ヌルボ・イルボ    韓国文化の海へ

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<韓国の小説家の知名度ランキング>を見る ・・・って、1人でも知っていれば「よくご存じ」レベルでは?

2017-04-07 15:27:18 | 韓国の小説・詩・エッセイ
 最近初めてイ・スンウォン(이순원)の小説(小中学生向きの「江陵に行く古い道」)を読み(韓国語)、この作家について名前の漢字表記等々の諸情報をちょっと調べてみました。
 すると、翻訳書は全然出ていないにもかかわらず、ウィキペディア(→コチラ)には李舜源という漢字表記をはじめ、略歴や代表作品等がずいぶん詳しく記されていました。(一体どんな人が書いてるのでしょうね?)

 そして次にこの名前でヒットした意外な記事が<知名度.net>(→コチラ)というサイト中にある「韓国の小説家 のランキング」(→コチラ)。
 これによると、李舜源は32位。ちなみに31位は「長雨」尹興吉(ユン・フンギル)で、33位は「軍艦島」韓水山(ハン・スサン)。こうした顔ぶれがこの順位だとするとトップ10は?と見てみると・・・。



 アララ、1位が林達永(イム・ダリョン)って・・・、一体どういう人?
 私ヌルボとしては、黄皙暎(ファン・ソギョン)孔枝泳(コン・ジヨン)申京淑(シン・ギョンスク)か、それとも李文烈(イ・ムニョル)あたりかと予測していたのが大外れ。それも知らない作家とはねー。
 例によってウィキペディア(→コチラ)を見てみると、林達永は「黒神」等の漫画の原作者なんですと。あーそうですか。で、この「黒神」はTVアニメ化されて2009年「黒神 The Animation」のタイトルでTV朝日等で放映され、初の日米韓同時放送もされたとのことです。(知らんかったなー。ヌルボの数多い盲点の1つ。) この作品の内容等については→コチラの公式サイトにいろいろ。(・・・むむむむむ。)

 ヌルボ思うに、いくら韓国人あるいは韓国通の日本人の間で名の知られた作家でも、ふつうの日本人の間ではほとんど知られていません。関心の(極度に)薄い韓国小説よりも、韓国人の原作によるアニメの方が何十倍(100倍以上?)も接する機会が多いということでしょう。したがって、林達永が1位というのもある意味当然なのかもしれません。彼の知名度は6.13%で、2位申京淑の3,67%を大きく引き離しています。(30人に1人が申京淑を知っているのが事実だとすると、意外なほど高いと思います。)
 ※なお、この<知名度.net>サイトの「日本の小説家のランキング」(→コチラ)を見てみると、①夏目漱石 ②紫式部(!) ③村上春樹 ④司馬遼太郎 ⑤大江健三郎 ⑥太宰治 と(ムチャクチャなりに)ビッグネームが並んでいる次に ⑦西尾維新 という肩透かし的な作家の名前が登場しています。(皆さん、西尾維新を知ってましたか? とくに50歳以上の人。) また漫画の原作者も含めて考えると梶原一騎も入ってるかなと見ると、案の定33位にありました。曽野綾子の1つ上です。
 まあ要するに、「そういう」ランキングということです。

 さて、と気を取り直して「韓国の小説家 のランキング」に目を戻すと、1~10位の中で林達永以外に知らなかったもう1人の名前が卜鉅一(ポク・コイル)「京城・昭和六十二年 碑銘を求めて」(1987)という翻訳書が30年前に出ているのか・・・。(なんでこんな高ランクなんだろ?)
 まあ、他の8人はほぼ妥当、かどうか、鮮于煇(ソヌ・フィ)の5位はちょっと意外かもしれませんが。
 しかし、当然10位内に入ってもよさそうな作家は他にもいるし、李清俊のように故人もOKとなるとあの作家もこの作家も・・・と何人かの名前が思い浮かびます。ということで、11位以下(最後の)139位まで目を通してみました。

 個人的に、やや低いかなというのは16位・李文烈(代表作「われらの歪んだ英雄」)と36位・趙廷来(チョ・チョンネ.「太白山脈」)。明らかに低すぎると思うのが45位・朴景利(パク・キョンニ.「土地」)。98位・崔仁勲(チェ・インフン.「広場」)や超ロングせラー「こびとが打ち上げた小さなボール」の137位・趙世熙(チョ・セヒ)もこんな後の方とは。
 次に、主にクオンから翻訳作品が出ている現在活躍中の作家に注目してみると・・・。
 3位・韓江.(「少年が来る」)は別格というべき高ランクで、29位.朴玟奎(パク・ミンギュ.「カステラ」)と47位・金愛爛(キム・エラン.「どきどき僕の人生」)はこんなとこ、ですか? しかし131位・金衍洙(キム・ヨンス.「世界の果て、彼女」)はなんでこんな低いのかわからず。(しかし、この数字といえども、これだけ何人もの現代の作家が知られるようになったのはクオンの功績です。)
 ※韓江の父親は52位.韓勝源(ハン・スンウォン)

 ところで、この139人中、なんでこの名前がないのだ!と(怒)ほどではないにしても激しく疑問に思ったのが韓国近代小説の草分けともいうべき李光洙(イ・グァンス.「無常」)。波田野節子「李光洙」(中公新書)という良い本も出ているのですけどね。
 そして現在活躍中といえば鄭裕静(チョン・ユジョン)。純文学というよりスリラーというか、エンタメ系ですが、「7年の夜」以来ベストセラーを続けて出している女性作家です。

 おまけ。一番驚いた小説家名は96位・李垠(イ・ウン)でした。大韓帝国最後の皇太子が小説を書いていたのか?と一瞬思ったりして・・・。実は現役の推理作家で、「美術館の鼠」(2009)という翻訳書が<島田荘司選アジア本格リーグ>シリーズ中の1作として刊行されています。しかし、このランキングの写真は明らかに皇太子李垠殿下なんですけどねー。(笑)

 ・・・というわけで、マジメに考えればいろいろ問題の多いランキングですが、単純に楽しめて、またそれなりの知識を得たことは収穫でした。
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最近読んだ韓国本いろいろ ③楽しめた1930年代の探偵小説 金来成「魔人」

2015-12-14 14:50:49 | 韓国の小説・詩・エッセイ
<最近読んだ韓国本いろいろ ①期待外れだった小説3つ>
<最近読んだ韓国本いろいろ ②唯一感動した小説は、18年ぶりに再読した「神の杖」>

 金来成(キム・ネソン)「魔人」(論創社.2014) ★★★★
 金来成(キム・ネソン.1909~57)のことは、1年ほど前だったか、本書の訳者・祖田律男さんの執筆による「韓国のミステリー事情 その2 金来成と金聖鐘」→コチラの記事で知りました。また<アジアミステリリーグ>中の「韓国ミステリ史 特別編 - 金来成」(→【1】、→ 【2】)には彼の生涯や作品等々について詳述されています。

 金来成の最初の作品は、早稲田大の学生だった1935年に探偵小説専門誌に日本語で書いて投稿し入選した短編「楕円形の鏡」で、以後50年代まで作品を出し続け、「韓国推理小説の創始者」とされています。
 さて、この「魔人」ですが、1939年に「朝鮮日報」で連載されて人気を博し、同年に単行本も刊行され版を重ねた探偵小説です。金来成の代表作であるとともに、「韓国推理小説はすべてこの一冊の小説で開始された!」(2009年韓国で刊行された時の出版社のふれこみ)という作品です。
 私ヌルボ、半年ほど前にたまたま横浜市立図書館の韓国小説の棚を眺めていたらこの本が目に入ったので、借りてきてイッキ読みしました。

 読んでみると、なるほど探偵小説です。ずーっと昔読んだ江戸川乱歩を思い起こしました。たとえば冒頭。京城市内明水臺(ミョンスデ)にある世界的な舞姫・<孔雀夫人>こと朱恩夢(チュ・ウンモン)の邸宅での仮装舞踏会の場面で、朱恩夢は道化師姿(!)の怪しい男に襲われます。彼女は軽傷で済みましたが、その後も海月(ヘウォル)と名乗る謎の人物から脅迫めいた手紙が続けて届けられるのです。
 「世界的な舞姫」というと、ピンとくる人もいるのでは? そう、当時人気絶頂だった崔承喜(チェ・スンヒ)がモデルです。祖田さんのあとがきによると、彼女は1937~40年世界各地で公演して賞賛を得ていたとか。37年2月には京都宝塚劇場での公演中ナイフを持った男に襲撃されたりもして(本人は無事)注目度が高かったこともこの小説の人気を高めた一因となったそうです。

 探偵小説であるからには当然探偵が登場します。ただ、探偵らしき人物が3人ばかり(?)登場するのは<ヴァン・ダインの二十則>(→コチラ)中の「探偵役は一人が望ましい」に抵触しそう。しかし本物の探偵は名前からも推察がつく(かな?)劉不亂(ユ・ブラン)。もちろん怪盗ルパンの生みの親モーリス・ルブランのもじり。なお、<二十則>には「不必要なラブロマンスを付け加えて知的な物語の展開を混乱させてはいけない」という項目がありますが、これにも引っかかるかもしれません。
 しかし、ラスト近くなるとアクションシーンもあり、どんでん返しもありでなかなか楽しめました。また、当時の京城の風俗も垣間見られます。

 読み終えて、「これは映画にもなりそうだな」と思ったら、何のことはない、実際映画になっていました。
 12月6日に京橋のフィルムセンターで韓模(ハン・ヒョンモ)監督の「青春双曲線」(1956)を観たのですが、上映後の梁仁實(ヤン・インシル)岩手大准教授のトークによると、韓模監督が撮った新しいスタイルの映画の例としてこの金来成作品を原作とした「魔人」(1957)があげられていました。
 その後<韓国映像資料院>のサイト(→コチラ)を見ると、金来成の「魔人」は韓模監督と林元植(イム・ウォンシク)監督(1969)により2度映画化されたが、現在両作品ともフィルムが失われて観ることができない状況とのことです。ただ前者はスチール写真、後者はシナリオが残っていておよその雰囲気は推察されるそうですが・・・。つまり、韓模監督作品は「自由夫人」のようなモダンな時代感覚を映像化し、林元植監督はアクションに特色があるといったことのようです。

 韓模監督「魔人」のポスターです。(女性探偵は登場しないのですが・・・。)
 下の画像は1957年2月27日付「京郷新聞」掲載の広告。(→コチラの記事より。)

 金来成の小説については、1つ前の記事の最後に書いた、目下読んでいる途中の安素玲「詩人/東柱」にも出てきました。1938年延禧専門学校(現・延世大学校)1年生だった尹東柱が中国・龍井の実家に帰省した時、弟の一柱は、東柱が毎月送っていた雑誌「少年」中の連載小説・金来成の「白仮面」を夢中になって読んでいたというくだりがあるのです。「詩人/東柱」は小説ですが、宋友恵「尹東柱評伝」(藤原書店)等をふまえた史実に則った伝記です。
 「少年」は朝鮮日報社発行で、東柱は翌1939年からその学生欄に散文や詩を投稿し、掲載もされています。

 上の画像は雑誌「少年」掲載の「白仮面」。(→「京郷新聞」の記事。) 「いかにも」という挿絵ですね。
 内容は、初登場の探偵ユ・ブランが盗賊白仮面と対決する物語とのことですが詳細は不明。尹一柱のみならず当時の子どもたちを熱狂させたそうです。

 1937年盧溝橋事件により日中戦争が始まり、38年は国家総動員法制定、39年はヨーロッパで第二次世界大戦が勃発します。こうした時代で、植民地朝鮮でもさまざまな統制が進む中、世相風俗の面ではこうした小説や映画のように<モダン>な要素も存続していたというわけです。

 「魔人」のことから派生していろいろ探っていくと、いろんな人物や作品等が交錯していることがパノラマのように見えてきて、一人感懐に耽ってしまいました。

 次は「あの」韓国版「風と共に去りぬ」とも言われる国民的な大河小説朴景利「土地」を無謀にも(笑)取り上げるつもりですが、どうなることか・・・。
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最近読んだ韓国本いろいろ ②唯一感動した小説は、18年ぶりに再読した「神の杖」

2015-12-13 20:44:03 | 韓国の小説・詩・エッセイ
 <最近読んだ韓国本いろいろ ①>の後、続きは<評価がむずかしい小説3つ>にしようかとか、<感動した小説>にしようかとかいろいろ考えているうちに50日くらいも経ってしまいました。この際、順不同で、テキトーに載せていくことにします。評点は5つが最高です。

 鄭棟柱(チョン・ドンジュ「神の杖」(解放出版社.1997) ★★★★★
 小説部門では今年唯一の感動本でした。翻訳本の刊行直後に1度読んだのですが、最近衡平(ヒョンピョン)運動について調べている時に思い出して再読しました。18年も経っているので、細部だけでなく基本的な構成もあらかた忘れていました。しかしそのおかげで(笑)最初に読んだ時同様作者の熱い情念に心を動かされました。

 衡平運動とは、朝鮮の伝統的被差別民である白丁(ペクチョン)に対する差別撤廃運動です。ウィキペディアの<白丁>の項目(→コチラ)の説明文中に、「屠畜、食肉商、皮革業、骨細工、柳細工(編笠、行李など)以外の職業に就くことの禁止」「常民との通婚の禁止」等々の差別の事例があげられています。高宗時代、甲午改革の後1894年身分制度が廃止されて白丁の身分も消えましたが、その後も長く差別が続いたのは日本の明治維新期の賎民解放令(1871年)と共通しています。職業を見ても、日本の被差別民と重なる部分が多いことがわかります。
 ※本書のタイトル「神の杖」とは、牛をさばく時に用いる牛刀のこと。
 ※「文字を知ること、学校へ行くこと」も禁止されていました。朴景利「土地」には、出身地晋州を離れて釜山の学校に通っていた白丁の子弟が出自を暴かれて退学を余儀なくされた話が書かれています。(←1930年頃のこと。)
 日本では1922年に運動組織として全国水平社が設立されました。そして朝鮮では翌1923年慶尚南道・晋州(チンジュ)衡平社が結成されました。(※両組織間のコミュニケーションはありましたが、「全国水平社の直接の影響(働きかけ)」を裏付けるような資料はないようです。)
 しかし戦後は、日本では結成の部落解放同盟(1955年~)のような水平運動の流れを汲む組織ができましたが、韓国では衡平運動を受け継ぐ組織はありません。
 とくに朝鮮戦争によって多くの人たちが故郷を離れて移住したり、町や集落も大きく変わって<白丁村>もなくなったり、人々の出自もわからなくなったため、今韓国の人たちに現在の白丁差別について質問するとほとんどの人は「差別はありません」と答えるそうです。「日本にはまだ差別があるそうじゃないですか。遅れていますね」と言う人もいるとか。
 ところが、そんな答えを強く否定するのがこの小説の作家鄭棟柱氏です。
 本書巻末に彼自身による調査結果が付されています。それによると、「差別はありません」と明言した人が「もしあなたのフィアンセが白丁の血を引いているとわかったら?」という質問には「結婚しません」と迷うことなく答える事例は決してめずらしいものでもないようです。

 ようやく肝心のこの小説の紹介です。あまりネタバレになってもよくないので(ということを言い訳にして)、公式の(?)宣伝文をほぼそのまま貼っておきます。

 一篇の小説が投げかけた波紋・・・すべては、そこから始まった。現代を生きる白丁の後裔の大学教授、朴異珠(パク・イジュ)。自身が世に問うた小説をめぐる裁判沙汰をきっかけに、彼女は自らの出生の秘密と向き合う。苦渋に満ちた彼女自身の人生の模索を縦糸に、彼女の小説に描かれた人物たちの生を横糸に、形こそ違え抵抗し、闘い、生き抜こうとしてきた白丁たちとその子孫たちの歴史と現在を描く。知られざる朝鮮被差別民の叫び。

 ふつう程度のボリュームの1冊本ですが、主人公朴異珠の4代前から彼女の娘までの6代にわたる白丁の家系に生まれた人たちのさまざまなエピソードが書き込まれています。そして朴異珠自身の幼い頃のエピソードも・・・。まさに「恨(ハン)」の系譜といったところです。

 数ヵ月前、上原善広「韓国の路地を旅する」(ミリオン出版)を読んでいたら、鄭棟柱氏との対談の記録が数ページにわたって書かれていました。
その中に、1949年生まれの彼自身の子ども時代の思い出が紹介されていました。

 《子どもの頃、白丁部落に一人で行って何か物を盗ってくると「一日大将」になれるというので、勇気を出して部落へ行くと一人の白丁の少女に見つかる。少女は一般地区の子どもが何をしに来たかを察し、家にあった何か小さな物をその子に握らせて帰させる。待っている友達の元へ転がるようにして走って帰ったその子が、握った手の中にある少女からもらったものを見てみると、それは小さな肉の塊だった。食糧難の折り、子どもたちはそれを分け合って食べた》

 この部分を読んだ時、私ヌルボが「そうだったのか!」と思い出したのがこの「神の杖」の最初のあたりのエピソードです。ほとんど同じ内容です。小説では「一日」が「一週間」とされ、少女の妹も登場していますが・・・。
 上述のように「あらかた忘れていた」中で、18年間も脳裏に残っていた印象的な場面です。(この女の子はどんな気持ちで「肉の塊」を渡したのだろうか?と考えると「ヌルボの目にも涙」です。)
 小説では、この時の女の子(後の朴異珠!)と少年たちが成長してソウルで学生生活を送っていた頃(1970年頃?)、さらに現在(1990年代?)へと続きます。社会的なテーマについての問いかけと、自身の生き方に対する深い省察をひとつのものとして書き上げている点に共感を覚えました。
 (それにしても、よくこれだけのページ数で収まったものです。)

 近年の韓国の小説は、このような社会的な問題を取り上げた作品は少なくなっているようです。日本の後を追って小説の世界が狭くなり、<昭和の人間>(笑)の私ヌルボとしては手応えが感じられないという思いが募る中、この小説を再読したのは「正解」でした。

 3冊ばかり一挙に紹介するつもりが、これだけで長くなったので、以下は続きで・・・。冒頭で「順不同で・・・」と書きましたが、結局「感動した本」について書いたことになりました。

★実はもう1冊の感動本=5つ候補があります。安素玲「詩人/東柱」です。尹東柱の伝記ですが、韓国語本なのでヌルボの語学力では数日でイッキ読みというわけにはいかず今やっと6割ほど読み進んだところです。今年中にはなんとか読み終えるか?といったところ。
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最近読んだ韓国本いろいろ ①期待外れだった小説3つ

2015-10-19 22:03:22 | 韓国の小説・詩・エッセイ
 この1年、韓国書や韓国について書いた本をいろいろ読んできました。その都度内容・感想等をこまめにブログ記事にすればよかったのに、すべて怠ってきてしまいました。そこで今ヌルボなりにいくつかの項目ごとに整理して紹介します。
 タイトルでは大雑把に<韓国本>としましたが、韓国人が書いたものと日本人が書いたものに大別されます。まずは前者から。
 その中で、最初は<期待外れだった小説>です。一応で評価をつけました(満点は5つ)が、私ヌルボ自身の個人的な<期待>がうらぎられたという意味なので、小説作品としての評価とはズレがあります。

 イ・ウォンホ「黎明」(「新東亜」連載) ★★
 振り返ってみると、この1年で原文で読んだ長編小説はこれだけ。トホホ。本ブログでは、この小説について昨年3月(→コチラ)、9月(→コチラ)、10月(→コチラ)と、3つの記事でふれてきました。月刊誌「新東亜」の2014年3~12月号に連載されていた小説で、公式サイト(→コチラ)で全部読めます。
 主人公ユン・ギチョル(29歳)は衣料品の生産・輸出を行うヨンソンという企業の社員。この企業は2003年の開城工団の生産開始から3年後れで2006年開城に現地法人を設立し操業を開始します。法人長以下韓国人社員は8人、現地(北朝鮮)の労働者は650人です。
 その開城への転勤を命じられたユン・ギチョル。やむなく従いますが、その話を恋人に「1年間で2千万ウォン(←ホントはその半分)貯められる」とか「出世コースだ」とか誇張して話したものの、あっさり「別れましょ」と振られてしまいます。
 で、業務課長として開城に赴任することになった彼、能力を発揮し、北側の上級幹部の信頼も得て会食に招かれたりもしますが・・・。
 私ヌルボとしては、開城工団で韓国の社員が見た「北」の実態やそこの労働者との意思疎通等々、当事者でないとわからないような事実が書かれているかなと思ったのですが、その期待もせいぜいこのへんまで
 この後は本社からの呼び出しで一時的にソウルに戻ると、実は国家情報院も彼の行動等を把握していて、ギチョルの秘書役の北朝鮮美人チョン・スンミは党の指示でアンタに接近してるんだ等々の話があって、そんなこんなで南北間の裏の連絡役に相応の現金をもらってなって等々。
 全10章の物語の半分にもなっていない第4章で、チョン・スンミの伯父である人民軍中将が失脚し逮捕されたため、上流階層だった彼女一家は突然転落。父母は収容所送りでスンミ自身も不安な日々に。そして第5章でスンミはギチョルに中国脱出の意思を打ち明けます。後はラストまでスンミとギチョルの脱出行。北の機関からだけでなく、北との関係悪化を恐れる南からも追われて・・・。ま、結局はハッピーエンドなんですけどね。複雑な心理描写もなくて展開が早く、スイスイ読めたので★2つつけましたが、当初の期待はうらぎられてしまいました。以前開城工団関係者でそのあたりをきっちり書いている記事があるかと思って探してみたのですが、見つからないまま今に至っています。
 ※関係ないですけど、ラストの場面は中国雲南省の大理。東洋のスイスとも呼ばれる標高1900mの美しい山岳都市で、大理石の名はここに由来しているとか。ビルマ方面に道が通じていて脱北者たちの脱出ルートの1つにもなっているそうです。大理の北の都市・麗江については今年初めに読んだ西本晃二先生の翻訳によるピーター・グゥラート著「忘れ去られた王国」に描かれていました。東アジアと東南アジアの境界近くのこの地方はこれまでよく知りませんでしたが、政治・風俗・文化等々なかなか興味深いものがあります。

 洪盛原「されど」(本の泉社.2010) ★★★
 ほとんどエンタメっぽい「黎明」に比べるとはるかに文学らしい小説。1960年代から数多くの作品を世に出している洪盛原(ホン・ソンウォン.1937~2008)が1996年に発表した<歴史認識>がらみの長編です。
 主人公金亨真(キム・ヒョンジン)は元新聞記者のフリーライター。交通事故で亡くなった妻の実家の韓氏一族はソウル近郊のY郡(もしかして龍仁?)の名望家で、叔父は流通業の財閥会長。傘下に大学も抱えています。その会長が金亨真に祖父の略伝を書いてほしいと頼むのですが・・・。祖父というのは三一独立運動を主導して投獄され、その後も旧満州で抗日運動を続けた人物で、国家報勲処でも烈士として認定されている独立功労者>です。ところがおりしも、当地では韓氏とライバル関係にある徐氏の側から土地所有権に関する訴訟を起こされたり、件の<独立功労者>の「親日行為」が流されたりし始めます。徐氏の当代の祖父はというと、韓氏の側とは逆に<親日派>のレッテルを貼られている人物。
 金亨真はいろんな人に会って話を聞くことになります。<独立功労者>の祖父の血を引いている日本人女性とか、中国人の農場主とか・・・。そして明らかになってきたことは、韓氏(祖父)は徐氏(祖父)をかばうため裁判で「彼は無関係だ」と証言したことがその後徐氏(祖父)が「親日派」である根拠になってしまったこと、あるいは徐氏(祖父)は満洲の韓氏(祖父)に金銭的支援をしていたこと等々。
 ・・・というわけで、現在<抗日烈士>とか<親日>とされていても背後にはいろいろフクザツな過去がある、ということが描かれています。また主人公が日本人たちと植民地時代の評価等をめぐって議論する場面もあります。
 で、私ヌルボ、何が期待外れだったかというと、<親日><抗日>といったレッテルの<貼り方>は問題としていても、レッテルそれ自体の意味は掘り下げられていない点。また<親日派>の子孫として生まれたことの不幸を訴えるセリフはあるものの、50~70年も前の祖父の所業が現代に生きる孫の政界進出等に大きな影響を及ぼしたりしていることを疑問視していない点も疑問。
 本筋以外では、日本人の語る歴史論議がややステロタイプ的なのはしかたないか?(韓国人としてはわりとがんばって植民地近代化論のような見方を書いてますが・・・。) また中国人が「韓国に来て歴史を再認識しました」と語っている内容というのが「朝鮮は中国に出自を持つ箕子朝鮮に始まるのでなく檀君が云々」とか「渤海は韓国人の国で云々」といった韓国の<公的歴史観>そのまんまなのも「なんだかなー」といった印象を受けてしまいました。
 しかし、ウィキペディアの洪盛原の項目(→コチラ)の説明文にあるように「修飾語を排除し、対話と行為に対する描写が圧倒的」という文体で、イッキに読めるし、飽きさせないストーリー展開なので★3つにしました。

 孫錫春「美しい家」(東方出版.2009) ★★
 著者も書名も知らなかったこの本を横浜市立図書館で手にとったのは、副題に「朝鮮『労働新聞』記者の日記」とあるのが目に入ったからです。もしかして、北朝鮮で「労働新聞」の記者だった人が脱北し、韓国に来てから発表した日記かな?と思いました。著者の孫錫春(ソン・ソクチュン)という人の経歴を見ると、韓国の進歩系の代表紙「ハンギョレ」で労組委員長や論説委員等で活躍し、韓国記者賞等多くの賞を受賞している人物とのことです。
 冒頭で「日記」入手のイキサツが書かれています。「愛読している記者のアナタに若い頃から書き溜めた日記を託したいので中国・延吉に来てください」という北朝鮮の老人からの電話が入り・・・云々。そして1938年4月1日その男・李真鮮が延禧専門学校(現・延世大学校)の入学手続きをした日に始まる膨大な日記を受け取るのですが、その内容は驚くべきもので・・・。以下、秘密の抗日闘争に関わっていた学生時代、南労党のメンバーとして朴憲永の下で活動していた時代、朴憲永の配慮でソ連に留学し、金日成による南労党粛清を免れて以降、金日成を経て90年代の金正日の時代に至るまで、主な出来事と、それに対する感想等が記された「日記」がそのまま掲載されている・・・のかな?と思いきや、最初の数ページも読まないうちにこれは創作だ!ということがわかっちゃいます。
 延禧専門学校入学の翌5月、眠れないので寄宿舎をこっそり抜け出した時、たまたま出会った学生が3歳年長ながら同期の尹東柱だったり、その翌月にはその彼から「見てほしい」と送られてきたのが「小川を渡って森へ 峠を越えて村へ」という詩句で始まる、今はよく知られている(?)「新しい道(새로운 길)」という詩だったり、日本の中央大学哲学科に留学した時には当時同大学の法学部にいた黄長と知り合ったり、学生時代秘密組織で活動中にウワサを聞いて傾倒していた朴憲永に偶然会ったり、その他著名人士が「ありえねー」ほど都合よく登場するし、原爆投下その他のニュースも、情報統制の時代、それも智異山とかにいたりしてて「どういうルートで情報得たの?」という記述が多すぎ。後の方で「日記の中身は後から書き足しもした」とか逃げを打ってはありますが・・・。また1939年12月の金三龍事件とか京城コム・グループ事件とかいう(ヌルボの知らなかった)事件は、当時どの程度詳しく報じられたのでしょうか? 41年4月1日金日成の部隊が撲滅されたとの新聞記事(?)なんかも・・・。
 この本の宣伝文句には「本書が刊行されるや、韓国では「日記」の作者李真鮮が実在するか否か、出版界、歴史学会で波紋を呼んだ問題作」とありますが、「ホンマカイナ?」といった感じ。歴史学会でこの「日記」を信じちゃった人がいるの!?
 書いた本人(孫錫春)は事実とも創作とも言ってないとのことですが・・・。まあ、この翻訳書では表紙裏の著者紹介中にも「2001年に発表された著者最初の長編小説」と書いてあるし、韓国の書店サイトでもちゃんと小説分野になっているので、「看板に偽りあり!」とはならないんでしょうけどね。
 とはいっても、前述のように「脱北者が書いた?」と思って読み始めたヌルボとしては肩すかし。つまりは、韓国の<進歩系>のヒトが「こういう時代だったら私はこのように生きたいな~」といった今の価値観そのままで、今イメージされている「過去」にタイムスリップしたらこうなりますという物語。ちゃんと抗日独立運動に携わり、社会主義の理想を持って祖国建設に尽力し、金日成の独裁体制が築かれていく時代にも良心と批判精神を失わず・・・。・・・といった著者(や進歩系の人たち)が歴史に投影する「夢」がおよそわかったことと、南北朝鮮の主だった出来事についてのベンキョーにはなったということで一応★2つにしました。しかし、この本を読んで「だまされた!」と怒る人もいたんじゃないかなー?
 ※1年後輩の恋人も実に「理想的」な女性として描かれています。恵まれた家庭の美人で賢いお嬢さんで、とくに積極的にモーションをかけたわけでもないのに好きになってくれちゃったりして(笑)。朝鮮戦争で愛児とともに爆撃を受けて死んでしまうのですが・・・。

<最近読んだ韓国本いろいろ ②唯一感動した小説は、18年ぶりに再読した「神の杖」>
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[韓国の小説]イ・ギホの短編「ボニ(バニー)」はラップの歌詞そのまんま。ちょっとやるせなくて印象的!

2015-02-02 22:29:26 | 韓国の小説・詩・エッセイ

 久しぶりにおもしろい韓国小説を読みました。久しぶりにというのは、「おもしろい」と「韓国小説(原書)」両方の意味で、です。
 その小説はイ・ギホ(이기호)という作家の「チェ・スンドク聖霊充満記(최순덕 성령충만기)」という短編集の最初に収められている「ボニ(버니)」という作品です。
 ※<innolife>の記事(→コチラ.日本語)では「バニー」と表記していますが、とりあえず韓国語の発音に近い「ボニ」にしておきます。「バーニー」でもOKかも。
 「堪能」というにはほど遠い語学力の私ヌルボでもイッキ読みできたのは、正味33ページという短さだけでなく、それ以上に斬新な文体のゆえです。
 最初の1ページを丸ごとコピペして、拙訳を付けてみました。

 来たぞ来たぞ、あの娘(こ)が来たぞ、俺を訪ねて来たぞ、事務所に来たぞ、俺らに会いに事務所に来たぞ、あの娘のマネージャーも来たぞ、すげーヤバいクライスラーのミニバンに乗って来たぞ、マネージャーの子分たちも一緒に来たぞ、あの娘が俺らの愛人バンクに来たぞ、半年ぶりに来たぞ、自分を消しに、消しに来たぞ、新入りの娘(こ)たちは浮かれていたな、歌手が来たって、浮かれて舞い上がって、浮かれて叫んで、ところがあの娘は車から降りず、すげー真っ黒なミニバンの窓の中に、固まったように座っていたな、事務所に来たのはあの娘のマネージャー、マネージャーの下っ端ども、マネージャーが言った、俺を見て言った、俺らに言った、大声で脅してまくしたてた、
 韓国語だと「ワッソワッソ、クニョガワッソ、ナルチャジャワッソ、サムシロワッソ」ですからねー。あとで<yes24>の読者レビューを見たら「冒頭の数行どころか、1行で引きつけられる」という感想がありました。
 で、このリズム感、自然に歌になってる感じだなー・・・と思ったら、小説のキモもラップ(랩)の話じゃないの。次に一応あらすじを載せておきます。

 「俺」は高校生の時国史の試験で「七支刀」と答えるべきところを「サシミ」と答えて先生に馬鹿にされ往復ビンタを受けてブチ切れ、騒ぎを起こして中退し、ポドパン(보도방.愛人バンク)を運営することに。つまり売春斡旋業者。ある日、友人が妹のスニを連れてきて、彼の頼みでどこか体の不自由な彼女をやむなく引き取ることに。「歌だけは上手い」という友人の言葉通り満足に口もきけないスニだがラップでは自分を表現できる。やがて他の娘たちが出払っている時から彼女も「仕事」に出るようになるが、初めの懸念とは逆にスニの評判は(彼女が歌うラップゆえに)高まって店の一番手になる。そんな彼女がある夜ホテルに入ったまま行方不明になる。次に「俺」がスニを見たのは6ヵ月後。TVで見たスニは新世代の女性ラッパー「ボニ」となって登場している。彼女が歌っている歌のタイトルも「ボニ」で、そのラップの歌詞は「움파움파, 너는 버니, 너는 뭘 버니, 돈을 잘 버니・・・(ウンパウンパ、おまえはボニ、おまえは何をボニ(=稼ぐの)、お金をよくボニ・・・)」というものだった・・・。

 ・・・ということで、その「ボニ」のマネージャーが知られてはまずい彼女の過去を口止めするために乗り込んできたというのが上掲の冒頭の場面。
 そして1章の終わりが次の文章です。
 
俺は考えた、俺は念を押した、俺はボニを知らねえ、ボニというラッパーを知らねえ、ボニの本名がスニというのを知らねえ、スニが俺の下で働いていたことを知らねえ、スニが毎晩旅館に、旅館に出張してたのを知らねえ、知らねえ知らねえ、なんにも知らねえ、ラララララララ ラララララ
 「아무것도 몰라,랄랄랄랄랄랄랄 랄라라라라(アムゴット モラ、ラ ラララララ)」と、「モラ(知らねえ)」からそのまま「ラ・・・」と続くこの語感は日本語に置き換えるのは困難ですが・・・。

 こういう物語の部分、ラップの用語だとバースにあたるのかな? それに対し、フックつまりサビの部分が章の最後に繰り返して置かれています。
 俺のあだ名ははバスケット 水を入れれば水が漏れ
 米を入れれば米が漏れる
 竹で作った軽いバスケット
 俺のアタマが軽いから 俺のあだなはバスケット
 生まれた時から軽くて軽くて死んでるようだった
 俺のあだなはバスケット
 なんにも知らねえ親父も知らねえおふくろも知らねえ
 生きることも知らねえ世の中も知らねえ
 誰も俺に話し方を教えてくれなかった
 それでも俺はこんなに話してるぞ
 俺も軽くておまえらも軽い
 俺の言葉も軽くおまえらの言葉も軽い
 俺はバスケットおまえらもバスケット 水を入れれば水が漏れ
 米を入れれば米が漏れる
 世の中はバスケット

 結局は押し殺さざるをえない感情をこのようなリフレインに込めて・・・というところにやるせなさを感じましたねー。
 考えてみればヒップホップ系の音楽はアメリカの社会的に抑圧されてきた階層の間の抵抗等の自己表現として生まれたもので、こうした内容の物語には合ってるのかも。
 この小説が発表されたのは思ったより早くて1999年。1972年生まれのイ・ギホのデビュー(←韓国では「등단(登壇)」)作で「現代文学」新人賞受賞作とのことです。ということは、92~95年頃ソテジワアイドルが韓国でラップブームを巻き起こして「韓国音楽界に革命を起こした」ということもそれなりに関係ありそうですね。
 もうひとつ連想したのは町田康。ミュージシャンの彼がなんともユニークな文体の「くっすん大黒」で作家デビューしたのが1997年でした。(町田康の小説が韓国で刊行されていないのはその文体のためかな?)
 さらにもうひとつ。拍子に合わせ、節をつけて人生を語るといえば身世打鈴(シンセタリョン.신세타령)というのがあるじゃないの、と思ったら、<yes24>の感想の中にも「パンソリを思い浮かべた」と書いていた人がいました。やっぱり、でしたね。

 最後にこの「チェ・スンドク聖霊充満記」所収の他の作品について。他のもラップみたいな文体で書いているのかと思ったらさにあらず。しかし警察の取り調べ調書の形式の「ハムレットフォーエバー」、入社試験用の自己紹介文を借用した「告白時代」、聖書のような形式の表題作「チェ・スンドク聖霊充満記」等、ふつうの小説とは違った多様な形式を用いています。また、現代社会の中で疎外された人々を主に描いている点もこの作家の特色かもしれません。他の作品は読んでないのではっきりとは言えませんが・・・。

※作中に出てくる보도방(ポドパン)は一応「愛人バンク」と訳しましたが、この言葉及び業体について調べればいろいろありそうな感じ。
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安保恋愛小説と銘打ったイ・ウォンホ「黎明」で読み解く開城工業団地① 10年目の評価は?

2014-09-18 21:29:31 | 韓国の小説・詩・エッセイ
 3月21日の記事(→コチラ)で少し書きましたが、韓国の総合誌「新東亜」で、今年3月号から「려명(黎明)」という小説が連載されています。
 「안보연애소설(安保恋愛小説)」と銘打たれたこの小説は、開城工団を舞台にした韓国人男性社員と北朝鮮女性従業員といういわゆる<南男北女>のラブロマンスです。これを書くために、作者イ・ウォンホ(이원호)は何度も現地に足を運んだそうです。
 あ、タイトルの「黎明」が여명(ヨミョン)でなく려명(リョミョン)になっているのも北朝鮮風ですね。

 私ヌルボ、当初はこの小説を横浜市立図書館にある「新東亜」で読んでいましたが、その後「新東亜」のサイトで最新号でなければ無料で全文読めることを知りました。
 第一章は→コチラです。


【「新東亜」のサイト中の連載小説「黎明」の冒頭部分。】

 開城工団で生産が始まったのは2004年末ですから、今年で10年目になります。
 2000年に鄭周永現代グループ会長が平壌を訪問した際その計画が明らかにされ、同年金正日総書記と金大中大統領との間の南北首脳会談で合意をみたもので、つまりは太陽政策の象徴的産物です。
 以後、たとえば昨年(2013年)4~9月の操業停止のようなトラブルもありましたが、その後操業再開となり、現在も125の韓国企業と、コンビニエンスストア・銀行など87の営業店が進出が進出し、約5万2千人の北朝鮮労働者と、千人近い韓国人が働いています。

 開城工団の評価については、韓国側の観点で見ると次のような肯定的評価と否定的評価があげられています。

≪肯定的評価≫
 ①両国の平和のシンボルであり、南北どちらにとってもプラスとなる。
 ②低廉な労働力が利用できる。
 ③「北」の人々が資本主義のシステムや物の考え方を知ることとなり、閉鎖的な「北」の体制を開放に向かわせる契機ともなり得る。


 ≪否定的評価≫
 ①北の独裁政権の収入源となり、政権を延命させ、統一を遅らせる。
 ②南北間の対立が高まると昨年のような操業停止となる等、常に不安な状況にある。
 ③軍事的な危機の場合、開城工団で働く韓国人たち(千人弱)が「北」の人質となる。
 ④人件費は安くても必ずしもそれが収益に直結しない。(赤字の企業が多い。サムスン等の有力企業はそれがわかっているから参入していない。)
 ⑤給料が直接「北」の労働者に支払われないので彼らの実際の受取額は不明で、労働者の人権について国際的にも問題とされたりしている。
 ⑥開城工団の製品が「韓国製」として輸出されることに対する非難がある。(国により異なる。)
 ⑦韓国側従業員は現地で北朝鮮の宣伝・情報に100%さらされている。


 参考:
 (1)2014年7月22日の「中央日報」のコラム(→コチラ.日本語)では、開城工団を訪問したドイツのコシュク下院議員の言葉を紹介している。南北の若い男女が同じ場所で一緒に働く場面を実際に見て、高度に産業化された韓国社会との直接的な接触が北朝鮮の労働者に革命的な変化を与えるということを確信したというのである。このコラムは末尾で次のようにコメントしている。
 韓国では、コシュク議員のように開城工業団地をそれほど大変な学習の場だと感じている人は多くないようだ。<いつもつまずく南北関係の上に不安定に存在するもう一つの実存>という程度だろう。とはいえ、南北合作の経済特区である開城工業団地は、緊張緩和と統一、そして未来のための投資の象徴として慎重に定着しつつある段階といえる。
 (2)韓国ウィキペディア(→コチラ)によると、北朝鮮は開城工団から年間8000万ドルの収入を得ているが、その額は中国との鉱物取引で稼いだお金16億ドルの20分の1である。
 (3)北朝鮮労働者の最低賃金は今年5月分から5%引き上げられ、約70ドルとなった。超過勤務手当、保険料、福利厚生費等を合わせ、平均130~170ドルが支給されているという。しかし賃金は北朝鮮当局に一括して支払われ、各従業員がいくら受け取るかは不明な上、ドルではなくウォンで支払われるため。今年3月「朝鮮日報」に「米国人研究者「開城工団労働者の給与、実質賃金は2ドル」」という記事(→コチラ)が掲載され、論議をよんだことがあった。(いろいろ勘案すると、北朝鮮の従業員は他の北朝鮮の職場と比べて良い条件に満足しているようだし、北朝鮮当局もかなりの部分をピンハネして儲けているのではないか?)

 北朝鮮の政権に批判的な人たちの間でも、何を重視するかによって評価が分かれているようです。(→参考記事。) 親北朝鮮の進歩陣営の側でも称揚一色というわけでもなさそうです。
 ヌルボ自身の評価としては、正直なところよくわからず。やや疑念の方が強いかも。
 「北」の政権自体が派遣会社、悪くいえば手配師となって自国民を(シベリア等と同様に)送り込み、給料の大半をピンハネしているというイメージがつくまとうからです。韓国の資本家と北朝鮮の独裁政権が手を結んでいる感じ。
 ただ、これが北朝鮮社会を良い方向に導く方向に作用していればいいのですが、そこらへんが見えてきません。

 開城は38度線の南で、光復(日本の敗戦)後は南側だったのが、朝鮮戦争後は休戦ラインの北に組み込まれました。そして開城工団地は非武装地帯の北方限界線からわずか1㎞、ソウルからは約60㎞。車だと約1時間の近さです。



 しかし、そんな近い所でこれだけ多い韓国と北朝鮮の人たちが共に働いているのに、その実態を伝える資料をほとんど見たことがありません。
 韓国の進歩陣営も保守陣営もそれぞれ「弱点」を認識しているからか? またこの小説中にありましたが、開城工団内の話は外に知られていないのは「北朝鮮側から不利益を受けることを恐れて、韓国企業が徹底的に口封じをしてきたから」なのか?
 いずれにしろ、実態がわからないままで評価は下すことはできないというのがヌルボの見解です。

 で、この小説。(だんだん本論へ・・・。)
 イ・ウォンホという作家はナムウィキ(→コチラ)によれば、「あまり知名度は高くないが、出版界ではダークホースでけっこう稼いでいる。いわば在野の李文烈(!)といったところだが、文学性はない」とあります。読んでみるとナルホド(笑)です。
 たしかに大衆小説らしいテンポのいい文章で、スイスイ読めます。およそ文学的感興といったものは皆無(笑)。ま、当方の目的は開城工団の実態を知ることだから、それはどうでもいいんですけどね。

 で、肝心の内容。今まで3~9月号の7回分で、まだ完結していませんが、その展開の速いこと!
 3月号(第1章)では開城転任を命じられた主人公の身辺状況の描写で、やっとラストの場面で開城工団入りするのですが、その後はあれよあれよといった感じで、いつの間にか副主人公の北朝鮮女性(主人公直属の部下)が脱北(!)するところまでいっちゃってるんだから・・・。
 そんなわけで、どこまでリアリティがある小説なのか疑わしい点もありますが、続きでは注目したところを具体的に書きます。
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イッキ読みしたキム・オンス「設計者」はちょっと文学的なハードボイルドでおもしろかった!

2014-07-25 23:48:33 | 韓国の小説・詩・エッセイ
   

 キム・オンス(金彦洙.김언수)「設計者」(クオン.新しい韓国の文学06)を読了。
 これは読んでよかった、得をしたという本でしたね。

 クオンの<新しい韓国の文学>シリーズの既刊作品中では上右の写真のように一番部厚く約550ページ。
 それでも一気読みできたのは、シリーズ中異色の(一応)ハードボイルドで、展開もスピーディだから。1ページが14行の上、会話の部分が多いということもあります。
 また、<K-文学.com>の記事(→コチラ)によると、この作品は最初ウェブ小説として連載されたそうですが、そのことも文体や筋の運びの軽やかさに関係しているかもしれません。

 なんの予備知識もなくこの本を手にすると、この部厚さとともに、タイトルの「設計者」というタイトルに抵抗感を感じるのが自然な反応でしょう。(※原題は「설계자들(設計者たち)」と複数になっています。)
 内容に即して、もう少し具体的な書名をつけるなら「暗殺の設計者たち」くらいなんでしょうが、そうすると「設計者」という言葉と、この物語に込められた寓意が看過されてしまうという判断があったからでしょうか?

 主人公はレセンという名の32歳の暗殺者です。女子修道院前のゴミ箱から発見され、修道院の付属孤児院で4歳まで育てられ、その後狸おやじの養子として成長しました。狸おやじは1920年開館の図書館の館長。
 学校に行かなかったレセンにとって、図書館は学校でもあり遊び場でもありました。

 ところが、「犬の図書館」という名のこの図書館は、実は数十年もの間権力に寄生しながらその陰で韓国現代史上の主要な暗殺の本拠としての役割を果たしてきた所でした。
 狸おやじはそのボスで、レセンは彼から暗殺者としての技術や知識を教え込まれて育ったのです。

 レセンは、暗殺を政治的信念等とは関係なく、仕事としてやっています。送られてくる文書の指示通りに・・・。その文書を作成するのが「設計者」なのですが、それが誰なのかはよくわかりません。
 そして「設計者」の上には暗殺の依頼主がいるのです。
 つまり、順序立てて書くと次の通り。
 ①権力と富を持った依頼主が暗殺を設計者に依頼する。
 ②設計者はトラッカー(追跡者)の調査を基に暗殺を「デザイン」する。
 ③設計者から送られてくる文書にはターゲットの写真、住所、体重等、行動パターン、趣味、関係者等の情報が記されている。殺人方法や死体の処理方法まで書かれている。暗殺者はこの支持に忠実にコトを実行する。

 私ヌルボ、このような設定を、このような物語を成り立たせるための仮構と受けとめて読み進んでいったら、100ページ辺りで次のようなことが書かれているのにはちょっと驚きました。

 皮肉にも、独裁と軍事政権の時代が終わって、暗殺業は爆発的に成長した。軍事政権時代、暗殺業は・・・・秘密工作みたいなものだった。・・・・軍人のほとんどは、設計者に関心がなかった。彼らの目の上のこぶみたいな人々は、家族の目の前でジープで連れ去られ、南山の地下室に閉じ込められて、半身不随になるまでぶん殴られて帰されても何の抵抗もできない、そんな無知な時代だった。彼らに高級設計者は要らなかったのだ。暗殺業の膨張が加速したのは、政府を道徳的に飾りたてたいという、新しい権力の登場だった。おそらく彼らは「みなさん、ご安心ください。我々は軍人ではありません」というフレーズを額につければ、国民を騙せると考えたようだ。しかし、どんなに取り繕ったところで、権力の属性は本質的には同じだ。・・・・この新たな権力が直面した問題は、・・・・南山の地下室を利用できないことだった。そこで彼らは・・・・殺し屋事務所と取引を始めた。いわば、暗殺のアウトソーシング時代が到来したのだ。

 はたして、韓国の読者たちはこういう設定になんらかのリアリティを感じながら読んでいるのだろうか? たとえば、殺し屋事務所は「大統領選挙の時期は忙しい」とかのくだり等。
 そして今の状況はというと・・・。
 
 ・・・・国家が企業をアウトソーシングする方法を企業が真似しはじめ、暗殺事業は爆発的に成長した。企業は国家よりも依頼の量が多かった。

 (今ふと思い出した韓国映画「ある会社員」も、表向きは金属製造会社だが、実は殺人請負会社という会社の話だったな。)

 ・・・ということで、新しいタイプの殺し屋事務所の台頭が目立つというわけです。旧タイプの狸おやじの「図書館」に対し、新タイプの代表のハンザという男が構える事務所は江南のL生命ビルの7~9階にあり、表向きは警備会社、保安会社、情報提供会社等として登録されています。
 ここでも次のような「説明」が書き添えられています。

 窮地に立たされたワクチンの製造会社が、結局作らなくてはならないのは、最高のワクチンではなく最悪のウイルスであるように、保安会社や警備会社の繁栄のために必要なのは、卓越した保安のスペシャリストではなく、最悪のテロリストだ。 

 少なくとも、世間の不安感の高まりが警備会社の発展を促したというのは事実ではある・・・。

 このような設定のハードボイルドなので、当然銃やナイフによる殺し合いの場面がいくつもあります。
 しかし、「死ねっ!」とか「やりやがったな!」などと罵りあったりはしません。それどころか、双方がなかなか含蓄に富んだ話を交わしたりするのです。
 たとえば、
 「紅茶には帝国主義の息づかいが染みついている。だからこれほど甘美な味がするのさ。何かが完備であるためには、すさまじい殺戮がその中に隠されていないとだめなんだ」
 とか、
 レセンの友人のトラッカーが気づかれずに標的を尾行する秘訣を語る場面。
 「平凡であることだよ。人々は平凡なことは記憶に留めないんだ。・・・・考えてみれば、平凡になるのは、特別になることと同じぐらい難しいんだよ。・・・・そもそも平均的な人生というものが存在しないからだよ。・・・・そんな平凡な生き方には、愛も、憎悪も、裏切りも、傷も、そして思い出も存在しない。無味乾燥で無色無臭だ。けれども、俺はそういう人生に惹かれる。重すぎるのは耐えられない。・・・・」
 ←おいおい、これがエンタメか?とツッコミを入れたくなります。最初の方で「(一応)ハードボイルド」と(一応)を入れたのは、随所に純文学風味が感じられるからです。
 あるいは、レセンに指を2本切り落とされちゃった相手が後日チュッパンイワシのギフトセットを持ってやってきたりもします。(なんという人間関係だ!?)
 ※チュッパンイワシ・・・韓国語では죽방멸치。죽방(チュッパン.竹防)という竹製の道具で捕られた南海の特産品の高級な멸치(ミョルチ.イワシ)。この大がかりな道具については、過去記事(→コチラ)の画像参照。

 主人公レセンが修道院の前のゴミ箱で拾われたというくだりを読んでなんとなく村上龍の「コインロッカー・ベイビーズ」を連想しましたが、文体はむしろ村上春樹に通じるところがあると思います。
 たとえば次のような、軽い、ちょっと洒落たユーモア。

 トイレの便器に仕掛けられた小さな爆弾を発見したレセンに、爆弾を調べたプジュの雑貨屋との会話です。
 「とにかく今回は運よく生き残ったな」
 信管を分離した爆弾をレセンに渡しながら雑貨屋が言った。
 「便秘だったんですよ」


 あるいは、白い風呂敷に包まれた遺骨箱を見て、司書の女性が訊ねる場面。
 「あれは何ですか? 日本の和菓子ですか?」

 さて、物語は、半分以上過ぎてからミトという若い女性の造反設計者(?)が登場して新たな展開になっていくのですが、ラストはちょっといかがなものかと・・・。映画化するとしたらきっとラストは変えるでしょう。
 ということで映画化関係。この小説の映画化を希望しますという韓国ブログがいくつか見ました。詳しく感想が書かれている→コチラの日本のブログでも「映画化間違いなし、当たるだろうな」とあります。
 ところが、実際に映画化が決まっていたようなんですね。(2010年の時点では。)
 →コチラの2010年の記事(韓国語)はイ・オンスとの作家ミーティングの報告なのですが、その中で、映画化されることが決まったが、レセン役を誰が引き受けたらいいのかという質問に作家は「パク•ヘイル」と答えた。
 ・・・と書かれてました。
 パク・ヘイルとはいかにも、ですね。あの「殺人の追憶」の何を考えているのかわからない容疑者役が思い出されます。
 →コチラのブログ記事の仮想キャスティングではウォンビンにしてましたが。
 しかし、もう何年も経っているのに、その後映画の話はどうなっているのかよくわかりません。

 この小説の難点は、(村上春樹同様)生活感とか、街の臭いや喧噪といったものがあまり感じられないこと。市場の真ん中のスンデクッパの店でコプチャンポックムと焼酎を飲み食いする場面もあるんだけどなー。
 まあ、それもまた「現代の韓国らしさ」を表しているともいえるのでしょうが・・・。
 「現代の韓国らしさ」は、登場人物の名前についてもいえるかもしれません。
 「レセン」はふつうは見ない名前です。発音も、ラ行で始まる名前はふつうありません。漢字語「来生」です。「ミト」と「ミサ」の姉妹の名も見慣れない名前です。漢字だと「美土」と「美砂」、かどうかはわかりませんが、あるブログでは「土砂に美を付けるとは・・・」という点に注目していました。
 名前といえば、レセンが飼っている2匹の猫の名が書見台とコンパス。(うーむ、現代的やねー。) この猫たちはその後猫カフェに預けられるのです。韓国でも近ごろ猫カフェができているのですね。この小説の猫カフェの女主人は、以前結婚していたとき、アパートで増えつづける猫に耐えかねた夫が「猫か自分かどちらかを選べ」と彼女に突きつけたため離婚した、という女性。(これまた現代的やねー。)

 ・・・というわけで、ストーリーのおもしろさもさることながら、韓国社会のモロモロについてもいろいろ知ることができた小説でした。

 ついでに個人的な備忘録といった感じで本書で知ったいろんな言葉について列挙しておきます。

プジュ(푸주)・・・本来は豚や牛などを塗擦する場所。この小説では裏社会。
大韓ニュース・・・1994年まで政治目的のため映画館で流されていた国家政策の3分間のニュース。以後はテレビ放送のKTV韓国政策放送に切り替えられた。
銀鈴姉妹(은방울자매)・・・1950年代にデビューした、現在のK-POPガールズグループの元祖的存在。ハングルで画像検索・動画検索するといろいろヒットします。
「興宣とカエルが跳ぶ方向は誰も知らない」・・・興宣(大院君)の内心は誰も読めない、という意味。(どれくらい一般的な言葉か疑問。)
強力系刑事(강력계 형사)・・・殺人・強盗・レイプ・拉致・放火・麻薬などの凶悪犯罪を扱う刑事。
マットンサン・・・かりんとうに似た味のロングセラーのお菓子。
●コンビニ店員ミトによるお菓子の話「・・・・スニッカーズがアメリカ的な味なら、ホットブレイクが国の味なんですよ。歯にくっついたりもしないし。それにコストパフォーマンスからしても、優れたチョコバーです。スニッカーズの半分の値段なんですよ。もちろん十年前の価格を維持するために、だんだん小さくなっきてはいるんですけど。悲しい現実ですね。・・・・」 (これは実際に食べ比べてみなければ・・・。)

[余談]最初著者の名前を見て、「もしかしてキム・ヨンス(金衍洙.김연수)?」と思いました。
 2009年「散歩する者たちの5つの楽しみ(산책하는 이들의 다섯 가지 즐거움)」で李箱文学賞を受賞した純文学作家です。
 カタカナ書きでも十分紛らわしいですが、ハングルだと언と연というわずかな違い。ある韓国ブログに「キム・ヨンスの新刊かと思って買ってしまいました」という記事があったのはやっぱりね、です。

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「親日詩人」(?)金鍾漢(キム・ジョンハン)の作品を読む

2014-04-24 23:46:35 | 韓国の小説・詩・エッセイ
         

 黒川創(編)「<外地>の日本文学選3 朝鮮」(新宿書房1996)は、高浜虚子「朝鮮(抄)」や中西伊之助「不逞鮮人」等、他ではほとんど目にすることがない日本の統治期の日本人と朝鮮人の17作品を集めたアンソロジーです。

 私ヌルボが金鍾漢(キム・ジョンハン)という詩人の名前とその日本語詩数編を知ったのも、この本で読んだのが最初でした。
 最近この本を久しぶりに読み直して、その詩の意義を再認識しました。

 金鍾漢は1914年2月咸鏡北道明川郡(現在は北朝鮮)に生まれました。37年に渡日して日本大学に入学し、卒業後婦人画報社に勤務しながら詩作を続けました。
 この本には、1943年7月に刊行された『たらちねのうた』という日本語の詩集から7編が抜粋・収録されています。

 読みづらい小説をいくつか読み終えて、箸休めみたいな感じで読みやすそうな詩のページがあったのでなんとなく目に止まったのがそれらの詩です。

    一枝について 

 年おいた山梨の木に 年おいた園丁は
 林檎の嫩枝(わかえだ)を接木(つぎき)した
 研ぎすまされたナイフをおいて
 うそさむい 瑠璃色の空に紫煙(けむり)を流した
 そんなことが 出來るのでせうか
 やをら 園丁の妻は首をかしげた

 やがて 躑躅が賣笑した
 やがて 柳が淫蕩した
 年おいた山梨の木にも 申譯のやうに
 二輪半の林檎が咲いた
 そんなことも 出來るのですね
 園丁の妻も はじめて笑つた

 そして 柳は失戀した
 そして 躑躅は老いぼれた
 私が死んでしまつた頃には
 年おいた 園丁は考へた
 この枝にも 林檎が實(な)るだらう
 そして 私が忘れられる頃には

 なるほど 園丁は死んでしまつた
 なるほど 園丁は忘られてしまつた
 年おいた山梨の木には 思出のやうに
 林檎のほつぺたが たわわに光つた
 そんなことも 出來るのですね
 園丁の妻も いまは亡(な)かつた


 「なんだ、これは!?」という驚きで目がさめたような気分でした。
 躑躅(ツツジ)=진달래(チンダルレ)も柳=버드나무(ポドゥナム)も、いかにも朝鮮らしい植物です。国民的愛唱歌「故郷の春」の歌詞にツツジも出てくるし、柳の都といえば平壌のことで、だから例の柳京ホテルもあるわけです。(ヤマナシは、ソウルの特産種の문배나무(ムンベナム)のことかな?)
 山梨に林檎を接木するというのが「日韓併合」「内鮮一体」を指すことは隠喩というにはあまりに明らかです。すると「柳は失戀した」とか「躑躅は老いぼれた」とかは・・・。

 次は、朝鮮で創刊された日本の国策雑誌『国民文学』の1942年7月号に<徴兵の詩>として掲載されたという詩です。

    幼年 

 ひるさがり
 とある大門のそとで ひとりの坊やが
 グライダアを飛ばしてゐた
 それが 五月の八日であり
 この半島に 徴兵のきまつた日であることを
 知らないらしかつた ひたすら
 エルロンの糸をまいてゐた

 やがて 十ねんが流れるだらう
 すると かれは戦闘機に乗組むにちがひない
 空のきざはしを 坊やは
 ゆんべの夢のなかで 昇つていつた
 絵本で見たよりも美しかつたので
 あんまり高く飛びすぎたので
 青空のなかで お寝小便(ねしょ)した

 ひるさがり
 とある大門のそとで ひとりの詩人が
 坊やのグライダアを眺めてゐた
 それが 五月の八日であり
 この半島に 徴兵のきまつた日だつたので
 かれは笑ふことができなかつた
 グライダアは かれの眼鏡をあざけつて
 光にぬれて 青瓦の屋根を越えていつた


 後の「親日派」批判の風潮に大きな影響を及ぼした林鍾国(イム・ジョングク)「親日文学論」(1966)では、先の「園丁」(のち「一枝について」に改題)を全文引用しているそうです。つまり、代表的親日作品として。
 「幼年」も、翌1942年5月8日からの朝鮮人徴兵制度実施を宣揚する日本語詩として批判の対象としているとか・・・。
 しかし、戦闘機に乗組むにちがひない十年後の坊やはなぜ「青空のなかで お寝小便(ねしょ)」をするのでしょうか? なぜ詩人は「笑ふことができなかつた」のでしょうか?
 もっと「わかりやすい」作品が、真珠湾攻撃の日12月8日を歌った「たらちねのうた」です。

    待機

 雪がちらついてゐる
 しんみりしづかに 雪がちらついてゐる
 そのなかを ききとして きみたちは
 いもうとよ またいとこよ おとうとよ
 まなびやへと急いでゐる
 ながいながい 昌慶苑の石垣づたひ
 雪がちらついてゐる

 しんみりしづかに
 雪がちらついてゐる ちらついてゐる
 いもうとよ またいとこよ おとうとよ
 それはふりかかる きみたちのかたに
 たわわな髪の毛に ひひとして やぶれ帽子のうへに
 十ねんわかくなつて わたくしも
 きみたちと 足なみをそろへてゐる
 雪がちらついてゐる

 たしか きよねんの十二月八日にも
 雪がちらついてゐた あれから一ねん
 たたかひはパノラマのやうに
 みんなみの海へひろげられていつた
 そしてきみたちは ごはんのおいしさをおそはつた
 またいとこよ いもうとよ おとうとよ
 きみたちのうへに 雪がちらついてゐる

 雪がちらついてゐる
 ながいながい 昌慶苑の石垣づたひ
 かくも 季節のきびしさにすなほなきみたちに
 あへてなにをか いふべき言葉があらう
 雪がちらついてゐる しんみりしづかに
 いもうとよ またいとこよ おとうとよ
 雪がちらついてゐる きみたちの成長のうへに
 ひひとして 雪がちらついてゐる


 あの高村光太郎の「十二月八日」や三好達治の「捷報いたる」のような昂揚感は微塵もありません。それどころか、(南富鎭静岡大教授によると)当日の京城には雪はちらついていなかったというではないですか。
 雪は「きみたちの成長のうへ」にちらついているのです。

 これらの詩に「親日文学」とレッテルを貼って排斥してしまうとは、まさに政治的尺度のみで文学の価値づけをするようなもので、スターリニズムやナチスドイツ、そして現在の北朝鮮と同様のものになってしまいます。

 金鍾漢全集」(緑陰書房.2005)の布袋敏博早大教授の解説によると、研究者として金鍾漢に注目したのは大村益夫名誉教授の論文「金鐘漢について」(1979)が最初だそうです。
 大村名誉教授は、その論文の中で次のように記しています。

 金鐘漢という文学者の生き方は、抵抗か親日かという二者択一をせまる単眼のみではとらえられぬ複雑な様相を呈している。「大東亜戦争」下に生きた文学者たちの発言を一度当時の時点にもどし、かれらが置かれた状況のもとにおいて相対的に眺めるとき、鐘漢は一面、親日文学者でありながらも一面、抵抗詩人であったことがわかってくる。このことはなにも鐘漢ばかりでなく、同時代に生きた多くの文学者についてもいえることである。金史良とて例外ではなかったはずである。

 また、「<外地>の日本文学選3 朝鮮」の編者黒川創さんも解説で次のように記しています。

 金鐘漢は、一九四四年九月、三〇歳で急逝する。もし、彼が戦争下を生きぬいて植民地朝鮮の解放を迎えていたなら、この詩人の存在は、「親日」批判とも「転向」批判とも異なる植民地下の文学活動への批評の視座を、もたらすことになったのではないかと想像してみずにはいられない。

 上の文中にあるように、彼は1944年9月京城で急性肺炎のため世を去りました。
 彼の3歳年下尹東柱(ユン・ドンジュ.1917年生)が福岡刑務所で獄死したのは1945年2月です。
 今、尹東柱は韓国では知らぬ人はなく、日本でも多くの人が知っています。彼の有名な作品「序詩」は、

 いのち尽きる日まで天を仰ぎ 
 一点の恥じることもなきを、
 木の葉をふるわす風にも
 わたしは心いためた。


 ・・・と、傷ましいほど清冽な言葉を連ねています。

 一方、金鍾漢については、「金鍾漢全集」の巻頭で大村益夫さんは彼の「雷」という詩の一節を引用しています。

 はんかちのやうに つつましくあらうと希ひ
 はんかちのやうに よごれては帰る


 どんな心で彼がこういう詩句を書いたか、親日派を批判する人たちの想像力はそこまで及ばないのでしょうか?

 彼の遺稿に「くらいまつくす」という詩があります。『民主朝鮮』創刊号に掲載されたのは、戦争後の1946年4月でした。

    くらいまつくす 

 三本の鉉(いと)が切れても
 G線上のありあは奏でられる
 ぴん止めにされた蝶よ
 はかない生命(いのち)よ はばたくがよい
 死と生の刃(やいば)の上で
 お祈りした三十歳の言葉は
 高麗古磁の意匠よりも絢爛であつた
 こはれた樂器のやうに
 音樂を欲しながら


 ・・・三本の鉉が切られたような時代状況にあって、残された一本でかろうじて奏でたアリアを、70年後の現代に生きる者たちはどれほど聴き取ることができるのでしょうか?

 「一点の恥辱なきことを」自ら希って純粋に生き、獄死した尹東柱だけでなく、このような「親日詩人」にももっと関心が向けられなければならないと思います。

※参考→藤石貴代「金鐘漢論」

※神奈川新聞社の社員だった金達寿は1943年韓国に渡り、京城日報の社員になりますが、そこで前年1月頃から朝鮮に戻っていた金鍾漢と会ったりしています。後に書かれたその当時の回想は「金鍾漢全集」に収録されています。なお、上記文中の『民主朝鮮』は金達寿が創刊した雑誌(文芸誌?)。

               
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チョン・ユジョンのホラー小説「28」の感想  疫病のため封鎖された都市・華陽は1980年の光州と重なる

2013-10-16 19:06:04 | 韓国の小説・詩・エッセイ
            

 9月27日(金)鄭裕静(정유정.チョン・ユジョン)のホラー小説「28」を読了! (´∀`)ノ ヤター

 ・・・と、小説「28」の感想を書き始めたものの、記事をアップしないままもう20日も経ってしまいました。
 やっとネタバレにならないように余分な内容を削ってどうにか完成。

 <やっとチョン・ユジョンの新作「28」に取りかかるゾ!>という記事を書いたのが7月19日だから、70日かかったんですね。それでも、昨年同じ作者の「7年の夜」はほぼ同じページ数(約500ページ)で3ヵ月以上かかったのに比べれば進歩というべきかも。
 1日平均7ページといっても、1ページも読まない日もあれば、ラストの100ページなどはは3、4日でイッキ読みしたりで(イッキ読みに値する速さだろうか?)、ペースはまちまち。

 しかし「7年の夜」同様、速読にはもってこいの本です。
①文章が短く、わずらわしい心理描写や情景描写がなく、ストーリー展開がスピーディである。
②主な登場人物に危機が迫っていたり、謎が提示されていたり等、内容的にも先が読みたくなる。
③辞書を引かなければわからないような言葉は比較的少なく、テキトーに飛ばし読みしても大体はわかる。
 ・・・ということです。

 では、この小説の内容紹介。

 小説の舞台は、ソウルの北に隣接する人口29万のファヤン市(華陽市)[←架空の町]。そこで正体不明の人畜共通伝染病が蔓延する。犬と人間の間で相互に伝染し、発症すると真っ赤な目になり(白目の部分)、全身から血を流して3、4日の間に死んでしまう。疫病の正体がわからないまま犠牲者は増え続け、病院は患者を収容しきれず体育館へ、また遺体は地下スケートリンクに並べるという状態になり、生活必需品の不足、治安の悪化等都市の機能も正常を保てなくなる。政府はソウルへの疫病の拡散を阻止するため軍隊を投入して町全体を厳重に封鎖し、脱出を試みる者は容赦なく射殺する。

 小説は、5人の人物と1匹の犬(!)という6つの視点を通して描かれます。

 男性は、①消防署の救助隊チーム長・②救助隊の公益要員・③以前韓国人として最初にアラスカの犬ぞりレース<アイディタロッド>に参加するも「痛い経験」を味わった動物病院を運営する獣医師。
 女性は、④新聞記者・⑤医療センターの看護師。
 そして、犬は⑥巨大なティンバーウルフ。

 本書のタイトル「28」は、最初の感染者が発見された2014年1月24日から2月20日までの28日間の物語だからです。

 先の記事で私ヌルボ、「怖ろしい伝染病蔓延パニックの話なんですね」と書きました。読み終えてみると、はたしてそう言えるのか、少し疑問も感じます。

 つまり、「人間と疫病との闘い」がテーマではなく、この人畜共通感染症の蔓延した都市というのは怖ろしい極限状況ではあってもひとつの場面設定とみた方がよさそうです。
 そこを舞台に登場人物たちが使命感や愛や憎悪の心をもって徐々に絡み合ってくるという展開。
 また大状況としては、この都市の封鎖の徹底をはかる政府・軍に対し、市民たちはどんな行動をとるか、ということが描かれます。

 この小説について、作者鄭裕静のインタビュー記事がありました。(→コチラ。)

 その中で彼女はこの小説を書いた動機として2011年の口蹄疫報道をあげています。牛や豚が生きたまま埋められる映像に大きな衝撃を受けたと語っています。
 この小説で犬の視点を入れているのもそのためで、オオカミの感情や行動を知るためにマーク・ローランズの「動物の逆襲」等の本を読破したそうです。

 その他獣医師の人に取材したり、またこの小説では消防隊員や看護師が活躍しますが、鄭裕静自身以前看護師だったそうで、また弟も夫も消防署で仕事をしていて、いろいろ教えてもらったとか・・・。

 また、彼女の生まれは全羅南道咸平ですが、14歳の時から光州に住んでいるという点もこの作品につながります。
 彼女はこう語っています。
 15歳の時に5.18光州抗争が起きた時、市場で働くおばさんがおにぎりを作って運び、看護師、医師らが総出で傷を負った人々を必死で徹夜して治療しました。このような光景を見たので、市民の力になるのは彼ら自身で、政府やいわゆる権力を持っている人ではないのです。

 国家権力によって封鎖された町という点で、華陽は光州と重なります。

 架空の都市華陽は、読み進むと位置的に議政府市にあたることがわかってきます。南側でソウルと隣接する内陸部の都市です。議政府市は人口が40数万なので少し大きいですが。作家は事前に議政府に足を運んでいろんな所をスケッチし、作品用に地図も作ったそうです。

 ソウルを東京に置き換えて考えてみると、華陽に相当するのは草加市(人口約25万人)あたりです。もしそこで恐怖の伝染病が発生したらどんな方策がとられるのか、ということをちょっと考えたりしました。

 さて、この小説の全体的な感想・評価ですが、「夜遅くこの本を読み始めると、否応なく夜明けを迎えることになるだろう」という新聞書評は偽りではないでしょう。朝鏡の前に立って、睡眠不足のため真っ赤な目になっているのを見て驚愕した人もいるかも・・・。(笑)
 ただ、前に読んだ「7年の夜」と比べると物語の焦点がやや定まっていない点は明らかにマイナス。そもそも主人公が誰なのか?とか、疫病との闘いなのか、権力との闘いなのか、復讐の物語なのか?等々。
・・・ということで、どちらか選べということならやっぱり「7年の夜」ですね。韓国のブログ等をいくつか目を通した結果も同様でした。

          
     【先月の韓国旅行で「28」のショッピングバッグを持って歩いている人を見かけました。】
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人気作家・崔仁浩(チェ・イノ)が昨夜逝去 ・・・・映画「鯨とり」等の原作者 

2013-09-27 23:56:14 | 韓国の小説・詩・エッセイ
 人の訃報に接すると寂しい気持ちになります。とくに自分と年齢的にあまり離れていない人の場合はなおさらです。
 日本では「逝去」と書くところを、韓国では「별세(別世)」という言葉を用います。

 昨9月25日夜、作家・崔仁浩(최인호.チェ・イノ)が亡くなりました。
 そのことは、→コチラの記事への今朝の「ソウル一市民」さんのコメントで知りました。
 今日の「朝鮮日報(日本語版)」にそのニュースが載っています。

 私ヌルボが崔仁浩のことを初めて知ったのは、やはり映画の原作者としてです。
 過去記事の<150本の中から選んだ・・・ ★韓国映画ベスト20★>で個人的に「不動の1位」に挙げた「神様こんにちは」は、私ヌルボを韓国映画ファン&アン・ソンギファンに導いてくれた(個人的に)決定的な作品ですが、その原作・脚本が崔仁浩でした。

 今、<輝国山人の韓国映画>等をたよりに崔仁浩原作の映画を探ってみた結果を年代順に並べてみました。

①李長鎬監督「星たちの故郷(별들의 고향)」(1974)
②河吉鍾監督「馬鹿たちの行進(바보들의 행진)」(1975)
③河吉鍾監督「ピョンテとヨンジャ(병태와 영자)」(1979)
④昶浩監督「赤道の花(적도의 꽃)」(1983)
⑤昶浩監督「鯨とり -コレサニャン-(고래사냥)」(1984)
⑥昶浩監督「ディープ・ブルー・ナイト(깊고 푸른 밤)」(1985)
※第6回(1982年)李箱文学賞受賞作
⑦郭志均監督「冬の旅人(겨울 나그네)」(1986)
⑧昶浩監督「黄真伊(황진이.ファンジニ)」(1986)
⑨昶浩監督「神様こんにちは(안녕하세요 하나님)」

 ※①以外は原作だけでなく脚本も担当しています。また<シネマコリア>の記事によると、⑨は「昶浩監督が気に入っていた崔仁浩の小説「神様こんにちは」のタイトルを借り、身体障害者の慶州への旅行を題材にしたテレビ番組をヒントにした監督のアイディアを崔仁浩が新たに脚本として書き下ろした」とのことです。

 ・・・この9本の中で、私ヌルボが観たことがあるのは②③⑤⑥⑨の5本です。どれも当時の韓国の困難な状況の中で懸命に生きる若者の姿を、心情的にも寄り添うような形で描いた作品でした。
 これらの映画について、韓国映画同好会(←今実体あるの??)の植田真弘さんが10年以上前?に「チェ・イノと韓国映画」という記事で彼の小説世界と関連づけて詳しく記しています。(→コチラ。)
 そこで冒頭に掲げられているのが「軽妙・軽快」「通俗的」というキーワード。「なるほど、やっぱりなー」といったところです。

 たとえば、最近の芥川賞作品は大半が映画化しにくいものだし、映画化に際しても「苦役列車」とか「共喰い」とか、いろいろ大変だったのではないでしょうか? 映画ファンも「一人の若者が抱える心の闇と・・・云々」という惹句にどれほど興味をそそられるのか・・・?
 そこへいくと、崔仁浩原作の映画は、ストーリー展開自体が観る者を引きつける力があります。

 彼の作品は90年代以降「商道(상도)」「海神(해신)」のようにドラマでもヒットした歴史物を書いています。
 つまり、そのまま映画やドラマにしやすい作品を次々と生み出すストーリーテリングの才能を40年以上にわたって発揮し続け、多くの人々に親しまれた作家といえるでしょう。
 「朝鮮日報」の記事に対する読者のコメント中にも「われわれの時代最高のイヤギクン(우리 세대 최고의 이야기꾼)」という言葉がありました。

 彼は若い頃から世に認められた作家でした。
 「朝鮮日報」の記事には、1967年22歳で延世大在学中に書いた短編小説「見習い患者」が朝鮮日報新春文芸に当選して文壇デビュー(韓国では「登壇」)したとありますが、すでにソウル高校1年生在学中の1961年青少年雑誌「学園」に「休息」という詩を投稿して優秀賞を受け、高2だった1963年には韓国日報新春文芸で短編「壁の穴に」により佳作に入っています。
 彼が広く知られるようになったのは、1972年「朝鮮日報」に連載された「星たちの故郷」から。<小説100万部時代>を開いた人気作家となり、70年代青年文化の代表者となりました。
 以後今まで数多くの作品を出し続けたその旺盛な創作意欲は驚くばかりです。

 最近韓国では朴景利(パク・キョンニ.1926~2008)李清俊(イ・チョンジュン.1939~2008)朴婉緒(パク・ワンソ.1931~2011)といった著名な作家が相次いで亡くなりました。
 これらの作家と比べると、文学的な深みといった点では譲るかもしれませんが、多くの読者(や映画ファン)に愛されたということでいえば、崔仁浩が一番でしょう。

 映画ではなく、私ヌルボが読んだ彼の唯一の小説は「머저리 크럽(阿呆クラブ)」(2008)です。2009年の過去記事<崔仁浩の小説「阿呆クラブ」 懐かしく描かれた70年代の高校生群像>でその感想を書きました。1970年代の男子高校生の成長小説ですが、内容も文章も読みやすく、とくにヌルボ自身の(60年代の)高校時代とも重なるところが多くて親近感を覚えました。わずか1作だけで作家を論ずるのは軽率ですが、多くの韓国の読者の「彼の小説を読んで読書の楽しさを知った」という気持ちがわかるような気がします。
 報道によると、彼が唾液腺がんの宣告を受けたのが2008年5月。この明るく懐かしい作品はその前に書きあげたものでしょうか?

 その後、がん宣告の2ヵ月後に書き始められたという2011年刊行の長編小説「見慣れた他人の都市(낯익은 타인들의 도시)」は、80年代半ばから歴史物の大作を主に発表してきた彼の現代への回帰として注目され(→関連記事)、また今年3月に刊行した「人生(인생)」はカトリックの「ソウル週報」に連載した闘病生活の中でも思いをエッセイ風連作小説(?)としてまとめたもののようです。
 <'星の故郷'を探しに行った六十八の年作家>と題した「朝鮮日報」の追悼記事によると、彼は最後まで新しい本に書く序文を考えていたとか。作家自身が「환자가 아닌 작가로 죽겠다(患者ではなく作家として死ぬんだ)」という言葉通りの人生の終わり方でした。
 崔仁浩作家の冥福を祈ります。

          

     <小説家・崔仁浩の文学トンネ(町内)>というブログには、彼の訃報がいち早く載っていました。
    
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韓国のロングセラー 全分野・児童書まで

2013-08-23 23:03:18 | 韓国の小説・詩・エッセイ
 横浜市立図書館3Fにある新聞閲覧台では数日遅れの「朝鮮日報」を読むことができます。一昨日(21日)は17日の新聞。土曜なので読書を開くと10년이 지나도 펄떡이는 녀석들(10年経ってもピンピンしているヤツら)という見出しの大きな記事がありました。
 出版社30社を対象に、2003年までに発行された本の中で、刊行後10年以上続けて毎年1万部以上売れた本にはどんな本があるかを調査した記事です。
 その結果、当該の「10年1万部クラブ」に入った本は合計160。
 以下、その記事に載っている本を全部私ヌルボのコメントも交えて紹介します。

※「朝鮮日報」(韓国版)のサイト中のこの記事は→コチラです。 
※最初に、ちょっと気になったのが「ステディセラー(스테디셀러)」という言葉。日本ではふつう「ロングセラー(롱셀러)」ですが、韓国ではなぜかこの「스테디셀러」がよく出てきます。もしかして韓国製英語? 私ヌルボ、英語は苦手なもんでよくわかりませんが・・・。以下ではとりあえず「定番」としておきました。

     

 では、どんどんあげていきます。

 刊行年の古いものを見ると・・・。
・崔仁勲「広場(광장)」(1960年)・・・累計65万部が販売された。
・趙世熙「小人が打ち上げた小さなボール(난장이가 쏘아올린 작은 공)」(1978年)・・・この長いタイトルはふつう'난쏘공(ナンソゴン)'と略して呼ばれています。都市貧困層や工場労働者、撤去民の家族を描いた韓国初の小説で、文学史的にも社会史的にも重要な作品なのに日本語訳がなぜ刊行されていないのか? もしかして、「난장이(小人)」という言葉や、その「小人」の描き方が日本では障碍者差別に関わるということかな、と思ったりもするのですが、よくわかりません。
・李文烈「三国志(삼국지)」(1988年)・・・1800万部売れたとか。この数字は日本の尺度でみてもすごい。
・趙廷来「太白山脈(태백 산맥)」(1986年)・・・韓国の定番の小説には朴景利「土地」、黄暎「張吉山」等々長大な作品が多いです。これは原書・日本語訳とも全10巻。私ヌルボ、映画は観たんだけどな。
 歴史小説では、
・金薫「孤将(칼의 노래.刀の歌)」(2001年)・・・孤独な将軍とは李舜臣。蓮池薫さんの訳本が新潮文庫にあります。

 外国人作家の作品では、
・パウロ・コエーリョ「錬金術師(연금술사)」(2001年)・・・日本でも読まれていますが、韓国ではそれ以上。
・ハーパー・リー「アラバマ物語(앵무새 죽이기.オウムを殺すこと)」(2001年)・・・原題は「To Kill a Mockingbird」なのですが・・・。グレゴリー・ペック主演の映画は半世紀前か。しかしなぜ韓国でこれが読み継がれているのか?
・ベルナール・ウェルベル「木(나무)」(2003年)・・・「蟻」をはじめ、韓国ではなぜか大人気の作家。この作品は日本では未訳。
・アラン・ド・ボトン「小説 恋愛をめぐる24の省察(왜 나는 너를 사랑하는가)」(2002年)・・・これも韓国ではブームに。日本でも訳されてはいますが・・・。
・村上春樹「ノルウェイの森(喪失の時代.상실의 시대)」(1989年)・・・韓国でも根強い人気。

 詩集はごく少数。その中で最強の定番は、
・リュシファ「今知っていることをその時も知っていたなら(지금 알고 있는 걸 그때도 알았더라면)」(1998年)・・・詩集で累計123万部とは、日本では考えられないのでは・・・。彼の詩集は「君がそばにいても僕は君が恋しい」(訳:蓮池薫)等2冊が訳されていますが、これは未訳。この詩人の名前、柳(劉?)時和とでも書くのかと思ったら、本名はアン・チェチャンだそうです。
・金龍澤(キム・ヨンテク)「詩が私のところに来た(시가 내게로 왔다)」(2003年)・・・累計 60万部。副題に「金龍澤が愛する詩(김용택이 사랑하는 시)とあるように、彼自身の詩ではなく、徐廷柱・金洙暎・高銀等々の、彼の好きな詩を集めた本。実はヌルボも持っています。
・奇亨度(キ・ヒョンド)「口の中の黒い葉(입 속의 검은 잎)」(1989年)・・・累計26万部。90年代の若者たちのアイコンになってしまった夭折詩人キ・ヒョンド(1960~89)のただ1冊の詩集だそうです。(→コチラの記事参照。)

 文学以外の外国書です。
・リチャード•ドーキンス「利己的な遺伝子」(1993年)  
・ジャレド・ダイアモンド「銃・病原菌・鉄(총, 균, 쇠)」(1998年)
・・・これら2冊は日本でも話題になりました。
・スティーブン・R・コヴィー「7つの習慣―成功には原則があった!(」(1994年) 
・ケン・ブランチャード「シャチのシャムー、人づきあいを教える(칭찬은 고래도 춤추게 한다.賞賛はクジラも踊らせる)」(2003年)
・・・自己啓発本の分野は私ヌルボ、語る資格なし。この2冊、日本でも評価は高いようです。
・塩野七生「ローマ人の物語(로마인 이야기)」・・・韓国でも定番の本。

 人文関係の韓国人著作の定番。
・イ・ユンギ「ギリシア・ローマ神話」(2000年)
・チン・ジュングォン「美学オデッセイ」(1994)
・ユ・ホンジュン「私の文化遺産踏査記(나의 문화유산답사기)」(1993年)
・・・上掲の「小人が打ち上げた小さなボール」とともに、他の出版社社長が欲しがる本の1位に上がった本。最初の全羅南道編に始まったシリーズ7巻まで、韓国各地を踏査した後、今年7月には日本編として「1 九州」「2 奈良・飛鳥」の2冊も発行されました。
・オ・ジュソク「オ・ジュソクの韓国の美 特講(오주석의 한국의 미 특강)」(2003年)・・・あやうく「韓国の米」と訳すところでした。もちろん美術史の本です。

 最近20年ぶりに再刊された注目書。
・チョン・モンガク「ユンミの家(윤미네 집)」(2010年)・・・土木技術者として京釜高速道路を建設し、大学教授として弟子を育てた著者(1931~2006)は生涯カメラを離さなかったアマチュア写真家でもあった。その彼が、娘が生まれてから嫁に行くまでの26年間(1964~89年)の成長の記録を写真集として刊行したのが1990年。その時はわずか1000部の発行だったが、その評判は衰えることなく、近年20年ぶりに再刊された。家族の歴史だけでなく、その間の韓国社会の変貌も見て取れる。この本のことは私ヌルボ、知りませんでした。見てみたいです。

 <10年1万部クラブ>に入っている160冊の本の3分の1は子どもの本です。多くは日本でも翻訳されています。
 韓国の絵本では、
・権正生「こいぬのうんち」(1996年)・・・2011年に100万部を突破。この原書は韓国語の初級学習者の皆さんにもオススメ。
・チェ・スッキ「十二支の動物のいないいないばあ(열두 띠 동물 까꿍놀이)」(1998年)・・・「檀君 朝鮮半島の建国神話」が神谷丹路さんの訳で出ているだけです。
・クォン・ユンドク「マンヒのいえ(만희네 집)」(1995年)・・・日本でも1998年に刊行されましたが、今は品切(or絶版)。この絵本も私ヌルボのオススメです。

 日本の絵本の韓国語版がいかに多いかについては過去記事(→コチラ)でも書きました。
・多田ヒロシ「りんごがドスーン(커다란 커어다란 사과가 쿵!)」(1996年)

 欧米の作家の名作絵本の多くは日韓両国でも人気。
・ヴェルナー・ホルツヴァルト「うんちしたのはだれよ(누가 내 머리에 똥 쌌어)」(1993年)・・・「うんち」に子どもが興味を示すのは国や民族を問わず(?)のようですが、韓国はさらに一段上のような・・・。(→関連過去記事。)
・マイケル・ローゼン「きょうはみんなでクマがりだ(곰 사냥을 떠나자)」(1994年)
・アンソニー•ブラウン「ウィリーの絵(美術館に行ったウィリー.미술관에 간 윌리)」(2000年)
・アンソニー•ブラウン「おんぶはこりごり(돼지책.ブタの本)」(2001年)
・・・韓国題と日本題の差はどこにあるかと原題を見ると「PIGGY BOOK」。つまりPIGGY BACK(おんぶ)との掛け言葉になっている。
・ジョン・バーニンガム「いつもちこくのおとこのこ-ジョン・パトリック・ノーマン・マクへネシー(遅刻大将ジョン.지각대장 존)」(1996年)・・・日本語版は谷川俊太郎訳。韓国語ではこの長い名前をどう表記しているのか、ちょっと見てみたら「존 패트릭 노먼 맥헤너시」で、カタカナ書きより見やすいかも。
・フランツィスカ・ビアマン「本を食べる狐(책 먹는 여우)」(2001年)・・・日本未訳。

 子ども向きの読み物では、
・ファン・ソンミ「庭を出ためんどり(마당을 나온 암탉)」(2002年)・・・日本語訳あり。2011年に作られたアニメについては、本ブログでも記事にしました。(→コチラ。)
・ミヒャエル・エンデ「モモ(모모)(1999年)・・・原著は1973年発行。岩波から翻訳が出たのは1976年。他の多くの「定番」同様、韓国では20年余の年差があります。

     

 上のリスト(左)は教保文庫での定番の本(ステディセラー)の販売順位(今年1〜8月)です。
①ジャレド・ダイアモンド「銃・病原菌・鉄(총, 균, 쇠)」(1998年)
②「その男ゾルバ(그리스인 조르바.ギリシャ人ゾルバ)」(2000年)
・・・この小説の人気も日韓で大きな差があります。
③村上春樹「ノルウェイの森(喪失の時代.상실의 시대)」(1989年)
④パウロ・コエーリョ「錬金術師(연금술사)」(2001年)
⑤リチャード•ドーキンス「利己的な遺伝子」(1993年)
⑥リュシファ「今知っていることをその時も知っていたなら(지금 알고 있는 걸 그때도 알았더라면)」(1998年)
⑦ロバート・B・チャルディーニ「影響力の武器―なぜ、人は動かされるのか(説得の心理学. 설득의 심리학)」
・・・日本でも注目された本。
⑧趙世熙「小人が打ち上げた小さなボール(난장이가 쏘아올린 작은 공)」(1978年)
⑨チョン・ジェスン「科学コンサート(과학 콘서트)」(2003年)
・・・「第1楽章Vivace molto」から「第4楽章Poco a poco Allegro」の構成で、ソテジだのポロックだのいろんな例を出してヌルボもおなじみのマーフィーの法則等々をわかりやすく書いた科学の本のようです。
⑩金薫「孤将(刀の歌.칼의 노래)」(2001年)

 リスト(右)は子どもの本の定番の販売順位(今年1〜8月)です。
①E・B・ホワイト「シャーロットのおくりもの(샬롯의 거미줄.シャーロットのクモの糸)」(2000年)
②権正生「こいぬのうんち」(1996年)
③シェル・シルヴァスタイン「大きな木(아낌없이 주는 나무.惜しみなく与える木)」(2000年)
・・・韓国の書名はあまりに直接的なのでいかがなものかと思いますが、原書は「The giving tree」なのですね。知らなかった。
④マックス・ルケード「たいせつなきみ(너는 특별하단다.おまえは特別だと言う)」(2002年)・・・日本でも刊行されましたが、絶版(or品切れ)のようです。
⑤「小学生のためのタルムード111(초등 학생을 위한 탈무드 111가지)」(2002年)・・・韓国本。個人ではなく出版社編集部による本。
⑥ムン・ソニ「양파의 왕따일기(タマネギのいじめ日記)」(2001年)・・・書名の意味が気になって<YES24>で見てみたら、人気者の女の子ヤン・ミヒに群がる一派をヤン派(ヤンパ)=タマネギと言ってるんですね。女の子たちの人間関係の中でのいじめ問題を扱った作品、かな?
⑦ファン・ソンミ「庭を出ためんどり(마당을 나온 암탉)」(2002年)
⑧朴婉緒「自転車泥棒(자전거 도둑)」(1999年)
・・・副題が「朴婉緒童話集」。これは読んでみようかな。
⑨トリーナ・ポーラス「クローラーズ ぼくらの未来―花たちに希望を(꽃들에게 희망을)」(1999年)・・・さまざまな冒険を通して蝶々が成長していく物語。これも日本では現在絶版(or品切れ)のようです。
⑩モーリス・センダック「かいじゅうたちのいるところ(괴물들이 사는 나라.怪物たちが暮らす国)」(2002年)・・・神宮輝夫の訳本(冨山房)刊行は1975年。

※韓国での発行年は、現在刊行されているものなので、もしかしたら新版・改訂版が出る以前に発行された古い版がある本もある可能性があります。

 さて、以上いろんな本についてざっと見て、「日韓の違いは?」と見ると、そんなに大きな差はないように思います。とくに最近の世界的なベストセラーについては共通。
 文学関係では、たまに「韓国だけでなぜ人気?」とか、たぶんその逆もあって、そこらへんを探ってみるのもおもしろそうかも・・・。

 韓国での詩集人気は韓国ウォッチャーにはよく知られているところ。
 あと、韓国では「成功するための~」のような実利を求める生き方の本がけっこう読まれているのでは、というのがヌルボの見方。

 この記事の基本的な点で言えば、「10年以上、1万部以上」というハードルは、日本基準で見るとかなり低いのではないでしょうか?
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ネチズンが選んだ「韓国の代表作家」は詩人・高銀(コ・ウン)、「若手作家」は鄭裕静(チョン・ユジョン)

2013-07-28 23:46:01 | 韓国の小説・詩・エッセイ
 韓国の代表的なネット書店・YES24は、2004年から毎年ネチズンの投票によって<韓国の代表作家>と<韓国の若手作家>、そしてその年の<必読書>を選定しています。

 <代表作家>と<若手作家>部門は各24人の作家を、また<必読書>については<小説>部門と<詩・エッセイ>部門に分けて各24冊の候補が予め設定されていて、その中から「YES24」のサイト(→コチラ)を通じて投票をするという方式のものです。

 この催しについては、本ブログでも過去2009年8月と、2011年4月の記事で書きました。
 しかし、実施時期直後に記事にしたのは今回が初めてです。
 第10回の今年は7月8~26日が投票期間でした。全投票者数は42,631人。私ヌルボも22日22,006番目に投票しました。てへへ。

 その投票結果はすでに出ています。→コチラ
 <代表作家>は高銀(コ・ウン)、<若手作家>が鄭裕静(チョン・ユジョン)です。
 <必読書・小説>は金辰明(キム・ジンミョン)「高句麗」、<必読書・詩・エッセイ>はカン・セヒョン「私はただ少し遅いだけ」が1位でした。

 作家部門の上位得票数は次の通りです。翻訳書名及び簡単な説明をつけておきました。

<代表作家>
1位=高銀(コ・ウン)16.5%[12,788票]・・・・韓国では2002年ごろからノーベル文学賞候補として報道されている韓国の代表的詩人。「いま、君に詩が来たのか―高銀詩選集」。(→ウィキペディア)
2位=李文烈(イ・ムニョル)15.3%[11,897票]・・・・「我らの歪んだ英雄」は映画も評価が高い。80年代以来の代表作家というべき彼については、本ブログでも過去3回記事にしました。(→その1その2その3)。(→ウィキペディア)
3位=朴範信(パク・ボムシン)7.2%[5,619票]・・・・「掟」
4位=崔仁浩(チェ・イノ)7.2%[5,602票]・・・・「商道」(ドラマ化され日本でも放映)。 映画「鯨とり」「ディープ・ブルー・ナイト」等の名作映画の原作小説も書いている。(ともに未訳) 本ブログの関係過去記事は→コチラ。(→ウィキペディア)
5位=申庚林(シン・ギョンニム)6.8%[5,264票]・・・・第一詩集「農舞」(1973年)で注目されて以来創作を続ける民族詩人。「ラクダに乗って 申庚林詩選集」

<若手作家>
1位=鄭裕静(チョン・ユジョン)11.3%[8,358票]・・・・エンタメ系、といっていいかな?2011年のベストセラー「7年の夜」で一気にブレイク。最新作「28」も注目! 関連過去記事は→コチラ
2位=金愛爛(キム・エラン)13.5%[9,995票]・・・・今年の第37回李箱文学賞受賞者。同賞の最年少受賞者(といっても33歳ですが・・・。) 本ブログの関係記事は→コチラ「どきどき僕の人生」(今月の新刊書)
3位=チョン・ミョングァン11.3%[ 8,358票]・・・「高齢化家族」(未訳)は映画化され今年5月公開。続く「僕のおじさんブルース・リー」(未訳)の映画版も近いうちに公開されるようです。(愛読しているブログ「たまたま生活」の関連記事→コチラ。)
4位=キム・ビョラ6.9%[5,090票]・・・・「ミシル-新羅後宮秘録」はドラマ「善徳女王」でコ・ヒョンジョンが演じた敵役の女性を主人公にした官能歴史ロマン(!?)。
5位=チョン・キョンニン6.2%[4,552票]・・・・第31回(2007年)李箱文学賞受賞を受賞した女性作家。今50歳で作品も多いのに<若手作家>というのもねー・・・。

 さて、ここに名前があがった作家たちをみると、なんかバラバラという印象を受けてしまいます。小説家と詩人が混じり、小説家もずっと以前から活躍している大家から、最近のベストセラー作家、ジャンルも純文学からエンタメ系、YA文学等々。候補として用意されている各24人(後掲)のリストを見ると、とくにそんな傾向が強く感じられます。
 私ヌルボが考えるに、その理由の1つはこのYES24の催しのコンセプトと歴史の浅さにあります。
 ちなみに、第1回から現在まで1位に選ばれた作家は次の通りです。

     [代表作家]             [代表的若手作家]
第1回(2004)朴景利(パク・キョンニ)     金薫(キム・フン)
第2回(2005)趙廷来(チョ・チョンネ)     孔枝泳(コン・ジヨン)
第3回(2006)朴婉緒(パク・ワンソ)      申京淑(シン・ギョンスク)
第4回(2007)黄皙暎(ファン・ソギョン)     殷熙耕(ウン・ヒギョン)
第5回(2008)趙世煕(チョ・セヒ)        鄭梨賢(チョン・イヒョン)
第6回(2009)孔枝泳(コン・ジヨン)      朴賢(パク・ヒョヌク)
第7回(2010)李外秀(イ・ウェス)       金英夏(キム・ヨンハ)
第8回(2011)申京淑(シン・ギョンスク)    朴玟奎(パク・ミンギュ)
第9回(2012)金薫(キム・フン)         金衍洙(キム・ヨンス)
第10回(2013)高銀(コ・ウン)          鄭裕静(チョン・ユジョン)

 [代表作家]の候補リスト中には、1960年代「広場」等で注目された崔仁勲(チェ・インフン)、60~70年代の人気作家金承(キム・スンオク)、上述の80年代の代表作家李文烈(イ・ムニョル)等々文学史上のビッグネームもありますが、この投票では過去の業績だけではなく、今も現役作家として読者たちの関心を集めているという要素が大きいようです。その中で、この20年くらい本を出していない(と思われる)趙世煕が選ばれているのは、それだけ「小人が打ち上げた小さなボール」の影響力が大きく、今に及んでいるということでしょうか。2005年には200刷を越え、07年には累計100万部に達したとか。彼が選ばれた2008年には、この作品の「発刊30周年記念式」も開かれたそうだし・・・。(→「ハンギョレ」の関連記事。)

 過去のこの催しを少し細かく振り返ってみると、毎年候補者リストの名前が大きく変わることもないので、前年の2位(今回は3位)の作家が次の年の1位に繰り上がっていく、ということになります。
 したがって、来年の1位はやっと李文烈でほとんど間違いなし<若手作家>部門の来年の1位は今回2位の金愛爛か3位チョン・ミョングァンのどちらかですね。

 この選定結果、あるいは候補者リストが「バラバラな印象を受ける」2つ目の理由は、韓国ではエンタメ系の読書の歴史が浅いということ。
 朝鮮王朝時代と日本の統治時代は庶民の識字率は高くなく(特に女性)、読書が大衆文化の一分野として十分に発達したものとはなっていませんでした。(日本では明治後期の「金色夜叉」(1897)、「不如帰」(1898)あたりがベストセラーの初め。) 逆にいえば、読書は上流階級・知識人の趣味であり、作家や詩人は尊敬の対象でした。
 そんな韓国の読書文化が大きく変わってきたのも民主化以後の90年代以降ではないでしょうか? 読書を「楽しむ」人たちが増えたものの、国内でそれに応える作家は少なく、需要を満たすために日本をはじめ外国からミステリー、SF等々の作品が多数輸入されるようになり、それらは「ジャンル文学(장르문학)」と分類されるようになります。しかし私ヌルボの韓国人の知人の言によると、「韓国の読者はまだこのタイプの小説になれていない」とか。
 ※ずっと以前からの韓国の推理作家といえば金聖鐘(キム・ソンジョン)しか知らんしなー。日本推理作家協会が(前身はさておき)社団法人に改組し現名となったのが1963年。一方韓国推理作家協会の成立は1983年。やはりこの差は大きい。(→関連記事。)
 ※韓国の大衆小説については全然知りません。私ヌルボが無知なだけか?と思わないでもないですけど。ちなみに「韓国近現代文学事典」を見てみても、大衆小説とかベストセラーについては何も書かれていません。李光洙の「無情」なんてインテリ青年以外に読者がいたのだろうか?

 鄭裕静「7年の夜」についての書評をいくつかの韓国語サイトで見てみると、「純文学とジャンル文学の境界を破った」とか「ジャンル文学の色彩が強い」等々書かれているものの、YES24等々では「純文学」に分類されています。私ヌルボのみるところ、宮部みゆきのような感じ、かな? 要するに、日本ほど小説の種別の細分化が進んでいない、ということ。韓国でも、「純粋な」純文学関係の作家等からは「あんなジャンル文学っぽい作家とウチらを一緒くたにするな」との声も出ているそうですが・・・。まあ、李箱文学賞受賞の可能性はないと思いますが・・・。

 あー、しかし韓国小説の翻訳書が数多く刊行されるわけでもなく、私ヌルボが1年間に読破できる韓国書も2ケタにはとどかないし、それで韓国の文学状況を概観するなんてことは相当にムリがあるなー、ふー・・・。(溜め息)

 あ、投票した人の中から抽選でもらえるという電子書籍端末のCremaが当たらないかな!? 10万ウォンの商品券でもいいけど。希望すれば当たる可能性がある、趙廷来鄭裕静が来るという文学キャンプも参加希望を出しておくべきだったかもなー、とこれはいつもの後悔先に立たず。

★[代表作家]と[若手作家]各24人のリスト *印は詩人。
[代表作家]
金周栄(キム・ジュヨン)、崔仁勲(チェ・インフン)、孔善玉(コン・ソノク)、*鄭浩承(チョン・ホスン)、*黄東奎(ファン・ドンギュ)、朴範信(パク・ボムシン)、呉貞姫(オ・ジョンヒ)、崔仁浩(チェ・イノ)、韓勝源(ハン・スンウォン)、成碩済(ソン・ソクチェ)、申庚林(シン・ギョンニム)、*金龍澤(キムヨンテク)、*李晟馥(イ・ソンボク)、朴常隆(パク・サンニュン)、殷熙耕(ウン・ヒギョン)、*都鍾煥(ド・ジョンファン)、*金芝河(キム・ジハ)、李承雨(イ・スンウ)、李文烈(イ・ムニョル)、金承(キム・スンオク)、*咸敏復(ハム・ミンボク)、*高銀(コ・ウン)、*安度眩(アン・ドヒョン)、黄芝雨(ファン・ジウ)
[若手作家]
権汝宣(クォン・ヨソン)、ペ・ミョンフン、ペク・ヨンオク、李起昊(イ・ギホ)、尹成姬(ユン・ソンヒ)、キム・ギョンジュ、チョン・ウニョン、イ・ウンジュン、鄭裕静(チョン・ユジョン)、シム・ユンギョン、金宣祐(キム・ソヌ)、金愛爛(キム・エラン)、キム・ビョラ、金呂鈴(キム・リョリョン)、チョン・キョンニン、ハン・ユジュ、金重赫(キム・ジュンヒョク)、黄炳承(ファン・ビョンスン)、ペ・スア、チョン・ミョングァン、片恵英(ピョン・ヘヨン)、韓江(ハン・ガン)、趙京蘭(チョ・キョンナン)、河成蘭(ハ・ソンナン)
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やっとチョン・ユジョンの新作「28」に取りかかるゾ! 伝染病でパニック状態に陥った町が舞台

2013-07-19 20:04:13 | 韓国の小説・詩・エッセイ
 先月の韓国旅行の往路、6月17日のアシアナの機内で日頃読む機会の少ない「毎日経済」を読んでいたら、次のような記事が目にはいりました。

     

 “링위에 서는게 난 두렵지 않다(私はリングの上に立つのは恐くない)”という見出しはそれだけでは意味不明ですが、その上に<올 한국문학의 기대작 ‘28’출간한 정유정(今年韓国文学の期待作「28」を出刊したチョン・ユジョン)>とあるではないですか!

 チョン・ユジョンといえば、何ヵ月もかかって読んだ前作の「7년의 밤(7年の夜)」はすご~くおもしろかった! 私ヌルボ、この本については<2012年に読んだ「圧倒的!」な本5冊>と題した過去記事(→コチラ)で紹介しました。

         
  【「7年の夜」の表紙。約500ページ。読み通した自分をほめてやりたい、ウルウル・・・というより、内容に読み通させるだけの力があったということか。】

 ・・・というわけで「毎日経済」の記事を読んでみると、要するに彼女の「28」という新刊が出たとのこと。
 「夜遅くこの本を読み始めると、否応なく夜明けを迎えることになるだろう」というその内容はおよそ次のようなものとのことです。

 小説の主舞台はソウルと隣接する人口29万のファヤン市(華陽市)[←架空の町]。そこで正体不明の人畜共通伝染病が蔓延する。犬と人間の間で相互に伝染し、発症すると真っ赤な目になり全身から血を流して死んでしまう。都市は手に負えない混乱に陥る。政府と軍は感染した人間と犬を殺す。理性を失った都市は、マイナス18度の寒さにも「ファヤン(火陽)」という名前のように地獄になる。略奪・銃撃・強姦・殺人・放火・・・。互いに殺し合い、絶望して恐怖に震えて共倒れしていく。
 作者チョン・ユジョンは、5人の人物と1匹の犬の視点(!)を通してこの地獄図を描写する。その6つの声が出会って作り出す、生存に向けた渇望と熱い救いの物語だ。


 ・・・つまり、怖ろしい伝染病蔓延パニックの話なんですね。このジャンルではカミュの「ペスト」とかポーの「赤死病の仮面」、小松左京「復活の日」等いろいろありましたね。クライトン「アンドロメダ病原体」は未読ですが・・・。で、このチョン・ユジョンの新作はたぶんどれとも違う感じ、って当たり前か。

 この小説「28」について帰ってから調べてみたら、「東亜日報」(日本語版)にも紹介記事がありました。(→コチラ。)
 またなぜかリンクできませんが、「毎日経済」のサイト内検索をすると、この新聞記事を読むことができます。

さて、はからずもこの記事を読んだからにはぜひこの本を買って帰ろうと心に決め、帰途ロッテモール金浦空港店内の永豊文庫に行って小説のコーナーに行ってみたら無い! あきらめて別の本を買って行くとするかと思ってレジ方面に向かうと、なんとドカッと平積みにされているのが目に入りました。やれやれ。(あ、写真撮ってなかった・・・。)

 ところが、買っては来たものの、まだ読み終えていなかったハングル本(前書いたハン・ビヤの本)の方を優先したため1ヵ月近くそのままの状態だったのが、ようやくケリがついたので昨日から読み始めました。

          
  【帯には「“28日、生き残るため極限のドラマが繰り広げられる!” 読者と言論が選んだ今年韓国文学最高の期待作」とあります。】

 アラ、冒頭はいきなりアラスカだぞ。世界最長の犬ぞりレース<アイディタロッド>だって!? これがどう韓国での話につながっていくのかな?

 なんせこの本も「7年の夜」とほぼ同じ約500ページのボリュームなので、がんばっても2~3ヵ月はかかりそうです。
 「毎日経済」の記事によると、チョン・ユジョンは毎日1~2時間ボクシングで身体を鍛え(「リングの上云々はそういう意味)、また高麗人参等を食べて体力をつけたりしてあのパワーに満ちた文章を書いているそうです。
 前作同様、読む側にも体力が必要のようです。ふー、シンドイな。でも楽しみ!
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「親日派」小説、読まずに排斥すべからず!④ 金聖「緑旗聯盟」を読む(下)

2013-05-22 19:10:16 | 韓国の小説・詩・エッセイ
 5月16日の記事の続きです。

 軍人になるのをやめんと仕送りはしないぞ、という父の脅しを契機に、小松原保子に求婚の手紙を出した南明哲と、それを拒絶しながらも今ひとつはっきりしない保子。2人がもたもたしている間に、脇役的な存在の南明姫と小松原保雅が「できちゃった事実婚」でアパート生活。
 そして「緑旗聯盟」の前半「玄海を越ゆ」のラストは、陸軍士官学校を卒業して京城の聯隊に赴任すべく東京駅を発つ場面。保雅とともに見送りに来ていた保子が渡した封筒は、十円紙幣だけが入っていた「御餞別」だけで、手紙はナシ・・・。なんとも微妙な距離感です。

 さて、後半「亞細亞の民」の初めの部分は、明哲の長兄・明(めいよう.ミョンオプ)の懶惰な生活ぶりが描かれます。
 明の妻は富豪の娘。女専で当時ではまれな高い教育を受けた女性ですが、夫婦仲は険悪で、明は情婦の妓生(読みがなは「キーサン」)のところに入り浸っています。
 明が家に帰ると、「あなたの子どもよ」という赤子を負ぶった女が来ていて、300円を要求しますが、200円をやるということでケリをつけます。字が書けない女は拇印を捺します。

 ・・・このあたり、明がいかにもグータラでダメな男のようですが、読み進むと、そんな世を拗ねた生き方が彼のとり得る最もマシな選択なのかも、とも思えてきます。

 父親はいまだに頭に髷(まげ)を残したままの旧時代の人間で、時代の変化を全然理解していません。
 色服の奨励をはじめた総督府の悪口ばかりいっているとも・・・。
 彼の屋敷は桂洞町(現・桂洞←安国駅の北の方)にあり、「一つの大門と五つの中門」をくぐって入るような大邸宅で、使用人も大勢いるようです。
 そんな大富豪なので、長男・明も京城大学(略して城大)を出てもこれといった仕事にも就かずノンベンダラリと暮らせるのです。
 父は父で、明の3歳年下という「妓生あがり」の妾・蘭紅を同居させているのですから、明のことを厳しく叱れたものではありません。

 この明が、日本から戻った明哲、そしてその後1人で帰ってきた明洙と父親とのパイプ役になります。
 彼は、聯隊に明哲を訪ねます。その場面の抜粋です。ちょっと長いです。

 明哲は、兄の押しつけてくるような朝鮮語に、すこし当惑した顔をして、
 「兄さん、すみませんが一つ、内地語で話してくれませんか。」
と言った。
 明は、不思議な顔をして、
 「お前は、朝鮮語がわからないのか。」
 「ですが、ここは聯隊の中ですから。──」
 「聯隊のなかでは、朝鮮語を話してはいかんのか。」
 明哲は、兄の顔をちょっとみて、黙った。
 「お前の方で、朝鮮語を話すのが礼儀だと俺は思うんだが。──それに、俺はどうも、日本語はうまく話せんよ。」
 「・・・・・・・・」
 「しかし、お前ももう、朝鮮語はわからなくなってきたろうから、誰か通訳するものでも、そういって来ようじゃないか。」
 扉口の方をかえり見た。明哲はうつむきながら、「僕が朝鮮語で話しましょう。」と言った。
 「お前も朝鮮語を忘れるようになったのでは、そろそろ一人前にちかいよ。その上、内地人の妻君でも貰えば、もう立派なもんだ。」
 明哲はいく分反抗的に、そうしようと考えています、と言った。
 「そうしたがいい、そうしたがいい。」
 明は笑いながら、
 「そうしたら、今度は、名前もついでにかえるのだな。部下を指揮するのにも、その方が張合があるだろう。南明哲が指揮をするのでは、指揮される方が、かえってまごつくというもんだ。」


 ・・・朝鮮語や内鮮結婚に対するこの明の「言いぐさ」はいったいなんなのでしょうか? こうした皮肉まじりの「言いたい放題」を書くのは、作家としてどういう考え、どういう気持ちだったのか?

 明は明哲を家に連れて行って父に会わせますが、明哲は出て行けと一喝され、明は父から、伯父がこの件を親族会議にかけるという1ヵ月の間にやめさせろと命じられます。

 明は、明哲に自宅からの通勤を勧めます。その理由がまたふるっています。

 「やってみたらどうだ。こういう朝鮮家屋の中から、カーキ色の軍服がりゅうと出てくるのも、ちょっと異色のあるもんだぜ。」  
 明はにやりとした。
 「兄さんは、僕をからかっているのですか。」
 いや、真面目だよ。ただ、これは俺の調子だな。-そこでお前がりゅうと出てくれば、附近に立っていた朦朧曖昧のもの共が、まずびっくりするにちがいない。お前はそれに一瞥をもくれず、通りへ出てバスに乗り、車掌に内地語で切符を切ってもらう。背景はやがて、ゴミゴミした朝鮮街から、コマゴマした日本街になり、ビルディングのそびえている文化街へと目まぐるしく移動する。お前自身もいくらか呆然としているあいだに、聯隊へつくだろう。そこで、お前は自分の職責に目覚め、抜剣して、部下に号令をかける。」
 「夕方、勤務が終れば、今度はその反対ですね。」
 「そうだよ。この目覚ましい両極端へ、お前は毎日二回ずつ飛躍する光栄をもつことができるのだ。」
 明は真剣な顔をし、身ぶりを入れながら、
 「お前が起きて聯隊へ行くまでのあいだ、お前の内部において、相闘い豹変する人格の数は、おそらく十を下らないだろう。」


 ・・・この、「内部において、相闘い豹変する人格の数は、おそらく十を下らないだろう」というのは、もしかして作家自身のことかもしれません。

 一方、東京の明姫は男児を産み、保雅の父が結婚を認めたことを、明哲は明洙から知らされます。京城に返った明洙から明哲が聞いた話では、入籍に至った3つの原因は①保彦の帰国②保雅の社内でのうわさ。当初不審に思われたが、保雅のアパートを同僚たちが訪問して明姫への評価が変わった。「ちっとも変わらないよ」、ピアノが上手い、和服がよく似合う、内地語がうまい、きれい等々。
 ・・・このあたりも、文字にこそなっていないものの、批判の意がこめられています。

 帰郷した明洙は、明を本町(現・明洞)の喫茶店ルネッサンスに誘います。明は朝鮮服の少女の給仕にレモンティを注文します。そして明姫のことを打ち明けます。
 ところがおかしなことに、この喫茶店内で常連らしい小説家が自作を声をあげて朗読するのです。その内容は・・・。以下抜粋。

 それは、小説というよりも決闘状に近かった。あらゆる日本的なものへ対する断乎とした否定で、作中に現れる内地人はことごとくが悪者であり、その反対に半島人は、泥棒でさえが善人であった。・・・・(半島人の男と美人の日本人女性の恋愛は、彼女の自殺で終わる。) 
 作者はなお、この一作は激烈な思想性ゆえに、発表は許されないが、もとより自分は衆愚を相手とせず、これを理解するわずかの良友があれば、それだけで充分、こと足りると説明して結んだ。
 そして、小説家は着席した。


 ・・・いやー、これはなんだ!? 「この一作は激烈な思想性ゆえに、発表は許されないが、もとより自分は衆愚を相手とせず、これを理解するわずかの良友があれば、それだけで充分、こと足りる」という「小説」を、こんな形で小説に盛り込んでしまうとは!

 この「小説」を引き合いに、明洙は明姫のことを明に話します。
 しかしその後明は動かず、明洙もまた明哲のことで頑なになっている父に明姫の話を切り出せないまま時が過ぎます。

 軍人をやめない明哲のことで、伯父の家で親族会議が開かれます。会議は、明にいい案がなければ明哲は南家と絶縁ということに内定していました。
 そこで明は、明哲を結婚させることを提案。「一時も早く純朝鮮式な家庭のなかに生活させることです」と。
 (伯父)「それならば、嫁はなるべく学問のない女がよいのう。」  
 (明)「全然、無学な女でなければなりません。」

 伯父は、嫁の人選を(開明的な)明倫町の叔父に委ねます。伯父は「容貌だけは綺麗でなければならぬ」と笑いながらつけ加えます。

 明哲は、最初から断るつもりで明倫町の叔父が探した18歳になる娘の家を母と訪ねます。貧しい家の娘ですが・・・。以下はそのまま引用。
 明哲は娘が入ってきた刹那に、閃光のごとく、自分がいままで忘れていた一つのことを思い出した。それは、朝鮮の女の美しさに対する新しい発見であった。しかし、これだけの女が文盲であり無智であるということを、どうして想像することができ得よう。・・・ ・・・はっきりした結婚の確約を得ようとする娘の父に、明哲は「ただ、周囲の事情に強いられて、見合に来ただけなんです」と断ります。
 その帰途、電車内で男に声をかけられた明哲が次の停留所のパコタ公園前で下車すると、公園内でさらに二人の男が現れます。民族主義者たちで、「制裁だ」と言って明哲を殴る蹴る・・・。反撃に出た明哲が見ると、彼らのうち一人は娘の兄でした。
 明哲が見合いで相手を拒絶したことを父は当然と受けとめ、伯父にも謝らず、絶縁を言い渡されます。

 秋深くなって、サーカスが見たいから案内しろと父に言われた明に代わって、明洙が父と妾の蘭紅を連れて行った先は鍾路2丁目の映画館・朝鮮劇場。父はアメリカ映画よりも、戦線からのニュース映画に興味を示します。明洙は京城への空爆のおそれを語り、献金を勧めます。その後、明洙は父と共に本町の内地系の常設館へも案内します。明洙は、明哲もあの強い日本兵のように勇名を轟かし、南家の名誉を天下に馳せるでしょうと・・・。
 数日後、父の献金の記事が新聞に写真つきで掲載されます。ところが四五日後に伯父の献金の記事が。献金高は父より五十円多い。

 先の親族会議の数日前に盧橋溝事件が起こり、会議の場でも話題になっていました。
 そして中国での事態が広がる中、明哲が家にやってきて告げます。「動員令だよ。・・・明晩発つんだ。──」
 兄弟三人で送別会を開きます。妓生たちは長鼓の伴奏で古の歌謡を歌います。明哲は軍服のままです。
 翌日夜、京城駅からの軍用列車で明哲は出征します。見送る白衣の一団は南家の人々です。
 明が音頭をとって「南明哲君万歳」と声高々に三唱します。
 「皆の眼に涙が輝いた。」

 ・・・と、これがこの小説の最後の場面。
 結局、明哲と保子の間はペンディングのままです。また父は明姫の結婚と出産も知らないままです。

 総括。この「緑旗聯盟」で書かれていることは、
①日本人と韓国人の結婚や就職の際にみられる差別。
②日本語や日本風の名前の強制に対する疑問。
③そして、少しではありますが、朝鮮人による日本に対する抵抗。
④また、朝鮮人の旧態依然のようすに対する作家のはがゆさのようなものも感じられます。
⑤思想等と直接は関係なさそうですが、東京や京城の街の景物。特に飲食店関係。
⑥書かれなかったことで重要なことは、主人公の明哲がどういう意図で早稲田ではなく陸軍士官学校に入ったのか? ということ。彼が大日本帝国に忠誠を尽くすというような言葉や行為も全然書かれていません。

 日本のいわゆる「転向」についても、いろんな類型があったことが論じられています。今、非転向の宮本顕治の方が、転向した中野重治より上だなんてトンチンカンなことを言う人は少ないのではないでしょうか?
 ※転向論についての詳しい記事→コチラ
 共産主義者についても、表面だけ赤いリンゴ、中まで赤いトマト、中だけ赤いスイカといろいろあります。
 作者金聖がどこまで「親日」作家と言えるのか、この小説が「親日」小説として否定されるべきなのか、韓国の人たちには「もっときちんと読んでください」と言いたいです。そこに当時生きた韓国人作家の苦悩と苦心が込められている可能性は十分にあるのですから・・・。
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「親日派」小説、読まずに排斥すべからず!③ 金聖「緑旗聯盟」を読む(中)

2013-05-16 17:18:57 | 韓国の小説・詩・エッセイ
 前の記事では、金聖「緑旗聯盟」について外ワク部分だけ紹介しました。
 今回は、この小説の核心部分をとりあげます。

 早稲田に行くと言って、実は陸軍士官学校に通っていたことが京城の父にばれ、仕送り停止のピンチに陥った主人公の朝鮮人青年南明哲(なんめいてつ)。弟明洙の助言を容れ、親友小松原保重の妹保子に手紙で求婚するも、拒絶の返信。
 保子も彼に好意はあるが、体面を重んずる父の反対を押し切ってまで結婚する気持ちはない、とのことでした。

 兄の明哲の力になろうと、妹明姫は銀座資生堂で保子と会います。すぐ上の兄明洙も一緒です。
 (以下、現代表記に直しました。)

 (明洙)「兄はよく、士官学校の中においての南明哲の存在価値と、一般社会においてのそれとを、混同することがあるのです。」  
 (保子)「わたしは、南さんがそれを混同なさっても、少しもいけないことはないのだと思いますわ。」
 (明洙)「いけないことは、もちろんないでしょう。要は、世間がそれを通してくれるかくれないかにあるのです。」


 ・・・士官学校内では南明哲の能力・人物は高く評価されても、一般社会での朝鮮人の偏見が歴然としてある、というのが明洙の言葉の意味するところでしょう。
 それに対し、保子は、自分が一般社会でも認められると明哲が思っても決して間違ってはいない、と彼を擁護しています。
 このように「もってまわった表現」をしているのは、朝鮮人差別のことを具体的に書くのは差し障りがあるからでしょうね、きっと。

 この後、物語はあれよあれよの急転回&急展開。
 翌々日、明姫は保子に会おうと電話するが、受話器を取ったのは保雅(保子&保重の兄)。明姫が小松原宅を訪れると保子は帰宅してなくて、保雅と応接室、そして保子の部屋で歓談したりピアノを弾いたり・・・。ところが帰り際に手を握られ、さらに・・・。
 「今日の思いがけない仕打ちに対しても、屈辱を感ずるより愛情を感じた。けれども・・・情けないほどに、自分の軽率な情熱が悔いられてくるのである。」
 ・・・アカラサマな描写はありませんが、つまり、保雅がけしからんことに<不始末>を仕出かしてしまうんですよ。(<不始末>は、今は死語? ベンリな言葉だなー。(笑))

 その1週間近く後、明姫は保雅から情熱のこもった求婚の手紙を受け取ります。明姫はきらいではないと答えつつも、環境の相違等を理由に結婚は拒絶します。次に来た保雅の手紙は開封せず返送してしまいます。
 保雅は、父に傲然と眉をあげて「僕は、とにかく明姫と結婚しようと考えています。」と宣言します。その場面を保子は偶然見てしまいます。
 (父)「朝鮮総督府の柴田さんが、いつかわしに、内鮮結婚をすすめてくれたことがあったが、もし、いまのわしの立場に、自分が立たされたらどんなもんだろう。」

 そしてなんと、その1度のアヤマチで明姫は妊娠してしまいます。それを察した明洙は、相手が保雅であることを妹に確認し、保雅を新宿の高野に呼んで明姫と一緒に会い、妊娠の事実を打ち明けます。帰宅した保雅は父と口論の末家を出て明姫の家へ転がり込みます。2人は明洙の勧めで箱根温泉に旅立ちます。
 旅行から戻った2人は、明洙が探しておいたアパートで新生活を始めます。しかし父の手が回っていて保雅は就職できない状態。明姫も苦心の職探しの末、やっと銀座の洋品店から面接の通知が・・・。
 ここからが今回の記事のキモです。

 その洋品店の「見るからに物柔らかそうな」マダムが、いろいろ話を聞いた後で言うことには・・・、
 (マダム)「もし、わたくしの店で働いていただくのでしたら、お名前をかえてみてはいかがでしょう。」  
 (明姫)「どういふ風にでございましょうか。──」
 (マダム)「たとえば、みなみさんと、呼ぶやうにいたしましても、──」
 明姫のすこし当惑している顔に、マダムは気づかいながら笑って、
 (マダム)「これはただ、ちょっとわたくしの意見を申しあげただけですのよ。お客様のあいだでお名前を呼ぶときでも、南(なん)さんというよりは、みなみさんと呼んだ方が親しみがあるでしょうから。」
 (明姫)「そうですわね。──では何分よろしく。」


 ・・・と、姫は受け容れますが、しかし「それは、よろこばしいことにちがいはなかったけれども、何故か、明姫は気が晴れなかった」のです。

 帰る途中でも、明姫はマダムの言葉が気に懸っています。物語の最初の方で、明姫は日本語で手紙を書く時には「明姫」でなく「明子」と書いて「気取ってみせる」のが「いつものくせ」なのですが・・・。
 以下、長文をそのまま引用します。

 明姫は自分の姓名をかえるということについては、みずから進んで日常自分がしているように、一つの便宜のためであろうて考えていた。もし、それがそうでないとするならば、──何であろう。  
 名状し難い混乱のなかにたたずんで、明姫は自分の立場の空虚さをはじめて知った。幾通りもの履歴書を送っても、送り返されてきた理由が、いま初めて首肯されるのである。それでは、あのマダムのやさしい微笑には皮肉の色が、親切な眼の色には、冷たさが含まれていたのであろうか。真心こめて、自分が慕っている東京! 母親のような愛情をもっていたわられていると信じていた東京! それらのものと自分とのあいだに相隔たっているすべてのものを明姫はにわかに了解した。それらの愛情のなかにある庇護には、やはりまた同じく軽蔑があったのであろう。──
 明姫は蒼ざめたまま、数寄屋橋を渡り、日比谷公園へ入っていった。池の畔のベンチに手をついて、ぼんやりと、いつまでも物思いに沈んでいた。


 ・・・この部分、正面切って「創氏改名」を批判した文言ではありませんが、日本風の姓名への変更に対する、相当に強い批判と言えるのではないでしょうか?
 私ヌルボが当時の特高だったら、「もし、それがそう(便宜のため)でないとするならば、──何であろう」の「何であろう」とはいったい何のつもりなんだ!? ・・・と厳しく追及したかもしれません。
 前の記事で書いたタイトルの「緑旗聯盟」、主人公を陸軍士官学校の生徒に設定していること等はいかにも「親日」小説ですが、このあたりを読むと単純にレッテルを貼って終わりとするのは早計に過ぎるというものです。

 さてこのように、明哲と保子の関係が停滞している間に、明姫と保雅はあれよあれよの出来ちゃった事実婚にまで進んでしまいました。。
 そうこうする間に、明哲は陸士を卒業して京城の聯隊へと発ちます。

 ここまでが本作品の前半「玄海を越ゆ」です。
 しかし、難題を抱えた南家と小松原家はこの後彼らにどう対応するのかな? ・・・という所で、後半の「亞細亞の民」へ。そして舞台は京城に変わります。
 後半にも、「親日」小説としてオドロキの場面があります。
 続きはやっと完結編。

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