Bravo! オペラ & クラシック音楽

オペラとクラシック音楽に関する肩の凝らない芸術的な鑑賞の記録

10/24(金)東京フィル/オペラシティ定期/プレトニョフの独創的な世界を公開リハーサル付きで

2014年10月25日 00時53分11秒 | クラシックコンサート
東京フィルハーモニー交響楽団/第88回東京オペラシティ定期シリーズ

2014年10月24日(金)19:00~ 東京オペラシティコンサートホール A席 1階 4列(2列目)14番 3,780円(会員割引)
指 揮: ミハイル・プレトニョフ
ピアノ: チョ・ソンジン*
メゾ・ソプラノ: 小山由美**
テノール: 福井 敬**
合唱: 新国立劇場合唱団**
管弦楽: 東京フィルハーモニー交響楽団
【曲目】
ショパン/プレトニョフ編: ピアノ協奏曲 第1番 ホ短調 作品11*
《アンコール》
 ショパン: 即興曲 第1番 変イ長調 作品29*
スクリャービン: 交響曲 第1番 ホ長調 作品26**

 東京フィルハーモニー交響楽団の「第88回東京オペラシティ定期シリーズ」を聴く。何だかずいぶんと久しぶりのような気がしたが、前回(第87回)は7月だったので、実際に3ヶ月ぶりだったわけだ。東京フィルの年間定期シリーズは、どれもコンサートが年間8回しかないので、このように間が空いてしまうのである。そして今回のマエストロは個性派のミハイル・プレトニョフさん。何かと話題のある人だが、その音楽についても賛否の意見が飛び交う。過去にも彼の指揮で聴いていて、意表を突かれるような演奏を経験したことがある。もちろん、良くも悪くも好みの分かれるところではあるが、個性的であることは音楽家にとって欠かせない要素だと思っているので、非常に楽しみにしていたものである。
 というのも、今回、韓国の若手ピアニスト、チョ・ソンジンさんを招いてのショパンのビアノ協奏曲は、プレトニョフさんの編曲によるものだという。難ありといわれているオーケストラのパートに手を入れたものらしい。曲自体がどんな仕上がりになっているのかも気になるし、チョ・ソンジンさんの透明感のある澄んだ音色で聴くショパンも期待は大きい。一方、後半のスクリャービンの交響曲第1番は、メゾ・ソプラノとテノールという二人の声楽と混声合唱を伴う大曲であるため、演奏機会の少ない珍しいものだ。その意味でも、こちらも楽しみである。

 しかも、コンサートに先立って、東京フィルの定期会員向けのイベントとして、今日は公開リハーサルがあった。せっかくの機会なので、プレトニョフ好きの友人のMさんを誘ってリハーサルから聴くことにした。ご丁寧に14:45からプレトークがあり、そこではチョ・ソンジンさんが私たちの目の前で、今日の意気込みなどを語ってくれた。リハーサルの開始は15:30であったが、平日の午後なのに参加者はけっこう集まっていた。1階の中央通路より後方、つまり13列以降ではあったが、自由席のために1番に来て並んだので、13列のセンターのS席クラスの席を確保、休憩を挟んでおよそ2時間、全曲のリハーサルを聴かせていただいた。リハーサルといってもほとんど通しでの演奏で、完全なゲネプロである。だから1曲終わると、私たちも拍手したくらいであった。ホールの前半分、つまり12列目までがまったくの空席状態で、13列センターで聴く東京オペラシティコンサートホールの長く澄んだ残響はサントリーホールを凌ぐ素晴らしいもので、東京フィルの美しい響きを堪能させていただいた。まるでオーケストラのコンサートを貸しきりで聴くようなものなのだから。

 さて、コンサートの本編。前半はショパン/プレトニョフ編の「ピアノ協奏曲 第1番」である。チョ・ソンジンさんは現在20歳。17歳の時、チャイコフスキー国際コンクール(2011年)で3位を受賞するなど、すでに国際的なキャリアをスタートさせている俊英だ。音がとても澄んでいる繊細なピアノを弾くという印象が強かった。
 問題なのは、プレトニョフさんの編曲によるショパンだということだ。この編曲版が演奏されると、編曲者ご本人には印税が入るらしい。ならばご本人もピアニストとしてカムバックしたことだし、自分で弾けば良いのに・・・・などとも思うのだが。いずれにしても、実際に聴いてみて、正直にいえば聴き慣れた曲が妙にイジられているので違和感の方が先立った。とくにリハーサルで始めて聴いた時は、「・・・・・?」という感じ。ところがコンサート本編で2度目、しかも今度はいつものソリスト正面、2列目の鍵盤下で聴くと、徐々に違和感も薄れてきて、これはこれは良いのではないか?? と、半分騙されてような気分?? よく考えてみると、結果的には「編曲云々」よりも演奏が良かったから、聴く方としての満足度は高かったのである。
 第1楽章は、オーケストラだけの長い主題の提示部がややもっさりした感じで、キレが悪く感じた。これは後半に向けてテンポアップしていくことで解消されていった。東京フィルの演奏自体は、弦楽の緻密で澄んだアンサンブルが素晴らしく、木管群の色彩感も濃厚で落ち着きがある。ややゆったりしたカデンツァ風にピアノが入って来ると、そこからは完全にオーケストラ伴奏付きのピアノ・ソナタにようになってしまう。プレトニョフ編曲も、ピアノを際立たせているだけだ。ロマンティックな第2主題などは、チョ・ソンジンさんの繊細で優美な音色が活きてくる。瑞々しく、清潔感があって素敵である。技巧的には高度に安定しているが、1回ちょっとミスしかかった時だろうか、指揮をしているプレトニョフさんが振り向いてジロリと睨むシーンがあった(ような気がする)。それ以降のチョ・ソンジンさんは、華麗なテクニックと瑞々しい感性に溢れた表現力で、聴いている人たちを徐々に引き込んでいくようだ。若い男性の繊細なピアニズムは、ショパンの若い頃の協奏曲にはよく似合う。抒情的な表現にも、てらいがなく、自然なところが、好感度も高い。
 第2楽章は、ロマンツェ。ひたすら甘く感傷的な主題をチョ・ソンジンさんのピアノが、はじめは淡々と、そして徐々に感情の色が差してくるかのように、ロマンティックに歌い出す。音色も澄みきっていて美しいことこの上ない。彼のピアノは弱音がクリスタルのような、非常に細やかな煌めきを持っている。だからかすかにしか聞き取れなてような弱音にも、ハッキリした色彩が感じられるのだ。
 第3楽章はロンド。やや速めのVivaceがとても快調な印象だ。チョ・ソンジンさんのピアノが縦横無尽に鍵盤上を駆け巡る。その軽快で弾むような煌めきは特筆ものだろう。おそらくプレトニョフさんにもできない、素晴らしい演奏である(だから自分で弾かないのかな??)。編曲の方は、結果的にはオーケストラを厚くすることもなく、ピアノの華麗な技巧を強調するようになってしまっている。最終的にはチョ・ソンジンさんのピアノが圧倒的な素晴らしさを聴かせ、またさすがに天才ピアニストでもあるプレトニョフさんの指揮だけのことはあって、目まぐるしく変わるテンポや表情を変える曲想に対しても、ピタリと呼吸のあった演奏を聴かせてくれた。

 チョ・ソンジンさんのソロ・アンコールは、ショパンの「即興曲 第1番」。コチラの方はプレトニョフさんの呪縛を逃れた(?)自由闊達で、瑞々しい感性に溢れた演奏。若い人にしか出せない清冽さが印象的であった。

 後半は、スクリャービンの「交響曲第1番」。6つの楽章を持ち、終楽章にはメゾ・ソプラノとテノール、そして構成合唱が加わる。50分間ほどの大曲だ。スクリャービンはラフマニノフともモスクワ音楽院で同級生であった。ピアノの名手でもあったスクリャービンは、ラフマニノフとピアノも作曲もライバルであった。そんな関係も手伝っているのだろうか、この曲は、その濃厚なロマンティシズムにおいて、どこかラフマニノフに似ているところがある。限りなく、美しい曲である。この演奏機会のあまりない珍しい曲を、今日は何と2度も聴くという幸運に恵まれた。
 第1楽章はLentoの緩徐楽章だが、交響曲全体では長めの序奏といった感じで、ラフマニノフにも負けないロマンティックで感傷的な旋律が美しい。木管に続いて弦楽が主旋律を弾き始めると、東京フィルの繊細で奥行き感のあるアンサンブルがとても美しい。主題を受け継いでいく木管群の各パートも、潤いのあるしっとりとした音色を聴かせる。プレトニョフさんの指揮は、思いの外スタンダードな印象で、ゆったりとした抑揚をつけて旋律を歌わせて行く。
 第2楽章は、通常の4楽章形式の交響曲の第1楽章に当たるような、ソナタ形式のAllegro楽章である。とはいえ、ロマン派後期の濃厚なロマンティシズムに溢れ、純音楽であるにもかかわらず、標題音楽的な「何かを表現している」ような印象がつきまとう。第2主題が甘美な旋律に彩られているところは、ラフマニノフにも似ている。
 東京フィルの弦楽は、アンサンブルがキレイなだけではなく、瞬発力のあるところを見せ、力感を溢れさせるかと思えば、非常にしなやかなレガートで歌わせたりもする。プレトニョフさん独特のテンポの変化に対しても、一糸乱れぬアンサンブルを聴かせていた。木管群は濃厚な色彩を描き出し、金管が加われば華やかに光り輝くようになる。ドラマティックな盛り上げ方に関しては、プレトニョフさんの音楽作りは雄弁で、分かりやすくて良い雰囲気だ。
 第3楽章は再びLentoの緩徐楽章。非常に美しい旋律と和声に彩られているが、「トリスタンとイゾルデ」に似ていて、循環和音が繰り返されてなかなか主和音に至らない、もどかしい音楽である。美しいヴァイオリンの音色と、徐々に厚みを増す弦楽による和声が、不協和音も含んでいるのに、美しい豊かな音楽空間を作り出していた。色彩だけで描かれた抽象的な「絵」を見ているような印象だ。
 第4楽章はスケルツォ。主題は軽妙でヴァイオリンに表れる。弱音が続くので、諧謔的というよりはふわふわとした優しさが感じられる。弾む弦楽のピツィカートと木管群の伸びやかな対比が上手い。東京フィルのしなやかな対応力が活きている。
 第5楽章は、再びソナタ形式のAllegro楽章で、器楽のみの普通の交響曲の終楽章に相当する。ここでもやや力強さを見せるロマンティックな第1主題と甘く感傷的な第2主題によって構成され、全体的に極めて豊かな抒情性に満ちている。やはりここでも弦楽のアンサンブルの美しさが印象に残る。ひとつの生き物のように、曲想を変え、テンポを変えながらしなやかに蠢き、行き着く先は美しく感傷的な主和音に戻っていくのである。ここまで来て改めて気づいたのは、今日の東京フィルは、弦楽、木管群、金管群、打楽器のバランスが極めて自然に配分されているということだ。その上に、ロマンティックな旋律が次々と表れてくるのである。そのあたりがプレトニョフさんの素晴らしいところで、この人もロマン派の人なのだと思った次第である。

 第5楽章までで一旦完結し、第6楽章ではガラリと様相が変わる。Andanteの穏やかな曲想に乗って、メゾ・ソプラノとテノールが「芸術賛歌」を歌う。ベートーヴェンの「第九」とは違って、交響曲というよりは管弦楽伴奏の歌曲のような穏やかな雰囲気だ。オーケストラもフルートを中心とした木管が主体だ。中間部で盛り上がって行きクライマックスを迎えるが、一旦沈静化してから混声合唱の登場となる。ここからは完全に合唱曲のような体裁になり、やはり芸術への賛歌が清らかに歌い上げられ、感動的に曲が終わる。歌詞はロシア語である。
 メゾ・ソプラノの小山由美さんは豊かな低音が魅力で、人の会話のような音域で、深みのある歌唱を聴かせていた。テノールの福井敬さんはオペラの時のようにのめり込んだ感じではなく、淡々と、しかし張りのある歌唱だ。やはり彼らのようなトップ・クラスの歌手は存在感が違うし、言葉はわからなくても(プログラムに訳詞は載っていたが)独自の世界を創り上げてしまう。
 楽章の後半は混声合唱が「芸術に栄えあれ」と「永遠に冴えあれ」をフーガで歌い上げていく。合唱の各パートとオーケストラが加わって壮大なフーガを構成し、劇的なクライマックスを迎えて曲が終わる。新国立劇場合唱団の立ち上がりの明瞭な合唱は素晴らしく、東京フィルの全合奏も非常に優れたバランス感覚で、感動的なフィナーレであった。Bravo!!

 今日はとても有意義な1日であった。午後からのリハーサルとソワレの本公演で、ショパン/プレトニョフ編のピアノ協奏曲第1番とスクリャービンの交響曲第1番を2回ずつ聴いたのだから。どちらも珍しいといえば珍しい曲であるし、かといって難解な曲でもないし、とても素晴らしい曲を、文句の付けようもない素晴らしい演奏で聴かせていただいた。一見すると今日のプログラムはキワモノっぽくも感じられるが、聴いてみればBravo!であった。リハーサルを聴かせていただけたのは、東京フィルの定期会員になっているからである。面白い体験ができるだけでなく、何しろリハーサルのタダなのだから、とても得した気分になれる。今日は幸せな1日であった。
 最後にひとつ。今日の東京フィルは、第1ヴァイオリンのトップ・サイドに、本ブログにも何度か登場した会田莉凡さんが乗っていた。本公演は2列目のコンサートマスター前の席で聴いていたので、彼女の演奏している様子もよく見えた。楽譜と指揮者を交互に見る真剣な眼差しが、とても輝いて見えたことを付け加えておこう。

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