2022 備忘録

思いついたことを書き残す。

あっという間に一月終わる。

2015年01月31日 | ひとりごと
明日からは2月、早いものだ。
真冬のこの時期寒いけど澄んだ空気のこの時期、山々の様々な表情が美しい。

仕事が本来のペースに戻ってきた。さすが体にこたえるようになった。
休日を大切にしながら仕事を楽しもう。








あと2日

2015年01月30日 | ひとりごと
ブログネタも底を尽きはじめている。あと1日で1月が終わる。
毎日書くために就寝前今日の出来事を必死に振り返る。

出来たこと出来なかったこと。
やっちまったこと。

記事がないのは平穏ということだがそればっかりでは生きている実感が無い。

結局ネタ探しに古い画像を引っ張りだして眺めたりしていることも多い。
今日はスキャン画像だが40年前の着彩パースが見つかった。

敷島公園に有った「コーヒーショプ アップル」。
オーナーが本町にも新店舗を出す機会に3店舗のイラストを頼まれた。
昨年末の忘年会で旧オーナーの佐藤さんから3枚の額を見せていただいた。

本当に良く遊んでいた頃の店。
いっしょに遊びまわっていた仲間ももうとっくに還暦を過ぎた。
遊ぶために遊んでいた時代も有ったのだ。

経年変化、経年劣化

2015年01月29日 | ひとりごと
午前中、メンテの相談のため外出した。

建築は竣工が終わりではなく始まりである。
生活の器を作るのが目的であり、工事そのものが目的ではない。

自然素材を出来るだけ使いたいと思うが、経年劣化というより経年変化という違いは設計者自身判断が難しい。
木目模様のプリント仕上げは色があせるだけ、しかし本当の木材は色の深みが増す。
プラスチックの心材であればひびも反りもないが天然木材はひびも入ればそりもある。

どうしてもメンテナンスは模造品のほうが楽だ。
なんでも「ありのままの」というわけにはいかない。

設備機械類も多くは使用期限を明示するようになった。
高性能で高額な機器ほど管理が大変で部品交換というより全交換ということが増えてきた。

設計は出来上がれば終わりというわけにいかない仕事だとつくづく思う。


北の街

2015年01月28日 | ひとりごと
風は昨日ほど強くないが底冷えするなか、風花の舞う沼田市内に設計の打ち合わせのため向かった。
打ち合わせの後、久しぶりに沼田市役所に寄る。

沼田市役所は設計事務所勤務時代に担当として長い間通った。
近々老朽化のため移転が決まるなど一目でわかるほど痛みが目に付く。川田小学校をはじめ東中学校まで多くの学校の設計に関係した。
猛吹雪の中、工事監理に通った現場。寒冷地の厳しさを体感した。


1階ロビーの床は最近ではあまり見かけなくなったクリンカータイル。
凹凸のある表面は冬場雪でぬれた履物が滑らないように配慮されたものかもしれないが懐かしい。

戦災に遇わず飛騨高山のような商家も多くあったが最近はめっきり少なくなってしまった。
それでもちょっと横道に入ると懐かしい民家が残っている。
利根地方の中心であった沼田の飲食店街はにぎやかだったらしい。面影が残る街に雪があるうちに訪ねてみたい。

平穏

2015年01月27日 | ひとりごと
午前中は内部で製図、新しい「焼き菓子店」の準備、午後は測量と新規の仕事の打ち合わせ。
よどみなく仕事が流れていくといった印象。
夜になって寒さと厳しい北風に見舞われる。月も星も見える黒い夜空。

とりたてて大きな出来事がない日はブログ書くのには大敵だ。

画像整理も先が見えてきた。ついつい画像に見入って手が止まる。
思いがけない画像が出てきて当時の記憶がよみがえる。忘れっぽいというのは困ったものだ。

45年前の自分に会う

2015年01月26日 | ひとりごと
JIAの社会人講師として桐生工業高校で住宅設計について話をする。
高校二年生であるから自分は45年前の出来事。
自分たちがこんなにかわいかったかなと思う。
それなりに背伸びしていて大人びていたはずと思い込んでいた。

たぶんほとんど理解できないだろうと思いながら話をする。
ただ将来こんなことをするのかなというぼんやりとした記憶に残ってくれればそれで良い。
自分も何もわかっていなかったのだから。

工業高校は科単位で授業内容が異なることもあり、3年間クラス替えもない。
彼らは一生の付き合いになるであろう。

桐生工業高校は昭和48年ころ、校舎の設計に携わった。といっても新米としてほんのお手伝いではあったが。校長室で昼食にカツどんをとって頂いたがまったく体が受け付けず難儀しとことも懐かしい思い出だ。
その校舎は耐震補強によって姿は変わっているが基本的なシルエットは残っている。
建築という仕事の重みを改めて感じた、

気分転換

2015年01月25日 | ひとりごと
気分転換に「蠟梅」を撮りに長瀞の宝登山に出かけた。
街中の庭園木はその香りで存在を主張しているがこれだけ本数がそろうと山麓が柔らかい黄色に染まる様は見事である。



幾重にも重なる山並みを背景にしばし日常を忘れる。

梅林もそろそろ咲き始めている。こちらも満開になることを想像するのも楽しい。



本来なら風もなく陽が出ていた今日はロードバイク日和なのだが年明け早々やや疲労気味。
のんびり英気を養った。

webサイトの管理

2015年01月24日 | ひとりごと
昼食を摂りに散歩がてら気になる店まで歩いていった。
Webサイトを見た限りでは関心を引く内容だったのだがドアを開けてみたら予想とはかなり違っていた。
それでも入ってしまったので食事を注文して待っていたら水の入った大き目のグラスとがガラスの灰皿がボンと出てきた。

喫煙の習慣のないものにとって灰皿さえ目障りだ。もっとも店の人は煙草を吸うかどうかまったく気にしていないようなので下げるようにいうのも野暮なのでそのままにした。
料理は盛りも良いし値段も安いので仕事中の昼食であれば次第点である。

しかしWebとはまったく違う状況の放置はいかがなものだろう。
うんちくはたいした内容が書かれていただけに無責任な印象が残り、残念だった。

最近は禁煙、喫煙の意向を尋ねる店が多い。チェーン店に多い。
煙草を吸わない身となると本当は食べに行きたい店に限って区別されていないことが多い。
狭い店で一人でも吸われると食事が楽しくなくなる。
逆の立場では食後のおいしい一服ということなのだろうけど。




いいものはいい

2015年01月23日 | ひとりごと
午前中、現場巡視。
内装工事が進む住宅の現場を訪れる。
この住宅の和室は吉野杉の芯材の赤い部分の節がない良材で作られている。

優しい色合いとやわらかい質感、そして香りが魅力的な貴重な材料である。
関東では桧が好まれるが住宅ではやはり杉のほうが役者が上であろう。
但し無垢材であり扱いには細心の注意が必要だ。

今、木造と行っても輸入材の木材を壁の中に包む「大壁工法」と言われるものが主流だ。
さらに骨格を製材工場のNC機械によるプレカットと言われる加工が主流で大工さんの腕の見せどころが少なくなった。
この住宅も基本的に骨格はプレカットによっているものの和室のように柱などが露出する「真壁構法」は大工さんの腕と木材の素材の魅力が存分に発揮される部分だ。

多くの建築主は木目印刷でラッピングされたものを「木」と捉えている。
大メーカーの大多数は天然材のリスク「ひび割れ、ソリ、汚れ」などクレーム要素を排除するため天然木材を使用しないのだ。
身近な材料の本当の良さを是非体験していただきたいものだ。


「匠」の選ぶ大改造劇的ビフォーアフター2014年大賞に熊本の古川保さんの番組が選ばれた。
この大賞は今年参加した16人の設計者の互選によって決定する。16本のDVDを連続で見るのは大変な苦行であったが得られたものも多い。
TV番組に求められる視聴率に代表されるポピュリズムの期待を受け止めながら、其々日頃実践されているアイデアが遺憾なく発揮されていた。

特に古川保さんの仕事は日頃に設計姿勢を貫きながら、誰にも共感を与える決めの細かい日本建築の伝統を大切にした素晴らしい内容であった。
古川保さんのお名前を知ったのは「水俣エコハウス」であった。
全国規模で行われた2010年の21世紀環境共生住宅コンペで当選し、熊本県水俣市に建てられたのを知った時だった。
機会を作ってぜひ拝見したい建築である。

他の多くの当選案が高気密高断熱により力技で省エネを達成しようとしているのに対し、自然との直接的ふれあいで対抗する真っ向勝負した作品だった。古川保さんのホームページを久しぶりに拝見して、氏の熱い思いを垣間見ることが出来た。

とにかくTV番組とはいえ、日頃の建築に対する思いを貫かれたことに拍手をおくりたい。

画像整理

2015年01月22日 | ひとりごと
画像の整理をしている。
デジタル画像というのは便利なものだがずぼらに溜め込むといざというときまったく見つからない。
パワーポイントの挿画になにかないかと探すことが多くなった。

確か何年ごろとかどの案件だったかなとか必死にヒントを探すのだがなかなか出てこない。
分野別で年別くらいまでの階層を作って収容しなおそうとしているのだがとにかく膨大な量だ。
遅々として進まない。

そもそも昼間PC漬けみたいなものだから自宅でまではかなわない。
それでもだいぶ片付いてきた。

デジタル画像の一番古いものは1998年だ。17年前になる。
画素数も小さなものだ。
今はやたらと大きなファイルになり、10MBを越すことも少なくない。

自分自身ずいぶん歳をとったなと思う反面、毎年同じ画材を撮っているなとも思う。
季節がめぐるとまた同じ花が咲く。
もっとも枯らしてしまった鉢物の薔薇もある。今年は見ることができないのかと思うとさびしい。

冬そして春

2015年01月21日 | ひとりごと
街を歩くと木の芽がだいぶ膨らんできた。白木蓮のつぼみは大きいものだから目に付く。4ヶ所ほど所在を知っているので昼休みに覗いてみた。春を告げる花のひとつだ。開花が待ち遠しい。大寒を過ぎた。しかし寒さはこれからが本番、体調管理に要注意。

「冬青」という言葉を知った。この二文字からではまったく見当がつかない。印象では冷たく透き通っている印象かと思ったが、なんと樹木の種類の名前。「そよご」と普段読んでいた樹種だ。常緑で赤い実がなること、樹形が住宅などになじみやすいことから重宝している。
漢字というのはたいしたものである。語源をいろいろ調べたが的を得たものはなかなか見つからなかった。語源に興味がわく。


今晩は群馬中小企業家同友会の前橋支部例会。「人口減少社会」がテーマの例会だった。
他業種の生々しいお話、人口減少によるシステム変更が仕事につながるという相反する状況も聞けた。
人口減少というのは経済規模がそれに比例して縮小することを意味するわけではなはだ景気の悪い話である。
しかし状況の変化はチャンスと捉えることでも良い。

状況分析で他人事のようなことをいっていても何も始まらない。
経営者に必要なことは、しゃにむに考え決心したら不退転の覚悟で遂行する気力である。
今日のグループ討論でいくつかのヒントをいただいた。
前に進もう。

コンクール

2015年01月20日 | ひとりごと
入学試験があちこちで行われ始めた。次は卒業。
建築の設計コンクールが3月7日行われる。

第9回JIA北関東甲信越学生課題設計コンクール2015
第18回JIA群馬クラブ卒業設計コンクール2015
が3月7日に同時開催される。

すでに18回を数えるJIA群馬クラブ卒業設計コンクールに対し、JIA北関東甲信越学生課題設計コンクールは9年前にJIAの北関東甲信越地域(群馬、栃木、茨城、山梨、長野、新潟)のJIA地域会が連携して始まった。

とかく他校との比較が難しい首都圏外の学生を応援しようという目論見で他県に呼びかけたのが始まりである。
第1回は審査委員長に幸運にも「青木淳」さんをお招きしスタートした。
会場は今はなき「旧麻屋デパート」で試行錯誤の上関係者の努力で現在に至っている。

若い人の新鮮な発想力に触れるのは審査する側の楽しみである。
はっとすることが今年もあるだろうか。

ピンチ、書けない。

2015年01月19日 | ひとりごと
東京、大手町で弁護士会の講習会。建築紛争等の勉強会。
騒音、マンション建替えが主な内容。
性善説で仕事をしているけど、脇を固めなければ。弁護士さんのお世話にならないようにしなければと思う。

その後八重洲口「魚と酒 はなたれ」で京浜地区の前橋一中の同級生と新年会。
心おきなく飲む。ひたすら飲む。とうとう目が廻る。血圧が下がりながら何とか新幹線に乗り前橋へ帰る。
偶然同郷の久保さんとご一緒し心強かったが高崎は乗り過ごしそうで変な酔い方。

1月1日から始めたブログを何とか続けなくてはと頭の中では考えているものの目がぐるぐる。
明日の朝、読み直すのが怖い。

ところで4月4日「前橋一中3年11組」のお花見をしましょう。
同級生の皆さん。よろしく。連絡します。


阿久沢家住宅の萱の葺き替えを見学

2015年01月18日 | ひとりごと
旧前橋市宮城村にある重文「阿久沢家住宅の茅の葺き替え工事の見学会の知らせがあり、参加した。
村田敬一先生の現地での説明は何時も通り歯切れの良いわかりやすく、かつ実物を指しながら具体的に解説してくださったので大変理解しやすかった。
同じ建築の世界でも設計監理の実務としての見方と研究として見方の違いに反省。
やはり学術的深みは刺激的だ。修復の根拠は本当に奥の深い知識で判断されるべきであろう。

推定1600年代といわれているからもう400年以上経つ住宅が残っているだけでもすごい。
さらに維持管理が続けられて後世まで伝えられることで住宅の歴史とともに生活の歴史が伝えられていくことは大切なことだ。



18年前に屋根の茅は葺きかえられたそうだが痛みがひどいので全面葺き替えとのこと。
囲炉裏の火が途絶えたことで虫害や雨の進入による被害のよう。やはり住んで住宅なのであろう。
交換された古い竹の垂木は煤けているが前回のものは古びているが煤けていない。



それにしても赤城颪はすさまじかった。上州の冬である。









兵庫県南部地震から20年。

2015年01月17日 | ひとりごと
あの地震からもう20年、早いものだ。
振り返ってみると自分の建築人生の中間くらいに位置する。

JIA会員として被災者への「建築相談」のため群馬の会員とともに平成7年2月11日、前橋を出発。被害が少なかった京都駅前のホテルに投宿。翌12日JR神戸線の電車で住吉まで進む。
すでに途中は損傷を受けた家屋が並びいよいよ現実のものとなった。
「建築相談」は被災度判定の済んだ住宅のこれからの住み方について相談を受けるという業務だ。ボランティアである。

被災度判定により概ねの判断はできるが注視すると致命的な被害を受けているものも有り、また仕上げが脱落して構造体へのダメージは小さいものも有りといった具合で、それぞれ住人に本当のことを伝えるが辛かった。

魚崎南町という海に近い地区を巡回した。焼失は免れたものの大きな被害を受けている商店街。跡形なく焼け跡となっている商店街。解体作業の音こそ聞こえるが生活のない町は不気味に静まり返っていたのが印象的だ。
消毒薬の匂いが鼻を突く。東灘区役所も電力は復旧したものの水道はまだ開通しておらず水洗便所の仕様もままならない。
近くの川までバケツを持って水を汲み汚物を流すという初めての体験もした。

建築の壊れ方はまさに教科書通り、そして木造建築の補強金物の重要性、筋違の危険性などその後の設計に大いに影響を受けた。
特に水平剛性の大切さは従来の壁量計算では評価できないことなどからその後木造建築でも許容応力度法による構造計算の手法の採用につながった。

自然の力の前には人間といえどもあまりにも非力。このことを軽視し、思い上がりが東北地方太平洋沖地震による福島第一原発の損傷事故を引き起こした。多くの犠牲者の方々にはただご冥福を祈ることしか出来ないが、仕事として生命の安全を託されていることを今日改めて思い起こした。