藪遊び

藪歩きの後、体の表面に付いた見えない
砂鉄のようなもの
小瓶に集めて、眺めてみます。

断念

2017-03-28 20:17:21 | 山で


雪の状態が良ければ(深くても 締まっていれば・・)
大阪組に ワカンを履かせて 可能かも・・??
と思っての 探索 三原台でしたが・・



このデブリの通過を前に そんなモクロミは吹っ飛びました。
復路で 実際に胸まで落ち込んで・・
こんな危なっかしい場所に 他の人を連れ込む訳にはゆきません。



そうでなくとも(ワカンを履いていても)
何度も落ち込む この上り下りに 私と同様に
疲れ果ててしまう事でしょうから・・。



雪がちゃんと溶けて・・萱原の萱が伸びきる前に
大阪組を 案内する事にします。

何時の間にか・・

2017-03-26 20:18:27 | 身近で


この冬 何度も深い雪に覆われた
裏庭のクリスマスローズが
真っ白な 清楚な姿から
ワイルドで野生的な風貌へと 変身していました。



放置畑の隅の枯れ茎を 取り除くと
スックリと伸びた 一本のアスパラガスを
発見しました。



そして 三年目となる ユリの球根からは
三箇所から 新しい茎葉が こうして
スタンバイしています。

まだまだ寒いのですけれど いつの間にか
春がスタートしています。

初物

2017-03-20 20:03:14 | 山で


谷筋に 積雪深く
(林道にだって 30cm位残っていますから)



ミソサザイだけは 賑やかに
春の囀りを始めています。



根性で(=欲で) ガレ場から見つけ下ろした
今年の 初物です。

自然に・・

2017-03-18 19:52:44 | 山で


お天気は絶好調の 大快晴なのですが
標高600m位になると 深雪で・・まだいけません。
こんな場所に 他の人を案内する訳にはいきません。



がっかりしながら下りてくると 斜面の上方に
赤っぽい・・花?椿?・・にしては大きいな・・
と よじ登ってみると



鹿らしい動物の頭骨でした。
まだ生々しく 赤っぽく(それで花に見えたのです)
毛も付いていて・・

山で動物(たいてい鹿ですが)の死体や骨には
よく遭遇します。
それが決して気持ち悪くなんかなくて 何かこう
厳粛な・・と言えばオーバーですが

「頑張って生きてきたんだね・・お疲れ様」
というような 送り出すような気持ちになります。

200年とか前なら 人も又 あちこちの野山で
自然に帰って行ったことでしょう。
行き会った人は 厳粛な気持ちで 土をかけてあげた
ことでしょう。(もちろん 今なら即刻 警察ざたです!)

偏食・考

2017-03-15 20:13:22 | 雑感
現在 私の仕事場である施設に居る 70代の男性は
極端な偏食で しばしば体調不良となります。

まず ほとんど野菜が食べられず 肉や魚も限定された
調理法でしか受け付けず(焼肉とか握りずしとか・・)

好物は 玉子焼きと甘い甘いコーヒー(カップの三分の一
は砂糖で埋まります)チキンラーメンなどでラーメンにも
醤油をジャブジャブかけて食べます。

この方を見ていて 私が思い当たったのは 小さい頃の
食生活の希薄さ・・でした。彼の両親は不在で(?)
おじいさん おばあさんに育てられたと言っていました。
しかも 男三人兄弟でです・・。

良くとれば甘やかされ 悪くとればほったらかされて
育ってしまったのではないか?

そこで 自分の事を顧みると 鮮やかな事柄が思い出されてきました。

私が小学校低学年の頃 ある日曜日の昼ご飯のおかずとして
とろろ汁(長芋をおろしたものです)が出ました。

私は「こんなもの 咽に支えそうで食べられない。」と言いました。
本心は『こんな青洟汁みたいなもの 気持ち悪くて口に入れられない』
だったのですが・・・

母は「おかーちゃんが作ったおかずを 食べられないような子は
出ていきんさい!」と言い 私はその後 暗くなるまで家出をして
探されました。

私の小学生時代 給食にはアメリカからの配給だったらしい
脱脂粉乳が必ず付き 私達は本物の牛乳の味を知らずに
中学生になりました。

母は 久々に手に入った長芋を食べさせて 子供達に
栄養を付けたかったのだ・・と 今になれば解ります。

もう一つ やはり同じ頃 家で卵を取る為に飼っていた
雌鳥の(餌やりは 私達子供の仕事でした)一羽が
老化して 卵を産まなくなったらしく 祖父と父とで絞め殺して
その晩に 鶏肉のおかずが出たことがありました。

私はその一切を感じ取ってしまっていたので・・・
以後 鶏肉を口にしなくなっていました。

中学生になってからの事です ある日 夕食の準備で
揚げ物をしていた母が 「ほら 熱々を食べてごらん お魚だから」
と言って 揚げたてのフライをくれました。
まだ夕食じゃないのに 珍しいなぁ・・と思いながら食べた
その美味しいフライは 後で鳥のササミと解りましたが

それ以来 私は鶏肉を食べるようになりました。

母は 私が何故鶏肉を拒否しているのかの訳を
充分に理解していたのだと思います。
だから 時間をかけて 私の記憶が薄らぎ
若い活力が満ちるのを 待っていたのだ・・と 今 思います。

私は 確かに愛情に包まれて育ち
偏食の無い 普通の大人になっています。