ねーさんとバンビーナの毎日

「静」→ 「淡」→ 「戻」→ 「無」→「休」→「解・涛」→「涛・停」→「抜」→24年「歩」 最終章序章スタート!

網代キテるな。笑

2019年04月29日 23時47分00秒 | 味わうねーさん
今日は網代に美味しいものを求めてぶらり旅。
 
 
美味しすぎてなんも言えないくらい美味しかったぁ!!
大二郎丸さんサイコーです!!!
 
♪パッショーン!
♪熱く、熱く、熱く
♪パッショーン!
♪君を抱いて、抱いて、抱いて
♪今夜、星になろうかー
 
堤大二郎さまの♪燃えてパッションを歌いながら胸に挿したバラの花を放り投げたいくらい美味しかったです。
 
週末わざわざ呑みに来たいくらいです。
 
しかし網代の街の寂れ具合は今日の曇天も相まってシルバー色の渋さすら感じられ、、、
 
♪母いすゞは
♪母いすゞは
 
港のあたりは吉井さんの♪母いすゞな雰囲気ですわ。
 
この先の干物銀座のひもの屋「弁天」で鯵と鯖みりんの干物を購入。
「弁天」のおばあちゃん可愛い。
長生きしてくださいね!
 
電車待ちの時間に駅前の喫茶店に入ってみたら、なんと!
へー、まだ生きてるやつあるんですねー。
インベーダーゲームはさすがに無かった、、、
 
ちょんまげ!!って。笑
昭和がまだ生きてますね。
いいよー、いいよー!
 
来宮駅で下車して来宮神社にお参り。
御神木の楠にパワーをいただいた感じより、静と浄をフォローいただいた感じ。
 
熱海まで歩き。
 
サンビーチ
 
お約束の金色夜叉
 
おまけ
、、、、笑
 
 
本日の歩きは、、、ジャンっ!!
歩きすぎでしょう。笑
 

無欲な親族

2019年04月27日 20時50分00秒 | まんまねーさん
先日母が3年に一度くらいにやっているいとこ会に行って来た。
 
母の父親方のいとこが集う会。
毎度大盛り上がりになるようで、今回も総勢20人で大盛り上がり大会だったそうだ。
 
場所は故郷の静岡。
 
母の両親(私の祖父母)は二人とも元々浜松の人なんだけど、戦後、菊川に暮らした。
いとこ(私にとっては叔父叔母)は浜松に集結している。
 
母曰く、
 
浜松の衆は柄が悪くて参っちゃうよぅ(笑いながら嘆いている。笑)(静岡イントネーション、衆って必ず使うよね、静岡の人。笑)
 
とのことだが、
 
私が子供の頃の記憶としては、浜松の親戚の人たちが一番面白くて、何より明るくて楽しく、夫婦漫才を聞かせてもらってる風味あり、社会に対する風刺漫才を聞かしてもらってる風味あり、盆暮れと大笑いさせてもらったことしか覚えがない。
浜松の人たち、早くおじいちゃんちに遊びに来ないかなーとか思ったもんだ。
 
真面目な私の父も、母曰く「柄が悪くて」というこの自分の妻の親戚は「楽しくて大好き、人として好き」と言っていて、一番お喋りがうまかった叔母さん(今思えばいつも着物着てたな。)に毎度いじられては、ニヤニヤニコニコワハワハ喜んでいたのも懐かしい。
 
そんな柄が悪いという中にも画家をやっているオジが2人いる。
一人のオジは毎年皇室の歌会始のお題にまつわる絵画の中から選ばれた絵画が伊勢神宮に飾られるが、お題が「葉」の時に選ばれて特等席に飾られ、大層喜んでいた。
画家になる前は染物屋で版をつくる事をしていて。中卒で仕事について。浜松特有の籠染?とかいうもの。
今現在、改めて技術伝承ってことで活動をしていたりする。
こないだもシンポジウムみたいなやつのパネラーで出たり、忙しく活動している様子。
 
このオジさんは寡黙で大人しい感じ。
柄が悪い中でも純粋綺麗な感覚は残るんだよねって感じ。笑笑
 
絵もやり始めた頃と今とでは画風が違い、最初はヘタウマみたいな抽象的っていうか、そういう風だったのに、今は緻密系。
そこにガラスのグラスがそのまま本当にあるような。
大抵の画家さんって緻密→抽象的という風な路線を辿るようなんだけど、オジは逆なんだよね。謎。
 
そんなこんなで都会に出ているのが、母と母の弟。
 
母が、
 
「たまにはこっちに遊びに来てよ。」
 
と言ったら、
 
「行かんよ〜ぅ(のんびり、欲まるで無し)」
 
の大合唱で、
 
「やだよぅ、人混みが。わざわざ行かんよぅ。たまに都会の風を入れにあんたらがこっちに来ればいいよぅ。」
 
とのことだった、、、と聞いて「相変わらずの静岡の人達!」と大笑い。
 
都会への憧れとかまるでないんだよね、静岡の人。
うちの親族だけなんだろか。笑
西(名古屋)に通わせたしなぁ、私のいとこも、子供の大学。
「東京の何がいいもないよぅ、活きるに一番大事なのはそういうことじゃないだしねぇ。」って昔から。
 
しかし「都会の風をたまに入れてくれればいい」って何か田舎にまつわるヒントかな。

右翼のオジさん

2019年04月27日 17時48分00秒 | 観察屋ねーさん
仕事絡みで文京区の文京地区、そう、御茶ノ水附属やら筑波附属が立つあたりを車で通ったとき、
 
このあたりよぅ、爆弾でも撃ち込まれてよ、更地になっちまえばいいんだよな。護国寺のあそこらあたりまで更地!
極左の聖地、笑っちゃうね。
必要ねーよ。
 
と、まぁ過激な一言を真顔で発した。
 
思い返せば、お受験戦争で我が子のライバルの子供を殺害する事件がありましたよね。母親でしたよね。
親が教育されてないじゃん?
教育ってどう考えてんだろ?
なんだかなぁ、、、って思ったなー。
 
だろう?
左に多いんだよ、特に女。
あの左思想って、傾倒した先に狂っちゃうのよ。
自分の気に入らないのは消えてなくなってもいいっていうの?
そういうの、ほんと、あるぜ?
 
うーむ、まぁ、右だって乱暴っていうか、戦争しちまえ!的なのあるじゃないですか。
 
いや、あれは、喧嘩に近い感覚だから。
気に入らないから消えろ!じゃないから。
 
うん、まぁ、なんとなくそういう感じはわかる。果たし合いみたいな?
 
私(←オジさん)、いつも公言するように戦争は大反対!の極右なんで。
左翼思想もたくさんの本を読んだり、そちら系の人に関わったりした時期もあったけど、ヤバイんだよ、やっぱり。
 
何が?
 
なんていうか魅力的なの、確かに。左思想って。案外ハマっていきやすいの。
そうであればいいな、っていう。
けれど、気がつくんだよ、普通は、傾倒したらマズイわ、ってね。
 
まぁ、祖父母や両親からもそう聞かされることはありました。
理想は理想、それはそれ、地道に働け、関わる人に感謝して、と。
 
だからな、左翼の聖地みたいなのは、潰しちゃわないとダメだと思うわけ。案外本気だから、私。(←オジさん)
教育だろ?尚更だよ。
 
しかし極右の石原慎太郎でもそこまで断言するかね?
 
しねーか?
 
爆笑
 
 
こんな会話になったことがありました。
 
 
悠仁さまの机に包丁が置かれていた事件。
 
なんでまたあの学区に通わせますぅ?皇室の方がさぁ、、、
学習院でいいんだってばよぅ、、、
 
って思っていたんですけど、やっぱりな展開。
 
一大事になりませぬよう、、、

面白い話が出来るようになりたいんだよね〜

2019年04月27日 17時22分00秒 | まんまねーさん
ある日、かれこれ20年以上の仕事仲間に、
 
私、もっとこう、面白い話が出来るようになりたいんですよねー。
なんか、話はツマンナイじゃないですかぁ、私ってー。
よく「話がツマンナイっ!次!次!!」とか言うよね、●●さん、昔からからさー。
 
と言ったところ、
 
すごい面白いよ、いつも。
 
と、アッサリ言い返され、
 
話がツマンナイ!っていうのは何?
 
と、聞き返したところ、
 
存在自体が面白いからそれでいいの。
面白い話なんてわざわざ必要ないの。
ああいうのは存在がつまらない人が覚えることなの。
 
そうなんだ?
 
だってすごいヘンじゃん?
ヘンだからいいんだよ。
 
 
あうぅー、褒められてるやら、けなされているやら。笑笑

ネットとやらは。

2019年04月26日 12時32分00秒 | 味わうねーさん
ここんとこ立て続けに昔の知り合い絡みの知りたくない情報を引いてしまい、なんとなくため息をつきたくなり。
 
ひとつは大変よろしくないことに巻き込まれていた事実、もうひとつは「まだ懲りてないっていうか、逆の意味のたくましさにやれやれ」と、、、。
 
昔ながらの人伝と媒体から発せられる情報伝達や拡散もなんですが、知らずに知ってしまうのもキツイわなー。
 
だからやらない人もいるもんね、未だに。そういうのが嫌で。
 
やれやれと。苦笑