東京文化会館 プラチナ・シリーズ 5
仲道郁代/川久保賜紀《ベートーヴェンとブラームスの真髄へ》
2015年2月27日(金)19:00~ 東京文化会館・小ホール S席 A列 24番 5,000円
ヴァイオリン: 川久保賜紀
ピアノ: 仲道郁代
【曲目】
ベートーヴェン: ヴァイオリン・ソナタ 第5番 ヘ長調 作品24「春」
ベートーヴェン: ピアノ・ソナタ 第21番 ハ長調 作品53「ワルトシュタイン」*
ブラームス: 3つの間奏曲 作品117*
第1曲: 変ホ長調 第2曲: 変ロ短調 第3曲: 嬰ハ短調
ブラームス: ヴァイオリン・ソナタ 第1番 ト長調 作品78「雨の歌」
ブラームス:「6つの小品」より 第2番 間奏曲 イ長調 作品118-2*
《アンコール》
クライスラー: 美しきロスマリン
※ *はピアノ・ソロ。
東京文化会館主催の「プラチナ・シリーズ」もいよいよ佳境に入って、今日は仲道郁代さんと川久保賜紀さんによるデュオ・リサイタルである。賜紀さんは私にとっての最優先アーティストなので、万難を排してスケジュールを調整するし、あらゆる手段を講じて最良席のチケットを確保する。その手法はともかくとして、最前列のセンターで聴くことができ、しかもタイトだが質の良い響きをもたらす東京文化会館の小ホールという理想的な環境でのリサイタルは、魅力満載であり、期待度も最高レベルである。
今日のリサイタルは、あくまで仲道さんと賜紀さんのデュオという位置付け。従って、どちらかといえばヴァイオリンが主体となるソナタを2曲と、ピアノ・ソナタとピアノの小品という構成になっている。テーマとして掲げられたのは、「ベートーヴェンとブラームスの真髄へ」という壮大なもので、・・・・1回のリサイタルにとっては少々大きすぎるテーマのような気もするが・・・・私としては、どうしても注目せざるを得ないのが、ベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ第5番「春」と、ブラームスのヴァイオリン・ソナタ第1番「雨の歌」である。とくに賜紀さんの「春」は絶品。今日はまだ寒い2月の末だが、春の到来を待ち望むのは日本やヨーロッパでは万人に共通の思いであろう。まさに憧れの春の風が吹いてくるのが期待できるのである。
1曲目がいきなりベートーヴェンの「春」ソナタ。賜紀さんは現在、江口 玲さんと組んでベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ全曲演奏会を3年がかりで進行中である。年に1回のペースでフィリアホールで開催するものだが、昨年2014年4月26日に第1回が開かれて、そこで「春」が演奏されたのを聴いた。その日の演奏が素晴らしかったのは言うまでもないが、ほんのわずか、不満が残ったことがあった。それは、その日の演奏会ではベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタを4曲プログラムに載せていたので、おそらくは時間の関係で、「春」の第1楽章の提示部のリピートがなかったことなのだ。ところが昨年の10月、仙台での「せんくら2014」では、菊池洋子さんとのデュオで(リサイタルではなく企画コンサートであったため)、「春」の第1楽章だけが演奏された。その時はリピートしていたのであった。とりあえず些細なことではあるが、「春」は大好きな曲でもあるので、やはり完全な形で聴きたかったのである。そしてそれが今日は実現することになった。
第1楽章の出だしのヴァイオリン。ちょっと遠くから聞こえてくるような感じで、すーっと自然に入って来るのは、賜紀さんだけにしか出せない感性であろう。外の日差しが明るかったから、窓を開けてみたら春の風がそよりと吹き込んできた・・・・そんなイメージ。優しく、暖かく、包み込まれるような音色。最初の1音で、完全にノックアウトされてしまった。
後は・・・・別に標題的に捉えなくても、純音楽的にも素晴らしい演奏が繰り広げられていく。主題を歌うヴァイオリンは細やかなニュアンスに満ちていて優しく、大らかに旋律を歌わせて行く。その旋律に込められるニュアンスに、実に自然な生命力とエレガンスを持ち合わせているのが賜紀さんの最大の魅力だ。「音楽性」という言葉で表現しても構わないのか判断しかねるが、賜紀さんの持っている内なる音楽性が、つまり音楽的な感性が、ベートーヴェンの音楽に現代の瑞々しい生命を吹き込んでいるように思えるのである。まあこれは、熱烈ファンの一方的な思い入れだと思われても仕方のない状況ではあるのだが、今日この演奏を会場で聴いた人には分かっていただけるのではないだろうか。
もちろん、そんな賜紀さんの演奏を引き出した仲道さんのピアノも素晴らしく、角が丸く、しっとり系の音色で優しく音を紡いでいた。
第1楽章は提示部のリピートがあり、あの美しい主題を2回聴けるだけで感動ものである。テンポの設定も、やや遅めで、その分だけ楽器の響きも豊かで、じっくりと聴かせてくれる落ち着きのある音楽になっていたように思う。あくまで純音楽的な演奏だとは思うが、どうしても春の訪れを描いた情景が目に浮かんでくるのである。
第2楽章は、さらに遅めのテンポ設定で、仲道さんのピアノがゆったりと主題を弾いていくと、その柔らかな音色を慈しむように、賜紀さんのヴァイオリンが分散和音で包み込む。ヴァイオリンが主題を受け取ると、さらに穏やかな気分がふわふわと広がっていくようだ。ひとつひとつの音がとても大切にされていて、丁寧に演奏されていく。穏やかな春の日だまりのような音楽に身を委ねると、「急いでばかりいると疲れてしまいますよ」と語りかけられているようであった。
第3楽章のスケルツォは、ふっと気分を変えてみた、という感じ。
そして間をおかずに続く第4楽章も、ピアノがすうっと自然に入ってきて、それを追いかけるヴァイオリンが、弾むような快活な気分を描き出していく。第1楽章が「風景」なら第4楽章はそれを感じた「人の心の高揚=春を感じて弾む心」であろうか。
作品には作曲者の人格が投影され、演奏には演奏家の人柄が反映される。その両者が見事に溶け合って素晴らしい演奏へと昇華した。心からのBrava!!を送ろう。
続いて仲道さんのソロで、ベートーヴェンの「ワルトシュタイン」。プログラムノートでは2楽章構成説で解説されていたが、私はどちらかというと短い緩徐楽章を2つのハ長調の楽章で挟んだ3楽章形式だと捉えている。まあ、その手の解釈は曲の本質とは直接関係ないのでどちらでも構わないが、ハ長調という祭典儀礼的な曲に多用される明快な調性で(基本的には)書かれていることが、この曲の性格を表している。
叩き続けるような強烈なリズムで始まる第1楽章。ところが、いかにも仲道さんらしく、そこには抒情的に「歌う」要素があり、全体にレガートがかかっているよう。リズミカルであるがロマンティックな感情が溢れている。そして第2主題は可憐に転がるよう。経過的な部分も躍動的ではあるが推進力を前面に押し出すような感じはなく、むしろ一定の落ち着いた雰囲気さえ漂わせている。ロマン派の萌芽を感じさせる、感情表現の豊かな演奏である。
短い第2楽章は緩徐楽章で、短いながらも三部形式。中間部のしっとりとした佇まいの中に、抒情的な感情のうねりを感じさせた。
ハ長調に戻る第3楽章はロンド。初めのロンド主題を仲道さんはしっとりとしたタッチで抒情的に描いていき、やがて大きなうねりのよう盛り上げていく。その際も抒情性大きく表すようにして、決して技巧的な側面や激情的なダイナミズムで描こうとはしていないようであった。もちろん第1楽章よりは音量も大きくダイナミックレンジも広く取っていた。しかし、仲道さんが演奏の前のトークでこの曲のペダル指示通りに演奏すると音が濁るがその響きが天国的な何かを表しているのではないか、というような趣旨のことを仰っておられたように、確かに、和音の響きを重視しているようなところがあり、和音が混ざり合っていく辺りにベートーヴェンの葛藤が見えるような気がした。
後半は、すべてがブラームス。まずは仲道さんのソロで、「3つの間奏曲 作品117」が演奏された。ブラームスの晩年にあたる1892年の作。枯淡の境地とでもいうか、遅いテンポで淡々と、静かなる抒情性で描かれている3曲である。
第1曲の変ホ長調は、スコットランドの子守歌をベースにしているとのことで、優しく穏やかな曲想。仲道さんの演奏は、しっとりとした情感の中に、一抹の寂しさを感じさせるものであった。第2曲の変ロ短調は、より内省的。仲道さんは美しい旋律に中にも翳りを見せる。滲み出てくるような情感が素敵だ。第3曲の嬰ハ短調は、調性からみてもさらに内に向けられた音楽になる。寂しさなのか、諦めなのか、その曲想は暗く沈む。確かにこういう曲を演奏していると演奏家もーの心も疲弊するに違いない。演奏している仲道さんの表情も沈んでいた。演奏は方に何かが重くのしかかってくるようで・・・・聴いている方もちょっと疲れる。
続いては、ちょっと予定を変えて、ヴァイオリン・ソナタ第1番「雨の歌」が演奏された。再び賜紀さんの登場だが、御召替えをして黒のドレスで登場したのにはちょっと意外な感じ。黒のドレス姿は初めて見たような気がする。
第1楽章が始まると、かなり遅めのテンポで、じっくりと主題を描き出す。そして徐々にテンポが上がって行き、気分も高揚させていき第2主題へとつないでいく。この辺りの解釈・表現は、すっかり大人の音楽だといえそうだ。その落ち着いた佇まいと、深い洞察力により楽曲の本質に迫る力量、そしてあくまでたおやかで聴くものに余分な緊張を強いることのない優しさがある。賜紀さんのヴァイオリンは、常に細やかなニュアンスに彩られていて一瞬たりとも平板になることはなく、美しいレガートを効かせながらエレガントな聴かせる。一方の仲道さんのピアノも音色は丸く、タッチはしっとりとして優しい。このお二人の演奏は、表現においてかなりの技巧を用いていると思われるが、聞こえてくる音楽はあくまで自然体で包容力がある。音楽芸術のひとつの方向性として、これほど居心地を良く感じさせる演奏もあまり体験できないような気がする。
第2楽章は緩徐楽章。より内省的になりながら、抒情的な面や激情的な部分が殻を破るように現れる。この抒情的な部分は。賜紀さんのヴァイオリンが抑制的に、しかし音楽的な豊かさをもって「歌う」。技巧的な見方をすれば、弱音の美しさ、ヴィブラートのかけ方のニュアンス、流れるようなレガートなど、幅広く深い表現を組み立てていく上での上手さが際立っているということになる。しかし、実際に聴いていると、ごくごく自然に受け入れられてしまい、高度な技術がどこに使われているのか、気がつかない。やはり居心地の良い演奏なのである。このことに気がついたのは、他の演奏家(たとえば若手)と比べた時に、違いとなって現れたからである。別に他の人が下手だといっているのではなく、聴いている時はとても素晴らしい演奏だと感じているものは沢山ある。ただ、今日のような賜紀さんの演奏を聴くと、自宅に戻ってきた時の安堵感のようなものを感じるのである(これも個人的な思い入れなのだろうか)。
第3楽章はロンド。「雨の歌」の主題が、どちらかというと淡々とした調子で、抑制的に演奏されていく。ここでも気負いがなく、自然な感じがとても素敵だ。そして曲が進むにつれて徐々にロマンティックの度合いが上がっていく。ヴァイオリンの重音が切なげな情感を歌い上げる。しっとりとしたフィニッシュの余韻を十分に感じ取ってから、大きな拍手が湧いた。
最後は曲順を変更した、仲道さんのソロによる「6つの小品」から第2番の間奏曲。中期の充実した時代のヴァイオリン・ソナタの後は、晩年の内省的な曲でしめくくる。ブラームスの真髄であろうか。仲道さんのピアノは、深いタッチでしっとりと歌わせていく。哀しいまでの美しさである。ちょっと泣けてしまいそうになった。
アンコールは、もちろんお二人で、クライスラーの「美しきロスマリン」。ベートーヴェンとも、ブラームスともまた違った、ウィーンのもう一つの顔。洒脱で気品があり、優雅で楽天的でもある。賜紀さんのヴァイオリンが自由度を高く、ワルツを踊るように回転するように歌う。
終演後は恒例のサイン会。今日は二人の人気者ゆえに、けっこう長い列ができた。賜紀さんのCDは、4月22日発売予定の新譜「アンコール」(仮題)を待つとして、今日は前回のコンサート(2月9日/サントリーホール・ブルーローズ/Classic Bar Vol.2)の時の写真にサインをいただいた。仲道さんにはプログラムにサインしていただいた。
今日のデュオ・リサイタルは、東京文化会館・小ホールという規模的にも音響的にも理想的な音楽空間を得て、「ベートーヴェンとブラームスの真髄へ」という壮大なテーマにもかかわらず、コンパクトではあったが濃密で充実したものであった。賜紀さんの熱烈ファンである私にとっては、彼女がどんな曲を演奏しても大歓迎であることには違いないが、今日はとくに大好きな曲であるベートーヴェンの「春」ソナタを目の前で聴くことができ、しかもそれが素晴らしい出来映えの演奏だったのだから、もうこれ以上ないくらいの満足である。というわけなので、今日の記述には多少の(いや、かなりの)思い入れが詰まっているものだから、誇張されたところがあるかもしれない。お読みいただいている皆様には、多少割り引いてご理解された方がよいかも。それでも、まだ賜紀さんのヴァイオリンを聴いたことがないという方がいらっしゃるなら、是非とも、コンサート会場に足を運び、ご自身の耳と心で、あの美しい音色と、たおやかな演奏を体験していただきたいと思う。そうすれば私の書いていることが真実だと分かるはず・・・・である。
← 読み終わりましたら、クリックお願いします。
【お勧めCDのご紹介】
ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第21番「ワルトシュタイン」が収録されている仲道郁代さんのCDです。仲道さんはベートーヴェンのピアノ・ソナタの全曲録音を行っていますが、個別にリリースされているものに加えて、このCDはその中でもベスト盤に相当するもので、「ワルトシュタイン」の他に第8番「悲愴」と第23番「熱情」という超人気曲が収録されています。
続いてコチラは川久保賜紀さんの新譜CD「アンコール(仮)」です。ピアノは江口玲さんで、録音には1887年製ニューヨーク・スタインウェイ《ローズウッド》が使用されています。2015年4月22日発売予定で、現在予約受付中。収録曲は以下の通りです。
クライスラー:プレリュードとアレグロ
クライスラー:美しきロスマリン
クライスラー:中国の太鼓
ブラームス:ハンガリー舞曲第5番
ガーシュイン:3つのプレリュード
バルトーク:ルーマニア民俗舞曲
ラヴェル:ツィガーヌ
モンティ:チャールダーシュ
サラサーテ:アンダルシアのロマンス
サラサーテ:ツィゴイネルワイゼン
仲道郁代/川久保賜紀《ベートーヴェンとブラームスの真髄へ》
2015年2月27日(金)19:00~ 東京文化会館・小ホール S席 A列 24番 5,000円
ヴァイオリン: 川久保賜紀
ピアノ: 仲道郁代
【曲目】
ベートーヴェン: ヴァイオリン・ソナタ 第5番 ヘ長調 作品24「春」
ベートーヴェン: ピアノ・ソナタ 第21番 ハ長調 作品53「ワルトシュタイン」*
ブラームス: 3つの間奏曲 作品117*
第1曲: 変ホ長調 第2曲: 変ロ短調 第3曲: 嬰ハ短調
ブラームス: ヴァイオリン・ソナタ 第1番 ト長調 作品78「雨の歌」
ブラームス:「6つの小品」より 第2番 間奏曲 イ長調 作品118-2*
《アンコール》
クライスラー: 美しきロスマリン
※ *はピアノ・ソロ。
東京文化会館主催の「プラチナ・シリーズ」もいよいよ佳境に入って、今日は仲道郁代さんと川久保賜紀さんによるデュオ・リサイタルである。賜紀さんは私にとっての最優先アーティストなので、万難を排してスケジュールを調整するし、あらゆる手段を講じて最良席のチケットを確保する。その手法はともかくとして、最前列のセンターで聴くことができ、しかもタイトだが質の良い響きをもたらす東京文化会館の小ホールという理想的な環境でのリサイタルは、魅力満載であり、期待度も最高レベルである。
今日のリサイタルは、あくまで仲道さんと賜紀さんのデュオという位置付け。従って、どちらかといえばヴァイオリンが主体となるソナタを2曲と、ピアノ・ソナタとピアノの小品という構成になっている。テーマとして掲げられたのは、「ベートーヴェンとブラームスの真髄へ」という壮大なもので、・・・・1回のリサイタルにとっては少々大きすぎるテーマのような気もするが・・・・私としては、どうしても注目せざるを得ないのが、ベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ第5番「春」と、ブラームスのヴァイオリン・ソナタ第1番「雨の歌」である。とくに賜紀さんの「春」は絶品。今日はまだ寒い2月の末だが、春の到来を待ち望むのは日本やヨーロッパでは万人に共通の思いであろう。まさに憧れの春の風が吹いてくるのが期待できるのである。
1曲目がいきなりベートーヴェンの「春」ソナタ。賜紀さんは現在、江口 玲さんと組んでベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ全曲演奏会を3年がかりで進行中である。年に1回のペースでフィリアホールで開催するものだが、昨年2014年4月26日に第1回が開かれて、そこで「春」が演奏されたのを聴いた。その日の演奏が素晴らしかったのは言うまでもないが、ほんのわずか、不満が残ったことがあった。それは、その日の演奏会ではベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタを4曲プログラムに載せていたので、おそらくは時間の関係で、「春」の第1楽章の提示部のリピートがなかったことなのだ。ところが昨年の10月、仙台での「せんくら2014」では、菊池洋子さんとのデュオで(リサイタルではなく企画コンサートであったため)、「春」の第1楽章だけが演奏された。その時はリピートしていたのであった。とりあえず些細なことではあるが、「春」は大好きな曲でもあるので、やはり完全な形で聴きたかったのである。そしてそれが今日は実現することになった。
第1楽章の出だしのヴァイオリン。ちょっと遠くから聞こえてくるような感じで、すーっと自然に入って来るのは、賜紀さんだけにしか出せない感性であろう。外の日差しが明るかったから、窓を開けてみたら春の風がそよりと吹き込んできた・・・・そんなイメージ。優しく、暖かく、包み込まれるような音色。最初の1音で、完全にノックアウトされてしまった。
後は・・・・別に標題的に捉えなくても、純音楽的にも素晴らしい演奏が繰り広げられていく。主題を歌うヴァイオリンは細やかなニュアンスに満ちていて優しく、大らかに旋律を歌わせて行く。その旋律に込められるニュアンスに、実に自然な生命力とエレガンスを持ち合わせているのが賜紀さんの最大の魅力だ。「音楽性」という言葉で表現しても構わないのか判断しかねるが、賜紀さんの持っている内なる音楽性が、つまり音楽的な感性が、ベートーヴェンの音楽に現代の瑞々しい生命を吹き込んでいるように思えるのである。まあこれは、熱烈ファンの一方的な思い入れだと思われても仕方のない状況ではあるのだが、今日この演奏を会場で聴いた人には分かっていただけるのではないだろうか。
もちろん、そんな賜紀さんの演奏を引き出した仲道さんのピアノも素晴らしく、角が丸く、しっとり系の音色で優しく音を紡いでいた。
第1楽章は提示部のリピートがあり、あの美しい主題を2回聴けるだけで感動ものである。テンポの設定も、やや遅めで、その分だけ楽器の響きも豊かで、じっくりと聴かせてくれる落ち着きのある音楽になっていたように思う。あくまで純音楽的な演奏だとは思うが、どうしても春の訪れを描いた情景が目に浮かんでくるのである。
第2楽章は、さらに遅めのテンポ設定で、仲道さんのピアノがゆったりと主題を弾いていくと、その柔らかな音色を慈しむように、賜紀さんのヴァイオリンが分散和音で包み込む。ヴァイオリンが主題を受け取ると、さらに穏やかな気分がふわふわと広がっていくようだ。ひとつひとつの音がとても大切にされていて、丁寧に演奏されていく。穏やかな春の日だまりのような音楽に身を委ねると、「急いでばかりいると疲れてしまいますよ」と語りかけられているようであった。
第3楽章のスケルツォは、ふっと気分を変えてみた、という感じ。
そして間をおかずに続く第4楽章も、ピアノがすうっと自然に入ってきて、それを追いかけるヴァイオリンが、弾むような快活な気分を描き出していく。第1楽章が「風景」なら第4楽章はそれを感じた「人の心の高揚=春を感じて弾む心」であろうか。
作品には作曲者の人格が投影され、演奏には演奏家の人柄が反映される。その両者が見事に溶け合って素晴らしい演奏へと昇華した。心からのBrava!!を送ろう。
続いて仲道さんのソロで、ベートーヴェンの「ワルトシュタイン」。プログラムノートでは2楽章構成説で解説されていたが、私はどちらかというと短い緩徐楽章を2つのハ長調の楽章で挟んだ3楽章形式だと捉えている。まあ、その手の解釈は曲の本質とは直接関係ないのでどちらでも構わないが、ハ長調という祭典儀礼的な曲に多用される明快な調性で(基本的には)書かれていることが、この曲の性格を表している。
叩き続けるような強烈なリズムで始まる第1楽章。ところが、いかにも仲道さんらしく、そこには抒情的に「歌う」要素があり、全体にレガートがかかっているよう。リズミカルであるがロマンティックな感情が溢れている。そして第2主題は可憐に転がるよう。経過的な部分も躍動的ではあるが推進力を前面に押し出すような感じはなく、むしろ一定の落ち着いた雰囲気さえ漂わせている。ロマン派の萌芽を感じさせる、感情表現の豊かな演奏である。
短い第2楽章は緩徐楽章で、短いながらも三部形式。中間部のしっとりとした佇まいの中に、抒情的な感情のうねりを感じさせた。
ハ長調に戻る第3楽章はロンド。初めのロンド主題を仲道さんはしっとりとしたタッチで抒情的に描いていき、やがて大きなうねりのよう盛り上げていく。その際も抒情性大きく表すようにして、決して技巧的な側面や激情的なダイナミズムで描こうとはしていないようであった。もちろん第1楽章よりは音量も大きくダイナミックレンジも広く取っていた。しかし、仲道さんが演奏の前のトークでこの曲のペダル指示通りに演奏すると音が濁るがその響きが天国的な何かを表しているのではないか、というような趣旨のことを仰っておられたように、確かに、和音の響きを重視しているようなところがあり、和音が混ざり合っていく辺りにベートーヴェンの葛藤が見えるような気がした。
後半は、すべてがブラームス。まずは仲道さんのソロで、「3つの間奏曲 作品117」が演奏された。ブラームスの晩年にあたる1892年の作。枯淡の境地とでもいうか、遅いテンポで淡々と、静かなる抒情性で描かれている3曲である。
第1曲の変ホ長調は、スコットランドの子守歌をベースにしているとのことで、優しく穏やかな曲想。仲道さんの演奏は、しっとりとした情感の中に、一抹の寂しさを感じさせるものであった。第2曲の変ロ短調は、より内省的。仲道さんは美しい旋律に中にも翳りを見せる。滲み出てくるような情感が素敵だ。第3曲の嬰ハ短調は、調性からみてもさらに内に向けられた音楽になる。寂しさなのか、諦めなのか、その曲想は暗く沈む。確かにこういう曲を演奏していると演奏家もーの心も疲弊するに違いない。演奏している仲道さんの表情も沈んでいた。演奏は方に何かが重くのしかかってくるようで・・・・聴いている方もちょっと疲れる。
続いては、ちょっと予定を変えて、ヴァイオリン・ソナタ第1番「雨の歌」が演奏された。再び賜紀さんの登場だが、御召替えをして黒のドレスで登場したのにはちょっと意外な感じ。黒のドレス姿は初めて見たような気がする。
第1楽章が始まると、かなり遅めのテンポで、じっくりと主題を描き出す。そして徐々にテンポが上がって行き、気分も高揚させていき第2主題へとつないでいく。この辺りの解釈・表現は、すっかり大人の音楽だといえそうだ。その落ち着いた佇まいと、深い洞察力により楽曲の本質に迫る力量、そしてあくまでたおやかで聴くものに余分な緊張を強いることのない優しさがある。賜紀さんのヴァイオリンは、常に細やかなニュアンスに彩られていて一瞬たりとも平板になることはなく、美しいレガートを効かせながらエレガントな聴かせる。一方の仲道さんのピアノも音色は丸く、タッチはしっとりとして優しい。このお二人の演奏は、表現においてかなりの技巧を用いていると思われるが、聞こえてくる音楽はあくまで自然体で包容力がある。音楽芸術のひとつの方向性として、これほど居心地を良く感じさせる演奏もあまり体験できないような気がする。
第2楽章は緩徐楽章。より内省的になりながら、抒情的な面や激情的な部分が殻を破るように現れる。この抒情的な部分は。賜紀さんのヴァイオリンが抑制的に、しかし音楽的な豊かさをもって「歌う」。技巧的な見方をすれば、弱音の美しさ、ヴィブラートのかけ方のニュアンス、流れるようなレガートなど、幅広く深い表現を組み立てていく上での上手さが際立っているということになる。しかし、実際に聴いていると、ごくごく自然に受け入れられてしまい、高度な技術がどこに使われているのか、気がつかない。やはり居心地の良い演奏なのである。このことに気がついたのは、他の演奏家(たとえば若手)と比べた時に、違いとなって現れたからである。別に他の人が下手だといっているのではなく、聴いている時はとても素晴らしい演奏だと感じているものは沢山ある。ただ、今日のような賜紀さんの演奏を聴くと、自宅に戻ってきた時の安堵感のようなものを感じるのである(これも個人的な思い入れなのだろうか)。
第3楽章はロンド。「雨の歌」の主題が、どちらかというと淡々とした調子で、抑制的に演奏されていく。ここでも気負いがなく、自然な感じがとても素敵だ。そして曲が進むにつれて徐々にロマンティックの度合いが上がっていく。ヴァイオリンの重音が切なげな情感を歌い上げる。しっとりとしたフィニッシュの余韻を十分に感じ取ってから、大きな拍手が湧いた。
最後は曲順を変更した、仲道さんのソロによる「6つの小品」から第2番の間奏曲。中期の充実した時代のヴァイオリン・ソナタの後は、晩年の内省的な曲でしめくくる。ブラームスの真髄であろうか。仲道さんのピアノは、深いタッチでしっとりと歌わせていく。哀しいまでの美しさである。ちょっと泣けてしまいそうになった。
アンコールは、もちろんお二人で、クライスラーの「美しきロスマリン」。ベートーヴェンとも、ブラームスともまた違った、ウィーンのもう一つの顔。洒脱で気品があり、優雅で楽天的でもある。賜紀さんのヴァイオリンが自由度を高く、ワルツを踊るように回転するように歌う。
終演後は恒例のサイン会。今日は二人の人気者ゆえに、けっこう長い列ができた。賜紀さんのCDは、4月22日発売予定の新譜「アンコール」(仮題)を待つとして、今日は前回のコンサート(2月9日/サントリーホール・ブルーローズ/Classic Bar Vol.2)の時の写真にサインをいただいた。仲道さんにはプログラムにサインしていただいた。
今日のデュオ・リサイタルは、東京文化会館・小ホールという規模的にも音響的にも理想的な音楽空間を得て、「ベートーヴェンとブラームスの真髄へ」という壮大なテーマにもかかわらず、コンパクトではあったが濃密で充実したものであった。賜紀さんの熱烈ファンである私にとっては、彼女がどんな曲を演奏しても大歓迎であることには違いないが、今日はとくに大好きな曲であるベートーヴェンの「春」ソナタを目の前で聴くことができ、しかもそれが素晴らしい出来映えの演奏だったのだから、もうこれ以上ないくらいの満足である。というわけなので、今日の記述には多少の(いや、かなりの)思い入れが詰まっているものだから、誇張されたところがあるかもしれない。お読みいただいている皆様には、多少割り引いてご理解された方がよいかも。それでも、まだ賜紀さんのヴァイオリンを聴いたことがないという方がいらっしゃるなら、是非とも、コンサート会場に足を運び、ご自身の耳と心で、あの美しい音色と、たおやかな演奏を体験していただきたいと思う。そうすれば私の書いていることが真実だと分かるはず・・・・である。
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【お勧めCDのご紹介】
ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第21番「ワルトシュタイン」が収録されている仲道郁代さんのCDです。仲道さんはベートーヴェンのピアノ・ソナタの全曲録音を行っていますが、個別にリリースされているものに加えて、このCDはその中でもベスト盤に相当するもので、「ワルトシュタイン」の他に第8番「悲愴」と第23番「熱情」という超人気曲が収録されています。
悲愴・ワルトシュタイン・熱情~ベスト・オブ・ベートーヴェンI | |
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続いてコチラは川久保賜紀さんの新譜CD「アンコール(仮)」です。ピアノは江口玲さんで、録音には1887年製ニューヨーク・スタインウェイ《ローズウッド》が使用されています。2015年4月22日発売予定で、現在予約受付中。収録曲は以下の通りです。
クライスラー:プレリュードとアレグロ
クライスラー:美しきロスマリン
クライスラー:中国の太鼓
ブラームス:ハンガリー舞曲第5番
ガーシュイン:3つのプレリュード
バルトーク:ルーマニア民俗舞曲
ラヴェル:ツィガーヌ
モンティ:チャールダーシュ
サラサーテ:アンダルシアのロマンス
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