弁理士の日々

特許事務所で働く弁理士が、日常を語ります。

アメリカ海兵隊の変容と日本

2022-10-30 15:56:30 | 歴史・社会
今までのところ、アメリカ海兵隊は、「陸海空軍の全機能を備え、アメリカ軍が参加する主な戦いには最初に、上陸・空挺作戦などの任務で前線に投入され、その自己完結性と高い機動性から脚光を浴びている緊急展開部隊」と認識されているようです(ウィキ)。
「敵が強固な防御態勢を布いている海岸に敵前上陸し、激烈な戦闘の末、橋頭堡を確保する」ことが主要任務と理解できます。実際、第二次大戦中、太平洋戦域では、硫黄島、ペリリュー島上陸作戦、沖縄戦を戦い、ヨーロッパ戦域ではノルマンディー上陸作戦を戦いました。
しかし最近では、湾岸戦争、イラク戦争などで、米軍が敵地に上陸すること自体はさほどの激戦ではありませんでした。
さらに、最近の中国の軍事力の台頭、台湾危機に対処するための米軍の役割としては、「中国本土に敵前上陸する」ことは想定されていません。そうではなく、「台湾に敵前上陸しようとする中国軍を阻止する」ことが主要な任務になっています。
このような情勢変化のもと、米軍の海兵隊はその様相を大きく変えようとしています。

自衛隊も注目する米海兵隊の大胆な改革 日米共同で中国の脅威に対抗せよ
渡部悦和 2020 年 3 月 31 日
というレポートがあります。
米海兵隊は 2020年3 月末に、「2030 年の戦力設計」(“Force Design 2030”)という米海兵隊総司令官デビッド・バーガー大将の署名入りの文書を発表しました。
米海兵隊は、イラク戦争やアフガニスタン戦争において、米陸軍とともに主として地上戦力として運用されてきました。しかし、何年も極秘で行われたウォーゲームを通じ、中国のミサイルや海軍力が太平洋地域での米軍の優位性を脅かしつつあると判明しました。
このような情勢に有効に対処するため、米国海兵隊は、海軍前方展開部隊としての役割を予算の枠内で再構築するため、戦い方を全面的に変更することにしたのです。海兵隊は保有する戦車を削減し、軍用機を削減し、兵員総数を 1 万 2000 人削減し 17 万人程度に縮小します。
海兵隊の戦力設計の前提になるのが作戦構想です。海軍の作戦構想である「分散型海洋作戦(DMO: Distributed Maritime Operations)」、海兵隊と海軍の共同作戦構想である「競争環境下における沿岸作戦(LOCE: Littoral Operations in a Contested Environment」、「前方展開前線基地作戦(EABO: Expeditionary Advanced Base Operations)」です。
海兵隊は敵の攻撃を阻止するため、中国のミサイル、航空機、海軍の兵器の攻撃可能範囲内で戦う部隊(Stand-in Forces)になります。海軍前方展開部隊は、米海軍の作戦を支援するために、小規模なチームに分散し、揚陸艇などで南シナ海や東シナ海に点在する離島や沿岸部に上陸し、前方展開前線基地(EAB: Expeditionary Advanced Bases)を設定します。
EAB は、敵の長距離精密火力の射程内の離島や沿岸地域に設定されます。EABは中隊から大隊規模の小さな前方基地です。EAB は敵の発見・対処が難しいため、艦艇や航空機よりも長い時間、敵地近くで作戦を行えます。敵地近くに長くとどまることで、EABは敵の行動に制約を加えます。例えば、対空・対艦攻撃を行い、敵のセンサーを無能力化し敵の戦力を妨害・阻止する無人機を運用します。
EAB は、海洋 ISR 装備、沿岸防衛巡航ミサイル(CDCM)、対空ミサイル、戦術航空機のための前方武装給油拠点(FARPs)、滑走路、艦艇・潜水艦の弾薬補給拠点、哨戒艇基地として利用します。
敵の反撃を避けるため、海兵隊は遠隔操縦できる新世代の水陸両用艇を駆使し、48~72 時間ごとに島から島へと移動します。他のチームは米戦艦からおとりの舟を使った欺騙(騙すこと)作戦を展開します。
以上が、米軍の新しい海兵隊の姿です。

日本との関係はどうなるのでしょうか。
沖縄・南西諸島を戦場にするな 日本列島を対中攻撃の盾にする米国 煽られる台湾有事
平和運動2022年1月30日 長周新聞
という記事があります。
『自衛隊と米軍が台湾有事を想定した日米共同作戦計画原案を作り、年明けの日米安全保障協議委員会(2+2)で正式な計画策定作業開始を決定したことが表面化している。この日米共同作戦計画は有事の初動段階で、米海兵隊が鹿児島県から沖縄の南西諸島に攻撃用臨時拠点を約40カ所設置し、そこから対艦ミサイルで洋上の中国艦隊を攻撃する実戦シナリオだ。辺野古への新基地建設計画も、馬毛島への米軍空母艦載機訓練場建設も、台湾に近い離島にミサイル部隊を配備する計画も、みなこの南西諸島一帯を戦場にするシナリオの具体化である。こうした戦争準備が地元住民の意志を無視して本格化しており、全国でも座視できない問題になっている。』
▼米海兵隊の攻撃用軍事拠点を置く候補地は、陸上自衛隊がミサイル部隊を配備する奄美大島や宮古島、ミサイル部隊配備予定の石垣島を含む約40カ所(大半が有人島)。
▼米海兵隊の攻撃用軍事拠点には対艦攻撃ができる海兵隊の高機動ロケット砲システム「ハイマース」を配置する。自衛隊に輸送や弾薬の提供、燃料補給などの後方支援を担わせ、空母が展開できるよう中国艦艇を排除する。それは事実上の海上封鎖になる。
▼台湾本島の防衛ではなく、部隊の小規模・分散展開を中心とする米海兵隊の新たな運用指針「遠征前方基地作戦」(EABO)に基づいて共同作戦を展開する。
『米軍はもともと海空軍が中国ミサイルの射程圏外から攻撃する「統合エアシーバトル」で対抗する構想を描いてきたが、ミサイル開発能力は中国の方が進んでいる。そのなかで「中国軍が戦闘初期に南西諸島を占拠すれば台湾周辺海域に空母を展開するのが困難になる」と予測し、中国軍の射程圏内に踏みとどまりながら、米軍の空母や爆撃機が来援できる条件をつくる作戦に転換した。それがEABO構想だった。』

現在、アメリカ太平洋海兵隊の中の第3海兵遠征軍は、沖縄のうるま市キャンプ・コートニーに司令部を置き、沖縄県内のいくつものキャンプ、普天間基地、山口県岩国基地、グアム基地などに分散配置されています。第3海兵遠征軍中の第3海兵師団は、師団隷下の部隊の中でも、歩兵大隊、砲兵中隊などの部隊を普段はアメリカ本土に展開させておき、その中から必要な部隊を適宜6ヶ月程度の周期で沖縄へ展開させる部隊配備プログラムを布いています。これが平時の配置です。緊急事態が想定されたとき、即応部隊として「全員集合」がかかり、アメリカ本土に配置された部隊が沖縄に集結するはずです。普天間基地、あるいは移設後の辺野古基地は、このような「全員集合」に対処しうる基地として設計されているはずです。
現時点では、旧来の海兵隊の運用(陸海空軍の全機能を備え、アメリカ軍が参加する主な戦いには最初に、上陸・空挺作戦などの任務で前線に投入され、その自己完結性と高い機動性から脚光を浴びている緊急展開部隊)に沿った体制であると推定されます。
これが、EABO構想に沿った体制にこれから変容していくわけです。EABO構想において、平時にはどのような配備体制になるのか、そして緊急事態発生時にはどこにどのように「全員集合」するのか、そのような計画が立案されているはずです。
「台湾有事」において、沖縄県は中国の長距離精密火力の射程内であると想定されます。このような場所に「全員集合」するのかどうか。その考え方次第で、普天間あるいは辺野古基地の役割も変わってくることでしょう。

次に、米海兵隊の攻撃用軍事拠点を置く候補地は、奄美大島や宮古島、ミサイル部隊配備予定の石垣島を含む約40カ所(大半が有人島)とされていますが、具体的にはどの島が候補地になるのか、明確にする必要があります。高機動ロケット砲システム「ハイマース」などを迅速に揚陸して射撃準備を完了でき、48~72 時間ごとに島から島へと移動する、という運用が可能な島が、そんなに多いとも思えません。

今後とも、台湾情勢とアメリカ海兵隊との関係について注視していきたいと思います。
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弁理士会・ダイバーシティ推進委員会

2022-10-29 17:12:16 | 弁理士
パテント誌2022 10月号「ティーブレイク」
「ダイバーシティ推進」って何? 日野真美
弁理士の日野真美さんは、昨年度から日本弁理士会にできたダイバーシティ推進委員会の委員長です。
念のため・・「ダイバーシティとは」(コトバンク)
・雇用の機会均等、多様な働き方を指すことば。
・日本においては、人種、宗教等よりは、性別、価値観、ライフスタイル、障害等の面に注目した多様性として捉えられている傾向がある。

日野さんの上記記事で「私が弁理士になった当時(30年前)」とあり、私と同時期に弁理士資格を取得された方です。
日野真美さんについては、このブログでも取り上げています。
アメリカのロースクール 2007-05-26

--今回記事より----------
日野さんはいわゆる男女雇用機会均等法世代であり、同世代の女性が集まると、昔は大変だったという話でとても盛り上がります。採用面接で「結婚の予定はあるか」と訊かれて「はい」と答えたら不採用になった、新米先輩を含めた女性社員による朝のお茶くみ、課長が30歳前の女性先輩に「まだ、結婚せえへんの?」としつこく訊いた、などの話で大盛り上がりします。
あるとき、一回り以上若い複数の女性の弁理士から「わたしはこれまでそのような問題に遭遇したことがありませんでした」と言われ、女性といっても世代によって全く認識が異なることに気づきました。
昨年の(弁理士会の)会員向けアンケートでは、男女格差はないという「不存在派」と、いまだに格差は存在するという「存在派」の両方がありました。
--今回の記事要約以上--------

この30年で、「目に見える男女格差・セクハラは大幅に低減した」ということは明らかです。
それでも残る問題の第1は、「目に見えない男女格差」です。女性の昇進を阻む「ガラスの天井」の存在などが代表でしょう。

問題の第2は、「男女を格差なく扱えば良い」では最適解が得られないという問題です。
日本は、少子化に苦しんでいます。私は特に、女性の中でも能力があって「何事かをなし遂げよう」という志を持っているような人に特に、子供をもうけて欲しいと願うものです。出産・育児では、パートナー男性がどれだけ理解があり協力が得られるとしても、やはり母親の負荷が大きくならざるを得ない部分があります。能力と働く意欲がある優秀な女性に子供をもうけてもらうためには、「男女逆不均等」が必要であると考えるものです。「女性には男性以上に出産・育児における優遇措置を篤くし、それでも昇進・昇格で男女差別をしない」という意味での「男女逆不均等」です。ここまで優遇してはじめて、優秀な女性が「子供を産み育てよう」と決心してくれることでしょう。
日本の将来のためには、ここまで「男女逆不均等」とすることが必要と考えます。
このような女性に対する優遇(出産しても職場を辞めなくて良い)が存在すれば、「均等に扱えと言われても、女性は結局辞めちゃうからなあ」という男性側からの文句も出なくなることでしょう。
ですから私は、男女格差の「存在派」でも「不存在派」でもなく、「逆格差不存在派」を名乗ることにします。

日野真美さんについて
上記紹介した記事「アメリカのロースクール 2007-05-26」から
日野さんは「パテント」2004年7月号に、「アメリカのロースクールの3年制課程について」と題して体験記を書かれています(こちらにpdf)。
日野さんは、大学の薬学部卒業、大手製薬会社の研究所勤務、大阪の特許事務所で弁理士として勤務と経歴を重ね、ご主人のアメリカ転勤が決まり、「それなら、私はアメリカでロースクールに行きたい」と無謀な(^_^)計画を立てます。
まえがきによると、
「私は,アメリカのニュージャージー州にあるシートンホール大学 (Seton Hall University) ロースクールの3年制課程(J.D.コース)を1999年6 月に卒業し,ニューヨーク市にあったペニー&エドモンズという知的財産権専門の法律事務所で2002年10月まで働きました。今後私と同じように法学部出身ではないがアメリカのロースクールへ行ってみたい,アメリカで働いてみたい,と思われる方のために,何かのご参考になればと,ロースクールの3 年制課程への進学について私の経験を交えて以下に述べることにします。」
日野さんが受けたニューヨーク州の司法試験は、7月と2月の年2回行われ、合格率は7月の試験で70%、2月の試験で45%程度とのことです。2月の試験には7月試験で不合格だった30%の人が受けるとすると、最終合格率=70+30×0.45=84%程度になるのでしょうか。
昨今の小室圭さんのニューヨーク州司法試験のニュースについては、日野さんの上記記事を参考にして見ていました。3回目で合格、おめでとうございます。
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ジェンダーギャップ会議での瀬谷ルミ子氏

2022-10-27 20:29:23 | 歴史・社会
10月24日の日経新聞見開き2ページで、以下の記事が掲載されました。
「ジェンダーギャップ会議
世界で活躍する女性リーダー/育成にはロールモデルを」
『日本経済新聞社と日経BPは日経ウーマンエンパワーメントプロジェクトのイベント「ジェンダーギャップ会議~次世代につなげる、グローバルで活躍する女性リーダーたち」(後援・内閣府)を9月16日に開催した。「日経SDGsフェス」の一環で、会場の東京・丸ビルホールとオンラインの聴講を組み合わせた。企業などで女性リーダーが育ちやすい環境について議論し、育成に向けた取り組みを紹介。イベント登壇者は世界での活躍を目指す女性たちのロールモデルともなった。』
5人のメンバーの公演、挨拶のまとめが紹介されています。その中に、以下の瀬谷ルミ子氏の紹介もありました。

基調講演「数でなく主体的参画が重要」瀬谷ルミ子氏(認定NPO法人REALs理事長)
『REALs(リアルズ)は紛争が起きる前の予防に重点をおいて活動していて、女性を平和の担い手として育成する取り組みも行っている。最近の研究から、女性が参加した和平合意は成功率が35%上がることがわかっている。女性は紛争など社会が不安定になったときに被害やしわ寄せを受けやすい。そのため、和平プロセスが弱い立場の人々や子供たちを安全に導くものか、平和に向けた社会変革に取り残される内容になっていないかなどを見極める視点に基づいた貢献ができる。
一方、女性が参加した和平プロセスは過去19年間でたった9%だ。すべてに女性が参画すると世界は3割以上、平和になる。女性参加がお飾りや数合わせ、男性の傀儡(かいらい)だと成功率が下がる。これは日本のジェンダー施策や若者の社会参画などにも共通する。単に女性や若者がシナリオに沿った役を演じるとその人の知見が反映されず構造が変わらないためだ。
クオータ制で数を増やすのは社会構造的に女性がアクセスできないところに道をつくる意味がある。ただ女性が主体的に参画できることが大前提で、そのとき生じる障害の解消もセットであるべきだ。
日本人が苦手なのが目指す社会の在り方から遡って成果を設定し、その実現のため連携するプロセスだ。末端の数字で議論が固定化されると目指す結果にならない。個人、コミュニティー、政策などのレベルで波及効果を生む取り組みを、学び合いつつやっていく社会を目指したい。』

瀬谷さんの上記コメント「最近の研究から、女性が参加した和平合意は成功率が35%上がることがわかっている。」が興味深いです。

瀬谷ルミ子さんについては、2009年から2016年にかけて、このブログでも繰り返し取り上げてきました。
そのときの印象として、世界の紛争現場での平和構築活動において、日本人女性が活躍している状況をよく目にしました。
アフガンを支援する日本人女性たち 2009-06-30」において、
『米軍主導のアフガニスタン戦争が終結した後、アフガニスタンを支援する活動で日本人女性の活動が目立ちます。
伊勢崎賢治氏の「武装解除 -紛争屋が見た世界 (講談社現代新書)」のあとがきでは、「日本の平和貢献の将来は、女性が担う予感がする。」と期待を込めて書かれています。』
とした上で、瀬谷ルミ子さん、今井千尋さん、石崎妃早子さん、野村留美子さんの4人を紹介しました。

当時、どこかで読んだのですが、世界の平和構築の場面で日本人は男性よりも女性が目立っている理由が書かれていました。
世界の紛争解決の現場は、突然にニーズが沸き起こり、直ちに専門家が集まって解決のための活動を開始し、一段落したら解散します。いくら専門の能力を有していても、腰が軽くないと参画することができません。
日本人の若い男性は、終身雇用の安定した職場を求める傾向が強いため、なかなか参画できません。それに対して日本人の若い女性で志の高い人は、期限付だろうが、何事かをなし遂げられる現場があれば参画するようです。日本国内では男女差別の壁に妨げられているからなおさらでしょう。

これからも、世界の紛争解決の現場での日本人女性の活躍を祈念します。

このブログで取り上げた瀬谷ルミ子さん関連の記事を以下に紹介します。
南スーダン内戦と自衛隊PKO 2016-07-10
NHKスペシャル・加藤陽子先生と瀬谷ルミ子氏 2014-08-26
南スーダンでのJCCP活動 2011-11-22
J-Wave瀬谷ルミ子さん 2011-10-14
瀬谷ルミ子著「職業は武装解除」(2) 2011-09-26
瀬谷ルミ子著「職業は武装解除」 2011-09-25
テレ東「この日本人がスゴイらしい」に瀬谷ルミ子さん 2010-10-26
参議院特別委員会での瀬谷ルミ子さん 2010-02-25
世界が尊敬する日本人100人 2009-07-26
アフガンを支援する日本人女性たち 2009-06-30
NHKプロフェッショナル・瀬谷ルミ子さん((2) 2009-04-24
NHKプロフェッショナル・瀬谷ルミ子さん 2009-04-22
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松本ピアノと関東大震災

2022-10-23 15:58:17 | 歴史・社会
10月19日の日経新聞朝刊最終ページに、以下の記事が掲載されました。
深き音色の「松本ピアノ」創業者の故郷・君津で弾き継ぐ
鈴木希実(清和大学短期大学部助教)
2022年10月19日 日経新聞
『戦前、現在のヤマハと並び称されたピアノメーカーがあった。千葉県君津市出身の松本新吉(1865~1941年)が創業した「松本ピアノ」だ。音色は「スウィート・トーン」と呼ばれ3代に渡り製造されたが、大企業に押され生産を止めた。この地でピアノ演奏や指導をする私は、この楽器を研究しつつ、実際に弾くことで次代に引き継いでいきたいと考えている。』

新吉は西川オルガン製作所で修業後、独立し東京・築地に工場を構えました。1900年に渡米し、ニューヨークでピアノ作りの技を学んびました。
新吉は02年ごろ築地でピアノ作りを始めました。03年の第5回内国勧業博覧会に出品したピアノはヤマハのピアノと並び最高位を得ました。
翌年には東京・銀座に直営楽器店を構えています。現在の山野楽器店の前身のようです。
06年、築地工場が火災に見舞われました。同年に近くの月島に新工場を設けましたが、14年に再び火災に遭います。さらに再建した工場は23年の関東大震災で焼失しました。

新吉は六男・新治と24年、現在の君津市八重原に工場を設立。戦後も3代目の新一さんが作り続けましたたが、大量生産品に押され2007年に工場を閉鎖。
--以上、日経新聞記事より------------------

私は、以前からネット記事で松本ピアノのことを知っていました。2つの点で強く印象に残ったためです。
第一は、私が新日鐵(現在の日本製鉄)に入社した昭和48年(1973)、最初の2年間、君津市八重原の独身寮で暮らしていたこと、そして結婚した最初の2年間、同じ八重原の社宅に暮らしていたことによります。
八重原は、小糸川流域の平地とその縁の丘陵地帯との境界に位置し、いわば山の中です。地図で調べると、八重原社宅(跡地)と松本ピアノ(跡地)は、丘陵一つを隔てたご近所のようでした。
2007年まで工場が存続したということは、私が八重原に住んでいた頃に、一山超えた向こうに松本ピアノの工場が健在だったことになります。全く持って気づきませんでした。

第二は、関東大震災直後に松本ピアノの周囲で起きた一つの事件によります。
君津市周南の歴史 (1)周南中学校の松本ピアノについて
に簡単ないきさつが記載されています。
『松本新吉の孫にあたる松本雄二郎氏の著した「明治の楽器製造者物語」』・・・
『ついでながら、前出の『明治の楽器製造者物語』には、大正、昭和の世相を伝える記述もあったので、以下、それを紹介する。2つ目の「国家総動員体制の中で」という題は、筆者がつけたものである。
 「震災余話」
 (前略)
 震災直後から朝鮮人蜂起暴動のデマが飛びかい、町内に自警団を作り、不審な者を拘束尋問した。松本楽器で雇っていた朝鮮人夫婦は工場の下働き、妻は賄い婦としてよく働いていたが、月島町内の自警団から彼等に呼び出しが掛かり、これを工場側は宗教上の信念から拒否したが、かばいきれなくなり、安全な場所にかくまうために三男三郎と他にもう一人が、この夫婦を中にして密かに移動中、通りかかった惨殺現場を見た彼等は、逃れられないと観念したのか三郎等の腕を振り切って堀割に飛び込み自殺を図った。妻も続いて入水。水面に顔を出した二人を自警団が鉄棒で撲殺した。
 日本近代史の汚点の部分である。三郎は終生このことを悲しみ、二人を守りきれなかったことを悔やんだ。』(以上、「君津市周南の歴史」から)

関東大震災の後に起きた朝鮮人大量虐殺事件については、その詳細が明らかではありません。私は、上記の松本ピアノの人たちが体験した事件で、朝鮮人大量虐殺事件の一端を理解した気になっています。
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バーナンキ氏がノーベル経済学賞受賞

2022-10-11 19:18:33 | 歴史・社会
ノーベル経済学賞、バーナンキ氏ら3人 金融危機の仕組み解明
2022年10月11日 日経新聞
『スウェーデン王立科学アカデミーは10日、2022年のノーベル経済学賞を元米連邦準備理事会(FRB)議長のベン・バーナンキ氏(68)ら3人に授与すると発表した。授賞理由は「金融危機における銀行の役割」。同氏は08年の金融危機時にFRB議長として対応に当たった。主要国中央銀行のトップを務めた人物が同賞を受けるのは極めて異例だ。』
『バーナンキ氏の研究業績で最も評価を受けたのは、1930年代の世界恐慌の分析だ。当時の米国は失業率が25%まで上昇し、世界的にも前例のない不況が広がった。原因として考えられていたのは中央銀行による資金供給の不足だったが、バーナンキ氏はほかにも原因があると考え、統計や歴史資料を吟味した。
結果として判明したのは、銀行の破綻が恐慌を深刻化した点だ。銀行破綻が意識されると、人々は一斉に預金を引き出そうとする。銀行は預金引き出しに備えた資金を確保するために企業への貸し出しを渋る。すると経済全体に回るお金の量が少なくなり、不況が深刻化する。こうした金融を介した負のサイクルを理論として定式化した。
バーナンキ氏は米プリンストン大教授などを経て2006年から14年までFRB議長を務めた。08年9月、米金融大手リーマン・ブラザーズの破綻に始まった世界金融危機では、経営が不安視された他の大手金融機関に公的資金を投入する緊急対応策を主導した。』

バーナンキ氏のノーベル経済学賞受賞理由は、FRBに所属する前のプリンストン大学経済学部時代の業績か、FRB時代の業績か、FRBを辞めた後の業績か、その点が今まではっきりしませんでしたが、上記記事によると、FRBに所属する前のプリンストン大学経済学部時代の業績が対象のようです。

リーマン破綻時、バーナンキ氏はFRB議長だったはずです。ノーベル賞の対象となる業績が、「銀行が破綻すると不況が深刻化する」という真理なのだとしたら、なぜバーナンキFRB議長はリーマン破綻を阻止する動きをしなかったのだろうか、という点が気になりました。

私は、自分のブログの記事でバーナンキ氏の話題を検索してみました。
そしたら、おもしろい(と自分で言うのも何ですが・・・)記事を見つけました。

「バーナンキは正しかったか?」2010-11-21
内容を再掲してみます。
バーナンキは正しかったか? FRBの真相
デイビッド・ウェッセル
朝日新聞出版

このアイテムの詳細を見る
『サブプライムローン問題とリーマンショックを頂点とする今回の米国初世界金融危機を、この本は「グレートパニック」と呼びます。そのグレートパニックを大恐慌に進展させないために、FRBを中心とする米国の中枢部は何をやったのか、そのストーリーを、バーナンキFRB議長を中心に据えて描いたのがこの本です。相当綿密に取材をしたと見えて、その時々に中枢メンバーがどのように考え、どのように行動したのかが克明に描かれています。
私はリーマンブラザーズが破産した後、それは当時のポールソン米国財務長官の大失敗ではないかと思っていました。彼がリーマンを救済しなかったせいで、世界金融危機が到来してしまったではないかと。
しかしこの本を読んでいくと、もちろんポールソンの判断と行動が最適だったとは言えませんが、しかし状況が読めない中、短時間での判断を迫られ、そんな中での判断のブレを非難するのは酷かもしれない、と現在は思い直しています。』

『《リーマン倒産》
2008年3月にベアスターンズを救済した後、ポールソンもバーナンキも批判されました。ポールソンはリーマン倒産直前、「私はミスター救済と呼ばれているんだ。もう救済はできない」と発言しています。バーナンキらも財務長官の反対を無視してまでリーマン救済に資金を投じる気はありませんでした。
・・・
最後の週末、リーマンをイギリスのバークレイズ銀行が買収する方向で話が進んでいました。ところが日曜の朝、バークレイズによる買収が頓挫します。残る手はFRBの資金でリーマンを買い取ることしかありませんでしたが、高官たちの間ではだれも言い出しませんでした。9月14日日曜、リーマンは倒産書類にサインしました。
9月14日という1日のうちに状況が激変していく中、「FRBがリーマンを救済しよう」というアイデアを誰も言い出さなかったことが、その後の経済危機を招来したと言えますが、この判断についてかれらを責めることは酷であるように思います。』

『1930年頃の大恐慌は、金融システムが崩壊する中で政府が傍観していたために発生したようです。現在のバーナンキFRB議長は、経済学教授のときに大恐慌を研究しました。そのため、今回の金融危機ではバーナンキ議長は“できることは何でもやる”というスタンスで取り組んできたのです。
--再掲 以上--------------

バーナンキ氏がノーベル賞を受賞した功績が、『銀行の破綻が恐慌を深刻化した点だ。銀行破綻が意識されると、人々は一斉に預金を引き出そうとする。銀行は預金引き出しに備えた資金を確保するために企業への貸し出しを渋る。すると経済全体に回るお金の量が少なくなり、不況が深刻化する。こうした金融を介した負のサイクルを理論として定式化した。』という点にあるのだとしたら、リーマンが破綻する当日、「FRBがリーマンを救済しよう」というアイデアをバーナンキFRB議長自身が提案できたのではないでしょうか。彼はそれをしませんでした。ノーベル賞受賞と関連してその点は残念に思います。
バーナンキFRB議長は、リーマンの破綻は防止できませんでしたが、破綻後の経済危機では“できることは何でもやる”というスタンスで取り組んだのですね。リーマンを破綻させてしまったことに忸怩たる思いがあったでしょう。
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