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命の値段

2019年01月13日 23時55分57秒 | 社会・経済

またまたZOZOタウンの前澤氏。

100人に100万円で総額1億円のお年玉の次は、臓器移植が必要な3歳の子どもの手術費用 を作るために動き出した。

と言っても前澤氏のツイッターにリツイート(誰かがつぶやいた事をそのままツイッターに表示させること〜でいいのかな(汗))すると、その一件につき10円を付け加え寄付しますという事はとです。(この10円に付く加えるという表現もちょっと分からないけれど。

サンデージャポンの特集でそれを見た人から支援を呼びかけられ、急いで調べたらこれは大変だと感じ直ぐに行動に移したそうで。

急いで調べた〜ってこの人の歳で、この子の様に臓器移植が必要な子がいるって、知らない訳はないよね。

しかしその行動力には脱帽するところで、なかなかできることではありません。

多分前澤氏のフォロワーが支援をお願いしたって認識なのだけれど、日本はキリスト教圏に比べて寄付が少ないという話だけれど、前澤氏だけでなく、孫さんや柳井さんにもお願いしたらどんな反応をするのだろう。

その前に臓器移植、特に子どもの移植に関する問題は、日本でも既に2010年の改正臓器移植法によって、本人の意思が不明な場合、家族の承諾で移植が可能になりました。

それでも提供できるドナーが圧倒的に少ない状況です。

これは日本人の死生観にも通じるものなのかな。私の母は死んでからの臓器移植も嫌だと言っていたことがあり、例えば角膜移植などでもしたらあの世(死後の世界?)で目が見えなくなるかもしらないから嫌だと、戦前生まれの人が考えそうな事かなって思います。

お坊さんがそんな事を言うわけもなく、おそらく母が想像で考えていることで、死後の世界だってだ〜れも知らないわけで。私は本当に自分勝手な考えですが、どんな病気をしていたり角膜とか臓器の移植をしたとしても元気で苦しみのない世界が待ってる…なんて思っているのですが。

自分が死んでも私の事をほとんど知らないような坊さんから、お経を上げて貰うことも遠慮したいし、できるなら骨は生まれ故郷が見える藻琴山のてっぺんにでも埋めて欲しいなと思っているのだけれど、今のところそれは無理そう。

お墓でもなんでそんな形にこだわるんだろうな〜と思います。父母はお墓や先祖を大事にしていますが、それを否定するわけではありませんが、現在の仏教やお坊さんをちょっと信じられないわけで。

あっと、この話で死の話はいけなかった。しかし、自分の子がこのような状況になったとしたら…自分や家族でも支払えないほどの費用がかかってしまうと知ったら、冷たいのかもしれないけれど私は諦めてしまうのではないかと思ってしまう。

できることなら助けてあげたい、救ってあげたいと思うけれど、少し前の時代なら完全に死を待つばかりだったろうし、日本では子どもの移植さえできなかったし、海外で移植をするという事は、同じような病気で苦しむ子どもの順番をお金で割り込むのではという考えもありますし、私も命の順番がお金次第というのは腑に落ちないところです。

未熟児でも高齢者でも医療の発達によって命が救われ、永らえる事ができるようになりました。私のすぐ近くの人でも小さい子どもが心臓の手術をして、現在は定期的に検診は必要とのことですが、元気に成長しているという話を聞くと医療って素晴らしいとは思うのですが、海外での臓器移植は色々悩ましい問題です。

コメント
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