パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

普通は品性がそれにストップを掛ける!

2024年05月04日 09時19分39秒 | あれこれ考えること

Youtubeで先日の衆議院補欠選挙、東京15区の話題になっている選挙妨害
(演説妨害)のシーンを見た
なるほど、酷いものだ!  それが第一感だった

立憲民主党の酒井菜摘さんの応援演説に小川淳也さんがマイクをもった時
明らかに邪魔しようとする意図が感じられる大きなマイク音が聞こえた
「つばさの党」のスタッフによるものだった
「消費税上げるんですか?」「消費税上げるんですか?」としつこく繰り返す
自分の声さえ聞き取れないような状況に一瞬困惑を覚えた小川さんは
覚悟を決めたように、いつもとは違って大声でシンプルな演説に切り替えて
「頑張ろう!」と自らも鼓舞するように絶叫する

その後で、選挙妨害について批判はせずに「今日は勉強になった」
「良い試練になった」と苦笑しながら言う
彼らしい捉え方と笑いを覚えたが、こうした明らかに妨害と言えるものを
質問する権利とか表現の自由との言葉で正当化するとか
それを認めて楽しんでいるというのは、どこか違っていると思えて仕方ない

昔のわが町の市議会議員選挙は、近所で数人立候補したために選挙カーは
賑やかなことになった
ある候補が訴えながら走っていると別の候補と鉢合わせになることはザラにあった
その時は、片方の選挙カーは一瞬マイクの音量を下げてから
「〇〇候補さん、健闘を祈ります」とのメッセージに切り替えた
するとそれに応えるようにもう片方も同じ言葉をかける

その言葉が本音かどうかはわからない
だが、それは社会人として礼儀のようなものと思われた
善意に解釈すれば、自分と同じような熱い志をもって立候補した人物は
考え方は違うかもしれないが尊敬に値する人物と想像して
こうした戦いの相手にもエールを送ることができたとも想像できる
そこまでは考えないとしても、単なる敵としてしか見ないことはなかったようだ

ところが先の例に代表される現代は、世の中は敵と味方しか頭にはないかのようだ
相手が困ることも、そして自分がされたら困ることも、何々の自由の概念で
正当化されると思っている
でもそれは違う
仮に〇〇の自由があったとしてもそれを行使しないのが品格とか人間性というものだ

何を言うかは知性、何を言わないかは品性という言葉があるが
あのようなことをする時点で立候補する資格さえ無いように思えてしまう
そしてそれを面白がっている人も自らの品性を顧みてほしい

ところで現代は左翼・右翼の区分よりも、強者寄り・弱者寄り
あるいは権威寄り・反権威よりと区別したほうが良いのではないかとする
考え方があるようだ
確かにそうかも知れない、、と実感する
そして何でも敵・味方に区別する世の中、、、それはどうなんだろう




コメント
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