小室みえこのブログ

日々のくらしと市政をつなぐ

2m35

2019-08-31 08:12:36 | 日記

小室みえこです。

野田市のタイムラインで、今朝7時~放送のTBSテレビ「東京ビクトリー」に

走り高跳び世界ランク 1位 の戸邊直人選手が出演するというので見てみました。     

        

 

       戸邊選手は野田市出身。現在は、世界ランキング1位 

       2m35 は13年ぶりに更新され記録

       筑波大学博士号を取得

       身長194センチ 体脂肪 4% 

       競技と研究 ・・・・・どうやったら記録を延ばせるのか?その研究にも力を注ぎ

            練習の息抜きが研究

       研究の息抜きが練習

          

       とてもまじめで、真摯な姿勢が印象的な選手。 息抜き、他にも見つけてね。。。。。。母の心境で見ていました!! 

 


こころが重い! 苦しいと思ったら 9/2を前に

2019-08-30 22:22:24 | 日記

小室みえこです。

 

長期休業が終わり、学校が始まる・・・・

月曜日の朝は、なんだか心が重い! 大人も子どもも月曜日の朝は、そんな気持ち。

さて、長期のお休みの後は??でもその日は来るね。おとなの私の声は、届きにくいのでしょう。でもそういう子の気持ちに寄り添って、自分の気持ちを大事にしてほしい・・・・・

 

もしかしたら、知らないおばさんの言葉より、「重苦しいこころ」に届くといいなって思い、中川しょうこさんの不登校新聞の記事を投稿します。


 

9月1日は、1年のなかでもっとも子どもの自殺が多くなる日だ。学校で「夏休み明け」を迎え、学校へ行くのが苦しい子たちによる自殺が増えていると見られている。そこで、学校で苦しんでいる人へのメッセージをもらおうと、不登校経験者10名でタレント・歌手の中川翔子さんにインタビューを行なった。中川さんもまた、いじめを受け、学校へ行くのが苦しかった経験を持っているからだ。

* * *

――今日は「生きる理由」をお聞きしたいと思っています。私は今、中学2年生で不登校をしています。中学に入ってからは、ずっと学校へ通うのがつらかったです。今は、ほとんど家にいます。友だちもいないし、ゲームをしてもアニメを観ても楽しくないし、この先も不安です。私には生きる理由がわからないです。死んじゃったほうが楽になるんじゃないか、とも思います。でも、きっとこの世界は楽しいはずだという思いもあります。だから、中川さんの「生きる理由」をお聞きしてみたいです。(14歳・アオイ)

 今、真夜中のまっただなかにいる感じなんだね。

 私も13歳のころ「思い描いていた自分の未来じゃない」と思っていました。心のなかでの口グセは「どうせ私なんか」でした。

 中学に入ってから、いじめを受けていたからです。靴を隠されたり、キモイって目の前で言われたり、今思い出しても、すごくつらくて、悔しいことがたくさんありました。

 いじめてきた人に「言い返してやればよかった」「仕返しをしてやる」とか、そんなふうに思いながらも、教室に入るのが怖くて学校へ行けなかったことがあります。

 学校へ行けなくなってからも苦しい日は続きました。「学校へ行きなさい」と言う母親とドア越しに怒鳴り合ったこともありました。親と言い合うのって、すごくつらいですよね。

 学校へ行けない日は自分の部屋で朝までネットをして、お風呂にも入らずダラダラして、でもなんだかイライラしてきて、拳で壁に穴をあけて「何やってんだろう」ってうなだれたりしていました。

大人の言葉は届かなかった

 そんなとき、まわりの大人はよかれと思って「卒業しちゃえば楽になるから大丈夫だよ」と言ってくれました。

 そういう大人に当時の私は「無責任なことを言いやがって」と心のなかで悪態をついていました。子どものころは学校と家がすべての世界。

 それ以外の場所や世界なんて想像ができないです。大人はすぐに「それ以外がある」「その先がある」って言うけど、そんな言葉、届かなかったです。

 「私には将来なんてないんだ」「この先の夢なんてないけど、どうしても学校には行かなきゃいけない」、そういうことばっかり考えていました。

 だから「もうムリ!」「死にたい!」っていう衝動には何度も何度も襲われました。

 それが私の10代だったので、あなたが「生きる理由」を聞きたい気持ちもわかる気もします。きっと同じようなことがあったかもしれないし、私よりひどいことがあったのかもしれません。

 私は、たまたまオタク気質で、当時から戦隊モノやアニメやカンフー映画が大好きでした。

 いじめてきた人たちも見返してやりたいって気持ちもあり、オーディションを受けたこともありましたが落ちまくりました(笑)。

 

ジャッキーとの運命の出会い

 見かねた母が貯金をはたいて、私の誕生日に香港へ連れて行ってくれたことがあります。

 そしたらね、たまたま入った香港のレストランにカンフー映画の超大物俳優ジャッキー・チェンがいたんです。

 しかも座っていたのが私の斜め前。憧れのジャッキーが目の前にいて……、もう号泣です。騒いじゃいけないと思ったから、声を殺しながらの号泣でした。

 そしたら、ジャッキーが「どうしたの?」って声をかけてくれました。

 その声にまた感激して、ふり絞るように「私はあなたのことが大好きです。今日は私の誕生日で、あなたに会えてうれしいです」と伝えました。

 そしたらジャッキーは、撮影で骨折した足を引きずりながら、店の奥へ消えてハッピーバースデーと書かれた花束を持ってきてくれました。

 そのとき心の底から思いました。「生きててよかった」って。昨日まで、「死んでやる」と思っていた私が、です。人生は何があるかわからないです。

 その後数年たって、ジャッキーとCMで共演できることになりました。そのときに、あらためて「あのとき香港で優しくしてもらったから、私は死ななかったんです。ありがとうございました」と伝えることができました。

 そしたらジャッキーは「そうか。よかったね」と頭をポンポンとしてくれて。

 そのとき、私は自分の人生を「壮大なオールOK」にすることができたと思ったんです。ツラいことも苦しいこともあったけど、今ジャッキーに感謝を伝えられて、頭を撫でてもらえた。それでもうOKだろう、と。

 アオイちゃんにもいつかそんな「OK」が訪れると思います。そしてそのためにはひとつだけ条件があります。「死なないこと」です。

 今、しんどかったり、私の言葉が伝わらないかもしれない。でも、いつか、心が震えるほど「死なないでよかった」と思える日が必ず来ます。それだけは言えます。だから、頼むから死なないでください。

――はい……(泣)。

 あー、なんていい子なんだ(泣)。

 今、楽しいことが見つからないかもしれないけど、ほんの少しでもいいから、「好き」を寄せ集めてみてほしいんです。

 「このチョコ、おいしい」とか、「このゲームは前作よりおもしろい」とか、そんな程度でいいんです。

 それを積み重ねていって、いちばんひどい日を乗り越えると「そうでもない日」が来ます。

 死にたいって気持ちばかりじゃなくて、夕暮れがきれいだなとか、本を読んで夢中になっちゃったなとか、気持ちが少しやわらぐ「そうでもない日」がやってきます。

 「そうでもない日」が続いた先に、思いがけない「死ななくてよかった」と思える日が来るはずです。

 私はそうやって死にたい日を一日ずつ先延ばしにしてきました。死にたい夜をたまたま乗り切って、無理やり生き延びてきた気がします。だから、どうかあなたも生き延びてね。

私のブログは“明るい遺書”

――私は今、作業療法士をしています。私も不登校をして、その後、高校、大学へと進みましたが、今でも「明日」がつらい日があります。中川さんは苦しかったときに、どういうふうにして前を向くことができたんですか。(24歳・ヒナ)

 中学校に行けなくなった15歳のころ、所属事務所をクビになってしまった18歳のころ、それから仕事でつらいことが重なった29歳のころが私の「三大どん底」でした。

 とくに18歳のころのどん底は私の人生の転機になりました。

 というのも、このまま死んでしまうのではなく「私という人間がいたんだよ」「私はこういう人だったんだよ」という証を残したくて、遺書のつもりでブログを始めたんです。

 最初はグチや呪いを書こうとしたんですが、万が一誰かが読んでくれた場合、「暗い人だな」と思われたらイヤだから、「好きなことだけ書く」というマイルールを決めました。

 遺書は遺書でも「明るい遺書」にしよう、と。猫がかわいいから載せよう、好きなメイクして写真とって載せよう、これがおいしかった、コスプレしちゃおう。

 そんな感じで一日に何度もブログを更新していました。それは若さゆえの衝動だったと思うんですけれど、やっているうちに、好きなことばかり書いているからか、だんだん楽しくてハイになってきちゃったんです。ヒャッハーって。

 ブログはたくさんの方に読んでいただき、評判もよかったんです。おかげで「死のう」は一回横に置いておこうと思えました。それ以来、前を向けるようになった気がします。

今苦しい人に届いてくれたら

――最後の質問ですが、新著『死ぬんじゃねーぞ!!』に込めた思いを聞かせてください。(25歳・ゆりな)

 この本が誰かの「隣る人になれば」と思っています。「隣る人」というのは、児童養護施設の職員が使われていた言葉で、文字どおりに隣にいて支える人です。

 私がいじめで靴を隠されたり、しんどいときに、されげなく隣にいて、いっしょに絵を描いたり、話してくれたりした子がいました。

 その子の存在が本当にありがたかった。そういうことって大人になっても、なかなかできないことだと思うんです。私にとってはその子が「隣る人」だったんですね。

 私も誰かにとって、そんな人になれたら素敵だなという思いで書きました。今、苦しくて学校へ行きたくない夜を迎えている人に届けばうれしいです。


虐待対応マニュアル作り

2019-08-29 07:37:41 | 日記

小室みえこです。

対応マニュアル作り

8/27の朝刊にあった記事です。

  

    

野田市の虐待死を受け野田市が専門家による検証チームを発足させ、ヒアリングを始めたという発表です。「あれっ?まだだったの?」と思いましたが、、、、8月13日、15日と9月上旬に、市の職員や小学校の校長、教頭、担任への聞き取りを実施し、再発防止策をまとめるといいます。

柏児童相談所との検証についても行い、児童虐待対応マニュアルを作っていくとしています。

実際に起こってしまった事件を検証することは大事です。しっかり事実を検証し、そこで何があり、どんな対応をし、どのタイミングで何ができていればよかったのか?縦割りといわれる担当部署との連携は、何を行えば情報の共有と子どもの様子を把握できるのでしょうか。

児童虐待防止法が出来たのが2000年です。虐待や暴力の歴史はずっと続いてきました。家庭という見えにくい空間で虐待やDVが繰り返され、続いている社会をなんとか変えていきたい。誰もがそう思っているのに・・・・。減りませんね。

当事者や民間団体、行政、国、そして社会・・・・・それぞれに必要なことを考えていきたいですね。


噂の東京マガジン  舞台は新松戸 2

2019-08-28 00:26:20 | 日記

小室みえこです。

日曜日に放映した、新松戸駅東口の区画整理事業の件。

松戸市議の増田薫さんがFBにこの件の投稿をしていました。今年3月の議会で賛成多数で議会を通り、、、、しかし、松戸市議会の会議録の審議の結果を見ました。松戸市は、議員の賛否については松戸市議会としてHPで公表していないので、どの議員が反対したのか?わかりませんが・・・・・。(昨年の11月に増田さんの選挙応援に伺ったとき、この議員の賛否の公表がされていないという事を仰っていたことを思い出しました)⇒野田市議会は、賛否が分かれた議案については、個々の議員情報が見られます。是非参考にして下さい。

さて、新松戸の区画整理事業について

・総工費181億円の市の施工による大事業

・松戸市が投入する金額は 65億円

・建設予定の14階建て 200世帯 のマンションは建設費 105億円・・・ですが、マンション業者に92億円で売る予定だそう。

・200戸の販売になるのですが、そこから徴収が想定される固定資産税は30年で38億円

全く採算があいません・・・・・とおっしゃっています。

でも、この区画整理事業は・・・・・   

       

これをみる限り・・・・西口とは?つながらないの?そう見えますよね。

区画整理は必要だと思うけれど、、、、この事業は、駅前にマンションを建てること?

 ん~ん。部外者ながら、言いたくなりますよね この図面通りに進んでしまうの?


落石事故

2019-08-26 19:10:52 | 日記

小室みえこです。

 今日は議会運営委員会が午前中にありました。いよいよ、9月議会が始まります。議運が終わってから、所属している総務委員会に付託される議案の聞き取りを行いました。議運において、担当部長が議案の説明をするのですが、その説明だけでは、なかなかわかりません。賛否を決めるまでに、しっかりと詳細を聞き、調査しての判断となります。

そして、今日のニュース、、といっても、移動中にラジオから聞いたニュースで、、詳細はネットで確認しましたが、富士山で、落石によって女性がなくなったと言うのです。

       

   ご来光を目標に登っていたようで、登山者が多かったと言うことです。

実は、私もいつかは富士山には登ってみたいと思っていたのです。が、ある時、そんな話が話題になった時、登山の経験のある方がこういったのです。「富士山なんで、とても怖くて登れない。あんな行列で登って行くなんて。落石が怖い。」と。わたしは、「えーーー💦そうなの⁉️」と驚きました。その方は、以前、落石にあった経験があるそうし、その時の経験から落石の怖さを知っているのです。確かに、行列をなして登山しているあの光景は、きっと落石のアクシデントに対応は出来そうもありません。

 私は、ズブの素人。ハイキングの気分で、大平山に登ったことが2回。筑波山は、3回。そのうち、2回は帰りはケーブルカーを使っての下山でした。この程度の経験しかないわたしは、落石の怖さを彼女の言葉から知ったのです。

今回の事故は、、、とても、お気の毒なことです。