青木尚佳&中島由紀デュオ・リサイタル
~聴いてくださる人のために~
2013年12月28日(土)15:00~ サロン・テッセラ 自由席 2列中央 4,000円(ドリンク付き)
ヴァイオリン: 青木尚佳
ピアノ: 中島由紀
【曲目】
ベートーヴェン: ヴァイオリン・ソナタ 第1番 ニ長調 作品12-1
ベートーヴェン: ヴァイオリン・ソナタ 第7番 ハ短調 作品30-2
ラヴェル: 高貴にして感傷的なワルツ(ピアノ・ソロ)
エルンスト: 夏の名残りの薔薇(ヴァイオリン・ソロ)
シマノフスキ: 夜想曲とタランテラ 作品28
《アンコール》
ブラームス/ハイフェッツ編:「5つの歌曲」作品105より第1曲「瞑想」
当ブログでも開催の告知をさせていただいた青木尚佳さんと中島由紀さんによるデュオ・リサイタルがようやく開催日になった。年末も押し詰まった12月28日。今年は曜日の関係で27日が仕事納めになったので、今日から9連休の年末年始休暇に入る。今年もたくさんのコンサートやオペラを聴きに行ったが、今年の最後を飾るのが今日のリサイタルである。
ヴァイオリンの青木尚佳さんは、一昨年2011年の秋からロンドンの王立音楽大学に留学していて、研鑽と演奏活動に忙しい日々を送っているそうだ。これまで夏休みに帰国した際に、小規模ではあるがリサイタルを行ってきた。2012年8月には東京・荻窪のかん芸館で2日間、今年2013年も8月に東京・代々木のアトリエ・ムジカで開催している。今年のリサイタルは、私は家人が急病になり行くことができなかったので非常に残念な思いをしていた。
尚佳さんとは個人的な交流もあるので、別のコンサートの会場でお会いすることはできたのだが、その頃から今日のリサイタルが企画されはじめた。病を得た共通の知人を励ます会を開こうというところから始まり、最終的にはサロン・コンサートともいうべき小規模のリサイタルを年内に、ということになった。クリスマス~年始の休暇を利用して帰国するはずなので、ギリギリの日程調整で、12月28日に決まったという次第である。そういう訳もあり、今回は聴く側の立場だけでなく、運営側のスタンスにも立つことになり、チラシやチケット、プログラムのデザインなども手がけることになった。今日も早々に会場入りし、こまごまとした雑用などを手伝う。先日の小林美樹&小林有沙デュオ・リサイタル以来、すっかり裏方づいてしまった・・・・(けっこう楽しい)。会場は東京・三軒茶屋のサロン・テッセラというホール。いっぱいに詰め込んでも80席ほどだが、天井を2階分高くとってあり、空間が広い分だけ音に圧迫感がない。ピアノやヴァイオリンのffでも音が歪んで聞こえるようなことはなかった。タイトには違いないが、悪くはない音響だと思う。
さて実際に聴くのは1年半ぶりになる尚佳さんだが、どのように成長しているかが本当に楽しみだった。もとより彼女は、高校生の頃から超絶技巧少女ぶりを発揮していて、とにかく上手かった。それが聴くたびに表現力の幅が拡がっていくのがよく分かるのである。ある友人は「伸び白が無限にある」と言っていた。そんな尚佳さんが1年半の経ったらどのように変貌するのだろうか。
今回のプログラムは、前半にベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタを2曲、後半はピアノ・ソロとヴァイオリン・ソロを1曲ずつとデュオでシマノフスキの中規模作品、というもの。かなりハードな構成には、チャレンジ精神が窺える。
1曲目はベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ第1番。ヴァイオリンとピアノが対等の比重で作られていることが、当時では画期的なことだったようである。曲が始まってすぐに感じたのは、尚佳さんのヴァイオリンの音色が多彩になっていたことである。第1主題のキリッとした佇まいや、第2主題の丸みを帯びた優しい音色、経過部の躍動的な推進力など、表現の幅が広い。また、ヴァイオリンが主旋律を受け持つ部分とピアノの伴奏にまわる部分とでの明らかな表現手法の違いなども、美しい対比をなしている。かなりリハーサルを積んだと見えて、アンサンブルもピッタリ、なかなか見事である。
第2楽章では、憧れに満ちた抒情性が情感豊かに歌われていた。良い意味で若い演奏家にふさわしい瑞々しさが溢れている。若い人にありがちな、弾き急いでしまうようなところもなく、旋律をじっくりと歌わせるための表現にも細やかなニュアンスが与えられ、全体に豊かさがある。短調に変わる第3変奏になると緊張感の高い鋭い音が出て来たりしてハッとさせられた。
第3楽章は弾むようなロンド主題がピアノに続いてヴァイオリンで提示されるが、ここでも瑞々しい若さが発揮され、聴いていても清々しい思いである。軽快で躍動的、しかも浮ついているわけではないのに、前向きな感じ。この曲想にピッタリの音色だった。
やはりこの第1番は、すでに聴覚障害が始まっていたにも関わらず、ベートーヴェン自身がそれを払拭するように、明るいニ長調で書いているだけに、むしろ若い演奏家の屈託のない、将来への希望だけしか見えていないような明るさが、曲に生命を吹き込むようである。生命力に満ちた、素晴らしい演奏だった。
2曲目はベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ第7番。こちらの方はベートーヴェンにとっての「運命の調」であるハ短調で書かれている。ベートーヴェンの苦悩が頂点に達した時期の作品でもあるが、この時期には傑作が多い。この第7番も素晴らしい創造性に満ちた曲である。
第1楽章の主題提示から、滑らかなヴァイオリンがすうーっと入ってくるものの、どんどん強い曲想に変化していくのに対し、音色が徐々に硬質に変化していき、力強さが増していく。アクセントが前の方にあるキリッと立ち上がる明瞭な演奏である。中島さんのピアノも、玉を転がすような軽快感とズシンと響く短調の和音の対比が素晴らしく、実に奥行きの深い
演奏であった。
第2楽章はピアノで始まる感傷的な主題とヴァイオリンで繰り返される際の柔らかな音色が、しなやかな演奏であった。ベートーヴェンがハ短調の曲でしばしば採用した変ニ長調の緩徐楽章は、あまりに美しく、その美しさの余りに涙を誘うような哀愁を秘めている。音楽というのは不思議なもので、作曲者や演奏家の心情が伝わって来るからか、あるいは聴く者の置かれている立場から来るものかはわからないが、時に自分の心情に敏感に共鳴することがある。美しくも哀しい演奏であった。
第3楽章はスケルツォ。同主調のハ長調で書かれている短い楽章だが、しばしば短調に転調して決して明るくはなく、ベートーヴェンの当時の憂いが深いことを表している。今日の演奏では、弾むような諧謔性に秘められた苦悩の滲み出てくるような感性がうまく表現されていた。
第4楽章は再びハ短調に戻り、陰鬱な動機から始まる。「苦悩」は最後まで「歓喜」には至らず、ヴァイオリンとピアノが対話・・・というよりは議論・・・を繰り返していく。尚佳さんのヴァイオリンは、基本的には屈託のない明るい音色だと思っていたら、この楽章に至っては、かくも暗い音色を聴かせるとは思わなかった。暗いと言っても沈鬱なのではなく、芯の強さと力感が漲り、生命力の強さを主張しているようである。コーダに入ってからの推進力は、苦悩に立ち向かっていく決意のような演奏であった。
何だか非常に観念的な聴き方になってしまったが、純音楽的に聴いたとすれば、正確な音程とどのようなパッセージでも的確に演奏する技巧を持ち、多彩な音色で豊かなニュアンスを表現していたということになる。リズム感も良く、ピアノとのアンサンブルもピタリと合っていた。要するにとても上手い演奏だったわけだが、それ以上に豊かな感情表現が感じられたということである。この時点で、もうBrava!!
20分程度の休憩の間には、ワインやコーヒーなどのドリンクが供された。これは小規模なサロン・コンサートならではのこと。ホッとする瞬間である。
後半は、中島さんのピアノ・ソロで、ラヴェルの「高貴にして感傷的なワルツ」から。フランス留学を経て、フランスでの演奏経験も多く、1997年にはモーリス・ラヴェル・アカデミーで最優秀ピアニスト賞を受賞しているというだけあって、ラヴェルの演奏は一級品の素晴らしさである。複雑な和声を光の煌めきに「見せる」ような、そこにキラキラ光る何かが漂っているような、非常に色彩的・絵画的な演奏であった。とくに弱音の美しさが素晴らしく、淡い色彩を描き出していた。
続いて、尚佳さんのヴァイオリン・ソロで、エルンストの「夏の名残りの薔薇」。アイルランド民謡の「庭の千草」を主題にした変奏曲だが、ヴィルトゥオーソ・ヴァイオリニストでもあったエルンストに相応しい、超絶技巧の嵐のような曲である。独奏曲であるから、多声的な構造になり、主旋律と伴奏を同時に弾く。しかも、主旋律と分散和音を同時に弾いたり、左手ピチカートによる和音や、その逆の左手ピチカートで主旋律を弾き弓で分散和音を弾いたり、重音奏法、対位法的な構成、フラジオレットによる重音奏法・・・等々、様々な超難度の演奏技法がこれでもかとばかりに出てくる。誰でも知っているような親しみやすい旋律が主題なので、おそらくある程度正確に弾ければ主題が浮き上がってくるようにできているに違いないとは思うのだが・・・・。スタジオ録音でさえ完璧に弾きこなすのは難しいこの曲を、演奏会プログラムに載せるだけでもかなり勇気の要る挑戦だ。
尚佳さんは、この難曲を見事に演奏しきった。この曲においては表現力云々という以前の問題として、超絶技巧を再現できるかが一般的な課題だろう。少なくとも、作曲者の仕掛けたアクロバティックな課題に対して、一定以上の回答を出したといえる。完全暗譜で、破綻するどころかほとんど乱れることもなく、しかも聴いていればとても音楽的に豊かに聞こえた。超絶技巧に目を奪われがちだが、実は旋律を明瞭に歌わせることも忘れていないし、リズム感も良くメリハリの効いた演奏で、音楽的にもとても豊かな演奏になっていたのである。私はといえば、およそ10分間の曲の間中、尚佳さんの左手の動きに目を奪われていたのだが・・・・。曲が終わっても会場が静まりかえったまま。誰もが息を飲んだままだったのだ。やがてホゥっという人々の溜息とともにゆっくりと拍手が起こっていった。
最後の曲は、再びデュオに戻って、シマノフスキの「夜想曲とタランテラ」。ヴァイオリンとピアノのための室内楽作品としては中規模のものになる。シマノフスキはピアニストでもあったが、ヴァイオリンの部分については当代の名ヴァイオリニストであったパウル・コハンスキの協力を得ている。そのため、ピアノのパートだけでなく、ヴァイオリンのパートも難易度が高く、超絶技巧が散りばめられている。
ふたりの演奏は息もピッタリと合っていて、時には互いに主張し合い、時には一体となって、刺激的な演奏になった。前半の「夜想曲」は夢幻的なピアノの上に怪しげなヴァイオリンが艶っぽい音色で絡みつく。粘っこい演奏も、多彩な表現力のひとつで、実にいろいろな音が出てくるものである。後半の「タランテラ」は踊り狂ったような過激な曲想に対して、叩き付けるようなピアノの強烈なリズム感と、絡みつくようなヴァイオリンの艶めかしい音色、それも高度に技巧的な演奏でのことで、こちらも演奏が終わると会場から溜息が漏れ、その後で喝采が起こったのである。
アンコールは、ブラームスの「5つの歌曲」作品105から第1曲「瞑想」(Contemplation)をハイフェッツの編曲で(「Wie Melodien zieht es mir/旋律のように」とも呼ばれている曲)。それまでの超絶技巧曲があたかも存在しなかったように思えるほど、美しい旋律をゆったりとした美しいヴァイオリンの音色で歌い上げる。今日のリサイタルが企画されたきっかけを知っているだけに、心に染み入るヴァイオリンの美しさに、少々泣けた。
さて、すべての曲が終わってみれば、今年最後に聴いたコンサートは、何と素晴らしいものだったのだろう。尚佳さんのヴァイオリンは確実に進化している。何より感じられたのは、ご自身の「音」が出来上がりつつあるということだ。あくまで正確で高度な技巧の上に成り立っていることだと思うが、立ち上がりが明瞭でハッキリした音階を基本にして、滑らかでしなやかなフレージングがある。メリハリの効かせ方もダイナミックであると同時にしなやか。腰が強く柔軟性に富んでいるといったイメージである。そして明るく輝くような音色をベースに、曲想に応じた実に多彩な音色を繰り出してくる。決して強く押し出すことはないのに、弱音が繊細で安定しているため、ダイナミックレンジを広く取ることができ、結果的にはダイナミックで劇的な効果のある演奏になっている。もちろん、楽曲の分析や解釈も細部まできちんと行き届いていて、実に奥行きの深い表現をする。このような全体像で「青木尚佳の音」のカタチが見えて来たような気がするのである。これまで大勢のヴァイオリニストを聴いて来たが、自身の「音」を持っている(と私が感じる)人は、日本人の現役の中でほんの4~5人だけである)。単に個性を強く押し出しているというのではなく、その個性がなくては描けない豊かな音楽があるという意味でのこと。もちろん、尚佳さんはまだ若く、「伸び白も無限大」といって良い。今日のような小さなコンサートのためにもかなり綿密に取り組んできたことは、聴いてみれば分かることだ。その姿勢がある限り、将来への期待も限りなく膨らんでいくのである。
尚佳さんは年が明ければ早々にロンドンに帰っていくという。5月には英国内でメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲を演奏することも決まっている。夏には帰国するだろうから、またリサイタルを開いてくれると嬉しいのだが・・・・。
終演後は、尚佳さんと中島さんを囲んで、来場者との交流や記念写真を撮ったりした後、会場のティールームでの茶話会が開かれた。20名以上の人が参加しただろうか。まあ、ほとんどがファンか関係者という感じで、ゆるゆるとした楽しい一時を過ごした。私はといえば、尚佳さんに初めてサインをしていただいた。この画像(ⓒ井村重人)、次回のリサイタルのメイン・ビジュアルになるかも・・・・?
これにて、今年のコンサートはすべて終了となった。気がつけば、今年もあと3日である。
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~聴いてくださる人のために~
2013年12月28日(土)15:00~ サロン・テッセラ 自由席 2列中央 4,000円(ドリンク付き)
ヴァイオリン: 青木尚佳
ピアノ: 中島由紀
【曲目】
ベートーヴェン: ヴァイオリン・ソナタ 第1番 ニ長調 作品12-1
ベートーヴェン: ヴァイオリン・ソナタ 第7番 ハ短調 作品30-2
ラヴェル: 高貴にして感傷的なワルツ(ピアノ・ソロ)
エルンスト: 夏の名残りの薔薇(ヴァイオリン・ソロ)
シマノフスキ: 夜想曲とタランテラ 作品28
《アンコール》
ブラームス/ハイフェッツ編:「5つの歌曲」作品105より第1曲「瞑想」
当ブログでも開催の告知をさせていただいた青木尚佳さんと中島由紀さんによるデュオ・リサイタルがようやく開催日になった。年末も押し詰まった12月28日。今年は曜日の関係で27日が仕事納めになったので、今日から9連休の年末年始休暇に入る。今年もたくさんのコンサートやオペラを聴きに行ったが、今年の最後を飾るのが今日のリサイタルである。
ヴァイオリンの青木尚佳さんは、一昨年2011年の秋からロンドンの王立音楽大学に留学していて、研鑽と演奏活動に忙しい日々を送っているそうだ。これまで夏休みに帰国した際に、小規模ではあるがリサイタルを行ってきた。2012年8月には東京・荻窪のかん芸館で2日間、今年2013年も8月に東京・代々木のアトリエ・ムジカで開催している。今年のリサイタルは、私は家人が急病になり行くことができなかったので非常に残念な思いをしていた。
尚佳さんとは個人的な交流もあるので、別のコンサートの会場でお会いすることはできたのだが、その頃から今日のリサイタルが企画されはじめた。病を得た共通の知人を励ます会を開こうというところから始まり、最終的にはサロン・コンサートともいうべき小規模のリサイタルを年内に、ということになった。クリスマス~年始の休暇を利用して帰国するはずなので、ギリギリの日程調整で、12月28日に決まったという次第である。そういう訳もあり、今回は聴く側の立場だけでなく、運営側のスタンスにも立つことになり、チラシやチケット、プログラムのデザインなども手がけることになった。今日も早々に会場入りし、こまごまとした雑用などを手伝う。先日の小林美樹&小林有沙デュオ・リサイタル以来、すっかり裏方づいてしまった・・・・(けっこう楽しい)。会場は東京・三軒茶屋のサロン・テッセラというホール。いっぱいに詰め込んでも80席ほどだが、天井を2階分高くとってあり、空間が広い分だけ音に圧迫感がない。ピアノやヴァイオリンのffでも音が歪んで聞こえるようなことはなかった。タイトには違いないが、悪くはない音響だと思う。
さて実際に聴くのは1年半ぶりになる尚佳さんだが、どのように成長しているかが本当に楽しみだった。もとより彼女は、高校生の頃から超絶技巧少女ぶりを発揮していて、とにかく上手かった。それが聴くたびに表現力の幅が拡がっていくのがよく分かるのである。ある友人は「伸び白が無限にある」と言っていた。そんな尚佳さんが1年半の経ったらどのように変貌するのだろうか。
今回のプログラムは、前半にベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタを2曲、後半はピアノ・ソロとヴァイオリン・ソロを1曲ずつとデュオでシマノフスキの中規模作品、というもの。かなりハードな構成には、チャレンジ精神が窺える。
1曲目はベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ第1番。ヴァイオリンとピアノが対等の比重で作られていることが、当時では画期的なことだったようである。曲が始まってすぐに感じたのは、尚佳さんのヴァイオリンの音色が多彩になっていたことである。第1主題のキリッとした佇まいや、第2主題の丸みを帯びた優しい音色、経過部の躍動的な推進力など、表現の幅が広い。また、ヴァイオリンが主旋律を受け持つ部分とピアノの伴奏にまわる部分とでの明らかな表現手法の違いなども、美しい対比をなしている。かなりリハーサルを積んだと見えて、アンサンブルもピッタリ、なかなか見事である。
第2楽章では、憧れに満ちた抒情性が情感豊かに歌われていた。良い意味で若い演奏家にふさわしい瑞々しさが溢れている。若い人にありがちな、弾き急いでしまうようなところもなく、旋律をじっくりと歌わせるための表現にも細やかなニュアンスが与えられ、全体に豊かさがある。短調に変わる第3変奏になると緊張感の高い鋭い音が出て来たりしてハッとさせられた。
第3楽章は弾むようなロンド主題がピアノに続いてヴァイオリンで提示されるが、ここでも瑞々しい若さが発揮され、聴いていても清々しい思いである。軽快で躍動的、しかも浮ついているわけではないのに、前向きな感じ。この曲想にピッタリの音色だった。
やはりこの第1番は、すでに聴覚障害が始まっていたにも関わらず、ベートーヴェン自身がそれを払拭するように、明るいニ長調で書いているだけに、むしろ若い演奏家の屈託のない、将来への希望だけしか見えていないような明るさが、曲に生命を吹き込むようである。生命力に満ちた、素晴らしい演奏だった。
2曲目はベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ第7番。こちらの方はベートーヴェンにとっての「運命の調」であるハ短調で書かれている。ベートーヴェンの苦悩が頂点に達した時期の作品でもあるが、この時期には傑作が多い。この第7番も素晴らしい創造性に満ちた曲である。
第1楽章の主題提示から、滑らかなヴァイオリンがすうーっと入ってくるものの、どんどん強い曲想に変化していくのに対し、音色が徐々に硬質に変化していき、力強さが増していく。アクセントが前の方にあるキリッと立ち上がる明瞭な演奏である。中島さんのピアノも、玉を転がすような軽快感とズシンと響く短調の和音の対比が素晴らしく、実に奥行きの深い
演奏であった。
第2楽章はピアノで始まる感傷的な主題とヴァイオリンで繰り返される際の柔らかな音色が、しなやかな演奏であった。ベートーヴェンがハ短調の曲でしばしば採用した変ニ長調の緩徐楽章は、あまりに美しく、その美しさの余りに涙を誘うような哀愁を秘めている。音楽というのは不思議なもので、作曲者や演奏家の心情が伝わって来るからか、あるいは聴く者の置かれている立場から来るものかはわからないが、時に自分の心情に敏感に共鳴することがある。美しくも哀しい演奏であった。
第3楽章はスケルツォ。同主調のハ長調で書かれている短い楽章だが、しばしば短調に転調して決して明るくはなく、ベートーヴェンの当時の憂いが深いことを表している。今日の演奏では、弾むような諧謔性に秘められた苦悩の滲み出てくるような感性がうまく表現されていた。
第4楽章は再びハ短調に戻り、陰鬱な動機から始まる。「苦悩」は最後まで「歓喜」には至らず、ヴァイオリンとピアノが対話・・・というよりは議論・・・を繰り返していく。尚佳さんのヴァイオリンは、基本的には屈託のない明るい音色だと思っていたら、この楽章に至っては、かくも暗い音色を聴かせるとは思わなかった。暗いと言っても沈鬱なのではなく、芯の強さと力感が漲り、生命力の強さを主張しているようである。コーダに入ってからの推進力は、苦悩に立ち向かっていく決意のような演奏であった。
何だか非常に観念的な聴き方になってしまったが、純音楽的に聴いたとすれば、正確な音程とどのようなパッセージでも的確に演奏する技巧を持ち、多彩な音色で豊かなニュアンスを表現していたということになる。リズム感も良く、ピアノとのアンサンブルもピタリと合っていた。要するにとても上手い演奏だったわけだが、それ以上に豊かな感情表現が感じられたということである。この時点で、もうBrava!!
20分程度の休憩の間には、ワインやコーヒーなどのドリンクが供された。これは小規模なサロン・コンサートならではのこと。ホッとする瞬間である。
後半は、中島さんのピアノ・ソロで、ラヴェルの「高貴にして感傷的なワルツ」から。フランス留学を経て、フランスでの演奏経験も多く、1997年にはモーリス・ラヴェル・アカデミーで最優秀ピアニスト賞を受賞しているというだけあって、ラヴェルの演奏は一級品の素晴らしさである。複雑な和声を光の煌めきに「見せる」ような、そこにキラキラ光る何かが漂っているような、非常に色彩的・絵画的な演奏であった。とくに弱音の美しさが素晴らしく、淡い色彩を描き出していた。
続いて、尚佳さんのヴァイオリン・ソロで、エルンストの「夏の名残りの薔薇」。アイルランド民謡の「庭の千草」を主題にした変奏曲だが、ヴィルトゥオーソ・ヴァイオリニストでもあったエルンストに相応しい、超絶技巧の嵐のような曲である。独奏曲であるから、多声的な構造になり、主旋律と伴奏を同時に弾く。しかも、主旋律と分散和音を同時に弾いたり、左手ピチカートによる和音や、その逆の左手ピチカートで主旋律を弾き弓で分散和音を弾いたり、重音奏法、対位法的な構成、フラジオレットによる重音奏法・・・等々、様々な超難度の演奏技法がこれでもかとばかりに出てくる。誰でも知っているような親しみやすい旋律が主題なので、おそらくある程度正確に弾ければ主題が浮き上がってくるようにできているに違いないとは思うのだが・・・・。スタジオ録音でさえ完璧に弾きこなすのは難しいこの曲を、演奏会プログラムに載せるだけでもかなり勇気の要る挑戦だ。
尚佳さんは、この難曲を見事に演奏しきった。この曲においては表現力云々という以前の問題として、超絶技巧を再現できるかが一般的な課題だろう。少なくとも、作曲者の仕掛けたアクロバティックな課題に対して、一定以上の回答を出したといえる。完全暗譜で、破綻するどころかほとんど乱れることもなく、しかも聴いていればとても音楽的に豊かに聞こえた。超絶技巧に目を奪われがちだが、実は旋律を明瞭に歌わせることも忘れていないし、リズム感も良くメリハリの効いた演奏で、音楽的にもとても豊かな演奏になっていたのである。私はといえば、およそ10分間の曲の間中、尚佳さんの左手の動きに目を奪われていたのだが・・・・。曲が終わっても会場が静まりかえったまま。誰もが息を飲んだままだったのだ。やがてホゥっという人々の溜息とともにゆっくりと拍手が起こっていった。
最後の曲は、再びデュオに戻って、シマノフスキの「夜想曲とタランテラ」。ヴァイオリンとピアノのための室内楽作品としては中規模のものになる。シマノフスキはピアニストでもあったが、ヴァイオリンの部分については当代の名ヴァイオリニストであったパウル・コハンスキの協力を得ている。そのため、ピアノのパートだけでなく、ヴァイオリンのパートも難易度が高く、超絶技巧が散りばめられている。
ふたりの演奏は息もピッタリと合っていて、時には互いに主張し合い、時には一体となって、刺激的な演奏になった。前半の「夜想曲」は夢幻的なピアノの上に怪しげなヴァイオリンが艶っぽい音色で絡みつく。粘っこい演奏も、多彩な表現力のひとつで、実にいろいろな音が出てくるものである。後半の「タランテラ」は踊り狂ったような過激な曲想に対して、叩き付けるようなピアノの強烈なリズム感と、絡みつくようなヴァイオリンの艶めかしい音色、それも高度に技巧的な演奏でのことで、こちらも演奏が終わると会場から溜息が漏れ、その後で喝采が起こったのである。
アンコールは、ブラームスの「5つの歌曲」作品105から第1曲「瞑想」(Contemplation)をハイフェッツの編曲で(「Wie Melodien zieht es mir/旋律のように」とも呼ばれている曲)。それまでの超絶技巧曲があたかも存在しなかったように思えるほど、美しい旋律をゆったりとした美しいヴァイオリンの音色で歌い上げる。今日のリサイタルが企画されたきっかけを知っているだけに、心に染み入るヴァイオリンの美しさに、少々泣けた。
さて、すべての曲が終わってみれば、今年最後に聴いたコンサートは、何と素晴らしいものだったのだろう。尚佳さんのヴァイオリンは確実に進化している。何より感じられたのは、ご自身の「音」が出来上がりつつあるということだ。あくまで正確で高度な技巧の上に成り立っていることだと思うが、立ち上がりが明瞭でハッキリした音階を基本にして、滑らかでしなやかなフレージングがある。メリハリの効かせ方もダイナミックであると同時にしなやか。腰が強く柔軟性に富んでいるといったイメージである。そして明るく輝くような音色をベースに、曲想に応じた実に多彩な音色を繰り出してくる。決して強く押し出すことはないのに、弱音が繊細で安定しているため、ダイナミックレンジを広く取ることができ、結果的にはダイナミックで劇的な効果のある演奏になっている。もちろん、楽曲の分析や解釈も細部まできちんと行き届いていて、実に奥行きの深い表現をする。このような全体像で「青木尚佳の音」のカタチが見えて来たような気がするのである。これまで大勢のヴァイオリニストを聴いて来たが、自身の「音」を持っている(と私が感じる)人は、日本人の現役の中でほんの4~5人だけである)。単に個性を強く押し出しているというのではなく、その個性がなくては描けない豊かな音楽があるという意味でのこと。もちろん、尚佳さんはまだ若く、「伸び白も無限大」といって良い。今日のような小さなコンサートのためにもかなり綿密に取り組んできたことは、聴いてみれば分かることだ。その姿勢がある限り、将来への期待も限りなく膨らんでいくのである。
尚佳さんは年が明ければ早々にロンドンに帰っていくという。5月には英国内でメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲を演奏することも決まっている。夏には帰国するだろうから、またリサイタルを開いてくれると嬉しいのだが・・・・。
終演後は、尚佳さんと中島さんを囲んで、来場者との交流や記念写真を撮ったりした後、会場のティールームでの茶話会が開かれた。20名以上の人が参加しただろうか。まあ、ほとんどがファンか関係者という感じで、ゆるゆるとした楽しい一時を過ごした。私はといえば、尚佳さんに初めてサインをしていただいた。この画像(ⓒ井村重人)、次回のリサイタルのメイン・ビジュアルになるかも・・・・?
これにて、今年のコンサートはすべて終了となった。気がつけば、今年もあと3日である。
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