響きの森クラシック・シリーズ Vol.45
2013年9月28日(土)15:00~ 文京シビックホール A席 1階 3列 18番 5,000円(年間セット券)
指 揮: 大植英次
ピアノ: 中村紘子
管弦楽: 東京フィルハーモニー交響楽団
【曲目】
ワーグナー: 楽劇『トリスタンとイゾルデ』より「前奏曲と愛の死」
ラフマニノフ: ビアノ協奏曲 第2番 ハ短調 作品18
ストラヴィンスキー: バレエ音楽「春の祭典」
文京シビックホールと東京フィルハーモニー交響楽団の提携による「響きの森クラシックシリーズ」は、年間4回のコンサートが開催されるシリーズで、今期(2013/2014シーズン)も年間セット券でお気に入りの座席を確保してあるのだが、前回(2013年5月18日)と前々会(2月2日)は他のコンサートと重なってしまったため断念せざるをえなかった。従って2012年12月8日のコバケンさんによる「第九」以来の文京シビックホールである。
Vol.45となる今日のコンサートは絶対はずさないつもりでいた。というのは指揮が「超個性派」大植英次さんだからである。大植さんは、今年2013年6月の東京フィルハーモニー交響楽団のサントリー定期シリーズに客演し、リヒャルト・シュトラウスの「ばらの騎士」組曲とチャイコフスキーの交響曲第5番で素晴らしい演奏を聴かせてくれた。ものすごく個性的ではあるのに、ツボを心得ているというか、嫌味がなく音楽を楽しませてくれる。しかも、当ブログにご本人様よりコメントを頂戴して、音楽に対するアプローチの一端を教えていただいたという経緯もあったからである。
前半はワーグナーの楽劇『トリスタンとイゾルデ』より「前奏曲と愛の死」。ワーグナー生誕200年の今年は、なんだかんだといってワーグナーをよく聴く。『トリスタン~』の「前奏曲と愛の死」は、つい先日の9月7日、日本フィルハーモニー交響楽団の東京定期でピエタリ・インキネンさんの指揮で聴いたばかり。しかもその時は「愛の死」にはソプラノ歌唱付きであった。今日はもちろんオーソドックスな管弦楽版である。管弦楽版では、昨年2012年になるが10月にクリスティアン・ティーレマンさんの指揮するドレスデン国立歌劇場管弦楽団という大物の演奏を聴いている。
大植さんは、北ドイツ放送フィルハーモニーの名誉指揮者であり、ドイツとアメリカでの評価が高い。当然得意としているドイツ音楽、しかも『トリスタンとイゾルデ』全編をバイロイトで振ったこともある。聴く前の情報だけでも、期待は高まる一方だが、あの「個性的」な指揮での『トリスタン~』はどんな演奏になるのだろう。想像ができるようで、けっこう難しい。
エネルギッシュに登場した大植さんは、襟を立てたコートのような、いつもの個性的なお衣装。始まりは意外にオーソドックスだ。最初のトリスタン和音もサラリと落としていく。ところが主題がうねりのように繰り返されていくにつれて、徐々にテンポが揺らいでいく。フレーズが生命が宿り息づいていくように歌い出す。一つ一つの拍の長さが明らかに違うと分かるほどの歌わせ方と、和音に落とす前のタメの入れ方。大植さんの短い指揮棒をもつ右手が創り出す歌わせるリズムと、それよりも大きく動く左手による表情の表現が、東京フィルからしなやかで濃厚な演奏を引き出していく。初めのあたりは何となくギクシャクしているような感じもしたが、中盤からは大植さんの動きとオーケストラの音がピタリと一致するようになった。そうなると東京フィルの音色は素敵だ。荒井英治さんの率いるヴァイオリンと須田祥子さんの率いるヴィオラが対向の配置から見事な澄んだ音色のアンサンブルを聴かせてくれる。オーボエやクラリネットの音色も艶っぽい濃厚なもので、耽美的にワーグナーが描かれていく。ホルンも素敵だ。
前奏曲がクライマックスを迎え、急速に沈静化して静寂へ。「愛の死」に移る。歌唱がない管弦楽版だが、ここでは一層主題を歌わせるように、細やかな表情まで大植さんが全身で表現してオーケストラへ伝えていく。まさに伝わっていくといった表現通りに、東京フィルが呼応していくのが分かる。永遠に解決しない愛への苛立ちや不安感、諦め、葛藤などの負の感情が、リアルに描かれていく。むしろ歌唱がないからこそ、オーケストラが雄弁に語れるようになるのかもしれない。そして最後に到達する主和音ですべて浄化されていく。その音は透明だ。大植さんも凄いが東京フィルも見事な表現力である。
続いて中村紘子さんをソリストに招いてのラフマニノフのピアノ協奏曲第2番。中村さんについては今さら何も説明はいらないだろうし、曲目についても誰でも知っている曲だということでいいだろう。問題(?)は、そこに大植さんが加わるとどういうことになるかということだ。
静かな「鐘の音」で曲が始まる。中村さんは2拍目の低音をかなり強めに叩いていく。硬質な力強い響きから、大河の荒々しいうねりのような分散和音が続き、オーケストラの主題へと受け継がれていく。やや遅めのテンポを採り、大植さんが重厚な雰囲気で主題提示部を描いて行き、絡み合うビアノはオーケストラに飲まれることはなく、明確に主張を持ってくっきりと分離していた。
中村さんのピアノは全体的な強めのタッチで、繊細な感じはあまりなく、むしろ豪快に、荒々しく、力強く感じられた。少なくとも考えようによっては攻撃的な演奏だったかもしれない。何だか、何者にも妥協することののない決意のある音楽のように聞こえた。一方で、速いパッセージの箇所などではいささか怪しげなところもあったように思うが、音楽全体の流れの中に入ってしまえば、たいした問題ではない。若い演奏家の弾くラフマニノフとは明らかに違うし、かといって円熟の境地というのでもなさそう。ベテランの味わいの中にも挑戦的な(あるいは攻撃的な)モチベーションが強く感じられ、押し出しの強い演奏であった。
曲全体のテンポや構成はお二人のどちらが主導したのかは知る由もないが、全体はやや遅めに終始し、堂々たる大河のごとき演奏となった。時折見せる急速なアッチェレランドでオーケストラを一気にクライマックスまで突き上げるのは大植節だろう。全合奏の時のエンジン全開の大音量はかなりのもので、音圧を感じる程の大迫力。そして、ピアノも負けない力強さであった。
曲が進むにつれて、どうやら中村さんに自由に弾かせている感じが伝わって来た。ピアノが主旋律を受け持つと、時としてかなり大きく歌わせるようにテンポが揺らぐ。感情の起伏や魂の安らぎなどが描き出され、曲の表情がぐっと厚みを増してくるところだ。そしてほとんど大部分の時間、大植さんは中村さんの手を見てタイミングを合わせてタクトを振っている。半身の体勢で、顔はソリストの方を向き、右手はオーケストラの方を向いて振られている。その合わせ方はまさに絶妙。オーケストラもまた柔軟に対応していくのである。
ということで、何十回聴いたか分からないこの曲ではあるが、かつて聴いたことがないほど、自由度に満ちた演奏であったのに驚かされた。ロシア的な剛直なイメージではないし、かといって感傷的なロマンティズムでもない。気が強く攻撃的なピアノが、美しい旋律に新鮮な息吹を与えたような演奏。そしてピタリと寄り添う指揮で、しなやかでダイナミックなオーケストラが時には繊細に、時には大音量で豪快に鳴る。これはラフマニノフの新解釈(?)といえるかもしれない。少なくともこの聴き慣れた名曲の中から、とても新鮮な音楽を引き出してきた中村さんと大植さんにBravi!!を送りたい。
後半はストラヴィンスキーの「春の祭典」。もちろん名曲中の名曲には違いないが、私としてはあまり得意の分野ではなく、普段あまり積極的には聴かない曲なので、その良さというか、魅力の部分があまりよく分からないのが正直なところ。だから今日の感想もいささか的はいずれなところがあるかもしれない。
全体の印象を言えば、初めの方はアンサンブルがバタついた感じがしていたように思う。何だか縦のラインが微妙に揃っていないイメージ。前半の『トリスタン~』のような歌うような節回しとは違って、あくまでバレエ音楽ということで、大植さんの指揮もリズもカルで躍動的である。ところが微妙にアンサンブルがあっていない(?)のか、バタついて落ち着かない印象が残ったのである。やがて、変拍子が頻出する「誘拐の儀式」あたりから縦のラインが揃いだし、ダイナミックレンジが高まって、オーケストラが躍動的な動きだしてきたように感じられた。
曲の後半は見事なリズム感で、オーケストラが活き活きとしたサウンドをばらまき始めた。リズムが合えば、ダイナミックレンジの広い東京フィルの演奏能力は抜群で、爆発的な迫力を生み出してくる。大植さんは、全身を大きく躍動させ、時には左手がコンサートマスターの楽譜を越えたりする。その全身を駆使した派手な動きと、ギョロリとした強い視線やニンマリとした笑顔など豊かな表情での指揮は、一見してやり過ぎのパフォーマンスのようにも見えるかもしれないが、やがてそれがオーケストラの動きと呼応し、指揮者とオーケストラが一体となって、演奏自体が生きているように輝きだしたように感じた。リズムを破壊したような歴史的名曲「春の祭典」を、強烈なリズム感を全身で表すような指揮法で、見事な演奏だったといえそうである。
東京フィルの演奏もアンサンブルの見事さに加えて、各パートが実に良い音であったようにおもう。冒頭のファゴットをはじめ、クラリネット、オーボエ、ホルン、トランペット、トロンボーンなどが技巧的にも素晴らしいし、質感の高い音色を出していた。そしてティンパニも強烈なリズムをうまく支えていた。そして、ヴァイオリンやヴィオラの各パートは、全員の音が一体化した素晴らしいアンサンブルで、強烈なリズムを刻んだり、悩ましげな旋律を弾いたり、素晴らしい演奏であった。
繰り返しになるが、あまり得意な分野の曲ではないので、よく分からない部分が多いのだが、概して言えば、とても素晴らしい演奏だったのだと思う。曲の持つ破壊的なエネルギーが、聴いている私たちにガンガンぶつかってくるようなイメージ。伝わるべきものが伝わってきた、そんな印象の演奏であった。
さて今日は珍しく聴衆マナーについて一言いいたいことがある。『トリスタン~』の際、「前奏曲」と「愛の死」の静寂の間に大きな咳をしたひとがいた。また「愛の死」の最後の部分、音楽が止まって指揮者の手が下がる前の無音状態でも咳をした人がいた。このタイミングで2回とは、(もし同じ人だったら)まるで嫌がらせのような悪意さえ感じられる。聴いている人にも演奏している人にも失礼なことこの上ない。咳やくしゃみなどは生理現象だから普通なら多少は我慢するが、今日のタイミングはあまりにもひどい。我慢するなりハンカチを使うなり多少なりとも迷惑をかけないような配慮があれば話しは別だが、中には気に入らない演奏に対してわざと嫌がらせをする人もいるようなので、困ったものである。
ほかにも、曲が始まるなりガサゴソとプログラムを読み始める人や、曲の途中にプログラムで団扇のように仰ぐ人もいた。前の方の席だとステージからも見えるはずで、演奏中に気になるのではないかと心配になる。年間会員と思われる席にそのような人がいたので、呆れてしまった。
今日は終演後のサイン会などもなかったし、大植さんにぜひお会いしたかったので楽屋にお邪魔しようと思ったのだが、係の人に訊いたところ、セキュリティの関係で、楽屋口(建物の外にある)で面会の申し込みをして、マネージャーさんの許可があれば・・・云々。というので、時間もあまりなかったので諦めることにした。公立のホールはとくにセキュリティが固く、東京芸術劇場でも聞いたことがあるが、出演者の家族でも楽屋に入れてもらえないそうだ。
その仕組みは至極もっともなことなので反論の余地はないが、一方でクラシック音楽の世界では演奏家とファンの交流が業界の発展に欠かせないことも事実。民間のホールはもう少し緩かったりもする。何か良い方法はないものだろうか。
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2013年9月28日(土)15:00~ 文京シビックホール A席 1階 3列 18番 5,000円(年間セット券)
指 揮: 大植英次
ピアノ: 中村紘子
管弦楽: 東京フィルハーモニー交響楽団
【曲目】
ワーグナー: 楽劇『トリスタンとイゾルデ』より「前奏曲と愛の死」
ラフマニノフ: ビアノ協奏曲 第2番 ハ短調 作品18
ストラヴィンスキー: バレエ音楽「春の祭典」
文京シビックホールと東京フィルハーモニー交響楽団の提携による「響きの森クラシックシリーズ」は、年間4回のコンサートが開催されるシリーズで、今期(2013/2014シーズン)も年間セット券でお気に入りの座席を確保してあるのだが、前回(2013年5月18日)と前々会(2月2日)は他のコンサートと重なってしまったため断念せざるをえなかった。従って2012年12月8日のコバケンさんによる「第九」以来の文京シビックホールである。
Vol.45となる今日のコンサートは絶対はずさないつもりでいた。というのは指揮が「超個性派」大植英次さんだからである。大植さんは、今年2013年6月の東京フィルハーモニー交響楽団のサントリー定期シリーズに客演し、リヒャルト・シュトラウスの「ばらの騎士」組曲とチャイコフスキーの交響曲第5番で素晴らしい演奏を聴かせてくれた。ものすごく個性的ではあるのに、ツボを心得ているというか、嫌味がなく音楽を楽しませてくれる。しかも、当ブログにご本人様よりコメントを頂戴して、音楽に対するアプローチの一端を教えていただいたという経緯もあったからである。
前半はワーグナーの楽劇『トリスタンとイゾルデ』より「前奏曲と愛の死」。ワーグナー生誕200年の今年は、なんだかんだといってワーグナーをよく聴く。『トリスタン~』の「前奏曲と愛の死」は、つい先日の9月7日、日本フィルハーモニー交響楽団の東京定期でピエタリ・インキネンさんの指揮で聴いたばかり。しかもその時は「愛の死」にはソプラノ歌唱付きであった。今日はもちろんオーソドックスな管弦楽版である。管弦楽版では、昨年2012年になるが10月にクリスティアン・ティーレマンさんの指揮するドレスデン国立歌劇場管弦楽団という大物の演奏を聴いている。
大植さんは、北ドイツ放送フィルハーモニーの名誉指揮者であり、ドイツとアメリカでの評価が高い。当然得意としているドイツ音楽、しかも『トリスタンとイゾルデ』全編をバイロイトで振ったこともある。聴く前の情報だけでも、期待は高まる一方だが、あの「個性的」な指揮での『トリスタン~』はどんな演奏になるのだろう。想像ができるようで、けっこう難しい。
エネルギッシュに登場した大植さんは、襟を立てたコートのような、いつもの個性的なお衣装。始まりは意外にオーソドックスだ。最初のトリスタン和音もサラリと落としていく。ところが主題がうねりのように繰り返されていくにつれて、徐々にテンポが揺らいでいく。フレーズが生命が宿り息づいていくように歌い出す。一つ一つの拍の長さが明らかに違うと分かるほどの歌わせ方と、和音に落とす前のタメの入れ方。大植さんの短い指揮棒をもつ右手が創り出す歌わせるリズムと、それよりも大きく動く左手による表情の表現が、東京フィルからしなやかで濃厚な演奏を引き出していく。初めのあたりは何となくギクシャクしているような感じもしたが、中盤からは大植さんの動きとオーケストラの音がピタリと一致するようになった。そうなると東京フィルの音色は素敵だ。荒井英治さんの率いるヴァイオリンと須田祥子さんの率いるヴィオラが対向の配置から見事な澄んだ音色のアンサンブルを聴かせてくれる。オーボエやクラリネットの音色も艶っぽい濃厚なもので、耽美的にワーグナーが描かれていく。ホルンも素敵だ。
前奏曲がクライマックスを迎え、急速に沈静化して静寂へ。「愛の死」に移る。歌唱がない管弦楽版だが、ここでは一層主題を歌わせるように、細やかな表情まで大植さんが全身で表現してオーケストラへ伝えていく。まさに伝わっていくといった表現通りに、東京フィルが呼応していくのが分かる。永遠に解決しない愛への苛立ちや不安感、諦め、葛藤などの負の感情が、リアルに描かれていく。むしろ歌唱がないからこそ、オーケストラが雄弁に語れるようになるのかもしれない。そして最後に到達する主和音ですべて浄化されていく。その音は透明だ。大植さんも凄いが東京フィルも見事な表現力である。
続いて中村紘子さんをソリストに招いてのラフマニノフのピアノ協奏曲第2番。中村さんについては今さら何も説明はいらないだろうし、曲目についても誰でも知っている曲だということでいいだろう。問題(?)は、そこに大植さんが加わるとどういうことになるかということだ。
静かな「鐘の音」で曲が始まる。中村さんは2拍目の低音をかなり強めに叩いていく。硬質な力強い響きから、大河の荒々しいうねりのような分散和音が続き、オーケストラの主題へと受け継がれていく。やや遅めのテンポを採り、大植さんが重厚な雰囲気で主題提示部を描いて行き、絡み合うビアノはオーケストラに飲まれることはなく、明確に主張を持ってくっきりと分離していた。
中村さんのピアノは全体的な強めのタッチで、繊細な感じはあまりなく、むしろ豪快に、荒々しく、力強く感じられた。少なくとも考えようによっては攻撃的な演奏だったかもしれない。何だか、何者にも妥協することののない決意のある音楽のように聞こえた。一方で、速いパッセージの箇所などではいささか怪しげなところもあったように思うが、音楽全体の流れの中に入ってしまえば、たいした問題ではない。若い演奏家の弾くラフマニノフとは明らかに違うし、かといって円熟の境地というのでもなさそう。ベテランの味わいの中にも挑戦的な(あるいは攻撃的な)モチベーションが強く感じられ、押し出しの強い演奏であった。
曲全体のテンポや構成はお二人のどちらが主導したのかは知る由もないが、全体はやや遅めに終始し、堂々たる大河のごとき演奏となった。時折見せる急速なアッチェレランドでオーケストラを一気にクライマックスまで突き上げるのは大植節だろう。全合奏の時のエンジン全開の大音量はかなりのもので、音圧を感じる程の大迫力。そして、ピアノも負けない力強さであった。
曲が進むにつれて、どうやら中村さんに自由に弾かせている感じが伝わって来た。ピアノが主旋律を受け持つと、時としてかなり大きく歌わせるようにテンポが揺らぐ。感情の起伏や魂の安らぎなどが描き出され、曲の表情がぐっと厚みを増してくるところだ。そしてほとんど大部分の時間、大植さんは中村さんの手を見てタイミングを合わせてタクトを振っている。半身の体勢で、顔はソリストの方を向き、右手はオーケストラの方を向いて振られている。その合わせ方はまさに絶妙。オーケストラもまた柔軟に対応していくのである。
ということで、何十回聴いたか分からないこの曲ではあるが、かつて聴いたことがないほど、自由度に満ちた演奏であったのに驚かされた。ロシア的な剛直なイメージではないし、かといって感傷的なロマンティズムでもない。気が強く攻撃的なピアノが、美しい旋律に新鮮な息吹を与えたような演奏。そしてピタリと寄り添う指揮で、しなやかでダイナミックなオーケストラが時には繊細に、時には大音量で豪快に鳴る。これはラフマニノフの新解釈(?)といえるかもしれない。少なくともこの聴き慣れた名曲の中から、とても新鮮な音楽を引き出してきた中村さんと大植さんにBravi!!を送りたい。
後半はストラヴィンスキーの「春の祭典」。もちろん名曲中の名曲には違いないが、私としてはあまり得意の分野ではなく、普段あまり積極的には聴かない曲なので、その良さというか、魅力の部分があまりよく分からないのが正直なところ。だから今日の感想もいささか的はいずれなところがあるかもしれない。
全体の印象を言えば、初めの方はアンサンブルがバタついた感じがしていたように思う。何だか縦のラインが微妙に揃っていないイメージ。前半の『トリスタン~』のような歌うような節回しとは違って、あくまでバレエ音楽ということで、大植さんの指揮もリズもカルで躍動的である。ところが微妙にアンサンブルがあっていない(?)のか、バタついて落ち着かない印象が残ったのである。やがて、変拍子が頻出する「誘拐の儀式」あたりから縦のラインが揃いだし、ダイナミックレンジが高まって、オーケストラが躍動的な動きだしてきたように感じられた。
曲の後半は見事なリズム感で、オーケストラが活き活きとしたサウンドをばらまき始めた。リズムが合えば、ダイナミックレンジの広い東京フィルの演奏能力は抜群で、爆発的な迫力を生み出してくる。大植さんは、全身を大きく躍動させ、時には左手がコンサートマスターの楽譜を越えたりする。その全身を駆使した派手な動きと、ギョロリとした強い視線やニンマリとした笑顔など豊かな表情での指揮は、一見してやり過ぎのパフォーマンスのようにも見えるかもしれないが、やがてそれがオーケストラの動きと呼応し、指揮者とオーケストラが一体となって、演奏自体が生きているように輝きだしたように感じた。リズムを破壊したような歴史的名曲「春の祭典」を、強烈なリズム感を全身で表すような指揮法で、見事な演奏だったといえそうである。
東京フィルの演奏もアンサンブルの見事さに加えて、各パートが実に良い音であったようにおもう。冒頭のファゴットをはじめ、クラリネット、オーボエ、ホルン、トランペット、トロンボーンなどが技巧的にも素晴らしいし、質感の高い音色を出していた。そしてティンパニも強烈なリズムをうまく支えていた。そして、ヴァイオリンやヴィオラの各パートは、全員の音が一体化した素晴らしいアンサンブルで、強烈なリズムを刻んだり、悩ましげな旋律を弾いたり、素晴らしい演奏であった。
繰り返しになるが、あまり得意な分野の曲ではないので、よく分からない部分が多いのだが、概して言えば、とても素晴らしい演奏だったのだと思う。曲の持つ破壊的なエネルギーが、聴いている私たちにガンガンぶつかってくるようなイメージ。伝わるべきものが伝わってきた、そんな印象の演奏であった。
さて今日は珍しく聴衆マナーについて一言いいたいことがある。『トリスタン~』の際、「前奏曲」と「愛の死」の静寂の間に大きな咳をしたひとがいた。また「愛の死」の最後の部分、音楽が止まって指揮者の手が下がる前の無音状態でも咳をした人がいた。このタイミングで2回とは、(もし同じ人だったら)まるで嫌がらせのような悪意さえ感じられる。聴いている人にも演奏している人にも失礼なことこの上ない。咳やくしゃみなどは生理現象だから普通なら多少は我慢するが、今日のタイミングはあまりにもひどい。我慢するなりハンカチを使うなり多少なりとも迷惑をかけないような配慮があれば話しは別だが、中には気に入らない演奏に対してわざと嫌がらせをする人もいるようなので、困ったものである。
ほかにも、曲が始まるなりガサゴソとプログラムを読み始める人や、曲の途中にプログラムで団扇のように仰ぐ人もいた。前の方の席だとステージからも見えるはずで、演奏中に気になるのではないかと心配になる。年間会員と思われる席にそのような人がいたので、呆れてしまった。
今日は終演後のサイン会などもなかったし、大植さんにぜひお会いしたかったので楽屋にお邪魔しようと思ったのだが、係の人に訊いたところ、セキュリティの関係で、楽屋口(建物の外にある)で面会の申し込みをして、マネージャーさんの許可があれば・・・云々。というので、時間もあまりなかったので諦めることにした。公立のホールはとくにセキュリティが固く、東京芸術劇場でも聞いたことがあるが、出演者の家族でも楽屋に入れてもらえないそうだ。
その仕組みは至極もっともなことなので反論の余地はないが、一方でクラシック音楽の世界では演奏家とファンの交流が業界の発展に欠かせないことも事実。民間のホールはもう少し緩かったりもする。何か良い方法はないものだろうか。
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コメントをお寄せいただきありがとうございました。
お約束通りの非公開にしました。
パソコンからでしたら左側のメニューバーの「メッセージを送る」からですと、1000文字以内ですが完全非公開でメールがこちらに届きます。メールアドレス欄がありますので、アドレスを記入されてメッセージを送っていただければ、こちらから返信させていただきます。あとはブログから離れてメールのやりとりができます。もちろん公開されることは一切ありませんからご安心ください。
コメントをお寄せいただきありがとうございます。
いますよね、目薬さす人。あと、最前列で曲が始まるとすぐに居眠りしてしまう人。演奏家の方たちは一所懸命だから気がつかないのかしら・・・。
以前、演奏中に殴り合いをしている人たちがいたのを見たことがあります
コメントいただきました。届いておりますのでご安心ください。
お手数をおかけしております。コメントは届いておりますが、個別に連絡を取る場合は、
左側のメニューの2番目「MESSAGE」の「メッセージを送る」をクリックして、開いた仮面から、「名前」の次の「メール」の欄にメールアドレスを記入してください、件名と1000字以内の本文をお願いします。後はセキュリティ用の4ケタの数字を入れて送信してください。メッセージはコチラにメールが届くだけなので、画面上に変化はありません。メールアドレスを記入していただければ、こちらから返信します。
メッセージは無事届きました。ありがとうございました。「名前」「メール」「件名」「本文」ちゃんと記載されています。ところが、「メール」に記載されていた●●●@yahoo.comのメールアドレスにメールを送ったところ、そのメールアドレスは使われていないという理由で、戻ってきてしまいました。もしかするとメールアドレスが書き間違っているかもしれません。メールアドレスを確認していただけますでしょうか。
あるいは、PCからメールが送れるのでしたら、下記に送ってみてください。最近作った新しいメールアドレスです。
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よろしくお願いいたします。