小説家、精神科医、空手家、浅野浩二のブログ

小説家、精神科医、空手家の浅野浩二が小説、医療、病気、文学論、日常の雑感について書きます。

大谷純 金閣寺

2014-01-26 00:27:13 | Weblog
大学四年で休学して、私か、かかった医者は武蔵野中央病院の大谷純先生である。この先生には本当に救われた。詳しいことは、私のホームページの「過敏性腸症候群」で書いている。ので、繰り返し書かない。

聖路加国際病院の篠田教授にかかったら、心療内科のいい病院がある、と紹介されて、行ったのである。

しかし私は、当然、ダメで元々の感覚で行った。それまで、かかった数多くの精神科医や心療内科医はバカばっかりだったからである。

それに、心臓手術とか脳手術とかの外科系の医者は、技術や経験がものを言うから、名医というのは、あるだろうし、実際そのランクはある。

しかし精神科や心療内科は、技術や手先の器用さ、とかは関係がないから、心療内科医に名医がいる、とは思えなかった。患者の話を聞いて、薬を出して、アドバイスをして、おわり、で大同小異だと思っていた。

しかし、その先生は、激しい吃りだったのである。その吃りの程度のひどさ、といったら、何と形容していいか、わからない。一生、治らない不治の病なのである。昭和60年に、アメリカで、三島由紀夫のドキュメンタリーのような映画(MISHIMA)が作られて、緒形拳が三島の役をやっているが、その中で、「金閣寺」の主人公を坂東三津五郎が演じているが、主人公は、ひどい吃り、であり、坂東坂東三津五郎は、かなり、上手く吃り、を演じているが、あの程度、といったら、いいだろう。いや、あれよりも、もっと、ひどいというべきだろう。はっきり言って、会話不能の程度である。You-Tubeに、その映画がある。(著作権のため、なくなることもある)

先生は、自分の生まれつきの病気を役立てたいと思って医者になり、そして心療内科を選んだのに間違いない。(先生が、少し前に自分史のような本を出版しているので、それに書いてあるかもしれない。私は読んでないが)しかし、読まなくても明らかである。医者でも、外科とか麻酔科とかは、手を使って黙々と手術をするのが主な仕事だから、言語の障害は、ほとんど、仕事の差し障りにならない。しかし、精神科や心療内科は、患者と話すのが主な仕事である。そういう自分に不利な、条件の悪い、心療内科を、あえて自分の意志で選んだのだから、自分の苦しみを役立てたいと思って心療内科を選んだのは、疑う余地が無い。

しかし先生も、自分の苦しみが、はたして、患者の治療に役立つのか、どうか、という問題には、非常に悩んだだろう。そして、心療内科医になってからも、はたして、自分の障害が患者の役に立っているのか、どうかは、わからないだろう。

しかし、私には、これほどの特効薬は世界中に他に無い、と言って全く過言ではない。病気に耐えながら、はたして医者という仕事をやっていけるのか、どうか、というのが私の、生きるか、死ぬか、とまで悩んだ問題であったのだから。

ただ、全ての患者が、そういうことで悩んでいるわけではないだろうから、先生の病気が全ての患者に役に立っているわけでもないし、先生が日本一の心療内科の名医であるわけでもない。ただ、私にとっては、これ以上の先生は、いないというほど、救われた出会い、であり、存在たった。
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