孤帆の遠影碧空に尽き

年に3回ほどアジアの国を中心に旅行、それが時間の流れに刻む印となっています。そんな私の思うこといろいろ。

バングラデシュ  グラミン銀行の物乞い自立支援プログラム

2008-02-24 10:58:07 | 世相

(正月に旅行したカンボジアのプノンペン 川沿いの小さな祠で法事みたいなものを営むかなりの地位と思われる男性(写真右の青いシャツ)と祠の廻りで施しを待つ人々)

昨日に引き続き、バングラデシュで女性の貧困からの脱出、地位向上のために小口事業資金の融資を行っているグラミン銀行の話。
なお、昨日同様、「グラミン銀行に見る借り手の持続的発展の可能性」(慶應義塾大学 経済学部 高梨和紘研究会 第25期 http://image02.wiki.livedoor.jp/t/5/takanashi25/77fa6198a2b9e4b1.pdf)を参考にして、主なポイントを紹介します。
関心のある方は、上記レポートを直接ご覧ください。(四十数ページで少し長いですが。)

2002年に貸付制度変更が行われたグラミン銀行の融資は、一般的貧困女性を対象にした“Basic Loan”(初回融資は大体1万円未満、主な用途は牛の飼育、雑貨店、脱穀作業、米売買など)を中心に、より多額の貸付を行う“Micro-enterprise Loan”(3万円程度 主な用途は雑貨店、乳牛飼育、Village Phoneなど)、最貧層の物乞いを対象とした“物乞い自立支援プログラムStruggling (Beggar) Members Program”に分かれています。

バングラデシュはイスラム教徒が80%を占める国です。
イスラム世界ではザガート(喜捨)の教えがあり、弱いものに何かをするのは義務であり、してもらう方は一種の権利であるという考えがあります。

その為、イスラム世界では物乞いは比較的多くを受けることができ、一般的な日雇い労働者よりも稼ぎが多いとも言われています。
しかし、このザガードは男性だけを念頭に置いており、女性が「物乞い」することに対しては社会的了承も、宗教的役割も得られていないとか。

イスラム社会では女性が外で顔を出して働くことが許されないことから、配偶者を失った女性は働く場がなく、物乞いになってしまうケースが多くあります。
グラミン銀行の創始者ユヌス氏は、慈善では貧困は救えないという考えで、「施すという行為は物乞いの尊厳、および自活の意欲を奪うことになり、長期的にも短期的にも現実的な解決方法にはならない」と自著で述べています。
このような主に女性の物乞いの経済的自立を促すプログラムが“物乞い自立支援プログラムStruggling (Beggar) Members Program”です。

バングラデシュ最大のNGOであるBRACも、政府と世界食料計画(WFP)との共同計画により最貧困層のなかでももっとも脆弱な女性へ期限付きの小麦粉支給プログラムという生活保護と職業訓練を与え、彼女たちの組織化を図っていますが、グラミン銀行はあくまで物乞いそのものがターゲットグループであり、さらに慈善の対象ではないという意味でBRACと違う意味を持っています。

グラミン銀行の一般的融資制度Basic Loanは地域の顔見知りの間で借り手5人のチームをつくることから始まりますが、物乞いにはチームを作れるほどの横のつながりはなく、仮に融資をうけられたとしても全く資力のない彼女らは融資後1週間目から即座に返済がはじまるBasic Loanには対応できません。
このため、物乞いを対象にした別枠のプログラムが必要とされ、このプログラムが2003年後半からスタートしました。

物乞い自立支援プログラムに参加した物乞いは、まず本人の顔写真入り身分証明書を発行されます。
これは公的機関であるグラミン銀行がバックについていることを示し、商品の仕入れ等で物乞いの信用力を高める効果があります。
(商品の代金はたとえ儲けがなくともグラミン銀行が肩代わりすることになっているとか。)

融資額は無利子、無担保で約600円~4000円程度(米の値段が1キロ30円あまり(2004年))。
返済期間の定めはありません。
また、掛け金無しで自動的に生命保険に加入できます。
メンバーは物乞いをやめることを要求されませんが、物乞い以外の方法による収入獲得を促されます。

グラミン銀行の目的は、物乞いの経済力を高めるだけでなく自尊心を高めることにあります。
たとえ日雇いと同程度の収入があっても、物乞いには自尊心・誇りがないため最低生活水準から抜け出せません。
グラミン銀行では、借りたお金で毛布、ショール、蚊帳、傘など人間らしい生活をするのに必要な道具を購入することを勧めているそうです。
また、ミーティング等での他のメンバーとのつながりを持てることが、物乞いの境遇からの脱出の手助けにもなります。

2006年には73,388人がこのプログラムに参加し、物乞いをやめた人数は1,850人、Basic Loanに移行した人数は1,057人にのぼるそうです。

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日本国内では現在、物乞いに接する機会は少なくなりましたが、海外を旅行するとごく普通に出会います。
もちろん、一介の旅行者ですので、できることはその場限りの幾ばくかの施しをするか否かということだけです。
先日カンボジアのプノンペンを旅行したときの出来事が記憶に残っています。

昼食をとっている路上に近くに並べたテーブルに物売りの子供達などがやってきます。
車椅子に乗った男の子を別の男の子が押している二人連れがいました。
食べている最中で、テーブル越しだったこともあって、“どうしようかな。少しあげたほうがいいかな・・・”と考えているうちに、何も言わずに去って行きました。

それまでテーブルで隠れてよく見えなかったのですが、車椅子の子供の両手両足がないことにそのとき気づきました。
わざわざこちらから声をかける場面でもないので、立ち去る様子を見ながら“またこちらに来たら少し施しでも・・・”とは思ったのですが、彼らはそのまま行ってしまいました。

もちろん、このような境遇の人はどんな国でも大勢います。
いつの旅行でも彼らを殆ど無視しています。
結局はお金を出すことが惜しいからに他なりませんが、彼らに同情していたらいくらお金があってもたりません。
世界中の不幸にひとり立ち向かうドン・キホーテです。
ひとりに施せば、大勢が集まってきて収拾が付かなくこともあります。
彼らが実際どのような暮らしをしているのかもわかりません。
そもそも、施しの行為がどのような意味を持つのかもいろいろ意見があるところでしょう。(グラミン銀行のユヌス氏のように)

それはそうではありますが、そのときいつになくすっきりしないものが心に残りました。
そのうち、別の大人の二人連れが近づいてきました。
やはり同じように車椅子です。
彼らにこちらから小額のお金を渡しました。
本当はさっきの子供達に渡したかったのですが、それでも少し気持ちが軽くなったような気がしました。
ささやかな免罪符でしょうか。
食事を終えて、観光を続けます。
それだけの話です・・・。

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