ちょっと前の日経新聞の私の履歴書は、北杜夫の巻でした。
興味を持って読んだのに内容のほとんどを忘れてしまったのは例の如くですが、1点だけ気になったことがあります。
連載の中で奥さんについて触れた文章がほとんどなく、結婚のいきさつについて簡単に触れた後は、奥さんの悪口が一箇所登場したのみでした。「結婚した当初は慎ましく穏やかだったのに、何であんなに猛々しくなれるのだろう」といったような表現だったと思います。一体どんな奥さんなんだろう、と気になっていました。
先日、ブックマートをのぞいたところ、北杜夫著「マンボウ恐妻記」が目に触れたので、さっそく購入して読んでみました。
結論からいうと、この夫婦の関係というのは、北杜夫氏の躁鬱病が原因で実にひどい行状があり、これに対してよく奥さんが我慢したものだ、ということのようです。
躁鬱病において、鬱状態というのは、本人は絶望のどん底に陥り、大変辛い目に遭うわけですが、周りにはそれほど迷惑をかけません。それに対して躁状態になると、本人は並はずれて活動的になり、やりたいと思いついたことは何でもはじめてしまうし、気に入らないことがあると突然すごい剣幕で怒鳴りつけたりするので、周りには大迷惑となるのです。
北氏がはじめて躁状態になったのは41歳の時でした。奥さんは10歳年下ですから、31歳ということですね。それ以来、躁状態のときは、奥さんを見れば「バカヤロウ!」と怒鳴って叱りとばし、言いがかりをつけて難詰します。奥さんが言い訳をすれば、北氏の怒りはさらに高まり、いっそう怒鳴り声が大きくなります。
40代後半の躁状態のときには、ついに株に熱中しはじめます。まずは本格的な映画を作ろうと思い立ち、そうなると金がいるから、株でその金をつくろうと思い立ったのです。株式市場が開いている間中、ラジオの短波放送にかじりついて電話で売り買いを指示します。当然のこととして損が積み上がり、出版社から前借りし、銀行から借金し、自分の母親から借金し、佐藤愛子さんからも五百万円を借ります。税金も払えません。
いよいよ金策に行き詰まったときに中南米に1ヶ月取材する旅行があり、それを潮にほとんどの株を手放します。たまたま新潮社から北杜夫氏の全集が刊行され、その収入で前借りも返すことができましたが、完全に無一文になったとのことです。
北氏の奥さんは、このような状況に耐え、やりくりを一手に引き受けて何とか北家の経済を維持し続けたのですから、猛々しくならなければ続かなかったでしょう。北家の財布を奥さんが取り上げて北氏にはお小遣いしか渡さなかったとしても当然です。北氏が「これでは禁治産者だ」と嘆いても身から出た錆です。
北氏もいい気なもので、「私が株を売買しているときに羽交い締めにされ、前後に揺すぶられた」ことを「暴力だ」と非難します。また、「自分は大声で怒鳴り散らすけれど妻に対して手を上げたことがない」と自慢げに書いています。北氏の父である斎藤茂吉は、奥さんが少しでも口答えすると殴り倒していたらしく、それと比較しているのですからめちゃくちゃです。
北氏は、奥さんからやりこめられると、直接には反抗できないのでエッセイで奥さんの悪口を書いて憂さを晴らしているようです。
以上のような状況のようです。
北氏は奥さんの悪口を書き続けますが、「ところが、私たち夫婦を知っている先輩や友人たちは、ことごとく私を非難し、妻の味方をするのである。しかも、『もし奥さんがいなかったら、北君はとうに破滅しているだろう』などと口をそろえて言うので、私は悔しくてたまらない」となります。
文庫本の題名は「マンボウ恐妻記」ですが、単行本は「マンボウ愛妻記」だったようです。こちらが北氏の本音かもしれません。
もし「私の履歴書」で奥さんについてさらに書いていたら、きっと奥さんの悪口がぞろぞろ出てしまうので、自重したというところでしょうか。