
昭和45(1970)年9月、北日本製紙株式会社は、王子製紙株式会社と合併し、江別工場も王子製紙株式会社となりました。
北日本製紙株式会社は、もともと王子製紙株式会社の系列会社でしたが、合併の引き金となったのは、同社の経営不振でした。
昭和37年には、50歳以上の100人にのぼる人員整理が断行されました。そして、43年11月に業務提携、45年2月合併覚書調印を経ての合併となたのです。
合併後の江別工場は、昭和49年5月本社(東京)方針で工場設備を増設し、併せて旧式の設備を一新する計画を発表しました。
しかし、同年10月には延期となりました。さらに、50年7月26日から24日間にわたり一斉休業に入りました。これは、48年末から50年にかけての不況の影響でした。この間、鉱工業生産指数は、約20%の減少をみましたが、紙パルプ業界も無縁ではありませんでした。
この延期された生産設備の増設と改良工事は、その後52年4月から総工費約95億円をかけて行われました。
その結果、晒設備には世界で4番目、国内初の多段階式置換漂泊設備が導入されるなど、一躍近代化を遂げました。
その後、56年の業界不況時には、江別工場だけで約460人の一時帰休の措置がとらましたが、それぞれの折目、節目で近代化、合理化の推進が図られ、57年度には、通産大臣表彰、エネルギー管理優良工場を受賞しました。
その他、49年、岩田醸造株式会社工場が千歳に移転しました。同社は、荻ケ丘に本社および工場(味噌・醤油)を置いていましたが、住宅地域のため工場増設ができず、かつ市内に適地がなかったため転出となりました。
明治の創業以来、地元に根ざし親しまれていた同工場の市街移転は、市民に一抹の寂しさを感じさせました。
また、52年10月興和産業株式会社、53年3月丸富建設株式会社と、市内中堅どころの企業の倒産が相次ぎました。それと前後して、49年に市内12の板金業者で発足した日江金属協業組合が、59年、簡易車庫(カスケードガレージ)で通産省のグッドデザイン商品Gマークの選定を受けました。
同商品は、その後ヒット商品となり、広く普及しました。
註:江別市総務部「新江別市史」633-634頁.
写真:石狩川方面から撮影した王子特殊製紙株式会社江別工場
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