ねーさんとバンビーナの毎日

「静」→ 「淡」→ 「戻」→ 「無」→「休」→「解・涛」→「涛・停」→「抜」→24年「歩」 最終章序章スタート!

AirPods使わずじまい

2024年05月10日 20時09分00秒 | いらっしゃいませ~
気がつきゃAirPodsを購入したけど、ほぼ9割使ってないっていう、、、

理由
コロナ禍に突入して通勤時間がなくなった。(テレワークばかり)
イヤホン(ヘッドフォン)をすると耳の中がアレルギーになり、痒みが出てしまうので使えない。

AirPodsはまじでお金だけ落としただけだわ。

iPodやらiTunesが登場してからは、まぁ、通勤時間やら外出時には全てイヤホンで耳が塞がっていた人が!
昭和歌謡をツタヤであさっては聞き直し始めたのもこの頃。

当時勤務していた会社であまりにも従業員同士のコミュニケーションがなさすぎ(時代の空気だね。会社も不安定でヤバめだったし。)、4代目が「当番制で自分の好きな音楽を1日分用意して社内で流してください。他人の選曲に文句は無しで!!」ってやり出したのよね。
これはみんなノリノリだったわ。意外にも。文句も出なかった。
「うるさい!耳障りだ!やめませんか!!」とか。そんなのはなかった。(あるかも?と想定していたのだけど、)
おとなしくて声すら聞いたことない社員とも会話できるキッカケができたわ。
私もパートのおばちゃんらに「選曲がいいわー!昭和時代のたくさん入れてくれて!!!」って喜ばれて。飴くれて。笑笑
戸川純が一日中流れてる日とか、笑えたよね。笑笑


で、AirPodsはケースカバーまで一生懸命探して買ったのに。バイマで。

あれ、家のどこにあるやら?ってくらい、放りっぱなしだな。

勉強不足の人も経験不足の人も・・・

2024年05月10日 11時16分11秒 | いらっしゃいませ~
あの人勉強してきていないからなぁ、、、、(教えるの面倒くさい)
あの人経験してきていないからなぁ、、、、(教えるの面倒くさい)

どちらもありがち。
どちらかと言えば、世間は「勉強重視(学歴重視)」に傾きすぎてる気がする。

それ(勉強重視(学歴重視))が顕著なのはバブル崩壊後以降。
よく聞かされてきたのが(諸先輩陣が言っていたのは)、

「もうスピードと結果第一の世の中だから、経験で育ててる時間がない。その素質を見るとかやってられないから、手っ取り早く学歴採用、仕訳てる。」
「人事担当がそこまで人を見る目が育っているやつがいない。だから手っ取り早く学歴採用。」

ってこと。

「あーあ」「やれやれ」「狂っちゃうなぁ、こりゃ。先々。」って感じで。


一緒に仕事をやってきた先輩(現60台)なんて、

「世間一般的な学歴採用とかどうでもいいのよ。自ら見込み有りそうなやつを見つけるわ。」

って感じで、日本の西~東から引っこ抜いてきた人もいたっけ。


私が昭和61年(80年代)に最初に就職した横浜の中小企業の2大取引先が日本の時代の先端を引っ張る「ソニー」「ホンダ」で、当時は商品も画期的、売れに売れまくったけれど、この2社さんは企業内の人材配置とか組織体制の作り方も随分と斬新的なやり方を考えて取り入れて、すでに実践していて、そういうような部分には当時の先代社長も随分影響を受けていて、「わが社もそうでありたい」みたいなことは言っていたよなぁ。
そういう種の先の企業計画がリアルに伝わって流れてきていたので(そういうことがメディアで取り上げられる前より前に。○企画~開発や製造(×出来上がりからの販売やら宣伝、購買)に絡んでいるってそういうこと。)、「へぇ、、、、もう先への時代は始まっているわぁ、、、、」って少し焦る気持ちもあったりして。

何が画期的かと思ったのは「本当にできる人に、できる活躍の場を与える」ってこと。
当時の日本企業だと今以上に「ずっぽり年功序列型」だし、なかなか飛び級みたいなことを実践している企業はなかった。
「何年いるから、社内試験パスしたから、役付けになる」とかいう、日々あげてる実績というか功績とは関係のない昇進とかいうのとは別に、「できる人(能動的に今やっていない部分を実践する人)は活躍できる」っていうこと。

私が最初に勤めた会社、転職した2社目の会社は、そういう人は(できちゃう人やら能動的な人)別部署(新規開拓部署)に引っこ抜いて、移動させる手段を取っていました。
私はなぜだか必ずその方向に引っ張られてしまうわけでして、「あれは上司陣営(経営者陣営)にどういう目で見られていたのだろう?」って感じ。

大体が、「同僚と一緒に何かを覚えなくてならない」っていう状況でも、「あなたはもう教えることないわ。先にもうやってください。」を一番最初に言われてしまう口で、「寂しいわぁ・・・、同僚と一緒にグダグダやっていたいわ・・・」と脳裏によぎったこと度々。
そういうことから、これまで「同僚と一緒に並んで逐一なんでも相談しながらみんなでとにかく決めながら何かやる(足並み揃える)」っていう時期がなくて、「とにかく指示されたものを抱えたら自分で形にして走り切る」っていう役割がず~~~~~~~っと。(そのたびに「誰もやってきてないから教えられないけど、ひとまずよろしく!」的に参考例なし。一緒にやっている人たちが皆そうなので、自立型の人が協力しながら仕上げていく仕事ばかり。)

組織が農民的に淡々と、「何年いるから(社内試験パスしたから)、役付けになっていく」という人材も非常に重要であり必要なのです。
この我慢強さと忍耐強さ、日々同じことの継続も絶対に必要なことで、屋台骨を維持するにはこれは重要であることも重々わかっていたはずなのに、バブル頃から誰それ構わず「やれ、目標設定しろ、今期は何を実践したか!?」みたいなことをどこもかしこも導入しだしたから、おかしなことになってきたのだよねぇ、、、
誰もかれも必要じゃないのだよね。こういうの。

さてさて。
学校で勉強したことが社会に出てからの実践に役立つことがどれだけ少ないことか。

勉強はいつでも補習やら補修できるけど、経験ばっかりは年を取ればとるほどに取り返しがつかない。
やっぱり勉強よりも経験をしてきている人には勝てない部分はあるよね。

勉強で頭に詰め込んだ “情報” が "知識” として落ちるのも "経験" かと思うし、知恵が沸くのも実践(アウトプット)してないとなかなか難しい。