不適切な表現に該当する恐れがある内容を一部非表示にしています

ヌルボ・イルボ    韓国文化の海へ

①韓国文学②韓国漫画③韓国のメディア観察④韓国語いろいろ⑤韓国映画⑥韓国の歴史・社会⑦韓国・朝鮮関係の本⑧韓国旅行の記録

できるだけ短く書きます! 新しいカテゴリー《ヌルボの意見・主張・寸感》

2024-03-04 13:20:47 | 韓国の小説・詩・エッセイ
 また1ヵ月以上のブランクが生じてしまいました。
 理由はいくつかありますが健康面の問題はありません。
 今後はちょっとしたネタでも投稿しようと思い《ヌルボの意見・主張・寸感》という新しいカテゴリーを設けました。これまで実は自分でも記事が長すぎると思っていましたが、とくに寸感の場合は200字以内に止めます。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

韓国内の映画の興行成績 [7月28日(金)~7月30日(日)] ►「密輸」に続いて「ザ・ムーン」が公式公開前に10位にランクイン ►<サメのかぞく体操>って知ってますか?

2023-08-10 17:04:25 | 韓国の小説・詩・エッセイ
※日付要確認! 前週(or前々週?)末のデータです!

▶このところずっと記事が遅れ気味だったのがさらに遅れてしまいました。いくつもあった理由の1つがあの8月5日(土)夜遅く発生した藤沢→大船間の電車事故。ハングルサークルの仲間と授業後の二次会(ジツはメイン)で大船で遅くまで飲んでそのあと駅に行ったら、藤沢→大船間で未だに原因等がよく分からない??事故のため復旧の見通しも立たない中、駅構内のベンチ等で待機してると、3時頃京浜東北線の下りが到着。それがそのまま折り返して上りの最終電車(!)となるとのことで即乗り込み、横浜の自宅に4時頃たどり着きました。やれやれ、しんどかったな。しかし大船のタクシー乗り場で明け方まで7時間くらい並んで待ち続けた人たちはもっと大変だったみたいですね。で、皆さんこの件どれほどご存知でしたか? 6日(日)のニュースでそれなりに報じられてはいたけど関東以外ではそんなニュースバリューはないか? 沖縄→九州の台風の方が言うまでもなく大ごとだからねー。それとても、被災者の人たちにしてみれば「なんで自分たちだけがこんな災難に遭わなければならないんだ!?」という割り切れない思いを抱いているんだろうな・・・。(ということに想像が及んだのも大船駅構内のしんどい一夜ゆえでありました。)
     
 【プラットフォームの真ん中で2人重なっているように寝てる男女もいた】

▶今回初登場の作品中注目は「ザ・ムーン」。今夏公開(予定を含む)の韓国ブロックバスターの第2弾です。2029年に打ち上げられた韓国の月探査船ウリ号が太陽の黒点爆発による太陽風に襲われ、ファン・ソヌ隊員(ド・ギョンス)だけが1人月面に残され、月面に一歩を踏み出したものの、四方から落ちる流星雨を避けて月面車に乗って悪戦苦闘を続けます。実は5年前にも韓国初の宇宙船ナラ号が飛び立ったものの皆が見守っている中で空中爆発。その責任を取って現場から退いてていた前センター長キム・ジェグク(ソル・ギョング)がソヌ隊員を生還させるため救助チームに合流します。・・・というストーリー。
 「国家代表!?」「神と共に(第一章・第二章)」等の大ヒット作を手掛けたキム・ヨンファ監督が280億ウォンもの制作費を投じた作品とのことですが、皆さんは上記のあらすじを読んだ感想はいかがですか? 私ヌルボ、これでは最初から大きなマイナスを背負いこんでいるようで、その後どんなに挽回してもプラスにはならない。つまり観客が「良かったね!」と感動に満たされて帰途につけないのでは?と思うのですが・・・。愛用しているナムウィキ(namu.wiki)の記事を見ると、「SFの部分は青年層を、新派(お涙頂戴)の部分は中高年層を狙ったが、結果は青年層は新派に拒否感を感じ、中高年層はSFに拒否感を感じてしまって、観客層をきちんと捉えきれなかった」と厳しく分析しています。

▶韓国アニメ「ピンクフォン シネマ コンサート3:ジンジャーブレッドマンを捕まえろ」について長々と書いてしまいました。そもそも私ヌルボ、ピンクフォン(Pinkfong)等のブランドをYouTube、映画、アニメ、公演、ゲーム等々の形態で世界に送り出している<ザ・ピンクフォンカンパニー>[日本では<ピンキッツ>]という韓国の企業を私ヌルボはぜ~んぜん知りませんでした。そのブランドでは<ピンクフォンベビーサメ体操>が2022年全世界のYouTube視聴数中1位の131億ビューを記録する等広く世界で親しまれています。このような実績からザ・ピンクフォンカンパニーは2022年米タイム誌の<世界で最も影響力のある100大企業>に選定されたとのことです。
 ※日本版<サメのかぞく体操>の動画(YouTube)は→コチラ。フーム、近頃の幼児たちはこういう節と歌詞が憶えにくくてお遊戯(!)も難しそうな歌でも自然に歌えるのかのう・・・。

   ★★★ 韓国内の映画 週末の興行成績 7月28日(金)~7月30日(日)★★★

       「密輸」他を圧倒して1位、後を追って「ザ・ムーン」が公式公開を前に10位に入る       

【全体】
順位・・・・題名・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・公開日・・週末観客動員数・・累計観客動員数・・・・累積収入・・・上映館数
1(9)・・密輸(韓)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・7/26・・・・・1,176,143 ・・・・・1,724,919・・・・・16,673・・・・・・1,877
2(2)・・マイ・エレメント(米)・・・・・・・・6/14・・・・・・・364,214・・・・・・5,672,722・・・・・55,897・・・・・・1,039
3(1)・・ミッション:インポッシブル・・7/12 ・・・・・・309,323・・・・・・3,531,863・・・・・35,666・・・・・・・・916
      ムーン/デッドレコニング PART ONE(米)
4(3)・・名探偵コナン・・・・・・・・・・・・・・・7/20 ・・・・・・・89,417・・・・・・・・580,217 ・・・・・・5,516・・・・・・・・633
       黒鉄の魚影[サブマリン](日)
5(4)・・バービー(米) ・・・・・・・・・・・・・・・7/19 ・・・・・・・81,133 ・・・・・・・432,327 ・・・・・・4,180・・・・・・・・555
6(5)・・インシディアス:赤い扉(米)・・7/19 ・・・・・・・46,844 ・・・・・・・358,466 ・・・・・・3,638・・・・・・・・499
7(6)・・劇場版スーパーウィングス ・・・7/20・・・・・・・・23,905 ・・・・・・・・95,297 ・・・・・・・・858・・・・・・・・308
       :マキシマムスピード(・中・米)
8(51)・・ピンクフォン シネマ コンサート3・・7/26・・16,435 ・・・・・・・24,222・・・・・・・・・210・・・・・・・・128
       :ジンジャーブレッドマンを捕まえろ(韓)
9(7)・・君の結婚式(中)・・・・・・・・2021/8/25・・・・・・・・・14,948 ・・・・・・360,673 ・・・・・・3,546・・・・・・・・153
10(新)・・ザ・ムーン(韓)・・・・・・・・・・・・・8/02・・・・・・・・・14,356・・・・・・・・20,926 ・・・・・・・・228・・・・・・・・・34
  ※KOFIC(韓国映画振興委員会)による。順位の( )は前週の順位。累積収入の単位は100万ウォン

 いえね、「密輸」は8月1日に200万人を超えたんですけどね。
 で、新登場は8・10位の韓国映画2作品です。
 8位「ピンクフォン シネマ コンサート3:ジンジャーブレッドマンを捕まえろ」は韓国のアニメ。
 冒頭でも書いたように、ピンクフォン(Pinkfong)はザ・ピンクフォンカンパニーの代表ブランドで、現在25カ国語、6千以上の童謡や動画コンテンツとして制作され、世界中で愛されているとのことです。現在はIPをベースにYouTube、映画、アニメ、公演、ゲーム等々の多領域にわたって全方位的に拡張しています。
 ザ・ピンクフォンカンパニーは日本ではピンキッツの名で展開されています。 そして、本作の予告編は→コチラ。原題は「핑크퐁 시네마 콘서트3 : 진저브레드맨을 잡아라」です。
 10位「ザ・ムーン」は韓国のSFアクション(+バニック)。
 2029年、大韓民国の月探査船ウリ号が月に向けた旅に出ます。偉大な挑戦に全世界が注目していますが、太陽の黒点爆発による太陽風がウリ号を襲い、ファン・ソヌ隊員(ド・ギョンス)だけが1人月面に残されます。ソヌは月面に着陸し一歩を踏み出したもののその感激はすぐに終わり、四方から落ちる流星雨を避けて月面車に乗って全力疾走しています。韓国の宇宙船が月に向かったのは今回が初めてではありません。5年前遠大な夢を抱いてナラ号が飛び立ちましたが、皆が期待と共に見守っている中そのナラ号は空中爆発で粉々になってしまいました。再び起こった今回の悲劇で唯一の生存者ソヌを守るため、宇宙センターの関係者と政府は総力を尽くし、国民は彼の生還を願っています。そして5年前事故の責任を取って山に籠っていた前センター長キム・ジェグク(ソル・ギョング)が再び合流しますが、彼の力だけでは力不足で、NASA有人月軌道船メインディレクターのユン・ムニョン(キム・ヒエ)に助けを求めますが、それも容易ではありません。ジェグクはまた犠牲者を出さないために最後に自分のすべてをかけてみますが…。原題は「더 문」です。
 ※→メイン予告編を見ると、たしかに巨額の制作費をかけたことは推察されます。

【独立・芸術映画】
順位 ・・・・・題名・・・・・・・・・・・・・・・・・・・公開日・・週末観客動員数・・累計観客動員数・・・累積収入・・・・上映館数
1(18)・・ピンクフォン シネマ コンサート3・・7/26・・16,435・・・・・・・・24,222 ・・・・・・・210・・・・・・・・128
       :ジンジャーブレッドマンを捕まえろ(韓)
2(1)・・君の結婚式(中) ・・・・・・・2021/8/25・・・・・・・・14,948・・・・・・・・360,673 ・・・・・3,546・・・・・・・・153
3(2)・・モリコーネ ・・・・・・・・・・・・・・・・・7/05・・・・・・・・・3,664・・・・・・・・・32,063・・・・・・・・303・・・・・・・・・35
       映画が恋した音楽家(伊)
4(15)・・ビニールハウス(韓) ・・・・・・・・7/26・・・・・・・・・2,736 ・・・・・・・・・・5,893・・・・・・・・・49・・・・・・・・・70
5(3)・・ボー・イズ・アフレイド(米)・・・・7/05・・・・・・・・・1,581 ・・・・・・・・・65,406・・・・・・・・651 ・・・・・・・・28

 1・4位の2作品が新登場です。
 1位「ピンクフォン シネマ コンサート3:ジンジャーブレッドマンを捕まえろ」については上述しました。
 4位「ビニールハウス」は韓国の犯罪&スリラー。
 ムンジョン(キム・ソヒョン)は離婚をした後ビニールハウスで1人で暮らしています。彼女には中学生の一人息子がいるのですが、ビニールハウスでは一緒に暮らせないため、お金を貯めてきちんとした家を借りようと考え、自宅訪問介護の仕事をすることになります。認知症の高齢の女性ファオク(シン・ヨンスク)の介護中に突然事故が起こり、結局ファオクは死んでしまいます。衝撃的な状況下、ムンジョンは病院に連絡しようとしますが、まさにその時電話が鳴ります。ファオクの夫テガン(ヤン・ジェソン)からでした。テガンはムンジョンの雇用主で彼女を信頼しています。そして視覚障碍者です。ということは、妻の死体を前にしても何も分からない・・・、と思ったムンジョンはある決断をします…。原題は「비닐하우스」です。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

韓国内の映画の興行成績 [7月14日(金)~7月16日(日)] ►韓国でも「ミッション:インポッシブル/デッドレコニング PART ONE」の勢いがスゴイ! ►ハンガリーのアニメ「ピノキオ」ねー・・・

2023-07-25 00:46:29 | 韓国の小説・詩・エッセイ
※日付要確認! 1週前の週末のデータです!

▶今回の記事の初登場作品は、日本映画(「名探偵コナン 黒鉄の魚影[サブマリン]」を除けば、韓国のドラマ「チョ.デッ.ク」と、ハンガリーアニメの「劇場版ピノキオ 偉大な冒険」の2作品だけ。「チョ.デッ.ク」とはSNS関係の略語なんですが、詳しく知りたい方は下の記事を読んで下さい。
 「劇場版ピノキオ 偉大な冒険」は日頃なじみのないハンガリーのアニメだけに「どんなものかな?」と期待しつつ→予告編をちょっと見てみると、このピノキオ君、まばたき(!)なんかして最初から十分人間っぽく見えるんだけどなー・・・。ストーリー(下の記事参照)もいかにも現代風だし、ちょっと肩透かしを食らった感じ。
 下にディズニーのアニメ「ピノキオ」(1940)、ダークファンタジーの名作「パンス・ラビリンス」等々で知られるメキシコの監督が自身の名を冠した「ギレルモ・デル・トロのピノッキオ」と、このハンガリーのピノキオの画像を左から並べてみました。
   
 
 (ん? 2014年の韓国ドラマで「ピノキオ」というのがあったんだって!?)

   ★★★ 韓国内の映画 週末の興行成績 7月14日(金)~7月16日(日)★★★

        「ミッション:インポッシブル/デッドレコニング PART ONE」の勢いがスゴイ! 公開2週目で1位

【全体】
順位・・・・題名・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・公開日・・週末観客動員数・・累計観客動員数・・・累積収入・・・・上映館数
1(3)・・ミッション:インポッシブル・・7/12 ・・・1,208,816・・・・・・1,768,075・・・・・・18,077・・・・・・2,406
       /デッドレコニング PART ONE(米)
2(1)・・マイ・エレメント(米) ・・・・・・6/14・・・・・・・612,500・・・・・・4,284,976 ・・・・・42,430・・・・・・1,286
3(6)・・君の結婚式(中)・・・・・・2021/8/25・・・・・・・・52,905 ・・・・・・・253,258・・・・・・・2,487・・・・・・・・244
4(2)・・犯罪都市3(韓) ・・・・・・・・・・・・5/31・・・・・・・・47,035 ・・・・10,639,384 ・・・・104,327・・・・・・・・665
5(5)・・スパイダーマン:アクロス・・・6/21 ・・・・・・・31,108・・・・・・・・873,911・・・・・・・9,028・・・・・・・・236
       ・ザ・スパイダーバース(米)
6(9)・・映画ドラえもん ・・・・・・・・・・・7/08・・・・・・・・20,245・・・・・・・・・62,072・・・・・・・・・557・・・・・・・・249
       のび太と空の理想郷(日)
7(4)・・インディ・ジョーンズと ・・・・6/28・・・・・・・・19,384・・・・・・・・849,615・・・・・・・8,404・・・・・・・・357
       運命のダイヤル(米)
8(34)・・劇場版ピノキオ 偉大な冒険(ハンガリー)・・7/13・・7,947 ・・・・・・11,070 ・・・・・・・・・・96・・・・・・・・208
9(10)・・ボー・イズ・アフレイド(米)・・7/05 ・・・・・・・・7,610・・・・・・・・・53,884・・・・・・・・・539・・・・・・・・・97
10(新)・・名探偵コナン・・・・・・・・・・・・・7/20 ・・・・・・・・4,653・・・・・・・・・・4,653・ ・・・・・・・・・57・・・・・・・・・17
       黒鉄の魚影[サブマリン](日)
  ※KOFIC(韓国映画振興委員会)による。順位の( )は前週の順位。累積収入の単位は100万ウォン

 8・10位の2作品が今回の新登場です。
 8位「劇場版ピノキオ 偉大な冒険」はハンガリーのアニメ。孤独に暮らしていたゼペット爺さんが男の子の姿の木の人形を作り、ピノキオという名前をつけて一緒に暮らします。そんなある日、世界を見たいピノキオは偶然の機会にサーカス団と共に公演をするようになり、そこでベラという女の子に会って好きになります。しかし自分は本当の人間ではないのでベラの気を引くことはできないだろうと思い、本当の人間になるために偉大な冒険に旅立ちます・・・。韓国題は「극장판 피노키오 위대한 모험」です。
 10位「名探偵コナン 黒鉄の魚影[サブマリン]」は日本では今年3月公開。韓国題は「명탐정코난: 흑철의 어영」です。

【独立・芸術映画】
順位 ・・・・・題名・・・・・・・・・・・・・・・・・・・公開日・・週末観客動員数・・累計観客動員数・・・累積収入・・・・上映館数
1(1)・・君の結婚式(中) ・・・・・・・2021/8/25・・・・・・・・52,905 ・・・・・・・253,258 ・・・・・2,487・・・・・・・・244
2(8)・・劇場版ピノキオ 偉大な冒険(ハンガリー)・・7/13・・7,947 ・・・・・・・・11,070・・・・・・・・・96・・・・・・・・208
3(2)・・モリコーネ・・・・・・・・・・・・・・・・・7/05・・・・・・・・・4,240・・・・・・・・・17,743・・・・・・・・169・・・・・・・・・35
       映画が恋した音楽家(伊)
4(新)・・チョ.デッ.ク(韓)・・・・・・・・・・・7/12 ・・・・・・・・・3,681・・・・・・・・・・7,576・・・・・・・・・66・・・・・・・・130
5(再)・・狙われた駅馬車(米) ・・・・1951/  / ・・・・・・・・・・・832・・・・・・・・・・3,417 ・・・・・・・・・・6・・・・・・・・・・1

 2・4位の2作品が新登場です。
 2位「劇場版ピノキオ 偉大な冒険」はついては上述しました。
 4位「チョ.デッ.ク」は韓国のコメディ。2003年のヒット作「オールド・ボーイ」でチェ・ミンシクが演じた主役オ・デスの子役でちょっと名が売れた俳優オ・テギョン(オ・テギョン)でしたが、徐々に忘れられていきます。そんな矢先、テギョンは、チェンネル登録者のためならなんでもやるユーチューバー<リトル・オ・デス」となって再び人気を得ようとします。登録者数1万名突破記念で行った生配信で、高額の支援金と共に届いた依頼は「清渓広場で1日中プラカードを持っている男の事情を聞き出すことだったのですが・・・。
 原題「좋.댓.구」もふつうの辞書にはないSNSやYouTube関係の新語で、<좋[チョ]>좋아요[チョアヨ]=いいね<댓[デッ]>댓글[デックル]=コメント<구[ク]>구독[クドッ]=購読(チャンネル登録)という意味です。
 5位「狙われた駅馬車」は旧作の再上映。しかし70年以上前の公開作となると後期高齢者ちょい前私ヌルボもどんな映画か知らんゾ。金を積んだ駅馬車を狙う強盗3人組に人質にされるタイロン・パワースーザン・ヘイワード(&赤ちゃん)の主演2人は名前は聞いたことがある程度。韓国は朝鮮戦争で大変だったのでは? 上映館が1館だけで昔の洋画とくれば、たぶん・・・と思って検索すると、やっぱり楽園商街のシルバー劇場[실버극장]でした。韓国題は「황야의 역마차(荒野の駅馬車)」です。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

30年前<アジア映画劇場>で放映された「男と女の青空市場」をめぐって ③金周榮の原作は教科書の掲載作品だって!? どう教えるんだろう?

2018-10-28 17:55:06 | 韓国の小説・詩・エッセイ
 → <30年前<アジア映画劇場>で放映された「男と女の青空市場」をめぐって ①映画ではなくドラマ。その原題と原作小説をつきとめる>
 → <30年前<アジア映画劇場>で放映された「男と女の青空市場」をめぐって ②原作の金周榮「外村場紀行」は場末感が漂う短編小説>

 金周榮「外村場紀行」のあらすじの続きです。
 ある小さな地方都市の安宿で、たまたま別の部屋から聞こえる男女の会話に興味を持ち、聞き入っていた青年セチョル。30分以上経って彼の部屋のドアが開き、顔をのぞかせたのは、その女性客でした。
 縁側に座り込んでマッチでタバコに火を点けて深々と吸い、「どこからいらっしゃったの?」などと気安く話しかけてきます。
 思わずこわばるセチョルに「かたくなることないわよ。ただ訊いてみただけだから」と、これはもう女のペース。そして「お酒1杯おごってくれる?」とセチョルに断る隙も与えず、「ずうずうしくも自然で、なんの負担感も感じさせなかった」という感じで、セチョルはもう女に言われるがまま。
 (女)「心配することないわよ。あの男寝てんだから。一晩中起きないわよ」
 (セチョル)「いや、あの人のことじゃなくて・・・」
 (女)「わかってるわよ。センセイ(=セチョル)も私もここじゃよそ者でしょ。人目を気にすることはないわよ」

 ・・・などと言いつつ宿を出る女について、セチョルもテポチプ(대폿집.飲み屋)に向かいます。

 その道々、セチョルは「たまに酒場で女と酒を飲むことはあっても日頃堅実に生きてきて、とくに失敗することもなくここまできたのに、こんな成り行きになっちゃってるのは初めてだ・・・」と、そんな自分に驚いてさえいるようです。

 テポチプでの2人の会話です。
 (セチョル)「アガシはふつうの女性とはちょっと違いますね」
 (女)「違うって? もちろんそうでしょ。私6ヵ月前は学校の先生だったんだから」

 ・・・と、彼の言葉を誤解した上、見え透いたウソをつきます。しかしセチョルはそのウソがいかにも彼女に似つかわしいと思いながら、「ああ、そうだったんですね!」と答えてうなづいたりします。
 マッコリを3杯たて続けに飲んだ女は急に立ち上がって・・・。
 (女)「出ましょ」。
 (セチョル)「あなたは離れようとしているんでしょう、ここから」
 (女)「あなた、一緒に行ってくれる?」
 (セチョル)「なんで、どこへ行くというのですか? これはとんでもないことじゃないですか? 彼(=テキヤ)を棄てて行くとは」
 (女)「関係ないわよ。あの男、私がどこに行っても探し出すんだから。ただアナタが一緒に行くかどうかを決めればいいだけ」
 (セチョル)「明日の朝決めますよ」


 2人は谷あいの細い道を2時間ほども歩き続けます。その間、女は腕をからませてきて、薄い服に隠された肌にヘンな気分を感じたりして・・・。
 その先に見つけたクモンカゲ(구멍가게.よろず屋)に入った2人。店のばあさんが夕食の膳を運んできてセチョルに言います。
 (店のばあさん)「花嫁さんがキレイね」
 すると女は・・・。
 (女)「私、この人の花嫁じゃないわよ」
 手を振って否定する女に、セチョルはそんなはっきり言うことかと驚きます。

 (ばあさん)「学のない女が口数が多いと町内で舅が9人にもなるっていうよ」(男関係が複雑になるという意味)

 どうも女(名はプノク)も店のばあさんも前から知ってるようすです。
 部屋の明かりを消してから1時間くらいか。2人は暗がりの中で並んで横になっていますが寝入ってはいません。
 セチョルは彼女と別れなくてはならないと考えています。しかし彼女はどうするのだろうか・・・。

 ところが、ここから物語は急展開します。そんな夜更けに外で車の音が・・・。男が2人下りてきて店にやってきます。あのテキヤの男と、その仲間です。
 (男)「あの女、またコチラに来てますか?」
 (ばあさん)「来てることは来てますけど・・・」
 (男)「連れがいるということくらいはわかった上ですよ。ちょっと入ってみてもいですよね?」
 (ばあさん)「もう明かりを消して寝てるよ」
 (男)「明かりを消して寝ててもかまわないさ。あいつの彼氏がやって来たんだから、真っ暗な夜ならとか真っ昼間だからとか関係ないよ」
 (ばあさん)「とにかくちょっと騒ぎ立てないで行ってみな、あの部屋だから」


 男たちは2人が寝ている部屋に入ってきます。
 (男)「遠くまで行ったと思ったら、こんな近くか」

 もう1人の男がふとんを1枚1枚はいでゆき、男は明かりを点け、部屋の隅に座り込みます。
 (男)「あんた、誰なの? 自信ある?」
 (セチョル)「・・・・」
 (男)「あんた、自信があるならこの女を譲るよ。棄てないで最後まで連れ添って暮らすか?」
 (セチョル)「私はそんな自信はありません・・・。
 (男)「どこの馬の骨だ? 恥をかきたくなかったらはっきり言って見ろよ」
 (セチョル)「プノクさんがここまで来たのは自分の意志で、私が誘惑をしたとか拉致したとかじゃありません。だから私と結婚するとか棄てるとかいう問題とは関係ないんですよ」
 (男)「こいつがどんな女かわかるか? うっかり関わったら身を亡ぼすのが常だぞ。俺はその日暮らしの流れ者だから、こんな女を連れて回っても大丈夫だが、あんたのようなキレイにやられる。どうだ、わかったか?」


 こんな最中に、彼女はいきなり手を打って言うには・・・
 (女)「みんな、一杯やろうよ」
 (男)「うるさい。一晩中飲むなどとどこの馬鹿が言うんだ?」
 (女)「じゃあどうするのよ?」
 (男)「どうするって、帰らなくちゃ」
 (女)「帰る? どこに帰るのよ」
 (男)「俺らが泊まった宿だよ」
 (女)「まるで貸し間でも借りたみたいな話ね。貸し間ひとつも借りられないのに」
 (男)「俺がおまえの本心を知らないとでも思ってるのか? 貸し間を借りてもおまえは10日も落ち着いていられない女じゃないか」
 (女)「見てよ、ミンさん、どうしましょ。私こう見えても昔学校の先生だったのよ」
 (男)「そんな真っ赤な嘘をこの人が信じると思うか?」


 少なくとも、男女が示し合わせてセチョルをわなにかけた(つまりツツモタセ)ではなく、また男も女の習い性をよく心得ているようす。この店にすぐやってきたのも、こんな彼女をすっすりお見通しだったからか。

 ところが、ひとしきり女と口争いをしていた男が、いきなりセチョルに手を出してきます。
 (男)「おい、とっとと失せろ! シゴル(=仲間の男)、こいつをつまみ出せ」
 セチョルは庭に放り出されてしまいます。やってきた男2人と女はそのまま部屋で寝ることになります。(セチョルは庭で夜を明かすのかな?)

 翌朝3人はセチョルには何の関心も示さず、見知らぬ人を眺めるように見るだけ。井戸端で、私が使い終えた洗面器もそのまま男、さらにシゴルへと順々に受け渡されます。
 その日はたまたま市の立つ日でした。私はすぐ出立しようという当初の予定を変更して、彼らを観察してみようという気になります。

 店で2時間ほど待つと、市場の方からスピーカーで歌声が聞こえてきます。
  ♪동해나 울산은 잣나무 그늘 뱃길을 찾노라 석 달도 열흘
  (♪東海や蔚山は朝鮮松の木陰 船路を求めて三月と十日
   ※「蔚山アガシ」
 明らかにプノクの歌声です。
 つまり、市で人寄せで歌っているのです。そういえば映画「風の丘を越えて 西便制」でも、パンソリが市で人寄せとして唄われる場面がありましたね。
 歌が終わった後、見物人たちの前に男(香具師)が登場して薬売りの口上を述べ始めます。セチョルが見物人たちの間に交じって見ているとプオクが見つけて近づいてきます。
 (女)「なんで来たのよ?」
 (セチョル)「プオクさんを見に」
 (女)「あなた、ヘンな人ね」


 ・・・などとやりとりしていると今度はテキヤの男が近づいてきていきなりセチョルの胸ぐらをつかみます。
 (男)「なんだよ、てめえ」
 (セチョル)「あなたこそなんですか?」
 (男)「俺か? 俺はこの女の同業者だよ。そして保護者だ。住民登録証を見せてやろうか?」
と険悪な状況に。
 (セチョル)「静かに話をしましょうよ」
 (男)「静かに話しましょうだと? てまえが他人の女をたぶらかして連れ回してるから俺が出てきたんじゃないか」


 そこに見物人のひとりが割り込みます。「もしもし、薬は売らないでケンカばっかりやってるの?」
 ・・・と、事態がややこしくなったどさくさまぎれにセチョルはその場から抜け出て店の部屋に戻ります。
 しかし邑の方に行くバスの時間は5時間後。いつしかそのまま寝込んでしまい、しばらくして壁を隔ててひそひそ話を始めた男女の声で眠りからさめます。
 (女)「あんた、ほんとに私を裏切ったらダメよ、わかった?」
 (男)「何だ、口を開いたと思えばぎゃあぎゃあと」
 (女)「そうね、声を落とすわ。裏切るの? 裏切らない?」
 (男)「裏切りがそんなに恐いか? 嫌いになったら別れて嫌気がさしたらおしまいだろ。前世でどんな怨みがあってもくっついて回らねばならんか? 俺と会うとすぐ裏切り節を語り出すがおまえこそ大勢の男を裏切ってきたことは考えないのか? 他人のアラは見えても自分のでかいキズには気がつかないとはよく言うわな」


 またもや例の2人。こんな会話がまた延々と繰り返されています。
 バスの時間までまだ約1時間。セチョルはバスが来たら乗ることにして、とりあえずは歩いてこの市場町から出ることにします。
 
 5、6キロほど未舗装の道を歩き、あと1時間も歩けば到着するだろうと思った時、後ろからトラックがほこりを立てて走ってきます。セチョルが手をあげると少し先で止まりました。
 セチョルが「邑内まで乗せてってください」と頼むと、サングラスの運転手は「途中で3、4時間休んでいくからまっすぐには行かないよ」となぜかにやついている運転手の向こうの座席に目をやると、無表情で自分を眺めているあの女(プオク)が座っています。
 あのテキヤが疲れて昼寝をしている時間に、女はまた部屋を出てこのトラックを捕まえたのです。
 (セチョル)「3、4時間休むんですか?」
 (運転手)「そう、3、4時間」
 3、4時間経つと、やはりテキヤも目が覚めることだろう。


 ・・・という一文がこの小説のオチ。

 つまりは、女が男が昼寝をしている間に抜け出して別の男に声をかけてどこかに消えるのは「いつものこと」なんですね。また男が即座にその場所に乗り込んで連れ戻すのも。2人がいろいろ言い争いはしていても、ある意味「似た者同士」ということ。まあ腐れ縁というか・・・。

 ところで、上掲の作品の概要に「堕落した若い男女の姿を通して1970年代の産業化過程で現れた性倫理の問題を批判的に見せてくれてもいます」とあるのは当たっていないんじゃないですかねー。作品は主人公セチョルの一人称で書かれていますが、「ひっかかっちゃった感」「自分の倫理観はどうなっちゃったんだろ?感」はあるにしても、彼らの倫理観に対する憤りや嫌悪はないみたいだし・・・。
 しか~し。こうまとめておかなければ、というワケはわからないでもありません。
 この小説は教科書に載っている(!)作品だから。
 つまり、私ヌルボが読んだ本は휴이넘(Houyhnhnm)という出版社の<教科書 韓国文学>というシリーズ中の1冊なのです。(表題作を含めて4編の短編小説が収められています。) すでに読む前から「えっ、こういう内容の小説が教科書に!?」と驚きましたが、実際に読んでみてもやっぱり疑問のまま。上記の、部屋の明かりを消して並んで横になった云々のくだりなど、生徒にどう教えるでしょうね? 「具体的に説明してください」と質問されたら困っちゃいそう(笑)。そんなわけで授業の場ではあくまでも倫理重視というタテマエで教えるのかな?(もしかしてホンネ?) としたら誤読だと思いますけど・・・。
 はてさて。この記事を書いている間にたまたま雑誌「旅」2000年12月号になんと金周榮さんのインタビュー記事が載っているのを見つけました。それも、「作家になりたては韓国内の市の立つ町を歩いていたね」と、本作に直接関係することも語っています。ということは、かなり自身の体験が素材になっているのかもしれませんね。(下の画像は冒頭部分)



★この小説と、TVドラマ「男と女の青空市場」の相違点
 「男と女の青空市場」を見たサークル仲間の話を聞くと、この原作小説とはかなり違いがあるようです。とくに大きな点は、小説では「사나이(サナイ.男)」とあるだけのテキヤがニックネームながらも<ボンゴ>と呼ばれてキム・ヒラ演じる主人公になっていること。仕事もテキヤではなくボンゴ車に乗って各地を廻って商売をしている行商人です。またラストシーンにはトラック運転手は登場せず、イ・ジョンナムが演じる女(プノク)がボンゴに乗って去るとのこと。彼女は水商売だかの女で、ボンゴに借金があって逃げられない状態にあるのを、イ・ソンホ演じるインテリ青年が救い出そうとして・・・という設定だったそうです。
 なぜ原作を変えたか? 私ヌルボ思うに、小説の読者は(少なくとも当時は)主にインテリであるのに対して、TVドラマはより広汎な層の人たちが視て楽しむものだから。主人公のインテリだと、共感を覚える人はとても大多数とは思えません。あくまでも推測ですけど・・・。

 このあと、オマケ的な記事があります。・・・が、(例によっていつになるやら・・・。)
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

30年前<アジア映画劇場>で放映された「男と女の青空市場」をめぐって ②原作の金周榮「外村場紀行」は場末感が漂う短編小説

2018-10-27 06:11:51 | 韓国の小説・詩・エッセイ
 → <30年前<アジア映画劇場>で放映された「男と女の青空市場」をめぐって ①映画ではなくドラマ。その原題と原作小説をつきとめる>
の続きです。

 31年前(!)の韓国のTVドラマ「外村場紀行」(邦題「男と女の青空市場」)の原作小説を読みました。ハングル表記は「외촌장 기행」金周榮(キム・ジュヨン.김주영)という作家が1983年に発表した作品です。
 その概要は・・・考えるとキモチが重~くなるので(笑)、安直に裏表紙の文章を翻訳して貼り付けます。

1970年代韓国社会を代表する問題作「外村場紀行」
 「外村場紀行」は1970年代下層民の日常を素材とした作品です。
 ‘外村場’という非日常的な空間で一瞬間の偶然の出会いを通して全然見慣れない世の中を体験して自分のまた別の姿を発見する一男性の物語をたいへん写実的に描いています。
 堕落した若い男女の姿を通して1970年代の産業化過程で現れた性倫理の問題を批判的に見せてくれてもいます。

 私ヌルボ、一読して感じたのは、全体的に漂う場末感、うらぶれ感、やさぐれ感です。いや。「漂う」というより「満ち満ちている」といった方がいいかも。
 そう感じさせる理由は、まず第一に物語の舞台が地方の小さな町であること。<外村場(ウェチョンジャン)>とは町の名ではなく、<外村(ウェチョン)>とは都邑の外の村、つまりかなり辺鄙な町(村?)のことです。また<場(ジャン)>市場なのですが、常設市場ではなく(十日市といったような)決まった日に開かれる市です。
 物語は、主人公の青年ミン・セチョルが旅先の小さな町で安宿(旅人宿.ヨインスク)に泊まるところが始まります。しかし日没にはまだ3、4時間もあります。部屋の縁側に出てみると、別の部屋から男女の話し声が聞こえてきます。
 その会話がいかにもその2人の関係や生活、人となり等々をよく表しています。

 主人公の青年ミン・セチョルという青年。彼は旅先の小さな町で安宿に泊まります。日没にはまだ3、4時間もあります。部屋の縁側に出てみると、別の部屋から男女の話し声が聞こえてきます。
 その会話がいかにもその2人の関係や生活、人となり等々をよく表しています。

 (女)「私たちどこかに家でも借りようよ。ダメなら貸し間でも借りて・・・。あんたは私をどう思ってるか知らないけど、私だってやろうと思えばきちんとやっていける自信はあるわよ」
 (男)「うだうだ言ってないでタバコの火を消せよ。昼間からそんなに吸ってりゃタバコ代も馬鹿にならんぞ」
 (女)「私がタバコ止めたら部屋借りてくれる?」
 (男)「俺の額を見ろ。プータローって書いてあるだろ。金がないと部屋は借りられんよ。それにどこに落ち着くってんだ? 俺はひと所にいると気持ちがひっくり返るんだ」


 彼らの話からセチョルが察したところでは、男は야바위꾼(ヤバウィクン)です。私ヌルボ、この単語はもちろん知りませんでした。google翻訳だと<スリッカー>とか意味不明の訳語が出てきますが、<香具師(やし)>とか<テキヤ>と訳すのが妥当なところでしょう。つまり市場などで薬売り等のために巧みな口上で人寄せをしたり、伏せた3つのコップのどれにサイコロが入っているかを当てさせたりして稼いでいる流れ者です。(香具師とテキヤの相違は今ひとつわからず。ほぼ同義? 香具師の方が話術とか手品等の専門技術に長けている?)
 こういう渡世人が登場するのもうらぶれ感を感じさせる一要素です。
 ※柴又の寅さんを思い起こす人は多いですよね。私ヌルボ、田中小実昌の直木賞作を含む作品集「香具師の旅」(1979)を図書館で読みましたが、これは戦後風俗史の資料としても貴重だと思いました。

 また、上記の作品の概要にも記されているように70年代頃という時代背景も香具師という職業のうらぶれ感をかき立てています。朴正熙政権によるセマウル運動で韓国社会がめざましく変貌して、その波が全国に及んだ頃です。そんな中で、各地で開かれる市を渡り歩いて暮らしてきた商売人たちを取りまく環境も大きく変わってきました。早い話が、この先この商売は下り坂しかないということです。
 社会の大変化は、人々の価値観・倫理観等にも影響を及ぼし始めました。・・・ということで、物語の先を追ってみます。

 セチョルはとくにやることもなく、なんとなく彼らの会話を聞いていてちょっと男に対する好奇心もアタマをもたげてきます。「今どき、あんな時代遅れの生き方をしてるヤツもいるんだなあ」と・・・。
 30分以上経って、セチョルの部屋のドアが開けられます。
 顔をのぞかせたのは・・・


 と、ここから物語がどんどんと展開していきますが、とりあえずここで一区切り。

 → 30年前<アジア映画劇場>で放映された「男と女の青空市場」をめぐって ③金周榮の原作は教科書の掲載作品だって!? どう教えるんだろう?
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

30年前<アジア映画劇場>で放映された「男と女の青空市場」をめぐって ①映画ではなくドラマ。その原題と原作小説をつきとめる

2018-10-15 18:23:34 | 韓国の小説・詩・エッセイ
私ヌルボが韓国映画にはまったのは、1990年劇場公開の「シバジ」と翌年公開の「ソウルの虹」あたりからです。カン・スヨン主演の前者は観た人も多かったと思いますが、個人的にはガラ~ンとした映画館で観た「ソウルの虹」の方に強い衝撃を受けました。
 そして何と言っても、同じ頃NHKで放映されていた佐藤忠男先生解説の<アジア映画劇場>で観た韓国映画の数々。2011年の過去記事(→コチラ)でその韓国映画の放映リストを載せましたが、それを見ると1993年放映の「チルスとマンス」がその最初の視聴作品だったと思います。そして翌年観た「神様こんにちは」は、今に至るまで個人的にベスト1の韓国映画です。
 ヌルボとほぼ同じ世代のサークル仲間の間でも、この<アジア映画劇場>がしばしば話題になります。
上記の過去記事で紹介した酔人H先輩の「韓国映画ベスト12」にも<アジア映画劇場>での放映作品がずらっと並んでいましたね。

 ここからじわっと本論です。
 上記の酔人H先輩のリストで12位に挙げられているのが「男と女の青空市場」ですが、これが長年の懸案の作品でした。というのは、本文記事で書いたように、ネット検索しても作品情報はほとんどナシ。本記事の見出しに「30年前・・・」と書きましたが、正確には「約30年前」です。87~93年頃の新聞の縮刷版のTV欄を4回ほど探しましたが放映した日は見つけられず。そして7年経った今に至っても→<allcinema>に下画像のような記事が1つがあるだけで、詳しい内容等を知る術がなかったからです。

 ところが半年ほど前、飲み会でまたこの作品のことが話題になりました。毎度のことながら、酔人H先輩といいお酒の好きなTヒョンといい記憶力は驚くばかり。2人とも<アジア映画劇場>を最初の頃から観ていて、「男と女の青空市場」についてもとても30年も前に観たとは思えないほど細かなことまで憶えているのです。そこで酔人H先輩の言うには、「元々のタイトルはナントカ紀行というんですよ」。
 おっ、これは初耳!
 先の記事で書いたようにキム・ヒラの過去の出演作103本(!)中にもそれらしいものがなかったので、これはおそらくTVドラマだろうと目星をつけ、韓国サイト内で1980年代のドラマを検索してみました。するとKBSで<TV文学館>というドラマシリーズが放映されていたことがわかりました。そしてついに見つけた!のが1980年始まって以来の<TV文学館>放映作品の全データ(→コチラ)。
 放映年月日、各ドラマの原作小説とその著者、演出家や主な俳優の名前が記されています。
 このページ内を<기행(紀行)>で検索すると2件ヒットしました。1つ目は1981年10月放映の김승옥原作「무진기행。これは韓国文学史に通じている人なら誰でも知ってる(だろうな?)金承鈺「霧津紀行」です。翻訳書も出ていて、「霧」というタイトルで映画化もされてます。(一昨年韓国文化院で観たゾ。)
 そして2つ目が「외촌장 기행です。(下画像)

 1987年2月7日放映で、이종남(イ・ジョンナム)김희라(キム・ヒラ)が出演しているということで、これは間違いナシ! ただ、脚本が이영국(イ・ヨングク)となっています。つまり<allcinema>にイ・ヨンスクとあるのは間違いのようですね。またこのリストに名前がある이성호(イ・ソンホ)は、私ヌルボも観た「酔画仙」「空を歩く少年」にも出演していたのですね。
 3人の俳優については<輝国山人のHP>に写真付きで紹介されているので、酔人H先輩とお酒の好きなTヒョンはこのブログ記事を見たら確認してみてください。
 →イ・ジョンナム(1963~)
 →キム・ヒラ(1947~)
 →イ・ソンホ(1949~)

 このドラマ。<TV文学館>というシリーズなので基本的に原作小説があります。リストを見ると黄順元、羅稲香、金裕貞、金東仁、金東里、鮮于煇、李文烈等々往年の著名作家の名前がズラ~リと並んでいます。そして「외촌장 기행(ウェッチョンジャン キヘン)」の原作者は김주영。韓国のネット書店<YES24>等で検索した結果、金周榮(キム・ジュヨン)作の「外村場紀行」という短編小説であることがわかりました。

 ・・・と、以上のことが判明したのが5月頃だったかな? せっかくだから(?)これでオシマイにしないで、原作は短編小説で「教科書に載っている作品」のようだし、読んでからブログ記事を書こうと思いつつ、他の数冊の本と一緒に教保文庫に注文したのがやっと1ヵ月前。しかし届いたのが諸般の事情で先週初め。で、やっと読み終えて記事作成とあいなったわけです。読んでみてわかったこともいろいろあります。一番のアレレ!?は、Tヒョンから聞いていた話とは主人公が違う!ということ。まあ、そういったことは続きいったことに回すことにして、とりあえず一区切り。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「週刊読書人」で<韓国文学のオクリモノ>シリーズ(晶文社)を翻訳者3人の対談で紹介

2018-05-06 23:52:37 | 韓国の小説・詩・エッセイ
 5月2~4日神保町のチェッコリで昔の韓国映画を観てきました。「무녀도(巫女図)(1972年)、「카인의 후예(カインの後裔)(1968年)、「나그네는 길에서도 쉬지 않는다(旅人は道でも休まない)の3作品です。いずれも小説が原作で、「巫女図」をはじめいろんなネタが一杯の映画でしたが、それらについては後回し。

 3日とも好天だったので、映画と昼食の後、近くの書店を廻ってみました。
 古書店の話も後回しにして、新刊の書店で真っ先に行くことにしているのは東京堂書店です。品揃えに(韓国語でいうところの)「概念がある」からです。


 私ヌルボ、学生時代にこのすずらん通りのパチンコ店ポニーによく行ってたという話は→過去記事でも少し書きました。半世紀近くも経った今、個々の店も街の景観もずいぶん変わりましたが、いつ歩いても懐かしさといったものを感じます。
 しかしこの頃は週4日くらい横浜市立図書館に通う生活になって、神保町にもあまり行かなくなりました。いや、それどころか近隣(横浜)の書店に足を運ぶ回数もかなり減りました。
 ところが、久しぶりに東京堂書店に行き、平台を眺めてほとんど愕然としてしまいました。
 「蔵書数170万冊の図書館にもないものがここにはある!」
 今どんな本が読まれているか? 今人々はどんなことに関心があるのか? 今日本や世界でどんなことが起きているのか? ・・・等々。つまり<今>が見てとれるということです。
 そんなわけで、私ヌルボ、いろいろ現今の生活を反省しましたです、はい。

 さて(と、ここから本論)、その東京堂書店でたまたま目に入って買ったのが「週刊読書人」の最新号(5月4日発行)。


 1面だけでなく、最終面(8面)もまるまる昨年10月から刊行されている晶文社の<韓国文学のオクリモノ>全6冊に充てているではないですか! ※7面にも作家(ファン・ジョンウンさん)の来日イベントの記事があります。

 このシリーズの内訳は次の通り。
  ハン・ガン「ギリシャ語の時間」(斎藤真理子 訳)
  パク・ミンギュ「三美スーパースターズ 最後のファンクラブ」(斎藤真理子 訳)
  キム・エラン「走れ、オヤジ殿」(古川綾子 訳)
  ファン・ジョンウン「誰でもない」(斎藤真理子 訳)
  キム・グミ「あまりにも真昼の恋愛」(すんみ 訳)
  チョン・ミョングァン「鯨」(斎藤真理子 訳)

 詳しくは→晶文社のサイトを参照してください。

 で、この「週刊読書人」の記事は翻訳者3人の皆さんの対談だけで構成されています。その内容というのが各作家や作品のことや翻訳に関することだけでなく、日本と韓国の作家性の違いとか、最近の♯Me Tooのこととか、韓国文学から社会状況にまで話が及んでいて、とても興味深く読みました。
 とくに注目したのは、斎藤真理子さんとすんみさんによる朴婉緒(パク・ワンソ)、呉貞姫(オ・ジョンヒ)以降の韓国文学の概観。すんみさんが「九十年代、韓国でもポストモダンが流行って、社会変革の気運が高まりました。ですが、韓国ではまだ一度も大きな物語が崩れたことはないのではないかと思うんです。一方で、日本では完全に大きな物語が忘れ去られて、近年まではそういうことをあまり意識しなくてもいい時代があったと思います」と語っていらっしゃるのは、なんとなく韓国の90年代以降の文学史を日本の70年代以降の文学史とダブらせて見ていたヌルボとしては「なるほど、そうなのか~」といった感じ。今世紀に入ってからの韓国小説はたいして読んでもいない(短編を入れて30作品読んでなさそう?)立場なので、何を言ってもうわべだけの感想になってしまいますが・・・。
半日後の付記] 韓国現代文学の歴史については、<KAJA>のサイト中の、きむふなさんの講座に基づく記事が参考になります。→コチラ

 あ、関係ないけど最近斎藤真理子さんの例の南北首脳会談の日ツイート(→コチラ)は共感を覚えました。・・・って、当日の本ブログ記事の続き、下書きのまま止まっちゃってるな・・・。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

<韓国の小説家の知名度ランキング>を見る ・・・って、1人でも知っていれば「よくご存じ」レベルでは?

2017-04-07 15:27:18 | 韓国の小説・詩・エッセイ
 最近初めてイ・スンウォン(이순원)の小説(小中学生向きの「江陵に行く古い道」)を読み(韓国語)、この作家について名前の漢字表記等々の諸情報をちょっと調べてみました。
 すると、翻訳書は全然出ていないにもかかわらず、ウィキペディア(→コチラ)には李舜源という漢字表記をはじめ、略歴や代表作品等がずいぶん詳しく記されていました。(一体どんな人が書いてるのでしょうね?)

 そして次にこの名前でヒットした意外な記事が<知名度.net>(→コチラ)というサイト中にある「韓国の小説家 のランキング」(→コチラ)。
 これによると、李舜源は32位。ちなみに31位は「長雨」尹興吉(ユン・フンギル)で、33位は「軍艦島」韓水山(ハン・スサン)。こうした顔ぶれがこの順位だとするとトップ10は?と見てみると・・・。



 アララ、1位が林達永(イム・ダリョン)って・・・、一体どういう人?
 私ヌルボとしては、黄皙暎(ファン・ソギョン)孔枝泳(コン・ジヨン)申京淑(シン・ギョンスク)か、それとも李文烈(イ・ムニョル)あたりかと予測していたのが大外れ。それも知らない作家とはねー。
 例によってウィキペディア(→コチラ)を見てみると、林達永は「黒神」等の漫画の原作者なんですと。あーそうですか。で、この「黒神」はTVアニメ化されて2009年「黒神 The Animation」のタイトルでTV朝日等で放映され、初の日米韓同時放送もされたとのことです。(知らんかったなー。ヌルボの数多い盲点の1つ。) この作品の内容等については→コチラの公式サイトにいろいろ。(・・・むむむむむ。)

 ヌルボ思うに、いくら韓国人あるいは韓国通の日本人の間で名の知られた作家でも、ふつうの日本人の間ではほとんど知られていません。関心の(極度に)薄い韓国小説よりも、韓国人の原作によるアニメの方が何十倍(100倍以上?)も接する機会が多いということでしょう。したがって、林達永が1位というのもある意味当然なのかもしれません。彼の知名度は6.13%で、2位申京淑の3,67%を大きく引き離しています。(30人に1人が申京淑を知っているのが事実だとすると、意外なほど高いと思います。)
 ※なお、この<知名度.net>サイトの「日本の小説家のランキング」(→コチラ)を見てみると、①夏目漱石 ②紫式部(!) ③村上春樹 ④司馬遼太郎 ⑤大江健三郎 ⑥太宰治 と(ムチャクチャなりに)ビッグネームが並んでいる次に ⑦西尾維新 という肩透かし的な作家の名前が登場しています。(皆さん、西尾維新を知ってましたか? とくに50歳以上の人。) また漫画の原作者も含めて考えると梶原一騎も入ってるかなと見ると、案の定33位にありました。曽野綾子の1つ上です。
 まあ要するに、「そういう」ランキングということです。

 さて、と気を取り直して「韓国の小説家 のランキング」に目を戻すと、1~10位の中で林達永以外に知らなかったもう1人の名前が卜鉅一(ポク・コイル)「京城・昭和六十二年 碑銘を求めて」(1987)という翻訳書が30年前に出ているのか・・・。(なんでこんな高ランクなんだろ?)
 まあ、他の8人はほぼ妥当、かどうか、鮮于煇(ソヌ・フィ)の5位はちょっと意外かもしれませんが。
 しかし、当然10位内に入ってもよさそうな作家は他にもいるし、李清俊のように故人もOKとなるとあの作家もこの作家も・・・と何人かの名前が思い浮かびます。ということで、11位以下(最後の)139位まで目を通してみました。

 個人的に、やや低いかなというのは16位・李文烈(代表作「われらの歪んだ英雄」)と36位・趙廷来(チョ・チョンネ.「太白山脈」)。明らかに低すぎると思うのが45位・朴景利(パク・キョンニ.「土地」)。98位・崔仁勲(チェ・インフン.「広場」)や超ロングせラー「こびとが打ち上げた小さなボール」の137位・趙世熙(チョ・セヒ)もこんな後の方とは。
 次に、主にクオンから翻訳作品が出ている現在活躍中の作家に注目してみると・・・。
 3位・韓江.(「少年が来る」)は別格というべき高ランクで、29位.朴玟奎(パク・ミンギュ.「カステラ」)と47位・金愛爛(キム・エラン.「どきどき僕の人生」)はこんなとこ、ですか? しかし131位・金衍洙(キム・ヨンス.「世界の果て、彼女」)はなんでこんな低いのかわからず。(しかし、この数字といえども、これだけ何人もの現代の作家が知られるようになったのはクオンの功績です。)
 ※韓江の父親は52位.韓勝源(ハン・スンウォン)

 ところで、この139人中、なんでこの名前がないのだ!と(怒)ほどではないにしても激しく疑問に思ったのが韓国近代小説の草分けともいうべき李光洙(イ・グァンス.「無常」)。波田野節子「李光洙」(中公新書)という良い本も出ているのですけどね。
 そして現在活躍中といえば鄭裕静(チョン・ユジョン)。純文学というよりスリラーというか、エンタメ系ですが、「7年の夜」以来ベストセラーを続けて出している女性作家です。

 おまけ。一番驚いた小説家名は96位・李垠(イ・ウン)でした。大韓帝国最後の皇太子が小説を書いていたのか?と一瞬思ったりして・・・。実は現役の推理作家で、「美術館の鼠」(2009)という翻訳書が<島田荘司選アジア本格リーグ>シリーズ中の1作として刊行されています。しかし、このランキングの写真は明らかに皇太子李垠殿下なんですけどねー。(笑)

 ・・・というわけで、マジメに考えればいろいろ問題の多いランキングですが、単純に楽しめて、またそれなりの知識を得たことは収穫でした。
コメント (4)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最近読んだ韓国本いろいろ ③楽しめた1930年代の探偵小説 金来成「魔人」

2015-12-14 14:50:49 | 韓国の小説・詩・エッセイ
<最近読んだ韓国本いろいろ ①期待外れだった小説3つ>
<最近読んだ韓国本いろいろ ②唯一感動した小説は、18年ぶりに再読した「神の杖」>

 金来成(キム・ネソン)「魔人」(論創社.2014) ★★★★
 金来成(キム・ネソン.1909~57)のことは、1年ほど前だったか、本書の訳者・祖田律男さんの執筆による「韓国のミステリー事情 その2 金来成と金聖鐘」→コチラの記事で知りました。また<アジアミステリリーグ>中の「韓国ミステリ史 特別編 - 金来成」(→【1】、→ 【2】)には彼の生涯や作品等々について詳述されています。

 金来成の最初の作品は、早稲田大の学生だった1935年に探偵小説専門誌に日本語で書いて投稿し入選した短編「楕円形の鏡」で、以後50年代まで作品を出し続け、「韓国推理小説の創始者」とされています。
 さて、この「魔人」ですが、1939年に「朝鮮日報」で連載されて人気を博し、同年に単行本も刊行され版を重ねた探偵小説です。金来成の代表作であるとともに、「韓国推理小説はすべてこの一冊の小説で開始された!」(2009年韓国で刊行された時の出版社のふれこみ)という作品です。
 私ヌルボ、半年ほど前にたまたま横浜市立図書館の韓国小説の棚を眺めていたらこの本が目に入ったので、借りてきてイッキ読みしました。

 読んでみると、なるほど探偵小説です。ずーっと昔読んだ江戸川乱歩を思い起こしました。たとえば冒頭。京城市内明水臺(ミョンスデ)にある世界的な舞姫・<孔雀夫人>こと朱恩夢(チュ・ウンモン)の邸宅での仮装舞踏会の場面で、朱恩夢は道化師姿(!)の怪しい男に襲われます。彼女は軽傷で済みましたが、その後も海月(ヘウォル)と名乗る謎の人物から脅迫めいた手紙が続けて届けられるのです。
 「世界的な舞姫」というと、ピンとくる人もいるのでは? そう、当時人気絶頂だった崔承喜(チェ・スンヒ)がモデルです。祖田さんのあとがきによると、彼女は1937~40年世界各地で公演して賞賛を得ていたとか。37年2月には京都宝塚劇場での公演中ナイフを持った男に襲撃されたりもして(本人は無事)注目度が高かったこともこの小説の人気を高めた一因となったそうです。

 探偵小説であるからには当然探偵が登場します。ただ、探偵らしき人物が3人ばかり(?)登場するのは<ヴァン・ダインの二十則>(→コチラ)中の「探偵役は一人が望ましい」に抵触しそう。しかし本物の探偵は名前からも推察がつく(かな?)劉不亂(ユ・ブラン)。もちろん怪盗ルパンの生みの親モーリス・ルブランのもじり。なお、<二十則>には「不必要なラブロマンスを付け加えて知的な物語の展開を混乱させてはいけない」という項目がありますが、これにも引っかかるかもしれません。
 しかし、ラスト近くなるとアクションシーンもあり、どんでん返しもありでなかなか楽しめました。また、当時の京城の風俗も垣間見られます。

 読み終えて、「これは映画にもなりそうだな」と思ったら、何のことはない、実際映画になっていました。
 12月6日に京橋のフィルムセンターで韓模(ハン・ヒョンモ)監督の「青春双曲線」(1956)を観たのですが、上映後の梁仁實(ヤン・インシル)岩手大准教授のトークによると、韓模監督が撮った新しいスタイルの映画の例としてこの金来成作品を原作とした「魔人」(1957)があげられていました。
 その後<韓国映像資料院>のサイト(→コチラ)を見ると、金来成の「魔人」は韓模監督と林元植(イム・ウォンシク)監督(1969)により2度映画化されたが、現在両作品ともフィルムが失われて観ることができない状況とのことです。ただ前者はスチール写真、後者はシナリオが残っていておよその雰囲気は推察されるそうですが・・・。つまり、韓模監督作品は「自由夫人」のようなモダンな時代感覚を映像化し、林元植監督はアクションに特色があるといったことのようです。

 韓模監督「魔人」のポスターです。(女性探偵は登場しないのですが・・・。)
 下の画像は1957年2月27日付「京郷新聞」掲載の広告。(→コチラの記事より。)

 金来成の小説については、1つ前の記事の最後に書いた、目下読んでいる途中の安素玲「詩人/東柱」にも出てきました。1938年延禧専門学校(現・延世大学校)1年生だった尹東柱が中国・龍井の実家に帰省した時、弟の一柱は、東柱が毎月送っていた雑誌「少年」中の連載小説・金来成の「白仮面」を夢中になって読んでいたというくだりがあるのです。「詩人/東柱」は小説ですが、宋友恵「尹東柱評伝」(藤原書店)等をふまえた史実に則った伝記です。
 「少年」は朝鮮日報社発行で、東柱は翌1939年からその学生欄に散文や詩を投稿し、掲載もされています。

 上の画像は雑誌「少年」掲載の「白仮面」。(→「京郷新聞」の記事。) 「いかにも」という挿絵ですね。
 内容は、初登場の探偵ユ・ブランが盗賊白仮面と対決する物語とのことですが詳細は不明。尹一柱のみならず当時の子どもたちを熱狂させたそうです。

 1937年盧溝橋事件により日中戦争が始まり、38年は国家総動員法制定、39年はヨーロッパで第二次世界大戦が勃発します。こうした時代で、植民地朝鮮でもさまざまな統制が進む中、世相風俗の面ではこうした小説や映画のように<モダン>な要素も存続していたというわけです。

 「魔人」のことから派生していろいろ探っていくと、いろんな人物や作品等が交錯していることがパノラマのように見えてきて、一人感懐に耽ってしまいました。

 次は「あの」韓国版「風と共に去りぬ」とも言われる国民的な大河小説朴景利「土地」を無謀にも(笑)取り上げるつもりですが、どうなることか・・・。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最近読んだ韓国本いろいろ ②唯一感動した小説は、18年ぶりに再読した「神の杖」

2015-12-13 20:44:03 | 韓国の小説・詩・エッセイ
 <最近読んだ韓国本いろいろ ①>の後、続きは<評価がむずかしい小説3つ>にしようかとか、<感動した小説>にしようかとかいろいろ考えているうちに50日くらいも経ってしまいました。この際、順不同で、テキトーに載せていくことにします。評点は5つが最高です。

 鄭棟柱(チョン・ドンジュ「神の杖」(解放出版社.1997) ★★★★★
 小説部門では今年唯一の感動本でした。翻訳本の刊行直後に1度読んだのですが、最近衡平(ヒョンピョン)運動について調べている時に思い出して再読しました。18年も経っているので、細部だけでなく基本的な構成もあらかた忘れていました。しかしそのおかげで(笑)最初に読んだ時同様作者の熱い情念に心を動かされました。

 衡平運動とは、朝鮮の伝統的被差別民である白丁(ペクチョン)に対する差別撤廃運動です。ウィキペディアの<白丁>の項目(→コチラ)の説明文中に、「屠畜、食肉商、皮革業、骨細工、柳細工(編笠、行李など)以外の職業に就くことの禁止」「常民との通婚の禁止」等々の差別の事例があげられています。高宗時代、甲午改革の後1894年身分制度が廃止されて白丁の身分も消えましたが、その後も長く差別が続いたのは日本の明治維新期の賎民解放令(1871年)と共通しています。職業を見ても、日本の被差別民と重なる部分が多いことがわかります。
 ※本書のタイトル「神の杖」とは、牛をさばく時に用いる牛刀のこと。
 ※「文字を知ること、学校へ行くこと」も禁止されていました。朴景利「土地」には、出身地晋州を離れて釜山の学校に通っていた白丁の子弟が出自を暴かれて退学を余儀なくされた話が書かれています。(←1930年頃のこと。)
 日本では1922年に運動組織として全国が設立されました。そして朝鮮では翌1923年慶尚南道・晋州(チンジュ)衡平社が結成されました。(※両組織間のコミュニケーションはありましたが、「全国の直接の影響(働きかけ)」を裏付けるような資料はないようです。)
 しかし戦後は、日本では結成の解放同盟(1955年~)のような水平運動の流れを汲む組織ができましたが、韓国では衡平運動を受け継ぐ組織はありません。
 とくに朝鮮戦争によって多くの人たちが故郷を離れて移住したり、町や集落も大きく変わって<白丁村>もなくなったり、人々の出自もわからなくなったため、今韓国の人たちに現在の白丁差別について質問するとほとんどの人は「差別はありません」と答えるそうです。「日本にはまだ差別があるそうじゃないですか。遅れていますね」と言う人もいるとか。
 ところが、そんな答えを強く否定するのがこの小説の作家鄭棟柱氏です。
 本書巻末に彼自身による調査結果が付されています。それによると、「差別はありません」と明言した人が「もしあなたのフィアンセが白丁の血を引いているとわかったら?」という質問には「結婚しません」と迷うことなく答える事例は決してめずらしいものでもないようです。

 ようやく肝心のこの小説の紹介です。あまりネタバレになってもよくないので(ということを言い訳にして)、公式の(?)宣伝文をほぼそのまま貼っておきます。

 一篇の小説が投げかけた波紋・・・すべては、そこから始まった。現代を生きる白丁の後裔の大学教授、朴異珠(パク・イジュ)。自身が世に問うた小説をめぐる裁判沙汰をきっかけに、彼女は自らの出生の秘密と向き合う。苦渋に満ちた彼女自身の人生の模索を縦糸に、彼女の小説に描かれた人物たちの生を横糸に、形こそ違え抵抗し、闘い、生き抜こうとしてきた白丁たちとその子孫たちの歴史と現在を描く。知られざる朝鮮被差別民の叫び。

 ふつう程度のボリュームの1冊本ですが、主人公朴異珠の4代前から彼女の娘までの6代にわたる白丁の家系に生まれた人たちのさまざまなエピソードが書き込まれています。そして朴異珠自身の幼い頃のエピソードも・・・。まさに「恨(ハン)」の系譜といったところです。

 数ヵ月前、上原善広「韓国の路地を旅する」(ミリオン出版)を読んでいたら、鄭棟柱氏との対談の記録が数ページにわたって書かれていました。
その中に、1949年生まれの彼自身の子ども時代の思い出が紹介されていました。

 《子どもの頃、白丁に一人で行って何か物を盗ってくると「一日大将」になれるというので、勇気を出してへ行くと一人の白丁の少女に見つかる。少女は一般地区の子どもが何をしに来たかを察し、家にあった何か小さな物をその子に握らせて帰させる。待っている友達の元へ転がるようにして走って帰ったその子が、握った手の中にある少女からもらったものを見てみると、それは小さな肉の塊だった。食糧難の折り、子どもたちはそれを分け合って食べた》

 この部分を読んだ時、私ヌルボが「そうだったのか!」と思い出したのがこの「神の杖」の最初のあたりのエピソードです。ほとんど同じ内容です。小説では「一日」が「一週間」とされ、少女の妹も登場していますが・・・。
 上述のように「あらかた忘れていた」中で、18年間も脳裏に残っていた印象的な場面です。(この女の子はどんな気持ちで「肉の塊」を渡したのだろうか?と考えると「ヌルボの目にも涙」です。)
 小説では、この時の女の子(後の朴異珠!)と少年たちが成長してソウルで学生生活を送っていた頃(1970年頃?)、さらに現在(1990年代?)へと続きます。社会的なテーマについての問いかけと、自身の生き方に対する深い省察をひとつのものとして書き上げている点に共感を覚えました。
 (それにしても、よくこれだけのページ数で収まったものです。)

 近年の韓国の小説は、このような社会的な問題を取り上げた作品は少なくなっているようです。日本の後を追って小説の世界が狭くなり、<昭和の人間>(笑)の私ヌルボとしては手応えが感じられないという思いが募る中、この小説を再読したのは「正解」でした。

 3冊ばかり一挙に紹介するつもりが、これだけで長くなったので、以下は続きで・・・。冒頭で「順不同で・・・」と書きましたが、結局「感動した本」について書いたことになりました。

★実はもう1冊の感動本=5つ候補があります。安素玲「詩人/東柱」です。尹東柱の伝記ですが、韓国語本なのでヌルボの語学力では数日でイッキ読みというわけにはいかず今やっと6割ほど読み進んだところです。今年中にはなんとか読み終えるか?といったところ。
コメント (5)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最近読んだ韓国本いろいろ ①期待外れだった小説3つ

2015-10-19 22:03:22 | 韓国の小説・詩・エッセイ
 この1年、韓国書や韓国について書いた本をいろいろ読んできました。その都度内容・感想等をこまめにブログ記事にすればよかったのに、すべて怠ってきてしまいました。そこで今ヌルボなりにいくつかの項目ごとに整理して紹介します。
 タイトルでは大雑把に<韓国本>としましたが、韓国人が書いたものと日本人が書いたものに大別されます。まずは前者から。
 その中で、最初は<期待外れだった小説>です。一応で評価をつけました(満点は5つ)が、私ヌルボ自身の個人的な<期待>がうらぎられたという意味なので、小説作品としての評価とはズレがあります。

 イ・ウォンホ「黎明」(「新東亜」連載) ★★
 振り返ってみると、この1年で原文で読んだ長編小説はこれだけ。トホホ。本ブログでは、この小説について昨年3月(→コチラ)、9月(→コチラ)、10月(→コチラ)と、3つの記事でふれてきました。月刊誌「新東亜」の2014年3~12月号に連載されていた小説で、公式サイト(→コチラ)で全部読めます。
 主人公ユン・ギチョル(29歳)は衣料品の生産・輸出を行うヨンソンという企業の社員。この企業は2003年の開城工団の生産開始から3年後れで2006年開城に現地法人を設立し操業を開始します。法人長以下韓国人社員は8人、現地(北朝鮮)の労働者は650人です。
 その開城への転勤を命じられたユン・ギチョル。やむなく従いますが、その話を恋人に「1年間で2千万ウォン(←ホントはその半分)貯められる」とか「出世コースだ」とか誇張して話したものの、あっさり「別れましょ」と振られてしまいます。
 で、業務課長として開城に赴任することになった彼、能力を発揮し、北側の上級幹部の信頼も得て会食に招かれたりもしますが・・・。
 私ヌルボとしては、開城工団で韓国の社員が見た「北」の実態やそこの労働者との意思疎通等々、当事者でないとわからないような事実が書かれているかなと思ったのですが、その期待もせいぜいこのへんまで
 この後は本社からの呼び出しで一時的にソウルに戻ると、実は国家情報院も彼の行動等を把握していて、ギチョルの秘書役の北朝鮮美人チョン・スンミは党の指示でアンタに接近してるんだ等々の話があって、そんなこんなで南北間の裏の連絡役に相応の現金をもらってなって等々。
 全10章の物語の半分にもなっていない第4章で、チョン・スンミの伯父である人民軍中将が失脚し逮捕されたため、上流階層だった彼女一家は突然転落。父母は収容所送りでスンミ自身も不安な日々に。そして第5章でスンミはギチョルに中国脱出の意思を打ち明けます。後はラストまでスンミとギチョルの脱出行。北の機関からだけでなく、北との関係悪化を恐れる南からも追われて・・・。ま、結局はハッピーエンドなんですけどね。複雑な心理描写もなくて展開が早く、スイスイ読めたので★2つつけましたが、当初の期待はうらぎられてしまいました。以前開城工団関係者でそのあたりをきっちり書いている記事があるかと思って探してみたのですが、見つからないまま今に至っています。
 ※関係ないですけど、ラストの場面は中国雲南省の大理。東洋のスイスとも呼ばれる標高1900mの美しい山岳都市で、大理石の名はここに由来しているとか。ビルマ方面に道が通じていて脱北者たちの脱出ルートの1つにもなっているそうです。大理の北の都市・麗江については今年初めに読んだ西本晃二先生の翻訳によるピーター・グゥラート著「忘れ去られた王国」に描かれていました。東アジアと東南アジアの境界近くのこの地方はこれまでよく知りませんでしたが、政治・風俗・文化等々なかなか興味深いものがあります。

 洪盛原「されど」(本の泉社.2010) ★★★
 ほとんどエンタメっぽい「黎明」に比べるとはるかに文学らしい小説。1960年代から数多くの作品を世に出している洪盛原(ホン・ソンウォン.1937~2008)が1996年に発表した<歴史認識>がらみの長編です。
 主人公金亨真(キム・ヒョンジン)は元新聞記者のフリーライター。交通事故で亡くなった妻の実家の韓氏一族はソウル近郊のY郡(もしかして龍仁?)の名望家で、叔父は流通業の財閥会長。傘下に大学も抱えています。その会長が金亨真に祖父の略伝を書いてほしいと頼むのですが・・・。祖父というのは三一独立運動を主導して投獄され、その後も旧満州で抗日運動を続けた人物で、国家報勲処でも烈士として認定されている独立功労者>です。ところがおりしも、当地では韓氏とライバル関係にある徐氏の側から土地所有権に関する訴訟を起こされたり、件の<独立功労者>の「親日行為」が流されたりし始めます。徐氏の当代の祖父はというと、韓氏の側とは逆に<親日派>のレッテルを貼られている人物。
 金亨真はいろんな人に会って話を聞くことになります。<独立功労者>の祖父の血を引いている日本人女性とか、中国人の農場主とか・・・。そして明らかになってきたことは、韓氏(祖父)は徐氏(祖父)をかばうため裁判で「彼は無関係だ」と証言したことがその後徐氏(祖父)が「親日派」である根拠になってしまったこと、あるいは徐氏(祖父)は満洲の韓氏(祖父)に金銭的支援をしていたこと等々。
 ・・・というわけで、現在<抗日烈士>とか<親日>とされていても背後にはいろいろフクザツな過去がある、ということが描かれています。また主人公が日本人たちと植民地時代の評価等をめぐって議論する場面もあります。
 で、私ヌルボ、何が期待外れだったかというと、<親日><抗日>といったレッテルの<貼り方>は問題としていても、レッテルそれ自体の意味は掘り下げられていない点。また<親日派>の子孫として生まれたことの不幸を訴えるセリフはあるものの、50~70年も前の祖父の所業が現代に生きる孫の政界進出等に大きな影響を及ぼしたりしていることを疑問視していない点も疑問。
 本筋以外では、日本人の語る歴史論議がややステロタイプ的なのはしかたないか?(韓国人としてはわりとがんばって植民地近代化論のような見方を書いてますが・・・。) また中国人が「韓国に来て歴史を再認識しました」と語っている内容というのが「朝鮮は中国に出自を持つ箕子朝鮮に始まるのでなく檀君が云々」とか「渤海は韓国人の国で云々」といった韓国の<公的歴史観>そのまんまなのも「なんだかなー」といった印象を受けてしまいました。
 しかし、ウィキペディアの洪盛原の項目(→コチラ)の説明文にあるように「修飾語を排除し、対話と行為に対する描写が圧倒的」という文体で、イッキに読めるし、飽きさせないストーリー展開なので★3つにしました。

 孫錫春「美しい家」(東方出版.2009) ★★
 著者も書名も知らなかったこの本を横浜市立図書館で手にとったのは、副題に「朝鮮『労働新聞』記者の日記」とあるのが目に入ったからです。もしかして、北朝鮮で「労働新聞」の記者だった人が脱北し、韓国に来てから発表した日記かな?と思いました。著者の孫錫春(ソン・ソクチュン)という人の経歴を見ると、韓国の進歩系の代表紙「ハンギョレ」で労組委員長や論説委員等で活躍し、韓国記者賞等多くの賞を受賞している人物とのことです。
 冒頭で「日記」入手のイキサツが書かれています。「愛読している記者のアナタに若い頃から書き溜めた日記を託したいので中国・延吉に来てください」という北朝鮮の老人からの電話が入り・・・云々。そして1938年4月1日その男・李真鮮が延禧専門学校(現・延世大学校)の入学手続きをした日に始まる膨大な日記を受け取るのですが、その内容は驚くべきもので・・・。以下、秘密の抗日闘争に関わっていた学生時代、南労党のメンバーとして朴憲永の下で活動していた時代、朴憲永の配慮でソ連に留学し、金日成による南労党粛清を免れて以降、金日成を経て90年代の金正日の時代に至るまで、主な出来事と、それに対する感想等が記された「日記」がそのまま掲載されている・・・のかな?と思いきや、最初の数ページも読まないうちにこれは創作だ!ということがわかっちゃいます。
 延禧専門学校入学の翌5月、眠れないので寄宿舎をこっそり抜け出した時、たまたま出会った学生が3歳年長ながら同期の尹東柱だったり、その翌月にはその彼から「見てほしい」と送られてきたのが「小川を渡って森へ 峠を越えて村へ」という詩句で始まる、今はよく知られている(?)「新しい道(새로운 길)」という詩だったり、日本の中央大学哲学科に留学した時には当時同大学の法学部にいた黄長と知り合ったり、学生時代秘密組織で活動中にウワサを聞いて傾倒していた朴憲永に偶然会ったり、その他著名人士が「ありえねー」ほど都合よく登場するし、原爆投下その他のニュースも、情報統制の時代、それも智異山とかにいたりしてて「どういうルートで情報得たの?」という記述が多すぎ。後の方で「日記の中身は後から書き足しもした」とか逃げを打ってはありますが・・・。また1939年12月の金三龍事件とか京城コム・グループ事件とかいう(ヌルボの知らなかった)事件は、当時どの程度詳しく報じられたのでしょうか? 41年4月1日金日成の部隊が撲滅されたとの新聞記事(?)なんかも・・・。
 この本の宣伝文句には「本書が刊行されるや、韓国では「日記」の作者李真鮮が実在するか否か、出版界、歴史学会で波紋を呼んだ問題作」とありますが、「ホンマカイナ?」といった感じ。歴史学会でこの「日記」を信じちゃった人がいるの!?
 書いた本人(孫錫春)は事実とも創作とも言ってないとのことですが・・・。まあ、この翻訳書では表紙裏の著者紹介中にも「2001年に発表された著者最初の長編小説」と書いてあるし、韓国の書店サイトでもちゃんと小説分野になっているので、「看板に偽りあり!」とはならないんでしょうけどね。
 とはいっても、前述のように「脱北者が書いた?」と思って読み始めたヌルボとしては肩すかし。つまりは、韓国の<進歩系>のヒトが「こういう時代だったら私はこのように生きたいな~」といった今の価値観そのままで、今イメージされている「過去」にタイムスリップしたらこうなりますという物語。ちゃんと抗日独立運動に携わり、社会主義の理想を持って祖国建設に尽力し、金日成の独裁体制が築かれていく時代にも良心と批判精神を失わず・・・。・・・といった著者(や進歩系の人たち)が歴史に投影する「夢」がおよそわかったことと、南北朝鮮の主だった出来事についてのベンキョーにはなったということで一応★2つにしました。しかし、この本を読んで「だまされた!」と怒る人もいたんじゃないかなー?
 ※1年後輩の恋人も実に「理想的」な女性として描かれています。恵まれた家庭の美人で賢いお嬢さんで、とくに積極的にモーションをかけたわけでもないのに好きになってくれちゃったりして(笑)。朝鮮戦争で愛児とともに爆撃を受けて死んでしまうのですが・・・。

<最近読んだ韓国本いろいろ ②唯一感動した小説は、18年ぶりに再読した「神の杖」>
コメント (2)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

[韓国の小説]イ・ギホの短編「ボニ(バニー)」はラップの歌詞そのまんま。ちょっとやるせなくて印象的!

2015-02-02 22:29:26 | 韓国の小説・詩・エッセイ

 久しぶりにおもしろい韓国小説を読みました。久しぶりにというのは、「おもしろい」と「韓国小説(原書)」両方の意味で、です。
 その小説はイ・ギホ(이기호)という作家の「チェ・スンドク聖霊充満記(최순덕 성령충만기)」という短編集の最初に収められている「ボニ(버니)」という作品です。
 ※<innolife>の記事(→コチラ.日本語)では「バニー」と表記していますが、とりあえず韓国語の発音に近い「ボニ」にしておきます。「バーニー」でもOKかも。
 「堪能」というにはほど遠い語学力の私ヌルボでもイッキ読みできたのは、正味33ページという短さだけでなく、それ以上に斬新な文体のゆえです。
 最初の1ページを丸ごとコピペして、拙訳を付けてみました。

 来たぞ来たぞ、あの娘(こ)が来たぞ、俺を訪ねて来たぞ、事務所に来たぞ、俺らに会いに事務所に来たぞ、あの娘のマネージャーも来たぞ、すげーヤバいクライスラーのミニバンに乗って来たぞ、マネージャーの子分たちも一緒に来たぞ、あの娘が俺らの愛人バンクに来たぞ、半年ぶりに来たぞ、自分を消しに、消しに来たぞ、新入りの娘(こ)たちは浮かれていたな、歌手が来たって、浮かれて舞い上がって、浮かれて叫んで、ところがあの娘は車から降りず、すげー真っ黒なミニバンの窓の中に、固まったように座っていたな、事務所に来たのはあの娘のマネージャー、マネージャーの下っ端ども、マネージャーが言った、俺を見て言った、俺らに言った、大声で脅してまくしたてた、
 韓国語だと「ワッソワッソ、クニョガワッソ、ナルチャジャワッソ、サムシロワッソ」ですからねー。あとで<yes24>の読者レビューを見たら「冒頭の数行どころか、1行で引きつけられる」という感想がありました。
 で、このリズム感、自然に歌になってる感じだなー・・・と思ったら、小説のキモもラップ(랩)の話じゃないの。次に一応あらすじを載せておきます。

 「俺」は高校生の時国史の試験で「七支刀」と答えるべきところを「サシミ」と答えて先生に馬鹿にされ往復ビンタを受けてブチ切れ、騒ぎを起こして中退し、ポドパン(보도방.愛人バンク)を運営することに。つまり売春斡旋業者。ある日、友人が妹のスニを連れてきて、彼の頼みでどこか体の不自由な彼女をやむなく引き取ることに。「歌だけは上手い」という友人の言葉通り満足に口もきけないスニだがラップでは自分を表現できる。やがて他の娘たちが出払っている時から彼女も「仕事」に出るようになるが、初めの懸念とは逆にスニの評判は(彼女が歌うラップゆえに)高まって店の一番手になる。そんな彼女がある夜ホテルに入ったまま行方不明になる。次に「俺」がスニを見たのは6ヵ月後。TVで見たスニは新世代の女性ラッパー「ボニ」となって登場している。彼女が歌っている歌のタイトルも「ボニ」で、そのラップの歌詞は「움파움파, 너는 버니, 너는 뭘 버니, 돈을 잘 버니・・・(ウンパウンパ、おまえはボニ、おまえは何をボニ(=稼ぐの)、お金をよくボニ・・・)」というものだった・・・。

 ・・・ということで、その「ボニ」のマネージャーが知られてはまずい彼女の過去を口止めするために乗り込んできたというのが上掲の冒頭の場面。
 そして1章の終わりが次の文章です。
 
俺は考えた、俺は念を押した、俺はボニを知らねえ、ボニというラッパーを知らねえ、ボニの本名がスニというのを知らねえ、スニが俺の下で働いていたことを知らねえ、スニが毎晩旅館に、旅館に出張してたのを知らねえ、知らねえ知らねえ、なんにも知らねえ、ラララララララ ラララララ
 「아무것도 몰라,랄랄랄랄랄랄랄 랄라라라라(アムゴット モラ、ラ ラララララ)」と、「モラ(知らねえ)」からそのまま「ラ・・・」と続くこの語感は日本語に置き換えるのは困難ですが・・・。

 こういう物語の部分、ラップの用語だとバースにあたるのかな? それに対し、フックつまりサビの部分が章の最後に繰り返して置かれています。
 俺のあだ名ははバスケット 水を入れれば水が漏れ
 米を入れれば米が漏れる
 竹で作った軽いバスケット
 俺のアタマが軽いから 俺のあだなはバスケット
 生まれた時から軽くて軽くて死んでるようだった
 俺のあだなはバスケット
 なんにも知らねえ親父も知らねえおふくろも知らねえ
 生きることも知らねえ世の中も知らねえ
 誰も俺に話し方を教えてくれなかった
 それでも俺はこんなに話してるぞ
 俺も軽くておまえらも軽い
 俺の言葉も軽くおまえらの言葉も軽い
 俺はバスケットおまえらもバスケット 水を入れれば水が漏れ
 米を入れれば米が漏れる
 世の中はバスケット

 結局は押し殺さざるをえない感情をこのようなリフレインに込めて・・・というところにやるせなさを感じましたねー。
 考えてみればヒップホップ系の音楽はアメリカの社会的に抑圧されてきた階層の間の抵抗等の自己表現として生まれたもので、こうした内容の物語には合ってるのかも。
 この小説が発表されたのは思ったより早くて1999年。1972年生まれのイ・ギホのデビュー(←韓国では「등단(登壇)」)作で「現代文学」新人賞受賞作とのことです。ということは、92~95年頃ソテジワアイドルが韓国でラップブームを巻き起こして「韓国音楽界に革命を起こした」ということもそれなりに関係ありそうですね。
 もうひとつ連想したのは町田康。ミュージシャンの彼がなんともユニークな文体の「くっすん大黒」で作家デビューしたのが1997年でした。(町田康の小説が韓国で刊行されていないのはその文体のためかな?)
 さらにもうひとつ。拍子に合わせ、節をつけて人生を語るといえば身世打鈴(シンセタリョン.신세타령)というのがあるじゃないの、と思ったら、<yes24>の感想の中にも「パンソリを思い浮かべた」と書いていた人がいました。やっぱり、でしたね。

 最後にこの「チェ・スンドク聖霊充満記」所収の他の作品について。他のもラップみたいな文体で書いているのかと思ったらさにあらず。しかし警察の取り調べ調書の形式の「ハムレットフォーエバー」、入社試験用の自己紹介文を借用した「告白時代」、聖書のような形式の表題作「チェ・スンドク聖霊充満記」等、ふつうの小説とは違った多様な形式を用いています。また、現代社会の中で疎外された人々を主に描いている点もこの作家の特色かもしれません。他の作品は読んでないのではっきりとは言えませんが・・・。

※作中に出てくる보도방(ポドパン)は一応「愛人バンク」と訳しましたが、この言葉及び業体について調べればいろいろありそうな感じ。
コメント (2)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

安保恋愛小説と銘打ったイ・ウォンホ「黎明」で読み解く開城工業団地① 10年目の評価は?

2014-09-18 21:29:31 | 韓国の小説・詩・エッセイ
 3月21日の記事(→コチラ)で少し書きましたが、韓国の総合誌「新東亜」で、今年3月号から「려명(黎明)」という小説が連載されています。
 「안보연애소설(安保恋愛小説)」と銘打たれたこの小説は、開城工団を舞台にした韓国人男性社員と北朝鮮女性従業員といういわゆる<南男北女>のラブロマンスです。これを書くために、作者イ・ウォンホ(이원호)は何度も現地に足を運んだそうです。
 あ、タイトルの「黎明」が여명(ヨミョン)でなく려명(リョミョン)になっているのも北朝鮮風ですね。

 私ヌルボ、当初はこの小説を横浜市立図書館にある「新東亜」で読んでいましたが、その後「新東亜」のサイトで最新号でなければ無料で全文読めることを知りました。
 第一章は→コチラです。


【「新東亜」のサイト中の連載小説「黎明」の冒頭部分。】

 開城工団で生産が始まったのは2004年末ですから、今年で10年目になります。
 2000年に鄭周永現代グループ会長が平壌を訪問した際その計画が明らかにされ、同年金正日総書記と金大中大統領との間の南北首脳会談で合意をみたもので、つまりは太陽政策の象徴的産物です。
 以後、たとえば昨年(2013年)4~9月の操業停止のようなトラブルもありましたが、その後操業再開となり、現在も125の韓国企業と、コンビニエンスストア・銀行など87の営業店が進出が進出し、約5万2千人の北朝鮮労働者と、千人近い韓国人が働いています。

 開城工団の評価については、韓国側の観点で見ると次のような肯定的評価と否定的評価があげられています。

≪肯定的評価≫
 ①両国の平和のシンボルであり、南北どちらにとってもプラスとなる。
 ②低廉な労働力が利用できる。
 ③「北」の人々が資本主義のシステムや物の考え方を知ることとなり、閉鎖的な「北」の体制を開放に向かわせる契機ともなり得る。


 ≪否定的評価≫
 ①北の独裁政権の収入源となり、政権を延命させ、統一を遅らせる。
 ②南北間の対立が高まると昨年のような操業停止となる等、常に不安な状況にある。
 ③軍事的な危機の場合、開城工団で働く韓国人たち(千人弱)が「北」の人質となる。
 ④人件費は安くても必ずしもそれが収益に直結しない。(赤字の企業が多い。サムスン等の有力企業はそれがわかっているから参入していない。)
 ⑤給料が直接「北」の労働者に支払われないので彼らの実際の受取額は不明で、労働者の人権について国際的にも問題とされたりしている。
 ⑥開城工団の製品が「韓国製」として輸出されることに対する非難がある。(国により異なる。)
 ⑦韓国側従業員は現地で北朝鮮の宣伝・情報に100%さらされている。


 参考:
 (1)2014年7月22日の「中央日報」のコラム(→コチラ.日本語)では、開城工団を訪問したドイツのコシュク下院議員の言葉を紹介している。南北の若い男女が同じ場所で一緒に働く場面を実際に見て、高度に産業化された韓国社会との直接的な接触が北朝鮮の労働者に革命的な変化を与えるということを確信したというのである。このコラムは末尾で次のようにコメントしている。
 韓国では、コシュク議員のように開城工業団地をそれほど大変な学習の場だと感じている人は多くないようだ。<いつもつまずく南北関係の上に不安定に存在するもう一つの実存>という程度だろう。とはいえ、南北合作の経済特区である開城工業団地は、緊張緩和と統一、そして未来のための投資の象徴として慎重に定着しつつある段階といえる。
 (2)韓国ウィキペディア(→コチラ)によると、北朝鮮は開城工団から年間8000万ドルの収入を得ているが、その額は中国との鉱物取引で稼いだお金16億ドルの20分の1である。
 (3)北朝鮮労働者の最低賃金は今年5月分から5%引き上げられ、約70ドルとなった。超過勤務手当、保険料、福利厚生費等を合わせ、平均130~170ドルが支給されているという。しかし賃金は北朝鮮当局に一括して支払われ、各従業員がいくら受け取るかは不明な上、ドルではなくウォンで支払われるため。今年3月「朝鮮日報」に「米国人研究者「開城工団労働者の給与、実質賃金は2ドル」」という記事(→コチラ)が掲載され、論議をよんだことがあった。(いろいろ勘案すると、北朝鮮の従業員は他の北朝鮮の職場と比べて良い条件に満足しているようだし、北朝鮮当局もかなりの部分をピンハネして儲けているのではないか?)

 北朝鮮の政権に批判的な人たちの間でも、何を重視するかによって評価が分かれているようです。(→参考記事。) 親北朝鮮の進歩陣営の側でも称揚一色というわけでもなさそうです。
 ヌルボ自身の評価としては、正直なところよくわからず。やや疑念の方が強いかも。
 「北」の政権自体が派遣会社、悪くいえば手配師となって自国民を(シベリア等と同様に)送り込み、給料の大半をピンハネしているというイメージがつくまとうからです。韓国の資本家と北朝鮮の独裁政権が手を結んでいる感じ。
 ただ、これが北朝鮮社会を良い方向に導く方向に作用していればいいのですが、そこらへんが見えてきません。

 開城は38度線の南で、光復(日本の敗戦)後は南側だったのが、朝鮮戦争後は休戦ラインの北に組み込まれました。そして開城工団地は非武装地帯の北方限界線からわずか1㎞、ソウルからは約60㎞。車だと約1時間の近さです。



 しかし、そんな近い所でこれだけ多い韓国と北朝鮮の人たちが共に働いているのに、その実態を伝える資料をほとんど見たことがありません。
 韓国の進歩陣営も保守陣営もそれぞれ「弱点」を認識しているからか? またこの小説中にありましたが、開城工団内の話は外に知られていないのは「北朝鮮側から不利益を受けることを恐れて、韓国企業が徹底的に口封じをしてきたから」なのか?
 いずれにしろ、実態がわからないままで評価は下すことはできないというのがヌルボの見解です。

 で、この小説。(だんだん本論へ・・・。)
 イ・ウォンホという作家はナムウィキ(→コチラ)によれば、「あまり知名度は高くないが、出版界ではダークホースでけっこう稼いでいる。いわば在野の李文烈(!)といったところだが、文学性はない」とあります。読んでみるとナルホド(笑)です。
 たしかに大衆小説らしいテンポのいい文章で、スイスイ読めます。およそ文学的感興といったものは皆無(笑)。ま、当方の目的は開城工団の実態を知ることだから、それはどうでもいいんですけどね。

 で、肝心の内容。今まで3~9月号の7回分で、まだ完結していませんが、その展開の速いこと!
 3月号(第1章)では開城転任を命じられた主人公の身辺状況の描写で、やっとラストの場面で開城工団入りするのですが、その後はあれよあれよといった感じで、いつの間にか副主人公の北朝鮮女性(主人公直属の部下)が脱北(!)するところまでいっちゃってるんだから・・・。
 そんなわけで、どこまでリアリティがある小説なのか疑わしい点もありますが、続きでは注目したところを具体的に書きます。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

イッキ読みしたキム・オンス「設計者」はちょっと文学的なハードボイルドでおもしろかった!

2014-07-25 23:48:33 | 韓国の小説・詩・エッセイ
   

 キム・オンス(金彦洙.김언수)「設計者」(クオン.新しい韓国の文学06)を読了。
 これは読んでよかった、得をしたという本でしたね。

 クオンの<新しい韓国の文学>シリーズの既刊作品中では上右の写真のように一番分厚く約550ページ。
 それでも一気読みできたのは、シリーズ中異色の(一応)ハードボイルドで、展開もスピーディだから。1ページが14行の上、会話の部分が多いということもあります。
 また、<K-文学.com>の記事(→コチラ)によると、この作品は最初ウェブ小説として連載されたそうですが、そのことも文体や筋の運びの軽やかさに関係しているかもしれません。

 何の予備知識もなくこの本を手にすると、この分厚さとともに、「設計者」というタイトルに抵抗感を感じるのが自然な反応でしょう。(※原題は「설계자들(設計者たち)」と複数になっています。)
 内容に即して、もう少し具体的な書名をつけるなら「暗殺の設計者たち」くらいなんでしょうが、そうすると「設計者」という言葉と、この物語に込められた寓意が見過ごされてしまうという判断があったからでしょうか?

 主人公はレセンという名の32歳の暗殺者です。女子修道院前のゴミ箱から発見され、修道院の付属孤児院で4歳まで育てられ、その後狸おやじの養子として成長しました。狸おやじは1920年開館の図書館の館長。
 学校に行かなかったレセンにとって、図書館は学校でもあり遊び場でもありました。

 ところが、「犬の図書館」という名のこの図書館は、実は数十年もの間権力に寄生しながらその陰で韓国現代史上の主要な暗殺の本拠としての役割を果たしてきた所でした。
 狸おやじはそのボスで、レセンは彼から暗殺者としての技術や知識を教え込まれて育ったのです。

 レセンは、暗殺を政治的信念等とは関係なく、仕事としてやっています。送られてくる文書の指示通りに・・・。その文書を作成するのが「設計者」なのですが、それが誰なのかはよく分かりません。
 そして「設計者」の上には暗殺の依頼主がいるのです。
 つまり、順序立てて書くと次の通り。
 ①権力と富を持った依頼主が暗殺を設計者に依頼する。
 ②設計者はトラッカー(追跡者)の調査を基に暗殺を「デザイン」する。
 ③設計者から送られてくる文書にはターゲットの写真、住所、体重等、行動パターン、趣味、関係者等の情報が記されている。殺人方法や死体の処理方法まで書かれている。暗殺者はこの支持に忠実にコトを実行する。

 私ヌルボ、このような設定を、このような物語を成り立たせるための仮構と受けとめて読み進んでいったら、100ページ辺りで次のようなことが書かれているのにはちょっと驚きました。

 皮肉にも、独裁と軍事政権の時代が終わって、暗殺業は爆発的に成長した。軍事政権時代、暗殺業は・・・・秘密工作みたいなものだった。・・・・軍人のほとんどは、設計者に関心がなかった。彼らの目の上のこぶみたいな人々は、家族の目の前でジープで連れ去られ、南山の地下室に閉じ込められて、半身不随になるまでぶん殴られて帰されても何の抵抗もできない、そんな無知な時代だった。彼らに高級設計者は要らなかったのだ。暗殺業の膨張が加速したのは、政府を道徳的に飾りたてたいという、新しい権力の登場だった。おそらく彼らは「みなさん、ご安心ください。我々は軍人ではありません」というフレーズを額につければ、国民を騙せると考えたようだ。しかし、どんなに取り繕ったところで、権力の属性は本質的には同じだ。・・・・この新たな権力が直面した問題は、・・・・南山の地下室を利用できないことだった。そこで彼らは・・・・殺し屋事務所と取引を始めた。いわば、暗殺のアウトソーシング時代が到来したのだ。

 はたして、韓国の読者たちはこういう設定になんらかのリアリティを感じながら読んでいるのだろうか? たとえば、殺し屋事務所は「大統領選挙の時期は忙しい」とかのくだり等。
 そして今の状況はというと・・・。
 
 ・・・・国家が企業をアウトソーシングする方法を企業が真似しはじめ、暗殺事業は爆発的に成長した。企業は国家よりも依頼の量が多かった。

 (今ふと思い出した韓国映画「ある会社員」も、表向きは金属製造会社だが、実は殺人請負会社という会社の話だったな。)

 ・・・ということで、新しいタイプの殺し屋事務所の台頭が目立つというわけです。旧タイプの狸おやじの「図書館」に対し、新タイプの代表のハンザという男が構える事務所は江南のL生命ビルの7~9階にあり、表向きは警備会社、保安会社、情報提供会社等として登録されています。
 ここでも次のような「説明」が書き添えられています。

 窮地に立たされたワクチンの製造会社が、結局作らなくてはならないのは、最高のワクチンではなく最悪のウイルスであるように、保安会社や警備会社の繁栄のために必要なのは、卓越した保安のスペシャリストではなく、最悪のテロリストだ。 

 少なくとも、世間の不安感の高まりが警備会社の発展を促したというのは事実ではある・・・。

 このような設定のハードボイルドなので、当然銃やナイフによる殺し合いの場面がいくつもあります。
 しかし、「死ねっ!」とか「やりやがったな!」などと罵りあったりはしません。それどころか、双方がなかなか含蓄に富んだ話を交わしたりするのです。
 たとえば、
 「紅茶には帝国主義の息づかいが染みついている。だからこれほど甘美な味がするのさ。何かが甘美であるためには、すさまじい殺戮がその中に隠されていないとだめなんだ」
 とか、
 レセンの友人のトラッカーが気づかれずに標的を尾行する秘訣を語る場面。
 「平凡であることだよ。人々は平凡なことは記憶に留めないんだ。・・・・考えてみれば、平凡になるのは、特別になることと同じぐらい難しいんだよ。・・・・そもそも平均的な人生というものが存在しないからだよ。・・・・そんな平凡な生き方には、愛も、憎悪も、裏切りも、傷も、そして思い出も存在しない。無味乾燥で無色無臭だ。けれども、俺はそういう人生に惹かれる。重すぎるのは耐えられない。・・・・」
 ←おいおい、これがエンタメか?とツッコミを入れたくなります。最初の方で「(一応)ハードボイルド」と(一応)を入れたのは、随所に純文学風味が感じられるからです。
 あるいは、レセンに指を2本切り落とされちゃった相手が後日チュッパンイワシのギフトセットを持ってやってきたりもします。(なんという人間関係だ!?)
 ※チュッパンイワシ・・・韓国語では죽방멸치。죽방(チュッパン.竹防)という竹製の道具で捕られた南海の特産品の高級な멸치(ミョルチ.イワシ)。この大がかりな道具については、過去記事(→コチラ)の画像参照。

 主人公レセンが修道院の前のゴミ箱で拾われたというくだりを読んでなんとなく村上龍の「コインロッカー・ベイビーズ」を連想しましたが、文体はむしろ村上春樹に通じるところがあると思います。
 たとえば次のような、軽い、ちょっと洒落たユーモア。

 トイレの便器に仕掛けられた小さな爆弾を発見したレセンに、爆弾を調べたプジュの雑貨屋との会話です。
 「とにかく今回は運よく生き残ったな」
 信管を分離した爆弾をレセンに渡しながら雑貨屋が言った。
  「便秘だったんですよ」

 あるいは、白い風呂敷に包まれた遺骨箱を見て、司書の女性が訊ねる場面。
 「あれは何ですか? 日本の和菓子ですか?」

 さて、物語は、半分以上過ぎてからミトという若い女性の造反設計者(?)が登場して新たな展開になっていくのですが、ラストはちょっといかがなものかと・・・。映画化するとしたらきっとラストは変えるでしょう。
 ということで映画化関係。この小説の映画化を希望しますという韓国ブログがいくつか見ました。詳しく感想が書かれている→コチラの日本のブログでも「映画化間違いなし、当たるだろうな」とあります。
 ところが、実際に映画化が決まっていたようなんですね。(2010年の時点では。)
 →コチラの2010年の記事(韓国語)はイ・オンスとの作家ミーティングの報告なのですが、その中で、映画化されることが決まったが、レセン役を誰が引き受けたらいいのかという質問に作家は「パク•ヘイル」と答えた。
 ・・・と書かれてました。
 パク・ヘイルとはいかにも、ですね。あの「殺人の追憶」の何を考えているのかわからない容疑者役が思い出されます。
 →コチラのブログ記事の仮想キャスティングではウォンビンにしてましたが。
 しかし、もう何年も経っているのに、その後映画の話はどうなっているのかよくわかりません。

 この小説の難点は、(村上春樹同様)生活感とか、街の臭いや喧噪といったものがあまり感じられないこと。市場の真ん中のスンデクッパの店でコプチャンポックムと焼酎を飲み食いする場面もあるんだけどなー。
 まあ、それもまた「現代の韓国らしさ」を表しているともいえるのでしょうが・・・。
 「現代の韓国らしさ」は、登場人物の名前についてもいえるかもしれません。
 「レセン」はふつうは見ない名前です。発音も、ラ行で始まる名前はふつうありません。漢字語「来生」です。「ミト」と「ミサ」の姉妹の名も見慣れない名前です。漢字だと「美土」と「美砂」、かどうかはわかりませんが、あるブログでは「土砂に美を付けるとは・・・」という点に注目していました。
 名前といえば、レセンが飼っている2匹の猫の名が書見台とコンパス。(うーむ、現代的やねー。) この猫たちはその後猫カフェに預けられるのです。韓国でも近ごろ猫カフェができているのですね。この小説の猫カフェの女主人は、以前結婚していたとき、アパートで増えつづける猫に耐えかねた夫が「猫か自分かどちらかを選べ」と彼女に突きつけたため離婚した、という女性。(これまた現代的やねー。)

 ・・・というわけで、ストーリーのおもしろさもさることながら、韓国社会のモロモロについてもいろいろ知ることができた小説でした。

 ついでに個人的な備忘録といった感じで本書で知ったいろんな言葉について列挙しておきます。

プジュ(푸주.庖厨)・・・本来は豚や牛などを屠殺する場所。この小説では裏社会。
大韓ニュース・・・1994年まで政治目的のため映画館で流されていた国家政策の3分間のニュース。以後はテレビ放送のKTV韓国政策放送に切り替えられた。
銀鈴姉妹(은방울자매)・・・1950年代にデビューした、現在のK-POPガールズグループの元祖的存在。ハングルで画像検索・動画検索するといろいろヒットします。
「興宣とカエルが跳ぶ方向は誰も知らない」・・・興宣(大院君)の内心は誰も読めない、という意味。(どれくらい一般的な言葉か疑問。)
強力系刑事(강력계 형사)・・・殺人・強盗・レイプ・拉致・放火・麻薬などの凶悪犯罪を扱う刑事。
マットンサン・・・かりんとうに似た味のロングセラーのお菓子。
●コンビニ店員ミトによるお菓子の話「・・・・スニッカーズがアメリカ的な味なら、ホットブレイクが国の味なんですよ。歯にくっついたりもしないし。それにコストパフォーマンスからしても、優れたチョコバーです。スニッカーズの半分の値段なんでよ。もちろん十年前の価格を維持するために、だんだん小さくなっきてはいるんですけど。悲しい現実ですね。・・・・」 (これは実際に食べ比べてみなければ・・・。)
 ※その後2014年9月にスニッカーズホットブレイクの食べ比べをしました。自分で言うのもなんですが、かなり細かく、画像付きで4項目に分けて採点してます(笑)。→コチラ

[余談]最初著者の名前を見て、「もしかしてキム・ヨンス(金衍洙.김연수)?」と思いました。
 2009年「散歩する者たちの5つの楽しみ(산책하는 이들의 다섯 가지 즐거움)」で李箱文学賞を受賞した純文学作家です。
 カタカナ書きでも十分紛らわしいですが、ハングルだと언と연というわずかな違い。ある韓国ブログに「キム・ヨンスの新刊かと思って買ってしまいました」という記事があったのはやっぱりね、です。

コメント (3)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「親日詩人」(?)金鍾漢(キム・ジョンハン)の作品を読む

2014-04-24 23:46:35 | 韓国の小説・詩・エッセイ
         

 黒川創(編)「<外地>の日本文学選3 朝鮮」(新宿書房1996)は、高浜虚子「朝鮮(抄)」や中西伊之助「不逞鮮人」等、他ではほとんど目にすることがない日本の統治期の日本人と朝鮮人の17作品を集めたアンソロジーです。

 私ヌルボが金鍾漢(キム・ジョンハン)という詩人の名前とその日本語詩数編を知ったのも、この本で読んだのが最初でした。
 最近この本を久しぶりに読み直して、その詩の意義を再認識しました。

 金鍾漢は1914年2月咸鏡北道明川郡(現在は北朝鮮)に生まれました。37年に渡日して日本大学に入学し、卒業後婦人画報社に勤務しながら詩作を続けました。
 この本には、1943年7月に刊行された『たらちねのうた』という日本語の詩集から7編が抜粋・収録されています。

 読みづらい小説をいくつか読み終えて、箸休めみたいな感じで読みやすそうな詩のページがあったのでなんとなく目に止まったのがそれらの詩です。

    一枝について 

 年おいた山梨の木に 年おいた園丁は
 林檎の嫩枝(わかえだ)を接木(つぎき)した
 研ぎすまされたナイフをおいて
 うそさむい 瑠璃色の空に紫煙(けむり)を流した
 そんなことが 出來るのでせうか
 やをら 園丁の妻は首をかしげた

 やがて 躑躅が賣笑した
 やがて 柳が淫蕩した
 年おいた山梨の木にも 申譯のやうに
 二輪半の林檎が咲いた
 そんなことも 出來るのですね
 園丁の妻も はじめて笑つた

 そして 柳は失戀した
 そして 躑躅は老いぼれた
 私が死んでしまつた頃には
 年おいた 園丁は考へた
 この枝にも 林檎が實(な)るだらう
 そして 私が忘れられる頃には

 なるほど 園丁は死んでしまつた
 なるほど 園丁は忘られてしまつた
 年おいた山梨の木には 思出のやうに
 林檎のほつぺたが たわわに光つた
 そんなことも 出來るのですね
 園丁の妻も いまは亡(な)かつた


 「なんだ、これは!?」という驚きで目がさめたような気分でした。
 躑躅(ツツジ)=진달래(チンダルレ)も柳=버드나무(ポドゥナム)も、いかにも朝鮮らしい植物です。国民的愛唱歌「故郷の春」の歌詞にツツジも出てくるし、柳の都といえば平壌のことで、だから例の柳京ホテルもあるわけです。(ヤマナシは、ソウルの特産種の문배나무(ムンベナム)のことかな?)
 山梨に林檎を接木するというのが「日韓併合」「内鮮一体」を指すことは隠喩というにはあまりに明らかです。すると「柳は失戀した」とか「躑躅は老いぼれた」とかは・・・。

 次は、朝鮮で創刊された日本の国策雑誌『国民文学』の1942年7月号に<徴兵の詩>として掲載されたという詩です。

    幼年 

 ひるさがり
 とある大門のそとで ひとりの坊やが
 グライダアを飛ばしてゐた
 それが 五月の八日であり
 この半島に 徴兵のきまつた日であることを
 知らないらしかつた ひたすら
 エルロンの糸をまいてゐた

 やがて 十ねんが流れるだらう
 すると かれは戦闘機に乗組むにちがひない
 空のきざはしを 坊やは
 ゆんべの夢のなかで 昇つていつた
 絵本で見たよりも美しかつたので
 あんまり高く飛びすぎたので
 青空のなかで お寝小便(ねしょ)した

 ひるさがり
 とある大門のそとで ひとりの詩人が
 坊やのグライダアを眺めてゐた
 それが 五月の八日であり
 この半島に 徴兵のきまつた日だつたので
 かれは笑ふことができなかつた
 グライダアは かれの眼鏡をあざけつて
 光にぬれて 青瓦の屋根を越えていつた


 後の「親日派」批判の風潮に大きな影響を及ぼした林鍾国(イム・ジョングク)「親日文学論」(1966)では、先の「園丁」(のち「一枝について」に改題)を全文引用しているそうです。つまり、代表的親日作品として。
 「幼年」も、翌1942年5月8日からの朝鮮人徴兵制度実施を宣揚する日本語詩として批判の対象としているとか・・・。
 しかし、戦闘機に乗組むにちがひない十年後の坊やはなぜ「青空のなかで お寝小便(ねしょ)」をするのでしょうか? なぜ詩人は「笑ふことができなかつた」のでしょうか?
 もっと「わかりやすい」作品が、真珠湾攻撃の日12月8日を歌った「たらちねのうた」です。

    待機

 雪がちらついてゐる
 しんみりしづかに 雪がちらついてゐる
 そのなかを ききとして きみたちは
 いもうとよ またいとこよ おとうとよ
 まなびやへと急いでゐる
 ながいながい 昌慶苑の石垣づたひ
 雪がちらついてゐる

 しんみりしづかに
 雪がちらついてゐる ちらついてゐる
 いもうとよ またいとこよ おとうとよ
 それはふりかかる きみたちのかたに
 たわわな髪の毛に ひひとして やぶれ帽子のうへに
 十ねんわかくなつて わたくしも
 きみたちと 足なみをそろへてゐる
 雪がちらついてゐる

 たしか きよねんの十二月八日にも
 雪がちらついてゐた あれから一ねん
 たたかひはパノラマのやうに
 みんなみの海へひろげられていつた
 そしてきみたちは ごはんのおいしさをおそはつた
 またいとこよ いもうとよ おとうとよ
 きみたちのうへに 雪がちらついてゐる

 雪がちらついてゐる
 ながいながい 昌慶苑の石垣づたひ
 かくも 季節のきびしさにすなほなきみたちに
 あへてなにをか いふべき言葉があらう
 雪がちらついてゐる しんみりしづかに
 いもうとよ またいとこよ おとうとよ
 雪がちらついてゐる きみたちの成長のうへに
 ひひとして 雪がちらついてゐる


 あの高村光太郎の「十二月八日」や三好達治の「捷報いたる」のような昂揚感は微塵もありません。それどころか、(南富鎭静岡大教授によると)当日の京城には雪はちらついていなかったというではないですか。
 雪は「きみたちの成長のうへ」にちらついているのです。

 これらの詩に「親日文学」とレッテルを貼って排斥してしまうとは、まさに政治的尺度のみで文学の価値づけをするようなもので、スターリニズムやナチスドイツ、そして現在の北朝鮮と同様のものになってしまいます。

 金鍾漢全集」(緑陰書房.2005)の布袋敏博早大教授の解説によると、研究者として金鍾漢に注目したのは大村益夫名誉教授の論文「金鐘漢について」(1979)が最初だそうです。
 大村名誉教授は、その論文の中で次のように記しています。

 金鐘漢という文学者の生き方は、抵抗か親日かという二者択一をせまる単眼のみではとらえられぬ複雑な様相を呈している。「大東亜戦争」下に生きた文学者たちの発言を一度当時の時点にもどし、かれらが置かれた状況のもとにおいて相対的に眺めるとき、鐘漢は一面、親日文学者でありながらも一面、抵抗詩人であったことがわかってくる。このことはなにも鐘漢ばかりでなく、同時代に生きた多くの文学者についてもいえることである。金史良とて例外ではなかったはずである。

 また、「<外地>の日本文学選3 朝鮮」の編者黒川創さんも解説で次のように記しています。

 金鐘漢は、一九四四年九月、三〇歳で急逝する。もし、彼が戦争下を生きぬいて植民地朝鮮の解放を迎えていたなら、この詩人の存在は、「親日」批判とも「転向」批判とも異なる植民地下の文学活動への批評の視座を、もたらすことになったのではないかと想像してみずにはいられない。

 上の文中にあるように、彼は1944年9月京城で急性肺炎のため世を去りました。
 彼の3歳年下尹東柱(ユン・ドンジュ.1917年生)が福岡刑務所で獄死したのは1945年2月です。
 今、尹東柱は韓国では知らぬ人はなく、日本でも多くの人が知っています。彼の有名な作品「序詩」は、

 いのち尽きる日まで天を仰ぎ 
 一点の恥じることもなきを、
 木の葉をふるわす風にも
 わたしは心いためた。


 ・・・と、傷ましいほど清冽な言葉を連ねています。

 一方、金鍾漢については、「金鍾漢全集」の巻頭で大村益夫さんは彼の「雷」という詩の一節を引用しています。

 はんかちのやうに つつましくあらうと希ひ
 はんかちのやうに よごれては帰る


 どんな心で彼がこういう詩句を書いたか、親日派を批判する人たちの想像力はそこまで及ばないのでしょうか?

 彼の遺稿に「くらいまつくす」という詩があります。『民主朝鮮』創刊号に掲載されたのは、戦争後の1946年4月でした。

    くらいまつくす 

 三本の鉉(いと)が切れても
 G線上のありあは奏でられる
 ぴん止めにされた蝶よ
 はかない生命(いのち)よ はばたくがよい
 死と生の刃(やいば)の上で
 お祈りした三十歳の言葉は
 高麗古磁の意匠よりも絢爛であつた
 こはれた樂器のやうに
 音樂を欲しながら


 ・・・三本の鉉が切られたような時代状況にあって、残された一本でかろうじて奏でたアリアを、70年後の現代に生きる者たちはどれほど聴き取ることができるのでしょうか?

 「一点の恥辱なきことを」自ら希って純粋に生き、獄死した尹東柱だけでなく、このような「親日詩人」にももっと関心が向けられなければならないと思います。

※参考→藤石貴代「金鐘漢論」

※神奈川新聞社の社員だった金達寿は1943年韓国に渡り、京城日報の社員になりますが、そこで前年1月頃から朝鮮に戻っていた金鍾漢と会ったりしています。後に書かれたその当時の回想は「金鍾漢全集」に収録されています。なお、上記文中の『民主朝鮮』は金達寿が創刊した雑誌(文芸誌?)。

               
コメント (9)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする