平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

JIN-仁- 第5話~神と人間、この壮大なテーマ!

2011年05月16日 | 大河ドラマ・時代劇
 瀕死の坂東吉十郎(吹越満)が息子・与吉に自分の芝居を見せるシーンは圧巻!
 「お前の父親はどうしようもないクズだが、こんな芝居が出来るんだ。お前はクズの息子なんかじゃない」
 それを必死の芝居を通して伝えている。
 見栄を切って目をカッと開く歌舞伎調が実に効果的だ。
 息子の与吉も涙を流しながら「大和屋! 大和屋! 日本一!」としか言えない。
 人が人に何かを伝えたい時、言葉は無力だ。
 言葉を尽くしても伝わらない。
 むしろ命がけの芝居であったり、「大和屋!」のかけ声の方が伝わる。それだけで心が通じ合う。

 さて、仁先生(大沢たかお)。
 お初(畠山彩奈)を死なせてしまったことで、神の意思、歴史の修正力に挑もうとしている。
 歴史の修正力で自分が助けた命が奪われてしまうのなら、自分は何のために戦っているのか?
 すべてが定めなら、自分がしていることはすべて空しい。
 人を救うために必死に戦っている仁としては当然の思いだ。
 ここには、人間がずっと哲学として考えてきた<神と人間の相克>がある。
 これがイスラム教徒などの宗教を実践している人ならば、「イン・シャー・アッラー」(すべてはアッラーの神の思し召し)で、受け入れられるんですけどね。
 宗教を持たない仁はどうしても神に反抗してしまう。
 「自分は何のために生きているのか?」「すべては神の意思、定めなのか?」「世の営みを越える大きな存在=神はいるのか?」
 この仁の悩みをわれわれ現代人も共有すべきだと思いますよ。
 <自分は大きな力によって生かされているんだ>という感覚。
 <自分の目の前に起こることは大きな力の意思に拠るものだ>という感覚。
 信じる信じないは別の問題として、仁の様に考え、悩んでみる価値はある。

 そして咲(綾瀬はるか)。
 この宗教的命題に彼女はあっさりと答えを出した。
 「延命だけではいけないのでございますか?」
 すべての人の命を助けられると思うこと自体が傲慢。
 医術によって人が永遠に生きられるようにしようとすること、神に挑もうとすること自体が傲慢。
 その他にもっと大事なものがある。もっと足元を見ろと咲は仁に伝える。
 本当に咲は聡明ですね。
 そして、吉十郎・与吉親子のエピソードは仁に「命の値打ちは長さだけではない」こと、「延命によって人を行き長らえさせ、残された時間を輝かせることが医療の意味」ということを教える。

 このことを気づかせただけでも、<お初の死>や<吉十郎・与吉親子のエピソード>は、仁にとって意味があった。
 人に起こる出来事ってすべて意味があるんですね。
 宗教的に言えば、それらの出来事を通して神は人に何かを伝えようとしているのかもしれない。

 深いですね、この作品は。
 この哲学的・宗教的テーマは、原作に拠るものなのか、このドラマの脚本家さんの掘り下げ・アレンジなのか、すごく気になる。


コメント (8)
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