鬼平や竹鶴~私のお気に入り~

60代前半のオヤジがお気に入りを書いています。

お気に入りその1736~衆鱗図

2019-02-06 12:35:32 | 鬼平・竹鶴以外のお気に入り
今回のお気に入りは、衆鱗図です。

やっちまった!
先日「ウシュクベ」を味見しながらヤフオクを冷やかしていたら、ついうっかり衆鱗図を落札してしまいました。
いつもより杯が進んでいたため、冷静な判断ができなかったのが敗因です。

衆鱗図はほとんどの古書サイトで売り切れており、唯一「日本の古書店」というサイトで5万円近くで販売しています。
またヤフオクでもしばらく出品されていません。
きっと落札額は4万円近くになるだろうと予想しました。
その日は時々入札に参加して、値を釣り上げて遊んでいました。
ただし落札するなら2万円以下と決めていたので、2万円を超えてからは時々経過を見るだけでした。
この2万円というラインは、香川県博物館で販売したときのセット価格です。
再刊行の可能性を考えると、ヤフオクも2万円までと考えていました。
ところが酒が回り、まだまだ入札額が上がるだろうと安易に考えて3万円ほどに釣り上げてみたところ、もう誰も上回る額を入れてくれず、あえなく落札・・・。
あーー、しまった!
頭を抱えましたがもう後の祭り。
しばらくは美味しい日本酒、美味しいウイスキーを飲みに行くのを自粛するしかありません。
あーあ、オレのバカ!

ショックの数日後。
大きな箱にクッション材をたっぷり詰めて届きました。
クッション材にはご当地の新聞が使われていることが多く、地域性を感じる記事を読むのも楽しみのひとつ。
今回は島根県から届きました。
どれどれ・・・と広げると何と「日本農業新聞」ではありませんか!
TOKIOのリーダー城島さんが愛読している新聞。
初めて現物を目にしました。

・・・話を本題に移します。
全5冊セットの内訳は次の通り。

〇第一帖  190品
タイ、カレイ、メバル、ハタ、マグロ、エイ、オコゼなど
〇第二帖  181品
サメ、ハゼ、フグなど(スネメリとスジイルカも含む)
〇第三帖(表)  162品
エビ、タコ、イカ、カニ、ナマコ、ウミウシ、クラゲ、ヒトデ他
〇第三帖(裏)  85品
フナ類、金魚類、他未整理の淡水魚
〇第四帖  34品
未整理の海産魚
〇研究編
魚の専門家による種の同定
博物学の専門家による図譜の研究結果

実に美しく細密な魚譜です。
鱗の1枚1枚まで正確にスケッチした上、多彩な色彩を惜しみなく描き込んでおり、何とも贅沢に仕上げています。
これだけ素晴らしい出来なのに、どうして日本四大魚譜に入っていないのでしょうか?
※日本四大魚譜の内、江戸時代の作は「シーボルトの魚譜」と「栗本氏魚譜」

そう思いながら研究結果を読むとその謎が解けました。
「栗本氏魚譜」は衆鱗図を転写したものなのだそうです。
衆鱗図が日本四大魚譜のひとつ「栗本氏魚譜」の元本ということなら、日本四大魚譜と同等以上の価値があると考えて問題なさそうです。
専門家は、衆鱗図がその後に制作された多くの魚譜に転写され、日本の博物学発展に多大な影響を与えたと述べています。

ちなみに衆鱗図に先立ち、衆鱗手鑑が制作され、1762年に幕府に献上されています。(現在は所在不明)
衆鱗図は1767年ころに手鑑の写しとして制作されました。
衆鱗手鑑の制作に携わった平賀源内は、その完成を見届けた1761年に脱藩を許されたそうで、その後の大活躍は周知の通りです。

また研究者は、貝類を集めた記録があるのに貝類の図が一切欠落している不思議について触れています。
第四帖の図が未整理の上、品数が少ないことを考えると、何らかの事情により制作が途中で切り上げられたのかもしれません。

今回美しい魚譜を図録でたっぷり堪能しましたが、評判の立体造作はさすがに印刷では再現できません。
以前高松に行ったときに時間が無くて観に行けなかったことが悔やまれます。
いつか再び高松に行き、今度こそ現物を鑑賞しようと思います。


(おまけ)

「衆鱗図」についてもっとお知りになりたい方のために、テレビの「美の巨人たち」という番組で特集されたときの内容を引用しました。
ご興味があればお読みください。
(「goo テレビ番組」から転用させていただきました)
=====
玉藻公園の東側に隣接された香川県立ミュージアムに讃岐の至宝「衆鱗図」が収蔵されている。
大きさは縦33cm、横48cmほどの豪華な表装が施された、全4帖の魚類図鑑。
描かれているタイなどの魚の色合い、艶は水揚げされたばかりを思わせ、鱗は精緻な描写。
エラに着目すると、盛り上がっている。
723点がおさめられている。
クラゲについては1枚の紙から切り抜かれている、切り紙細工。
讃岐は古くから水不足による飢饉や財政難に苦しんできたなか、高松藩第5代藩主の松平頼恭は讃岐三白として知られる、「砂糖、塩、綿花」の生産を奨励し財政を建て直した。
また、無類の博物学好きという一面もあり、家臣だった松平頼恭に「衆鱗図」の製作を依頼したという。
※「家臣だった平賀源内に」の間違いか?
その後、源内は絵師の三木文柳と協力し、同作を作り上げた。
三木は写実的な花鳥画を特徴とする日本画の一派、南蘋派の絵を学んだ人物だった。
小文柳の師は本物のように立体的に魚を描くように注文を受け、頭を悩ませるという寸劇が流れた。
「衆鱗図」で描かれている鯵は銀色に輝く魚体にエメラルド、ピンク、黄色といった色彩。
立体になっているのはエラから尻尾にかけて伸びる、ぜいごと呼ばれる鋭く硬い稜鱗。
この絶妙に表現された凹凸を京都精華大学の芸術学部で特任講師を務める諏訪智美氏がチャレンジ。
水で薄く溶いた胡粉で下地を作り、乾く前に下地の上にあら目の胡粉を乗せる。
乾燥したら胡粉を重ね、少しずつ盛り上げていくことで、ぜいごの立体感を作り出していく。
絵師見習いの子文柳がカレイを持って帰途につくと、師匠は面倒なタイを描き終えたところで、意気消沈していたという寸劇が流れた。
「衆鱗図」では絵筆とは思えぬ強弱、省略の一切ない均一な線で気が遠くなるような鰈の鱗が描かれている。
「衆鱗図」に描かれている魚は活魚のように生き生きとしている。
松平頼恭は高松城内に水槽のようなものを設置し、そこに海洋魚を泳がせていたといわれる。
京都精華大学の諏訪智美氏は銀箔をつけたくない部分に薄い和紙を弱めの糊で塗り、いわゆるマスキングを施した。次に膠で銀箔を貼り、ぜいごの細かい隙間は銀箔の上から膠のついた筆で押さえることでしっかりと貼った。
乾燥後、慎重にマスキングを剥がした。
それでも、ぜいごの完成は道半ばである。
絵師見習いである小文柳の師は絵を描き続けることに奮闘する寸劇が流れた。
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コメント
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