散歩から探検へ~個人・住民・市民

副題を「政治を動かすもの」から「個人・住民・市民」へと変更、地域住民/世界市民として複眼的思考で政治的事象を捉える。

将来世代をネグレクト~安倍首相「代表なくして課税なし」

2014年11月28日 | 政治理論

報道によれば、安倍首相はアメリカ独立戦争の象徴となったスローガン「代表なくして課税なし」を引き合いに、消費増税の一年半延期の是非を国民に問うために衆議院を解散し総選挙を行うと宣言したと云う(11月18日)。

小黒一正・法大准教授は、これについて次の様に云う。
「「代表なくして課税なし」という意味は、「税制は国民生活に密接に関わっているもので、国民生活に大きな影響を与える税制において、重大な決断をした以上、国民の声を聞く必要がある」旨のイメージで広がっているが、これは間違い」。

「イギリスの植民地であったアメリカは、イギリス議会に代表を送ることはできず、一方的に税金だけが課税されていたためで、本来の意味は「増税するならばイギリス議会に植民地の代表者を参加させるべき」が正しい」。

「そして、この文脈でいうなら、いま日本で代表者を議会に送り込むことができずに過重な負担を押し付けられているのは、選挙権のない将来世代(20歳未満も含む)である」。



図が掲載されており、説明はないが、現状での各世代の世帯単位における受益と負担が棒グラフで著され、その差引を生涯純受益としてプロットしてつなぐと、将来世代に向かって受益が下がり、40歳代以降は負担のほうが大きくなる。結局、60歳代と将来世代10歳代以下との差は約1億円ある。そこで氏は次の様に指摘する。

「政府債務が累増するいま、選挙権をもつ現存世代と選挙権をもたい将来世代(20歳未満も含む)との関係では、「代表なくして課税なし」というスローガンは、
「増税先送りで政府債務を拡大し、将来に負担増を先送りするならば、将来の納税者の代表を国会に出せ!」が正しい解釈になる」。

また、常々、世代間格差を問題視している池田信男氏は次の様に云う。
「日本の若者は市民ではなく、被統治者である。彼らの代表を国会に出すことができないからだ。与野党が一致して圧倒的多数派である老人に迎合し、増税の先送りに賛成している状況では、若者は代表権なしに課税される」。

「首相が「代表権のない人には課税しない」と本気で考えているなら、選挙権のない将来世代への課税を先食いする国債は禁止すべきだ。逆に「納税していない人には代表権はない」というなら、年金生活者の選挙権は剥奪すべきだ」。


      

選挙対策あって、政治戦略なし~小渕優子議員の政治資金問題

2014年10月23日 | 政治理論
政治と金の問題は今回もマスメディアを賑わしているが、何か視点が外れる。これは地方議員の政務活動費(旧政務調査会費)が問題になるときと同じだ。先ず、個人後援会を作り「観劇会」を明治座で行うことが必要なのか、議論はそこから始まるはずだ。

これは明らかに、有権者の投票行動を政策ではなく、議員と特定の有権者との心理的距離感の近さで誘う方法だ。その心理的距離感を観劇会に象徴させ、そのイベントの中で、議員が挨拶することでそれを保証する。

このイベントに掛かる費用を参加する有権者が負担したとしても、企画実行する小渕本人を始め、関係する秘書、後援会等の企画・実行側の時間は勝っているわけではないので、すべての実費を負担するわけではない。

従って、金により有権者の投票行動へ影響を与える行為になる。即ち、選挙対策である。しかし、その中味に政策は何も関与されない。政治戦略はどこにも顕れない非政治的環境が、優れて政治的選択をする場となる。これが、日本の政治ではなく、統治を維持する仕組みなのだ。

何故なら「政治とは古い慣習や伝統の力ではもはや利益の統合が不可能になる程度に、個人やグループの利益の分化が進行した社会において、単独者の恣意やイデオロギーや不当な実力行使によらず、不断の利益の調整を行わなければならないところでは、どこでも必要となる人間行動であり、「わざ」である」からだ。
従って、事象ではなく、古くから連綿として続く、“統治”の手法なのだ。
 (「現代政治学入門」P6(有斐閣)1965)。

このような統治事象が主として発現する中では、「政治と金」の問題は「統治における金」にすり替わる。今回の小渕議員の政治資金問題は、自民党による日本の統治をオースライズする統治上の儀式の一つに他ならない。その儀式の最後のステップである選挙へ向けてのためだ。従って、選挙対策であって、政治戦略は影も形も見えてこないことになる。

従って、政治家の秘書が資金管理の実情を描く記事が良く読まれ、有識者が「このレポート内容は的確です!」などと、増幅することになるのだ。そのなかで、「なぜ小渕優子前経産相は「収支がわからない」のか、国会議員事務所のお財布事情と政治家の“哀しい性”」として、松井雅博・現役国会議員政策担当秘書は次のように云う。カネ勘定も含めた国政の「実務」を知る立場から、国会議員事務所のお財布事情と、有権者からは見えづらい、政治家の生態を解説する。

「国会議員のカネの入りを解説! 年間活動費は約2500万円」「議員の雑務は多岐にわたる 公設秘書三人でも手は足りない」「支援者に「割り勘で」と言えるか 議員の職業病と“哀しき性”」「議員と深い付き合いを持ちやすい年齢層 若者とお年寄りの将来に起こることとは?」
以上の様に、議員の仕事には金がかかることを説明する。

更に、その背景にある要因を示し、事件の責任に言及する。しかし、その結論は余りにも陳腐で言い尽くされていることである。
即ち、これもつん婦な前置きだが、「単に彼女たちを批判し、辞任に追い込めばよいわけではない」としつつ、「金銭的クリーンさを議員にどこまで求め、またそれに対する規制はどの程度であるべきか」と云っているだけだ。

この程度しか云わないのだが、その一方で、
「有権者もまた、こういったスキャンダルを一過的に騒ぎたてるのではなく、しっかりと公開された資料に目を通すべきである。単にヒステリーを起こすだけでは、「一人前の有権者」としては失格だろう」と、お説教を垂れる。

要するに、自らの仕事に関しては、「現実に屈服」し、ミスが発生するのを結果として容認しているだけの政治秘書が、有権者に非現実的なことを要求し、それをやらなければ有権者の資格がないと言ってのけるのだ。こんな倒錯は、閉鎖的な「議員―政治秘書」のサークルだけで仕事をするから発生するのだ。
政治の行く先も暗い、と言わざるを得ない。

      

フクヤマ氏の民主主義恒久革命論~民主主義は今も「歴史の終わり」

2014年10月12日 | 政治理論
フランシス・フクヤマ氏は表題の論文(WSJ 2014/6/11)を次の様に書き出した。
「1989年春、私は雑誌「ナショナル・インタレスト」に「歴史の終わり?」を書いた。それまで冷戦に関し、政治・イデオロギー論争になっていた…それは信じられ瞬間だった。論文の掲載はベルリンの壁が崩壊する数カ月前、北京の天安門広場で民主化運動が起きていた。東欧、ラテンアメリカ、アジア、サハラ以南のアフリカでは民主主義への移行の波が起きていた」。


 
 ベルリンの壁が初めて壊された翌日、壁に登る人々(1989/11/10)

「私は歴史が左派の思想家の想像とは大きく異なる方向に進んでいると主張した。経済と政治の近代化を進めた結果、行き着いたのはマルクス主義者やソ連が主張する共産主義ではなく、リベラルな民主主義と市場経済だった」。
「歴史は最終的に自由、つまり選挙で選ばれた政府、個人の権利、国家が比較的緩やかな監視を行う中で資本と労働が循環する経済システムに到達するようだ」。

そして、最後を次の様に結んだ。
「いつ全ての人が理想にたどり着けるかは、疑問が残る。だが、歴史の終わりにどのような社会が存在するかについては、何の疑いもない」。

この「起」「結」を読めば、以下に始まる「承」「転」を読む必要はないかもしれない。
「今、この論文を振り返りながら、2014年と1989年では環境が大きく異なっている、という明らかな一点から議論を始めよう」。

即ち、フクヤマにとって民主主義は、終わりのない理想だ。現実は恒久革命の只中にいることになる。「基本的な考えは今でも本質的には正しい。しかし、1989年に認識できなかった政治の動きの本質…25年で多くを理解した」「大きな歴史の潮流を見る上で重要なのは短期的な出来事に拘らず…安定した政治システムの特徴は長期的に持続可能…一定の期間に成果を挙げたことではない」。

「市場を基盤とした世界経済秩序の出現と民主主義の普及は明らかに関連がある。民主主義は、常に広範な中流階級に依存する。過去一世代の間にあらゆる地域で、豊かで財産を持つ市民の数が急増した」。

従って、「権威主義的な大国の興隆」があっても、「民主主義に満足はできない」にしても、「民主主義国の政府に実行力がない」にしても、「政治制度の衰退」しても、市場経済と民主主義は長期的に浸透していく」。

「2011年にカイロのタハリール広場で革命が起きた。しかし、アラブの春の始まりのチュニジアを除いては真の民主主義国家が誕生することはなさそうだ。それでも、長期的にはアラブの政治がより民意に敏感になる可能性はある」。

「こうした変化が急速に起きるだろうという期待は極めて非現実的だった。1848年に欧州で起きた「諸国民の春」のあと、民主主義が確立するまでさらに70年かかったことを忘れないことが大切だ」。

しかし、以上のことは、フクヤマ氏のご託宣にも係わらず、歴史は終わっていないし、終わるとも限らないことを示しているだけだ。それにも負けずに、氏は次の様なご託宣を云ってのける。
「今から50年後、米国、欧州は政治的に中国に似た体制になるか、それとも中国が米国、欧州の様な政治体制を取るか…私はためらわずに後者を選ぶ」。

筆者も後者を選ぶ。つまり、氏は具体的な現実の姿を何も予測できなかったのだ。ただ、民主主義の宗教家としてご託宣をしただけだ。

それにひきかえ、永井陽之助はエスニックナショナリズムから無秩序の広がりを予測した。
 『民族・宗教の対立による世界的無秩序の広がりを予測140617』

また、サミュエル・ハンチントンは「文明の衝突」からウクライナ問題の顕在化を予測した。共に具体的で重みのある指摘なのだ。

      

北海道栗山町の議会基本条例~アーレントの「公的幸福」を表現

2014年02月07日 | 政治理論


「北海道栗山町議会が2006年5月、全国で初めて議会基本条例を制定してから7年半余り経つ。今では450を超える自治体議会が制定している。…しかし、その魂は本当に伝わっているだろうか。…栗山町の条例の核心は何か、もう一度検証しておく必要があるように思う。」(『日経グローカル No.235 2014. 1.8』)

これは、福嶋浩彦中央学院大学教授の言葉だ。一方、筆者は最近、映画「ハンナ・アーレント」を観て、幾つかのことが想い浮かんだ。その中で、アーレントの主著の一つ「革命について」(中央公論社)に関する永井陽之助のコメントを紹介した。
 『ハンナ・アーレント(3)~「革命論」に対する永井のコメント20131125』

アメリカ革命は市民の生命・自由・財産権などの消極的な保護を制度化しただけではなく、積極的に市民が政治に参加するという「積極的な自由」を保障した。公共の領域で、市民が討論と決定に参加するような共和国を創り出そうとする処に革命の使命を見たのだ。それは何よりも先ず、“政治革命”であった。

アーレントのアメリカ革命に対する認識に、比肩するような日本の政治事象は何かあるのだろうか、とその時、考えを巡らしたのだが、そうだ、栗山町議会基本条例だ、と思いついた。

その前文は不朽の作品と言って良い。「…自由闊達な討議をとおして、自治体事務の立案、決定、執行、評価における論点、争点を発見、公開することは討論の広場である議会の第一の使命である。…」

自由闊達な討議、論点・争点の発見、討論の広場、これが議会のキーワードだ。これはまさしく、公共の領域で、市民が討論と決定に参加する共和国を設立したアメリカ革命の精神に対応するものだ。

アーレントは「…公的幸福は公的領域に入る権利、公的権力に参加する市民の権利、にあった。公的権力への参加を主張するために「幸福」という言葉が選ばれたという事実は、公的幸福が既にこの国に存在していた…」と述べる(「革命について」P134)。
一方、福嶋氏は続けて、栗山町議会基本条例の特徴を指摘する。

栗山町議会基本条例は、議会は「議員による討論の広場」であり、「議長は、町長等に対する本会議等への出席要請を最小限にとどめ、議員相互間の討議を中心に運営しなければならない」と定めている(第9条)。まさにこれが、いま自治体議会に求められる最も基本的な運営であろう。

さらに栗山町議会基本条例は、議会を「議員、町長、町民等の交流と自由な討論の広場」と規定している(第2条3項)。
議会が意思決定機関ならば、その意思決定の場にこそ、住民は参加の権利を持たなければならない。議員間の討議の場へ住民が参加することが重要だ。また、議員は、自分の支持者でない住民と公式の場できちんと向き合って議論することがとても大事だと考える。それによって議員の質が高まる。

こうした機関としての議会への住民参加が必要であり、住民が議会の正式な会議に正式に出席して、議員と侃々諤々の議論をすることが重要なのだ。栗山町議会では、本会議と委員会以外に、町民と議員が議論するための「一般会議」を議会基本条例で設置している(第4条2項)。

また、全国で最初に、全議員による町民への議会報告会を開いた。決定者として町民への説明責任を果たすとともに、町民とさまざまな意見交換をしている。住民が、請願・陳情を議会に提出した際に、その審議の中で住民自身が請願・陳情の趣旨を説明し、議員からの質問があれば住民が答え、議員と議論する。

栗山町の議会基本条例では、「議会は、請願及び陳情を町民による政策提案として位置付けるとともに、その審議においては、これら提案者の意見を聞く機会を設けなければならない」(第4条4項)としている。このポイントは、住民の権利として参加を定め、議会に義務付けたことだ。

これからは住民、議会、首長、行政職員、あらゆる人々の対話により、新たな地域経営に向けた合意を生みだすことが大切になる。議員間の開かれた討議と住民の参加によって、その合づくりをリードできる議会こそ、次の時代の自治を拓くだろう。
議会が「公的幸福」を創造する場であること、それが今後、ますます求められることを示唆している。

      

「善」と「悪」とはひとつである~徳田虎雄氏、徳洲会・不正選挙の渦中に

2013年11月14日 | 政治理論
「徳洲会・不正選挙の実態」(クローズアップ現代11/14)の登場した徳田虎雄氏。普天間基地移設問題に絡み、徳之島が移設先候補の一つになったときに、テレビに登場したことを覚えている。

当時の映像と同じなのか、不正選挙に関連して、最近のものなのか、良く判らないが、一段と印象的であった。氏が次男・徳田毅議員の不正選挙と関係したのか、それは今後の警察の調査に依る。しかし、現時点において、組織ぐるみの違法な選挙運動によって、経営者の一族や病院幹部らが逮捕された日本最大級の民間医療グループ「徳洲会」を統括する人物だ。

 
 写真 徳田虎雄氏(NHK前出)

巨大組織による大がかりな選挙違反、その組織の権力の中枢を突き詰めていくと、筋萎縮性側索硬化症での闘病生活を送りながらも、身動きできない形で椅子に座り、文字盤を使ったコミュニケーションにより自らの意思を伝える老人の姿に行き着いたのだ!私たちに権力の在りかを示し、衝撃を与える姿だ。

放映及びウキによれば、徳田氏は“生命だけは平等だ”という理念のもとに離島や僻地に次々と病院を建設していった。同族経営の巨大医療グループに徳州会を成長させる一方で、その膨張の過程で政治と選挙に傾倒し、医療団体が大規模で組織的な選挙違反を行うようになった。

徳田虎雄とはどんな人物か。これを考えた時、ギリシアの哲学者ヘラクレイトスの“善と悪とは一つである”との言葉を想い起こした。万物は流転するとのヘラクレイトスの思想では、その流転の中で善悪は対立しながらも調和を保つ。

その調和とは、目的と手段とのバランスだ。悪を目的として善を手段とすることはない。問題は善を目的としたときに、その手段を選ばなければ、その中に悪が含まれることになる。

マックス・ウェーバーの「職業としての政治」の中の有名なゲーテ「ファウスト」を引用した一節、「悪魔は年をとっている。」「だから悪魔を理解するには、お前も年をとっていなければならない。」は政治の中で手段として表れる強制力の問題を指摘したものだ。

徳州会は組織ぐるみで強制力を発揮し、組織内の人員を動員した。一昔前の「企業ぐるみ選挙」を彷彿とさせる。何故、それ程までにという誰でも抱く疑問に対して、放映では、他候補を選挙で圧倒し、その権勢を誇示するためだとしている。

「政治とは、共同体の拘束や慣習から解放されて、考え方が違う我の強い個人が集まって、安定した社会をつくるため苦心のすえに造型した、秩序という作品だ。」(「現代政治学入門」P5(有斐閣))。従って、一つの考え方が独占的に支配することは、多くの場合、考えられない。それがバランスなのだ。

それを無理矢理に自己の考えを押し付けていこうとすれば、違法の手段に訴えるという誘惑に勝てないようになる。結局、生命だけは平等だという理念からかけ離れた手段が選択され、それが増殖して、強制力を用いた違反行為になる。

徳田虎雄氏の心の中には今でも「生命だけは平等だ」との理念があることは疑う余地はない。しかし、それ故、手段の選択もコントロールが効かないのだ。異なる意見に寛容になるとき、手段の選択も考慮に入るように思われる。



      

ドイツ保守主義の鬼っ子、ナチス~麻生発言が提起すること

2013年09月11日 | 政治理論
ナチスドイツの政策がドイツ保守主義の系譜を曳くものであり、その権力取得過程の背景には国民の圧倒的な支持があった、何故か?それは、ロシア10月革命というラディカルな政治事象に恐怖心を持った保守勢力が、市民の臆病さを利用しながら反動化していったからだ。

保守勢力は大陸帝国主義・ナショナリズムで共通するナチスをも利用しようとしたが、逆に、ヒトラーの鋭利な政治的センスに利用され、なすすべもなかった。その意味でナチスはドイツ保守主義の鬼っ子なのだ。

過日の麻生発言「今回の憲法の話も…静かにやろうと。憲法はある日気づいたら、ワイマール憲法が、ナチス憲法に変わっていたんですよ。だれも気づかないで変わった、あの手口に学んだらどうかね。」から私たちが学ぶことは、「ナチスの手口-」ではなく、市民の臆病さを利用する「保守勢力の手口」が結果的に鬼っ子を生んだことである。ナチス独裁体制は結果なのだ!
 (永井陽之助『解説・政治的人間』「政治的人間」(平凡社)所収P36-40参照)

ナチス憲法に関する麻生発言の認識が間違っていることはご愛敬であり、多くの方が指摘されているが、ウキでも簡単に確認できる。

「ナチス党/ヒトラーによる独権力掌握過程」
1932年
  4月 大統領選挙にヒトラーが出馬、次点
  7月 国会議員選挙、230議席、第一党へ
 11月 国会議員選挙、196議席、第一党確保
1933年
  1月30日 ヒンデンブルク大統領、ヒトラーを首相に任命
  2月27日 国会議事堂放火事件、緊急大統領令布告・非常事態宣言
  3月05日 国会議員選挙、得票率44%、288議席獲得
  3月23日 議会、全権委任法可決、立法権を政府が掌握、独裁体制確立
  7月14日 「政党新設禁止法」公布、ナチ以外の政党の存続・結成禁止
 10月21日 ジュネーブ軍縮会議決裂、国際連盟脱退
 12月01日 「党と国家の統一の法律」公布、ナチ党と国家の一体化
1934年
 1月30日 「ドイツ国再建に関する法」成立、各州の主権がドイツ国に移譲
 6月30日 「長いナイフの夜」事件、突撃隊幹部、前首相など政敵を粛清
 8月01日 「国家元首に関する法律」を閣議で定める
 8月02日 ヒンデンブルク大統領死去、ヒトラーに大統領の権能が委譲
 8月19日 国家元首に関する法律の国民投票、投票率96%、賛成票90%

ナチスは国会で第一党を獲得したが、一方、共産党も躍進した。これに脅威を感じた財界及び保守勢力は以後、ナチスへの協力姿勢を強めた。ヒトラーが首相に任命されて後、国会議事堂放火事件をテコに非常事態宣言を出し、共産党を敵として弾圧、直後の選挙で得票率44%を得て、更に共産党を非合法化した。

以降、ヒンデンブルク大統領の死によって首相・大統領を兼任、その後の国民投票においても賛成票90%を獲得した。如何に、市民の支持が圧倒的であったかが、良く判る。ヒトラー/ナチスの行動が特異性を持っていたとしても、その基盤は一般市民の支持であった。

また、保守勢力は先にも述べたようにナチスをバックアップした。それは、歴史学者・フィッシャーが主張するように第一次大戦以前からの領土拡張の帝国主義的発想がナチスの東方生存圏、人種差別思想と一致するからであろう。これらについては、学問的レベルで意見の対立があるようだが、更に言えば、学問というよりも、実は政治的立場からの見解が分かれるようだ。

しかし、後進国として海外領土の獲得・搾取に関して英仏に遅れをとった独にとって、ハンナ・アレントの言う大陸帝国主義に走り、東方を勢力圏内に取り込むという発想はナショナリズムも満足させるものであった。それがナチスにとって、ユダヤ人絶滅、アーリア人種の優越等の極端な思想へ突き進んだのは、その個人的・集団的性格なのかも知れない。

翻って、我が国を見れば、韓国合併の後は、満州への大陸帝国主義へ走り出したとも考えられる。陸軍と岸信介に代表される官僚が手を組んで傀儡国家を作り上げたのだ。それは当然、日本の敗戦と共に崩れるだけでなく、ソ連の進軍による一般人の殺戮、抑留を含む悲惨な結果をもたらした。

従って、ナチス問題の教訓は先ず自民党・財界が真剣に考えるべき問題なのだ。三島由紀夫の亡霊が国会の上を徘徊しているかも知れない。

      

日本政治における「聖」なるもの~終戦「聖断」からTTP「聖域」へ

2013年08月29日 | 政治理論
「終戦の日」を決めたのは一般国民(サイレントマジョリティ)の黙示的反応が基盤にあった。しかし、それは天皇の「聖断」という決断と「玉音放送」という情報経路があったからだ、と考えた。
 『敗戦の日と終戦の日の違い~権力から社会への「情報」の循環20130820』
 
即ち、敗戦の受入を天皇による終戦の聖断という形をとった。敗戦は日本の問題である。一方、終戦とは世界全体の問題である。日本の統治者ではなく、その上位にいる天(伝統)の判断とせざるを得なかった。ここにおいて、明治維新での薩長政権によって復興した“天皇制政治”は崩壊した。

それを更に復興したのが戦後の日本国憲法による“象徴天皇制”である。それは天皇の活動を、1)非政治的2)社会的見守り3)自然探求の領域に限定したからだ。皇居という場は日本の中心における広大な敷地であるが、象徴的な意味で非日常の存在から日常の場へと転換した。

なお、昭和天皇の聖断を調べると、1945年8月ポツダム宣言受諾は、その受諾を巡って御前会議が紛糾した際に、天皇自ら受諾の決断を下したとされる。「聖断」といえばほとんどこの例を指す。一方、二・二六事件では昭和天皇は反乱将校に激怒、徹底した武力鎮圧を命じた。天皇自ら近衛師団を率いて鎮圧すると述べた。
 
しかし、これは権力機構内部の出来事であり、「天皇―国民」の情報経路が働いたわけではない。したがって、「天」の判断との形ではなく、統治者としての個人的な行為と考えて良い。天皇の発言を即聖断とするのは問題の性格を曖昧にすると考える。

最近のTPP交渉参加は、「聖域無き関税撤廃はない(関税に聖域はある)」との米国・オバマ大統領の回答で決めている。交渉であるから、決めるのは参加各国の意思であって、それ以外のものではない。

この「二重否定」の回りくどさは、“聖域=誰も手を付けられない”との表現によって主体を消し去り、自らの判断を他者の発言に押しつける処にその特徴が有る。現代においても日本の政治では「聖」なるものは生きているのだ。

 

経済成長国家における市民デモ(2)~期待上昇のバブルが弾けるとき

2013年07月03日 | 政治理論
コンフェデ杯からブラジル、五輪開催からトルコ、市民によるデモが起こったことが話題になった。国際的なビッグイベントを開催できるほど、経済成長が著しい両国で、図らずも反政府運動としてのデモが耳目を引きつけたのだ。

しかし、市民のデモはこの両国だけではなく、他の国でも発生している。規模は極めて小さいが、日本においても反原発のデモが毎週行われていた。この間の状況をエコノミスト誌は「世界中に広がる市民デモ」と評して、紹介している。

将にそうなのだ!下の写真に見られる仮面が世界のデモに登場して、おなじみになったそうだ。このユーモアの精神は市民によるデモを特徴づけている。

 
 ブラジルでの「V」仮面(エコノミスト誌20130629)

エ誌の記事の中で出てくるデモの国は上記の二国の他に、インドネシア、ブルガリア、インド,エジプトだ。それぞれの国でデモの発端は異なるが、多くの共通点もある。先ず、その特徴は民主国家で起きている。因みに、エ誌が独裁国としてあげる国は中国、ロシア、サウジアラビアの三ヶ国である。

次に、これまでの経済成長は、直近では鈍化している。GDP成長率はブラジルで2010年の7.5%が、2012年では0.9%に下がっている。更に、経済成長と共に、急速に成長する中間層が存在し、この層の政治に対する要求の原動力には政府に対する根深い不満がある。エ誌は、「民主主義は難しくなる」と言うと共に、政府側の対応策に民主主義の行く末を期待し、独裁者は高い代償を得ると結論づける。

しかし、そんな都合の良いことだけが起こるだろうか?今回の各国のデモには指導者が不在であったという。ここが大きなポイントだと筆者は考える。経済成長の鈍化をそのままにして、期待値だけは引き続き上がり、そのバブルが弾けた処で、不満が爆発したのが今回のデモだ。

すると、期待値そのものが現実を超えて膨張したことになり、それが続くことは一時の対応では無理だということだ。

基本的な解決は、厳しい具体案を実行出来るリーダーシップを持つ指導者が必要なのだ。一体、誰が、どうやって、その指導者を育てるのだろうか?実はそれが第一次世界大戦で、ドイツが崩壊したときのマックス・ウェーバーの問題意識であった、しかし、ドイツは結局、ナチズムに呑みこまれたのだ。

各国のデモも危うい均衡を保っている。それが敗れれば、たちまち、暴力による解決が頭をもたげてくるだろう。指導者のいないデモ、ソーシャルネットワークを通じて組織されるデモは、ネズミの大群の要素も合わせ持つ。

ウェーバーは“議会”にその命運を委ねる必要をみた。しかし、それは日本の現状の議会の様ではなく、住民がこれから育てていく以外にないものだ。今回の市民のデモは対岸の火事ではなく、真の議会の不在を表現しているはずだ。すかなくても日本ではその復興へ向けて地方議会改革から始める必要がある。

      


実証研究は「陰謀説」を捉えられるか~東京都小平市住民投票を巡って (1)

2013年06月03日 | 政治理論
小平市の住民投票の結果を巡って、ツイッター上で「陰謀説」の問題を「大阪-大都市は国家を超えるか」(中公新書))の著者である砂原庸介・大阪市大准教授とやり取りをした。短い応答なので、互いに意を尽くせなかったが、現実の政治事象と学問における実証と関係で考えるべき課題を含むと感じた。

先ず、東京都初の住民直接請求に基づく住民投票(市内を走る都道計画見直しの是非)が小平市で実施された。投票が決まった後、投票率が50%未満で未成立の要件を市長提案で議会が可決、投票率が注目を集めたが、35%(約5万人)、投票は不成立となった。市は開票せず、廃棄する予定とのことだ。

なお、市議会3月議会定例会の審議、各会派の賛否等は、小平市において、議会への関心を高める目的で活動する市民団体『政治・知りたい、確かめ隊』のHPに詳しい経緯が掲載されている。ご参照を願いたい。
 
この件は、テレビも含めて投票前からマスメディアに報道され、地方自治他の分野では多くの人に情報が提供された。投票結果が判明したあともその政治過程に関する解釈論議が行われており、その中で、『【日刊SPA!】「小平住民投票不成立・開票なし」は仕組まれていた!? 哲学者・國分功一郎が語る』の一部に所謂「陰謀説みたいなもの」が掲載され、砂原氏がその内容に注目した。
 
國分功一郎は次のように述べる。
「おそらく初めからすべてが仕組まれていたということだと思います。どういうことかというと、住民投票条例案が可決された後、
(1)市は「50%成立要件」の修正案を密かに準備する。
(2)市長の再選後に不意打ちでそれを提出、議会で可決する。
(3)50%は超えないから開票しない。
(4)投票後に間髪を入れず東京都は事業認可申請する。
(5)小平市はそれを理由に情報開示しない。
 このようなシナリオが恐らく立てられていたんでしょうね。」

「おそらく」が2回使われ、それぞれ「すべてが仕組まれていた」と「シナリオ…が立てられていた」と密着する。具体的な根拠がなく、推測で“悪意”を実態と思わせる文体は、「陰謀説」と受け取られて当然だ。

これに対して、砂原氏は以下の様につぶやく。
「言いたくなっても陰謀論みたいなのは止めた方がいいと思うんだけど。」
これは良識のある発言で、政治問題が過熱し、対立が激化するのを抑える機能を果たす。当事者がこれを“傍観者の権威”と心掛ければ、政治的に成熟した態度である。

これ以降は投票の内容とは別れ、陰謀説に対する砂原氏と筆者のやり取りになる。
筆者「陰謀説は自らの枠組に嵌まらない結果が出たときに、良く出てきますね。松川事件での自民党幹部、上尾事件での労組幹部の発言を想い起こします。」
砂原「実証分析をやってますと、枠組みとデータが違えば枠組みの方が間違ってることになりますので…。「陰謀」の検証まであると、見え方もずいぶん違うように思いますが。」

言葉尻を捉える訳ではないが「間違ってる」に注目する。狭い実証的な意味では枠組とデータの関係は正否の解釈が可能かも知れない。しかし、政治事象は認識の正しさを競うものではない。特に争点となっている問題に関する説明は、認識だけでなく当事者の組織化にも使われるから、その意味で常に二重の意味と機能を有する。

多くの人を仲間にする、味方につける、説得する、宥める、などが必要で、これに対する有効性が、枠組尾の設定、データの利用の判断基準となるはずだ。その中で、尤もらしい(正しそうな)説明も機能するのだ。

筆者「なかなか出来ないでしょう。陰謀説の最大の難点は相手をあまりにも過大評価している処ですから。」
砂原「その通りだとは思いますが(苦笑)、厳しいですね…」

また、イソップの「酸っぱいぶどう」ではないが、陰謀説には自己の誤りを言い訳する機能も含まれる。そうなると、自らよりも極めて高い能力を相手は有することを自白することと同じになりがちである。現代的には、巨大な官僚制を従えた強力な権力者のイメージを敵に当てはめることが多い。

筆者「結局、実証に係らなくても組織内を収める、組織外にアピールする組織象徴としては意味がある、その辺りを冷徹に分析することが学者の仕事だと思うのですが…期待しています。」

政治学では、特に争点が重大になるほど、実証分析を超えた処にも視野を設定する必要がある。今、ホットな話題の橋下発言で励起した慰安婦問題も同じなのだ。

     


ロシア革命におけるレーニンと古儀式派(2)~感想;三國氏のコメント~

2013年05月13日 | 政治理論
昨日の記事に対し、三國さんからコメントがあった。色々なことが頭に浮かび、その収拾をつけるために、本稿を書いた。回答というより、自分の頭の整理だ。

そのコメントは『しかし、このウィキ「古儀式派」ではソ連成立後も弾圧されたとあります。レーニン夫人は、「富裕階級との闘いは即ち古儀式派との闘いである」とまでアジっているし」』としてリンクが張られている。

その「古儀式派」には右側にワシーリー・スリコフ画「貴族夫人モローゾヴァ」が掲載され、「彼女の掲げる2本指で十字を画く姿勢は古儀式派の主要な特徴」と解説がある。
  
この絵に関して、下斗米教授は昨日記事にしたトークショーにおいて、有名な絵として紹介し、モスクワは古儀式派の都と書いている。

この顔つきを見ながら、全く判らないながらも古儀式派に思いを馳せ、トークショーとウィキとを繋げてみるとどうなるのか?それが頭に湧いてきたことだ。

昨日の引用の中に古儀式派は「ロシア帝国とソ連帝国が終わって初めて見えたこと」になっている。ウィキにある様にロシア時代は勿論、ソ連時代も迫害を受けていたのだ。そこで、レーニンが援助を受けたことも含めて隠されていたと推測できる。

そう考えると、下斗米氏の新著「ロシアとソ連 歴史に消された者たち」の題名の意味が判る。古儀式派はロシアとソ連の歴史の中で消されていたのだ。ロシア革命期に反ロシアの立場から歴史を変える役割を担ったが、革命後は共産主義とは相容れることは、当然無く、草の根的な存在として活動し、1991年のソ連崩壊の時、再浮上したというストーリーか。

ここまで考えると、プーチンの顔、その目つきが貴族夫人モローゾヴァの目つきと、どこか似ているような気がしてきた。おそらく、現在のロシア的精神の源泉は正教ではなく、古儀式派にあるのではなかろうか?