パンセ(みたいなものを目指して)

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デモは無意味な行為か?

2024年05月07日 09時15分52秒 | あれこれ考えること

「早寝早起き朝ご飯」が健康的な生活をするコツだそうだ
田舎生活の自分は同居人の協力もあってこれは達成できている

SNSと距離を持って接するのが健康的な精神生活をするコツとの考え方がある
確かに、特に夜のX(旧ツイッター)には少しばかり
感情を煽るような投稿が見られる
夜の魔力がそうした傾向に拍車をかけると思われるが
昨日目にした投稿はちょいと気になった

それは「デモをしても何も変わらない現実がある
だからデモすること自体は無意味だ」という投稿について
様々な意見が飛び交った事案だ

確かに過去に大きなデモがあっても安保関連法案は国会を通過したし
反原発デモも具体的に何かを残したとは言えない
厳しい見方をすれば効果はなかったかもしれない

だがデモに効果がないと宣言する人はデモを実体験して挫折感を味わった人
というより、冷笑的にデモを見ている人なのではないかと思う

個人のことを言えば自分はデモに参加したことがある
シールズが有名になった安保関連法案の時、時々開催される反原発の運動の時
地元では少しばかり評判の悪い産廃業者の進出に対して

そしてデモしている視点からその行進を見ている人を眺めると
とても同じ空間と時間を生きているとは思えないものだった
デモを見ている人は覚めている
いやそもそも関心がない様に見える
もしかしたら彼らはデモする人を過激な人たちと見ていたかもしれない
それは確かに過激な言葉を発しての行進だったせいもある
それらの言葉を発しながらの行進は「ちょっと違う」という感覚と
恥ずかしさがあって全面的に賛同できるものではなかったのも事実だ

デモをしても結果的に何も変わらない、だから無駄だ!
と考えている人には聞いてみたいことがある
「ならば、どうすればいいと思いますか?」
これは選挙時に「自分一人が投票しなくてもしなくても何も変わらない」
と考えて投票しない人に対して
「投票しなかったあなたの意志はどのように反映されると思いますか?」
と聞いてみたいことと同じ意味合いだ

効果があろうがなかろうが、反対意見の存在を可視化できることは
意味あることだと思う
結果的にデモが効果を発揮しなかったとしても、反対している人の存在が
概念的だけでなく実際に人数として可視化できることは
政治家にとっては少しばかり怖いことなのではないのか

デモをしない、投票にいかないひとの行動パターンは
イノベーター理論における先頭を走る人ではなくて、
みんながするようになって初めて追従する人たちではないのか

みんなが食べてるから食べる(インスタ映えする食べ物)
みんなが読むから読む(ベストセラー小説)
みんなが写真を撮るから撮る(定番の角度からの絶景の写真)
みんなが応援するから応援する(タレントさん)

それらは自分で考えて行動しているようでも
実は販促活動に支配されているに過ぎない面もある
政治的・社会的にはプロパガンダに侵されているといえるかもしれない

実施的に効果がなかったデモだとしても、デモされる側が一番ありがたいのは
デモがないことだ
デモは効果がないという言い分は、こうしてデモをしてほしくない人たちに有利に働く

「デモに効果がないとして無意味」と冷笑する人たちは
不満の少なくない現状を肯定しているのか?といえば
おそらく大した考えがあってのことではなくて
現状に不満があっても面倒だから何もしない
そしてそれを正当化する理由を探しているだけのように思える

といっても反対意見を可視化するためにデモに参加しようとか
自分の意思を政治に込めるために投票に出かけましょうというのは
意識高い系の考え方であったり、どこか分別臭くて
それゆえに行動したくないと思う人がいるのはなんとなく想像できる

でもそれでも、まずは出来ることからする
出来る人からする、、
無駄でも、無力でもとにかく何かしてみる
そうしたことが大事だ!と今の年齢になってそう思う


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