弁理士の日々

特許事務所で働く弁理士が、日常を語ります。

タイトルページ

2048-07-08 00:00:00 | Weblog
このブログの目次
知的財産権弁理士歴史・社会趣味・読書サイエンス・パソコンサッカー
杉並世田谷散歩徒然

この下の記事が最新記事です。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

月面の地下トンネルと「宇宙特急」

2017-12-06 20:42:48 | 趣味・読書
月に巨大地下トンネル
2017/11/26付日本経済新聞 朝刊
『10月、月の地下に長さ50キロメートルにも及ぶ巨大な空洞が存在することが日本の月探査機「かぐや」の観測データの解析からわかった。太古の昔、月で溶岩が流れた際にできたようだ。月の成り立ちを探る上で重要な場所になる。太陽の有害な紫外線や高エネルギー粒子の襲来を避けることができ、温度も一定なので、月基地の建設地としても注目を集めそうだ。』

月の地下に巨大な空洞を確認
2017年10月18日 JAXA
『国際共同研究チームは、日本の月周回衛星「かぐや」に搭載された電波レーダ、月レーダサウンダーで取得したデータを解析し、月の火山地域の地下、数10m~数100mの深さに、複数の空洞の存在を確認しました。確認された地下空洞の一つは、「かぐや」が発見した縦孔を東端として、西に数10km伸びた巨大なものです。地下空洞の存在を確実にした今回の成果は、科学的にも将来の月探査においても重要なものです。溶岩チューブのような地下空洞内部は、月の起源と進化の様々な課題を解決出来る場所であり、また月における基地建設として最適の場所だからです。』

月面の地下に巨大な地下トンネルの存在ですか。

この話を新聞で読んで、私は50年以上前、1950年代に読んだ絵物語「宇宙特急」を思い出しました。
何冊かのシリーズ単行本です。「絵物語」と呼ぶ所以は、ページの半分が文章、半分が挿絵で占められているからです。新聞の連載小説が、文章:2、挿絵:1の比率ですから、それよりも挿絵の比率が高い、といった印象です。

私のおじさんが世田谷で歯医者をやっていて、その待合室に「宇宙特急」全巻が置いてあったのだと記憶しています。おじさんの家に遊びに行ったとき、夢中になって読んだのでしょう。同じ絵物語で「少年ケニヤ」も読んだ記憶があります。

そこでさっそく調べてみたところ、以下のサイトにたどり着きました。

宇宙特急   絵物語
このサイトのお陰で、あっという間に50年代の自分にタイムスリップしてしまいました。このサイトのご主人は私(1948年生まれ)と同年齢かもしれませんね。
宇宙特急の主立ったページが掲載されています。驚くべきことに、私はほとんどのシーンについて記憶が蘇ったのでした。小さい頃に読んだ絵物語やマンガの威力はすごいものがあります。

さて、月面の地下空洞と宇宙特急との関連です。

宇宙特急は、地球制覇を狙う異星人である「怪星人」と、主人公である日本人少年を含む地球人との戦いを描いたものです。舞台は、東京、明神礁、地球を回る人工衛星、そして月へと進行します。月に降り立った主人公たちが、タンクのような乗り物に乗って怪星人と戦ううちに、そのタンクが月面の深い割れ目に落下し、遙か地下の空洞に落ち込むのです。不思議なことに、その地下空洞は空気で満たされ、宇宙服なしに人間が生活することができました。そしてそこには月人が住んでいたのです。
宇宙特急絵物語の中の241号に記載されています。10万年昔、月には水も空気も存在し、高度な文明を持つ月人が生活していたのですが、大戦争が勃発し、水爆の爆発で空気も水も吹き飛んでしまったのです。たまたま地下要塞に立てこもっていた一部の月人のみが生き延び、現在に至ったというのです。

どうです。
月面の溶岩チューブ地下空洞の話を聞いて、私が宇宙特急を思い出す理由がおわかりいただけたでしょうか。

さて、今回宇宙特急絵物語の各ページを読ませていただいて、驚いたことがあります。何と、私はほとんどのシーンについて記憶が蘇ったのでした。そのような挿絵があったことを憶えていたのです。
小さい頃に読んだ絵物語やマンガの威力はすごいものがあります。
現在、わが家には角川まんが「日本の歴史」全15巻を所有しています。小2と年長組の孫がときどき読んでいます。この年代で興味を持ってこのまんがを読めば、しっかりと記憶が残るのではないか、と期待しているところです。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

米第7艦隊衝突事故2件

2017-11-05 14:00:28 | 歴史・社会
今年、アメリカ第7艦隊(横須賀を母港とする)は、深刻な衝突事故を2件起こしています。最近、米海軍作戦部(Department of the Navy / Office of the Naval Operations)は、この2つの事故に関する報告書(Memorandom for Distribution)を公表しました(pdf)。

現在、読みかけているところです。合計71ページの報告書です。内容は、2件の衝突事故について、「衝突まで」、「衝突後」の状況が説明されています。私は取りあえず、「何が原因で衝突したか」を知りたいので、「衝突まで」に興味があるのですが、報告書は残念ながら、ページ数としては「衝突後」に大きく取られています。両事故とも、多くのセイラーが殉職しているので、どうしても救助活動の方に関心が向くのでしょう。

「衝突まで」についてざっと読んで驚くことは、決して状況が克明に再現されているわけではなく、極めてざっとした状況説明のみにもかかわらず、海軍の当事者の責任について極めて厳しくかつ断定的に断じている点です。

登場人物は以下のような人たちです。
英語 日本語(意訳)
Commanding Officer 指揮官(艦長)
Executive Officer 副司令官(副艦長)
Officer on the Deck 甲板士官(当直士官)
Junior Officer on the Deck 副甲板士官(副直士官)
Watchstander 見張り、当直員
Helmsman 操舵手
Bosun Mate on the Watch 当直甲板長、掌帆(兵曹)長

以下、第1の事故と第2の事故のそれぞれについて、報告書を見ていきます。

《フィッツジェラルド(以下「F艦」)とクリスタル(以下「C船」)の衝突事故》


F艦とC船の航跡

上の図面で、数字は時刻(日本時間)です。
F艦は、0105から衝突直前(0129)まで、同じ進路(190度)、同じ速度(20ノット)で前進しています。
C船は、0105には東南東に進んでいましたが、0115に進路を変更し、東北東に向きを変えています。恐らく、南から北東に進んでいた別の船(Marsk Evora)との衝突を避けるため、進路を変えたのでしょう。進路変更前にはF艦と衝突するコースではありませんでしたが、0115の進路変更の結果として、C船はF艦との衝突コースに入ってしまったように見えます。
C船の進路変更前も後も、F艦から見てC船はスターボード側ですから、F艦に衝突回避義務があります。
従って、F艦の艦橋については、「0115のC船の進路変更に適時に気づき、衝突コースに入っていることを認識し、適時に衝突回避動作を行うことができたのか否か」が問題となります。

----部分訳---------
(6~7ページ)
2300日本時間、艦長と副艦長は艦橋を離れた。
0100 F艦は3隻の商船がF艦のスターボード(右舷側)からやってくる領域に到着した。
F艦はいくつかの船と交差する状況だった。海事国際ルールによれば、このような状況では、F艦には他の3船との関係で(明確になるように)操船し、可能ならば交差を避ける義務があった。F艦がこの義務を遂行しない場合、他の船は、自分の独立な操船を行う上で、早く適切なアクションをとる義務があった。衝突まで30分の間、衝突の1分前まで、F艦もC船も、衝突リスクを低減するための上記のようなアクションをとらなかった。
衝突数分前、当直士官(この船の安全航海の責任を有する)と副直士官(補助者)は、これら船(C船を含む)との関係、これらの船を避けるためのアクションの要否について打ち合わせた。最初、当直士官は、C船を他の船と混同していた。ついに、当直士官は、F艦がC船との衝突コースに入っていることに気づいた。しかしこの気づきは遅すぎた。C船も、手遅れになるまで衝突回避動作を行わなかった。

当直士官は、この船の安全航海の責任を有するが、必要な操船を行わず、危険信号を送らず、C船のブリッジとの間で通信を試みず、即ち、海員として拙劣であった。

当直チームの他の艦橋メンバーは、この状況について知り得た事実を当直士官に伝達しなかった。戦闘情報センター(CIC)のチームも、当直士官に情報を提供できなかった。

事件のタイムテーブル(25ページ)
0120 当直士官と副直士官を支える当直員は、C船を視認し、C船のコースがF艦の軌跡と交差すると報告した。当直士官は、C船がF艦の1500ヤードを過ぎると考え続けていた。
0122 副直士官はC船を再度視認し、艦速を遅くするよう助言した。当直士官は、減速はcontact picture を複雑化すると答えた。
0125 当直士官は、C船が急速に近づいていると気づき、240方向へのターンを考えた。
0127 当直士官は240方向へ転蛇(右転蛇)を命令したが、1分以内にこの命令を撤回した。その代わり、当直士官は、最高速度に増速し急速左旋回を命令した。これら命令は遂行されなかった。
0129 甲板長は、舵を取ってこの命令を実行した。
0130 C船の船首がF艦に衝突した。
----部分訳終わり---------

以上を読むと、以下のような状況が確認できます。
航跡図から明らかなように、C船は0115に進路変更を行い、F艦との衝突コースに入りました。C船の進路変更前の認識として、F艦の当直士官が「衝突しない」と認識していても間違いではないです。
0115のC船進路変更の後、0120にF艦の当直員がC船について当直士官に報告しています。しかし当直士官は確認を怠り、C船の進路変更、衝突コース突入を確認するチャンスを失いました。0122の副直士官の「減速」助言も無視しました。
0125 当直士官はついに衝突危機に気づき、衝突回避を試みましたが、指示が錯綜し、甲板長が舵を取ったときは衝突1分前でした。

たしかに、このとき艦橋とCICで勤務していた人たちが、安全航行のための義務を果たしていなかったのは明らかなようです。
問題は、「多数の船が錯綜する海域で、なぜこのような拙劣な人たちが、第7艦隊のイージス駆逐艦の操船を行っていたのか」という点です。米国海軍の劣化が疑われても仕方ないでしょう。

《ジョンSマケイン(以下「M艦」)とアルニック(以下「A船」)との衝突事故》


M艦とA船の航跡

航跡図によると、M艦とA船は並行して走り、M艦はA船の右舷を通り過ぎるはずでした。ところが0521 突然M艦は左に進路を変え、A船の進路の前を遮る航路を取ったのです。M艦は自分からA船と衝突するコースに進んだことが明らかです。

----部分訳---------
(46~47ページ)
0519時、艦長は以下のことに気づいた。即ち、操舵手(当直員が舵を取っていた)が、スピードコントロールのためのスロットルも操作しているため、コースを維持するのが難しい状況であることに気づいた。
そこで、艦長は当直チームに対して、以下のことを命じた。即ち、操舵とスロットルの作業を分離し、操舵手が進路コントロールを維持し、一方でスピードコントロールについては他の当直員が「リーヘルムステーション」と呼ばれる装置を操作するよう命じた。「他の当直員」は、操舵手のすぐ隣の操作盤の前に座っていた。
この計画されないシフトは、当直チームの混乱を招いた。意識せず、操舵のコントロールはリーヘルムステーションに移行したが、当直チームはそのことに気づかなかった。艦長は、スピードコントロールのシフトのみを指示した。艦長は、操舵がリーヘルムに移行したことを知らなかった。操舵手は、操舵が効かないことに気づいた。
操舵が物理的にできなくなったのではない。操舵のコントロールが別の操作盤(リーヘルム)に移っただけだが、当直員はこのことに気づかなかった。操舵コントロールがリーヘルムに移行したことにより、舵は中立の位置となった。操舵コントロール移行前、操舵手が、船を直進させるために舵を1-4度右に切っていたのであるから、舵が中立になった結果、船は左へ曲がっていった。

加えて、操舵手が操舵不能を報告したとき、艦長は船速を10ノット、さらに5ノットに減速することを命じた。しかし、リーヘルム操作員の操作は、(2つの)スロットルを一緒に操作しなかったため、ポート側(左舷側)のスピードのみ減速した。スターボード側(右舷側)は68秒にわたって20ノットを維持した。舵の間違った方向と、2つのシャフト回転不一致の問題があいまって、密集した交通エリアにおいて、左側(ポート側)への命令されない回頭が起こった。
M艦がA船との衝突コースに入ったにもかかわらず、艦長および艦橋にいた人たちは、状況を理解していなかった。
操舵コントロールを失ったとの報告の3分後、状況に気づいたが、時すでに遅かった。そして0524 M艦はA船の船首とクロスし、衝突した。
----部分訳終わり---------

ここには掲載しませんが、報告書の図5(pdf)に、M艦の艦橋の図があります。操作卓は、中央に蛇輪(Manual Steering Wheel)があり、左側が通常の舵手の操作盤、そして右側が上記「リーヘルム」と呼ばれる操作盤です。
操舵手も、そして艦長から命令されてリーヘルムを操作した見張り員も、装置の操作方法を知らなかったとしか思えません。このような人たちに、操船が任されていたのです。衝突事故は起こるべくして起こりました。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

室屋義秀氏がエアレース年間総合優勝

2017-10-22 15:07:28 | 趣味・読書
室屋義秀がレッドブル・エアレース年間総合優勝 日本人初のタイトル獲得2017年10月16日 09時42分
『小型プロペラ機によるレッドブル・エアレースは15日、米インディアナ州インディアナポリスで今季最終第8戦が行われ、室屋義秀が今季4勝目を挙げて日本人初の年間総合優勝を果たした。
2009年から参戦し、通算6シーズン目となる44歳の室屋は16年に千葉市で行われた大会で初優勝。今季は米サンディエゴでの第2戦、千葉市での第3戦と連勝し、ドイツのラウジッツで行われた第7戦も制した。』(日経新聞

16日夕方のテレビニュースでこのことを知りました。レースは日本時間の16日未明に行われたようです。
昨年の幕張大会は、ライブで観戦し、見事優勝した様子をリアルタイムで観ていました。室屋選手が初優勝した大会です。
今年も、幕張大会で優勝したことは把握していましたが、ドイツでも3勝目を挙げ、そして最終戦のアメリカ大会で優勝して年間総合優勝を獲得するとは!。

去年の幕張大会後の報道でもそうだったのですが、大新聞での扱いは極めて冷淡です。
今年の年間総合優勝についても、新聞の全ページをなめるように探し、やっと掲載記事を見つけました。朝日新聞の16日夕刊に以下の記事が掲載されていました。
 
スポーツ欄で「スポーツ短信」扱いであり、活字も他より小さな活字が用いられています。記事の文言は、上記日経新聞の記事と一言一句同じ記事でした。共同通信から配信された記事をそのまま掲載しているのですね。

本日の私の発言は、エアレースでの室屋選手の活躍に極めて冷淡である日本の大新聞の扱いについて紹介することが目的でした。
室屋義秀の公式ホームページ

ところで、私が室屋さんについて初めて知ったのは2012年ですから、今から5年前です。その年の10月7日、福島県の山奥にある飛行場“ふくしまスカイパーク”に行って来ました。そこで開催された第三回全日本曲技飛行競技会を観覧するためです(ブログ記事)。
競技会の参加飛行機は一般人が操縦していると思いますが、それとは別に、お昼に「室屋義秀エアショー」が開催されました。下の写真が室屋氏が搭乗するEXTRA300Sです。
 
室屋義秀氏乗機

曲技飛行ということで動画にトライしたのですが・・・、残念なことにすべてピンぼけでした。
ということで、エアショーの最後、着陸後の地上でのパフォーマンスのみを静止画で撮影しました(下写真)。
  
室屋義秀氏 地上でのパフォーマンス

私の動画は失敗に終わりましたが、ユーチューブには映像がアップされていました。第三回全日本曲技飛行競技会(三日目-3)の中に、室屋氏のショーが収録されています。
飛行機を横向き(右翼を上、左翼を下)にして、さらに機首を上げ加減にして、滑走路ぎりぎりの低空を飛行する場面があります。これはどう考えても危険だと思うのですが、どうなんでしょうか。

私が見守る中で曲技飛行を演じた2012年当時、すでに室屋氏はエアレースに参加していたのですね。それからも実績を積み上げ、よくぞ本年、8戦のうちの4戦で優勝して年間総合優勝を勝ち取ったものです。

これからも安全には気をつけて、さらにご活躍ください。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

作家の新井素子さんとオアシス・親指シフト

2017-10-09 11:06:09 | 趣味・読書
日経新聞の夕刊最終ページに「こころの玉手箱」というコラムがあります。毎週月曜から金曜まで、一人の著者が連続で記事を書いています。
10月2日からの5日間は、作家の新井素子さんでした。
第2回、10月3日の記事では、写真として「オアシスのマグカップ」が掲載されています。OASYSとあります。OASISなら砂漠のオアシスですが、OASYSというと・・・、これは富士通製のワープロ専用機「オアシス」を意味します。さて。


読んでみると、たしかにワープロのオアシスでした。
35年前に、新井さんはワープロのオアシスを購入し、マグカップはそのときのおまけだったとのことです。35年前というと1982年(昭和57)ですか。30万円で購入したと記事にあります。
ネット上では、1982年のマイオアシスは30万円では買えず、70万円ぐらいしたのではないか、という意見が多くありました。

記事の最後は親指シフトに関してです。
『そんでもって、私は、未だに、オアシスと親指シフトを使い続けている。いや、使ってみると、これは日本語を書くのに本当に適しているシステムなのだ。
ただ、特殊なキーボードが必要であり、日本語を書く以外のことはあんまり得意ではないので・・・今では親指シフト、扱っている店が、ほぼ、ない。
でも、奇蹟のマグカップと同じで、親指シフトにも、是非、是非、生き残り続けて欲しい。
切実に私は願っている。』

親指シフトについて説明しましょう。
パソコンでの日本語キー入力は、現在ローマ字入力がほとんどであり、一部にJISかな入力が使われていると思います。
下の写真が、私が使っている親指シフトキーボード(Rboard Pro for PC)です。

キーの最下段、左からCtrl - Alt - E/Jと並んだその右の無印が左親指キー、さらにその右が右親指キーです。
文字入力の各キーに、ひらがなが2種類配列されているのが、キーの刻印からわかります。普通に「J」のキーを押すと下の刻印の「と」が入力がされます。また、右親指キーと「J」を同時に押すと上の刻印の「お」が入力される、というのが親指シフトです。
日本語入力が得意であり、文筆業の方には今でも愛用者が多いようです。
まずは今回の新井素子さんです。
姫野カオルコさんも親指ユーザーであり、こちらで記事にしました。

弁理士も明細書執筆が仕事であり、文筆業のようなものです。親指シフトが最もふさわしい職種の一つと思うのですが、私が勤める事務所を含め、親指シフトを使っている弁理士は私以外におりません。残念なことです。

現在のところ、親指シフトはまだ絶滅には至っていません。いろいろ工夫をすれば、パソコンを親指シフト環境で使うことが可能です。何とか私がパソコンを使う間だけでも、絶滅せずに生き残って欲しいと思っています。

ところで、私が最初に購入したワープロ専用機は、オアシスLite F(詳しくはこちら)で、1985年頃です。新井素子さんがオアシスを購入した数年後ですね。本体(ディスクなし)が10万円前後、さらにフロッピードライブ、プリンターを込みで購入したら50万円前後だったと思います。本体はノートタイプで、液晶は狭く、文章が4行しか表示されませんでした。
その頃、「日本はワープロの出現により、日本語入力環境に革命が起こるだろう。100年前に英語圏でタイプライターの出現で革命が起きたと同様に。そこで自分も、ワープロを極めよう。」と考え、入力タイプをどれにするか比較検討しました。当時、親指シフトがベストであるとの結論にいたり、オアシスLite Fを購入し、その日からタッチタイプの練習を開始したというわけです。

新井さんは1960年生まれとありますから、最初にオアシスを購入したとき、まだ22才ですか。デビューしたての若い頃、よく思い切って高価なワープロを購入したものと感心しました。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

白駒の池・高見石ハイキング

2017-10-08 13:20:01 | 趣味・読書
9月31日~10月1日、八ヶ岳周辺の白駒の池と高見石を訪問してきました。
自宅から車で出かけ、1日目に白駒の池と高見石をまわり、宿泊はダイヤモンド八ケ岳美術館ソサエティです。
同じ9月にでかけた入笠山ハイキング飯盛山ハイキングと同じようなスタイルです。

八ヶ岳ソサエティを根拠地として簡単に訪問できるハイキングコースを見つくろっています。当初は、このタイミングで美し森山を計画していたのですが、高見石は標高が2000m超と高いので、あまりに寒くなる前に訪問しようと、順番を入れ替えたものです。

計画当初は、麦草峠の駐車場に車を駐め、簡単に往復するつもりでした。しかし調べていくと、白駒の池が紅葉の名所として知られていることに気づきました。そして、10月初めはもう紅葉の季節です。麦草峠も白駒の池も、駐車場は朝早くから満車になってしまいそうです。
小海線の松原湖付近から白駒の池に向かう県道沿い、小海リエックスホテルの駐車場に車を駐め、そこから白駒の池まで無料のシャトルバスを利用できます(7~10月の土日祝日)。それを利用することにしました。10時から30分間隔で、午前の部は11時半までです。
東京の自宅を7時過ぎにスタートしました。途中は比較的順調で、10時半発のシャトルバスに乗ることができました。
シャトルバスが白駒の池入口に到着すると、路上には駐車場待ちの車が5~6台列をなしていました。取りあえずはシャトルバスを利用して正解でした。

予定としては、白駒の池入口(2096m)をスタートし、まず白駒の池を一周し、それから高見石(2271m)に上り、さらに丸山(2330m)まで登って、麦草峠(2119m)におり、白駒の池入口に戻る計画です。

 
駐車場から白駒の池への入口                   白駒の池へ向かう樹林の中

樹林の中をなだらかに上り(右上写真)、白駒の池に到着します。池周回の道路は、木の板を渡した木道の上をたどります。苔を保護するためでしょうか。
ネット情報では「白駒の池の紅葉は見ごろ」ということでしたが、水辺すぐ近くの木は赤くなってきているものの、まだ最盛期とは言えない状況でした(下写真)。


白駒の池

池を3/4周したところに白駒荘があります。そこでトイレを借り(百円)、高見石に向かって上り始めました。高見石までの標高差は200m弱のはずですが、道は大きな石(直径50cmまたはそれ以上)がごろごろと行きてを遮るように転がっています。石の間を縫って歩くのですが、足に相当の負荷がかかりました。

《高見石》
やっとのことで高見石小屋に到着しました。小屋のすぐ横を進むと、高見石そのものに至るようです。
高見石の名前の由来ですが、行ってみてわかりました。大きさが1~3mもあろうかという大岩が、高さで20~30mもあるでしょうか、うずたかく積み上がっているのです(下写真)。岩と岩の間は当然に隙間になっていますから、歩いて渡れる経路は限られています。岩に塗られた赤丸を頼りに登っていきました。



若い頃だったら、この程度の岩山の特に上りでない部分では、ほとんど手を使わずに二本足で歩くことができました。しかし、歳のせいでしょうか、手をつきながらでないと恐ろしくて岩から岩へと移ることができません。



頂点に到着すると、眼下に白駒の池が見えています(下写真)。
白駒の池の左側彼方に見える平野は、方角からいうと佐久盆地ですね。地図と引き比べると、左端の彼方は浅間山の方向です。写真に見えている峰の一つがはたして浅間山なのかどうか、確認できません。
白駒の池の彼方に見える山塊は、荒船山山塊のようですが、どのピークが何山なのか、確認できませんでした。


高見石から白駒の池

左下の写真は、北方向、横岳、縞枯山、茶臼山の方角だと思うのですが、どのピークがどの山かやはり確認できませんでした。

 
高見石から北方向                         高見石頂上にて

高見石の岩塊ピークを降り、高見石小屋の前で昼食にします。コンビニおむすびです。
予定では、ここからさらに丸山に登り、麦草峠におり、白駒の池入口に戻る予定でした。しかし、ここまでの上りで疲れ果ててしまい、さらに標高差100mを登る元気がありません。また、帰りのシャトルバスの予定を考えると、ここから真っ直ぐに降りた方が無難なようです。
上りルートとは異なる、北側の道を降りることにしました。上りと同じような岩塊の道だと閉口するな、と案じていたのですが、こちらの道にはほとんど大きな岩塊がありません。非常に歩きやすいです。事前に知っていれば、こちらの道を上ってきたことでしょう。次回チャンスがあれば、白駒の池周回をパスして、この道を使って上ることにしましょう。

白駒の池入口に到着すると、2時30分発のシャトルバスに間に合いました。シャトルバスで小海リエックスホテルに戻り、そこから車でダイヤモンド八ケ岳美術館ソサエティに向かいます。この間、私は頭痛と車酔いで酷い目になったのですが、省略します。

ソサエティのエレベータの中の案内で気づいたのですが、本日の夜9時から、天体観測の集いが催されるようです。要予約とあったので、電話で予約を入れました。

ソサエティのブログ記事に、天体観測ガイドについて記されています。2014年の記事ですが、今回われわれが参加したのも同じ催しでした。内容は「天体観測ガイド」に明らかです。案内人は田中智さんという方のようです。

9時になりました。集合場所のラウンジに向かいました。外は寒いはずなので、持ってきた防寒具とレインコートを全部着込みました。
ここで、案内人の方から説明を受け、そのあと皆でソサエティの裏庭へ移動します。本日は、月齢8日くらいの月が出ており、星座観測にはその点で不利です。快晴なのですが、恐らく3等星くらいまでしか見えていないでしょう。「満天の降るような星」を見ることはできませんでしたが、逆に星座を確認するにはこのくらいの数が適切です。満天の星が見えてしまうと、どれが白鳥座か、見分けることが難しくなるからです。

田中さんは、手に持ったレーザービームのような道具で空を指し示します。空気は澄んでいるはずなのですが、レーザーの光線が夜空に見え、今説明を受けている星がどの星なのか、はっきりとわかります。
この時期は、夏の星座であること座(ベガ)、わし座(アルタイル)、はくちょう座(デネブ)が形成する夏の大三角と、ペガサス座、アンドロメダ座が形成する秋の大方形が共に見えています。北方では、北斗七星は山陰に隠れ、カシオペア座が見えています。カシオペア座の下のケフェウス座の五角形も確認できます。案内人によると、はくちょう座からカシオペア座を貫く天の川が見えているとのことですが、私にはよくわかりませんでした。
南の空には、2つの星が見えます。先生によると、右は南のうお座のフォーマルハウト、左は忘れてしまいました。

下の写真は、天体観測で用いられた望遠鏡です。普段は写真のようにソサエティのホールに飾ってあります。
口径の大きい黒い望遠鏡は自動追尾型で、最初はアンドロメダ大星雲、後半は海王星を見せてくれました。私は後半しか観ていませんが、たしかに青い海王星を確認できました。
白い望遠鏡は自動追尾ではありません。月の全景を見せてもらいました。8日月ですから、月の半分が見えています。私の知っているクレーター(チコ、コペルニクス、ケプラー)は見えませんでした。

その他のツールとして、田中さん自作の星座観察用双眼鏡も使わせてもらいました。倍率が2倍で、口径が大きいので、星座を確認しつつ暗い星まで見ることができます。

 
望遠鏡(ソサエティのホールに展示)

今回は、たまたま天体観察の日に当たり、かつ晴天だったので、幸運にも星空観察の機会を得ることができました。

翌10月1日の朝も快晴です。今回宿泊した部屋は、ベランダから南アルプスの全景を眺めることができました。

《朝のソサエティからの遠望》

南アルプス

上の写真で、中央やや右の一番高い峰は甲斐駒ヶ岳です。ここからでは、仙丈ヶ岳はちょうど甲斐駒ヶ岳の向こうに隠れてしまうのですね。
左1/4付近のピークが北岳です。北岳の左は、ここから見ると北岳よりも高く見えますが、実際には北岳より低い鳳凰三山の山塊です。


右の奥が北岳、中央が鳳凰三山(左から薬師ヶ岳、観音岳、地蔵岳)

上の写真で、中央にポチッと尖りが見えるのは、地蔵岳頂上の岩頭でしょう。左1/6付近の鞍部は、夜叉神峠になるのでしょうか。鳳凰三山には昔2回登りました。北岳はまだです。下写真の甲斐駒ヶ岳にもまだ登っていません。


甲斐駒ヶ岳

ここダイヤモンド八ケ岳美術館ソサエティは、てっぺんに展望台があります。そこに登ってみました。残念ながら四方がガラス窓に囲まれていまして、ガラス窓越しに写真を撮るのでガラスの反射が映り込んでいます。下の写真は、南アルプスの南端までを写し込んでみました。

南アルプス全景

この展望台からは、南東方向に茅ヶ岳(1704m)が見えています(左下写真)。独立峰なので高く見えますね。
富士山が見えるはずの方向に注目したら、雲の上に頂上のみが見えていました(右下写真)。
 
茅ヶ岳                         雲の上に富士山の頂上

ここソサエティからの八ヶ岳は、レストラン前の庭から撮りました(下写真)。
中央が赤岳だと思っていたのですが、違うかもしれません。中央が編み笠山、その右が権現岳、そして右端にちょこっと見えるピークが赤岳かもしれません。


八ヶ岳

帰途、中央高速の長坂インターに入る手前のスーパーで買い物をする予定にしていました。スーパーだから、9時か9時半には開店しているだろう、と予測して9時半頃に到着したのですが、まだ閉店中です。何と、昨日までは9時開店でしたが、本日から10時開店に変更になったということです。こんなこともあるのですね。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

ベターホーム協会のお料理教室

2017-09-23 19:55:39 | 趣味・読書
この5月から、ベターホーム協会のお料理教室に通っています。月一回の講習で、「お料理入門コース」で学んでいます。

昔から家内と約束していまして、仕事が暇になってきたら料理教室で料理を習うことにしていたのです。今年から勤務形態がかわることにもなったことから、いよいよということで始めました。
ベターホーム協会にしたのは、家内からのお勧めがあったためです。
当初は「男の料理教室」に通うつもりでした。確かにそのようなコースがあります。しかし、調べてみたら平日の午前中開催なのです。「男の料理教室」に通うのは、完全にリタイアした男性ばかりのようです。教室の広告写真を見ても、見るからにお年寄りでした。
平日の夜のコースには男性コースはありません。ここは覚悟を決めて、女性の中に混じって講習を受けることにしました。いろいろコースがある中で、当然ながら入門コースを選びました。月1回で1年間のコースです。始めようと思ったちょうどそのときが、5月開講の時期に合致していたので、すぐに始めることができました。
吉祥寺教室で、毎月第3水曜の午後7時から9時までです。
教室に持参するのは、エプロンと三角巾だけです。事前にデパートで購入しました。その日のテキスト(レシピ)は毎回教室で配られます。

ビルの階段を下ると(左下写真)、教室があります。入口を入ったところは待合室のようなところで、右下写真のガラス窓の向こうが教室です。
 
教室への入口                         教室の待合室

左下の写真、手前側が実習テーブルです。4人一組となります。奥側に見えるガス台と流しが、グループの使用スペースです。4人のグループがさらに2人ずつの組に分かれ、2人で共同して二人分の食事調理の実習を行います。
テーブル配置は毎回異なりますので、2人一組も毎回変わります。
右下の写真は、教師の調理スペースです。写真の下方にガスレンジが見えます。写真の上方は斜めの鏡です。カメラの位置から、ガスレンジが反射して見えています。講師調理中は、この鏡の映像でフライパン内の様子を見ることができます。
 
実習スペース                         講師の調理場所

私が通うお料理入門コースは、後藤先生(写真中央)とサポートに宮永さん(左)、それにスタッフの方がつきます。5月は安田さんでした。下の写真を撮った9月は渡辺さんです。

先生とスタッフ

私のコースは平日の夜のコースで、男女の別がありません。男性の人数が少ないのではないかと危惧したのですが、そうでもなかったです。5月の1回目は1/3くらいが男性でした。しかし6月以降はさほど多くなく、15人中4人くらいが男性でしょうか。各テーブルに2人、または1人の男性が配置されます。2人一組の組み合わせについては、男性同士であったり、男性と女性の組み合わせであったりします。毎回、4人で相談して決めています。

毎回、まず先生が全体工程の半分ぐらいまでを実演しつつ教え、そのあと実習を開始します。そして次に先生が残りの半分を実演し、同じように実習で料理を完成する、というスタイルです。
実習が始まると、二人のチームワークを発揮できるよう、相方の足手まといにならないよう、考えながら料理を進めることになります。相方が女性の場合、私よりもよっぽど手際がよいです。男性であっても私が足を引っ張ることが多いですね。やはり歳でしょうか。あと、女性と比較すると私のやることは何かにつけてがさつであることに気づきます。時間をかければ丁寧にできるのですが、「短時間に丁寧に」というのはなかなか難しいです。

実習では、調理を行いつつ、使った調理器具を洗って片付けていきます。流しは4人で1箇所ですから、4人が分担して流れ作業で洗うことになります。よっぽど気をつけていないと、流れ作業の中に自分の居場所を確保することができないので、先先を読むように心がけています。

実習の途中経過をちょっとだけ紹介します。9月の煮こみハンバーグの実習です。
野菜は、二人分×2セットが左下写真のような形で各グループに配られます。これを二人で分担して加工します。右下写真の左側がみじん切りにしたタマネギ、右側がそれ以外の野菜です。
 
各グループに配られた食材(野菜)               加工済みの野菜

5月から9月までの5回のうち、6月を除いて自分の作品を写真に収めたので、下に紹介します。
《各月の作品》

5月 麻婆豆腐 トマトとたこのマリネ

(写真なし)
6月 白身魚のハーブパン粉焼き 夏野菜のオープンオムレツ


7月 ガパオ風ごはん えびとアボカドのサラダ


8月 トマトとモツァレラチーズのスパゲティ たいのカルパッチョ


9月 煮込みハンバーグ かぼちゃのサラダ

教室で教わった後、家で復習です。平日の夕飯で復習しています。
今まで、麻婆豆腐は4回、白身魚のハーブパン粉焼きは2回、ガパオ風ごはん、トマトとモツァレラチーズのスパゲティとたいのカルパッチョを各1回、家で復習しました。
コメント (2)
この記事をはてなブックマークに追加

飯盛山ハイキング

2017-09-18 22:14:44 | 趣味・読書
9月9~10日、八ヶ岳山麓の飯盛山(めしもりやま)ハイキングに行ってきました。
一週間前に入笠山に行ってきたところでしたが、今回も急に思い立って行くことにしました。前回は思い立ったその当日に出発しましたが、今回はそれよりも早く準備しました。宿は前回と同じ八ヶ岳ソサエティです。飯盛山には1日目に登ります。

朝早く、といっても8時頃、家を出発しました。中央高速で向かうのですが、今回は断続的にずっと渋滞が続きました。

飯盛山へのハイキングルートはいつくかあるのですが、我々は車を使います。そのため、駐車した箇所から山頂までの往復コースとなります。最も標高差の少ないルートということで、平沢峠の駐車場に駐車して飯盛山を往復することとしました。

カーナビに従って、中央高速を長坂インターで降り、国道141号に入って清里駅方向向かいます。清里付近に着く直前、道の左側に「筑波大学附属小学校 若桐寮」という看板を見つけてびっくりしました。私が小学校5年と6年のとき、学校のクラス別合宿で宿泊した寮そのものだったからです。もう60年近く前の話ですから、この寮もとっくに消滅していると想像していたのですが、脈々と続いていたのですね。清里のどの辺に位置していたかも記憶になかったのですが、今回、場所が明らかになりました。

カーナビに従い、一度平沢峠付近を通り越してJR野辺山駅まで行き、そこから引き返して平沢峠に至りました。大きな駐車場があり、そこから八ヶ岳が遠望できます(下写真)。
平沢峠から


平沢峠
 
駐車場                              飯盛山ハイキングコース入口

下の立て看板地図、「しし岩」という箇所が現在地です。ここから飯盛山に登ります。今回の標高差は200m弱です。

ハイキング地図

私は小学校の5年のとき、小学校のクラスで清里の寮に合宿し、飯盛山にも登っています。そのときの記憶で、たいしたことないと高をくくっていたのですが、誤算でした。清里の寮からの標高差に比較すると半分以下なのですが、われわれの老齢には結構苦しい登りでした。

飯盛山は、比較的なだらかな肩の上に、ご飯を山盛りにしたような形の山頂部分が乗っています(下の写真)。飯盛山の名前の由来がわかるというものです。小学5年生のときには、この肩の部分でお昼を食べ、そのあとに頂上に向かいました。今回は、まず頂上を往復し、そのあとに肩でお昼を食べることにし、頂上に向かいました。

飯盛山の肩から山頂を望む


山頂


山頂から

八ヶ岳

もうお昼時ですから、遠景はやはり霞んでいます。雲も多く、前回の入笠山に引き続いて今回も八ヶ岳(西方向)のピークは雲の中でした(上写真)。
目を右に転じていきます。北東方向が下の写真です。ピークの名称は、帰ってからネットで調べた結果です。地図によると、御座山の東に御巣鷹山が位置しています。私が見た山並みのその向こうに、御巣鷹山が位置していたのかもしれません。

遠景中央が御座山、その手前、御座山の左が男山、右が天狗山。写真右外れが御巣鷹山の方向

奥秩父の金峰山は、ここ飯盛山から東南東の方角です(下写真)。

遠景 左ピークが小川山、右ピークが金峰山、金峰山から左へ1/3が瑞牆山

南南東の方角(下写真)に見えるピーク、ネットで調べた結果茅ヶ岳であることがわかりました。ネットの写真によると、茅ヶ岳の左側に見える鞍部の方向に、富士山が位置しているようです。残念ながら今回は、富士山を望むことはできませんでした。

遠景 右のピークが茅ヶ岳 その左の鞍部の彼方に富士山があるらしい

西方向から南西方向にかけて、南アルプスが望めるはずです。山裾部分は見えるのですが、雲のためにピークを見ることはできませんでした。

飯盛山頂上から肩まで下り、肩で昼食としました。
その後、元来た道を戻ります。

平沢峠に戻りました。「しし岩」の看板(左下写真)があるので、しし岩を見に行きます。取りあえず、見えた岩の写真を撮って(右下写真)、帰ってきました。この角度からでは獅子に見えません。いずれかの方向から見たら獅子に見えるのでしょうね。
 
駐車場の案内板                           しし岩

本日、時間はまだ十二分にあります。宿である八ヶ岳ソサエティに戻るだけでは時間をもてあまします。
本日、車で平沢峠に来る途中、野辺山駅付近の踏切を渡ってきたのですが、踏切の直前の看板で「シャトレーゼ アイスクリーム直売」といったような看板を目にしました。つい最近のテレビ番組で、シャトレーゼのアイスクリーム工場でアイス食べ放題、という放送をやっていました。ひょっとしてそこではないか、ということで、看板を頼りに行ってみることにしました。しかし、狭い道を行けども行けども、たどり着きません。やっと着いたところはゴルフ場で、その先のそれらしき建物に行ってみたら下写真の場所でした。
シャトレーゼスキーリゾート八ヶ岳

扉は閉まっており、営業していません。玄関の左には「OPEN」の看板がありますが、玄関の右の張り紙によると3/26に営業終了とあります。
調べたところ、工場見学とアイス食べ放題をやっているのは、シャトレーゼ白州工場ということで、比較的この近くではあります。シャトレーゼグループは、菓子、ワイナリー、リゾートホテル、ゴルフ場、スキー場を営んでおり、白州工場の工場見学とアイス食べ放題もやっているようですが、一体どのような会社なのでしょうか。

アイスを食べられなかったので、次は千ヶ滝を見に行くことにしました。カーナビに従って行くと、宿泊施設の駐車場に到着しました。
《千ヶ滝》
 
駐車料金5百円を徴収される                  滝壺へ降りる

無人の料金所(右上写真)で500円を支払い、道に沿って進みます。川は道よりも下を流れており、滝が見える気配がありません。しばらく行くと、急な階段が出現しました(右上写真)これだけの高さを降りれば、滝壺にいたるかもしれません。





階段を降りると、そこは確かに滝壺から至近の場所でした。500円を払って到着した価値はありました。

滝壺から上がってきた階段

時刻は4時過ぎです。ちょっと早いですが夕食を食べる場所を探そうということになりました。国道141号を南下しますが、これといった食事場所に巡り会いません。141号から西にそれ、ネット情報を頼りに食べ物どころを探すことにしました。なかなかありません。県道28号を今度は北上し始めます。

すると、上の地図の中央、道の左側に、左下写真の店を見つけました。ちょうど4時から開店しています。入ってみることにしました(右下写真)。
アイリッシュパブ
 
メニューから、生ハムサラダM、マルゲリータピザハーフ、手羽先フライMを選んで二人でシェアすることにしました。ちょっと足りなさそうだったので、チョリソーソーセージを追加注文しました。デザートにはアフォガードです。
とてもおいしい食事をすることができました。こんな山奥で、とびっくりです。
食事を終わり、道を北上すると、八ヶ岳ソサエティはすぐ近くでした。今後、八ヶ岳ソサエティに宿泊したときの食事場所を発見することができました。

翌日、八ヶ岳ソサエティで朝食を済ませ、帰路につきました。
長坂インターのすぐ近くのスーパーに寄り、買い物を済ませました。
先週の中央高速の上りはものすごい渋滞でしたが、本日は快調そのものです。夏休みの最終日ではなく、また時間もまだ早いこともあったでしょう。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

入笠山ハイキング

2017-09-17 16:46:18 | 趣味・読書
9月2~3日、入笠山(にゅうかさやま)ハイキングに出かけました。
2日(土)の朝、突然に思い立ったものです。八ヶ岳ソサエティに一泊して入笠山に登ろうと。入笠山に行く話は、夫婦で前からしていました。ガイドブックによると、入笠山は日帰りハイキングの初級コースですが、われわれは歳も取っているので無理はできなません。1泊旅行で出かけることにしました。
八ヶ岳ソサエティに電話で聞いたところ、本日の予約が可能だといいます。宿を予約した上で、さっそく準備にかかりました。車での一泊旅行だから準備は簡単です。
入笠山ハイキングには明日出かけることとし、本日はまず軽井沢のアウトレットに向かい、それから八ヶ岳ソサエティに向かうことにしました。

わが家から軽井沢までは、新宿・山手トンネル経由で関越道に乗るのが最短です。一方、一度中央道で八王子まで行き、そこから圏央道を経由して関越道に乗るコースを使っても、時間的には30分程度しか変わらないことがわかりました。そこで今回は、八王子-圏央道コースを利用することとしました。

軽井沢アウトレットでの買い物が終わると、JR小海線に沿って国道を走り、八ヶ岳ソサエティに向かいます。
時間が遅くなり、途中の食堂で夕食をとることになりました。

翌日、宿をチェックアウトして入笠山へ向かいます。八ヶ岳ソサエティからゴンドラの山腹駅まで、カーナビによると1時間ちょっとの行程になります。
ここは、ゴンドラで1772mの山頂駅まで運んでくれるので、われわれのような老齢でも、標高1955mの入笠山に気軽に登ることができます。

ゴンドラ山麓駅の周辺には、マウンテンバイクのおとなや子供が多くいました。皆、服装は重武装です。バイクを携えてゴンドラに乗り、上からバイクで下ってくるようです。

ゴンドラの入場券購入時にもらった冊子の地図(下写真)を頼りに、入笠山に向けて登ることにします。


山頂駅からいくつかあるルートのうち、入笠湿原に一度降りて、それから登る道を選びました。
入笠湿原に下る


入笠湿原


入笠湿原から花畑


ハイキングルートの途中、何回か、張り巡らされたネットと登山者出入り用の扉に遭遇します。左下写真の説明にあるように、鹿侵入防止の対策のようです。
 
張り巡らされたネット                         人間通行用の扉

そして、入笠山の頂上に到達しました。
《入笠山頂上から》
もうお昼時であり、遠景はかすんでいます。また、台風がらみの雲も出ており、八ヶ岳は赤岳をはじめとして一番高い山々は雲の中でした。遠くに北アルプスが見えるはずですが、本日は北アルプスの方向は雲で閉ざされています。中央アルプスと御岳が見えたと思っていたのですが、家で写真を確認したところ、それらの山は雲に隠れており、前衛の山並みが見えていたに過ぎませんでした。

八ヶ岳


左が八ヶ岳、右が奥秩父


中央はるか遠くに富士山


南アルプスの前衛(甲斐駒ヶ岳は写真左外れにあるはずですが、雲で見えません)


諏訪湖 その向こうは霧ヶ峰や美ヶ原か


山頂にて

山頂でお昼のおにぎりを食べ、山を下ることにしました。下りは首切清水への道を行きます。首切清水で車道に出た後、大阿原湿原を往復する予定でしたが、本日は疲労が重なっているのでやめて、そのまま車道をたどってゴンドラ山頂駅へ向かうこととしました。

歩いた行程のうち、一番低い入笠湿原(1737m)から入笠山(1955m)までの標高差は200mちょっとです。今のわれわれにはこの程度の標高差がちょうどいいところでしょうか。これよりも標高差が大きい山に挑戦するには、日頃の鍛錬が相当に要求されるようです。

帰りの中央高速下りはめちゃくちゃな渋滞でした。連休でもないのですが。夏休みの実質的な最後の日ということが影響したようです。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

アルハンブラ宮殿・グラナダ

2017-08-27 16:33:29 | 趣味・読書
スペイン・コルドバのパティオ祭りで記事にしたように、本年の5月中旬、家族で南スペインをめぐる旅をしてきました。訪問先は、コルドバ、グラナダ、セビーリャの3都市です。5月12~14日はグラナダに滞在しました。グラナダの目玉はもちろんアルハンブラ宮殿です。

アルハンブラ宮殿のうち、ナスル宮殿については、予約した時間にのみ入場することができます。われわれは、事前にネット予約で、5月13日の15時で予約を取っていました。
一方、13日の行動予定としては、一日中をアルハンブラ宮殿にあてるつもりにしています。そして前日によくよく調べてみると、昼の部の宮殿入場は、午前の部(14時まで)、午後の部(14時以降)に別れているようです。そういえばチケット予約時に見たような気もします。前日の夜に3人で議論した結果、以下の行動を取ることにしました。
チケットは、宮殿を含むチケットと、庭園のみのチケットの2種類があります。庭園のみのチケットの方が安い。そこで、当日の朝、庭園のみのチケットを別に購入し、午前の部はその庭園のみのチケット、そして午後の部は事前に購入した宮殿を含むチケットを利用し、1日がかりでアルハンブラ宮殿を攻略することとしました。

チケット売り場は朝の8時に開場します。行列ができているはずなので、早めに行列に並ぶことにしました。私と娘とで、朝、ホテルを出ました。

われわれが宿泊しているホテルは、アルハンブラ宮殿のすぐ近くに位置しています。そこで、朝の入場券購入の前、ホテルから山を下って、ザクロの門を見ておくことにしました。
 
ザクロの門
門の上部に、天使とザクロの彫刻(王家の紋章)があるのでこの名が付いています。

  
アルカサバ                               トルレス・ベルメハスとアルカサバ

ザクロの門から森の中の道を上っていくと、左手上方には、アルハンブラ宮殿の最も古い部分であるアルカサバが見えてきます(左上写真)。今は森が生い茂っていて宮殿がよく見えません。イスラムの時代には森はなく、原っぱだったそうです。
登っていく右手に、出城であるトルレス・ベルメハスがあります。そこから、谷を隔てたアルカサバを眺めたのが右上写真です。

チケット売り場に到着しました。まだ販売開始の8時までは間がありますが、すでに長い行列ができています。2つの行列があり、一方は売り子から買う窓口、もう一方はマシンで購入する売り場です。マシンの側に並びました。
行列の先頭、まだ開いていないマシンを外から眺めたところ、3種類の色の違うマシンが並んでいます。それぞれ、販売するチケットが異なるようです。そこで娘に、われわれが購入する庭園のみのチケットがどのマシンで購入できるか、確認してもらいました。中央の緑のマシンがそれに該当するようです。そこで販売開始に先立ち、私はマシンの近くに待機することにしました。行列の大部分は宮殿込みのチケットを買う予定でしょうから、庭園のみのマシンは行列ができない可能性があるからです。
8時になり、チケット売り場がオープンしました。案の定、行列のすべての人は宮殿込みのチケットを売るマシンのみを利用し、緑のマシンは空いています。そこで近くの係員に「緑のマシンを使って良いか」と聞いてみました。係員はOKを出しましたが、「庭園のみでいいのか」と念を押されました。イエスと答えたのですが、その後さらに2回「本当に庭園のみでいいのか」と確認されました。朝8時から行列して、庭園のみのチケットを購入する人はいないのでしょう。
こうして、時間ロスなく、チケットを入手することができました。

アルハンブラ宮殿は、東西に三日月状に丘の上に位置しています。そしてその北側には、谷を隔ててヘネラリフェという別荘があります。アルハンブラ宮殿とヘネラリフェは、東の端でつながっています。本日の午前、まずはヘネラリフェを訪問します。購入したばかりの庭園のみチケットで入場です。

入場すると、北の方向に庭園が延びています。順繰りに庭園を眺めながら北に進みます(下の2枚の写真)。
 

西に目をやると、アルハンブラ宮殿の先端、アルカサバが朝日に映えいている(下2枚の写真)。





庭園A

 



ヘネラリフェの先端まで来ました。グラナダ市街がある谷を隔てて向こうの山が見えます。山頂の教会からこちらがわまで、城壁が健在だ。山頂の向こうにも城壁があります。写真でも一部が確認できます(下写真)。



上の写真は、ヘネラリフェ先端からの帰途で通過した庭園です。当時は気づかなかったのですが、この写真、上の庭園Aの写真と同じ建物の続きであることに後から気づきました。

  
こうして、ヘネラリフェの散策を終了しました。

ヘネラリフェの出入り口の近くが、アルハンブラ宮殿への入口です。


しばらく歩くと、"MUSEO ANGEL BARRIOS"の札が架かった小さな建物があります。中に入ると、上の写真のような部屋があります。どうもスチームバスのようです。天井の開口は、水蒸気の通り道でしょうか。2つの正方形を45度回転させて重ねた図形は、これからもちょくちょく目にしました。イスラムのアラベスクの典型図形なのでしょうか。

 
左上の写真は、城壁の外に突きだした、多分「7層の塔門」と呼ばれている部分です。これ以上近づくことはできません。
アルハンブラ宮殿の先端、北西端のアルカサバに辿り着きました(右上写真)。
ここからは、低地に広がるグラナダの街並みがよく見えます。左下写真を見ると、この街でも家屋がパティオを囲んで建てられていることがよくわかります。
右下写真は、谷を隔てて斜面に立ち並んだアルバイシンの街並みです。街の上の方、遙か彼方に大勢の人が見えます。サンニコラス展望台でしょう。
 


上の写真は、アルカサバ先端の、多分「夜警の塔」のてっぺんから、アルカサバの中庭方向を見た写真です。中庭といっても、イスラムの時代には現在見える土台の上に木造の兵舎や倉庫があったといいます。中庭の向こう、左側の塔はオメナーヘの塔、日本の城で言えば天守閣の役割だったそうです。中央は「割れた塔」でしょうか。
下の写真は、アルカサバ中庭の北側部分と、武具の塔門のあたりだと思います。



ここアルハンブラ宮殿の中に、レコンキスタでキリスト教徒が占領した後の建物が2つあります。そのうちの一つがカルロス5世宮殿です(上写真、大砲の向こうに見える建物が外観、下2枚の写真が内部)。地図で見ると、カルロス5世宮殿は図体がでかいです。中は円形の回廊になっているだけです(下写真)。
 

そうこうするうちに、時刻は3時近く、ナスル宮殿入館の予約時刻です。入口の行列に並びました。

バルタル宮?


バルタル宮から貴婦人の塔


貴婦人の塔


貴婦人の塔

 

 




ライオンの中庭

 


ライオンの泉(ライオンの中庭)


ライオンの中庭



 
サンタマリア教会

 
裁きの門
裁きの門(左上写真)は、入口の向かって右側が城壁です。当時の兵は、右手に剣を持ち、盾を左手に持っていました。裁きの門に攻め入ろうとしたとき、盾を持っていない右側の城壁の上から射かけられる、という寸法です。首尾良く門まで到達しても、内部がジグザグになっているので、一気に攻め入ることができません(右上写真)。

こうして、アルハンブラ宮殿の一日が終了しました。
 
夜になりました。ホテルの近くの出城(トルレスベルメハス)からは、宮殿の夜景ライトアップが見えるはずです。ということで行ってみました。コンデジでは、ライトアップ写真を撮るのが難しいです(左上写真)。右上写真は、トルレスベルメハスへ向かう小道です。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加