孤帆の遠影碧空に尽き

年に3回ほどアジアの国を中心に旅行、それが時間の流れに刻む印となっています。そんな私の思うこといろいろ。

原油価格とナイジェリア “ビアフラの悲劇”の記憶

2007-07-07 17:06:35 | 国際情勢

写真は事件の母子とは全く関係ありません。
ナイジェリア東部のカメルーン国境も近いYola付近の村。20歳のお母さんだそうです。
(“flickr”より By Soumik)


今日のニュースから。
・ 北海ブレント原油先物価格が6日、1バレル76ドルを突破し、史上最高値の78ドルに近づいた。
・ ナイジェリア南部で3歳の英国人少女が拉致された。

原油先物高騰のひとつの原因が世界有数の産油国ナイジェリアの政情不安による減産にあるとされています。
そのナイジェリアの政情不安を物語るひとつの事件が南部油田地帯での英国3歳児誘拐。
ということで、この二つは互いにつながったニュースです。

ナイジェリア南部の油田地帯はニジェール川河口の“ニジェール・デルタ”と呼ばれる地域。
250以上の言語を話す40以上の民族が住むと言われています。
アフリカの大国ナイジェリアの政治的実権は北部出身者で占められていること、年間数百億ドルもの石油利益があるにも関わらず南部地域住民の3分の2は1日1ドルの貧困線以下の暮らしを余儀なくさせられていること、石油開発で環境破壊が進行していることなどから、このニジェール・デルタでは激しい反政府活動が続いています。

ニジェール・デルタ地域はかつての“ビアフラ戦争”(この地域先住民のイボ族の独立をめぐる戦い)の舞台と重なります。
1967年ですから今からもう40年前になります。
今と同様の部族対立(イギリス植民地時代にイボ族はイギリスと関係を深め植民地支配機構の一部となったため、他民族からは“黒い白人”とも呼ばれたそうです。)、石油資源を巡る争いからナイジェリア南東部地域イボ族が独立を宣言します。
ビアフラを支援するフランス、ナイジェリアを支援するイギリス・ソ連という大国の石油がらみの思惑のなかで、戦闘は武器援助によってエスカレート、結局ナイジェリア側の勝利、ビアフラの消滅で終わりました。

この戦争で包囲されたビアフラでは、200万人ともいわれる餓死者をだす惨劇がおこりました。
200万人・・・自分のことでないと人間は極めて冷淡ですから、私も“200万人”と簡単に書きますが、当時の惨状を少しでも想像すると気が遠くなるような数字です。
やせ細っておなかだけが異様に膨らんだ子供の写真が当時報道され、人々の関心を呼んだ記憶があります。私が中学1年の頃でしょうか。
しかし、結局国際社会は戦闘を小銃・こん棒から戦車・戦闘機にエスカレートさせることはあっても、この惨劇を止めることはありませんでした。

激しい反政府活動が続くこのエリアでは外国人・多国籍企業の石油施設関係者を狙った拉致事件が頻発しており、5月1日から6月初旬の1ヶ月だけで50人の外国人が拉致されているそうです。
もともとが複雑な民族構成のエリアである上に、単なる金銭目的の武装誘拐組織も加わって、無数の武装組織があり現在の混乱を呼んでいるようです。
イギリス政府も英国人に対し同地域からの退去を勧告しています。
今年5月にはパイプライン破壊も行われており、当分このエリアの、ひいては原油供給の不安定は続きそうです。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする