孤帆の遠影碧空に尽き

年に3回ほどアジアの国を中心に旅行、それが時間の流れに刻む印となっています。そんな私の思うこといろいろ。

ソ連崩壊から20年 経済崩壊モルドバで深刻化する孤児問題 コソボのセルビア系住民は・・・

2011-12-29 22:20:54 | 欧州情勢

(モルドバのクプクイ 孤児施設の子供たち “flickr”より By alex.spatari http://www.flickr.com/photos/spatari/3541467263/

子どもの3人に1人が孤児
昨夜、NHKで、旧ソ連の構成国だった東欧の小国モルドバの孤児問題を扱った番組を放映していました。

****光なき孤児〜ソ連崩壊20年 東欧の小国の悲劇〜」****
子どもの3人に1人が孤児だという、旧ソ連の構成国だった東欧の小国モルドバ。
独立から20年、ソ連の経済圏に組み込まれていた産業が崩壊し、国民1人当たりの月収が100ユーロという、ヨーロッパ最貧国に転落。貧困にあえぐ人々は、不法な手段で海外に出稼ぎに出てしまい、モルドバに戻ろうとはしません。国は残され孤児となった子どもの教育にまで手が回らず、外国人との養子縁組を推進するまでに追い詰められています。孤児問題を通し、ロシアからもヨーロッパからも見捨てられた国・モルドバの現在を見つめます。【HNKホームページより】
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内容的には、今年1月のNewsweek記事と、ほぼ同じです。
****出稼ぎ孤児の国モルドバの悲しみ****
ルーマニアとウクライナに挟まれた東欧の国モルドバ。
この国に住む幼いオルガ、サブリナ、カロリーナの姉妹は、もう3年以上も自分たちだけで生活している。母親役を務める長女オルガはまだ13歳だが、登校の2時間前には起床し、自分たちで掃除や料理をする。彼女たちの母親は07年に不法移民としてイタリアに渡り、高齢者の世話をして収入を得ている。娘たちには1日に2度電話をかけ、月に1度は服や食料などを送る。しかし今も合法的な滞在許可を取得していないため、娘たちに会いに帰国することはできない。

モルドバでは近年こうした「出稼ぎ孤児」が大きな社会問題になっている。人口の約3分の1が西欧諸国などに出稼ぎに出ているといわれ、親が国外で働く子供の数も過去5年で倍近くに急増した。

問題はヨーロッパの最貧国であるモルドバの低迷する経済だ。ソ連からの独立以来、停滞を続け、08年の世界金融危機で致命的な打撃を受けた。国内の失業率は深刻な水準に達し、若者は国外に働き口を求めざるを得ない。
取り残された子供は精神的に傷つき、犯罪に走ることも多い。写真家のアンドレア・ディーフェンバッハは08年からこの問題を追っているが、彼女の目にはまだ改善の兆しは見えないという。【1月19日号 Newsweek日本版】
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“国民1人当たりの月収が100ユーロ(約1万円)”というのは、さすがに厳しい状況です。
登場女性が、ベビーシッターの仕事で、月200ユーロとも言っていました。
“欧州最貧国”と呼ばれていますが、わが子を残して国外に出て行かないと生きていけない現実があります。

一番手っ取り早いのは、隣国ルーマニア(EU加盟)に出稼ぎ出ることで、ルーマニアでは多くの職があります。更に、ルーマニア市民権を得られれば、EU域内各国に移動して働くこともできます。
しかし、50万人の希望者に対し、実際に市民権が得られるのは1万人ほど・・・とのことでした。
ただ、昨今は欧州経済危機で、外国人労働者の境遇はかなり厳しくなっているのではないでしょうか。

国外に仕事を得ても、国内に残された子供はどうなるのか・・・という問題が生じます。
出稼ぎに出た親との連絡と途絶えるケースも多々あります。そうしたこともあって“子どもの3人に1人が孤児”という状況になっています。
NHK番組は、そうした孤児問題の観点からのもので、モルドバの政治・経済情勢にはあまり触れていませんでした。

ソ連崩壊でモルドバ経済も崩壊
番組で経済的背景として取り上げていたのは、かつての基幹産業であるブドウ栽培・ワイン生産の崩壊です。
ソ連時代は集団農場でブドウを栽培し、大量にワインを生産しており、そのワインはソ連国内で消費されていたのが、ソ連崩壊・独立で農地は農民のものになりましたが市場を失い、現在は自家用に細々とつくる程度だとのことです。
番組では、「昔は良かった・・・」という言葉が何度も語られます。

モルドバについては、09年4月9日ブログ「モルドバ 選挙後の暴動で、大統領がルーマニア批判」(http://blog.goo.ne.jp/azianokaze/d/2009040)で取り上げたことがありますが、そこからモルドバ経済崩壊について再録すると、“独立後の急速な市場経済化で従来の国営企業を中心とした経済体制が崩壊、更に、トランスニストリア問題で対立するロシアが天然ガス価格の値上げ、最大の輸出品であるワインの禁輸(国際的品質基準を満たしていないという理由)でモルドバに圧力をかけ、“ヨーロッパの最貧国”と呼ばれる状態に陥りました”ということになります。

“トランスニストリア問題”というのは、“国の東部に位置するドニエスル川東岸地域(別称:トランスニストリア、トランスドニエストル)にはロシア人・ウクライナ人が多く居住しており(ルーマニア(モルドバ)人、ロシア人、ウクライナ人が各々約30%)、91年に「沿ドニエストル共和国」として独立を主張、ロシア・ウクライナ・沿ドニエストル合同の平和維持軍によって停戦監視が行われています”という、ロシアを後ろ盾としたロシア人勢力の分離独立運動です。

モルドバは国の将来をEU加盟に求めているとのことですが、番組でも指摘していたように、EUが求める基準を何一つクリアできていないのが現状です。

与野党対立で大統領不在2年
更に、モルドバ再建の足を引っ張っているのが政治的混迷です。
09年4月9日ブログでは09年4月5日の議会選挙結果を巡って、勝利したとする与党・共産党に対し、野党勢力が暴動を起こしたことを取り上げていますが、結局、共産党は大統領選出に必要な議席をまとめられず、09年7月に再度、議会選挙が行われ、旧ソ連圏で唯一の共産党政権だったウォロニン大統領は09年9月に辞任しています。

しかし、09年7月の2度目の議会選挙結果は、共産党は48議席と後退し、野党4党が計53議席となって、与野党勢力伯仲の構図はむしろ強まり、野党側も大統領選出に必要な議席を獲得できませんでした。
その後、共産党側、野党側双方とも大統領を擁立できない“空白期間”が、2年以上経過した今も続いています。

****旧ソ連・モルドバ、大統領選べず 2年以上不在続く****
旧ソ連・モルドバの議会(定数101)で16日、大統領選出の議員投票が行われたが、唯一の候補者である親欧米の民主党党首ルプ氏が当選に必要な61票を獲得できず、再び選出に失敗した。旧ソ連から独立した諸国で唯一の共産党政権を率いたウォロニン大統領が2009年9月に辞任して以来、大統領不在は2年以上に及んでいる。

モルドバでは09年以降、親欧米派と共産党の議会勢力が伯仲し、双方の候補がギリギリで61票に届かず、大統領を選出できない状態が続いてきた。今回も親欧米派の連立与党で58票しかとれず、共産党は投票をボイコットした。30日以内に再投票されるが、情勢が動くかどうかは不透明だ。【12月17日 朝日】
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“国民1人当たりの月収が100ユーロ(約1万円)” “子どもの3人に1人が孤児”という状況で、2年以上に及ぶ“政治空白”は国民不在としか言いようがありません。

09年4月9日ブログでも触れたように、モルドバは歴史的にも、民族・言語的にもルーマニアと一体的な関係にありますので、91年の独立時から、“将来的にはルーマニアとの統合”ということがモルドバ・ルーマニア双方に想定されていました。
共産党政権は統合への熱意は冷めており、親欧米派の野党側がルーマニアとの統合を望んでいるそうです。

野党側が政権を握ればルーマニアとの関係強化で、経済的な打開策も出てくるのかもしれませんが、ロシアとの関係悪化で“トランスニストリア問題”は更にこじれそうです。
ただ、トランスニストリアは現在でもモルドバの実効支配が及んでおらず、ロシアの傀儡政権的な状態にありますので、実態としては今より悪くなることもない・・・とも言えます。モルドバ・ロシア双方の出方次第では、停戦状態が崩れる恐れはありますが。

グルジアの親ロシア分離独立勢力であるアブハジアと南オセチアには軍事介入して、国家承認を強行したロシアですが、トランスニストリアについてはどうでしょうか?

【「ロシアに故郷を守ってほしい」】
一方、セルビアから分離独立したコソボに少数派として残されたセルビア系住民が、RU加盟を目指してコソボとの関係修復を図るセルビア本国を見限り、ロシアの市民権を求めているという話もあります。
ユーゴスラビア崩壊、コソボ独立も、モルドバの経済崩壊同様、ソ連崩壊の流れのなかで起きてきた問題です。

****ロシア市民権を」署名7万人 コソボのセルビア系住民****
「我々にロシアの市民権を与えてほしい」
こんな書簡が11月中旬、旧ユーゴスラビアの小国コソボから、ロシア政府に届けられた。コソボで窮地にある少数派のセルビア系住民が、約2万2千人分の署名を添えた「嘆願書」だった。

コソボ北部のNGO「古きセルビアの運動」が、セルビア系住民の家々を回って署名を集めた。その後も賛同者は増え、今は約7万2千人に膨らんだ。
NGOのジョルジェビッチ代表(65)は「我々は新天地を求めているのではない。ロシアに故郷を守ってほしいのだ」と訴える。

旧ユーゴはかつて多民族国家の象徴だったが、東西冷戦終結とともに民族対立が頭をもたげ、血みどろの内戦に突入、解体への道を進んだ。2008年2月、セルビアから一方的に分離独立を宣言したコソボでは、人口約220万人の約9割を占めるアルバニア系住民が首都プリシュティナに政府を樹立。一方で、1割に満たないセルビア系住民は辺境に追いやられ、大半は職にも就けず、セルビア本国からの支援で細々と暮らす。若者の多くは移住を始めている。

セルビアはコソボ独立に反対してきたが、それも当てにはできなくなってきた。セルビアは欧州連合(EU)加盟を目指しており、EUの提案を受け入れてコソボとの関係改善に傾いたからだ。12月にはコソボとの国境の共同管理にも合意し、事実上、国境の存在を認めた。

「このままではコソボのセルビア人は根絶やしだ。頼れるのはセルビアと血を分けたロシアだけ」とジョルジェビッチさんは言う。
瀬戸際のセルビア系住民にとって、米欧主導のコソボ独立に反発し、今も国家承認していない大国ロシアは「守護者」だ。同じスラブ民族で正教を信じ、言語も近い。嘆願書に署名した警備員のイワノビッチさん(38)は「世界を二分して西側と覇権を争った力は今も健在だ。我々の声を世界に代弁してくれる」。

だが、ロシアのメドベージェフ大統領は、ロシア市民権付与は「現行法では対応できない」との見方を示した。代わりに指示したのが人道支援の強化だった。
今月7日、発電機や暖房具、毛布、食料など285トンの人道支援物資を積んだロシア緊急事態省の輸送車両25台がコソボに向かった。しかし、国境手前で3日間の足止めをくらった。EU側は「国連もEUもコソボ北部が人道支援物資の必要な地域とはみなしていない」と発言。ロシア側は「政治的動機がある」「人道的犯罪だ」と反発した。ソ連崩壊から20年。東西対立の痕が、今もうずいている。【12月27日 朝日】
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ロシアも深入りはしたくないのでは・・・とも思いますが、「強いロシア」を標榜するプーチン首相が大統領に復帰して、こうした問題にどう対処するのか注目されます。
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