さを持つ時代には、反体制運動、抵抗運動、といった地震がくると、ひっくり返ってしまうような社会構造であったのが、現代の先進資本主義は、抵抗や反抗を見事に吸収できるような構造の社会になっていて、反体制政党をつくって抵抗することは痛くもかゆくもない一種の管理社会になっている」

「のれんに腕押しのような、なんとも言い様のない、やりきれない不満が学生運動に集中的に表れてくる」と指摘する。現代学生の鬱積した精神状況が管理社会に対するやりきれない不満として学生運動に表現されるとの認識に到達している。

永井がかれこれ50年前に考えた剛構造社会対柔構造社会との概念は、基本的に現代においても当てはまる。冷戦時代は、ハンガリー、チェコの反体制運動はソ連によって押さえつけられたが、ソ連崩壊後のオレンジ革命などのカラー革命は、問題を含むにせよ、成功したと云える。また、イスラム・アラブ諸国の革命も戦乱を招く事態も含めて剛構造社会の現象だ。

一方、日本も含めて先進諸国ではハイジャック、都市ゲリラ等の暴力革命集団を抑え込んだ後は、「沈黙の春」の中で、民主的手続による政権交替が志向されている。日本は民主党が輿望を担って登場したが、あえなく潰れてしまい、その後遺症が深く私たちの政治意識の中に潜んでしまった様だ。

しかし、政治的表面での安定性に係わらず、社会の解体現象は進んでいるかの様である。それは社会構造の変化と共に、人びとの意識も大きく変わっていったことによるものだ。次は今回述べた社会構造変化のなかでのライフサイクルを考えてみたい。

      

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