平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

鎌倉殿の13人 第21回「仏の眼差し」~八重の仏の眼差し。一方、祟りと天罰の物語が始まる!

2022年05月30日 | 大河ドラマ・時代劇
 奥州藤原氏を滅ぼして武士の頂に立った頼朝(大泉洋)。
 しかし、おこなった非道ゆえか、よくないこと起こる。
 壊れ始めた大姫(南紗良)。
 そして八重(新垣結衣)……。
 これはバチが当ったのか? 祟りなのか?
 頼朝は「正しかったか、間違っていたか、決めるのは天」と言っていたが……。

 確かに何かを得れば何かを失うのが世の中の理(ことわり)。
 絶対的な善や悪はないと思うが、やるかやらないかはその人間の節度。
 自分がおこなった理不尽な行為や非道に心を痛める者もいる。
 義時(小栗旬)もそのひとりだ。
 そんな悩む義時に八重は言う。
「もっと自信を持って下さい。北条家がなければ鎌倉殿は今もただの流人。
 あなたが今の鎌倉をお作りになったのです。今のは言い過ぎました(笑)」
 いい夫婦になりましたね。

 八重の死は、運慶の阿弥陀如来像とのカットバックで描かれた。
 地上に生きるすべての者に慈愛の眼差しを向け、救う阿弥陀如来像。
 その姿は、困難にある子供たちの面倒を見る八重に重なる。
 川で溺れそうになった鶴丸を救った八重にも重なる。
 その背景には川で殺された千鶴丸への思いもあっただろうが。

 八重の死はさまざまに読み取れる。
 八重はなぜ川の中で動かなかったのか?
「助けて!」と声をあげなかったのか?
 これは平家・義仲・義経らの祟りだったのかもしれない。
 あるいは、
 千鶴丸が母を求めて手放さなかったのかもしれない。
 いずれにしても阿弥陀如来の力は及ばなかったようだ。

 そして今回、阿弥陀如来を通して語られた「母」というモチーフ。
 生命を愛し、生きとし生ける者を救う母のイメージは後の北条政子(小池栄子)に繋がるのかもしれない。
 ………………………

 父・時政(坂東彌十郎)は相変わらず頼もしい。
 後白河法皇(西田敏行)を前にしてもマイペース。
 すごろくでは「法皇様と言えど、ズルはいけません」
 ずっと都にいてくれと言われると「私には美しい妻がおりますので鎌倉に帰ります」
 時政は「大事なのは心」と言っていたが、忖度なく「心」で法皇に接している。

 後白河法皇も忖度や駆け引きではなく「心」で接する存在を求めていたのかもしれない。
 頼朝の力が絶大になると、後白河法皇いはく、
「こんな時に平家がいたらなぁ。義仲、義経、なぜ滅んだ?」
「お前が悪い。なぜわしを止めなかった?」
 何とも自分勝手な人物だ。
 でも、すべては権謀術数に走り、心で接して来なかった結果。
 義仲や義経なんかはまっすぐな心で向き合っていたのだが、法皇はそれに応えなかった。

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「曠原淑女」 宮沢賢治~あなたがたはウクライナの 舞手のやうに見える

2022年05月28日 | 
「曠原(こうげん)淑女」

             宮沢賢治

 日ざしがほのかに降ってくれば
 またうらぶれの風も吹く
 にはとこやぶのうしろから
 二人のおんながのぼって来る
 けらを着 粗い縄をまとひ
 萱草(かんぞう)の花のやうにわらひながら
 ゆっくりふたりがすすんでくる
 その蓋(ふた)のついた小さな手桶は
 今日ははたけへのみ水を入れて来たのだ
 日でない日は青いつるつるの蓴菜(じゅんさい)を入れ
 欠けた朱塗りの椀(わん)をうかべて
 朝の爽(さわ)やかなうちに町へ売りにも来たりする
 鍬(くわ)を二挺ただしくけらにしばりつけているので
 曠原の淑女よ
 あなたがたはウクライナの
 舞手(まいて)のやうに見える
   ……風よたのしいおまえのことばを
     もっとはっきり
     この人たちにきこえるやうに云ってくれ……

                 ※曠原~広原
                 ※にはとこ~ニワトコ科の木
                 ※萱草~ワスレナグサ属の植物
 …………………………………

 童話作家・詩人の宮沢賢治は「農業」の人でもあった。
 農学校で教師として農業を教え、
 農家の相談を受ければ肥料などの農業指導をおこない、
 労働と文化は一体であるべき、と考え、農村での文化活動もおこなった。

『曠原淑女』は情景が浮かんで来る詩である。
 労働詩でもある。
 労働に勤しむ少女たちを賢治は賞賛し、光輝く存在として見ている。

 ラストの言葉
『……風よたのしいおまえのことばを
     もっとはっきり
     この人たちにきこえるやうに云ってくれ……』
 は実にやさしい。

 賢治にとって、風は生き物であり、畑も水を飲む生き物である。
 この詩人は、世界をどんなふうに見ていたのだろう?

『あなたがたはウクライナの
 舞手(まいて)のやうに見える』
 ウクライナが登場した。
 農業国ウクライナを賢治は知っていたのかな?
 現在のウクライナがこの詩のような世界に戻ることを願ってやまない。

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朝ドラ「ちむどんどん」~作品が雑すぎて、すごいことになっている……!

2022年05月26日 | その他ドラマ
 朝ドラ『ちむどんどん』がツッコミ所満載のドラマになっている。
 前作『カムカム・エブリバディ』の脚本が見事だったからなあ、比較されて粗が目立つ。
 どうした? 羽原大介(脚家家)さん。

 視聴者が毎日腹を立てているのが、長男・賢秀(竜星涼)のクズっぷり。
・チンピラと喧嘩して傷害
・ハンバーガーショップで器物損壊と音楽の下地先生をケガさせて暴行
・上京してボクシングジムで60万円の寸借詐欺
・鶴見で妹・暢子(黒島結菜)の所持金を奪って競馬でする
・長女・良子(川口春菜)の求婚相手の家から手切れ金詐欺

 視聴者のイライラをさらに増幅させているのが、母(仲間由紀恵)がこんな賢秀を叱らないこと

 そしてイライラはヒロイン暢子にも飛び火。
「料理をするのにあの髪はない。髪を束ねろ」
「入ったばかりの新人がオーナーに悪態をつき、勝負を挑むのはおかしい」
「ぺぺロンチーノの試作品をつくるお金はどうやって捻出したのか? オリーブオイルは高価なのに」
「ペペロンチーノの試食につき合ってくれた店主夫婦にお礼を言わないのはなぜ?」

 本来なら本日(5/26)は良子の恋愛が成就して感動エピソードになるはずなのだが、視聴者が泣いたのは、結婚がダメになっても良子の幸せを願った金吾(渡辺大知)の潔い態度。
 …………………………

 こんなふうになってしまった原因はいったい何なのだろう?

 まずはディティル。
「ペペロンチーノの試作品の費用」とか「家の借金問題」とか、これらに対する説明がいっさいなされていない。
 ドラマのリアリティってディティルの積み重ねによって生まれるんですよね。
 暢子がぺぺロンチーノの試作品の費用をどう捻出したかを描くことが、ひとつのドラマになるし、リアリティになるし。ヒロインへの共感に繋がる。
 なのにこれがなく、作家ははやく物語を進めることに躍起になっている様子。
 ここを敢えて描かず、視聴者に想像させるという手法もあるが、視聴者に行間を読ませるにはあまりにも情報量が少なすぎる。

 暢子の髪の件は僕も気になっていたが、こういうディティルって大事なんだよなあ。
 一部には、1972年なのに厨房の醤油の容器がペットボトルだったという指摘も。
 これらは脚本というより演出の問題だが。

 あとは朝ドラの視聴者層が保守層であること。
 悪いことをしたら罰せられる。親が叱る。本人も反省する。
 恩を受けたらお礼を言う。
 新人は謙虚で、空気を読む。
 ヒロインはこれらから少し突き抜けているが、突き抜けすぎてはいけない。
 朝ドラではこういう描写が要求される。
 突き抜けキャラは登場してもいいが、そこには心のベースがなくてはならない。
 たとえば下地先生や金吾が共感を呼んだのは、「音楽への愛や表現することの喜び」「良子へのひたむきな愛」といったものがベースにあったから。
 それが果たして暢子にあるのか?

 あとは、これは作品の内容とは関係ないが、ネット社会。
 ネットでは、朝ドラの感想が次々とUPされる。
 ツイッターでは、#ちむどんどん反省会というハッシュタグが毎回トレンド入りして不満がどんどん語られている。
 これをスポーツ新聞のネット記事が面白おかしく取り上げる。
 ネット社会のドラマはこれの洗礼を受けなくてはならない。
 それが良い反応なら作品の評価はどんどん上がっていくのだが……。

 さて、『ちむどんどん』は今後どうなっていくのか?
 視聴者の不満を踏まえ、作品の内容を変えていくのか?
 それともこれらは制作陣が意図したことで、近いうちに視聴者が「なるほど~、そういう計算があったのか」と納得する展開があるのか?
 これを見たくて、『ちむどんどん』を見続けている。
 黒島結菜ファンとしてもぜひ良い作品にしてほしいのだが……。

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鎌倉殿の13人 第20回「帰ってきた義経」~九郎、ようがんばった! さあ、話してくれ、どのように平家を討ち果たしたのかを!

2022年05月23日 | 大河ドラマ・時代劇
「九郎、ようがんばったな。
 さあ、話してくれ、どのように平家を討ち果たしたのか。
 お前の口から聞きたいのだ」

 サブタイトルは『帰って来た義経』。
 帰って来たのは義経の首だったのか……。

 平泉にやって来て、穏やかになった義経(菅田将暉)。
 畑仕事に従事して暮らしていくつもりらしい。
 コオロギを退治する方法を考案したりして、前回、時政(坂東彌十郎)が諭したように、知恵を使い工夫して、いくさ以外の道を歩み出したようだった。
 しかし──
 義経は心の炎は消えていなかった。
 心の底で燻っていて、義時(小栗旬)にこんなことを言った。
「平泉に手を出したら、その時は鎌倉が灰になるまで戦ってみせる」
 そのための戦術まで考えていた。
 それは梶原景時(中村獅童)が見たら、この策の見事さが一目でわかるというもの。
 いくさの天才・九郎義経は死んでいなかった。

 人を信じないで物事を見ることも義経は学んだ。
 義時が唐突に持ち出した静御前(石橋静河)の話を疑い、その意図を読み取った。
 物事の裏を読む力を身につけた義経は最強だろう。
 だが、義経はもはやどうでもよくなっていた。
 ドロドロした現実と立ち向かう意思や気力を失っていた。
 自らの思いを全うした静御前の生き様・死に様が頭にあったのかもしれない。
 里(三浦透子)の告白が追い打ちをかけたのかもしれない。
 義経は里に怒りをぶつける。
「お前が呼んだのか!? 兄の策ではなかったのか!?」
 いくさの天才・義経は里の手玉に取られていた。
 ここでは愚かだった自分を思い知ったことだろう。
 同時のショックも。
 自分は妻にも騙され、裏切られていた。
 すべては虚し。
 もしかしたら義時が行き来した隠し通路で義経は逃げられたかもしれない。
 しかし、現実に抗うことをしなかった。
 義経、最期の策は弁慶の仁王立ち。
 最期の打ち上げ花火を大はしゃぎして見る義経。
 見事な義経像ですね。
「いくさの天才」「悲劇の貴公子」として描かれるのではなく、
「周囲に騙され裏切られてヘトヘトになった明るい虚無の男」として描かれた。

 一方、義時の策を見破った義経だが、頼朝のあくどさ、したたかさには及ばなかったようだ。
「この首で平泉を守れるなら本望だ」
 義経は自分が死ねば平泉は安泰と考えていた。
 しかし頼朝(大泉洋)は──
「九郎を勝手に殺したことで平泉を攻める大義名分ができる。あくどいか? あくどいよのお!」
 義経の死を利用した次の策を考えていた。
 義経はこれを読めなかった。
 …………………………………

 そして義時。
 静御前の話で義経の憎しみに火をつけて
「上手く運んだようだ」
 ますます謀略に手を染めるようになってしまった。
 この謀略は義経に見破られていたが、変わってしまった自分を義時はどう考えているのか?
 新しい世を作るためには仕方ないと考えているのか?

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コミック原作で「進撃の巨人」最終話を読む!~「憎悪」「自由」「愛」という連立方程式をどう解くか?

2022年05月21日 | コミック・アニメ・特撮
『進撃の巨人』
 原作のコミックで最終話まで読んだ。
 何しろアニメは来年(2023年)3月オンエア、それまで待っていられない。

 ネタバレになるので詳しくは書けないが、メインモチーフは「憎しみ」「怒り」だろう。
 アニメ版でオープンになっているエレン(CV梶裕貴)の思考の推移書くと──

・母親を殺された憎しみ→巨人を駆逐する
・巨人とは何かを知る→巨人を生みだした人間や国家への憎悪
・仲間・パラディ島の人間を守る→そのために島の外の人間を駆逐する

・巨人を生み出したもうひとつの存在・始祖ユミルとの共感→憎悪のユミル→ユミルとの共闘

 憎悪から世界の破壊へ。
 これは他のアニメなどでもよくあるモチーフだ。
 これに加えて『進撃の巨人』では「自由」というモチーフが入って来る。
 以下アニメ版ですでに描かれていることだけを語ると──

・自由への意思→壁の外に出たい→壁の外は楽園ではなかった→むしろ悲惨だった→失望
・自分を縛っている血・未来を知る→しかし、これらからは本質的に逃れられない
・エレンが自由になるためにはどうすればいいのか?
・始祖の支配から唯一逃れているアッカーマンという存在~ミカサ(CV石川由依)、リヴァイ(CV神谷浩史)

 そして最後。
「憎悪」「自由」に加えて「愛」というモチーフが入る。
 憎悪と愛は裏返し。
 憎悪に燃えて「地鳴らし」をするエレンの裏には「愛」がある。
 それは親子愛・仲間への愛(友情)・異性への愛(ミカサ)
 ……………………………
「憎悪」「自由」「愛」──
 これらの連立方程式を一気に解くのが『進撃の巨人』の最終回だ。
 とはいえ、これらがすべてきれいに解決する答えなんかあるわけがない。
 ボロボロと抜け落ちていくものがある。
 悲惨もある。
 それは作品の余白・行間になって、見る者、読む者にいろいろ想像させたり、考えさせたりする。
 それが作品を豊かにしている。

 その他のモチーフもある。
・生きる意味、生きるということ、ありふれた日常
・記憶
・争いはなくならない
・生物が脊椎・骨格を持つということ
・世界樹? 北欧神話?

 いろいろな角度から読み解けて実に豊かな作品だ。
 そして原作を読んで、ますますアニメ版への期待が高まった。
 原作コミックのひとコマで描かれている場面はアニメ版でどう描かれるのだろう?
 少しネタばらしすると、ミカサの封印されていた記憶のシーンは泣ける!
 彼らには別の選択肢があったのではないか、と考えてしまう。

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Oヘンリー「賢者の贈り物」「最後の一葉」~お洒落! 見事なたとえ表現にワクワクする!

2022年05月18日 | 短編小説
 Oヘンリーの名短編『賢者の贈り物』
 妻の美しい髪と夫の祖父から譲り受けた見事な金時計の話だが、その素晴らしさを表すたとえが素晴らしい。

 ところでヤング夫妻には自慢の宝がふたつあった。
 ひとつはジムの金時計。もうひとつはデラの髪。
 もしシバの女王が向かいの部屋に住んでいてデラの髪を見たら、女王は自分の宝石を無意味と思うだろう。
 ジムの金時計は、もしソロモン王が自分の財宝の管理人をしていてジムの金時計を見たら、王はうらやましく思うだろう。


 何とたとえにシバの女王やソロモン王を登場させている。
 こんなたとえもある。
 夫への贈り物を買うために髪を切ったデラが自分の顔を鏡で見た時のつぶやきだ。

「まさかこんな頭だからと言ってジムに殺されることはないでしょう。
 でもコニー・アイランドのコーラス・ガールくらいのことは言われるかもしれないわ」


『コニー・アイランドのコーラス・ガール』
 いかにもアメリカ! って感じのするたとえだ。

 ………………………………………………

 同じくOヘンリーの『最後の一葉』

 グリニッチ・ヴィレッジに住むふたりの女性画家の話だが、そのひとりジョンシーが肺炎にかかってしまう。

 医者が『肺炎』と呼ぶ目に見えない冷酷な侵入者が、この芸術家村を歩きまわって氷のような手であちこちの人間に触った。
 (中略)
 肺炎氏は騎士的な老紳士と呼べるような手合いではなかった。
 カリフォルニアの微風で血の薄くなっている小柄な小娘などは年寄りのいかさま師には正々堂々の獲物とは言えなかった。
 だが彼はジョンシーに襲いかかった。
 彼女は寝込んでペンキを塗った鉄のベッドの上で動けなくなった。


 肺炎を『侵入者』『騎士的な老紳士とは言えない手合い』『年寄りのいかさま師』と人にたとえている。いわゆる擬人化表現だ。

 たとえではないが、こんな表現もある。
 ふたりの画家・ジョンシーとスーの出会った時の描写だ。

 ふたりは八番通りの「デルモニコ」食堂の定職を食べている時に出会い、
 芸術やチコリ・サラダやビショップ・スリーブ型のドレスの趣味が一致するのを知って、共同でアトリエを持つことにした。


 画家のふたりが意気投合した理由が『芸術』の他に『チコリ・サラダ』や『ビショップ・スリーブ型のドレス』!
 何とお洒落な表現!
 凡庸な作家だと『ふたりは知り合い、芸術観が一致してアトリエを持つことにした』みたいな表現になってしまう。
 文章は、チコリ・サラダやビショップ・スリーブ型のドレスを加えるだけでお洒落になる。

『賢者の贈り物』も『最後の一葉』もストーリーやオチが広く知られている作品。
 でも小説の愉しみってストーリーだけじゃない。
 見事なたとえやお洒落な文章にワクワクするのも小説の楽しみ方。

 神はディティルに宿る。
 ディティルにこそ光輝くものがある。

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鎌倉殿の13人 第19回「果たせぬ凱旋」~大人に翻弄される子供の義経

2022年05月16日 | 大河ドラマ・時代劇
 こうなってしまった理由を義経(菅田将暉)に尋ねられて義時(小栗旬)は言う。
「九郎殿はまっすぐすぎるのです」
「人をお信じになりやすいのです」

 したたかな大人、特に後白河法皇(西田敏行)にしてやられた感じですね。
 ずるい大人、源行家(杉本哲太)にも手のひら返しされた。
 義経はいくさの天才だが、大人の世界では子供なのだ。

 そんな義経とは対照的に頼朝(大泉洋)はしたたかだ。
 後白河法皇が『頼朝追討の宣旨』を出したことを義時に問い詰めさせて
「されど、わが主は疑うておりまする」
「九郎殿を捕らえるために西国諸国に守護・地頭を置きたい。これ、すべて法皇様のため」
 と西国諸国の統治権を認めさせてしまった。
 これが政治だ。
 義経はこういう政治的な駆け引きができないのだ。
 義時はこういう政治的な駆け引き・交渉ができるようになってひと皮剥けた。

 それにしても大人の世界というのは厄介だ。
 鎌倉に帰って兄に会うだけのことなのに「受領」や「伊予守」になったり、「父親の供養」という理由をつけなくてはならない。
 それは八重(新垣結衣)も指摘していて、子供はごめんなさいと謝れば仲直りできるのに大人の世界では難しい。

 頼朝は「信」「不信」の間で揺れている。
 本当は義経を信じたいのだ。
 しかし後白河法皇の画策などが「不信」へ導いてしまう。
 そんな頼朝を八重は諫める。
「相手を信じる心が勝ることが大切です」
 でも人を信じ過ぎるとしてやられるんですね。
 頼朝のような権力者だと、それが命取りになる。
 人が生きるとは厄介だ。

 板東武者たちは義経討伐について「いくさはなりませぬ!」
 源氏同士が戦うことに反対しているのかと思いきや、
 いくさを止めたのは、義経が強すぎるから。笑
 後白河法皇が鞠を脇に挟んで脈を停めたことに対して、
 ナレーションの長澤まさみさんは「真似をしてはいけない」笑

 父上・時政(坂東彌十郎)はいぶし銀の魅力。
 尋ねて来た義経を「偽物の義経」と言ってニヤリ。
「本物の義経」なら捕らえなくてはならないが、「偽物」だから捕らえなくていいのだ。
 別れ際には──
「九郎殿の知恵があれば生きていける」
「自信は経験を重ねることで生まれる。まだまだこれからじゃ」
 時政は「ひたすら生きろ」と義経に言っている。
 いくさしか能のない義経がいくさ出来なくなっても、生きていれば別の道を見つけられる、
 それがまったく知らない道であっても経験を重ねれば自信になる、と諭している。
 生きることは厄介だ。
 時にはすべてが失われた気持ちになる時があるだろう。
 そんな時は、この時政の言葉を噛みしめたい。

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「銀河英雄伝説」で政治を学ぶ~独裁者はいかにして誕生するか?

2022年05月13日 | 小説
『銀河英雄伝説 黎明編』の序章・銀河系史概略には、銀河帝国の創始者ルドルフがいかにして「独裁者」になったかが書かれている。

「閉塞した時代の状況に窒息するような思いを味わっていた銀河連邦の市民たちは、この鋭気に富んだ新しい英雄を、歓呼とともに迎えた。
 ルドルフは、いわば濃霧のたちこめる世界に登場した輝ける超新星であったのだ」


「ルドルフの登場は、民衆が根本的に、自主的な思考とそれにともなう責任よりも、命令と従属とそれにともなう責任免除のほうを好むという、歴史上の顕著な例証である。
 民主政治においては失政は不適格な為政者を選んだ民衆自身の失政だが、専制政治においてはそうではない。
 民衆は自己反省より、気楽かる無責任な為政者の悪口を言える境遇を好むものだ」


「強力な政府を。強力な指導者を。社会に秩序と活力を」

・閉塞した時代に強い指導者を求める心
・自分で考えることの放棄。誰かに思考を委ねること

 これが「独裁者」を誕生させる土壌である。
「民衆が根本的に、自主的な思考とそれにともなう責任よりも、命令と従属とそれにともなう責任免除のほうを好む」というのは『奴隷の自由』と言われているエピソードを思い出させる。
 奴隷解放されたアメリカの奴隷は急に自由を与えられて、自分が何をしていいか、わからず、不安になり、結局、奴隷の境遇に戻っていった。
 完全な自由って不安なんですよね。
 だから何かに身を委ねた方が楽。
 身を委ねるものは、会社とか宗教とか、いろいろあるが、一番大きなものは「国家」。
 自分は「御国のために働いているんだ」「御国のために死ぬんだ」と思えれば、惨めな人生も無意味な死も克服できる。

 さあ、これらを踏まえて、僕たちはどう生きていく?

『銀河英雄伝説』田中芳樹・著は、すぐれた政治学・歴史学のテキストでもある。
 これからも折にふれて書いていきます。

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プーチンの戦勝記念日演説を聞いて「憲法9条」の効用をあらためて知った!

2022年05月11日 | 事件・出来事
 ロシアのプーチンの戦勝記念日の演説は次のようなものだった。

「ドンバス、クリミアを含む我々の領土への侵略準備が公然と進められていた。
 危険は日ごとに増していった。
 ロシアは侵略に対して先手を打つことにした。
 それはやむを得ない唯一の正しい判断だった」


 さて、この演説を「ウクライナ」ではなく、「日本」に当てはめてみよう。

「樺太、北方四島を含む我々の領土への侵略準備が公然と進められていた。
 危険は日ごとに増していった。
 ロシアは侵略に対して先手を打つことにした。
 それはやむを得ない唯一の正しい判断だった」


 憲法9条を変えて、戦争できる国にするというのはこういうことである。
 こちらにその気がなくても、敵に攻める口実を与えてしまう。
 ところが憲法9条があれば、相手はこうした難癖をつけられない。
 仮にプーチンが「樺太、北方四島を含む我々の領土への侵略準備が公然と進められていた」と言って来たら、
「いやいや、プーチンさん、わたしたちには憲法9条があって侵略戦争などできないんですよ」と言い返せる。

 プーチンはこんな難癖もつけていた。

「ウクライナは核兵器の取得までほのめかしていた」

 これも「日本」に当てはめてみよう。

「日本は核兵器の取得までほのめかしていた」

 現在、日本のタカ派が主張している「核保有論」「核共有論」はこういう難癖の可能性を高くする。
 ところが現在の「非核三原則」を堅持していれば、「日本は核兵器を持つことなどできません」と言い返せる。

 えっ、こんな理屈、頭のおかしい独裁者の前では無意味?
 そうかもしれない。
 でも、抑止力にはなり得る。
「日本は憲法9条を盾にして国際世論を味方につけて来るだろう」
「憲法9条があるから言いがかりをつけにくい。こちらに攻める正当性はあるのか?」
 侵略者はこんなことを考えるはず。
 こんなにお金のかからない抑止力はないだろう。

 ちなみに日本の軍事費は世界第5位だ。
 安倍晋三を始めとするタカ派は軍備費UPを主張しているが、
 世界第5位の軍事費で足りないとすれば、どこかにムダがあるはず。
 アメリカの言われるままに使えない戦闘機を買わされていないか?
 商社や政治家が中抜きしていないか?
 戦闘機や空母よりもドローン100万機の方が有効じゃないの?

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鎌倉殿の13人 第18回「壇ノ浦で舞った男」~義仲は死に平家は滅んだ……この先、私は誰と戦えばいいのか?

2022年05月09日 | 大河ドラマ・時代劇
「義仲は死に、平家は滅んだ。この先、私は誰と戦えばいいのか?
 私はいくさ場でしか役に立たん」

 いくさの天才・義経(菅田将暉)の言葉である。
 こんな義経を梶原景時(中村獅童)はこう評価。
「勝利のためなら手段を選ばず、人の情けを蔑ろにする」
 だが、義経には「人の情け」はあったようだ。
 処刑直前の平宗盛(小泉孝太郎)親子を会わせて、
「今宵はゆっくり語り合うがよい」
 この情けは義経が生来持っていたものなのか?
 それとも、
 自分がもたらしたいくさの悲惨や頼朝(大泉洋)に拒まれた悲しみに拠って得たものなのか?

 義経はこんなことも言っていた。
 義時(小栗旬)にいくさの悲惨を責められると、
「勝たなければ意味がない。いくさで死んだ者の命が無駄になる」
 これは戦争指導者が陥りがちな言葉ですね。
 これで戦争がズルズルと長期化する。
 義経はたまたま勝ったからいいが、太平洋戦争の戦争指導者たちは、この言葉で戦争を長引かせた。
 現在のプーチンも、おそらくそうだろう。

 いずれにしても義経の鬼神のようないくさをヒロイックに描くのではなく、悲惨と後味の悪さで描いたことには好感を持てる。
 …………………………

 梶原景時のスタンスが面白い。
 屋島攻めで嵐の中を義経が舟で向かった時は、
「命を落とせばそこまでの御人だったってこと」
 頼朝から総大将を命じられた時は小芝居をうって、場を「義経が総大将」という空気にした。
 景時は義経を武人として認めている。
 だが一方、頼朝の前では先程の評価で義経を貶めている。
「勝利のためなら手段を選ばず、人の情けを蔑ろにする」
 本来なら、九郎殿のいくさぶりは素晴らしかった、と褒めるべきだが、それをしなかった。
 実に冷静で客観的な意見。
 これは、いったい何なのだろう?
 誠実に客観的事実を述べただけなのか?
 モーツァルトに対するサリエリのような天才に対する嫉妬なのか?
 武人同士の権力争いで義経を追い落とそうとしたのか?
 義時には「おふたり(頼朝と義経)は神より選ばれた方、そんなふたりが並び立つはずがない」と言っていたが。
 景時は「神の意思」というものを基準にする人ですよね。

 頼朝は義経のことで怒りつつも、政子(小池栄子)の前では「平家が滅んだ……!」と涙を流した。
 一方、宗盛を前にした時は「何の怒りの憎しみも湧いて来なかった」
 目的を達成するとはこういうことなのだろう。
 すべての行ないは虚しさに向かう。
 諸行無常。
 山に登っている時は大変だが、実は楽しい。
 目標を達成した頼朝はどこへ向かうのか?

 義経も景時も頼朝も、豊かな人物描写でしたね。
 さまざまな角度から人物を描いている。

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