江別創造舎

活動コンセプト
「個が生き、個が活かされる地域(マチ)づくり」
「地域が生き、地域が活かされる人(ヒト)づくり」

肉牛生産の振興ーえぞ但馬の誕生

2013年06月01日 | 歴史・文化

 水田利用再編対策がスタートした53年度、市は道の肉牛生産振興地域指定を受け、翌54年度に江別市肉牛生産振興計画を策定しました。
同計画の骨子は、目標年次を60年とし、黒毛和種970頭、乳用雄牛340頭に増殖しようというものでした。

 計画の中核となる肉用牛集約生産基地育成事業では、54年に肉牛農家49戸で結成した江別肉ファームを事業主体とし、江別太・越後村地区に肉用牛肥育センターを建設、地域で一環した肉牛生産体制をとることになりました。

 52年から肉用牛の生産を開始した八幡の泉勝によると、『堤外には市営の牧野もあったから、とりあえず、そこに放牧して、その夏の間に牛舎を建てた。それから八幡で肉牛を飼う農家がワァーと増えた。』と、50年代に入り肉用牛飼養に傾斜していった様を語っていました。

 市内における肉用牛導入の契機は、43年の市営牧野造成事業でした。
44年から飼育試験の結果、最も適しているとされた黒毛和種の導入が軌道に乗ることになりました。
当初は、素牛を購入し肥育するだでけでしたが、46年に肉質の良い兵庫県産黒毛和種の種雄牛が初めて導入され、以降、肥育素牛の生産が行われることになりました。

 その後、減反による補完的収入源としての位置づけもあり、51年からは兵庫県但馬系の繁殖雌牛が導入され、やがて江別における但馬系黒毛和種の改良がなされました。

そして、平成元年には、江別産ブランドえべつ但馬牛を商標登録するにいたりました。
 この間、黒毛和種の飼養頭数は、繁殖牛だけでも46年の80頭から57年には470頭、58年500頭と増大しました。
そのため、57年以降、江別市農協が厚田村に70haの牧野を開設した他、61年には市において深川市に90haの市営牧野を開設しました。

註:江別市総務部「えべつ昭和史」482-483頁.
写真:えぞ但馬牛飼養農家
 同上書482頁掲載写真を複写し、当ブログ掲載いたしております。

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