弁理士の日々

特許事務所で働く弁理士が、日常を語ります。

丸亀製麺と麺通団団長

2019-09-22 12:45:15 | 趣味・読書
丸亀製麺が話題になっていますね。例えば、
香川県民からも怒り!「丸亀製麺」が“文化の盗用”と大炎上した根本原因
『讃岐うどんブームの仕掛け人集団「麺通団」の団長が「讃岐うどん巡りブームの歴史のウソを全国ネットで広められるのは非常に不本意だ」と、うどんチェーンの「丸亀製麺」に苦言を呈したブログがツイッター上で拡散し、トレンド入りするなど大きな話題となった。』

私も、ずいぶん前ですがさぬきうどんブームに興味を持ち、麺通団の田尾団長の書籍を中心に調べてこのブログにも記事をアップした経緯があります。
讃岐うどん 2008-11-24
麺通団「恐るべきさぬきうどん」 2008-12-25
「恐るべきさぬきうどん」その後 2008-12-31
田尾和俊「団長の事件簿」 2009-01-07

そのようないきさつもあり、「丸亀製麺」という社名を最初に目にしたときにさっそく調べてみて、この会社が香川県丸亀市とは関係がなさそうなことは確認していました。「何と紛らわしい」とは思いましたが、そのままにしていました。
その後、丸亀製麺は全国チェーンを急速に拡大してきたようです。

私が直接見聞した讃岐うどんに関する知識は、私が2008年に高松を最初に訪れたときの以下の記事(讃岐うどん)とおりです。
--208年記事------------------------
『(2008年)11月はじめの連休で高松を訪問しました。高松といえば讃岐うどんです。
高松市内の某所を訪問したときに、窓口の女性に讃岐うどんのおいしい店を紹介してもらいました。「高松市内にはいい店がない」という答えでしたが、2店を紹介してくれました。こんぴらや兵庫店竹清(ちくせい)です。
しかし竹清は土日(祝日除く)定休で営業時間は11:00~14:30、こんぴらやは日曜定休で営業時間は19時までです。ときは土曜の18時過ぎ。今からだったら急いでこんぴらやへ行くしかありません。
こんぴらやは、高松市街中心のアーケードにありました。
 
こんぴらや               さぬき麺業

こんぴらやを外から覗くと、何だかセルフサービスの小さな店です。その隣にさぬき麺業という店がありました。ちゃんとした椅子席です。今回はそちらに入ることにしました。

翌日、別の訪問先に行ったら、「さぬきうどんの作り方」という本が置いてありました。開いてみると、昨日のさぬき麺業も編集に加わっています。釜あげうどんの由来が書いてありました。
本場さぬきうどんの作り方
香川県生麺事業協同組合
旭屋出版

このアイテムの詳細を見る

この本には、讃岐うどんに特有の「セルフ」についての説明があるとともに、竹清が1ページをかけて紹介されていました。
「セルフ型うどん店」では、かけうどんが一玉150円前後と激安です。そのうどんを、客が自分で湯の中に漬けて温めるのです。また山積みされている天ぷらの中から欲しいものを選び、代金を支払い、最後に自分でどんぶりの中につゆ(讃岐うどんでは「だし」という。)をかけてできあがりです。
こうなったのは、香川県のうどん店の多くが製麺所から生まれたという独特の理由によります。うどん玉を卸す製麺所が工場のそばでお客の注文に応じてセルフスタイルで売り始めたため、普通の飲食店よりはるかに安い売値がつけられました。

旅行から帰ってしばらくして、朝のテレビ番組を見ていたら、かばちゃんと女子アナが讃岐うどんを食べる、という番組を放送していました。3軒のうどんやを廻りましたが、いずれも山の中や田畑のど真ん中にある店でした。あばら屋のような建物で営業しています。われわれが不動産屋で讃岐うどんの店を紹介してもらったとき、「高松市内にはあまりない」ということでしたが、このテレビ番組で紹介されたような店が、地元の人にとって「おいしい店」なのでしょう。』
--208年記事終わり------------------------

香川県内の各地には多くの小さなうどん屋が散在し(全部で700軒ほどだとか(2008年現在))、その土地の人たちが日常に利用しているようです。そしてその中には、香川のうどん好きの人たちがうなるようなおいしいうどん屋が存在し、それがまた近くを通ってもうどん屋だとわからないようなへんてこな店が多いといいます。

実は、高松に住む麺通団の田尾団長ですら、香川県内の田舎でひっそりと営業し、絶品のさぬきうどんを提供する「怪しいうどんや」の存在を知りませんでした。タウン誌の編集長をしていたときに知り、びっくり仰天し、その後の田尾団長の活動により、「怪しいうどんや」が全国にブームを巻き起こしたのです。

私が実際に高松で見聞した知識、および田尾団長の話を総合すると、香川県内のうどんやのすべてが絶品のうどんを提供するわけではなく、ごくわずかなディープな店が、絶品のうどんを提供しているようです。

さて、丸亀製麺です。そこに今回の騒動です。久しぶりに、麺通団公式ウェブサイト団長日記をチェックしてみました。2019年9月14日(土)の記事ですね。
丸亀製麺が、普通のさぬきうどん提供を謳っている限りであれば、会社名が丸亀製麺であって、会社所在地や社長の出身が香川でなくても、田尾団長は問題にしなかったでしょう。
問題は、丸亀製麺の社長が、大手テレビ会社の番組で、「自分たちが提供するさぬきうどんは、ディープなさぬきうどんの文化を継承してつくられたものである」趣旨の内容を語ったことにあるようです。

今回の騒動後、「丸亀製麺を擁護する発言も多い」とされています。「他店では質の悪いうどんが提供されて問題となっており、それと比較すれば丸亀製麺は良心的」「丸亀市のPRになっているのでありがたい」などなど。たぶんいずれも、そのとおりでしょう。
麺通団団長が声を上げたのは、丸亀製麺社長が「自分たちはディープなさぬきうどんの文化を継承している」趣旨をマスコミで発言し、その内容が「本当のディープなさぬきうどん」から乖離している、と見たからでしょう。

そもそも「さぬきうどん」について、香川の田尾団長のようなディープなファンが「うまい」というさぬきうどんと、県外の一般人が「讃岐うどんを食べた」と感じるうどんとの間には隔たりがあります。
書籍「恐るべきさぬきうどん」のどこかで読んだのですが、田尾団長が県外(本州)の客をうどん屋でもてなしたとき、出てきたうどんが柔らかめで団長は内心「なんじゃこりゃ」と焦ったのですが、客人は「さすがに讃岐うどんは硬めでおいしいですね」と感想を述べたそうです。
丸亀製麺も、香川県外の人たち向けに一般受けする「讃岐うどん」を(能書きをのたまわずに)提供している限り、何も問題はなかったでしょう。
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J-PlatPatダウンロード公報の上付き下付き文字の表示

2019-09-17 20:51:55 | 知的財産権
最近、特許情報プラットフォーム|J-PlatPatから公報をpdfでダウンロードして印刷したときの、上付き文字、下付き文字の表示にびっくりしました。私が見たのは、明細書中で半角で記述された文字の上付き、下付きだったのですが、印刷した結果として、文字が潰れてしまって読み取れないのです。
たまたま、判例研究で入手していた公報があったので、その中の一部を取り出して以下に示します(公開公報)。


同じ特許の特許公報については、上記公開公報に比較するとややましです。
pdfの印刷物では下付き文字が何を表示しているのかほとんど読み取れません。そこで、公報をテキストでダウンロードしてみると、「少なくともSiO₂ 、CaO、及びNa₂ Oを含有する、」であって、「2」が半角の下付きになっていました。
これが全角の下付きだったらどのように表示されるのか、そこまではまだ調べていません。

これでは、公報の印刷物として不適切です。
そこで、J-PlatPatのヘルプデスクに電話して聞いてみました。
一度電話を切り、しばらくしたら電話での回答がありました。
5月のJ-PlatPatのリニューアル以来、このような表示になっているとのことです。現時点では、何ら問題にされていないようです。「今回、改善要望があったことを伝えた。(改善されるまでは)拡大してみるか、テキストで確認してほしい。」との回答でした。

これは由々しき事態です。5月からすでに4ヶ月経過しています。誰も、この問題に気づかなかったのでしょうか。
ヘルプデスクの回答の様子では、「迅速に改善する」とも「すでに改善に着手しており、遠からず修正される」とも聞き取れませんでした。

そこで、問題を皆様と広く共有すべく、このブログに顛末をアップする次第です。
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韓国をホワイト国に戻す基準

2019-09-08 12:44:09 | 歴史・社会
韓国の首相が「輸出規制(ホワイト国除外)撤回とGSOMIA離脱回避をセットで」と言ったとか言わないとか。それに対しての安倍首相のコメントが「徴用工問題の解決が先」だとか。

そもそも「輸出規制と徴用工問題は全く関係がない」というのが日本の基本スタンスのはずです。だとしたら、上記安倍首相のコメントは矛盾しています。
そして、「輸出規制とGSOMIAは全く別」が日本の基本スタンスのはずですから、上記韓国の首相のコメントに対しては、「徴用工問題の解決が先」ではなく、「輸出規制とGSOMIAは全く別」でなければなりません。

私は、世界の中で日本の主張に納得してもらうためには、
「徴用工問題、輸出規制、GSOMIA撤退問題は、それぞれ全く別」
との基本スタンスに立ち、実際に全く別に対応すべきと考えます。

日本が主導権を握っているのは輸出規制のみです。
輸出規制において、日本政府は、「韓国がグループA(ホワイト国)からグループBに変更になった理由は具体的には○○である。韓国の輸出管理体制が□□になったら、グループAに戻すことにやぶさかではない」と明示すべきと考えます。
そして、実際に韓国の輸出管理体制が□□になったことが確認できたら、たとえ徴用工問題が未解決で、GSOMIA脱退が撤回されていなくても、韓国をグループAに戻してしまうのです。

このようなスマートな対応がとれるか否か、興味深いところです。
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ドイツ国民は、ポーランド国民が味わった苦しみを忘れない

2019-09-03 22:02:38 | 歴史・社会
ナチスのポーランド侵攻から80年 ドイツ大統領が謝罪
2019年9月2日 15時24分
『第2次世界大戦のきっかけとなったナチス・ドイツによるポーランド侵攻から、9月1日で80年を迎えました。ポーランドで行われた式典では、ドイツのシュタインマイヤー大統領が謝罪し、両国の首脳が鐘を鳴らして平和への誓いを新たにしました。
・・・
ポーランドは80年前の1939年9月1日、ナチス・ドイツに侵攻され、その2日後にフランスとイギリスがドイツに宣戦布告して第2次世界大戦が始まりました。
式典ではドイツのシュタインマイヤー大統領がポーランド語で「過去の罪の許しを請う。われわれドイツ人がポーランドに与えた傷は忘れない」と述べて謝罪しました。
これに対しポーランドのドゥダ大統領は「最も大切なことは大統領がここに参列していることだ」と応え、鐘を鳴らして平和への誓いを新たにしました。
一方、ポーランドは第2次世界大戦で旧ソビエトにも侵攻されましたが、ドゥダ大統領はロシアのプーチン大統領を式典に招待せず、「帝国主義がいまだヨーロッパに残っている」として、ロシアによるクリミア併合を批判して警戒感を示しました。』

この記事を読んで、6年前に私が読んだ本と、その読後感をブログアップした記事(川口マーン惠美「サービスできないドイツ人、主張できない日本人」 2013-11-20)を思い出しました。
本の発行は2011年2月、本の内容で印象に残った下記事象(ドイツとポーランドとの微妙な関係)は2009年9月ですからちょうど10年前です。
--2013-11-20記事引用開始-----------------
第二次大戦において、ドイツはポーランドに攻め込んでポーランドとポーランド人に塗炭の苦しみを与えました。
2009年9月、グダニスク(ポーランド)でポーランド政府主催の第二次大戦開戦70周年記念式典が行われ、ドイツのメルケル首相が招かれてスピーチを行いました。
『メルケル首相のスピーチは、心のこもった追悼の辞だった。第二次世界大戦を、「ドイツが引き起こした戦争」と定義し、「ドイツの首相として、ドイツ占領軍の犯罪の下で言い尽くせない苦しみを味わったすべてのポーランド国民のことを忘れません。」と述べる。』
『ポーランド人の心の中では、常にドイツ人が加害者で、自分たちは被害者なのだ。
つまり、この両国の関係は、表面上は友好的で、外交上は抜かりはないが、だからといって、その友好が心からとは言い切れない冷ややかさもある。そのあたりは、たとえば、ドイツ側がちょっとでもポーランドを非難するようなことを口にすると、ポーランドがいきなり攻撃的になることでわかる。』
第二次大戦終結後、ドイツ東部の広大な土地がポーランドに割譲されました。不幸だったのは昔からここに住んでいた350万人のドイツ人で、かれらは資産を剥奪され、着の身着のままで故郷を追われ、ドイツへたどり着く前に多くの人が命を落としました(チェコ、ハンガリー、ソ連からの引き揚げ者を含むと、犠牲者は211万人にのぼると言われています)。しかし、ドイツがこの件について「追放」という言葉を使うことさえもポーランドには許せないらしいです。
『彼らの攻撃の仕方を見ていると、「ドイツ人にだけは言われたくない」という感情が、ありありと見える。』

ここまで書いたら皆さんもお気づきでしょう。「ドイツ」を「日本」に、「ポーランド」を「韓国」「中国」に置き換えたら、現在の東アジアで起きていることと全く同じ現象であることに気づきます。

規模(犠牲者の数など)では日本のしたことはドイツのしたことに比較して遠く及ばないでしょう。また、ドイツの場合は「悪いのはナチスで、すでに裁かれたし、今でも許されていない」と責任を着せる対象がいますが、日本の場合には日本国民が直接責任を負わなければならないので、ドイツに比較して謝罪しにくいところがあります。
しかしそれにしても、メルケル首相のスピーチは参考にすべきでしょう。日本人は、「いつまで謝罪すれば気が済むのか」などといわず、「日本のせいで言い尽くせない苦しみを味わったあなたたちのことを忘れません」と言い続けるべきではないかと思いました。
---引用終了---------------------

10年前、開戦70周年ではメルケル首相が心のこもったスピーチを行い、本年、開戦80周年ではシュタインマイヤー大統領が同じく謝罪のスピーチを行ったのですね。
日本と韓国との関係を考察するにあたっては、ポーランド国民に対するドイツの態度は参考にする必要があります。
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米海軍がタッチスクリーン式操作盤を廃止

2019-09-01 15:02:48 | 歴史・社会
米海軍がミサイル駆逐艦のタッチスクリーンを廃止、その理由とは?
2019年08月13日 11時15分
『10人の死者を出したミサイル駆逐艦の衝突事故に関して、(PDFファイル)事故報告書で船が採用していた「タッチスクリーンのシステム」が事故原因の1つであると指摘されました。これを受けて、アメリカ海軍では複雑なタッチスクリーンのシステムを廃止し、機械的な操作に戻すことが発表されました。
2017年8月21日、シンガポール沖でミサイル駆逐艦「ジョン・S・マケイン」とタンカーが衝突して損傷し、乗組員10人が死亡、48人が負傷しました。
この事故の原因として船員の疲労や訓練が不十分だったことが挙げられていますが、同時に、船の操作盤にも問題があったと指摘されています。ジョン・S・マケインの艦橋では、ヘルムとリーヘルムという2つのステーションの操作盤で複雑なタッチスクリーンシステムを採用していました。調査の結果、当時のジョン・S・マケインでは「バックアップマニュアルモード」という、コンピューター補助をオフにするモードが使用されていました。これはつまりステーションの異なる船員が操舵を引き継げることを意味し、2つのステーションで操舵が移り変わり混乱を招いたことで、事故が起こったとみられています。
・・・
ガリニス提督はシステムを切り替える計画が進行中であることを発表しており、アーレイ・バーク級ミサイル駆逐艦は2020年夏から物理的なスロットルを持つとのこと。
なお、ジョン・S・マケインの原因はタッチスクリーンだけではなく、14人の乗組員の平均睡眠時間が4.9時間だったこと、それぞれの役割に不慣れだったことも指摘されており、これらのレポートでは問題を改善する必要性も示されました。』

米海軍のイージス駆逐艦であるジョン・S・マケインが起こした衝突事故も、同じイージス駆逐艦フィッツジェラルドの衝突事故と同様、操船の拙劣によって発生したものでした。

ジョン・S・マケインの衝突事故については、事故発生の半年後に、同じ米海軍フィッツジェラルドの衝突事故とともに私がブログ記事にしています。
米第7艦隊衝突事故2件 2017-11-05
当時、米海軍作戦部(Department of the Navy / Office of the Naval Operations)が公表した2つの事故に関する報告書(Memorandom for Distribution)(pdf)に基づくものです。
----以下2017-11-05ブログ記事---------------------
《ジョンSマケイン(以下「M艦」)とアルニック(以下「A船」)との衝突事故》


M艦とA船の航跡

航跡図によると、M艦とA船は並行して走り、M艦はA船の右舷を通り過ぎるはずでした。ところが0521 突然M艦は左に進路を変え、A船の進路の前を遮る航路を取ったのです。M艦は自分からA船と衝突するコースに進んだことが明らかです。

----部分訳---------
(46~47ページ)
0519時、艦長は以下のことに気づいた。即ち、舵手(見張り員が舵を取っていた)が、スピードコントロールのためのスロットルも操作しているため、コースを維持するのが難しい状況であることに気づいた。
そこで、艦長は当直チームに対して、以下のことを命じた。即ち、操舵とスロットルの作業を分離し、舵手が進路コントロールを維持し、一方でスピードコントロールについては他の見張り員が「リーヘルムステーション」と呼ばれる装置を操作するよう命じた。「他の見張り員」は、舵手のすぐ隣の操作盤の前に座っていた。
この計画されないシフトは、当直チームの混乱を招いた。意識せず、操舵のコントロールはリーヘルムステーションに移行したが、当直チームはそのことに気づかなかった。艦長は、スピードコントロールのシフトのみを指示した。艦長は、操舵がリーヘルムに移行したことを知らなかった。舵手は、操舵できないことに気づいた。
操舵が物理的にできなくなったのではない。操舵が別の操作盤に移っただけだが、見張り員はこのことに気づかなかった。操舵コントロールがリーヘルムに移行したことにより、舵は中立の位置となった。操舵コントロール移行前、舵手が、船を直進させるために舵を1-4度右に切っていたのであるから、舵が中立になった結果、船は左へ曲がっていった。

加えて、舵手が操舵不能を報告したとき、艦長は船側を10ノット、さらに5ノットに減速することを命じた。しかし、リーヘルム捜査員の操作は、(2つの)スロットルを一緒に操作しなかったため、ポート側(左舷側)のスピードのみ減速した。スターボード側(右舷側)は68秒にわたって20ノットを維持した。舵の間違った方向と、2つのシャフト回転不一致の問題があいまって、密集した交通エリアにおいて、左側(ポート側)への命令されない回頭が起こった。
M艦がA船との衝突コースに入ったにもかかわらず、艦長および艦橋にいた人たちは、状況を理解していなかった。
操舵コントロールを失ったとの報告の3分後、状況に気づいたが、時すでに遅かった。そして0524 M艦はA船の船首とクロスし、衝突した。
----部分訳終わり---------

ここには掲載しませんが、報告書の図5(pdf)に、M艦の艦橋の図があります。操作卓は、中央に蛇輪(Manual Steering Wheel)があり、左側が通常の舵手の操作盤、そして右側が上記「リーヘルム」と呼ばれる操作盤です。
舵手も、そして艦長から命令されてリーヘルムを操作した見張り員も、装置の操作方法を知らなかったとしか思えません。このような人たちに、操船が任されていたのです。衝突事故は起こるべくして起こりました。
----引用終わり---------

トラブル前、操舵とスロットルの両方とも、操作卓左側(ヘルム)の操舵員が操作していました。ヘルムの右隣(リーヘルム)操作卓には、別の乗組員がついていました
艦長が、「スロットルのみをリーヘルムに移行するように」と指示したところ、誤って、操舵とスロットルの両方ともリーヘルムに移行してしまい、その点にだれも気づかなかったことが第1の失敗です。
艦長が「減速」と指示したところ、リーヘルム操作員が、誤って、左舷のプロペラのみ減速して右舷は減速せず、その点にだれも気づかなかったことが第2の失敗です。
以上の原因の第1として、乗組員の「訓練が不十分だったこと」は明らかです。

今回のニュースで、この原因に加えて、複雑な「タッチスクリーンのシステム」が事故原因の1つであることも明らかになったようです。事故当時、操作モードが通常モードではなく、「バックアップマニュアルモード」が使われていたというのも異常です。通常モードが、よっぽど使いづらいモードだったのでしょう。また、「バックアップマニュアルモード」使用時には通常モードとは異なった動作(操舵まで、ヘルムからリーヘルムに操作権が移行してしまう)がなされるのに、その点をだれも知らなかったのです。

タッチスクリーンがそもそも不適切、ということはないはずです。タッチスクリーンシステムを設計する上で、操作のしやすさが考慮されずに、設計されてしまったのだと推測されます。従って、適切に設計しさえすれば、タッチスクリーンでも使いやすく誤動作が起きにくい操作系を作ることは可能だったでしょう。
しかし今回、タッチスクリーンそのものを廃止してしまい、従来からのマンマシンインターフェースに戻してしまうようです。

タッチスクリーンの使いづらさ以外にも、「14人の乗組員の平均睡眠時間が4.9時間だったこと」という事故原因も含まれていたようです。
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