ミスター円こと榊原英資氏は元・大蔵省財務官です。榊原さんが活躍していた当時、「財務官という職位があるのか」と思いつつ、どんな人がなってどんな仕事をする職位なのか、知らずにいました。
日経新聞・私の履歴書で、行天豊雄氏が10月18日、財務官について書いています。
「英語で『国際問題担当次官』と訳される財務官制度ができたのは68年6月。柏木雄介さんが初代だ。国際派である柏木さんを遇するために、財務官のポストが新設されたという方が正確かもしれない。」
「中国・大連に生まれ、ニューヨークで育ち、外交官試験にも合格した柏木さんは、掛け値なしの国際人だった。欧米人には『柏木は自分たちの仲間だ』『話の分かる人間だ』と思われていた。私が海外の金融界の人たちと会っても、話題に上る日本人は柏木さんだけだった。84年には世界の主要銀行のトップが集まる国際金融会議(IMC)でも日本人初の議長を務めた。」
「次官」と名が付くからには、大蔵次官と同格だったのでしょうか。そうだとしたら、ニクソンショックの折、鳩山威一郎大蔵次官が柏木財務官に遠慮しがちだったのもわかるような気がします。でもあのときは柏木氏は財務官をやめて顧問でしたね。しかし大蔵次官のその遠慮と、柏木元財務官の自信過剰が、ニクソンショックへの対応を誤る元だったように思います。
柏木さんのためにできたという財務官制度が、現在まで続いているわけです。意味があるから続いているのか、一度手にした既得権を保持するために続いているのか、行天さんの「私の履歴書」を今後とも注目することにしましょう。
日経新聞・私の履歴書で、行天豊雄氏が10月18日、財務官について書いています。
「英語で『国際問題担当次官』と訳される財務官制度ができたのは68年6月。柏木雄介さんが初代だ。国際派である柏木さんを遇するために、財務官のポストが新設されたという方が正確かもしれない。」
「中国・大連に生まれ、ニューヨークで育ち、外交官試験にも合格した柏木さんは、掛け値なしの国際人だった。欧米人には『柏木は自分たちの仲間だ』『話の分かる人間だ』と思われていた。私が海外の金融界の人たちと会っても、話題に上る日本人は柏木さんだけだった。84年には世界の主要銀行のトップが集まる国際金融会議(IMC)でも日本人初の議長を務めた。」
「次官」と名が付くからには、大蔵次官と同格だったのでしょうか。そうだとしたら、ニクソンショックの折、鳩山威一郎大蔵次官が柏木財務官に遠慮しがちだったのもわかるような気がします。でもあのときは柏木氏は財務官をやめて顧問でしたね。しかし大蔵次官のその遠慮と、柏木元財務官の自信過剰が、ニクソンショックへの対応を誤る元だったように思います。
柏木さんのためにできたという財務官制度が、現在まで続いているわけです。意味があるから続いているのか、一度手にした既得権を保持するために続いているのか、行天さんの「私の履歴書」を今後とも注目することにしましょう。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます