【映画がはねたら、都バスに乗って】

映画が終わったら都バスにゆられ、2人で交わすたわいのないお喋り。それがささやかな贅沢ってもんです。(文責:ジョー)

「聯合艦隊司令長官 山本五十六」

2012-01-07 | ★橋63系統(小滝橋車庫前~新橋駅)


戦後の焼け野原の風景が、震災後の被災地の風景とダブってしょうがなかったわ。
戦争と自然災害の違いがあるとはいえ、ああいう風景を目のあたりにするとね。
そういう目で観ると、非常事態の中で的確な判断も出来ず右往左往するばかりのエラい人たちの情けない姿は、70年前も今もまったく変わらないんだなと思ってしまう。
今は、山本五十六のような気骨のある人物さえいないけどね。
でも、いま、彼のような人物が現れても何もできないんじゃない?
70年前はそうだった、っていうのがこの映画。
戦争に反対しても結局戦争は始まっちゃうし、作戦はことごとく失敗するし、早期講和とか言っても誰も耳を貸さないし、最後は部下の単純なミスから身を落とす。
踏んだり蹴ったりだ。
スタンリー・キューブリックならブラック・コメディにしてしまいそうな話を成島出監督はあくまで丹念に描く。
山本五十六のいうことはいちいち正しいし、人間的にも信頼できる人物として描いているし、甘いものには目がないというお茶目な描写にまで気を配っている。
でも、人が良すぎたんじゃない?という印象が残る。
真珠湾奇襲で早期講和に持ち込もうなんて、考え方がナイーブすぎる。
その作戦も部下がひとりで考えたように見えちゃうし。
権力にも地位にも関心がなかったなんて、さも高潔な人物のように描いているけど、その野心のなさが彼の限界でもあった。
持論を述べるばかりで、早期講和のために日本の指導者たちをどう動かしたのか、あるいは動かせなかったのかまで描かれていない。
彼の立場上、それ以上動きようがなかったというなら、それが彼の悲劇だったということでもある。
その空しさ。隔靴掻痒感。
山本五十六には能力がなかったって言いたいんじゃなくて、彼のように秀でた能力を持つ人物でさえ、時代の流れを変えることはできなかったっていう無力感なんだ。
結局、世の中、なるようにしかならない。そう思うとゾッとする。
それを象徴するようなシーンがあってもよかった。
そういった絶望感、寂寥感、孤独感を「孤高のメス」「八日目の蟬」の成島出監督なら、もっと深掘りして描くことができたんじゃないかしら。
何があっても泰然自若としている姿に感服はするけど、それだけじゃ“偉人伝”の人物になってしまう。
あの、荒廃した風景には勝てない。
そこを見つめるところからしか未来はないからな。
70年前も今も、ね。