2022 備忘録

思いついたことを書き残す。

2021年08月22日 | ひとりごと

長年デスクワークが多かったので自分の机がないというのはなんとも落ち着かないものだ。
自宅改造中で荷物は縛ったままか手提げ袋に分散、かろうじてパソコンシステムは動いていると言っても畳の上にキーボードを置いたのではどうも気分が乗らない。
なんとなく机に向かっていたほうが落ち着くというのもなんだかなーといったところ

級友、旧友、鈴木憲保さん逝く

2021年08月21日 | 訃報


今朝(8月21日)訃報があり家族葬にするのでその前によかったら会って欲しいとのことだったので店にお伺いし、対面したがまるで眠っているようで死ということが信じられない思いだった。
今日も店は営業中。コロナ禍でもなければ盛大に見送るところだろうが少々寂しいお別れになってしまった。飲食店経営に様々なアイディアで挑戦して良くも悪くも玄人だった。



同じ町内で生まれ同じ小学校に上がったのが62年前、以来長い付き合いになった。
社会に出てからは疎遠になっていたが1999年に彼が経営する「初日総本店」の移転新築の仕事の依頼を同じく同級生の紹介で受け設計監理を手がけさせていただいた。その後も前橋でも繁盛店として現在に至っている。
JIA北関東甲信越の学生作品コンクールの前夜祭はいつもこちらを利用させていただいていた。

ずっと以前から体調が優れないことは知っていたがいつも回復し、元気とは言えないまでもいつもの感じでいくることを楽しんでいたと思う。
井瀬さんの「向島」で入院前に飲んでいるからと沙汰があり少しの時間をともにした。もう3年も前のことだろうか。
最近、岩崎明さんの旧宅をギャラリーに改装し収集した美術品の陳列を楽しんでいた矢先の急な最後となってしまったらしい。
いずれにせよ最後まで夢を持って生きてきた彼らしい最後であったと言えよう。

自分もこう在りたい。

ご冥福を祈る。合掌

齋藤孝彦さん逝く

2021年08月16日 | 訃報
病のことを淡々と客観的にお話されていたのが真新しい記憶の中にあります。
この冷静さこそが建築家の資質と表裏一体のものであったのでしょう。
残念です。

建築家という職能は欧米のキリスト教を背景とする文化によって育まれてきたものであり、明治期に導入されたといっても日本古来の文化との整合性が真剣に問われないまま現在に続き「建築デザイナー」「建築士」と周辺の職業と混同ないしは誤認されたままになっています。
はたして日本における建築家の必要性、あり方、生き方を深く考える機会を持つことを忘れてはいけないと考え、齋藤孝彦さんに教えを請う機会に参加してきましたが、これからは自らがもっと深く考えていく時が来たようです。

改めて衷心よりご冥福をお祈りいたします。

困ったと言うより不愉快

2021年08月15日 | ひとりごと
MRI検査に行かないと13日に言う
頭を着られるのは嫌だ。すがの医院の仕事欲しさにするのかと問い詰める。
見当外れどころではない。
仕事上の倫理観について口を挟まれとは思わなかった。これは看破できない。
これが続くようであれば自宅での介護は断念する。