パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

3分間

2024年05月10日 10時38分38秒 | あれこれ考えること

3分間は長いか短いか?
ボクシングの1ラウンドは3分だ
素人が試しに戦ってみると、その3分はとても長く感じるようだ
グラブをはめた腕はあっという間に疲れで重くなって
パンチを繰り出すどころではなくなって
しかもあちこち動くことになるから、呼吸も楽ではない
つまりは素人にとって3分は短いとは言えない

ところが反対にあっという間に終わってしまった
と感じることも世の中にはある
3分間で話をまとめて発表してください!
という注文を素人が実践するのは難しい

話を的確に3分間にまとめるのは技術と慣れが必要だ
素人は例えば怒りの感情に襲われてしまうと
そこから派生する様々なエピソードを語りたくなってしまう

こうした例は市内を循環して行われる市長との意見交換会でも見られる
挙手して意見・質問をする人は(特に時間制限はしていないので)
自分のペースで話す
残念ながらそれは上手な話だとは言えないことが多い
話が横道にそれたり、質問なのか意見なのか不明な発言が続いたり
そもそも論旨がよくわからない、、ということも多い
それは意見を聞く立場の行政の人でない会の参加者でも
もう少しわかりやすく論点を絞れば良いのに、、と思う

だがこれが現実だ
みんながみんな上手くやっていける訳では無い

あらかじめ時間制限が伝えてあったかどうかは知らないが
水俣病の患者・被害者らと伊藤信太郎環境相との懇談の際に被害者側の発言が
3分をオーバーしたところでマイクを絞って遮られた報道を知って
直感的にこれは酷い!と怒りを覚えた

3分がそもそも適切な時間なのか、それで足りるのか疑問に思うし
3分で充分とする判断の根拠は、あまりにも発表慣れした人に照準を合わせていないか

それは素人には無理なところもある
仮に時間が長くとれないとしても、こうしたいきなりの無慈悲な行動は
もう少しやりようがあったのではないか
聞くところによると、話を遮ったのは大臣が乗る電車の時間に合わせるためだったとか
こうした話を知るだけで、この集会がどのくらいの意味を感じていたかが想像できる

それは単に被害者の意見を聞く機会を設けたという事実だけが大事であって
話の内容は関係なさそうだ(そう思われても仕方ない)

怒りの矛先はマイクの音量を絞った官僚に向けられているが
中にはそれをせざるを得なかった官僚に同情するひともいるようだ

なんだかなあ、、、
どうすべきだったか(3分間の徹底周知、残り時間がわかるようにする)
という真面目過ぎる議論より
もっと常識的に人としての視点で対処してほしかったな、、というのが実感
なんかみんな余裕が無くなってきているみたい



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