元・還暦社労士の「ぼちぼち日記」

還暦をずっと前に迎えた(元)社労士の新たな挑戦!ボチボチとせこせこせず確実に、人生の価値を見出そうとするものです。

朝ドラ「舞いあがれ」第118/121話.未来を信じて=<この世に生きる意味>思いどおりにならない中で時折夢が叶い喜び・感謝するを学ぶ !!

2023-03-25 10:22:25 | 第2の人生・老後・趣味と勉強

 「赤い糸」には会えるが結婚とは”人と自分は違うんだ”ということを知るための修行である!! 

 貴司が「歩み」を寝かしつけ、また寝たのを確認する舞であるが、貴司は短歌の書付のノートを開く。舞が貴司に「話があるねんけど・・・」 

貴司;協力するって、舞ちゃんの会社が。                                     舞;けど今より、もっと忙しくなるかもて。こんねくとの事もあるし、歩みの事もあるから、悩んでいて。         

貴司;やった方がいいと思うよ。舞ちゃんは大学の頃から空を飛びたいという夢を思い描いていた。それが巡りめぐって、またその夢に会えた。そんな奇跡みたいな巡り合わせ、逃したら後悔する。忙しかったら、また二人で相談して、何とかする方法を見つけよう。     

 舞の会社が空飛ぶ車の開発にかかわることになり、舞の気分も上々の時、貴司が居間にいるばんばと舞の所に来て、悩んでいる様子で舞に「話があるねん」という。

;どないしたん。 貴司;あのな、舞ちゃん・・・短歌、辞めようと思う。 舞;なんで。               貴司;書かれへんねん。どうしても。もうしんどい。離れたい。今は舞ちゃん、歩みがおって幸せ。それで十分や思う。  舞;少し、時間をおいて見たら。  貴司;もう十分考えてん。  ;ごめん、私・・・。

貴司;舞ちゃんは、悪くないよ。僕、一人の問題やから。・・・・ごめん、最低やな。

 貴司は高校卒業後、エンジニア専門ということで就職したが営業をもやらざるを得ないことになり悩んだ末に、遂にドロップアウトするこになった。しかし(元)デラシネの店主八木の影響もあり、放浪の旅の間に短歌をしたため、それが有名な短歌大賞に選ばれ、出版した短歌集も第2集までは順調に進んでいた。貴司の人生は、いったん底辺に沈み、また順調に進むかに思えた人生も、また今度は「短歌をやめる」という言葉を発するまでになったのである。編集者リュ―北條に言わせれば、貴司の短歌は、悩んで悩んだところから生まれるというが・・・本人にとっては、そうもいってはいられない。舞の人生も、空にあこがれパイロットになる夢を描いて順調に航空学校を育ったが、会社が不況のあおりを受ける中で、社長の父・浩太も急死することになり、母親と共に会社の経営に携わざるを得なかった。舞も貴司の人生もいい時もあれば悪い時もある。時には、夢を捨てなければならない時もある。それが、舞の前に、また空を飛ぶ夢がめぐってきたのである。

 生まれる前の世界においては、思ったことはすぐに実現できるといいます。しかし、この世界に起きては、「思いどおりにならない」という現実。では、わざわざ、この世界に生まれる必要があったのでしょうか。この世界で、正しく苦悩しながらも、普段は思いどおりにならない現実の中で、時折「願いが叶う」という大きな喜びを味い、そして感謝するということを、この実生活の中で学んでいるのではないかということです。わざわざ「思いどおりにならない」という状況を体験して、この世界で人間としていきる人生を妙味を味わうために、自分の意思で、生まれることを選んだのです。(完全版・生きがいの創造・飯田史彦著P790・791、PHP出版 ⇒「私なりの要約」ですので足からず。)

 舞と貴司の夫婦を見ていると、現代の若者だと感心するのは、常に相談しながら事を進めていく姿勢です。それぞれに違った道を進んでいる二人である以上、特にこういった姿勢は欠かせないといえば、そういえるかもしれません。それにも関わらず、舞は自分の仕事の「空飛ぶ車」で舞い上がっていたのか、貴司が悩んでいることには本人から言われるまで気が付かず、「ごめん、私」の言葉になったのだと思われます。舞と貴司の理想の夫婦のように見える夫婦にあっても、相手のことを必ずしも分かっているとはいえないのです。(さすが「ばんば」は前から気が付いていたようです。)

 飯田史彦氏が言うには、いくつかの失恋を経験しながら、「赤い糸に結ばれた相手」に出会えるようにはなっているとのこと。それはツインソウル(双子)のような、理想の相手だけとは限りません。確かにそういう人たちもおり、「また生まれるときはあなたと」と誓う合うような夫婦もいるようです。しかし、斎藤氏は次のように言います。         

 結婚するのは相性なんです。ただ、相性がいいから結婚するとは限りません。人生は修業です。そう考えると、結婚も修業なんです。だから、相性の悪い人を選んで結婚する人が多いんです。「どうせ誰かと修行するなら、あなたとしたい」というのが結婚。結婚とはね、”人と自分は違うんだ”ということを知るための修行なんです。それで、どちらかが自分の意見に従わせようとすると、その人が苦労するんです。人は自分と違うということが分からないとダメなんです。 (変な人の書いた世の中の仕組みP95・96 斎藤一人著 サンマーク出版)

 結婚に夢を持っている人たちには申し訳ないが、相性がいいから結婚するとは限らず、結局、他人とは違う自分を認識するために結婚するのであるというのだ。確かに、筆者の夫婦はもう何十年も寄り添って(?)過ごしてきたが、お互い分かったのは、ずいぶん性格・考え方の違う二人であるということ。それもあなたならこう考えるだろうというのが手に取るように分かってきた。それを十分承知の上で半ば諦めの気持ちで、最近では、じゃあ私はこうしようということにしている。

 

 

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朝ドラ「舞いあがれ」第114~6話.ばんばの歩み=<親の介護⇒介護保険・見守りサービス>覚悟・納得が双方必要・介護される側の居場所を探す!!

2023-03-18 10:07:25 | 社会保険労務士

お好み焼き「うめづ」の来客のことば:「親の介護しんどいという人がいるねん。子育てはだんだん楽になっていくけど、その逆やねんて。」(胸にグサッとくる・しんどいけど言い得ている言葉)

<このドラマ場面は介護の問題を実に的確に表している!!>

 めぐみの母が脳梗塞で倒れたが、医者のことばでは、もう船を扱うのも一人暮らしは無理と伝えられためぐみは、舞・貴司・梅津雪乃・梅津勝のみんなに相談する。

めぐみ;母のことやけんど、お医者さんに言われた「独り暮らしは避けた方がええて」。退院したら、ここで一緒に暮らしたいと思うてんやけど。                                           梅津雪乃;そやな、島に一人でいてはるの、心配やもんな。(貴司、舞も賛同するが・・・・)                   梅津雪乃;お母さん、どない思うてはるの。                                    めぐみ;絶対、島離れたないって。                                      雪乃;けど、しゃあないやんか。説得して、ここに来てもらうしかないんと違うんか。・・・・・             (夫・勝に)どないしたん。 

梅津勝;そな、簡単に背中推されへん。これ、迎える側に相当な覚悟がいると思うねんな。めぐみさん・社長で忙しいやろ。舞ちゃん、貴司も仕事があるし、歩みもおるやん、手一杯や。もちろん、俺らも手伝うよ。でも、店あるしな、今お母さんにきてもらっても、ちゃんと面倒みられへん。                               

 <これに対し「貴司が子供ではないんやから」というが、勝は「子供じゃないからやて」といい、ことばを続けた。>     

梅津勝うちにくるおお客さんなあ。親の介護しんどいという人がいるねん。子育てはだんだん楽になっていくけど、その逆やねんて。別にお母さん、迎い入れること、反対しているのとちゃうで。なにか、きつい言い方になってしもうて、ごめん。                                                      めぐみ;ホンマ、もっと、よう考えてみます。                                     

そして後日<先代の社長から仕えている「章」(あきら・従業員)に、めぐみは社長を引き継ぐよう章に促す。於:飲み屋の座敷の場面>   

舞と(祥子)ばんばが食卓の椅子に2人ですわっている。於;五島>                               ばんば;なさけなきゃねえ。こんなに世話になっちょ。自分のことば自分でできんことば、こんなに苦しかったいね。こん先はできんことばっかり増えていくとさ。                                  ;私に教えてくれたやんか。「できんことがそがん嫌とか。できんならできることば探せばよかとよ。」(と、昔ばんばは、幼い舞に言ったのだ。) ばんばにできること一杯ある。ばんばにしかできん事、いっぱいあるねん。ジャム作り、一緒にやろ。                

めぐみが、再度大阪に来ることを母・祥子(ばんば)に促す。社長をやめて母の支援をするというが、母はそげんことで社長をやめるとかと反対するが、めぐみは「私にとって大きな理由」であると告げる。社長の引継ぎが終わったら、五島に戻っても母のそばにいることを言うと、やっと、ばんばは「大阪に行くけん」と言う。>                      

デラシネで「おもしろかところね」と言うばんばに「いくらか本を持っていきましょうか」と貴司が届けたところ、ばんばは家でよく本を開いてみている。また笠巻さんが妻がぎょうさんもろうて来たと言ってリンゴを届けるので、舞・めぐみはばんばに教わりながら、これでジャムつくりをする。>

 昔は大家族の中で介護をうまく運用してきたが、今は核家族化が進みそれも出来なくなり、2000年から政府は介護保険法により介護保険を制度として作りあげてきた。予算の制約のある中で、十分とはいえないまでも、必要な介護を届けられようになった。介護の必要な程度さらには 日常生活がどの程度できるかどうかの基準で要介護1から5まで、さらに本格的な介護が必要にならないように要支援1・2と、段階的に、必要な介護サービスをするようにしたのである。<※注※> これら制度としては一応整ったのであるが、出来る限り、家族がいた上で「訪問介護」を主として、それができない場合に「施設介護」というのを介護保険の制度としては、理想としており、これと現実とのギャップがあるのも事実である。さらに、介護という制度を整えるだけでなく、この制度に今は乗っかってないところであるが、「舞い上がれ」で必要となった「見守り(サービス)」というか、「独り暮らしを避ける」というようなソフト的な、今まで、地域で支える、家族で支えてきたような、手の届く<見回りサービス>は、だんだん難しくなっててきている。

 見守りは介護の一環とはいわれているが、現在それができているかというと介護保険では手が回らないので、民間やNPO法人にお願いしているのが現状であろうが、ICTを活用すれば24時間見ることは可能(ドラマの脳梗塞などはいつ起こるか分からないので、1日数回程度の見守りでは対応が困難)であるだろうし、何かあった場合に救急との連絡対応は体制としてできないことはない。ただ、これが普及しない原因の一つとして、見守るのは監視につながりというのもあるので、そこを制度として、このプライバシーの問題を解決するしかないように思う。ここは国の出番であろう。 

 現実には、「見守り」を解決する良い方法は、舞い上がれのような解決=五島から大阪へばんばが移動に尽きる。だが、これには、梅津勝のいうような受け入れる側に相当の「覚悟」が必要だし、受け入れられる側の「納得」も必要だ。祥子ばんばのような今まで生活のすべてを、船の操縦から畑仕事、市場に出すジャムづくりをこなしてきた「スーパーばんば」にとっては、まだまだ出来るという気持ちがあろう。しかし、それが出来ないことが徐々に分かり、歯がゆい思いがつのっていく。だからこそ、舞に「自分でできんこつば、こんなに苦しか」といったばんばの気持ちは、分かりすぎるぐらい分かるのだ。それが自分一人では、できないことが遂に分かったのが、舞に投げかけた、この言葉であり、五島を離れる決心をさせたのだ。ここで初めて自分の状況を受け入れることができた、納得することができたのであろう。しかし、五島を離れたばんばにとって、またまた生活は一変するのだ。今度は、自分のできることを探さねばならない。まずは、読書から、そして、ジャムづくりの教示からできることを始めたようだ。居場所を見つけられそうだ。まずは一安心。

 受け入れる側の覚悟とは、ドラマでは、身内ではない「章」(あきら社員)に工場を任せる決心と、そして社長職を離れるめぐみの決心である。またそこまで考えているめぐみを見て、大阪行きを祥子ばんばは決心したのである。梅津勝の言った「覚悟が必要」との言葉を受けて、めぐみが「覚悟」を決めたのである。

 現実の「見守り」は、この朝ドラのように「さわやかに」はいかないだろう。めぐみの社長職の交代だって、会社の安定期にあるからこそのものであり、難しい局面ではそうもいかない。親の倒れるのは時期を選ぶということはできないのだ。親の介護が急に必要になり、受け入れられる側、受け入れる側の「双方の覚悟・納得」が決まらないままに、情に任せた、あるいは成り行きに任せた介護状態となり、こんなこととは思わなかったというようなことが起こり得るのだ。自分の場合も、過去、親の介護にあって「覚悟」をもって行ってきたかというと、そうでもない自分がいて、もっと強い覚悟をもっていたらと思う。後悔の念。

(今回の私の記述は、すでに親の13回忌はすでに遠く過ぎたというに、自分で書いていて後悔、後悔。まだ整理できていないところもあるのです。そして、今度は自分が介護される側になるのだ!!)

<※注※>「祥子ばんば」が公的介護サービスを受けるためには、どの区分に該当するかの市町村の認定を受けなければならないが、現実には、ドラマの中で見る限り、要介護認定は困難で、要支援にあたるかどうかだろう。

 

 

 

 

 

 

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朝ドラ「舞いあがれ」第106話・冒険のはじまり=<会社名は大事>「こんね」は宮崎弁でも!!

2023-03-11 06:57:24 | 社会保険労務士

 宮崎県のアンテナショップの名前は「KONNE」(こんね)

 舞の起業祝いに五島のばんばからメジナ(魚)がぎょうさん送られてきたので、御園・久留美を交えてお祝いすることになった。舞はまだ、設立するいい新しい会社(町工場と町工場を繋げて新しい製品を消費者に伝える)の名前が思い浮かばない。ただ、デラシネに通う大樹からは、英語にしたらカッコいいのではと言われている。                                                     ○<御園>  あ.これ、メジナですか。                                       ○<めぐみ> 五島ではクロっていうねん。よう、メジナってわかったな。                         ○<御園>  この間、五島の取材で見たばかりなんです。                                 ◆それを聞いていた舞が「あっ」と声をあげるが、すかさず貴司が「何」と問いかける。                        ○<舞>   会社の名前「こんねくと」はどうですか。「こんね」は五島弁で「おいで」という意味なんです。

○<舞>   そやから、おいで(こんね)→つなげる(英語のコネクト)で「こんねくと」                       ○<御園>  変わっていていいと思う。                                     ○<舞>   ホンマですか。                                           ○<御園>  うん。

 これで会社の名前は決まったが、会社名は、起業する際においても「すべてが、その名前に凝縮」されたものであり、社員が日常口にするものであり、これによって相手の受ける印象も違って来るし、ことの他、大事にしたいものである。看板や名刺に記載するものであるし、「名は体を表す」という。

 しかし、「こんね」の方言元である五島は、東大阪市に住む人とは、関係ない「ことば」になるのだろう。五島は、舞のおばあちゃんの住む場所 めぐみのお母さんの故郷である。舞にとっては彼女の今の精神的な支柱が形成されたところといえる。舞は小さいころ、すぐに熱を出すような弱い子であったが、ばんばの養育のおかげで、最後はバラモン凧のような風に向かって耐える精神が育ったのだ。ゆえに、相手に、なんで「こんねくと」と聞かれたら、舞社長自身にとっては、そのバラモン凧の精神を聞かれることになるのだろう。

 一般には、おいで(五島弁)+コネクトの合成語ということで、理解してもらえるし、「こんねくと」の言葉のひびきがいいので、覚えやすいとおもわれる。御園の「変わっていい」というのは、東京から来た一般的な人である者から出た感想であり、「社名、変わってますね」から話が発展する可能性もある。

 さて、この五島弁の「こんね」ということであったが、ここ宮崎県でも使う。私の知っている限りであるが、宮崎だけでなく福岡でも使うとのことなので、すくなくとも、長崎・福岡・宮崎・・・九州内では、使っているところはあるようだ。宮崎県では、県産品を売り出す「アンテナショップ」<※※※>の名前として、<こんね>をローマ字にした「KONNE」(宮崎市、新宿、堺市、博多市、香港に開設)を使用しているのを紹介しておきたい。私としては、この方言ともいうべき「こんね」は、「来(こ)んね」から来たものと思っていたがどうだろう。その意味では、地方に育った私としては、全国に通用することばだぞと言いたい。

 会社名が五島弁の語源から来ているころから、作者としては、話がもう一度五島に帰り、会社が五島をつなぐ架け橋になるようなことを考えているのかもしれないが、どうなるのだろう。この意味での伏線回収となるのか?

 

 <※※※> このアンテナショップは、宮崎市の「宮崎物産館KONNE」の他「新宿みやざき館KONNE」、「堺みやざき館KONNE」*、「博多みやざき館KONNE」*、さらには海外店舗として香港に「香港みやざき館KONNE」*がオープン。(宮崎の県産品・食材をご覧出来るので、一度足をお運びください。)                        *民間の店舗について宮崎県がこれを認定する「特約店方式」という運営形態

 

 

                                 

 

 

 

                                                    

 

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町職員の賞与の過大・過少支給=請求権の時効<自治法236条と労働基準法の「賃金」>

2023-03-06 06:49:17 | 社会保険労務士

 態勢の問題だけではなく町の重大問題の認識があれば対応は早く可能に!!

 南伊勢町で3年前までの7年間に亘って給与の計算ミスがあって、職員約40人の「賞与」が誤って支給。過大に支給し時効が成立していない約400万円につき職員に返還を求めているとのこと。(2023年3月1日付発表・報道まとめ)

◎ 町によると、2013年6月から2020年6月までの7年間に、育児休業や病気で休んだ職員、約40人に賞与の計算ミスがあり、多く、あるいは少なく支給されていたとのこと。                                ◎ 過大支給は合計約600万円、このうち約400万円(約25人)については、まだ時効が成立していないので、対象職員に返還を求めたところ、返還に応じる意向とのこと。                                          ◎ 過少の支払いは合わせて約220万円(約10人分)。過少に支払った分については時効が成立しているため、追加支給はしないとのこと。                                                ◎ 町は2020年 12月、この計算を誤った担当職員を懲戒処分した。                                  ◎ 2020年12月に賞与を支給する際に、後任の担当職員が誤りに気付く。計算を誤った担当職員が点検・再計算をすることになったが終わらず、部署異動後も続けていて公表が今になったということらしい。

 担当職員の懲戒処分は当然としても、2020年12月に間違いに気づいたのに、町の公表が今に(2023年3月1日公表)なったのは、なぜだろう。前担当職員が異動後も再チェックしていたというのであるから、そうなったのであろうが、この問題(働く職員の給与支給であること、時効が現在も進んでいるという点など)が重大という認識はなかったのか。例えば、給与計算をしていた経験者はさかのぼれば多くいたはずであり、町全体で事に当たれば、もっと早く処理ができたはずである。また、こういったことが発生しないような町の態勢の問題があるように思う。複数のチェック体制や異動期間(長期間同じ部署にいること)の問題も指摘せざるを得ないのだ。

 ところで、この事案は時効が絡んでいるのだが、過少支払いの方は、すでに時効が成立したといっているにもかかわらず、過大支給はまだ時効が成立していないものもあるとしているが、この違いは何だろうという気がしませんか。また、時効期間が経過しても、過少の支払いを受けた職員としてはもらっていないものであれば、町が「時効」だと言わない限り(時効の援用)、もらえるのではという気になりませんか。

 これは、過大支給と過少申告に分けて考える必要がありそうです。まず過大支払いの場合です。地方自治法236条によれば、地方公共団体の金銭債権又は金銭債務については、他の法律の定めがないものは、5年間これを行使しなければ時効により消滅すると定められています。(※注1※) 自治体の公的な債権ですから、この規定に基づいて5年間は時効にかからず請求できるわけです。記事によれば、600万円のうち400万円が時効にかかっていなかったことになります。

 次に過少支払いの場合です。これは、労働者への支払い=「賃金」の問題として、労働基準法が適用になります。先ほどあげた地方自治法236条には、他の法律の定めがある場合には、こちらの法律が優先的に適用になるとしておりますので、労働基準法の定める賃金の時効が適用となるわけです。また、地方公務員法においては、地方公務員であっても労働者の勤務条件については、労働基準法が適用することになっていますので、これから言っても、労働基準法の賃金の時効が適用になるわけです。この未払い賃金の時効ですが、従来はずっと2年でしたが、2020年4月1日以降に支払われる賃金については、3年となっています。(ただし、法律の本文では5年ですが、経過措置として「当分の間」は3年ということになっていますので、まだしばらくは3年となりそうです。) ゆえに、労働者からの賃金の請求権は、労基法により2年又は3年となるわけです。これにより町発表によれば、時効により職員への追加支給はしないとなったものと思われます。

 ところで、地方自治法236条2項によれば、この時効については、「時効の援用を要しない」となっております。時効の援用とは、時効の完成によって利益を受ける者が時効の完成を主張することである。民法によれば、過少支払いの場合には、利益を受ける町の方が「時効によって、未払い賃金分は支払わないよ」といわなければなりませんが、その時効の援用を要せず、絶対的に時効期限が来れば、そのまま時効になるといっています。賃金支払いにあっては、労働者から見れば労基法上の時効「賃金の支払い」ですが、町からみれば「地方公共団体に対する金銭債務」であり「公債権」の問題であり、地方自治法236条2項が適用になりますので、これに基づき、時効の援用は要せずに、時効が成立(※注2※)するのです。

 私的な債権の場合は、例えば金の貸し借りにおいて、時効期間が過ぎても、相手が返したならそのまま受け取ることができ、「いやあれは時効だよ」と相手に言われれば、その時点から時効は成立することになります。しかし、公債権の地方自治法236条2項によれば、時効期間が過ぎれば、時効の援用を要せず、そのまま時効が成立することになるのです。

 地方自治法(公債権)と賃金の時効の適用の違い(公債権5年・賃金2・3年の時効)によって、時効が来ているのとまだ来ていないところですが、これが、どうもしっくりこない原因のようです。実は、賃金の時効については、前述のとおり、労働基準法の改正は、本来は従来2年から5年になったところですが、経過措置として「当分の間」は3年となっています。考えるに、従来は2年の時効だったのが、特に時間外の未払い賃金の問題があって、これを5年にすることには、困難を伴うことがあって、経営者と労働者の綱引きにより調整されたのが、このようになったものであると思われます。

 (※注1※) ただし、公法ではなく「民法上の不当利得返還請求」(名古屋地裁平成23年11月20日判決、平成22年(ワ)第2973号、裁判所webサイト)であるとされたものがあります。本文では、旧自治省時代から「公法の自治法による」との考え方はあるので、これによった。   

 (※注2※) ただし、もちろん時効の中断・停止がなければの話である。

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