孤帆の遠影碧空に尽き

年に3回ほどアジアの国を中心に旅行、それが時間の流れに刻む印となっています。そんな私の思うこといろいろ。

アフガニスタン  タリバン内紛の中で斬首処刑されたハザラ人

2015-11-12 23:18:17 | アフガン・パキスタン

【11月11日 AFP】

タリバン内紛
アフガニスタンのイスラム過激派タリバンは、最高指導者オマル師の死後、ナンバー2だったマンスール師が後継となっていますが、これに反発する勢力もあることはこれまでもたびたび触れてきたところです。

***タリバーン内紛で戦闘、100人死亡 アフガン南部****
アフガニスタン南部のザブール州で、反政府勢力タリバーン内部の権力闘争が戦闘に発展し、地元メディアによると、10日までに双方合わせて少なくとも100人が死亡した。

タリバーン内部では今年7月、最高指導者オマール幹部が2年前に死亡していたことが明らかになり、後継者となったマンスール幹部と、同幹部の就任を拒否する有力者らの対立が表面化。

今月初めには、反マンスール派が元ニムローズ州知事のムハマド・ラスール幹部をトップとする独自の指導部樹立を宣言した。

タリバーン筋によると、反マンスール派の実力者で、ラスール幹部に次ぐナンバー2のダドゥラ幹部のザブール州内の支配地域に対し、マンスール派が5日、総攻撃を開始した。

反マンスール派に身を寄せていた中央アジア系のウズベク人武装勢力を巻き込み、衝突が拡大した。

ウズベク人勢力は中東の過激派「イスラム国」(IS)に恭順を示したことがあり、数カ月前に拉致した少数派シーア派の住民7人を戦闘途中に殺害した。タリバーンは捕まえたウズベク人を報復として処刑したと伝えられている。【11月10日 朝日】
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首を切られ処刑されたハザラ人7名
タリバンの内紛は今後のアフガニスタン情勢にとって重要なポイントではありますが、今日の話は上記記事の最後に触れられている戦闘途中に処刑された“少数派シーア派の住民7人”(ハザラ人)の話です。

“殺された7人は、男性2人、女性2人、少年2人、少女1人。南部のザブール州で先週末、首を切られた状態で遺体が発見された。CNNによると、7人は10月にザブールで反政府勢力タリバンとISIS関連組織の抗争が起きた時期に誘拐されたらしい。”【11月12日 Newsweek】

上記【朝日】ではウズベク人勢力が殺害したように記述されていますが、そのあたりはあまり明確ではないようにも報じられています。

****ハザラ人7人の斬首遺体見つかる、アフガン首都で大規模デモ****
アフガニスタンで前週末にイスラム教シーア派の少数民族ハザラ人7人の斬首遺体が見つかった事件を受け、首都カブールで11日、犠牲者のひつぎとともに数千人がデモ行進し、犯人に対する裁きを求めた。

女性2人、少女1人を含む7人の遺体は7日、南部ザブール州で発見された。何者による犯行かわかっていないが、アフガニスタンの旧支配勢力タリバンもしくはイスラム過激派組織「イスラム国(IS)」の関連組織による犯行だとして非難の声が上がっている。

カブール西部に集まったデモの参加者は雨の中、犠牲者の写真を掲げ市内の中心部に向かって行進し、タリバンとISを非難するスローガンを叫び、政府による保護と裁きを求めた。

事件の状況はこれまでのところ明らかになっていないが、7人は数か月間にわたって武装集団に人質に取られていたと考えられている。遺体が見つかったザブール州では最近、タリバンの内部抗争が起きていた。

一部の地元当局者はISの同調者による犯行としているが、政府は事件のあった地域を掌握しておらず、事実確認ができていない。

また、アフガニスタンの情報当局は10日、タリバンの内部抗争が起きていたことを指摘し、IS関連組織の関与を否定した。【11月11日 AFP】
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人々の怒りは、ISやタリバンを抑えられないアフガニスタン政府にも向けられているようです。

****子供を斬首したISへの報復を求め、カブールで大規模デモ****
アフガニスタンの首都カブールで11日、テロ組織ISIS(自称イスラム国、別名ISIL)に斬首処刑されたとみられるハザラ人7人の棺を担ぎ、遺影を掲げた数千人の市民がISISへの報復を叫んで通りを埋め尽くし、大統領官邸に向けて約10キロのデモ行進を行った。(中略)

デモ隊はアフガニスタン政府のISIS対策の手ぬるさを糾弾、タリバンとアフガニスタンのアシュラフ・ガーニ大統領双方に怒りをぶつけた。ガーニが官邸にいたかどうかは不明だ。

 一部のデモ参加者が塀をよじ登って敷地内に入ろうとしたため、官邸の警備兵が群衆に向けて発砲。7人が負傷したと、アフガニスタンの公衆衛生省が発表した。(中略)

ハザラ人はイラン人と同じペルシャ語を話すイスラム教シーア派教徒で、人口は280万人。アフガニスタンでは3番目に大きい民族だ。アフガニスタンでは、タリバンやアルカイダなどイスラム教スンニ派の武装集団やテロ組織の標的になっている。

「(殺害は)アフガニスタンの人々と政府、同盟国に対する極めて危険なメッセージだ」と、アフガニスタン下院のアブドゥル・ラウフ・イブアヒミ議長はロイターに語った。「これは家族や部族、民族ではなく、アフガニスタン人すべての問題だ」【11月12日 Newsweek】
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「これは家族や部族、民族ではなく、アフガニスタン人すべての問題だ」とのことですが、今回のデモは、被害にあったハザラ人によるもののようです。
“アフガニスタンの首都カブールで11日、少数民族ハザラ人数千人が治安改善を求める抗議デモを行った。”【11月12日 毎日】

アフガニスタン混乱の根底にある民族対立
かなり古い数字ですが、アフガニスタンの民族構成は以下のとおり。

****主要民族 (2003年推計****
パシュトゥーン人45%、言語:パシュトー語(イラン語群)、宗教:ハナフィー派スンニー
タジク人32%、言語:ダリー語、タジク語(イラン語群)、宗教:ハナフィー派スンニー、イスマイール派シーア(北部の若干)
ハザーラ人12%、言語:ハザラギ語(イラン語群、ダリー方言)、宗教:イマーム派シーア、イスマイール派シーア、スンニー(極少数)
ウズベク人9%、言語:ウズベク語(テュルク諸語)、宗教:ハナフィー派スンニー【ウィキペディア】
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アフガニスタンの混乱がいつまでもおさまらない理由のひとつが、この民族対立です。

“アフガニスタンは,パシュトゥン人(アーリア系),タジク人(ペルシャ系),ウズベク人(トルコ系),ハザラ人(モンゴル系)などによる多民族国家であり,各地の有力部族が,住民生活から文化や政治に至るまで大きな影響力を有していたことなどから,長期的・安定的な統一国家が形成されず,歴史的にも混迷した情勢が続いてきた。”
【公安調査庁HP】

内戦時には各民族間で血で血を洗う凄惨な内戦が繰り広げられ、旧タリバン政権はそうした混乱を一定におさめたことで民衆の支持を拡大した歴史もあります。

そのタリバンは最大民族パシュトゥン人が基盤となっています。

旧タリバン政権崩壊後も民族間の対立は解けておらず、先の大統領選挙もパシュトゥン人のガニ候補とタジク人のアブドラ候補の争いとなり、選挙後の混乱で民族間の衝突も懸念される状況になったことは記憶に新しいところです。

ハザラ人の虐待と差別の歴史 近年の境遇変化
そうした民族対立の中にあって、ハザラ人はほとんど唯一のシーア派で、かつ、モンゴロイドで顔つきも異なることなどから、長く差別的な劣後した地位におかれ、虐殺も経験してきました。

近年は熱心な教育や政界への進出によって、その境遇は改善しつつあるようですが、そのことが他民族の不快感を呼び起こすところともなっているようです。
(2013年10月15日ブログ「アフガニスタン 女性、少数派ハザラ人の社会進出 変化と抵抗」http://blog.goo.ne.jp/azianokaze/d/20131015

****被差別の民、民主化の光 アフガン、奴隷の歴史背負うハザラ人****
アフガニスタンには日本人と似た顔立ちをしたハザラ人と呼ばれる少数派の民族がいる。
長く抑圧されてきたが、混乱の時代を経て12年前に登場したカルザイ政権の民主化により、大学や政治の舞台で急速に力を増している。誰もが平等にチャンスを持つ社会の誕生が、追い風になった。

■機会平等の社会生かす 高等教育、進学に熱意
・・・・アフガニスタンは人口約3300万人。ハザラ人が占める割合は1割程度とみられる。1973年に倒れた王制の時代から現在まで支配民族として君臨してきたパシュトゥン人(約4割)、北部に多いタジク人(約3割)に及ばない。

それが近年、大学進学では民族比率の逆転が起きている。最高学府のカブール大学では、ハザラ人学生がすでに3割以上に達している。ハザラ人で社会学科4年のイシュハク・アリ・ラセクさん(23)によると、学科の同級生88人のうち69人がハザラ人だ。

今春の国立大学統一入試では、住民のほとんどがパシュトゥン人で反政府勢力タリバーンの活動が活発なカンダハル州(人口約110万)の合格者は918人。一方、ハザラ人がほとんどのダイクンディ州(人口約40万)からは3304人。首都があり人口で10倍近いカブール州の半分に迫る躍進ぶりだった。
ラセクさんは「長く抑圧され、貧しいハザラ人にとって、開かれた唯一の道は学問の道だから」と話す。

他民族からの警戒感を反映した動きも出ている。高等教育省は最近、国立大学進学枠を全国一律の選抜方式から、民族比率が反映されやすい州ごとに割り当てる方式に変える方針を出した。
この方針は結局、閣議で否決されたが、海外留学枠については全国一律の成績順から今年、州ごとの割り当てに変更された。

■政界でも勢力拡大
ハザラ人の進出は、議会の勢力分布にも表れている。州ごとの中選挙区制で行われた2010年の下院選の結果、現在はハザラ人が定数249のうち2割強の51議席を占める。

象徴的なのが、ハザラ人とパシュトゥン人が混住する中部ガズニ州だ。人口の45%程度とされるハザラ人が11議席中9議席を占めた。
治安が悪いパシュトゥン人居住地の投票率は低く、特に女性は、タリバーンや宗教保守派の圧力でほとんど投票に行かなかったという。一方、ハザラ人の地域では女性も含めた投票率が非常に高かった。

ハザラ人当選者の一人、ムハマド・アリフ・ラフマニ議員は「ハザラ人にとって、選挙は権利回復の手段そのもの。民主主義への期待や信頼が高い。来年の大統領選では、どの候補者もハザラ人の票を無視できないだろう」と指摘する。

高まる政治力を背景に、カブール南方のワルダック州では、王制時代の優遇政策で地主化していたパシュトゥン人遊牧民から、ハザラ人の農民が土地を取り戻すなど、権利回復の動きも起きている。

■国外に逃れ、近代思想持ち帰る 歴史家アスカル・ムサビ氏
もともと中部の山岳地帯を中心に住んでいたハザラ人の苦難は19世紀末のパシュトゥン人首長アブドルラフマンの時代に始まった。アフガン統一の過程でハザラ人が起こした反乱をきっかけに、ハザラ人の6割以上を殺害または国外追放し、奪った土地をパシュトゥン人に与えた。

アフガンの2大民族、パシュトゥン人とタジク人はイスラム教スンニ派が主体でコーカソイド(白色人種)なのに対し、ハザラ人はシーア派が多く、モンゴロイド(アジア系)で顔つきが異なる。

パシュトゥン至上主義を掲げたアブドルラフマンは「もしハザラ人というロバがいなかったら、人はもっと働かなければならない」と、使役用のロバになぞらえてさげすんだ。1920年代に奴隷制度が廃止されるまで使用人として売買され、それが現在まで続く差別の原因となった。

その後、70年代にできた社会主義政権時代に差別は緩和されたが、90年代後半にタリバーンが政権の座につくと、状況が悪化した。スンニ派への改宗を拒むハザラ人の虐殺が横行し、山間部に逃れたハザラ人は大量に餓死した。

カルザイ政権下でハザラ人は初めて、第2副大統領を出す国内第3勢力として認められるようになった。苦難の時代に同じシーア派のイランや世界各国に移り住んだ世代が帰国し、近代的な考えを持ち帰ったことも、民主化の時代で繁栄につながっている。【2013年10月11日 朝日】
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今回のハザラ人7人の処刑は、ハザラ人にとっては虐待と差別の歴史の記憶を呼び覚ますものでしょう。

ガニ大統領はテレビ演説で「テロリストは戦闘で敗北しているため、部族間の対立の種をまいている」と語り、民族融和を保つよう呼びかけています。【11月12日 毎日より】

アフガニスタンが本当に生まれ変わるためには、単にタリバンとの戦闘をおさめて和平を実現するだけでなく、これまでの民族対立感情を克服して和解を進めることが必要ですが、それは戦闘をおさめることより遥かに困難なことであることは言うまでもありません。

アフガニスタンに限らず、世界の不幸のかなりの部分は民族間の対立から起きています。

自らの民族に誇りを持つことと、多民族に対して攻撃的になることは別物です。・・・・別物ではありますが、民族を強調する立場は往々にして他民族への攻撃姿勢の温床ともなるのも事実であり、そうしたことから、個人的には、日本にあってもことさらに民族を強調する考え方には生理的嫌悪感を感じます。

誰しも自分の生まれ育った国の風土・文化そして同胞に対しては強い愛着を有しているものです。そうした漠然とした愛着で十分であり、敢えて民族的なものを強調したり、日の丸を振り回したりする必要もないと思っています。
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