小説家、精神科医、空手家、浅野浩二のブログ

小説家、精神科医、空手家の浅野浩二が小説、医療、病気、文学論、日常の雑感について書きます。

コーチのアドバイス(注意)は無視すべし2

2011-08-06 19:19:06 | 武道・スポーツ
さて、三日前に「コーチの注意は無視すべし」と書いたが、もう少し正確に書いておこう。ちょっとこれでは荒削りすぎる。コーチは生徒の外見的な誤りも指摘していいのである。また、スポーツにおける、守るべき原則を10個でも、それ以上でも、最初にでも、途中にでも言っていいのである。というより、言った方がいいのであり、さらには、言うべきなのである。生徒は、それらをしっかり頭に入れておいた方がいいのである。ただ、大切なのは、生徒としては、それらは、頭の片隅に入れておくべことであって、全部をいっぺんに守ろうとすると、逆効果なのである。生徒としては、それらのアドバイスの内、自分にとって一番重要な事を、せいぜい一つにしぼって、意識して練習すべきなのである。技術的なことで何かを意識しながら、運動しようと思ったら、意識できることは、一つが関の山であり、また一つの方が二つのことを意識するより、運動の上達には効率がいいのである。
さて、コーチとしては、守るべき原則や、生徒の外見の誤りは、アドバイスしたり注意したりしていいのである。ただ、大切なことは、毎回、毎回、生徒が、うんざりするほど言うのは、よくないのである。そして、守るべき原則やアドバイスを言った後、「これらのことは頭の片隅には入れておいて下さい。ただ、いきなり多くのことを意識することは出来ませんし、逆効果です。だから、自分にとって一番、重要だと思うことを、一つだけに絞って練習して下さい」と言うことが必要であり、重要なのである。この一言をいうかどうかが、大きな違いになってくるのである。その一言をいうコーチが良いコーチなのである。悪いコーチとは、それを言わず、生徒の誤ったフォームを、直すよう毎回、毎回、繰り返して言い、そして、生徒がそれをしなければ、気がすまないようなコーチが悪いコーチなのである。(そして、そういうコーチは、生徒が、とにもかくにも、コーチのアドバイスを守ろうとすると、「よーし。それでいい」と喜ぶものなのである)
こういうのは、どこかで見たことがあるのではないだろうか。それは、漫画「巨人の星」で、オズマを星一徹が、コーチした時の光景である。「スタンスが広すぎる」「手首を返せ」と命令し、それを守れないオズマを、「スタンスも手首も直っとらん」と竹刀で思いっきり、ぶっ叩いていたが、ああいうコーチが悪いコーチの見本なのである。まあ、漫画の世界だから厳しさを表現するためであるが。漫画の中ではいいが。しかし、それを現実にやっては、全然、よくないどころか逆効果なのである。
確かに、世の中には、いくつもの事を同時にすることは出来る。たとえば。車を運転する時は。車を運転しながら、カーラジオを聞きながら、助手席の女と話しながら、煙草を吸いながら、外の景色を見ながら。と五つのことを同時に出来る。しかし、それらは、全て、すでに身についている簡単なこと、や、受動的なことばかりだから出来るのである。しかし、スポーツの上達過程においては、技術的なことで何かを意識しながら、練習するというのは、非常に大変なことなのである。
しかし現実には星一徹のようなコーチもいるのである。それは本人の性格が大きいが、中には漫画かぶれ、している人もいるだろう。そもそも、ネットで、「スポーツコーチ募集」とかで検索すると、全てのスポーツスクールのコーチ求人の条件は、自分が欠点なく、しっかり上手く出来るのが条件の全てであり、指導歴何回とか、指導した経験あり、などというものを求人の条件としている所など一つもない。プロ野球のコーチとても、コーチには給料を払わねばならないから競争率の厳しい現役引退後の選手の憧れる就職先なのである。そして、それに採用されるかどうかは、やはり現役時代、自分が選手して、どれだけ良い成績を残したか、が採用される条件だろう。(と察する)
さて、悪いコーチにつくと、せっかく長い目で見れば上達できる能力を持っているのに、コーチに、同じことを毎回、毎回、注意され、上達せず、もう嫌になったり、わけがわからなくなったりして、結局はやめていく。そしてコーチは、根性のないヤツだ、と軽蔑する。コーチも生徒も両方とも盲目である。
だからこそ、悪いコーチにはつかないよう注意すべきだし。「三年かけて良師をさがせ」(意味=下手なコーチに三年習うより、三年かけて良い師を探した方がいい)などという諺が出来てしまうのであり、また、地理的、環境的に、どうしても悪いコーチの指導のもとで練習しなければならないのなら、「コーチの注意は無視すべし」という原則を守らなくてはならないのである。
さて、スポーツコーチの事を悪くばっかり言ったが、中には才能のあるコーチもある。You-Tubeで、色々見ると、「あっ。このコーチは才能(人を上手くさせる能力)があるな」と思われるコーチが、結構いるのである。悪いコーチの犠牲者となって、スランプとなってしまった人は、そういう良いコーチの所まで足を運び、一度か数度か指導を受けるのがいいだろう。それと、あとは自分で考えてみること。そして、本人のやる気の度合いである。

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もし私が被災者だったら

2011-08-06 07:04:51 | Weblog
もし私が津波の被災者だったら。

私は失う物は何もない。借家だし、子供もいないし。物質的な財産というものがないのである。だから、泥棒が入っても、盗むのにめぼしいものなどない。ので、結構、鍵をかけないでアパートを出ることも多い。本はたくさんあるけど、そんなもの買うことが出来る。車もボロだし、以前、査定してもらったら、買い取り価格0円だった。医師免許など、厚生労働省に手続きをすれば、すぐ出るから働くのにも困らない。他の人は、思い出の写真が貴重らしいが、私の写真など全くない。し、思い出などもいらない。無くなって困るのは、書きかけの小説が入っているフラッシュメモリである。

しかし、よく考えてみたら、無くなって困るものがあった。それはSM写真集である。200冊か300冊か、どのくらいあるのか知らないが、これは、無くなったら非常に困る。一昔前の情緒的なSM写真集なので、もはや入手困難なものが多いのである。古本屋では一冊、三万から五万の値段がついているものも多い。といっても金の問題ではない。入手困難なので、困るのである。

瓦礫の中を一人の男が瓦礫を一枚一枚めくって何かを探すように歩いていた。××テレビ局のレポーターであるR氏がやってきた。

男「(泣きながら)無い。無い」
R「あ、あの。被災者の方ですか?」
男「はい。そうです」
R「この度は大変お気の毒さまです。何をお探しになっておられるのでしょうか?」
男「写真です。僕にとってかけがえのない」
R「ああ。そうですか。家族との楽しい思い出の詰まったアルバムですね。それはたしかにかけがえのない大切なものですね」
男「いえ。違います。そんなものではありません」
R「(とまどって)で、では。大変恐縮ですが、どんな写真をお探しになっておられるのですか?」
男「80年代のSM写真集です」
R「(とまどって)はっ?」
男「あのSM写真集は僕の命も同然なのです。さびしい時、かなしい時、裸で緊縛された彼女たちを見ることによって、私はなんと慰められたことかわかりません。写真の彼女たちをもう見れないかと思うと胸が張り裂けそうな悲痛な思いです」
R「(ひきつった顔で)そ、それは、お気の毒ですね。古書店で買うことは出来ないのでしょうか?」
男「ほとんどが、もう入手不可能なものばかりです。見つからなかったら僕はもういっそのこと、死のうかと・・・(涙)」
R「は、はやまらないで下さい。きっと、またいいSM写真集が必ず出ると思います。日本は太平洋戦争の焼け跡の中から世界第二位の経済大国になったほど逆境に強い国民です。日本人の底力を信じて頑張りましょう」
男「同情や気休めはいいです。あなたにはわかりません。あんな情緒的なSM写真集は、もう絶対出版されません。それに彼女たちは、私が愛した青春そのものなのです」

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今日から夏の甲子園大会

2011-08-06 06:06:13 | 武道・スポーツ
今日から夏の甲子園大会である。ちなみに私は出場したいので、ある学校に少し前に入学手続きをした。私はピッチングや投げるは、全然できないのである。子供の頃からキャチボールというものを全然したことがないからである。しかし、バッティングはバッティングセンターで鍛えたせいで、打てるのである。
ということで、私は代打で出場します。

アナウンサー「代打のお知らせをします。××君にかわり、ピンチヒッター浅野君。ピンチヒッター浅野君」

というアナウンスが流れる可能性があります。

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