母のギャラリー作り

2024年03月17日 21時42分00秒 | 介護

 今日は予報に反してほぼ一日中、よく降りました。

朝も暖かく8℃を超えていました。

 

 

 

 昨夕、カメラがグレードアップして新品になって返ってきました。

メガネも出来上がって来ました。

看護師さんやヘルパーさんがいらした時に出かけて取りに行ってきましたので、バタバタ。

ということで、今朝から新しいカメラです。

少し大きめになりました。

 

 

 

  今日の果物

 

 今朝の母も昨日に続いて元気でした。

緑内障の内服薬を1週間飲むと食欲不振になりますが、それが終わったのも一因でしょう。

昨日よりポリグリップを使って必ず朝から入れ歯を入れるようにしたのも良かったかも。

コミュニケーションが取りやすくなりました。

母に「今日は掛け軸を飾るギャラリー作りをするからね」と言いますと「和室の方がいい」と又言いましたので、和室は遠いからなかなか皆が頻繁にはいけないし、大体、皆さんの反応が母に伝わらないと思いました。

ですが、母の希望なので両方でしてもいいかなと思いました。

続いて母は「本当は表装をしたい」と言いました

それはいくら何でも無理でしょうと思いました。

母は私が机を捨ててしまったせいだと言いましたが、机と言ってもサイド流し台を2つくっつけていただけですし、車椅子が入らない。

それよりなにより、鋭利なカッターなんて危なくて使えないし使わせられない。

でも、このやる気を削いでしまうことは出来ません。

母は色紙掛けにかける色紙を作りたいようでしたので、次に帰って来た時に調子が良かったら近所の文具屋さんに行って、綺麗な和紙や千代紙があるから、それでちぎり絵を作ったらどうかと提案しました。

以前、あやめを作っていたのを思い出しました。

母は昔は色紙そのものも作っていたわけですからすごい

 今朝は昨日寝てしまって食べなかったいなり寿司3個と昨日と同じフレンチトーストのパン粥(今日はコーヒー味)とバナナジュース(エンシュア入り)と小かぶの煮物の朝食。

パン粥を失敗したのですが(卵が固まり過ぎた)、ひと口目は「美味しい」と言いましたが、続いて数口目で何と言ったか。

朝には覚えていたのですが、とにかく「砂を噛むような」だったか、何かそのようなことを言っていました

しおらしいのは母には似合わない

最近泣くように言う時もよくありますので、そういう時には私も非常に深刻になり、年を取って病を持って生きることは本当にしんどいことだと、どよ~んとしてしまいます。

元気な時には眼もしっかり大きく開いています。

私に話したいことがたくさんあると言いましたので「何 言って」と言いますと「その時々じゃないと思い出せない」

それはそうねぇ。。。

その後、やはりショート先での話をしていました。

なるべく良い方に解釈するように返事をします。

母が暗くならないように。

例えば、食事の度に場所が変わる(ラウンジ、食堂、お部屋など)ことについては、ショート側がいろいろ考えてくれてそのようにしてくれているのだと思うよ。いろいろな場所で食べられていいんじゃないとか。

母がよほど苦痛を訴えることではない限り、私はそう思うけどねぇと。

母も「うん」とそういう場合は答えます。

母が何とも思っていなくて私が腹を立てることもあります。

少し前のことですが、ショート先のお迎えの運転手さんでいつも何もなさらず(もちろん挨拶もされず、スロープの片付けもされない)腕組をして立っておられる方がいます。

そこまでは許せても、母のシートベルトを手が動かないように両腕の上にしてそのままにされていた時には、それまでの我慢が限界に達して、でも落ち着いて丁寧に「いつもよくして頂いて感謝していますが・・・」と前置きし「もう少し母を丁寧に扱って頂けませんか」と言ってしまいました。

日曜日の運転手さんは人手がいないのでショート先もこの方に辞められたら困るということで、何も言えないでいるようです。

こちらはお金を払っている利用者ですが、「来ないで下さい」と言われるケースもあるので本当に気を遣います。

関わって下さる方が多くなればなるだけ、いろいろな方がいらっしゃるので気を遣いますが、今の時点ではヘルパーさん方も皆さんいいので有難いです。

母のことになると(子育ての時と違って)、鬼にも蛇にもなるわみたいなところがあるので、(自分も十分大切にはしてあげていないくせにです)、仏教でいう餓鬼道に落ちるわと言う発想になります。

もしこれが本当なら落ちたら落ちたで仕方ありません。

 

 

 

 話が大きく脱線してしまいました

介護をしていますとあれこれあります。

母を無事にショートに送り出したあとは又忙しい日曜日を過ごしつつ、今日は「整理整頓のつねさん」に手伝ってもらいつつ母のギャラリー作りをしました。

掛け軸を掛けるところまでは今日は出来ませんでしたが、がんばりました~。

母を見送って30分も立たないうちから、5時間ほど。

途中で、近所にランチを食べに行きました。

 

 

このランチ、とっても美味しかったです

一番右がハンバーグ。

続いて山形豚の何とか。

エビフライ。

舌平目のムニエル

あさりの何とか。

サラダ。

 

帰って、コーヒーを飲んで、もうひと頑張りしました。

 

 

 

 そう言えば、母に「火曜日に又行くからね」と言いますと、「あなたに会いたいなあと思うことがよくあるんよ」

「電話くれたらいいじゃない」と私。

「携帯がどこにあるかわからず、スタッフに言っても明日の朝にしましょうと言われる」

スタッフの方も私に気を遣って下さっているのでしょう。

でも、母からしたら、自分のしたいことが出来ないことは辛いことだと思います。

「もし自分だったら。。。」と考えてしまいます。

子育てと違って母には甘いかもと思うことがあります。

怒る時は怒りますが・・・言う時には言うと言った方がいいかも。

母に怒ることはないですから。

心が動揺することがあるとすれば、母が原因ではなく私の気持ちに余裕がない時です。

子育ての時のことを忘れているのもありますし、なぜかと考えてみたら、やはり、何かな

守ってあげないといけないと思っている

それなら子供も一緒だったはずです。

心身共に出来ることが奪われていくから

私も年を重ねて丸くなってきた

自分にされて嫌なことは基本的にしたくないのはありますが、結局、わかりません

 

 

 

 

★致知一日一言 【今日の言葉】2024.3.17

 

五木寛之氏の新連載始まる

 

いま、私たちの日常生活のなかで、
日々、泡のように生まれ、消費され、
消え去る言葉のなかにも、
明日の千年を生きる名言がある
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五木寛之(作家)
○月刊『致知』2024年4月号
新連載「千年の名言─今を生きる言葉」【最新号】より
━━━━━━━━━━━━━━

●新連載にあたって
『今を生きる言葉』への旅立ち

生きづらい世の中である。
世界の情勢も刻々と変化して、明日が見えない。
そんな時代に生きる指針となるべき言葉はあるのか。
私はあると思う。
しかし、それは千年の名言といわれるような
言葉ではない。
いま、この一瞬に私たちを支え、
励ましてくれるような「いま生きる言葉」だ。
いま、この一瞬に心に刺さる言葉が
「千年の名言」となるのではないか。
私自身を支えてくれた言葉、
そして現在の自分を励ましてくれる言葉。
そんな言葉を探して読者の皆さんと共に漂流したい。
暗夜のともしびとなるような言葉、
起拝するのではなく、一緒に腕を組み、
共に歩いていけるような言葉を求めての
旅が始まる。
──五木寛之

コメント (2)
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