弁理士の日々

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習近平中国が台湾を武力併合!?

2017-01-15 20:32:31 | 歴史・社会
ついに習近平が本気の「台湾獲り」に動き出す 2期目の最大の目標は「中台統一」
近藤 大介 2017.01.10
『トランプ新政権は、第二次世界大戦後の歴代アメリカ政権のように「理念」ではなく、「実利」で行動するようになる。
・・・
アメリカ軍は徐々にアジアから引いていくだろう。・・・その代わり、アメリカ製の武器・兵器をどんどん買わせようとするだろう。そちらの方がアメリカ人の雇用が増えてアメリカが儲かるからだ。
・・・
私は、中でも一番リスクが高まるのは、台湾海峡だと見ている。その理由は、今年秋に2期目を迎える習近平政権が、2期目5年間の最大の目標として「台湾統一」を掲げ、本気で取りに来ると思われるからだ。』(近藤)

アメリカ時間の12月2日に、蔡英文総統がトランプ次期大統領に電話をかけて、大統領選勝利の祝意を述べたこは驚きでした。
米中が国交正常化交渉に入ったのは1972年ですが、それから7年後の1979年に、ようやく国交正常化を果たしました。7年もかかった理由は、「台湾をどう扱うか」というただ1点において、米中が合意できなかったからです。結局、「台湾独立を支持せず、中国が主張する『一つの中国』を尊重する」ということで落ち着きました。
現職大統領もしくは大統領当選者が、台湾総統と電話で話すなどということは、考えられなかったのです。(近藤より)

1996年3月に、台湾の李登輝総統が、初の台湾総統直接選挙を実施し、再選を狙いました。このとき中国は、台湾海峡に向かってミサイルを発射し、台湾を威嚇しました。これに対して米国は、台湾を救援するため、空母『ニミッツ』と『インディペンデンス』を台湾周辺に派遣しました。これだけで、このときの中国軍は撤退を余儀なくされたのでした。(近藤より)

このときの状況については、日経新聞の「私の履歴書」米ウィリアム・ペリー元国防長官の巻について、このブログで記事にしました(中国の「空母キラー」ミサイル)。
『あの事件以来、中国は海軍力の増強にまい進するようになっていった。そして、今、中国は南シナ海の南沙諸島だけでなく、東シナ海の尖閣諸島を巡っても領有権を主張。自国の海軍に所属する軍艦部隊を沖縄・宮古島周辺海域で堂々と航行させるなど日本と台湾の周辺海域で軍事プレゼンスを誇示している。』(2010年12月26日記事)

中国軍では2010年現在、「対艦弾道ミサイル(ASBM)」がほぼ完成してすでに部隊配置も始まっていたようです。ASBMとは中距離弾道ミサイル(DF21)を改造して、はるかかなたの洋上を航行する空母を攻撃できるようにした新兵器で、防御が難しいことから「空母キラー」とも呼ばれています。人工衛星から誘導するようです。
射程は1500キロを超えるということで、日本列島は沖縄を含めてすべてその範囲内に入り、グアムのアンダーセン基地のみがかろうじて射程から外れています。弾道ミサイルは迎撃が難しいと言われているようで、ということは、もはや米国空母は中国近海に進出することがきわめて危険であるということになります(中国の「空母キラー」ミサイル)。

1996年の事件の時、習近平は福州軍分区党委第一書記であり、台湾海峡の最前線で中国人民解放軍が台湾を威嚇する指揮を執った一人だったということです。
『以後、習近平は臥薪嘗胆してきた。習近平主席が誰よりも尊敬する毛沢東元主席がやり残した最大の事業が、台湾の統一である。「毛沢東の後継者」の意識が強い習近平主席は、「毛沢東の遺訓」である台湾統一を、常に胸に刻んでいるのである。』(近藤)

中国は、2005年3月に「反国家分裂法」を定めています。その第8条では、〈「台湾独立」の分裂勢力が、台湾の中国からの分裂の行動を起こした場合、・・・国家は平和的でない方式で、・・・国家主権と領土の完全な整備に死守しなければならない 〉と規定しています。蔡英文総統がトランプ次期大統領に電話したことを「分裂の行動」と捉えることも可能です。(近藤より)
習近平は、中国の国内法を根拠として、対外的政策を実行しますから、そこが恐ろしいところです。

実際に中国軍による台湾の武力統一は可能なのでしょうか。渡部悦和・元陸上自衛隊東部方面総監の「米中戦争シミュレーション 台湾紛争シナリオ」によると、台湾を巡って米中が全面戦争に突入したとしても、2017年の段階で、すでに中国軍が勝利してしまう可能性に言及しているのだそうです。また、中台戦争になってもアメリカ軍が台湾を助けないことを示唆しているといいます。(近藤より)

私は2年半前、「飯柴智亮著「2020年日本から米軍はいなくなる」」を記事にしました。
《はじめに》
『今回、飯芝氏の元米陸軍情報将校としての能力と、ミリタリー・アドバイザーのコネクションを駆使し、在日米軍が撤退する可能性とその時期について、米国内において、政府・軍関係者、および軍産複合体関係者に広く取材を敢行した。』
『台湾が中国のものになると、ドミノ倒しのように均衡が崩れていく。そのとき、米軍との戦力バランスは完璧に中国に傾く。習主席の中国は2020年頃に台湾を手に入れるだろう。
習主席は、台湾を取り戻して自国のものとして、さらに、かつて中国を侵略した日本に復讐し、アジア全域を支配下に置くという国家指針を持っている。
中国に空母が3隻揃うと、台湾に軍事侵攻を開始する。
2024年から2025年頃に、現在の練習空母遼寧に加えて、プラス2隻で、空母3隻体制が整う。』

上記のように、飯芝氏が米軍関係者から取材した予想では、習近平中国が武力で台湾を手に入れるのは、2020年頃、としていました。今回の近藤大介氏の評論によると、それよりも前倒しで、中国は台湾に対して武力行使を開始するかのようです。
別の報道によると、中国は2隻目、3隻目の空母をすでに建造中といいます。さらに、3隻目はカタパルトを装備している、とのことです。
飯柴智亮著「2020年日本から米軍はいなくなる」」によると、中国が台湾を武力で手に入れると、東アジアのバランスが崩れ、米軍の制空権が失われるので、沖縄の米軍は順次後方に下がるといいます。そのあと、日本周辺の抑止力は、まずは日本自身が有する防衛力によって確保せざるを得ません。そのような時期が、飯芝氏が預言したとおり、本当に2020年頃に到来するのでしょうか。
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群れる文化が巨木を枯らす

2017-01-09 01:03:02 | 趣味・読書
群れる文化が巨木を枯らす ─九州製鐡崩壊を目にして──
大久保健
文芸社
知り合いに紹介されて読んでみました。

東亜製鐵木更津製鐵所が舞台の小説です。東亜製鐵は、九州製鐵と北海道製鐵が1970年に合併してできた製鉄会社です。
木更津製鐵所の製鋼部には、♯2CC(第2連続鋳造設備)が建設され、1980年に操業を開始しました。小説は、♯2CCの計画、特徴、優れた品質を軸として進行します。それまで、連続鋳造設備は「湾曲型」といわれる形式がメインでしたが、♯2CCは「垂直曲げ型」を採用し、それによって従来にはない優れた品質の製品を実現しました。
主人公の秋山修は、1965年に九州製鐵に入社しました。八幡製鐵所のCC(連続鋳造)開発室を経て木更津製鐵所に転勤になり、♯2CCの計画と建設の立役者となります。

鋼の連続鋳造では、溶鋼が注入される鋳型の上端において、鋳型壁は垂直下方を向いています。湾曲型においては、鋳型部から半径10m程度の円弧になっており、鋳造された凝固シェルはその円弧に沿って下降し、下端で水平になったところで曲げ戻し矯正されて水平に向きます。
垂直曲げの場合、鋳型上端から下方に2~3mは垂直のまま直線状であり、そこで曲げ矯正されて半径10mの円弧となり、その後、水平になったところで曲げ戻し矯正される点は湾曲型と同様です。
このように、鋳型とその直下に垂直部を有しているか否かが、垂直曲げ型(VB:Vertical Bending)と湾曲型の違いです。

現実の千葉県の木更津市に木更津製鐵所は存在しません。木更津市の隣が君津市で、君津市には新日鐵住金の君津製鐵所が存在します。君津製鐵所は、新日鐵と住金との合併前は新日本製鐵君津製鐵所でした。新日本製鐵は、八幡製鐵と富士製鐵が1970年に合併してできた製鉄会社です。こうしてみると、小説の木更津製鐵所は、新日鐵住金の君津製鐵所をモデルとしていると考えてよさそうです。

新日本製鐵の連続鋳造設備(大型、板用)について、湾曲型から垂直曲げ型への変遷がどのようになされたか、調べてみました。
「連続鋳造技術の進展と今後の展望」(新日鐵技報2012)2ページに、新日鐵の主要連鋳機の主仕様一覧(表1)が掲載されています。建設時期、湾曲型から垂直曲げ型(VB)に改造した時期が記載されています。建設時期順に並べてみましょう。
         建設時期 VB改造時期
名古屋1CC 1970.11  2000.03
大分4CC  1976.03  1995.07
大分5CC  1976.08  1998.04
八幡2st  1979.04  2005.08
君津2CC  1980.03(最初からVB)
名古屋2CC 1980.11  1990.09
君津3CC  1982.01(最初からVB)
八幡3st  1982.12  1991.12
君津6CC  2006.11(最初からVB)

新日鐵の大型連鋳機は、君津2CC稼働前はすべて湾曲型であり、1980年に稼働開始した君津2CCが、新日鐵での初めての垂直曲げ型(VB)連鋳機であることがわかります。君津はその後、3CC、6CCといずれも垂直曲げ型で建設されますが、君津以外は、1980年以降も、湾曲型で建設されました。そして、1990年以降に次々と垂直曲げ型に改造され、現在ではすべての大型連鋳機が垂直曲げ型であることがわかります。
連続鋳造設備において、湾曲型から垂直曲げ型に変更するとどのようなメリットがあるのでしょうか。
上記「連続鋳造技術の進展と今後の展望」(新日鐵技報2012)の6ページには、以下のように記載されています。
『5.1.2 内部欠陥対策
 ブリキ材などは製缶する際,鋼材の厚みが0.1mm以下まで深絞りされるため,介在物の内部欠陥は厳格に管理しなくてはならない。連鋳工程ではタンディッシュはもちろんのこと,モールド内からも介在物を除去する必要がある。その対策の一つとして,垂直曲げ(以下VB)化が主流である。モールドから垂直部を約2~3m確保することで,モールド内に侵入した介在物を浮かせて系外に排出させる。』

こうしてみると、小説の木更津製鐵所♯2CCは、現実に存在する君津製鐵所の2CCがモデルであることがわかります。

ところで、1980年当時の新日鐵では、垂直曲げ連続鋳造設備は君津2CCが最初でしたが、日本全体で見ると、すでに垂直曲げ連続鋳造設備は存在していました。例えば、川崎製鉄(当時)千葉製鐵所のフェースト(voest)マシンです。調べてみたら以下の文献がありました。

「スラブ連鋳機の生産性と操業技術の進歩」(鉄と鋼1981年)7ページに掲載された図11は、湾曲型(千葉1号)と垂直曲げ型(千葉2号、水島4号)それぞれについて、鋳片内部に存在する大型介在物の密度を比較し、垂直曲げ型が圧倒的に優れている点が開示されています。別の文献(「連鋳鋳型内凝固におよぼす操業要因の影響」(鉄と鋼1981年)に、『垂直鋳込み遂次曲げ多点矯正型の千葉 2号機(VOEST社製,2ストランド)、円弧鋳込み2点矯正型の水島5号機(MANNESMANN社製, 2ストランド)』とあるように、千葉2号機はVOEST社製の垂直曲げ連続鋳造設備です。

「我が国における鋼の連続鋳造プロセスの開花と未来へのシーズ 」(鉄と鋼2014)には、
『我が国においては,1966年国光製鋼で湾曲型ブルーム連続鋳造機が稼働した。1967年には,大和製鋼と日本鋼管鶴見で湾曲型スラブ連続鋳造機が稼働した。湾曲型大型スラブ連続鋳造機は,急速に普及した。その後,品質要求の高度化にしたがって,まず厚板用スラブの介在物対策として,1974年に川崎製鉄千葉で,1976年に日本鋼管京浜でプログレッシブ型垂直曲げスラブ連続鋳造機が稼働した。その後,薄板用スラブの介在物対策として1980年代に多数のプログレッシブ型垂直曲げスラブ連続鋳造機が稼働し,主流となった。』
とあります。垂直曲げの千葉2号機は1974年に稼働したようです。

小説で描かれた木更津製鐵所♯2CC、現実の君津製鐵所2CC、いずれの計画・立ち上げも、今から35年以上も前、はるか昔に起きた出来事です。しかし、小説を読みながら回想すると、ついこの間の出来事のように思い出すことができます。1980年頃私は君津製鐵所で勤務していました。
また小説には、主人公の秋山修の友人として、谷本という人物が登場します。木更津製鐵所の人事室長を務め、その後、東亜製鐵の子会社のウエハー製造会社の社長を経て、2010年現在は弁護士を開業しています。私は、新日鐵の子会社のウェーハ製造会社(ニッテツ電子→シルトロニック)に9年間も勤務していましたから、この点でも奇遇でした。
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2017初詣

2017-01-08 00:15:17 | Weblog
今年も、元旦の初詣に出かけました。
今年元旦に参拝した神社は、渋谷の金王八幡宮です。渋谷駅から徒歩で向かいます。
神社に着いてみると、初詣の長い行列ができています。それも、なかなか進みません。ずいぶん行列で待たされて、参拝できたのは暗くなりかける時刻でした。われわれが到着したのも遅かったのですが・・・。行列のすぐ近くにポケモンGOのジムが2カ所建っていたので、待っている間はジムでの戦いに明け暮れました。
そんなことで、残念ながら神社の写真がありません。

7日(土曜)、散歩がてら、というかポケモンGOがてら、自宅近くの神社での初詣をしてきました。まずは、世田谷松原の菅原神社です(下写真)。
 
菅原神社まで来て、思い出したことがあります。去年の正月に購入した破魔矢を、神社のお焚き上げに奉納する役目を仰せつかっていたのでした。そこで、菅原神社から一度自宅に戻り、破魔矢を持ってあらためて和泉熊野神社へ出かけることにしました。
和泉熊野神社はわが家の氏神様です(下写真)。


なお、私のポケモンGOトレーナーレベルは現時点で30です。
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大田黒公園2016秋

2016-12-04 22:02:54 | 杉並世田谷散歩
荻窪、大田黒公園の紅葉の季節がやってきました。昨年の紅葉の様子については以下の記事にしました。
秋の太田黒公園(1)
秋の太田黒公園(2)

本年は、11月29日と12月2日の昼休みに訪問するとともに、今年はじめて、12月3日に夜のライトアップを見に行きました。ライトアップの期間は、11月25日(金)~12月4日(日)で、私が訪問したのは終了前日の土曜の夜でした。
紅葉の進み具合は、昨年の同時期とほぼ同じようです。

《11月29日 昼》




《12月2日 昼》






《12月3日 夜》
ライトアップ終了前日の土曜の夜ということで、入場している人の数は多かったです。園内の一部歩道では、人の渋滞も発生していました。しかし、以前経験した函館の夜景に比べればかわいいものです。ライトアップの写真撮影ではシャッター速度が遅くなるので、カメラぶれ対応が必要です。園内は三脚禁止ですので、手頃な樹木、置き石、手すりなどを利用してのカメラの固定に苦慮しました。












池の水面に、対岸の紅葉が映し出されています。




12月4日(日)の夜、家内と出かけて再度ライトアップを鑑賞しました。この日がライトアップの最後となるので、前日にも増した人出を予想していたのですが、案に相違して前日よりも少ない人出でした。

《明治天皇荻窪御小休所 11月29日》
大田黒公園からの帰り、明治天皇荻窪御小休所にも立ち寄りました。

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脳内物質の特性と日本人の気質

2016-11-13 11:48:36 | サイエンス・パソコン
11月12日の日経新聞に気になる記事が載りました。
「憲法と私 公布から70年」という連続もの?に脳科学者の中野信子さん(41)が「日本人気質、理解し議論を」という記事を載せています。

「脳内物質の特性からみると、日本には共同体意識が強く、よそ者や逸脱者を排除しようと攻撃する傾向の強い人が他国より多くいます。前例を覆したり、自ら意思決定したりすることを好まない遺伝的資質の人も多数派です。
集団になると、他人の顔色をうかがうあまり異論を言えなくなったり、逆に主張の強い人に引きずられて極端に過激になったりする現象が知られています。」

言われてみれば、「日本人の傾向」としては、確かにそのような傾向が感じられます。
そして中野氏によれば、そのような「日本人の傾向」は、脳内物質の特性によるというのです。そのような話を始めて聞いたので、びっくりしてしまいました。日本人に特有の脳内物質の特性とはどんなことなのでしょうか。

ネットで検索すると、主に中野氏の発言として引っかかってきました。
日本人はサッカーに向いてない?脳科学が解明する驚きの特性に原因が! 09/29/2014
(27日放送のテレビ東京『FOOT×BRAIN』「脳科学から看るサッカー上達法」脳科学者・中野信子氏が語る)
以下のような話が載っています。
《セロトニンの量と心配性》
セロトニンは、安心感をもたらし心身の安定に関与する神経伝達物質であり、将来の心配をしないで楽観的に物事をみたり挑戦していくという精神性の人、本番に強い人の脳の中でよく出ているといいます。
セロトニントランスポーターは、セロトニンの量を調節するタンパク質ですが、日本人はセロトニントランスポーターの機能が低く、セロトニン自体も少ない民族のため、心配性の人の割合が高いです。
心配性の人の割合は、欧米で45%以下、南アフリカは約28%なのに比べ、東アジアは約70%以上。特に日本は、約8割の人が心配性という”心配性大国”。

中野氏によると「人間の意思決定システムは、反射的に意思決定するXシステム(reflex)と、正確に計算して意思決定するCシステム(calculate)の2通りありますが、心配性な日本人は反射的に判断することにブレーキをかけ、正確性を最優先したCシステムに従おうとする。」といいます。

「世界で一番、準備や努力をする民族で、予測能力が高い」のも、日本人が一番貯蓄額が多いというのも、心配性によるものなのだそうです。
日本の鉄道が時刻表通りに運行されるのも同じです。

《ドーパミンと失敗を嫌う傾向》
日本人が失敗を嫌う理由は、「ドーパミンレセプターの機能が高いことにある」そうです。ドーパミンレセプター(受容体)は、神経細胞にありドーパミンと結合することによって情報を伝達します。受容体の機能が高いと満足しやすく(日本人)、低いと満足を感じにくく次々と刺激やリスクを求める(欧米人)ようになるといいます。
満足を感じにくい人の割合が、特に高い南米で40%、アジアは数パーセントで、日本人は1%未満なのだとか。そのため、チャレンジすることを嫌う、回避するという特性となり「日本人は、成功することが満足でなく、失敗しないことが満足」だそうです。
会議などで発言するチャンスを逃したり、自己主張出来ない人は典型的な日本人の脳で、南米の人は逆に「チャレンジしないことがストレス」になるのだとか。
---以上------

セレトニンと日本人の心配性、ドーパミンと日本人が失敗を嫌う傾向についてはわかりました。しかしこれでは、日経新聞の
「脳内物質の特性からみると、日本には共同体意識が強く、よそ者や逸脱者を排除しようと攻撃する傾向の強い人が他国より多くいます。前例を覆したり、自ら意思決定したりすることを好まない遺伝的資質の人も多数派です。
集団になると、他人の顔色を窺うあまり異論を言えなくなったり、逆に主張の強い人に引きずられて極端に過激になったりする現象が知られています。」
の説明にはなっていないように思われます。

また、「日本人はセロトニンが少ない民族」「日本人は心配性の割合が高い」というのは事実なのだと思いますが、ここでいう「心配性」というのはどのような評価なのか、セロトニンの多寡と直接関係している評価パラメーターなのか、という点が不明でした。

ネットで検索しても、中野信子氏の発言しか出てきません。まだ、中野氏のみが唱える少数意見に止まっているのでしょうか。

「本番に弱い」という点はうなずけます。私は、ピアノ発表会で演奏すると、普段の演奏の半分ぐらいの力しか発揮できません。「本番に弱い」です。恐らく、セロトニンの量が少ないのでしょうね。

ps 11/12 以下の記事を見つけました。やはり中野信子さんです。
◯脳のはなし#88 中野信子 #45 「インターネットの悪いところと、脳に与える影響」 #tbsradio #中野信子 2016年11月12日10:06
『オキシトシンの良い面と悪い面
日本人のマインドは、郷土意識が強い。「みんなと一緒」だということを心地よく感じる民族。共同体意識がとても強い。これはオキシトシンの良い面の表れ。オキシトシンの良い面は、仲間意識を強める効果。
逆に「炎上」は悪い面の表れ。オキシトシンの悪い面は、仲間ではない人を排除することを強める作用。
ネットはその両面が顕著に見える。』
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ポケモンGOハロウィンイベント

2016-11-04 21:47:54 | 趣味・読書
10月26日から11月2日まで、ポケモンGOはハロウィンイベント期間でした。
この期間、普段と何が違うかというと、
(1)出現するボケモンが、普段出ない、ゴース、ゴースト、スリープ、スリーパー、カリカリ、ガリガリなどによって席巻されるのです。特にゴースの出現頻度が高かったです。
(2)特定のポケモンを同伴して歩くと、一定距離(1km、3km、5km)歩く毎にそのポケモンのアメがもらえるのですが、イベント期間中は、一定の距離が1/4に短くなります。
(3)諸々の場面でもらえる点数が普段より増加します。

上記(1)のおかげで、今まで入手できなかったポケモンをだいぶゲットできました。ゴースト、ゴーストの進化形であるゲンガー、スリーパーなどです。

ピカチュウは、ピカチュウのアメを50個持っていると、ライチュウに進化させることができます。私は、ピカチュウを6匹とピカチュウのアメ46個を持っていました。アメが足りません。それまでは、7匹目のピカチュウが孵化で生まれるのを待っていました。
そこでイベント中の上記(2)です。それまではラプラスを同伴していましたが、ある日の夜、同伴ポケモンをピカチュウに変えました。普段であれば同伴して1km歩くとピカチュウのアメが1個もらえます。ということは、イベント期間中であれば、1km歩くと4個のアメがもらえるというわけです。ピカチュウを同伴し、家のまわりをぐるっと一回りしてきました。あっという間にピカチュウのアメが50個となり、その日のうちにライチュウを進化でゲットできました。

そのあとは、ゼニガメを同伴してゼニガメのアメをゲットし、アメが125個になったところで2段進化させてガメックスをゲットしました。さらには同伴をディグダに代え、ダグトリオを進化でゲット、同伴をイシツブテに代え、2段進化でゴローニャをゲット、同伴をシェルダーに代え、進化でパルシェンをゲット、同伴をビリリダマに代え、進化でマルマインをゲットです。「進化ゲットまであと一歩」であったポケモンの大部分を、こうして獲得することができました。

また、イベント期間中、10kmたまごの孵化でベロリンガ、イワーク、3匹目のプテラが生まれました。イベント中の特典として、一緒にもらえるアメの数が多く、ベロリンガは42個、イワークは32個のアメと一緒でした。

こうして、ポケモンGOのハロウィンイベントは終了しました。
期間中はどこへ行ってもゴースに席巻されていましたが、普段の平和な世界に戻っています。期間中はどこかに隠れていた、オニスズメ、トサキント、クラブ、ヒトデマンなどに出会い、ホッとしました。

そして本日(4日)、私のトレーナーレベルが25から26にアップしました。
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電波法改正の思い出

2016-10-30 15:04:14 | 趣味・読書
私は、1990年に三級アマチュア無線技士資格を取得し、1991年にアマチュア無線局を開設しました。当時は山口県に在住していたので、コールサインは
JJ4MGJ
でした(現在はJI1RMW)。当時のアマチュア無線活動について、最近記事にしました

その当時、パソコン通信にもはまっていました。Nifty-serveの中の各種のフォーラムから、自分が興味を持つフォーラムを見つけ、会議室の中で議論を展開していました。
その中に、アマチュア無線フォーラム(FHAM)があり、そこにも出没していました。

ある日、FHAMの会議室に重い発言がアップされました。1992年頃と思います。
当時、アマチュア無線で個人の無線局を開局するためには、本人が日本国籍を有していることが必要でした。在日外国人の方は、無線従事者免許を持っていても、自分の無線局を開局できなかったのです。
その重い発言の主は、在日外国人の方で、日本に永住しているのに、個人でアマチュア無線局が開局できないのは不当ではないか、という趣旨でした。
その発言の重さに、しばらく会議室は沈黙に支配されました。私はその沈黙に堪えられず、一方で特にその問題に意見も持っていなかったのですが、取りあえず感想をアップしました。その後、問題意識を持っている別のメンバーから発言が相次ぎました。そしてその会議室での議論として、「われわれでできることを何とか始めようではないか」という方向に進みました。
問題が問題ですので、オープンな会議室で具体的な相談をすることも躊躇されます。アクティブ会員の一人が、Nifty-serveの中にこの問題のみを扱うプライベート会議室を開設してくれ、その後はこのプライベート会議室で相談が進みました。
主要な政党に法改正を働きかけようというのです。

まずは、各国において、外国籍の人に対してアマチュア無線局開局を認めているかどうか、調査することから始めました。分担して、各国のアマチュア無線連盟に手紙を出したと思います。返事が返ってくる国、返ってこない国などあったでしょうか。

その次に、各政党に送る要望の文面作成に入りました。文面ができあがったところで、各政党宛に郵送で発送しました。私は、知り合いの衆議院議員にも同じ手紙を発送しました。
しかし、どこからも何の反応もありませんでした。

その後、私は1993年の初めから弁理士試験の挑戦に入りました。勉強の邪魔になることはすべて排除です。Nifty-serveについては、弁理士受験会議室があるFLICのみにアクセスし、FHAMには入りません。自分で「FHAM絶ち」と名付けました。
その結果、アマチュア無線周辺の動きは全く入ってこなくなりました。

1993年のある日、わが家に大型封筒で郵便が届きました。差出人は公明党です。中には、以下の内容の手紙が入っていました。
「郵政省が国会に電波法改正案を提出した。改正電波法によると、アマチュア無線局の国籍条項が廃止され、日本国籍がなくても個人の無線局開局が可能になる。
皆さんの要望がそのまま実現する法案が内閣から提出されたことにびっくりしている。皆さんの熱意が届いたのかもしれない。」(だったと思う)
びっくり仰天です。

あわててFHAMにアクセスしてみると、一緒に活動した仲間は皆そのことを知っていました。
そして、電波法改正を記念して、仲間たちでアマチュア無線交信を行うことになりました。私のログブックを確認すると、1993年の7月17日に、JH2DBQさんとの交信記録が載っています。QSLカードも実在します。
私の送受信機は21MHz単一であり、山口県からこの周波数で交信すると、電離層で反射して届く最短は北海道付近です。それより近くでは、電波が電離層を突き抜けてしまって相手に届きません。東海地方にある相手のアンテナがよっぽど高性能だったのでしょう。何とか交信することができました。

それにしても、われわれが各政党にお願いの手紙を出したその直後に、郵政省が結果的にその願いを聞いてくれたわけです。単なる偶然でしょうか。
私は、私が手紙を出した衆議院議員が、郵政省に連絡してくれたに違いない、と信じているところです。その衆議院議員も亡くなってしまい、確認するすべを失いましたが。

ネットによると、アマチュア無線の国籍条項が廃止されたのは1994年4月、とありますので、1993年に国会で可決成立して1994年4月に施行されたのでしょう。

電波法改正の思い出でした。
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ダイソンDC12新聞記事

2016-10-26 21:35:28 | Weblog
このブログでは、2009年から2010年にかけて、ダイソンのDC12について3回にわたって記事にしてきました。
ダイソンの掃除機(2009-11-17)
ダイソンのDC12が大変なことに(2010-05-28)
ダイソンDC12~最終章(2010-08-10)

この中で、「ダイソンのDC12が大変なことに」では、2010年5月26日の朝日新聞記事を取り上げました。
ダイソン掃除機やけど続発 電源コード交換9万4千台
2010年5月26日16時21分 asahi.com
『英国メーカーのダイソンのサイクロン式掃除機「DC12」でやけど事故が多発している問題で、同社が販売台数の約1割にあたる9万4千台について、原因の電源コードを無償交換していることがわかった。コードの異常の訴えがあった1万6千台に加え、別のパーツの修理依頼があったものも含んでいる。』
記事によると、この掃除機は2004年6月に販売が始まり、これまでに約95万台売れています。コードの差し込みプラグ付近が断線して火花や煙が出たり、プラグが過熱したりする事故が07年6月以降に26件起き、24人が指などに軽いやけどをしたとのことです。
同社はこれまでにコードの異常の訴えがあった1万6700台についてコードの無償交換に応じたほか、別のパーツの修理依頼があった7万7800台についてもコードの無償交換を同時に実施しているのですね。
この機種の実に1割が何らかの故障でメーカーに送り返されている、というのもすごいです。
『ただ、全使用者を対象としたリコールは実施していない。「コードを無理に引っ張ったりねじ曲げたりしたためで、正しく使えば事故は防げる」とし、「あえて混乱させないように、使用者に対して事前の交換の呼びかけはしない」としている。』
『経済産業省によると、サイクロン式などの大出力掃除機で、配電電圧を海外仕様(230ボルト)から日本仕様(100ボルト)に変更した製品は、コードに流れる電流が約2倍、発熱量は約5倍になり、被覆が熱で軟らかくなりやすく、断線しやすいという。』

その後、新聞記事を朝日新聞サイトで確認することができず、上記記事が本当に新聞に掲載されたのか、確認の手段がなくなりました。ネット上では、私の上記ブログ記事が捏造ではないか、との意見さえ出ているようです。

私の職場の近所には杉並区立中央図書館があります。そこである日の昼休み、中央図書館へ出かけ、この新聞記事が入手できるか調べてみました。
縮刷を簡単に見つけることができました。

文章に一部不一致がありますが、基本的には私のブログで抜粋した記事がそのまま新聞記事であることを確認できました。
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伊藤祐靖著「国のために死ねるか」(2)

2016-10-23 14:16:20 | 歴史・社会
199年に、能登半島沖で発生した北朝鮮不審船事件(北朝鮮の工作船に対し、海上自衛隊の自衛艦に海上警備行動が発令され、海上自衛官が立ち入り検査しようとした)について、記事にしてきました。
1999年能登半島沖不審船事件」では、事件直後の文藝春秋誌に掲載された記事から、事件を振り返りました。そして『伊藤祐靖著「国のために死ねるか」(1)』では、下記の著書から、イージス艦「みょうこう」による海上警備行動の一部始終を追いかけました。

伊藤祐靖著「国のために死ねるか 自衛隊「特殊部隊」創設者の思想と行動 (文春新書)

伊藤祐靖著「国のために死ねるか」(1)』に記載したように、立ち入り検査員に任命された自衛官たちは、船乗りであって、近接戦闘の訓練を受けたこともありません。政治家である防衛庁長官から「海上警備行動」が発令されたからには、たとえ訓練されていなくても、重武装しているであろう北朝鮮工作船に、軽武装で立ち向かわなくてはなりません。かれらは“わたくし”というものを捨てきって、最後に残った願いは公への奉仕でした。

伊藤氏は、そのようなかれらが出動しようとするのを見送りながら、「彼らは向いていない」と思っていました。向いている者は他にいる。
『立入検査隊員の彼らは、自分の死を受け入れるだけで精一杯だった。任務をどうやって達成するかまで考えていない。しかし、世の中には、「まあ、死ぬのはしょうがないとして、いかに任務を達成するかを考えよう」という者がいる。この任務は、そういう特別な人生観の持ち主を選抜し、特別な武器を持たせ、特別な訓練をさせて実施すべきであって、向いていない彼らを行かせるのは間違っている。・・・
向いていない者にこの厳しい任務を強いるのは、日本国として、これを最後にしなければならない。そのために日本は、特殊部隊を創設すべきだ。創設は私の責務だ、と強く思った。』

日本初の特殊部隊である海上自衛隊の「特別警備隊」は、この能登半島沖不審船事件を契機として、2001年に創設されたとのことです。伊藤氏も、自ら強く希望し、特別警備隊の創隊に関わることになります。足かけ8年を先任小隊長として勤務しました。
任命された初代指揮官である一等海佐(海軍大佐)も、伊藤氏も、特殊部隊については何も知りません。そのような中で、隊員を集め、1年間で教育訓練を行い、2年後には実戦配備するというのです。

初代指揮官は、「何をやるにしろ、自分が納得する作戦行動に直結した理由の説明」を求めました。そして、自分が納得したら、誰でも首を縦にふる理屈を考えてくれる、というのです。これは、従来の自衛隊とまるで異なる発想であり、伊藤氏が日本初の特殊部隊を形成する上で大きな力になりました。

特別警備隊員の選抜が始まりました。肉体的基準は当然に厳しいとして、それとは別に、この部隊への配属を熱望していることが条件でした。結果的にはだいぶ変な者たちが集まりました。海上自衛隊のはみ出し者を全部かき集めてきて、肉体的基準を突破した者だけが残ったような感じでした。
『具体的に彼らの何が変かといえば、要は、指示や命令に黙って従うタイプではないのだ。よく解釈すれば、自分がやることには納得した上でやりたいタイプ。悪く解釈すれば、文句の多いわがままな者たちだった。』
伊藤氏は、かれらに頼もしさを感じていました。それが、特殊部隊員として当たり前の姿勢だからです。残念ながら、自衛隊という組織には、合理的な判断を極端に嫌う傾向がありました。
このような集団でしたが、隊員同士のトラブルは皆無でした。

以下、特別警備隊に関して、印象に残った記述を列挙します。
○訓練には二種類あることが判ってきた。実施頻度が少しでも低くなるとすぐに技量が落ちてしまうものと、一旦修得しさえすれば技量が落ちないものがある。すぐに技量が落ちてしまうものは、拳銃の射撃精度と体力だった。射撃訓練では通常の海上自衛官が一生かかって撃つくらいの弾数を一日で撃ったし、それを毎日繰り返した。
○筋肉そのものをつけ過ぎないようにした。筋肉はより多くの酸素を必要とするからである。
○実際に米海軍特殊部隊を見たとき、個人の技量は目を疑うほどの低レベルだった。
○某国(多分英国)の特殊部隊員は、プロフェッショナリズムを強く感じさせた。
○特殊部隊の文化は、陸軍の文化である。海上自衛隊の中に特殊部隊を創るというのは、海軍の中に陸軍を創るようなもので、この文化の違いというのが、非常にやっかいだった。
○陸軍と海軍の違いは、大きく2つ、意思疎通の手法の違いと、意志決定のシステムの違いである。
海軍は、意思疎通を図るための努力を通信に傾注してきた。一方陸軍は、意思疎通がとれない場合が多いので、作戦行動中に状況が大きく変化したとき、現地部隊は指揮官の意に沿うように判断ができるよう「任務分析」を行う。
乗り物に乗って戦闘をする海軍では、意志決定をするのは艦長、機長一人であり、その他の者は艦長の目、耳、指先のようなものだ。対して陸軍の個人で行う戦闘では、すべて一人の人間が自分の責任で行う。
海上自衛隊の指揮官は、特殊部隊に対して「状況、知らせ」が口癖だった。一方、陸上自衛隊と共同訓練をした時、伊藤氏に状況を聞いてきた高級幹部は一人もいなかった。その理由を聞いたところ「始まってしまったら、現場の指揮官に自由裁量の余地を少しでも多く与えること、現場指揮に専念できる環境を整えてやること、これが僕の仕事だからね」
○伊藤氏は、訓練中に部隊全滅を覚悟したことが2回あり、いずれも、山中で低体温症に直面した時だった。そのとき伊藤氏は、陸上自衛隊のX氏から指摘された。伊藤氏らの訓練で足りないのは「自然に対する驕りです。人間は、自然には絶対に勝てません。あと、体力の温存に関する感覚の違いですかね。」

○日本という国は、トップのレベルに特出したものがない一方、ボトムのレベルが他国に比べると非常に高い。自衛隊については、兵隊や下士官は他国に比べて極めて優秀である。

○特殊戦教育を終え、実戦配備に就けたとき、仲間から「あいつとは、一緒に行かない」と言われてしまう者が出てくる。戦闘行動の真っ最中に、仲間同士での意思疎通が突然とれなくなってしまうのだ。
伊藤氏は、将来的に仲間からはじかれてしまう隊員は、精神的ストレスをかけるとギブアップする、と考えた。そして、隊員選考テストの中に、一週間の精神的ストレスをかけ続けるテストを導入した。このテストがあるため、脱落者が多く、いつまでたっても定員に満たなかった。

当初、伊藤氏は米海軍特殊部隊(SEALs)へ留学する構想でしたが、米海軍が秘密保持を理由として拒否したために行きませんでした。もし留学していたら、米国で実施されている方法の模倣になってしまったといいます。そして伊藤氏は、「米国海軍の特殊部隊は低レベルである」と判定しました。
私はこのブログで、マークボウデン著「ブラックホークダウン」について記事にしました()。これは1993年10月3日にソマリアの首都モガディシュで起きた戦闘の記録です。当時、ソマリア内戦が泥沼化しており、戦争による難民の飢餓が国際的な課題となっていました。国連は食糧援助のためPKOによる軍事的介入を行いました。
国連と米軍に抵抗する最大武装勢力はアイディド派でした。米軍は、アイディド派の幹部二人がモガディッシュの中心部のある建物で会合するという情報をつかみました。そこで米軍は、真っ昼間にヘリコプターでこの建物を急襲し、幹部二人を拘束・拉致しようと企てるのです。この作戦で、米軍の特殊部隊であるデルタフォースと、おなじく米軍のレインジャー部隊が共同作戦を行います。ブラックホークヘリコプター搭乗したデルタフォース部隊が目標の建物にロープ降下して敵を急襲し、目標の幹部二人を拘束します。別のブラックホークヘリコプター4機にそれぞれレインジャー部隊が搭乗し、建物の周辺4箇所にロープ降下し、防御陣地を構築します。それと同時にハンヴィーとトラックからなる車列が米軍基地を出発して目標の建物に到着し、拘束した敵幹部を乗せて基地に帰還する、というのです。
デルタフォースとレインジャー部隊の共同作戦といっても、役割分担が異なり、異なった位置に配置されています。
ところが、米軍のブラックホークが現地で墜落し、計画が狂います。各戦闘員が墜落したヘリコプターを目指し、デルタフォースとレインジャー部隊は混在して行動することになりました。そしてその過程で、レインジャー部隊隊員は、はじめてデルタフォースの実力を目の当たりにするのです。その結果、謎に包まれていたデルタフォースの実力が語られることになりました。
デルタフォースの実力は凄まじいものでした。まわり中からソマリア人の銃撃を受けても米兵にはなかなかあたりませんが、デルタのメンバーが発砲すると百発百中のようです。
また、部隊で作戦計画を発令する雰囲気も、デルタフォースとレインジャー部隊では異なっていました。レインジャー部隊では、指揮官が計画を説明すると隊員は「了解」するだけです。ところがデルタフォースでは、隊員から反対意見が出され、議論が始まるというのです。
伊藤氏が特殊部隊のあるべき姿として語っているのは、デルタフォースのやりかたです。伊藤氏は、米国海軍のシールズと接した結果として、米国の特殊部隊はたいしたことない、と評価していますが、デルタはひょっとすると異なるかもしれません。
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