弁理士の日々

特許事務所で働く弁理士が、日常を語ります。

金賢姫拘束の真相(6)

2008-07-01 20:23:32 | 歴史・社会
金賢姫拘束の真相(5)では、実際の立役者である矢原純一さんに、実際に起こった事柄をお話しいただいています。また、金賢姫拘束の真相(4)では、krishunamurtiさんから、NHKが放映した番組での様子(特に在バーレーン韓国大使館代理大使キム・ジョンキさんのインタビュー結果)について教えていただきました。
これらの情報に、不明な点は砂川昌順著「極秘指令~金賢姫拘束の真相」の内容を加味し、私が理解している状況を整理してみます。

矢原純一さん、今後コメントを頂く場合は、この記事のコメント欄にコメントしていただくとありがたいです。


【1987年11月29日】
外務省本省の領事第2課(海外における邦人保護担当)首席事務官からアブダビとバクダッドの日本大使館に「大韓航空機858便が、アブダビを発った後行方不明である。日本人乗客の有無を調べろ。」という電話連絡が来ます。これに対し、アブダビもバクダッドの日本大使館も調査の結果、「日本人乗客なし。」と報告しています。
在アラブ首長国連合日本大使館(アブダビ)の矢原純一さんは、この日隣のドバイに出張しており、夕刻帰宅します。

【11月30日】
[在アラブ首長国連合日本大使館]
本省から、この件に関して主管課を領事2課から北東アジア課へ変更するとの連絡が来ます。
この日の矢原さんの分析の結果、大韓航空機は爆破された可能性が大であるとの結論に達し、再度大韓航空アブダビ支店に依頼し、搭乗者リストを入手、「シンイチ」「マユミ」の日本人名を発見します[お昼過ぎ]。
矢原さんが大使を説得し、本省への電報発信許可を得ます。
第一報の内容は、①KE858にバクダッドから搭乗しアブダビで降りた乗客リストにSHINICHI/MR及びMAYUMI/MISSの2名の日本人名が発見されたこと。
②当館の分析では、当該KE858が爆破された可能性があり、その方法は、バクダットから機内に持ち込んだ爆発物(時限発火装置付)を機内に残致しアブダビで降りた可能性もあり得ること。
第一報の宛先にバハレーンは入っていません。

第一報の電報を起案し、大使の決済を受けているとき、大韓航空の「金」アブダビ支店長から電話がありました。「日本大使館は昨日から何度も問い合わせをしてきているが、一体何を調べているのか。」という問いでした。
金支店長からの問い合わせに、①858便の乗客の中、アブダビで降りた乗客の中に二人の日本人名が見つかったこと。②その名前はSHINICHI / MR. MAYUMI / MISSとなっていること。③この二人が何者か、またこの二人が858便の行方不明に関わりが有るか否かは不明。と答えるとともに、今後の情報交換を約束しました。この時点で初めて韓国サイドが日本人乗客の存在を知ることになったのです。
しばらくすると、大韓航空と韓国大使館から、アブダビ空港での二人の日本人らしい人物の目撃情報、この二人がガルフ航空でバハレーンに向かったとの情報がもたらされました。

第一報電報を参事官にまわし、合議後ただちに電報を発信するように依頼し、矢原さんはアブダビ空港内のガルフ航空事務所に赴きます。
ガルフ航空では直ぐに二人の使用済航空券の控えを提示してくれました。ここで初めて、二人の足取りを矢原さんの眼で確認できました。アブダビからバハレーンへは、当初GF353(14:45アブダビ発)を予約してありましたが、隣に手書きで「GF003」と書かれてありました(09:00アブダビ発)。

1時間ほどして大使館に戻ると、驚くべきことに、参事官はまだ第一報電報を発信していませんでした。そうこうしている中に、韓国大使館から正式に二人の身元確認の要請が来ましたので、第一報の電文に「当地駐在韓国大使館より本人の身元確認を依頼越している。」という文章を追加してしまいました。
参事官の合議の不手際で遅くなってしまった第一報と、矢原さんが空港に行っている間に政務担当の2等書記官(キャリア官僚)が起案した第二報、続けて、空港での確認事項を矢原さんが起案した第三報の3通がほとんど時間差無く続けて発電される結果となりました。

第二報の内容は、
①在アブダビ韓国大使館からの情報によると、KE858にてバクダッドより当地で降機した乗客のうち日本人らしい二名が、ガルフ航空でバハレーンへ向かったこと。
②この二人は、男性(Mr. Shinichi)は約70歳くらい、もう1人は(Miss Mayumi)は約25歳くらいのこぎれいな女性であった由。
③当該2名の詳細については、当地GF(ガルフ航空)支店に現在照会中。
そしてこの電報が、バハレーンが受け取るこの事件に関する最初の電報となりました。
第二報を発信する前に、電話でバハレーンの夏目参事官(当時臨時代理大使)にこれまでの経緯などを連絡しています。

第三報の内容は、矢原さんがアブダビ空港のガルフ航空事務所で確認した情報と大韓航空から得た情報です。
①二人が11月19日ウィーンで航空券を現金で購入していること。
②二人が使用した航空便
 23日 14:25 ウィーン発 OS821
 28日 14:30 ベオグラード発 IA226
 28日 23:30 バクダッド発 KE858
 29日 14:45 アブダビ発 GF353
アブダビ-バハレーン間はGF353からGF003(09:00アブダビ発)に変更し搭乗していること。
③大韓航空支店長からの情報として、マユミの性はハチヤ(漢字不明)で旅券番号が判明したこと。(旅券番号も報告電報には記載しています。)
④29日、二人がバハレーンに入国していること。
これが電報の内容ですが、バハレーンへは電報を発信する前に必ず電話で夏目臨代に話をしています。

[在バハレーン日本大使館]
(以下は、12月2日バハレーン大使館から本省へ報告された11月30日のバハレーン大使館の行動の一部です。)
16:00 アブダビからの大至急電報で調査開始。ガルフ航空へ問い合わせをしたこと。
16:30 ガルフ航空マネージャーMR.ADNANから二人が入国した形跡がある旨の連絡を受けたこと。
17:00 塩原書記官、砂川副理事官が空港に到着、MR.ADNANに連絡後、空港の入国管理事務所に調査を依頼したこと。
18:00 2人の入国カードを発見し、書き写したこと。
その他MR.ADNANから乗客名簿を入手したこと。

(砂川さんの著作から)
塩原氏と砂川氏が、空港で2人の入国カードを発見します。滞在先としてディプロマットホテルと書かれています。
ディプロマットホテルに行って確認すると、2人は宿泊していませんでした。

夜、参事官宅で、本省の審議官を迎えての夕食懇談会が開かれます。
その席で、バハレーンのホテルに電話して2人を探そうということになります。まずリージェンシーホテルに電話すると、果たして2人は宿泊していました。電話は2人の部屋に繋がれてしまいます。(多分参事官が)ハチヤシンイチと電話で話します。「電話の様子から、2人はただの旅行者とは思えなかった」とフジテレビ番組で参事官が話していた記憶があります。

[在バハレーン韓国大使館]
同じ夜、在バーレーン韓国大使館副領事の金正奇がホテルを訪れ、『蜂谷真一』『蜂谷真由美』に面会、尋問したのですが、2人は、自分たちは日本人の父娘だと繰り返すだけでした(李鍾植著「朝鮮半島最後の陰謀」より)。

[日本本国外務省本省]
アブダビからの電報が本省に着信したのは日本時間22時頃と思われます。このときに、受信した領事1課の首席事務官や領事1課長がうまく捉まらなかったら、本省が実際に動き出したのは日本時間で翌12月1日朝からであったろうと推察されます。


【11月1日】
[在バハレーン日本大使館]
(砂川さんの著作から)
現地時間午前5時過ぎ、本省からの電話で「マユミのパスポートは偽造である」ことが判明します。
参事官の指示で、砂川氏と塩原氏はホテルで見張ることになります。バハレーンの官憲への通報は見送られます。

シンイチ、マユミの2人がフロントでチェックアウトするとき、2人のパスポートのコピーを取るまではできましたが、2人がホテルを出るところで見失ってしまいます。
砂川氏はあわてて空港へ走ります。
空港に到着すると、空港警察の警備部長、出入国管理官らに協力を依頼し、何とか出国を阻止しようとします。
チェックイン中の2人を見つけ、出国審査のためにパスポートを提示した時点でパスポートを預かり、出国阻止することに成功します。
そして別室で尋問中、2人は服毒自殺を図るのです。

[在バハレーン韓国大使館]
NHK番組では、ふたりに接触した当時の韓国の代理大使キム・ジョンキさんにもインタビュー。彼は接触した感触から、「この年老いた男性と、苦労したこともないような上品な娘さんが大韓航空機失踪に関わっているとは思えない」と感じたそうです。韓国側はこれ以降、ふたりを追うことをやめたそうです。
服毒自殺を図った2人が病院に搬送された後、金副領事が空港に飛び込んできます。
韓国大使館が、マユミのパスポートが偽造であることの連絡をどの時点で受けたのかはまだわかりません。


【まとめ】
《11月30日》
大韓航空機の乗客名簿からシンイチとマユミの名前を見つけたのは、矢原さんの能力と努力のおかげです。また、大使を説得して速やかに電報発信に至ったのも矢原さんの功績です。
2人がGF003でバハレーンへ向かったことを突き止めたのは、アブダビの大韓航空と韓国大使館です。
その知らせを受けたアブダビ日本大使館は、情報をバハレーン日本大使館に連絡します。
バハレーンの日本大使館と韓国大使館は、それぞれ独自にリージェンシーホテルに滞在する2人に到達します。
《12月1日》
バハレーンの日本大使館は、早朝に本省から「マユミのパスポートは偽造」との通報を受け、リージェンシーホテルへ急行して見張ります。
空港チェックイン直前に2人を足止めできたのは、バハレーンの日本大使館の功績と思います。
バハレーンの韓国大使館はこの点で後れを取りました。「2人は無関係」と思い込んでしまったことと、「マユミのパスポートは偽造」の情報を早期に受けられなかったためではないかと推察します。
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34 コメント

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大韓航空機爆破事件の真実 19 (矢原純一)
2008-07-04 14:56:45
個人的都合で暫く書き込みが滞りました。申し訳ありません。このまま終わると中途半端になりそうなので、もう少しだけコメントさせてください。

さて、これまで皆さんの常識で事件を検証していただきましたが、皆さんの常識と私の常識に何か違いでもありましたでしょうか。そして、「危機管理は99%の常識」という私の持論にも納得していただけましたでしょうか。

今回はある一場面とこれに関わる部分についてのみ検証しましたが、これだけ事実と違うことがお分かりいただけたと思います。となると、当然、他の場面も事実と違う記述がなされていると考えるのが常識ではないでしょうか。事実、バハレーン大使館が本省へ報告した内容と、砂川氏の小説はその内容に食い違いが多く見受けられます。例を挙げればキリがありませんが、一つだけ例を紹介しましょう。

「ハチヤ・マユミを名乗る女は、所持した旅券が偽造である旨係官に告げられるとニヤリとわらった由。」

これはバハレーン大使館が本省へ報告した内容の一部です。(原文のまま)この文章のキーワードは『
係官』と『由』です。『由』とは、「第三者が○○と言った。」とか、「~らしい。」と、自分自身で確かめていないときに使われます。この報告文を信用するか、番組のシーンを信用するかは皆さんの自由です。

私はこの事件が解決したのは「奇跡」だと思っています。私を含め、一人一人がやったことなど大したことではありません。私にしたところで、「シンイチ」「マユミ」の名前を見つけだし、報告しただけです。しかし、私以外にも多くの人や組織が歯車のように見事に絡み合い、各々の歯車が絶妙なタイミングで動いた、と思っています。そして何よりも、これに偶然と幸運が度々重なり合い、奇跡的にも事件を紐解く結果となったと考えています。

考えても見てください。これだけの大事件が、発生から僅か3日で一定の結論に達したのですから。普通考えられないですよね。世界最大の情報組織であるNSAが全力でかかっても、こんな結果にはならなかったと思いますよ。一般的に、航空機の墜落事故は、犯行声明が出された場合は別にして、その多くは墜落の原因すら特定できず、『推定』でとどまる場合が多いと承知しています。原因が特定されたにしても、かなり時間がかかるのが普通です。数ヶ月後、あるいは数年後に調査結果がでることが多いと思います。この事件は、やはり『運』が大きく係わっていると思います。

あまりにも短時間に、あまりにもスムースに解決してしまった。あたかも誰かが、予めシナリオを描いていたかのように。さすがにこれだけの偶然と幸運の重なり合いは常識では考えられません。だから「韓国の自作自演説」が浮上するのだと思います。

次回から、誰がどのようにこの事件に関わったか、そしてそこにどんな偶然と幸運があったのか。私の知りうる範囲でご紹介できればと考えています。
返信する
大韓航空機爆破事件の真実 20 (矢原純一)
2008-07-04 15:36:04
最初の搭乗人物は在UAE日本大使館領事です。
11月29日私はドバイへ日帰りの出張をしていました。この時の様子を私の手記からご紹介しましょう。

1987年11月29日18:30
「ただいま、今帰ったよ。」
「お帰りなさい。さっき領事から電話があったわよ。」
「何だって?」
「何も言ってなかったけど、帰ったら電話してくれって。」
「わかった。」
『なんだろう?何かあったのかな?』
このときはまだ、あんな大事件に巻き込まれることになるなど、夢想だにしていなかった。

ピッポッパッ
「もしもし、矢原ですが、今帰りました。お電話をいただいたそうで・・・。」
「ええ、実は2~3時間前、本省の領事2課(海外における邦人保護などを担当する課)の首席(首席事務官)から参事官に電話がありまして、バクダッド発ソウル行きの大韓航空機が、アブダビを発ってから行方不明になっているらしんです。この便はアブダビの出た後バンコクを経由する予定だったらしんですが、バンコクには到着してないそうです。それで、本省の方から日本人乗客が乗っていなかったかを調べろ、と言ってきたんですよ。」
「大韓航空ですか・・・。何便ですか。」
「ええと、大韓航空858便です。それで調べたところ、日本人乗客はいないとの事でした。それから、アブダビで15人降りて、新たに11人乗ったそうですが、この中にも日本人はいないという事なので、本省の方にもそのように報告しておきました。一応一件落着なんですが、ご参考までと思いまして。」
「大韓航空ですか・・・。 今夜、フランスのフリゲート艦で艦上パーティがありますから、各国の武官にもちょっと聴いてみましょう。何か情報をもっているかもしれませんから。」
「今日もパーティですか。大変ですね、御苦労様です。じゃあ。」
「どうも有り難うございました。」
 領事は本省からの指示に基づいて調査し、結果を本省に報告して、本当に『一件落着』と考えていたようである。この時は事件性など微塵も感じられない会話で終わった。
この日私は、約150km離れた隣町のドバイに、年明け早々おこなわれる予定になっていた日本大使館主催のビッグイベント、『日本週間』におけるドバイ首長国政府や関係機関、ドバイ日本人会にイベントに対する協力を依頼するため、日帰りの出張に出かけていた。夕刻戻った私に、大韓航空機行方不明の第一報がもたらされた。『大韓航空』と聞いた私の脳裏に嫌な予感が走った。昭和58年(1983年)9月1日、サハリン沖で旧ソ連の戦闘機に撃墜された大韓航空007便のことがまず頭に浮かんだ。当時私は、防衛庁統合幕僚会議事務局で勤務していた。この日は統合防災訓練おこなわれる日で、訓練の裏方を担当する第3幕僚室勤務の私は、朝からバタバタ慌ただしく動き回っていた。しかし訓練が始まって間もなく撃墜の情報が入り、防災訓練どころではない状況になったことを思い出した。人間、その事件に直接関わったり、その事で自分の行動が左右されたりすると、事件そのものをハッキリ覚えているものである。私の所属する統幕第3幕僚室は、在日米軍司令部との調整窓口を担当する班もあり、幹部として最下位(1等陸尉)であった私は、先輩達の指示で走り回ったことを思い出す。

 第一の偶然と幸運がここにある。大使館も各省庁同様縦割り社会で、隣の館員が何をしているのか無関心な組織である。「大韓航空機行方不明」となれば邦人保護の観点から、この種情報はまず領事の耳に入る。通常であれば、領事が調査し、報告の電報を起案、上司である参事官の合議を経て大使の決裁を受ける。その後電信官が電報を発信する。通常、関わるのはこの4人だけである。『治安・警備担当』の私の耳には入らないのが通常の業務処理である。このときの幸運は、領事が「処置済」とはいえ、私の耳に入れたことである。何故縦割り社会の大使館で、領事が担当でもない私に報告したのか。単に領事の気まぐれか。大使か参事官の指示なのか。あるいは、この領事がアブダビに着任するまで約1年余り私が領事を兼務していて、領事業務は私から現在の領事へと引き継がれていた。言うならば、私は領事としての先輩であったからなのか。真意は本人から聴くしかないが、とりあえず、この時点で事件が私の耳に入った。しかも電話で。私が翌日この大韓航空機行方不明の事件を新聞で知ったとしても、インパクトが小さく、果たして私が動いたかどうか疑問である。例えば、有名な画家の絵を美術館で直接見たときのインパクトと、同じ絵を新聞紙面で見たときのインパクトの違いだろうか。新聞は、不特定の人間に対する情報の垂れ流しであり、電話は、特定の人物への情報の伝達だからであろう。第一の幸運と言っていいだろう。更に付け加えれば、このとき私が「嫌な予感」を感じたことである。「第六感」とでもいうのだろうか、今振り返ると、この頃の私は、感覚が鋭敏に研ぎすまされていたように思う。今の私からは到底想像できない。若かったせいか、任務に対する責任感からなのか、「嫌な予感」がしなかったら動いていなかったであろう。本当に幸運であったとしか言いようがない。

本人が意識したか否かに拘わらず、第一の功労者はアブダビの領事です。
返信する
Unknown (krishunamurti)
2008-07-06 10:01:19
そういえばyou tubeかニコニコ動画で、この事件に大韓航空や韓国大使館がどの時点でどういう情報をキャッチしてどう動いたかが描かれてたドラマがありました。これには、日本側の大使館がどう動いていたかはほとんど描かれていません。

作ったのは韓国メディアで、これが国営放送局か民間放送局かはわかりません。

数ヶ月前、ニコニコ動画を『マユミ』『真由美』で検索して発見したものと記憶します。 
返信する
大韓航空機爆破事件の真実 21 (矢原純一)
2008-07-06 13:56:47
次の功労者に登場いただきましょう。昨年のフジTVの番組作成では、JALが取材を拒否した(と言っていました)とのことで、番組では「日系航空会社」となっていましたが、当時海外に定期便を飛ばしていたのはそのほとんどがJALで、ANAはやっと海外路線に参加し始めたばかりだったと記憶しています。ですから、「日系航空会社」と言えば中東ではJALを指すことになりますけど。何故JALが取材を拒否したのかは分かりませんが、何か不都合があるからかもしれませんので、本名を出すことは私も遠慮しておきます。この時JALのアブダビ空港支店長だったT氏とオペレーションマネージャーのY氏、このお二人の協力無くしては、この事件は絶対に解決していません。彼らの情報提供から全てが始まったわけですから。

どんな優秀な料理人であっても、食材が全くなければ料理はできません。同じように、情報が全くなければ分析はできません。この事件に関しては、JALのお二人の協力がなかったら分析すらできず、事件は解決していないと思います。このお二人のことも私の手記から当時のやりとりも含めてご紹介したいと思います。この事件に関わった多くの人の中で、このお二人が最大の功績者ではないかと考えています。

「Tさん、昨日はうちの領事が色々お世話になりまして、有り難うございました。ところでその件ですけど、その後何か情報はありますか?」
「いえいえ、昨日は私もバタバタしてましたのであまりお役に立ちませんで・・・。まだ見つかってないようですが・・・。他の情報というと・・・?」
「例えば、KE858便の飛行経過とか、最後のポジションレポートを何時、どこで、何と言ったか、なんてわかりますか?」
「わかりますよ。ちょっと待って下さい、今テレックスを取ってきますから。」
「じゃあ、アブダビ-バンコク間の航空地図もお願い出来ますか?」
「はい、わかりました。ちょっと待って下さい。」
私は、出されたコーヒーを飲みながらしばらく待つことにした。この時は、「何かひっかかる。」とはいうものの、何がおかしいから何を調べようなどと具体的な考えがあったわけではなかった。大使館で急ぐ仕事も無かったし、『航空機のポジションレポートあたりを訊いてみれば、納得して胸のつかえもおりるだろう。』くらいの軽い気持ちだった。暫くするとT氏がテレックスの用紙と地図を持って部屋に戻ってきた。
「これでどうですかね。矢原さんはパイロットだから読めると思いますが、専門用語や略語が多くて普通の人には分かりにくいんですが。」
私はパイロットが本職なので、飛行するときは必ず航空地図や航空自衛隊で発刊している「航空路図誌」を携行していた。日頃から見慣れていたので、記号や符号は説明を受けなくても理解できた。広げられた航空地図も、我々が日常使用する航空地図と大差なく、航空路や航法援助施設、義務位置通報点などが記載されたものであった。
「ええと、これによると、まず機種はボーイングの707型機ですね。」
とT氏がテレックスを読み始めた。
「707のエンジンは4発だったですよね?」
「ええ、そのとおりです。次に乗員が20名で、乗客が95名となっていますね。」
「乗員が20名ですか?随分多いですね。707は普通このくらいの乗員が乗っているんですか?」
「いえ、ちょっと多いですね。たぶん交代の乗員も何人か客席に乗っていたんじゃないでしょうか。それから、858便はアブダビ空港のタクシーアウト(地上滑走開始)が2340Z(ズール)になっていますから、えーと、アブダビ時間では、朝の0340になりますね。」
「Tさん、私もパイロットですからZ(ズール)タイムで大丈夫ですよ。むしろその方がピンときますから。」
「ああ、そうでしたね。アブダビテイクオフ(離陸)は0000Zちょうどで、バンコクETA(予定到着時刻)を0544Zと通報してるようですね。」

これも偶然と言っていいだろう。私がヘリコプターの操縦士であったことである。当時既に3000時間を超える飛行時間があり、自衛隊では機長として、あるいは操縦教官として飛行訓練や飛行任務を実施していた。そのため「ポジションレポート」に着目することができた。一般の大使館員にはない発想が生まれたのである。航空関係者でもなければ、「ポジションレポート」そのものも理解できないかもしれないし、何時、どんなときにポジションレポートをするのか。どんな内容を報告するのか。など予想できないだろう。同じ自衛隊からの出向者であったとしても、職務が航空操縦士でなければこんな発想は生まれなかったかもしれない。この偶然ともいえる幸運が事件解決に大いに役立ったことは言うまでもない。

「858便の飛行経路はこの地図でいくと、どのルートになりますか?」
「ちょっと待って下さい。それはうちのYが専門ですから、呼んできましょう。」
程なく、
「おはようございます。先日は有り難うございました。」
と言いながらY氏が部屋に入ってきた。
「いえいえ、こちらこそいつもお世話になっています。お忙しいところすみません。例のKE858便の件ですが、飛行コースは分かりますか?」
「ええ、通常ですと、アブダビを離陸してこうですね。」
Y氏は広げた航空地図を指で示してくれた。
「ええと、テレックスではURDIS(義務位置通報点) を0501Zに高度37,000ft(約11,000m)で通過していますね。その後、TAVOY―VOR(航法援助施設)を経由して、バンコク到着予定が0544Zとレポートしていますね。」
「0501Zというと、現地では丁度お昼頃になりますね。」
「そうですね。東経100度前後ですから、丁度お昼頃になりますね。」
「ポジションレポートは何処の管制機関と交信したのか、わかりますか?バンコクですか?」
「いや、ラングーン(現在のヤンゴン)ですね。」
 JALのバンコク支店から取り寄せたテレックスを読みながら、交信内容と航空地図を照合してみた。その結果、同機の運航状態等その概要は次のようになる。
1 機種等
 機種:B―707
便名:KE 858便
 乗員:20名
 乗客:95名
このとき、乗客95名の中、インド人、アラブ人各1名で残り93名が韓国人となっており、日本人の名前は無いとされていた。
2 アブダビからの飛行(時間は世界標準時、アブダビは+4時間、日本時間は+9時間)
 28日23:40 アブダビ空港で地上滑走開始
 29日00:00 アブダビ空港を離陸(管制塔にバンコク到着予定29日05:44と通報)
 29日05:01 ラングーン(当時)の管制機関に対し、「05:01 URDIS (義務位置通報点)を高度37,000ftで通過、TAVOY-VOR(航法援助施設) 通過予定05:22、バンコク到着予定05:44」と通報。
29日05:50 ラングーンとバンコクの管制機関が捜索を開始。

これがこの時私が入手した情報の全てであった。

返信する
シンイチとマユミの発見 (ボンゴレ)
2008-07-08 21:38:48
矢原さん、続いてコメントをしていただき、ありがとうございます。

今までは、矢原さんが搭乗者名簿にシンイチとマユミの名前を見いだして以降の事実関係を明確にするお話しでした。重要なことであり、興味を持って読ませていただきました。

一方、事故の一報が入った直後、たった半日で矢原さんは搭乗者名簿の中にシンイチとマユミの名前を見いだし、これを重要事項であると認識して周囲を動かしていきました。
事故からは遠い位置にいらした矢原さん及び周囲の方々が、なぜこれほど短時間で事件の核心に迫り得たのか。
この点についてお話しを始められているので、ますます興味を持って次の展開を楽しみにしているところです。

それではよろしくお願いいたします。
返信する
Unknown (矢原純一)
2008-07-10 10:24:41
次の偶然ですが、11月29日は、丁度アブダビ港にフランスのフリゲート艦を含む数隻が入港しており、在UAEフランス大使館付駐在武官のセベ大佐から、艦上レセプションへの招待状を受けていたのです。その時の様子を同じく私の手記からご紹介しましょう。

1987年11月29日 20:00頃
「こんばんはオールズ大佐 (米国駐在武官) 、お久しぶりですね。お元気でしたか?」
「やあ、ミスター矢原、こんばんは。上々ですよ。君の方はどう?」
「私の方は順調ですよ。」
「ああ、ミセス矢原、あなたもお元気ですか?」
「元気にしてます。大佐の奥様は?」
「ワイフは向こうで話してるようですけど、呼んできましょうか。」
「いえいえ、後でお話しできると思いますから結構です。」
「ところで大佐、大韓航空機がアブダビを発ってから行方不明になっているというのはご存じですか?」
「何時?」
「今朝らしんですが、アブダビを発って、その後行方不明になっているらしいですが。」
「いや、何も聴いてないね。」
「そうですか。」
「そういえば、ニュースでそんな事言っていたなぁ。」
と、横からアクラム大佐(パキスタン駐在武官)が口を挟んできたが、アクラム大佐もそれ以上は承知していなかった。その夜、パーティに出席していたイギリス、フランスの武官にも訊いてみたが、情報らしい情報は誰も持ち合わせていなかった。フランスの武官は、この艦の艦長にも訊いてくれたが、艦長も事件を承知していなかった。

翌日、JALの事務所で大韓航空機に関する情報を入手した私は、大使館へメモを持ち帰り、何から手をつけていいのかも分からない状態だった。まだ胸のつかえが取れない、というより、何か「事件」の予感すら感じ始めていた私は、各国の大使館へ電話をかけた。

11月30日10:00頃
「アメリカ大使館ですか、オールズ大佐をお願いします。」
胸のつかえがおりない私は、もう一度米国の駐在武官に電話を入れた。
「オールズ大佐、おはようございます。昨日お話しした大韓航空機行方不明の件ですが・・・。」
「そうそう、今朝出勤してから部下に確認したが『行方不明』以上の情報はないようだよ。」
「そうですか。」
「この大韓航空機が何か日本と関係があるのか。」
「いえ、別に。ただ、ちょっと気になったものですから。お忙しいところ申し訳ありませんでした。」
「昨日パーティはノーアルコールだったから、今度わが家でパーティやるよ。来てくれよな。」
「わかりました。ありがとうございます。喜んで伺います。」
やっぱり、何の情報もないか。

「ミスターバーチン(米国大使館セキュリティオフィサー)、おはようございます、日本大使館の矢原です。」
「久しぶりだね。ミスター矢原。元気だった。」
「ええ、元気ですよ。実はミスターバーチン、大韓航空の858便が昨日アブダビを離陸してから、行方不明になっているという話は知っていますよね。」
「カリージタイムス(アブダビの英字新聞)に出てたな。それが何か。」
「いや、何かこの件で情報を持ってないかな、と思って・・・。」
「新聞情報以上のことは何も知らないなぁ。何か情報があったら電話するよ。」
「ありがとう。よろしく。」
この後、英国大使館駐在武官のテスタード中佐にも確認の電話を入れたが、やはり新聞情報以上のものは持ち合わせていなかった。

この各国の駐在武官が「情報を持っていない」、という情報がポイントです。当時は何度も言いますが、イラン・イラク戦争の真っ最中で、ペルシャ湾を航行する各国のタンカーがイラン軍の標的にされ、「タンカー戦争」とも言われていました。実はこれも偶然ですが、この事件の少し前、各国が自国のタンカーや輸送船を護衛するために派遣されていた海軍に関する情報を入手したばかりでした。それを紹介しましょう。

①米国(空母×1、戦艦×1、巡洋艦×8、駆逐艦×3、フリゲート艦×6、強襲艦×1、掃海艇×1、補給艦×3、計24隻)をペルシャ湾、アラビア海、インド洋に展開

②英国(駆逐艦×1、フリゲート艦×2、掃海艇×5、補給艦×2、計10隻)を主としてペルシャ湾に展開

③フランス(空母×1、駆逐艦×3、フリゲート艦×4、掃海艇×3、補給艦×2、計13隻)をペルシャ湾の内外へ展開

④旧ソ連(フリゲート艦×2、掃海艇×1、計3隻)をペルシャ湾へ展開

この中でも特に、米国が空母を含む7隻をアラビア海に展開していたことが重要です。空母を展開していれば、艦載機は訓練を含めて上空の哨戒を行っていた筈で、かなり広範囲をレーダーでカバーしていたと考えるのが妥当でしょう。この米国が情報を持っていないということは、私が後の分析で可能性の一つとして上げた「戦闘機による撃墜」の可能性が低いということの裏付けにもなります。

次は片倉邦夫大使と幸運についてお話ししましょうか。
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大韓航空機爆破事件の真実 23 (矢原純一)
2008-07-19 17:50:57
次の幸運は、片倉邦雄大使が、事件の時、アブダビにいたことです。一般の人には分かりにくいかもしれませんので少し説明しましょう。当時のアブダビは、「不健康地」の指定を受けていましたので、「健康管理休暇」の対象となっていました。赴任1年目に30日連続の健康管理休暇、2年目に60日間の帰国休暇、3年目に再び30日間の健康管理休暇を取ることができます。この健康管理休暇は、マラリヤ等の病気が心配な国では、その予防薬を飲み続ける必要があり、1年に1度これらの病気の心配のない国へ出かけ、予防薬の連続服用による人体への悪影響を最小限に留めるための制度だと聴いています。
その他にも、近隣出張、買い物出張(館員交代で日本食材の買い出し)があり、大使は年に1度以上「大使会議」出席のため大使館を離れることになります。また、前任の大使が離任し、次の大使が着任するまでにも大使不在の期間ができます。これは任国政府の同意を得る必要があるからです。大使は着任する前に天皇陛下から信任状を頂いてくるため、一旦日本に戻ってからの赴任となります。

このように、以外と大使館に大使が不在になることは多く、大使が不在の場合、アブダビでは次席である参事官が臨時代理大使となって決裁権を行使します。参考までにこの上位2名が同時に不在になった場合、(3年間の勤務で一度だけあります。)外務省プロパーである若い政務担当書記官に決裁権が移ります。他省庁から先輩のキャリア官僚が出向していても、彼らに決裁権は移りません。

さて、事情を理解していただいたところで本題に戻りましょう。一般社会でも似たようなものだと思いますが、例えば、支店長が出張なり、休暇なりで不在となった場合、当然次級者が支店長の職を代行するだろうと思います。普段通りの恒常業務であれば難なくこなせると思いますが、事が、事故なり、事件なり、普段の業務処理では済まない場合、支店長代行者がどうするか問題ですよね。本社に、どうすればいいか問い合わせれば、こんなことも処置できないのかと、能力を疑われる可能性もありますし、かと言って、独断で処理を間違えば大問題に発展する可能性もあり、と、ご本人は大いに悩むところでしょうね。これはその代行者の能力や性格のよるところが大きいのではないでしょうか。アブダビ大使館の場合、私は100%自信を持って言えます。この時大使が不在であれば、電報は発信できていません。参事官の性格はいやと言うほど承知しています。(参事官が嫌いな訳じゃないですよ。参事官は温厚な方ですし、仕事以外ではとてもいい方です。)参事官が相手では、私がどんなに説得しても無理です。大使だから許可してくれたのです。これを幸運と言わずに何と言いましょう。

また、バハレーンへの緊急連絡にしても、アブダビからは、特命全権大使である本物の大使をバックにおいてバハレーンへ連絡している訳です。受けるバハレーンは臨時代理大使です。アブダビからの指図は聴かざるを得ないでしょうね。例え上辺だけでも。これが逆にアブダビが臨時代理大使で、バハレーンが特命全権大使であれば、無視された可能性は否めませんね。その前に、連絡すらしていないと思いますね。

片倉大使の存在そのものが、大きな役目を果たしたと言っていいでしょう。一般の方にはちょっと理解しにくいことかもしれませんね。

もう一つ、片倉大使が憶えていらっしゃるかどうかわかりませんが、片倉大使が前年10月アブダビに着任された直後、ある事がきっかけで、私は大使の不興を買う羽目になってしまいました。その後、大使館で挨拶しても無視されるし、館内ミーティングでも疎外感を感じる有様でした。もし、この頃、この事件が発生していたら、私がどんなに説明しても電報の発信は許可してもらえなかったと判断しています。電報どころか、話しすら聴いてもらえなかったかもしれません。ところが幸運にもその数ヶ月後、ある事がきっかけで、私は大使の信頼を完全に回復することになりました。そしてこの事件は大使の信頼を完全に回復した後に起きました。これも幸運と言っていいでしょう。

余談ですが、大使の信頼を回復できたことは大いに結構なことですが、必要以上に信頼されると仕事が増えて大変な事になります。事件がおきた当日私はドバイに出張していました。これは翌年早々に行われる「日本週間」で私が担当を仰せつかった「柔道のデモンストレーション」と「サッカーの親善試合」のための調整に出かけていたのです。大使館には「文化・広報・スポーツ担当」の書記官がいるにも拘わらず、私にお鉢が回ってきたのです。この事の少し前には、英国メディアの対応までやらされ、さすがにその時は担当書記官に『何故俺がお前の通訳までやらされるんだ!自分で話せ!』と怒鳴ってしまいました。一般社会では自分の仕事を他人に取られると、不愉快になるでしょうし、プライドが許さないと思うのですが、大使館ではそれは全く無いようです。仕事が減って楽になった、と思っているようです。

話が横道へ逸れましたが、大使の存在そのものが功績の一つと考えていいのではないでしょうか。
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矢原さんの推理に至る道筋 (ボンゴレ)
2008-07-21 12:26:31
矢原さん、コメントありがとうございます。

一連の矢原さんのご発言の進展で最大の関心事は、「矢原さんはなぜ、大韓航空機が爆破されたという確信に至ったのだろうか」という点です。
この点は、フジテレビの番組でも取り上げていましたが、残念なことに私は途中から番組を観たので良く理解できなかったのです。

現在までのところ、
①JAL職員の協力と矢原さんのパイロットとしての知識が相乗して、KE機の運行状況の概要を把握することができた。
②空母を展開する米軍が、情報を有していないことがわかった。
というヒントが明らかになりました。
これらヒントから、あるいはさらに付け加わるヒントから、矢原さんはどのような推理で「爆破に相違ない」という確信に至ったのか、また、「途中で降機した日本人を捜せ」というアイデアに至ったのか、それらの点がこれから明らかになるのであろうと楽しみにしているところです。
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矢原さん (浅野泉)
2008-07-28 09:26:19
前略
横から入ってきて恐縮です。
ワシントンDCらち連絡会の浅野の申しますが、矢原さんの直接ご連絡したいと希望いたしますが、矢原さんのご連絡先(Eメールアドレス)をご教示頂けますでしょうか。
私共の連絡先はウェブにございます。
宜しくお願い申し上げます。
浅野泉

ワシントンDCらち連絡会
世話人:浅野泉(非認定被害者の大澤孝司の従兄弟)
www.asanocpa.com/rachi
拉致被害者全員の救出を早急に実現しよう!
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大韓航空機爆破事件の真実 24 (矢原純一)
2008-07-28 12:08:10
私が何をどう分析して「爆破された」との結論に達したのか、とか、何故「アブダビで降機した中に犯人がいる」と考えたか、これを今ここで詳しく述べることは遠慮しておきます。その理由は、砂川氏にパクられる恐れがあるからです。砂川氏も彼の小説の中で「とにかくアブダビで降りた乗客をまず、全員調べる必要がある。」と言っています。何故アブダビで降りた乗客を調べるのか、その根拠は示されていませんので、是非彼にこのことについて根拠を示して欲しいものです。私がアブダビで降りた乗客を調べた理由を書けば、これをパクルでしょう、彼は。爆破されたとする分析も、彼なら分析そのものを自分がしたようにするのは目に見えています。何と言っても、結果が分かると、そこから自分に都合の良いストーリーをでっち上げるのが彼の十八番ですからね。テレビ番組では、分析した項目と一部の判断した根拠だけが出ていましたね。この程度であれば彼にパクられても、専門家の私が追求すれば、彼自身の分析ではないことを明らかにできますが、細部を記述すれば、悪用されますからね。という訳で、管理人さん、今はこのことについて伏せておきましょう。もっとも、私の手記がインターネットで流れてしまったらしいので、もう彼が入手しているかもしれませんけどね。

次は、アブダビの大韓航空や韓国大使館との関係について説明しましょう。先に説明したとおり、30日になってもしつこく調べている私の行動に不審を抱いた、大韓航空「金泰煥」アブダビ支店長からの問い合わせに答えたことは既にお伝えしました。シンイチとマユミがアブダビで降りたことは分かったわけですから、私としては次の段階として、この二人がアブダビに入国したのか、あるいは航空機を乗り継いで他へ向かったのか、他へ向かったとすればどこの航空会社の何便で何処へ向かったか、ということを調査することになります。当然の手順でしょう。ですから、最終的には二人がガルフ航空003便でバハレーンへ向かったという情報に辿り着いたと思います。しかし、問題は時間です。金支店長からの問い合わせがきたので、すんなりとこの問に答えて、「二人の日本人名がある」と答えました。そのお陰で、アブダビ空港での目撃情報が伝わり、二人がバハレーンへ向かったことまで、僅かな時間で明らかになりました。もし、金支店長からの問い合わせがなければ、私自身が大韓航空へ出向き、金支店長に面会することになるでしょうね。当時大韓航空のオフィスはバタバタしていたはずですし、金支店長が私に会ってくれたかどうかも疑問です。「おかしい、何かあるのでは…。」と疑問に思って日本大使館に連絡してきてくれた金支店長、これも幸運でしょうね。このお陰でバハレーンへの連絡が時間的に大いに早くなったことは事実です。バハレーンへの連絡がもう少し遅れていれば、二人がバハレーンから出国していた可能性も否定できません。後で詳しく述べるつもりですが、当日バハレーンへ本省から審議官が来ており、バハレーン大使館はそちらの接遇の方が忙しい様子でした。アブダビから二人に関する調査依頼は、はっきり言ってないがしろになっていた様子が窺えるからです。とにかく、間に合ったことは事実ですから、これも幸運だったと言っていいでしょう。

少し横道に逸れますが、大韓航空「金」支店長につぃてです。彼は「真由美」という韓国映画の中で、砂川氏同様、アブダビで降りた中に犯人がいると判断したことになっています。何故、人はこうも結果が分かると、結果に合わせたコメントをするのでしょうね。コメントの根拠を示して欲しいものです。これでは全く、「実はあの時、私は○○と思っていた。」などと言い出す三流評論家と同じですよね。11月30日付現地の英字新聞に金支店長のコメントが載っていますので紹介しておきましょう。

Most of passengers were construction workers returning from jobs in the Middle East, they said. All but two of the people aboard were South Korean nationals, official said.
T. H. Kim, area manager for Korean Airlines in Abu Dhabi, identified the two foreigners aboard as an Indian, D. Phalvani, and Abboud Edmond Adeeb, an Arab of unknown nationality. They were among 11 people who boarded the flight at a stop in Abu Dhabi.

この記事でもお分かりいただけるとおり、アブダビから新たに搭乗した11名の乗客についてのコメントはあるものの、アブダビで降りた乗客については触れられておりません。こんな人がアブダビで降りた乗客の中に犯人がいると思ったなどと、とても納得できるコメントではありません。そもそも、爆破された可能性にも触れられていないですよね。何故、人は結果がわかると好き勝手なことを言うのでしょうね。それはさておき、アブダビの韓国サイドの働きで時間が短縮でき、結果として間に合ったことは事実ですから、これも功績ですよね。

この時、アブダビの韓国大使館から、金参事官と劉(多分この字だったと記憶しています)書記官がバハレーンに向かいました。素早い対応でしたね。この二人がバハレーンに向かったお陰で、シンイチとマユミの宿泊先をいち早く掴むことができたのではないでしょうか。砂川氏の小説では、シンイチ・マユミの二人がアブダビからどこへ行ったか分からない中での調査と言い張っていますが、シンイチとマユミの二人がバハレーンに向かったと分からないのに韓国大使館の二人がバハレーンへ飛んだのは何故でしょうね。砂川氏は何故こんなに直ぐ分かるような作り話をするのでしょうね。砂川氏の小説が、北朝鮮という国と重なって見えるのは私だけでしょうか。北朝鮮という国は平気で『嘘』をつきます。しかし、その『嘘』はあまりにも幼稚なため、直ぐに『嘘』とばれてしまいます。例えば、横田めぐみさんの写真を公表したときでも、その写真にはめぐみさんだけ『影』がなく、合成写真だと直ぐにばれました。私も仕事で合成写真を作った経験がありますが、『影』の作り方が難しかったことを思い出します。素人の私でも分かるような常識すら持ち合わせていない、即ち、こんな幼稚な嘘で騙せると思い込んでいることが問題ですよね。

劉書記官は若い外交官でした、確か3等書記官だったと記憶しています。事件後出世され、東京の韓国大使館でも勤務(外務省の仲間からの情報)されたようです。調べればご本人に取材できるのではないでしょうか。そうなれば、私の言っていることが事実だと分かる筈です。今回の番組作成で、韓国で彼にも取材すると思っていましたが、全く関係のないことばかり取材していたようですね、フジテレビは。

次回は、在イラク日本大使館のことについてお話しましょう。このイラク大使館の動きは、砂川氏にとっては邪魔なんでしょうね。全く出てきません。ある事を覆しますよ、楽しみにしていてください。
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