弁理士の日々

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再び“教育勅語”

2017-04-09 14:00:01 | 歴史・社会
本年3月に、このブログで「何で今“教育勅語”?」として記事を書きました。
杉並の大宮八幡宮で、『誰にでも覚えやすい「教育勅語」(たいせつなこと)』(明治神宮崇敬会発光小冊子「たいせつなこと」より転載)をいただいたことに端を発します。
その後、あちこちで教育勅語が話題になっていることから、どんな意味内容なのか、原文を眺めることになりました。

《本文》
『(一)朕惟(ちんおも)うに、我が皇祖皇宗(こうそこうそう)、国を肇(はじ)むること宏遠に、徳を樹(た)つること深厚なり。我が臣民、克(よ)くに克(よ)くに、億兆心を一にして世世(よよ)厥(そ)の美を済(な)せるは、此れ我が国体(こくたい)の精華(せいか)にして、教育の淵源、亦(また)実に此に存す。

(二)爾(なんじ)臣民、(1)父母にに、(2)兄弟(けいてい)に友(ゆう)に、(3)夫婦相和(あいわ)し、(4)朋友(ほうゆう)相信(あいしん)じ、(5)恭倹(きょうけん)己(おのれ)を持(じ)し、(6) 博愛衆に及ぼし、(7) 学を修め、業を習い、以(もっ)て智能を啓発し、徳器を成就し、(8)進んで公益を広め、 世務(せいむ)を開き、(9)常に国憲(こっけん)を重んじ、国法に 遵(したが)い、(10) 一旦緩急あれば、義勇公(こう)に奉じ、以(もっ)て天壌無窮(てんじょうむきゅう)の皇運(こううん)を扶翼(ふよく)すべし。
是くの如きは、独(ひと)り朕(ちん)が忠良(ちゅうりょう)の臣民たるのみならず、 又以(もっ)て(11)爾(なんじ)祖先の遺風(いふう)を顕彰(けんしょう)するに足らん。

(三) 斯(こ)の道は、実に我が皇祖皇宗(こうそこうそう)の遺訓にして、子孫臣民の倶(とも)に遵守すべき所 、之を古今に通じて謬(あやま)らず、之を中外(ちゅうがい)に施(ほどこ)して悖(もと)らず。

(四)(12) 朕、 爾臣民と倶(とも)に拳拳服膺(けんけんふくよう)して咸(みな)其(その)徳を一(いつ)にせんことを庶幾(こいねが)う。

明治二十三年十月三十日
御名御璽』

一つ、論点があるようです。
『以て天壌無窮の皇運を扶翼すべし。』の部分は、その前のどの部分を受けているのだろうか、という論点です。
最近の論説では、上記部分の直前、『一旦緩急あれば、義勇公に奉じ、』のみを受けているような解釈ばかりです(解釈1)。
一方、ウィキペディアの教育ニ関スル勅語には、さまざまな解釈が掲載されており、その中には、戦前の文部省が示していた解釈が含まれています。それによると、『以て天壌無窮の皇運を扶翼すべし。』の部分は、その前の、『父母に孝に、兄弟に友に、夫婦相和し、朋友相信じ、恭倹己を持し、博愛衆に及ぼし、 学を修め、業を習い、以て智能を啓発し、徳器を成就し、進んで公益を広め、 世務を開き、常に国憲を重んじ、国法に 遵い、 一旦緩急あれば、義勇公に奉じ、』の全体を受けているような解釈になっています(解釈2)。
解釈1でも、解釈2でも、結論ががらっと変わるわけではありませんが、全体が示すニュアンスは結構変化します。そして現時点で、どちらの解釈が正しいのか、私にはわかりません。ただしここでは、戦前の通説であったらしい解釈2を用いることにします。

それでは、本文の(一)と(二)前段の部分について、現代語訳を試みます。

『(一)明治天皇である私がおもうに、私の祖先である歴代天皇は、はるか昔にこの国をはじめ、徳を樹立してきた。
私の臣民が、「忠」と「孝」の2点において、億兆(現臣民と過去の臣民の全体?)が心を一つにして、代々、その美(天皇の徳?、臣民の忠孝?)を受け継いできた。このことは、私の「国体」の神髄かつ美しいところであって、教育の源もまさにそこに存在する。
(二)あなた方臣民、
「父母に孝に、兄弟に友に、夫婦相和し、朋友相信じ、恭倹己を持し、博愛衆に及ぼし、 学を修め、業を習い、以て智能を啓発し、徳器を成就し、進んで公益を広め、 世務を開き、常に国憲を重んじ、国法に 遵い、 一旦緩急あれば、義勇公に奉じ、」
これにより、天地共にきわまりのない皇運(天皇、天皇家の盛運)を助けなさい。』

済す---受け継ぐ
天壌無窮---天地と共にきわまりのないこと
扶翼---助ける

上記(一)からわかることは、
(1)あくまで中心は天皇、天皇家である、ということです。
(2)天皇に対する「忠」と、(父母に対する)「孝」が価値の中心にすわっています。
(二)からわかることは、
(3)「一旦緩急あれば、義勇公に奉じ、」については、これだけ単独に取り出せば、「国の独立が脅かされたときは、命を懸けてでも国の独立を守る」との意味ととることができ、独立国の国民であれば普通に持ち合わせているはずの価値観です。
(4)一方、「父母に孝に」から「一旦緩急あれば、義勇公に奉じ、」までの徳目は、いずれも常識的な徳目が羅列しているように見えますが、これらの徳を持すことは、それ自身が目的ではなく、手段であることが明らかです。
(5)これら手段は何を目的としているかというと、まさに、「天地共にきわまりのない皇運(天皇、天皇家の盛運)を助けなさい」が目的です。

ところで、「国体」とは何でしょうか。

第二次世界大戦の末期、日本には「一億玉砕」というスローガンがありました。「一億」とは「国民全員」の意味ですから、「国民全員が戦死するまで戦おう」という意味であることが明らかです。国民全員が戦死しても守らなければならないものとは、一体何でしょうか。
どうも「国体の護持」が究極の目的らしいのです。「国体」が「国民」を意味しないことは、「一億玉砕」から明らかです。
そして「国体」とは、「天皇、天皇制、天皇を中心とした国の秩序」を意味するようでした。

以上のように考えると、教育勅語の「これ我が国体の精華にして」とは、「これは、天皇を中心とした国の秩序の神髄であって」と読み取ることができます。

ネットで検索すると、世の中には「教育勅語」の現代語訳がいろいろと登場しています。いずれも、私が行った上記解釈とは似ても似つかないものです。
しかし、ここ一週間ほど、つらつらと教育勅語を眺めた結果としての解釈は、上記私の解釈が妥当なところだとの思いを強くします。

この教育勅語、現代の教育現場で、どのような活用が可能でしょうか。
高校生ぐらいの年代で、各自に意味を解釈させた上で、グループで討論を行う、というような活用はありえるでしょう。
一方、小中、あるいは幼稚園で、暗唱させる、というのはどうでしょうか。暗唱とは、意味がわかろうがわかるまいが記憶させるということです。普通は、「普遍的に正しいこと」を暗唱させます。暗唱した本人たちは、それが正しいものとして記憶に定着するでしょうから。
上記私の解釈しか有り得ないような教育勅語を、訳もわからない子供に暗唱させていいはずがありません。
「憲法や教育基本法の範囲内で、幼稚園や小中学生に教育勅語を暗唱させる」という教育法はあり得ません。
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中学の体育に銃剣道が登場

2017-04-02 21:24:31 | 歴史・社会
中学武道に木銃使う「銃剣道」追加
読売新聞 3/31(金) 7:58配信
『文部科学省は2020年度以降に実施する小中学校の次期学習指導要領を31日付の官報で告示する。
2月に公表した改定案に対するパブリックコメント(意見公募)の結果を考慮し、表記を改める予定だった「聖徳太子」や「鎖国」を一転して変えないことにした。中学校の保健体育で必修の武道の例としては、柔道や剣道など8種目に加え、木銃を使って相手を突く「銃剣道」を加えた。』
何か、歴史の彼方に忘れ去られていたはずのものが、突然現世に現れたような感覚です。そもそも現代の人が、「銃剣道」と聞かされてイメージが沸くものでしょうか。
私は1948年生まれで、今から50年ほど前までは「銃剣術」をイメージする出来事はありました。しかしそれ以来、この50年間、「銃剣術」「銃剣道」にお目にかかったことがありません。

さて、銃剣道(ウィキ)のページで確認しましょう。
『剣道のような防具を身に付けて竹刀の代わりに木銃(もくじゅう)を用いて相手と突き合う競技である。
対戦相手の上胴・下胴・喉・(左)小手・肩の5つの各部位を木銃(三八式歩兵銃に銃剣を着剣した長さの銃身を模した木製の物。166cm)で突いて競技する。』

全日本銃剣道連盟によると、
『木銃(もくじゅう)
樫の木で作られていて、中学生以上は長さ166cm、重さ1,100グラム以上、小学生以下は133.5cm、重さ800グラム以上のものを使うように決められています。木銃の先にはタンポと呼ばれるゴムがついていて、突き技の衝撃をやわらげています。』

木銃の長さ166cmは、やはり旧帝国陸軍の三八式歩兵銃がモデルだったのですね。ここまで、旧日本軍の武闘訓練が、そのままスポーツに姿を変えて生き残っていたとは、驚きです。

三八式歩兵銃(ウィキ)で確認すると、
『全長 1,276mm
(三十年式銃剣着剣時: 1,663mm)』
とあり、寸法に間違いありません。

現代の軍隊で用いられている小銃と比較すると、三八式歩兵銃、そしてそれに着けられる銃剣はとても長いです。
例えば、現在自衛隊で使われている89式5.56mm小銃(ウィキ)は、
『全長 916mm(固定銃床式)
89式多用途銃剣
全長41cm(刃渡り29cm)の64式銃剣に比べ、全長が27cm、刃渡りは旧型の半分程度の15cm内外と短縮されている。』
とあります。916mmに刃渡りの150mmを足すと、着剣時の全長は1066mmでしょうか。
また、カラシニコフは、AK-47(ウィキ)によると、
『全長 870mm 』
AK系アサルトライフルの銃剣
『6kh2銃剣
AK-47III型用の銃剣。200mmの刃渡りを持つ。』
とあり、着剣時の長さは1070mmになります。
こうして見ると、現代の軍隊や武装勢力が用いている小銃(銃剣付き)に比較して、銃剣道の木銃の長さは600mmも長いものになっています。
「スポーツ」とはいいながら旧日本軍の姿を濃厚に残しており、現代の武闘術に結びつくこともない、不思議な武道です。

今から50年以上前、私が見聞した銃剣術(銃剣道ではない)について記します。3つあります。

《五味川純平著「人間の條件」》
太平洋戦争のさなか、主人公の梶は、満州の製鉄会社に勤務しています。梶の勤める鉱山での出来事から、梶は臨時召集令状によって召集され、酷寒のソ満国境の部隊に配属になりました。その駐屯地を突然、妻の美千子が一人で面会に訪れるのです。鉄道で1500km、そのあとの馬車道を30kmかけて。隊長の特別の計らいで、翌朝まで、美千子は一軒家の宿舎での宿泊を許され、梶も美千子とともに過ごすことが認められました。
翌朝、休養が明けた梶は、他の兵隊とともに朝食前の剣術の間稽古を命じられます。小説には剣術とありますが、武器は木銃であり、銃剣術です。古兵たちは、美千子との一夜をやっかみ、木銃で梶に次々に当たります。木銃対木銃の、一対多の壮絶な乱戦となりました。梶がへとへとになったところで、つわものである軍曹が相手になり、梶は強烈な突きを喉に直接受けました。『タンポがずぶりと喉に入った。』
そのあと、美千子との別れです。梶は声が出ません。
『梶が口を動かした。声は少しも聞こえなかった。
・・・
「・・来てくれて、ありがとう」
梶の潰れた声が、ようやくそう聞こえた。』(「人間の條件 3」文春文庫164ページ)

「人間の條件」は、連続テレビドラマと映画(シリーズ)になったものです。テレビドラマは加藤剛主演、映画は仲代達也主演でした。そのどちらも私は観ているのですが、上記の別れの場面、梶がしゃがれた声で美千子に別れを告げる情景を鮮烈に憶えています。テレビと映画のどちらだったかは不明ですが。

《テレビバラエティ番組での前田武彦》
50年ほど前、テレビのバラエティ番組で、マエタケこと前田武彦(タレント、放送作家)が人気を博していました。ある番組で、登場者が勝手に踊っている場面で、前田武彦が半身になり、両腕を繰り返し前に突き出しながら前進する動作を始めました。見たとたんに「銃剣術の動作だ」と気づきました。腰が入っており、ホンモノだと直感しました。
今回、ウィキで前田武彦について調べたところ、
『1929年、東京府東京市芝に生まれる。太平洋戦争中には予科練に1年半在隊し、敗戦翌年の1946年に開校した鎌倉アカデミア演劇科に第1期生として入学した。』
とありました。
予科練に1年半も在隊していたら、それはホンモノの銃剣術を修得したことでしょう。それから20年後のテレビ番組で、フッと出てきたものと思われます。

《小説の最終場面》
高橋和巳の小説だったと思うのですが、最終場面、主人公の男性(中年だったか初老だったか)が、夜の路上でチンピラに絡まれます。男性は、持っていたこうもり傘を構えると、チンピラに向けて突き出しました。戦時中の兵役で叩き込まれた銃剣術が、突然蘇ったことが明らかでした。小説はそこで終わりました。私は、チンピラがこうもり傘で刺殺されたことを確信しました。

以上のように、今から50年前であれば、まだ戦争の亡霊として銃剣術が生活の中に登場していました。しかし、この50年間、銃剣術は私の目の前に現れませんでした。
それが突然、「学校で中学生に教える種目」として復活したのです(銃剣術ではなく銃剣道として)。一体何がそうさせたのか、見当も付きません。

先日、「何で今“教育勅語”?」として記事を書きました。
教育勅語も、私が気づかないうちに人々の生活の中に入り込もうとしています。今回の銃剣道も、教育勅語と同じ流れの中にあるのでしょうか。
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安倍晋三支持母体とは

2017-03-25 10:37:26 | 歴史・社会
安倍晋三・昭恵夫妻は、えらいのに取り憑かれてしまいましたね。
安倍晋三名で百万円寄付しようが、夫人が講演料を10万円受け取ろうが、何も法律に違反しません。また、両方とも籠池氏のでっち上げの可能性も高いです。しかし、安倍首相のイメージが大幅に劣化したことに相違はありません。
昭恵夫人付きの官僚(秘書役?監視役?)が、籠池氏の頼みを聞いて財務省に問い合わせを行い、ファックスで結果を報告しました。これは事実でしょう。しかし、法律に違反していない可能性が高いと思いますし、親切でやってあげたように見えます。しかし、そうだとしても、親切が仇となり、安倍夫妻は窮地に追い込まれています。
こんなことで日本の政治が毀損するなんて、本当にうんざりします。
しかし、これも安倍晋三氏の身から出た銹だろう、というのが偽らざる感想です。

世間では、昭恵夫人が制御不能であり、それが原因でこんなことになった、との観測が多いです。しかし、私はその観測に違和感を感じます。
昭恵夫人が制御不能のところがあるかもしれませんが、どっちの方向に制御不能かというと、リベラルに振れる側で制御不能だったように思います。それに対して今回の籠池氏は、思いっきり右翼側です。晋三氏の制止を振り切って、昭恵夫人が籠池氏に肩入れするとはとても思えません。やはり、昭恵夫人は晋三氏の意を受けて、籠池氏に肩入れしていたのだろうと推測しています。

それではなぜ、安倍晋三氏はあんな籠池氏に肩入れしてきたのでしょうか。

安倍晋三氏は、第2次安倍内閣が成立する前、支持母体として「保守」「愛国」を標榜する人たち、グループから応援を受けていた可能性があります。そしてそのような経緯があったため、首相に就任してずいぶん経過するのに、いまだにそれら「保守」「愛国」の人たちを特別扱いせざるをえない状況に置かれているのではないか。以下、それら人たち・グループを「保守ムラ」と呼びます。

古谷経衡氏は「情で繋がり、情でつまずく保守の世界~森友学園以外にも繰り返されてきた保守の寄付手法~(3/19)」において、
『保守界隈で著名な言論人や文化人を理事や広告塔として起用し、それを「梃子」として多額の寄付金を集める…。大阪府豊中市に建設された「瑞穂の国記念小学院」(取り下げ)は、問題の端緒となった安倍昭恵氏の名誉校長就任をはじめ、数々の保守系言論人・文化人を広告塔として前面に押し出すことによって、4億円(公称)ともいえる寄付金を全国から集めた結果である。』
としています。
森友学園が教育講演会として招いた講師として、以下の人たちが掲載されています。
渡部昇一、櫻井よしこ、百田尚樹、田母神俊雄、平沼赳夫、安倍昭恵、西村眞悟、曽野綾子、中山成彬、八木秀次、竹田恒泰、高橋史朗、中西輝政、古庄幸一
ここに挙がっている人たちを「保守ムラ」の人たちであると呼んで良いのかどうか。

この点について、従軍慰安婦問題から検討します。

2007年、米国の下院で、ホンダ議員が慰安婦決議案を提出していました。ホンダ議員による決議案の提出は過去に何回もあり、いずれも否決されていました。このときも、日本としては静観し、否決されるのを待っているのがベストの対応だったはずです。ところが、3月に第1次安倍内閣時代の安倍首相が「日本軍による女性の組織的な強制連行の証拠はない」という発言が出たとたんに、急拡大しました。ニューヨークタイムズを始め、アメリカのマスコミがこの発言にこぞって激しい非難を浴びせました。
さらに、日本の超党派国会議員らが6月、米紙に「旧日本軍が強制的に慰安婦にさせたとする歴史的文書は見つかっていない」との全面広告を出したことが決定打となり、米国内の反発が強まって、ホンダ議員の決議案が可決されてしまったのです。
この間の経緯はこのブログでも、従軍慰安婦問題(2007-04-15)、従軍慰安婦問題(2007-06-21)として記事にしてきました。

ときが経て、第2次安倍内閣が成立する直前の2012年11月、日本の有識者や国会議員は性懲りもなく、米国の新聞に慰安婦広告を掲載しました。このブログでは慰安婦問題の扱いには細心の注意を(2013-01-06)として記事にしました。

さて、2007年と2012年の2回にわたって米国の新聞に掲載された慰安婦広告、賛同者の名前を確かめてみましょう。
2007年については、こちらに名前が掲載されています。有名所をピックアップすると、
《国会議員》稲田朋美、西村眞悟、平沼赳夫、
《有識者》西岡力、藤岡信勝、西尾幹二、富岡幸一郎、岡崎久彦、青山繁晴、茂木弘道
となります。
2012年については、こちらでわかります。
安倍晋三、*稲田朋美、下村博文、世耕弘成、高市早苗、山谷えり子、中山恭子、*平沼赳夫、*西尾幹二、*西岡力、*櫻井よしこ
「*」は、2回とも名前が挙がっている人です。
安倍晋三氏は、まだ首相ではないとは言え、次期首相になる蓋然性が極めて高い時期に、慰安婦広告に名を連ねました。

こうして見ると、森友学園幼稚園で講演をした人たちと、米国慰安婦広告に賛同した人たちが重なります。この人たちが、「保守ムラ」を構成する人たちなのでしょう。
森友学園の籠池氏も、保守ムラに連なっていたのでしょう。森友学園の講演者の名前からそのように推測できます。そして、首相になる前に慰安婦広告で保守ムラに与した安倍晋三氏は、首相就任後はさすがに表に出ることはせず、本来はリベラルに振れる傾向のある昭恵夫人を、名代として籠池氏支援に向かわせた、と考えると辻褄が合います。

それにしても、籠池氏に対する安倍夫妻の親切振りは、度を超しています。普通だったらあり得ません。昭恵夫人がとびっきりの親切心の持ち主だったからか、晋三氏がよっぽど籠池氏に頭が上がらない事情があったのか、その点が定かではありません。

ところで、2012年の米国慰安婦広告に名を連ねた国会議員には、
安倍晋三、*稲田朋美、世耕弘成、高市早苗
らがあります。まさに、安倍内閣を構成する閣僚です。それも、稲田防衛大臣、高市総務大臣はいずれも、「何でこんな人が大臣になっているの?」と誰もが言いたくなる人たちです。安倍晋三氏が保守ムラに頭が上がらない事情が、この閣僚人事からも透けて見えます。

最後に付け加えると、騒動の渦中に巻き込まれた谷査恵子さん(経産省官僚)が、責任を感じて思いあまった行動に出るようなことがないよう、切に願っています。
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何で今“教育勅語”?

2017-03-23 22:10:04 | 歴史・社会
去る3月19日、東京は杉並の大宮八幡宮で、孫の七五三を祝ってきました(時季外れですが)。そのとき、大宮八幡宮からいただいたもののなかに、
『誰にでも覚えやすい「教育勅語」(たいせつなこと)』
(明治神宮崇敬会発光小冊子「たいせつなこと」より転載)
という資料が入っていました。
最近、何かと「教育勅語」がマスコミを賑わしていることから、「なんてタイムリーなんだろう」とびっくりした次第です。その資料を読んでの感想などを述べたいと思います。
まずは、「教育勅語」の本文全文が掲げられています。
《本文》
『(一)朕惟(ちんおも)うに、我が皇祖皇宗(こうそこうそう)、国を肇(はじ)むること宏遠に、徳を樹(た)つること深厚なり。我が臣民、克(よ)くに克(よ)くに、億兆心を一にして世世(よよ)厥(そ)の美を済(な)せるは、此れ我が国体(こくたい)の精華(せいか)にして、教育の淵源、亦(また)実に此に存す。

(二)爾(なんじ)臣民、(1)父母にに、(2)兄弟(けいてい)に友(ゆう)に、(3)夫婦相和(あいわ)し、(4)朋友(ほうゆう)相信(あいしん)じ、(5)恭倹(きょうけん)己(おのれ)を持(じ)し、(6) 博愛衆に及ぼし、(7) 学を修め、業を習い、以(もっ)て智能を啓発し、徳器を成就し、(8)進んで公益を広め、 世務(せいむ)を開き、(9)常に国憲(こっけん)を重んじ、国法に 遵(したが)い、(10) 一旦緩急あれば、義勇公(こう)に奉じ、以(もっ)て天壌無窮(てんじょうむきゅう)の皇運(こううん)を扶翼(ふよく)すべし。
是くの如きは、独(ひと)り朕(ちん)が忠良(ちゅうりょう)の臣民たるのみならず、 又以(もっ)て(11)爾(なんじ)祖先の遺風(いふう)を顕彰(けんしょう)するに足らん。

(三) 斯(こ)の道は、実に我が皇祖皇宗(こうそこうそう)の遺訓にして、子孫臣民の倶(とも)に遵守すべき所 、之を古今に通じて謬(あやま)らず、之を中外(ちゅうがい)に施(ほどこ)して悖(もと)らず。

(四)(12) 朕、 爾臣民と倶(とも)に拳拳服膺(けんけんふくよう)して咸(みな)其(その)徳を一(いつ)にせんことを庶幾(こいねが)う。

明治二十三年十月三十日
御名御璽』

そして、上記(二)と(四)中の(1)~(12)について、以下の「---」の後に記載のように解釈が述べられています。
--------
(1)父母に孝に---両親に感謝する
(2)兄弟に友に---きょうだい仲良くする
(3)夫婦相和し---夫婦で協力する
(4)朋友相信じ---友達を信じあう
(5)恭倹己を持し---自ら反省する
(6)博愛衆に及ぼし---博愛の輪を広げる
(7)学を修め、業を習い、以て智能を啓発し、徳器を成就し---知徳を磨く
(8)進んで公益を広め、 世務を開き---公のために働く
(9)常に国憲を重んじ、国法に 遵い---ルールに従う
(10)一旦緩急あれば、義勇公に奉じ---祖国を守る
(11)爾(なんじ)祖先の遺風(いふう)を顕彰(けんしょう)する---伝統を守る
(12)朕、 爾臣民と倶(とも)に拳拳服膺(けんけんふくよう)して咸(みな)其(その)徳を一(いつ)にせんことを庶幾(こいねが)う---手本を示す
-------------
また、本文の意訳が掲載されているのですが、本文と意訳との間に以下のような言い換えがなされているのにもびっくりしました。

忠良の臣民---善良な日本国民


第1に、
本文には「忠」が2箇所に登場します(本文中の太線部)。教育勅語の最重要な価値であり、一方で当然の前提条件として述べています。しかし、(1)~(12)には「忠」が登場しません。
小冊子の作者が、意図的に無視したとしか思えません。

第2に、
「孝」についても本文中2箇所に登場します(本文中の太線部)。明治時代の「孝」が、「両親に感謝する」などという生やさしいものでなかったことは明らかです。旧民法に代表される、戦前の「家長制度」を前提としたものです。「封建制度の名残」といってもいいでしょう。「親の言うことには服従」「親のためなら自分を犠牲にする」という価値観を含んでいたはずです。

第3に、
「夫婦相和し」が「夫婦で協力する」ですか。旧民法では、妻には権利能力が認められていませんでした。「夫唱婦随」を意味していたことは明らかです。

どうも世間では、「教育勅語とは、12の徳目を説いているものであって、現代でも役に立つ有益なお言葉」との理解が広まっているようです。最初は何のことかよくわからなかったのですが、今回入手した資料から、なぜ世間でそのように理解されているのかが理解できました。
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原発事故民事訴訟で東電と国の責任を認める判決

2017-03-20 18:19:46 | 歴史・社会
原発事故「防げた」 津波予見可能と認定 国・東電に賠償命令 前橋地裁 避難者集団訴訟
朝日新聞 2017年3月18日05時00分
『東京電力福島第一原発事故で群馬県内に避難した住民ら45世帯137人が、国と東電に総額約15億円の損害賠償を求めた集団訴訟の判決が17日、前橋地裁であった。原道子裁判長は、国と東電はともに津波を予見できたと指摘。事故は防げたのに対策を怠ったと認め、62人に計3855万円を支払うよう命じた。』
『判決は、政府が2002年7月に策定した長期評価で、三陸沖北部から房総沖でマグニチュード8級の津波地震が起きる発生確率を「30年以内に20%程度」と推定した点を重視。この発表から数ヶ月後には、東電は大きな津波が来ることを予見できたと述べた。
東電が長期評価に基づいて08年5月ごろ、福島第一原発に15.7mの津波が来ることを試算していたことも指摘。この時点で「東電が実際に津波を予見していた」と判断した。実際に襲った津波は15.5mだった。
判決は、東電が非常用発電機を高台に設置するなどしていれば事故は防げたのに、対策を怠ったと指摘。』

このブログでも、原発事故直後からの経過、複数の事故調査報告(政府事故調、民間事故調、国会事故調、東電調査報告)をそれぞれの時点で検証してきました。xls-hashimotoさんがまとめてくださっています。その中から、今回の民事訴訟に関連する箇所について、振り返ってみることにします。

--政府事故調(中間報告)-------------------------
原発事故政府事故調中間報告~津波予防対策 2012-01-02
『昨年(2011年)10月17日にこのブログの「震災前に東電が行った津波試算の経緯」で紹介したように、2002年に国の地震調査研究推進本部が「東北から房総にかけての日本海溝沿いなら、どこでもM8級の地震が起きる」と報告しており、この報告をもとに2008年に東電が試算した結果として、福島県沖で房総沖津波(1677年)と同じものが発生したと仮定した場合、福島第一原発は最大13.6メートル、福島第二は14.0メートルの津波に襲われるとの結果が得られていたことがわかっています。』
『今(2012)から9年ほど前に「推本」から示された見解に基づくと、「500~1000年に1回発生する津波は、福島第一で10~15mの高さに達する可能性がある」という推定がなされました。
東電としても、この推定を無視したわけではありません。土木学会に相談し、土木学会は平成24年10月に結論を出すことになっていたのです。
しかし、千年に一回の津波は、この1年を待ってはくれませんでした。

確かに、福島第一原発の海岸を15mの防波堤で防御するなどは非現実的です。また、平成20年にそのような方針を決定したとしても、平成23年3月には完成していなかったことでしょう。
しかし、対策というのは、「完璧な対策を講じるか、しからざれば何もしないか」ということではないはずです。
「津波が原発を襲い、建屋の1、2階部分が浸水することはやむを得ない。それでも原子炉が炉心溶融に至らないように、最低限の対策を講じておこう」という発想があっても良いはずです。そのような発想に立てば、
「最低限、1号機の非常用復水器などの機能に不可欠である直流電源のバッテリーについては、地下の配置ではまずいので2階以上に移動しよう」
「直流電源が失われると、非常用復水器はフェールセーフ機能によって停止してしまう。それではまずいので、計装シーケンスを変更しよう。」
「2~6号機の隔離時冷却系は、ほんの1日以内の冷却能力しかない。それ以降については消防車で海水を注入する手段しかとれない。消防車による海水注入の手立てを事前検討しておくとともに、海水注入のためには蒸気逃がし安全弁を開放するための120Vバッテリーを常備しておく必要がある」
といった対策が思いつくはずです。そしてこの程度の対策であれば、15mの防波堤と対比したらきわめて安価でかつ短時間で対応可能であることが明らかです。

従来の原発業界において、「平成14年推本の見解」に対して真摯に恐れを抱き、完璧ではなくても最低限の対応を講じるような柔軟な発想ができる体質があってくれたら、今回の津波においても最悪の事態は防止することができたことでしょう。残念なことです。』
『また、平成20年当時に東電の中で津波対策の責任部門を担っていた人たちが、当時の武藤副本部長、吉田部長でした。その人たちが、平成23年3月の津波来襲時に、武藤副社長、吉田発電所長としてまさに現場の責任者として対応することになったのでした。』
--以上--------------------------------
--国会事故調-----------------------------
震災前の原発事故防止対策~国会事故調報告書 2012-07-22
『---国会事故調報告書目次などから---
第1部 事故は防げなかったのか?……57
1. 2 認識していながら対策を怠った津波リスク ・・・・・・82
1. 2. 1 津波想定と被害予測の変遷 ・・・・・・・・・・・・82
2) 地震調査研究推進本部の長期評価以降 ・・・・・・・・・・85
 e 地震本部の長期評価:平成4(2002)年7月
 f 溢水勉強会:平成18(2006)年5月
 g 耐震設計審査指針の改定:平成18(2006)年9月(3回目の津波想定見直し)
 h 貞観津波考慮の指摘:平成21(2009)年6月
---以上---

上記のうち、e、hについては政府事故調中間報告でも取り上げられています。

f の溢水勉強会に関しては、政府事故調報告書では報告されていないようです。
溢水勉強会は、スマトラ沖津波(平成16(2004)年)や宮城県沖の地震(平成17(2005)年8月)を受けて、想定を超える事象も一定の確率で発生するとの問題意識を持ち、保安院と独立行政法人原子力安全基盤機構(JNES)が平成18(2006)年1月に設置した勉強会だ、と記載されています。
この勉強会で、O.P+10mの津波が到来した場合、建屋への浸水で電源機能を失い、非常用ディーゼル発電機、外部交流電源、直流電源全てが使えなくなって全電源喪失に至る可能性があることが示され、それらの情報が、この時点で東電と保安院で共有されました。(85ページ)
溢水勉強会の結果を踏まえ、平成18(2006)8月の検討会において、保安院の担当者は、「海水ポンプへの影響では、ハザード確率≒炉心損傷確率」と発言しています。報告書は注釈で「津波の発生確率が炉心損傷の確率にほとんど等しいということは、(海水ポンプを止めるような)津波が来ればほぼ100%炉心損傷(炉心溶融を含む)に至るという意味であろう」と注釈しています。

また、e 地震本部の長期評価では、推本の長期評価の中で「福島第一原発の沖合を含む日本海溝沿いで、M8クラスの津波地震が30年以内に20%程度の確率で発生すると予測した」とあります。推本の評価で地震発生確率がこのように具体的に示されていることは今回初めて知りました。
・・・・・
国会事故調報告書では、政府事故調中間報告にはなかった「溢水勉強会」について詳細に触れました。推本の長期評価と溢水勉強会の結果を重ね合わせれば、福島原発を高い津波が襲う確率が存在し、津波が来ればほぼ100%炉心損傷(炉心溶融を含む)に至ることが、保安院においても認識されていたことが明らかです。
溢水勉強会は保安院が設置した勉強会ですから、ここで得られた結果を規制として反映すべき保安院の責任が明らかです。』
--以上--------------------------------
こうして、2012年1月の政府事故調(中間報告)、2012年7月の国会事故調の報告と、その当時に私が理解した内容は、いずれも、今回の民事訴訟の認定した事実と合致しています。
そして、「東電も国も、福島を襲う津波についてここまで予測していたのなら、たとえ津波が来襲しても、少なくとも炉心溶融には至らないだけの対策を取っておいて欲しかった、という点に関しても、私の当時の感想と今回の判決とは同一の方向です。

今回の判決に対する評論の中には、判決を不当とする評論も見られますが、私は、上記のように、決して不当とは思いません。
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PKOで自衛隊に死傷者が出たら首相辞任?

2017-02-04 14:09:12 | 歴史・社会
安倍首相 辞任を「覚悟」…南スーダン、自衛隊員死傷で
毎日新聞2017年2月1日 22時27分(最終更新 2月1日 23時32分)
『安倍晋三首相は1日の衆院予算委員会で、南スーダンの国連平和維持活動(PKO)に派遣されている自衛隊に死傷者が出た場合、首相辞任の覚悟を持つ必要があるとの認識を示した。「辞任する覚悟はあるか」との質問に対し、「もとより(自衛隊の)最高指揮官の立場でそういう覚悟を持たなければいけない」と述べた。』

以前からおかしいんじゃないかと思っていたのですが・・・

生命の危険と隣り合わせの職業はいろいろあります。身近なところでは消防士や警察官など。
消防士が消火活動中に殉職されたとの報道にときどき接します。警察官が職務執行中に亡くなることもあります。以前、消防士が年間何人程度殉職されているのかをネットで調べようとしましたが、データが見つかりませんでした。
また、自衛官についても、訓練中に殉職される方が多いようです。

総理は、消防士が消火活動中に殉職されるたびに、辞職するでしょうか。警察官が職務執行中に殉職されるたびに、辞職するでしょうか。いずれもしません。自衛官が訓練中に殉職された場合も同様です。

なぜ、自衛官がPKO活動中(の戦闘中)に殉職されたときに限って、総理が辞職しなければならないのでしょうか。

私は、消防士、警察官、自衛官の方々が職務中に殉職されることを是としているわけではありませんが、危険と隣り合わせの職務であり、身の安全を最大限に配慮しつつ、それでも危険に飛び込んでいかれることに敬意を払います。そのような方々の犠牲の下に、われわれ国民の安全が保たれているのであり、感謝こそすれ、「間違っている」と糾弾するつもりはありません。

自衛官も同様です。自衛隊を含む軍隊は、武装した敵勢力に対峙して、任務を全うすることが職務です。そのために自衛隊も武装しています。ですから、職務中に殉職する可能性が高いことは当初からわかっています。
しかし日本では、「自衛官は(訓練を除く)本来職務中には一人も戦死してはならない」が暗黙の前提として、マスコミで語られています。

なぜ、自衛官による戦闘行為に限ってこのような特別扱いになったのか、理解できません。

自衛官の特別扱いは、「日本の自衛隊に軍法がない」ということにも現れています。南スーダンで、避難民に紛れた武装勢力が突然陸自PKO部隊に発砲してくることがあり得ます。応戦した自衛官が、誤って一般市民を殺害してしまうこともあるでしょう。そのような場合、普通の軍隊であれば軍法で裁かれるのですが、日本の自衛官の場合は刑法で裁かれることになります。南スーダンに派遣された自衛官の方々がこの点を恐れているだろうことが推察されます。

「自衛官は戦死してはならない」と関連して思い出すのは原発です。
「原発は事故を起こすはずがない」「従って事故発生を想定した訓練も行わなくて良い」という発想から、福島第一原発の一号機は、非常用復水器を作動させての訓練を行ったことがありませんでした。その結果、非常用復水器が作動していないのに「作動している」と勘違いして、あの惨事を招いてしまいました。
リアリズムがいかに大切か、ということでしょうか。
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習近平中国が台湾を武力併合!?

2017-01-15 20:32:31 | 歴史・社会
ついに習近平が本気の「台湾獲り」に動き出す 2期目の最大の目標は「中台統一」
近藤 大介 2017.01.10
『トランプ新政権は、第二次世界大戦後の歴代アメリカ政権のように「理念」ではなく、「実利」で行動するようになる。
・・・
アメリカ軍は徐々にアジアから引いていくだろう。・・・その代わり、アメリカ製の武器・兵器をどんどん買わせようとするだろう。そちらの方がアメリカ人の雇用が増えてアメリカが儲かるからだ。
・・・
私は、中でも一番リスクが高まるのは、台湾海峡だと見ている。その理由は、今年秋に2期目を迎える習近平政権が、2期目5年間の最大の目標として「台湾統一」を掲げ、本気で取りに来ると思われるからだ。』(近藤)

アメリカ時間の12月2日に、蔡英文総統がトランプ次期大統領に電話をかけて、大統領選勝利の祝意を述べたこは驚きでした。
米中が国交正常化交渉に入ったのは1972年ですが、それから7年後の1979年に、ようやく国交正常化を果たしました。7年もかかった理由は、「台湾をどう扱うか」というただ1点において、米中が合意できなかったからです。結局、「台湾独立を支持せず、中国が主張する『一つの中国』を尊重する」ということで落ち着きました。
現職大統領もしくは大統領当選者が、台湾総統と電話で話すなどということは、考えられなかったのです。(近藤より)

1996年3月に、台湾の李登輝総統が、初の台湾総統直接選挙を実施し、再選を狙いました。このとき中国は、台湾海峡に向かってミサイルを発射し、台湾を威嚇しました。これに対して米国は、台湾を救援するため、空母『ニミッツ』と『インディペンデンス』を台湾周辺に派遣しました。これだけで、このときの中国軍は撤退を余儀なくされたのでした。(近藤より)

このときの状況については、日経新聞の「私の履歴書」米ウィリアム・ペリー元国防長官の巻について、このブログで記事にしました(中国の「空母キラー」ミサイル)。
『あの事件以来、中国は海軍力の増強にまい進するようになっていった。そして、今、中国は南シナ海の南沙諸島だけでなく、東シナ海の尖閣諸島を巡っても領有権を主張。自国の海軍に所属する軍艦部隊を沖縄・宮古島周辺海域で堂々と航行させるなど日本と台湾の周辺海域で軍事プレゼンスを誇示している。』(2010年12月26日記事)

中国軍では2010年現在、「対艦弾道ミサイル(ASBM)」がほぼ完成してすでに部隊配置も始まっていたようです。ASBMとは中距離弾道ミサイル(DF21)を改造して、はるかかなたの洋上を航行する空母を攻撃できるようにした新兵器で、防御が難しいことから「空母キラー」とも呼ばれています。人工衛星から誘導するようです。
射程は1500キロを超えるということで、日本列島は沖縄を含めてすべてその範囲内に入り、グアムのアンダーセン基地のみがかろうじて射程から外れています。弾道ミサイルは迎撃が難しいと言われているようで、ということは、もはや米国空母は中国近海に進出することがきわめて危険であるということになります(中国の「空母キラー」ミサイル)。

1996年の事件の時、習近平は福州軍分区党委第一書記であり、台湾海峡の最前線で中国人民解放軍が台湾を威嚇する指揮を執った一人だったということです。
『以後、習近平は臥薪嘗胆してきた。習近平主席が誰よりも尊敬する毛沢東元主席がやり残した最大の事業が、台湾の統一である。「毛沢東の後継者」の意識が強い習近平主席は、「毛沢東の遺訓」である台湾統一を、常に胸に刻んでいるのである。』(近藤)

中国は、2005年3月に「反国家分裂法」を定めています。その第8条では、〈「台湾独立」の分裂勢力が、台湾の中国からの分裂の行動を起こした場合、・・・国家は平和的でない方式で、・・・国家主権と領土の完全な整備に死守しなければならない 〉と規定しています。蔡英文総統がトランプ次期大統領に電話したことを「分裂の行動」と捉えることも可能です。(近藤より)
習近平は、中国の国内法を根拠として、対外的政策を実行しますから、そこが恐ろしいところです。

実際に中国軍による台湾の武力統一は可能なのでしょうか。渡部悦和・元陸上自衛隊東部方面総監の「米中戦争シミュレーション 台湾紛争シナリオ」によると、台湾を巡って米中が全面戦争に突入したとしても、2017年の段階で、すでに中国軍が勝利してしまう可能性に言及しているのだそうです。また、中台戦争になってもアメリカ軍が台湾を助けないことを示唆しているといいます。(近藤より)

私は2年半前、「飯柴智亮著「2020年日本から米軍はいなくなる」」を記事にしました。
《はじめに》
『今回、飯芝氏の元米陸軍情報将校としての能力と、ミリタリー・アドバイザーのコネクションを駆使し、在日米軍が撤退する可能性とその時期について、米国内において、政府・軍関係者、および軍産複合体関係者に広く取材を敢行した。』
『台湾が中国のものになると、ドミノ倒しのように均衡が崩れていく。そのとき、米軍との戦力バランスは完璧に中国に傾く。習主席の中国は2020年頃に台湾を手に入れるだろう。
習主席は、台湾を取り戻して自国のものとして、さらに、かつて中国を侵略した日本に復讐し、アジア全域を支配下に置くという国家指針を持っている。
中国に空母が3隻揃うと、台湾に軍事侵攻を開始する。
2024年から2025年頃に、現在の練習空母遼寧に加えて、プラス2隻で、空母3隻体制が整う。』

上記のように、飯芝氏が米軍関係者から取材した予想では、習近平中国が武力で台湾を手に入れるのは、2020年頃、としていました。今回の近藤大介氏の評論によると、それよりも前倒しで、中国は台湾に対して武力行使を開始するかのようです。
別の報道によると、中国は2隻目、3隻目の空母をすでに建造中といいます。さらに、3隻目はカタパルトを装備している、とのことです。
飯柴智亮著「2020年日本から米軍はいなくなる」」によると、中国が台湾を武力で手に入れると、東アジアのバランスが崩れ、米軍の制空権が失われるので、沖縄の米軍は順次後方に下がるといいます。そのあと、日本周辺の抑止力は、まずは日本自身が有する防衛力によって確保せざるを得ません。そのような時期が、飯芝氏が預言したとおり、本当に2020年頃に到来するのでしょうか。
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群れる文化が巨木を枯らす

2017-01-09 01:03:02 | 趣味・読書
群れる文化が巨木を枯らす ─九州製鐡崩壊を目にして──
大久保健
文芸社
知り合いに紹介されて読んでみました。

東亜製鐵木更津製鐵所が舞台の小説です。東亜製鐵は、九州製鐵と北海道製鐵が1970年に合併してできた製鉄会社です。
木更津製鐵所の製鋼部には、♯2CC(第2連続鋳造設備)が建設され、1980年に操業を開始しました。小説は、♯2CCの計画、特徴、優れた品質を軸として進行します。それまで、連続鋳造設備は「湾曲型」といわれる形式がメインでしたが、♯2CCは「垂直曲げ型」を採用し、それによって従来にはない優れた品質の製品を実現しました。
主人公の秋山修は、1965年に九州製鐵に入社しました。八幡製鐵所のCC(連続鋳造)開発室を経て木更津製鐵所に転勤になり、♯2CCの計画と建設の立役者となります。

鋼の連続鋳造では、溶鋼が注入される鋳型の上端において、鋳型壁は垂直下方を向いています。湾曲型においては、鋳型部から半径10m程度の円弧になっており、鋳造された凝固シェルはその円弧に沿って下降し、下端で水平になったところで曲げ戻し矯正されて水平に向きます。
垂直曲げの場合、鋳型上端から下方に2~3mは垂直のまま直線状であり、そこで曲げ矯正されて半径10mの円弧となり、その後、水平になったところで曲げ戻し矯正される点は湾曲型と同様です。
このように、鋳型とその直下に垂直部を有しているか否かが、垂直曲げ型(VB:Vertical Bending)と湾曲型の違いです。

現実の千葉県の木更津市に木更津製鐵所は存在しません。木更津市の隣が君津市で、君津市には新日鐵住金の君津製鐵所が存在します。君津製鐵所は、新日鐵と住金との合併前は新日本製鐵君津製鐵所でした。新日本製鐵は、八幡製鐵と富士製鐵が1970年に合併してできた製鉄会社です。こうしてみると、小説の木更津製鐵所は、新日鐵住金の君津製鐵所をモデルとしていると考えてよさそうです。

新日本製鐵の連続鋳造設備(大型、板用)について、湾曲型から垂直曲げ型への変遷がどのようになされたか、調べてみました。
「連続鋳造技術の進展と今後の展望」(新日鐵技報2012)2ページに、新日鐵の主要連鋳機の主仕様一覧(表1)が掲載されています。建設時期、湾曲型から垂直曲げ型(VB)に改造した時期が記載されています。建設時期順に並べてみましょう。
         建設時期 VB改造時期
名古屋1CC 1970.11  2000.03
大分4CC  1976.03  1995.07
大分5CC  1976.08  1998.04
八幡2st  1979.04  2005.08
君津2CC  1980.03(最初からVB)
名古屋2CC 1980.11  1990.09
君津3CC  1982.01(最初からVB)
八幡3st  1982.12  1991.12
君津6CC  2006.11(最初からVB)

新日鐵の大型連鋳機は、君津2CC稼働前はすべて湾曲型であり、1980年に稼働開始した君津2CCが、新日鐵での初めての垂直曲げ型(VB)連鋳機であることがわかります。君津はその後、3CC、6CCといずれも垂直曲げ型で建設されますが、君津以外は、1980年以降も、湾曲型で建設されました。そして、1990年以降に次々と垂直曲げ型に改造され、現在ではすべての大型連鋳機が垂直曲げ型であることがわかります。
連続鋳造設備において、湾曲型から垂直曲げ型に変更するとどのようなメリットがあるのでしょうか。
上記「連続鋳造技術の進展と今後の展望」(新日鐵技報2012)の6ページには、以下のように記載されています。
『5.1.2 内部欠陥対策
 ブリキ材などは製缶する際,鋼材の厚みが0.1mm以下まで深絞りされるため,介在物の内部欠陥は厳格に管理しなくてはならない。連鋳工程ではタンディッシュはもちろんのこと,モールド内からも介在物を除去する必要がある。その対策の一つとして,垂直曲げ(以下VB)化が主流である。モールドから垂直部を約2~3m確保することで,モールド内に侵入した介在物を浮かせて系外に排出させる。』

こうしてみると、小説の木更津製鐵所♯2CCは、現実に存在する君津製鐵所の2CCがモデルであることがわかります。

ところで、1980年当時の新日鐵では、垂直曲げ連続鋳造設備は君津2CCが最初でしたが、日本全体で見ると、すでに垂直曲げ連続鋳造設備は存在していました。例えば、川崎製鉄(当時)千葉製鐵所のフェースト(voest)マシンです。調べてみたら以下の文献がありました。

「スラブ連鋳機の生産性と操業技術の進歩」(鉄と鋼1981年)7ページに掲載された図11は、湾曲型(千葉1号)と垂直曲げ型(千葉2号、水島4号)それぞれについて、鋳片内部に存在する大型介在物の密度を比較し、垂直曲げ型が圧倒的に優れている点が開示されています。別の文献(「連鋳鋳型内凝固におよぼす操業要因の影響」(鉄と鋼1981年)に、『垂直鋳込み遂次曲げ多点矯正型の千葉 2号機(VOEST社製,2ストランド)、円弧鋳込み2点矯正型の水島5号機(MANNESMANN社製, 2ストランド)』とあるように、千葉2号機はVOEST社製の垂直曲げ連続鋳造設備です。

「我が国における鋼の連続鋳造プロセスの開花と未来へのシーズ 」(鉄と鋼2014)には、
『我が国においては,1966年国光製鋼で湾曲型ブルーム連続鋳造機が稼働した。1967年には,大和製鋼と日本鋼管鶴見で湾曲型スラブ連続鋳造機が稼働した。湾曲型大型スラブ連続鋳造機は,急速に普及した。その後,品質要求の高度化にしたがって,まず厚板用スラブの介在物対策として,1974年に川崎製鉄千葉で,1976年に日本鋼管京浜でプログレッシブ型垂直曲げスラブ連続鋳造機が稼働した。その後,薄板用スラブの介在物対策として1980年代に多数のプログレッシブ型垂直曲げスラブ連続鋳造機が稼働し,主流となった。』
とあります。垂直曲げの千葉2号機は1974年に稼働したようです。

小説で描かれた木更津製鐵所♯2CC、現実の君津製鐵所2CC、いずれの計画・立ち上げも、今から35年以上も前、はるか昔に起きた出来事です。しかし、小説を読みながら回想すると、ついこの間の出来事のように思い出すことができます。1980年頃私は君津製鐵所で勤務していました。
また小説には、主人公の秋山修の友人として、谷本という人物が登場します。木更津製鐵所の人事室長を務め、その後、東亜製鐵の子会社のウエハー製造会社の社長を経て、2010年現在は弁護士を開業しています。私は、新日鐵の子会社のウェーハ製造会社(ニッテツ電子→シルトロニック)に9年間も勤務していましたから、この点でも奇遇でした。
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2017初詣

2017-01-08 00:15:17 | Weblog
今年も、元旦の初詣に出かけました。
今年元旦に参拝した神社は、渋谷の金王八幡宮です。渋谷駅から徒歩で向かいます。
神社に着いてみると、初詣の長い行列ができています。それも、なかなか進みません。ずいぶん行列で待たされて、参拝できたのは暗くなりかける時刻でした。われわれが到着したのも遅かったのですが・・・。行列のすぐ近くにポケモンGOのジムが2カ所建っていたので、待っている間はジムでの戦いに明け暮れました。
そんなことで、残念ながら神社の写真がありません。

7日(土曜)、散歩がてら、というかポケモンGOがてら、自宅近くの神社での初詣をしてきました。まずは、世田谷松原の菅原神社です(下写真)。
 
菅原神社まで来て、思い出したことがあります。去年の正月に購入した破魔矢を、神社のお焚き上げに奉納する役目を仰せつかっていたのでした。そこで、菅原神社から一度自宅に戻り、破魔矢を持ってあらためて和泉熊野神社へ出かけることにしました。
和泉熊野神社はわが家の氏神様です(下写真)。


なお、私のポケモンGOトレーナーレベルは現時点で30です。
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