孤帆の遠影碧空に尽き

年に3回ほどアジアの国を中心に旅行、それが時間の流れに刻む印となっています。そんな私の思うこといろいろ。

イラク  マフディ軍掃討作戦のもたらしたもの

2008-04-04 11:53:44 | 国際情勢

(サドル・シティの霊廟前で “flickr”より By James Gordon
http://www.flickr.com/photos/jamesdale10/2267667743/)

イラクで前月25日から続いていた治安部隊とシーア派反米指導者サドル師傘下の民兵組織“マフディ軍”との戦闘は、マリキ首相が陣頭指揮に立ち、首都バグダッドで外出禁止令が無期限延長される混乱を引きおこしましたが、マリキ首相と合意したサドル師が30日にマフディ軍に戦闘停止を命じ、事態はようやく収拾に向かいました。

一連の戦闘での死亡者数は、南部激戦地バスラで215人、バグダッドではマフディ軍の拠点サドルシティを中心に140人など、イラク全土で少なくとも461人に上りました。
この結果、イラクで3月中にテロや戦闘などで死亡したイラク人が前月比50%増の1082人(うち民間人925人)に上り、昨年8月以降では最悪となりました。

死者数は昨年8月に1856人を記録して以降、“治安改善”を反映して、9月(917人)、10月(887人)、11月(606人)、12月(568人)、今年1月(541人)と連続して減少していましたが、2月に721人と上昇に転じていました。

当初マリキ首相は、マフディ軍の3日以内の武装解除を掲げて強気でしたが、戦闘が拡大するなかでサドル師との合意で事態収拾を図らざるを得ない状況に追い込まれたようです。
両者の合意内容は、(1)マフディー軍の武装継続容認(2)戦闘員の免責(3)サドル師派メンバーの拘束停止-というサドル師側の要求をのんだものだそうです。【4月3日 産経】

合意では、マハディ軍の手には武器がそのまま残されたことから、専門家はマハディ軍に対するサドル師の立場が強化されたのに対し、マリキ首相は政治的に弱体化したと指摘しています。

マリキ首相が、このタイミングでマフディ軍掃討に乗り出した意図については現地でも判然としないようです。
国民議会(275議席)に30議席を有するサドル師派はマリキ政権樹立の立役者でしたが、昨年9月に与党を離脱しています。
ダアワ党(25議席)出身のマリキ首相が代わりに頼ったのが、治安部隊に強い影響力を持ちシーア派政党最大の36議席を持つ「イラク・イスラム最高評議会」(SIIC)。

SIIC指導者のハキム師にとり、サドル師は中南部シーア派地域の覇権を争う宿敵の関係にあります。
10月に地方議会選を控える中、サドル師派の弱体化を進めたいハキム師が、首相に掃討を教唆した可能性もあると報じられています。
マリキ首相自身、駐留米軍が削減に向かう中、イラク軍が治安維持を担えることを証明し、自らの求心力強化につなげたい狙いもあったとも言われています。【3月30日 読売】

一番注目されたのは、今回合意におけるイランの影響力です。
隣国のシーア派大国イランが、マリキ政権とサドル師双方に働きかけ、シーア派同士の抗争に歯止めをかけたとみられています。
ダアワ党とSIIC幹部が30日にイランを訪問し、イランに滞在するサドル師と会談し、停戦に合意したと報じられています。【4月2日 読売】
ブッシュ政権が敵視するイランですが、イラクの安定はイラン抜きでは難しい状況のようです。

求心力が低下したマリキ首相に対し、その存在感を高めたのがサドル師。
サドル師は3月7日に出した声明で、傘下のマフディ軍から分派した勢力がいることを認めたほか、政争に明け暮れるイラクの政治情勢に失望、勉学に励むために身を隠していることを明らかにしていました。
マフディ軍強硬派をコントロールできない状況で組織が分裂、自身はイランで“勉学に専念”ということで政治の第一線から身を引くのでは・・・と思っていたのですが。

このサドル師はまだ30歳前半だそうで、宗教界ではファトワを下せる立場にもない“洟垂れ小僧”にすぎませんが、名門の生まれであることからサドル家の信徒に担ぎ上げられ、フセイン政権崩壊後、一気にシーア派社会の有力者の一角に躍り出ました。
宗教学校時代はテレビゲームに興じ“落ちこぼれ”だったとの悪口も聞かれるそうです。【4月3日 産経】

今回戦闘及び停戦でいまだマフディ軍への影響力を保持していることを印象づけたサドル師は、「不当な占領者かつ国家と人類の敵に対して、また占領者による悲惨な虐殺に対して、声をあげる時がきた」と語り、バグダッド陥落5周年にあたる4月9日に、アメリカの「占領」に反対する100万人規模のデモを行うよう支持者に呼びかています。
一方のマリキ首相は、「イラクの人々の中にはギャングに支配されている人もおり、数日中にさらなる攻撃を目撃することになるだろう」と、シーア派武装組織に対する掃討作戦を今後も継続する方針を3日明らかにしています。

今回の衝突にはアメリア・イギリスも関与するかたちになりました。
アメリカ軍は28日にマフディ軍の拠点を爆撃し、政府軍を支援するかたちで介入しました。
28日にはアメリカ軍が管理する“グリーンゾーン”に迫撃砲が打ち込まれることもありました。
イラク南部バスラ郊外に駐屯しているイギリス軍も29日、イラク治安部隊によるマフディ軍掃討作戦を支援するため、駐屯地から砲撃を行っています。
 
こうした事態は、駐留軍を縮小の方向に持っていきたい両国の政策に影響を与えているようです。
アメリカは、増派されていた約3万人の兵力が撤収する夏以降の兵力(15個旅団、約13万人水準)に関して、一層削減したい考えで、ゲーツ長官は年末までには10個旅団態勢にしたいとの意向を示していました。
しかし、今回の衝突はイラクの“治安改善”の危うさを浮き彫りにしたかたちで、今後の撤収計画に影響を及ぼしそうです。
イラク駐留多国籍軍を率いるペトレイアス司令官は、近くブッシュ大統領に報告書を提出する予定になっています。

昨年12月にバスラの治安権限をイラク側に移譲したイギリスですが、イラク治安部隊のイギリス軍依存の現状を受けて、ブラウン英国防相は1日、イラク南部に駐留する英軍約4000人について、今春予定していた1500人の撤退を一時的に停止する方針を下院で明らかにしました。【4月2日 毎日】

まあ、考えようによっては、小競り合いはあったとしても、マケイン大統領候補の言うように、アメリカなどが“百年間”駐留してくれれば、中東における大規模“有事”の抑制になり、中東石油に依存する日本にとっては好都合なことなのかも。

コメント
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