弁理士の日々

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金賢姫拘束の真相(3)

2007-12-28 19:52:35 | 歴史・社会
フジテレビ「金賢姫を捕らえた男たち~封印された3日間~」では、在UAE日本大使館員の矢原純一氏、バーレーンの日本大使館員の砂川昌順氏と塩原順氏の3人が主要な役割を果たします。

番組の紹介によると、在アラブ首長国連邦日本国大使館・治安警備担当書記官の矢原純一氏は、自衛隊でヘリコプターのパイロットを務め、機長や教官として飛行訓練や任務を実施してきた経歴を持つ叩き上げの自衛官でした。
また、当時、開設準備中だったバーレーンの日本大使館に勤務する二人は以下のとおりです。
石垣島出身の砂川昌順氏は、在外公館員募集の広告を見て試験を受け、現地採用されます。アフリカ・ガーナに配属されると、ほどなく正式職員として採用された砂川は、第二の赴任地としてバーレーン行きを命じられ、大使公邸の物件探し、電話回線や家具などの準備に追われていました。
一方、塩原順氏は、通信会社から3年間の期限付きでバーレーンに派遣されてきた男であり、ビザの発給など、在留日本人への行政サービスを一手に任されていました。

砂川氏については、ノンキャリヤ外交官が日本を救ったに紹介されています。
「砂川さんは私のよく知る人だからです。彼は私の父の元部下でした。
1984年、親父が西アフリカのガーナの日本大使館にいた時、外務省の外郭団体から派遣されて来たのが砂川さんでした。2年間の契約が切れると帰国し、新たな職を探さねばならない立場にありました。
優秀だった砂川さんを親父は可愛がり、時には厳しい指導をして外交官としての基本を教え込んだのだそうです。そして人事課に推薦状を書き、砂川さんは外務省職員として本採用されました。これはあまりないケースでした。正規職員となった彼はアクラ(ガーナ)からバーレーンに赴任します。そこで1986年の大韓機事件に遭遇することになります。」


3人とも、外交官としては異例の経歴の持ち主のように思われます。
普通にノンキャリアとして新規採用された外交官ではないし、矢原氏は防衛庁からの出向でもないようです。このような経歴だからこそ、外務省本省や上司の指示がなくても、あるいは上司の制止を振り切ってまでも、あのような活動が可能だったのでしょう。
矢原氏は自衛隊のパイロット出身だからこそ、大韓航空機の行方不明を「爆破の可能性が高い」と推理し、乗客名簿を精査する気になったのです。


事件終結後、3人の働きは顕彰されるどころか、闇に葬られたようです。そうとすると、それだからなおさら、功労があったノンキャリアの3人はキャリア官僚から嫉妬され、出世が妨げられたのではないかと危惧します。

ノンキャリヤ外交官が日本を救ったでは以下のように紹介されています。
「その後砂川氏は、日本人拉致問題を解決しようと単身でウィーンの北朝鮮大使館に飛び込むというスタンドプレーをやってしまったのです。キャリアでもなければ、私の親父の推薦状一枚で入省した砂川さんを庇う上司もいなかったようです。砂川さんは笑って、決して答えようとしませんが、キャリアたちの嫉妬などもあっただろうと私(星野さん)は想像します。
これが元で砂川さんは、外務省を辞めざるを得なくなってしまいました。」

外務省を辞めた後、砂川氏は何故か監視される身となり、住所を転々とします。監視されなくなったのは、北朝鮮が日本人拉致を認めたときでした。

矢原純一氏は、こちらの記事によると、「元在UAE日本大使館領事」とあり、大韓航空機事故当時在籍していた同じ大使館で領事まで出世したようですね。

ps 矢原さんのお名前を訂正いたしました。2008/4/26

ps2 その後の矢原さんのご発言を中心に、金賢姫拘束の真相(5)金賢姫拘束の真相(6)を記事にしました。議論は継続中です。 2008/8/10
コメント (4)
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