孤帆の遠影碧空に尽き

年に3回ほどアジアの国を中心に旅行、それが時間の流れに刻む印となっています。そんな私の思うこといろいろ。

ドイツ 大聖堂の街ケルン、移民によるモスク建設計画

2007-08-07 15:16:50 | 世相

(写真はベルリンの公園で憩うトルコ人老女 “flickr”より By Fernando)

【毎日新聞(8月4日)】より。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
世界一巨大な大聖堂で知られるドイツ西部のケルンで、同国最大のモスク(イスラム礼拝所 2000人収容)建設計画をめぐり、ナチスの迫害を受けたユダヤ人作家として名高いラルフ・ジョルダノ氏(84)が、イスラム教を西洋的価値に反する全体主義だと批判し、建設反対を主張したことが議論を巻き起こしている。
同氏の発言は西欧とイスラムとの間の根深い溝を改めて想起させ、ドイツで独自のイスラム社会を築くトルコ移民と現地住民の融和に疑問を投げかけている。
ジョルダノ氏はトルコ系宗教家との対談などで、「巨大モスクの建設を認めれば、イスラム社会とドイツの融和が進んだという誤ったシグナルを与えることになる」との持論を展開した。
同氏の指摘通り、多くのトルコ系移民は地元社会となじめず、さまざまな摩擦が存在する。
地元紙の世論調査によると、モスク建設に「賛成」と答えたのは全体の約36%で、「反対」の約31%に「計画縮小を望む」の27%を加えると、過半数は現状の計画を歓迎していないことが分かる。
しかし、今回の論争で同氏が少数派トルコ系移民のイスラム教的な慣習・伝統を「ナチスの全体主義」と同列に扱ったことにメディアの論調は批判的だ。

「反対」表明したジョルダノ氏語る
 --反対の経緯は。
◆ 我々は過去約30年間、融和を目指して話し合ってきたが、何も変わらなかった。
トルコ人イスラム教徒(移民)に融和の意思も能力もないからだ。
自分の発言には何百通もの手紙が届くなど反響があった。
女性の地位を認めないトルコ人の慣習や伝統は、ドイツの基本法(憲法)の原則である多元主義や民主主義と相いれない。
 --「西洋的価値」とは。
 ◆どんな内容でも恐れず対話できることだ。
 --融和策は。
 ◆政府は(ドイツ人向け)教育プログラムを実施しているが、トルコ人イスラム教徒にもなすべきことは多い。口先だけでなく基本法に従うことだ。英国はイスラム教徒の要求に屈し自らの文化的伝統を否定した。私はドイツにイスラム化してほしくない。

 ◇独国内の外国人730万人、トルコ人は最多270万人
ドイツ政府の統計によると、全人口8200万人のうち外国人は730万人。最多のトルコ人は270万人に上る。戦後、外国人労働者を政策的に受け入れたドイツは、現在では英国やフランスをしのぐ移民大国となっている。
ドイツは1961年、トルコと労働力募集協定を締結。73年の石油危機でいったん移民の停止を求めたが、80年代のトルコ政局の混乱で政治難民が発生し、流入が続いた。外国人排斥の対象にもなり、90年代前半にはトルコ人狙いの放火殺人事件が相次いだ。
ルール工業地帯近郊のケルンでは、人口100万人の1割近くをトルコ系が占める。
トルコ人はかつて工場敷地や地下倉庫をイスラム教の礼拝に使ったが、近年は各都市でモスクを建設。ウェルト紙によると、国内のモスクは現在159カ所で、他に184カ所が建設中か計画中という。
・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
【8月6日AFP】より。

市の全人口の12%を占めるイスラム系住民は、通常、市内にあるプレハブ式の「仮設モスク」で祈りを行う。施設の大半はみすぼらしく、人目に付かない場所にひっそりと建てられている。
かつて薬品工場だった建物を利用したある礼拝所は、ガソリンスタンドと騒々しい通りに挟まれるように建っているが、金曜礼拝には1000人以上が集まり、施設に収容しきれない場合は外にマットを敷いて祈る。
「キリスト教徒には教会が、ユダヤ教徒にはシナゴーグがある。われわれイスラム教徒も、祈りを捧げる場所としてモスクが欲しい」と、あるイスラム系住民は話す。
この言葉こそ、ドイツ最大のイスラム団体「トルコ・イスラム宗教施設連合」がモスク建設を決定した理由を明白に語る。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

TVで海外の悲惨な飢餓や紛争を見て「どうしてこんなことが・・・」と憤慨することはたやすいことです。
また、気が向けばそのような人々へのチャリティーを行うこともときにあるかもしれません。
しかし、自国の門戸を開き異なる文化の人々を移民として受け入れることは、相当の覚悟と現実的な対策が必要になります。
社会の受入れ態勢が貧弱で文化的軋轢が大きいほど、移民は自分達だけの小さな社会に閉じこもり、更に周辺住民との摩擦を大きくしていくという悪循環にはまります。
恐らく、その先には犯罪行為へのかかわり、治安の悪化があるでしょう。
それは更に共存を困難にしていきます。

日本でも従来から在日コリアンの問題があります。
昨今のネットに跋扈する排外主義の流れを見ると、比較的外見・文化が類似し、言葉の障壁もクリアされていることが多いこの問題すら十分に消化しきれてはいないかと思われます。

更に近年いろんな国から出稼ぎ労働者が大量に流入している事態があるようです。
最初から犯罪組織に関わるような違法な入国もあるでしょう。
研修という名目で呼び寄せた実態は安い労働力の人々もいるでしょう。
日本経済を支えている大企業が国際競争を勝ち抜くために利用している、自動車工場などで働く大量の労働者もいるでしょう。

普段本土から隔離された南の島で暮していますので、殆どそのような外国人労働者を意識する機会はありません。
昨年数年ぶりに東京を訪ね、食べ物屋さんなどでごく普通にたどたどしい日本語の店員さんをみかけ正直驚きました。

空虚な理想論でも仕方がないですが、自分達の利益さえ守れれば・・・というむき出しのエゴイズムも見苦しく思えます。
今この問題について語るほどの見識は持ち合わせていませんが、この問題で一番残念というか危惧するのは、文化的軋轢・摩擦によって、私達日本人自身の心が荒々しいものに変質してしまうのではないかということです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする