ピピのシネマな日々:吟遊旅人のつれづれ

歌って踊れる図書館司書の映画三昧の日々を綴ります。たまに読書日記も。2007年3月以前の映画日記はHPに掲載。

「近代上海の公共性と国家」

2004年01月03日 | 読書
近代上海の公共性と国家
小浜 正子著 研文出版 2000

------------------------------------


 歴史研究というのは、資料の山に埋もれて宝を掘り出す労多き仕事だ。資料は山のようにある。あるが、本当に知りたいことを書いてあるものは案外、出てこない。

 それこそ、膨大な時間の無駄にうんざりしながら、それでも過去を探り当て、再構築し、現在の光に照らし出して今を生きるわたしたちに道しるべとなるものを見つけ出そうと努力する。その醍醐味は、研究者・学徒にしかわからない苦しみと喜びである。
 そんな苦労の跡と研究者魂を文面から窺うことのできる研究成果が本書だ。

 従来、歴史研究の場では政治史が偏重され、戦後はその反動で「人民史観」がもてはやされ、その後はその合間を縫うように「社会史」がクローズアップされたが、その流れからいうと本書は「社会史」と「政治史」を繋ぐ試みといえる。

 上海という大都市を研究する場合、とかく階級闘争史・抗日運動史ばかりに焦点をあてられたようだが、本書はこれまで顧みられることの少なかった「社団」(社会団体と同義)をとりあげる。著者は、国家と私領域の間にあって地域社会の公共的機能が行われる場を「公」領域と定義し、その公領域の重要な役目を担った社団の実相を明らかにしていく。
 「社団を軸として、上海の都市社会を舞台に、中国近代の地域社会の構造とそこにおける公共性の性格、国家-社会関係について明らかにすること」(325p)が本書の課題である。

 社団はいくつかに分類できるのだが、わたしはとくに慈善団体に興味をひかれた。どういった慈善団体が存在するかを見ることにより、何が1920年代上海の社会問題であったのかがわかるからだ。

 それから、社団の一つ、「救火会」(消防団)についての叙述も関心をそそられた。救火会が有事には武装団体に早変わりするところなど、その社団のもつ性格によって、「公共性」の形成も様々であることがよくわかる。

 本書の詳細な記述により、社団の役割や、それが国家権力の強弱・消長とともに柔軟に国家と私領域をつないでいったことが明らかになる。やがて国民党政府によって社団は国民統合の手段とされ、社会主義政権の成立に伴って国家権力へと吸収され、解体された。党の一元的支配は「公」領域を解体し、人民の直接的個別管理へと向かったのであった。

 確かに、社会構造の変遷のダイナミズムは本書でかなり詳細に検討されたが、それを支える/それが生み出す社会意識についての記述がなかったのが残念であった。キリスト教社会事業の倫理基盤なら比較的理解しやすいのだが、中国で富裕層が慈善事業に手を出すのはなぜなのか、そのメンタリティのよってきたるものは何なのか、わたしには理解しづらい。だが、そういったことの解明は本書の目的から外れるのだろう、ほとんど言及がなかった。中国近代史の専門家にとってはいわずもがなの事かも知れないが、わたしには少々腑に落ちない点であった。

 そして、何度も「エリート」という言葉が登場するのだが、それほど重要な「エリート」(商工ブルジョアジー)に関して説明がないのもまた不満が残る。社団を組織し指導したエリートたちの思想と行動が上海社会の公共性を育む源泉であったなら、そのエリート層はいかに形成されたのか、そこを知りたいと思う。彼らの出自は? 洋行の有無は? 学歴は? 思想的背景は? そういったことがわかりにくい。

 社会主義政権下でいったん解体された社団が、開放政策の進展に伴って復活し始めているという。本書は過去の社団の動きを追うだけではなく、これからの中国社会の未来を占う優れた視点を持つ。わたしの個人的興味にすぎないのかもしれないが、こういう地道な歴史学の成果と社会学的アプローチを横断させるような研究をこれからも続けてほしいと思う。続刊も期待したい。