聖フランシスコの祝日

2023年10月04日 20時03分30秒 | 祈り

 今日は最高気温が28.3℃、最低気温が15.5℃でした。

少し暑かったですが、それでもやっと長い夏が終わったことをしみじみと感じます。

 

 

 今日の朝顔も15輪ほど咲いてくれました。

 

 

今日はこのしぼりのようなのが4輪も咲いていました。

 

 

もう終わったと思っていたアラビアンジャスミンに又、蕾が付いていました。

 

 

 今朝の果物

季節が移り変わりスーパーの棚からすいかが消えました。

メロンもなくなりました。

 

久々にコナコーヒーを入れました。

ほんのり甘く、しばしじっくり味わいました。

 

 今日も一日、夕方にスーパーに行くまで家の中で過ごしました。

BSで「マディソン郡の橋 The Bridges of Madison County」をしていましたので、久し振りに観ました。

主人公のフランチェスカと同じ名前なので何となく親しみを感じます

 

「マディソン郡の橋」より愛のテーマ

 

 お買い物へ

 

帰って水遣りをしていたら、我が家のススキも穂が出ていました。

写真を撮ろうと思っていましたが、暗くなってしまったので又明日にでもと思いますが、昨年もお月見が過ぎてからでした。

教会の彼岸花ももう終わりです。

 

 

 

今日は私の守護(保護)聖人の聖フランチェスコの祝日ですので、お花を買ってきました。

お祝いのケーキは我慢

 

アッシジのフランチェスコ

今のフランシスコ教皇も聖フランシスコ・ザビエルもアッシジのフランシスコが保護の聖人です。

ちなみに女性名はフランシスカ(ラテン語)、フランチェスカ等になります。

良寛さまとは西のフランシスコ、東の良寛と言われるくらい似通ったところが多いようです。

映画「ブラザーサン シスタームーン」や「平和の求める祈り」はとても有名です。

 

Donovan • Brother Sun, Sister moon (Irmão Sol, Irmã Lua)

 

 

 

平和を求める祈り


神よ、
わたしをあなたの平和の道具としてお使いください。

憎しみのあるところに愛を、
いさかいのあるところにゆるしを、
分裂のあるところに一致を、
疑惑のあるところに信仰を、
誤っているところに真理を、
絶望のあるところに希望を、
闇に光を、
悲しみのあるところに喜びをもたらすものとしてください。

慰められるよりは慰めることを、
理解されるよりは理解することを、
愛されるよりは愛することを、わたしが求めますように。

わたしたちは、与えるから受け、ゆるすからゆるされ、
自分を捨てて死に、
永遠のいのちをいただくのですから。

FOR PEACE

Lord, make me an instrument of your peace,
Where there is hatred, let me sow love;
Where there is injury, pardon;
Where there is doubt, faith;
Where there is dispair, hope;
Where there is darkness, light;
Where there is sadness, joy;

O Divine Master,
Grant that I may not so much seek
To be consoled as to console;
To be understood as to understand;
To be loved as to love.

For it is in giving that we receive;
It is in pardoning that we are pardoned;
And it is in dying that we are born to eternal life.


Saint Francis of Assisi

 

 

 

太陽の賛歌


いと高い、全能の、善い主よ、
  賛美と栄光と誉れと、
  すべての祝福は
  あなたのものです。

いと高いお方よ、
  このすべては、あなただけのものです。
  だれも、あなたの御名を
  呼ぶにふさわしくありません。

私の主よ、あなたは称えられますように
  すべての、あなたの造られたものと共に
  太陽は昼であり、
  あなたは太陽で
  私たちを照らされます。

太陽は美しく、
  偉大な光彩を放って輝き、
  いと高いお方よ、
  あなたの似姿を宿しています。

私の主よ、あなたは称えられますように
  姉妹である月と星のために
  あなたは、月と星を
  天に明るく、貴く、
  美しく創られました。

私の主よ、あなたは称えられますように
  兄弟である風のために。
  また、空気と雲と晴天と
  あらゆる天候のために
  あなたは、これらによって、
  御自分の造られたものを
  扶け養われます。

私の主よ、あなたは称えられますように
  姉妹である水のために
  水は、有益で謙遜、
  貴く、純潔です。

私の主よ、あなたは称えられますように
  兄弟である火のために。
  あなたは、火で
  夜を照らされます。
  火は美しく、快活で、
  たくましく、力があります。

私の主よ、あなたは称えられますように
  私たちの姉妹である
  母なる大地のために。
  大地は、私たちを養い、治め、
  さまざまの実と
  色とりどりの草花を生み出します。

私の主よ、あなたは称えられますように
  あなたへの愛のゆえに赦し
  病いと苦難を
  堪え忍ぶ人々のために。

平和な心で堪え忍ぶ人々は、
  幸いです。
  その人たちは、
  いと高いお方よ、あなたから
  栄冠を受けるからです。

私の主よ、あなたは称えられますように
  私たちの姉妹である
  肉体の死のために。
  生きている者はだれも、
  死から逃れることができません。

大罪のうちに死ぬ者は、
  不幸です。
  あなたの、いと聖なる御旨のうちにいる人々は、
  幸いです。
  第二の死が、その人々を
  そこなうことは、ないからです。

私の主をほめ、称えなさい。
  主に感謝し、
  深くへりくだって、主に仕えなさい。

 

 

 

 今日の母はお昼頃から調子が悪かったようです。

ですから、お食事もお薬も飲ませることが出来なかったと夕方電話がありました。

お電話を下さった時にはだいぶ回復していたようですが、訪問看護ステーションに2回お電話され、2回目にはドクターにも聞いてもらわれたとか。

他のショート先はまず私に電話がかかってきますが、ここは直接、訪看へ電話をなさったようです。

初めてだったからよほど心配なさったのかも。

ドクターはお薬をスキップしてもいいと言われたとか。

私には時間を遅らせて飲ませるように言われますが、施設では大変とドクターは判断なさったようです。

このドクターは元介護士さんなので、スタッフの大変さをとても理解出来る方です。

娘もそのあまりの優しさにびっくりしていましたっけ。

とにかく、回復して良かったです。

今日は私も午前中特に、調子がいまいちでした。

寒暖の差が激しいせいかな~

 

 

 

この方、岡山県出身でいらっしゃるようでびっくり

全く存じ上げませんでした

 

★致知一日一言 【今日の言葉】2023.1004

 

インド仏教最高指導者からのメッセージ

 

自分の国を愛する心、
自分を産んでくれた父母を敬う心、
神仏に手を合わせる心……
人間に生まれた以上は、
心に何かを持たなくては生きていけない。
━━━━━━━━━━━━━━
佐々井秀嶺(インド仏教最高指導者)
○月刊『致知』2023年11月号【最新号】
特集「幸福の条件」より
━━━━━━━━━━━━━━

●『致知』11月号。
特集テーマは「幸福の条件」です。

●ヒンドゥー教のカースト制度によって
数千年にわたり差別され続けてきた不可触民を、
万民平等を説く仏教に改宗させ、
貧困と苦しみから救済し続けてきた日本人がいます。
インド仏教最高指導者・佐々井秀嶺上人、88歳。
4年ぶりに日本に一時帰国した佐々井上人に、
苦悩に満ちた壮絶な半生と命を懸けて取り組んできた
インド仏教復興運動の歩みを交え、
幸福な人生、社会を実現していく要諦を伺いました。

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新英訳「老人の友人に対する至福」&「最上のわざ」

2023年10月01日 22時00分00秒 | 祈り

 10月に入った今日、いきなり30℃を切りました。

最高気温は28.8℃、最低気温は22.5℃。

 今日の朝顔は10輪。

英語で朝顔をMorning glory と言うようですが、本当にふさわしい名前ですね。

 

 

バラも毎日、何輪かは咲いてくれますので朝、外を眺めるのが楽しみです

 

 

 

 

 今朝の果物

シャインマスカットも昨日、買ったのですが「こんなに甘くなくていいのではないか」という位甘い。

名前のない世界に7本しかないという梨のお味は二十世紀梨のようで、これもとても甘かったです。

母もフレッシュジュースをしっかり飲んで、今日からショートに行きました。

「今日、帰るの」と何故か聞きましたので「木曜日よ」と答えましたが、多分、昨日も謝っていましたし不安なのかなと思い「施設には絶対入れないから心配しないで」と言いました。

施設が悪いわけではなく、我が家の場合はたまたま、母が在宅を望み、私も介護出来る環境にあるからです。

又、認知症がないことも大きいに違いないです。

中には暴力や家出や、もう家族の手には負えない場合も多いからです。

 母が行った後は、お洗濯も早朝からしていましたが、行ってから出ないと出来ないものもありますので、続けてお洗濯やら掃除屋から片付けをして過ごしました。

明日は友人とお出掛けなので、さっさと済ませました。

 

 

 今朝、母が起きる前からYou Tubeでこれを流していました。

神経系の回復🌿穏やかな音楽、神経系を落ち着かせ、魂を喜ばせます

 

娘さんの2人居るお母さんヘルパーさんが久々にいらして、家の中があこれこれ変わった(配置とか)り、少しずつ片付けていますのでちりも積もればで多少すっきりしたようで驚かれました。

しかも、いつものようにリラックス音楽がかかり、良い香りがして、食卓にはフレッシュジュースやあれこれ。

「お母様は本当にお幸せですねぇ。ここへ来させて頂くと私の方がリラックスします」等と言われて褒めて下さいましたが、私としては昨日のこともあり幼児虐待ならぬ老母虐待ではないかと思った次第です

母は本当はどう思っているだろうかと思ったりしました。

本当に幸せかしら。

身体の自由がなくなった母には選択肢がないわけですから我慢する以外にないです

年を取るっていいこともありますが、哀しいことでもあります。

 

 

 この曲の中に、いつか絶対に行きたいと思っている場所が現れました。

多分、スロベニアのブレッド湖の「聖マリア教会」です。

 

 

ところで、昨日の「老人の友人に対する至福 Bless for an old man's friend」に続いて、お送りします。

その前に、この英訳、水分前に英訳しましたので見直してみました。

そして、今日の英語の先生に見て頂いたところ、先生のお母様(確かまだ70代)もパーキンソン病で脚が震えて歩けないと言われ、この祈りを読まれながら泣かれていました

そして、ひとつミスを発見

要らないところにsが付いていました。

あと、calm face はnatural faceの方がいいのかなと思ったりもしました。

(どちらでもいいと言われましたのでそのままにしています)

あとは問題ないということで、再度、新英訳をアップします。

 

老人の友人に対する至福 Bless for an old man's friend

 

私のよろける足どりと、ふるえる手を、理解してくれる人は幸いです。
Blessed are the people that understand my staggering foot and my hand's trembling.

 

私の耳は、人のいう言葉を聴きとるためには、大きな努力が必要であることをわかってくれる人は幸いです。
Blessed are the people who understand that great effort is necessary to hear the words of other people.

 

私の目はうすくなり、私の行動はのろいということを善意のうちにわかってくれる人は幸いです。
Blessed are the people who understand in good faith that my actions are slow and my eyes are growing thinner.

 

私がコーヒーをこぼしても、かわりない平静な顔をしてくれる人は幸いです。
Blessed are the people whose calm face does not change even though I spill my coffee.

 

しばらく立ち止まって、明るくほほ笑みながら、おしゃべりをしてくれる人は幸いです。
Blessed are the people who stop for a while and talk with a bright smile.

 

「今日はその話を二度も聞きましたよ。」と、決して言わない人は幸いです。
Blessed are the people who never say "I heard that story twice today."

 

楽しかった昔を取り戻す方法を、知っている人は幸いです。
Blessed are the people who know how to bring back the joy from long ago.

 

私が愛されており、ひとりぽっちでないことを、教えてくれる人は幸いです
Blessed are the people who taught me that I am loved and not alone.

 

私には十字架を荷なう力がないことを、わかってくれる人は幸いです。
Blessed are the people who understand that I am not strong enough to carry the weight of the cross on my shoulders.

 

愛情深く、人生の最後の旅路の日々を、なぐさめてくれる人は幸いです。
Blessed are the people who will with love celebrate the last days of my life's journey.

 

 

<老人の友人に対する至福 (幸いな人)>
(桐生聖フランシスコ修道院 ブレビアン・ウォルシュ神父作)

(Written by Kiryu St. Franciscan Monastery Fr, Brevian Walsh)

 

今 まで何回かアップしてきたものですが、私の中では、この詩の次に続くのは「人生の秋に」で紹介されている「最上のわざ」です。

老いた時、病んだ時、このようでありたいと願っています。

自己満足かもしれませんが、実際に祈りには効果があるそうですし、何も出来なくなっても、祈ることが出来るということは大きな希望であり恵みだと私は思っています。

今、人生の玄冬(今は白秋の後半かなと勝手に思っています)に向かっていますが、いよいよその時が来たら、このようでありたい。

でも、誰もが年を取れるわけではないのですよね。

辛いことも多くなりますが、やはり感謝です。

 

最上のわざ

 

この世の最上のわざは何?
楽しい心で年をとり、
働きたいけれども休み、
しゃべりたいけれども黙り、
失望しそうなときに希望し、
従順に、平静に、
おのれの十字架をになう。

若者が元気いっぱいで
神の道を歩むのを見ても、ねたまず、
人のために働くよりも、
謙虚に人の世話になり、
弱って、もはや人のために
役だたずとも、
親切で柔和であること。

老いの重荷は神の賜物、古びた心に、
これで最後のみがきをかける。
まことのふるさとへ行くために。

おのれをこの世につなぐ鎖を
少しずつ外ずしていくのは、
真にえらい仕事。
こうして何もできなくなれば、
それを謙虚に承諾するのだ。
神は最後にいちばん
よい仕事を残してくださる。
それは祈りだ。手は何もできない。
けれども最後まで合掌できる。

愛するすべての人のうえに、
神の恵みを求めるために。
すべてをなし終えたら、
臨終の床に神の声をきくだろう。

「来よ、わが友よ、
われなんじを見捨てじ」と。

 

ヘルマン・ホイヴェルス神父

 

 

Life's Greatest Task


What is this life's most important task?

To grow old with a cheerful heart,

To be still even when I would like to be active,

To be silent when I would like to talk,

To have hope in times of frustration,

To carry my cross in humility and serenity of heart,

To put aside envy even when I see younger people walking God's path full of health and energy,

To humbly accept help from others when I would rather work for the sake of others,

So when I can no longer be useful for others because of frailty I need to gently and humbly accept the heavy burden of old age as a gift from God.

I have an aged heart that has been in use a long time and now God is giving it a final polishing so that I can return to my true home all shining.

To gradually release myself from the chains that bind me to this world is indeed a wonderful work.

When I cannot do things let me humbly accept these circumstances in humility.

 

However for my closing years God has kept for me the most important work of all, and that is:

Even if I can no longer do anything else with my hands, right to the very end I can join those hands in prayers.

I can pray, asking for God's blessings upon all those I love.

 

And when I come towards my end, approaching death may I hear God's voice when He says to me;

"COME ! YOU ARE MY FREIND ! I WILL NEVER DESERT YOU !"

 

Hermann Heuvers

 

 

 

 ところで、今日はリジューの聖テレジアの祝日。

彼女は日本ではあまり知られていないと思いますが、ジャンヌ・ダルク(Jeanne d'Arc)と同様、フランスの保護の聖人です。

たった24歳で亡くなり、あっという間に列聖。

今日は川西に住む大学時代の友人の霊名がマリア・テレジアで今日がお祝い日ですので、朝一にお祝いのメッセージを送りました。

~聖女の言葉より~

「もし全ての花が薔薇になりたがり、小さな野花がなくなってしまったら、春の美しさは失われ、野原が飾られることもないでしょう。」

(19世紀フランスのカルメル会修道女・著述家、1873~1897)

 

 

 ちなみに日本の守護の聖人は聖母マリアです。

聖フランシスコ・ザビエルが聖母マリアの祭日に日本にたどり着いたので、その時彼は日本を聖母マリアの保護に委ねたそうです。

後になって聖ザビエルも日本の守護聖人となったそうです。

大天使聖ミカエルとも縁が深いと聞いたことがありますが、定かではありません。

 ついでのことにご紹介

聖人カレンダー

https://www.pauline.or.jp/calendariosanti/saint10.php

皆さんのお誕生日にもきっと守護の聖人がいると思います。

私の誕生日は「カルメル山の聖母マリア」の祝日ですので、マリア様のお名前とテレジア同様小さき道を生きた「聖フランシスコ」から頂き、マリア・フランチェスカです。

10月4日(水)がお祝い日です。

 

 

 

 

 

★致知一日一言 【今日の言葉】2023.1001

 

『致知』最新号発刊! テーマは「幸福の条件」

 

幸せの原点は
家庭の温もりにこそあります。
━━━━━━━━━━━━━━
前田万葉(ローマ教皇庁枢機卿)
○月刊『致知』2023年11月号【最新号】
特集「幸福の条件」より
━━━━━━━━━━━━━━

●『致知』11月号が発刊されました!
特集テーマは「幸福の条件」。

人が幸福に生きるためには何が必要か。
今号の特集は、対談やインタビューを通して
幸福というものの本質に迫ります。

トップ対談にご登場いただいたのは
ローマ教皇庁枢機卿の前田万葉氏と、
本誌でお馴染みの文学博士・鈴木秀子氏。
枢機卿は、カトリックにおいてローマ教皇に継ぐ聖職者。
世界に200人、日本では歴代6人目です。
お二人には「人生を幸福に生きる知恵」
と題してお話しいただきました。

概要はこちらから

●最新号「幸福の条件」
注目のラインナップはこちら

 

 

 

 

★致知出版社の「ご縁メール」 


≪特集「幸福の条件」/『致知』11月号発刊≫

最新号の特集総リード(主幹コラム)では、
詩人・八木重吉の詩が紹介されています。

───────────────────

花はなぜうつくしいか

ひとすじの気持ちで咲いているからだ

本当にうつくしい姿

それはひとすじに流れたものだ

川のようなものだ

人生はいつたのしいか

気持ちがひとつになり切った時だ

   ───────

この詩は重吉の幸福論である。


ひとすじの気持ちでひたむきに生きている時、
人は幸福である。

人でも仕事でも物でも、
その対象と気持ちがひとつになり切った時、
人生、これほど楽しく幸せなことはない。


私たちもそういう生き方を目指したいものである。

───────────────────


最新号の特集テーマは「幸福の条件」です。


人が生きるために何が大事か、
その道標を示してくれています。

総リードには、京都大学元総長
平澤 興先生の言葉も取り上げられています。

   ───────

幸福だけで、限りなく成長することは
至難なことである。

困難はその時には
ありがたくはないが、
これを活用し得る人にとっては
将来の大きな幸福へのチャンスである。

成長するためには、
苦難が喜びであると思うようになることである。

   ───────

コメント (4)
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今日は肌寒いですね&最上のわざ(Life's Greatest Task)&アメイジング・グレイス(Amazing Grace)

2023年06月22日 21時54分00秒 | 祈り

 肌寒くて薄手のパーカーを羽織っています。

寒暖の差が激しいです。

 

 

 

 朝、ちょうど雨が止んでいましたので、お散歩に出かけました。

 

教会の紫陽花も傷んで来てもう終わりです。

 

ど~んより。

🍋レモンは今日も無事です。

小さいながら🍋レモンの形をしています。

食べごろのきゅうりが3本生っていますので

 

1本だけ収穫しました。

雨に濡れたお花って瑞々しくて美しいです。

 

 

 今朝の果物

スイカが増えました

 

 今日は木曜日でしたので朝一に整体に行きました。

帰りの道のガーデニア。

 

そして、アガパンサス。

 

 

 母が2時50分位に帰って来てびっくりしました。

施設の方が往診だと勘違いなさったようです。

やはり、「食べなかった」と言われていましたが、体重測定結果を教えて下さると36.4kgで、「先週(34.2kg)より食べていないのに増えているのはおかしい、何かの間違いです」と言われていました

でも、母の顔色は悪くありませんでした。

その後も最初こそ「欲しくない」と言っていましたが、結構食べてくれましたし(出したものは全部)、ベッドに寝ないで新聞を読んだりしてベッドサイドに8時半位まで座っていました。

今夜は良く寝て、明日の朝、食欲が回復してくれていたら嬉しいのですが。。。

 

 

 

 昨日の「老人の友人に対する至福 Bless for an old man's friend」に続いて、お送りします。

今までこれも何回かアップしてきたものですが、最近、私のブログを読み始めて下さった方はご存じないと思いますので、久々にこちらもアップします。

老いた時、病んだ時、このようでありたいです。

何も出来なくなっても、祈ることが出来るということは大きな希望であり恵みだと私は思っています。

 

 

 

最上のわざ

 

この世の最上のわざは何?
楽しい心で年をとり、
働きたいけれども休み、
しゃべりたいけれども黙り、
失望しそうなときに希望し、
従順に、平静に、
おのれの十字架をになう。

若者が元気いっぱいで
神の道を歩むのを見ても、ねたまず、
人のために働くよりも、
謙虚に人の世話になり、
弱って、もはや人のために
役だたずとも、
親切で柔和であること。

老いの重荷は神の賜物、古びた心に、
これで最後のみがきをかける。
まことのふるさとへ行くために。

おのれをこの世につなぐ鎖を
少しずつ外ずしていくのは、
真にえらい仕事。
こうして何もできなくなれば、
それを謙虚に承諾するのだ。
神は最後にいちばん
よい仕事を残してくださる。
それは祈りだ。手は何もできない。
けれども最後まで合掌できる。

愛するすべての人のうえに、
神の恵みを求めるために。
すべてをなし終えたら、
臨終の床に神の声をきくだろう。

「来よ、わが友よ、
われなんじを見捨てじ」と。

 

ヘルマン・ホイヴェルス神父

 

 

Life's Greatest Task


What is this life's most important task?

To grow old with a cheerful heart,

To be still even when I would like to be active,

To be silent when I would like to talk,

To have hope in times of frustration,

To carry my cross in humility and serenity of heart,

To put aside envy even when I see younger people walking God's path full of health and energy,

To humbly accept help from others when I would rather work for the sake of others,

So when I can no longer be useful for others because of frailty I need to gently and humbly accept the heavy burden of old age as a gift from God.

I have an aged heart that has been in use a long time and now God is giving it a final polishing so that I can return to my true home all shining.

To gradually release myself from the chains that bind me to this world is indeed a wonderful work.

When I cannot do things let me humbly accept these circumstances in humility.

 

However for my closing years God has kept for me the most important work of all, and that is:

Even if I can no longer do anything else with my hands, right to the very end I can join those hands in prayers.

I can pray, asking for God's blessings upon all those I love.

 

And when I come towards my end, approaching death may I hear God's voice when He says to me;

"COME ! YOU ARE MY FREIND ! I WILL NEVER DESERT YOU !"

 

Hermann Heuvers

 

 

 

 

アメイジング・グレイス【訳詞付き】- アメリカ民謡

 

★致知一日一言【今日の言葉】2023.0622

追悼・牛尾治朗氏

to do goodを考える前に、
to be goodを目指しなさい

(よきことしようと考える前に、
よき人物となることを目指しなさい)
━━━━━━━━━━━━━━
牛尾治朗(ウシオ電機創業者)
○月刊『致知』より
━━━━━━━━━━━━━━

●牛尾治朗氏からのメッセージはこちら

●ウシオ電機創業者の牛尾治朗氏が、
6月13日にお亡くなりになりました。
92歳でした。牛尾氏は対談やインタビュー、
連載「巻頭の言葉」の執筆等、
30年以上にわたって弊誌『致知』を
応援してくださいました。
心よりご冥福をお祈り申し上げます。

━━━━━━━━━━━━━━

●牛尾治朗氏の『致知』応援の言葉

道元禅師に
「霧の中を行けば、覚えざるに衣しめる」
という言葉がある。
見識のある志高い人に接すると、
自ずと自分の志も高くなるという教えである。
『致知』はこの言葉のように、
自分を高める様々な
学びと縁をもたらしてくれる。
一つの雑誌が40年もの歴史を
刻むことは希有なことであるが、
『致知』にはここで立ち止まることなく
さらに前進を続けてほしい。
私も次の50周年まで現役を貫き、
この雑誌と共に学び続けていきたいという
心意気である。

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ベトナム風御聖堂(おみどう)

2022年09月17日 22時30分00秒 | 祈り

 台風が来ているせいか、今日は一日曇っていて、予報では出ていませんでしたが、雨が結構降りました。

 

 今朝の空

久し振りに教会の中の写真を撮りました。

 

ここまではカメラを忘れたのでスマホで撮影。

 

 

 

 秋の贈り物

 

桃も加えて、ご先祖様と父にお供えしました。

今日の朝顔は二輪でした。

そろそろ終わり

 

バラも今は剪定しましたので咲いていませんので、お花が少ないです。

もう少し涼しくなったら、ガーデニングに精を出したいと思います。

 

 

 

 

 

 今朝の果物

頂き物もあって、てんこ盛り。

あまり美しくないです

母の方もこんな感じ。

一日かけて食べていました

 

 

 

 11時頃、台風が来ますのでお買い物をしておこうと思い、スーパーへ。

母は新聞を読んでいましたので、大人しくしていてくれました。

帰りに、教会に又、段ボール箱を持って行きました。

信徒会長さんが一人で、駐車場を綺麗にされていました。

よくスリランカの夫婦が手伝ってくれると言われていました。

何ともインターナショナルになったものです。

 午後からは神父様と2人で門を直すと言われていました。

信徒会長さんはもうお年ですし、神父様はとってもお忙しそう。

信徒会長さんにあれこれお話を伺っているうちに、ベトナムの交流センターの礼拝堂がすごいというお話になり、まだ見たことがないと言いますと、見に行こうと言って下さいました。

入ってびっくり

こちらの方がすごくないですか

 

全部手作りだそうです。

ほとんどは、ここもお庭もベトナムからいらした神父様が中心となって作っていらっしゃるそうです。

 

何ともカラフル。

しかも凝っています。

御聖体ランプが赤く灯っていますが、ここに御聖体は安置していないそうです。

 

マリア様の手に掛かっているロザリオまでカラフル。

十字架の道行までカラフル。

マリア様とヨセフ様の頭の後ろも電気が付くようになっています。

 

例えば日本風に作られた教会や修道院はやはりとてもシンプルで素朴で色がないです。

日本庭園風のところが多いです。

やはりお国柄が表れるんだなぁ~と思いました。

でも、ここがあることによって遠くの異国から来た若者達が孤独を感じないで済むので私まで本当に嬉しいです。

 

 

  外にはパイナップル。

 

スーパーで又1本だけカサブランカを買って帰りました。

お花のない暮らしは殺伐とした感じになります。

 

 

 お昼に早速、プルコギと韓国風卵焼きを作りました。

ない調味料もありましたので代わりのものを使ったり、ぴったり計って作るタイプではないのでどうなるかなと思っていました。

でも、普通に美味しかったです。

豚肉を食べたのは何年振り

もっとかも。。。

 

こんなに沢山2人で食べることは出来ませんので、看護師さんとヘルパーさんにお裾分けしました。

 

 

 

 

 

 今日の母は朝夕、軽い過呼吸。

それでも、看護師さん曰く「あそこ(リハ付きショート)に行ってから随分と脚がしっかりしてきたわ」

今日も夕方には又エネルギー切れ。

早々に寝ました。

 

 

 

 

 

 20時に花火が上がり始めました。

勢いよく流れる煙は見えましたが、花火は見えず

見晴らしのいいところに引っ越したいっ

15分間、音だけ聞きながら我慢しました。

それにしましても、ありがたい音でした。

 

 

 

 

 

 昨日、使ったピーナッツオイル。

当分の間、毎日膝と手指には使おうと思っています。

 

 

 

 

 

★致知一日一言【今日の言葉】

 

井上康生が感動した「プロの条件」3つの言葉

 

壁にぶち当たって、
ぶち当たって、
ぶち当たって
それを乗り越えた時に、
初めて人間は成功する

━━━━━━━━━━
井上康生
(柔道家/全日本柔道男子代表前監督)
月刊『致知』より
━━━━━━━━━━

●指導する立場にある人必見!

井上康生が感動した
「プロに欠かせない3つの言葉」

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「老人の友人に対する至福 」&「最後だとわかっていたら」&映画『レ・ミゼラブル』『最高の人生の見つけ方』

2021年12月13日 23時24分22秒 | 祈り

 今朝も5時前に目が覚めました。

昨夜はベッドに入ると何故か涙が出て泣きながら寝ましたが(何が悲しいのか自問自答したところ、生きていくだけで人生はしんどいなんて思ったりしました)、起きた時には自分の笑い声で目が覚めました

何だかすごく幸せで、誰かが楽しいお話をしてくれて思わず笑ったのでした。

私はたまに自分の笑い声で目が覚めることがあります

寝ている間に夢で心(潜在意識)が癒されたのかもしれませんねぇ。。。(勝手な解釈)

 

 第1回目の洗濯をしながら、5時半に家を出てウォーキングへ。

昨日同様真っ暗

冬至が近いですから当たり前ですね。

 

 

段々明け行く空

 

西の空

今の日の出時間は7時05分。

でも、残念ながら6時50分までには帰らないといけませんので、日の出まで居ることが出来ません。

(母がショートの時は居られます)

 

 

 今朝の果物

今朝の母はしんどいのか、変な顔の表情でした。

どこか痛いのか、看護師さんに来てもらおうかと言ってもなかなか何も答えません。

やっと口を開いて言うには喉が痛い、息が出来ない等など。

でも、酸素は99%。

大丈夫だからゆっくり呼吸するように言いましたが、呼吸は普通なんですよね。

ショートに行きたくないから調子が悪くなったのではないだろうかとも思いましたが、しばらくして食べ始めたら完食しました~

そして、猫ちゃんとパズルと新聞のクイズを持ってショートに行きました。

お迎えに来て下さった時、家での様子を簡単にスタッフにお話しして、「優しく出来なかったんですよ」と言いつつ、靴を履いている母に

「きついことを言ってごめんね」と言いましたが、母は聞いているのかいないのか無言。

私は一昨日も書きましたが母に腹を立てている時に、浮かんで来るのは以下の祈りであると同時に「最後だとわかっていたら Tomorrow Never Comes」という詩です。

 

 

老人の友人に対する至福 Bless for an old man's friend

 

(2019.8.15のブログより)

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

英語の先生に直して頂いて英訳してみました。

介護をしているので、やはりこのような詩や祈りに心が動きます。

 

私のよろける足どりと、ふるえる手を、理解してくれる人は幸いです。
Blessed are the people that understands my staggering foot and my hand's trembling.

私の耳は、人のいう言葉を聴きとるためには、大きな努力が必要であることをわかってくれる人は幸いです。
Blessed are the people who understand that great effort is necessary to hear the words of other people.

私の目はうすくなり、私の行動はのろいということを善意のうちにわかってくれる人は幸いです。
Blessed are the people who understand in good faith that my actions are slow and my eyes are growing thinner.

私がコーヒーをこぼしても、かわりない平静な顔をしてくれる人は幸いです。
Blessed are the people whose calm face does not change even though I spill my coffee.

しばらく立ち止まって、明るくほほ笑みながら、おしゃべりをしてくれる人は幸いです。
Blessed are the people who stop for a while and talk with a bright smile.

「今日はその話を二度も聞きましたよ。」と、決して言わない人は幸いです。
Blessed are the people who never say "I heard that story twice today."

楽しかった昔を取り戻す方法を、知っている人は幸いです。
Blessed are the people who know how to bring back the joy from long ago.

私が愛されており、ひとりぽっちでないことを、教えてくれる人は幸いです
Blessed are the people who taught me that I am loved and not alone.

私には十字架を荷なう力がないことを、わかってくれる人は幸いです。
Blessed are the people who understand that I am not strong enough to carry the weight of the cross on my shoulders.

愛情深く、人生の最後の旅路の日々を、なぐさめてくれる人は幸いです。
Blessed are the people who will with love celebrate the last days of my life's journey.

 

<老人の友人に対する至福 (幸いな人)>
(桐生聖フランシスコ修道院 ブレビアン・ウォルシュ神父作)

(Written by Kiryu St. Franciscan Monastery Fr,Brevian Walsh)

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

「最後だとわかっていたら」

 あなたが眠りにつくのを見るのが
 最後だとわかっていたら
 わたしは もっとちゃんとカバーをかけて
 神様にその魂を守ってくださるように祈っただろう

 あなたがドアを出て行くのを見るのが
 最後だとわかっていたら
 わたしは あなたを抱きしめて キスをして
 そしてまたもう一度呼び寄せて 抱きしめただろう

 あなたが喜びに満ちた声をあげるのを聞くのが
 最後だとわかっていたら
 わたしは その一部始終をビデオにとって
 毎日繰り返し見ただろう

 あなたは言わなくても 
 わかってくれていたかもしれないけれど
 最後だとわかっていたなら
 一言だけでもいい・・・「あなたを愛してる」と
 わたしは 伝えただろう

 たしかにいつも明日はやってくる
 でももしそれがわたしの勘違いで
 今日で全てが終わるのだとしたら、
 わたしは 今日
 どんなにあなたを愛しているか 伝えたい

 そして わたしたちは 忘れないようにしたい

 若い人にも 年老いた人にも
 明日は誰にも約束されていないのだということを
 愛する人を抱きしめられるのは
 今日が最後になるかもしれないことを

 明日が来るのを待っているなら
 今日でもいいはず
 もし明日が来ないとしたら
 あなたは今日を後悔するだろうから

 微笑みや 抱擁や キスをするための
 ほんのちょっとの時間を どうして惜しんだのかと
 忙しさを理由に
 その人の最後の願いとなってしまったことを
 どうして してあげられなかったのかと

 だから 今日
 あなたの大切な人たちを しっかりと抱きしめよう
 そして その人を愛していること
 いつでも いつまでも大切な存在だということを
 そっと伝えよう

「ごめんね」や「許してね」や 
「ありがとう」や「気にしないで」を
 伝える時を持とう
 そうすれば もし明日が来ないとしても
 あなたは今日を後悔しないだろうから


Tomorrow Never Comes
              By Norma Cornett Marek

If I knew it would be the last time that I'd see you fall asleep,
I would tuck you in more tightly, and pray the Lord your soul to keep.
If I knew it would be the last time that I'd see you walk out the door,
I would give you a hug and kiss, and call you back for just one more.

If I knew it would be the last time I'd hear your voice lifted up in praise,
I would tape each word and action, and play them back throughout my days.
If I knew it would be the last time, I would spare an extra minute or two,
To stop and say “I love you,”instead of assuming you know I do.

So just in case tomorrow never comes, and today is all I get,
I'd like to say how much I love you, and I hope we never will forget.
Tomorrow is not promised to anyone, young or old alike,
And today may be the last chance you get to hold your loved one tight.

So if you're waiting for tomorrow, why not do it today?
For if tomorrow never comes, you'll surely regret the day
That you didn't take that extra time for a smile, a hug, or a kiss,
And you were too busy to grant someone, what turned out to be their one last wish.

So hold your loved ones close today and whisper in their ear
That you love them very much, and you'll always hold them dear.
Take time to say "I'm sorry,"... "Please forgive me,"... "thank you" or "it's okay".
And if tomorrow never comes, you'll have no regrets about today.

引用: 『最後だとわかっていたなら』
作 / ノーマ・コーネット・マレック
出版社 / サンクチュアリ出版

 

 

 昔、読んだ聖人伝にこんな話がありました。

ある学校の校長先生が、かなりうろ覚えですが「明日(今日だったかも)、地球が滅ぶとしたら(違ったかも)今日どのように過ごすか」と生徒達に聞いたそうです。

皆、口々に言ったそうです。

寄宿舎学校だったようで、家に帰って親に会うとか、友人に会いに行くとか、多分、普通に考えられそうな答えです。

でも、だだ一人「このまま遊び続けます」と言った少年がいました。

彼は将来聖人の位に挙げられた人ですが、「流石、聖人になるような人は小さい頃から違うものね」と思ったものです。

母を介護をしているといつも穏やかで優しくありたいと願ってもなかなか難しく綺麗ごとでは済まされないこともあります。

母を傷つけたことも度々あると思います。

いつも「老人の友人に対する至福 」や「最後だとわかっていたら」を思い出しながら、母に優しく接したいと反省します。

でも、最近は少し変わってきたかもしれません。

この少年のレベルとは雲泥の差ですし、場面が違うとは思うのですが、もし喧嘩をしたままでも、そのありのままの日常でいいのではないかと思うことがあります。

なぜなら、それが日常だからです。

これは反省をしないとか向上しようと努力しないという意味ではありません。

やはり、それなりに日々、意地悪をしようと思う気持ちではなく、良かれと思って生きています。

ですから、それでいいのではないかと思ったりするのです。

 

 

 母は不調でしたが、「寝る」と聞いても「寝ない」と言って食べ始め、結局は完食しました。

そして、ショートステイに行きました。

その後、2回目の洗濯やあれこれ用事を済ませ、やれやれとソファに座りました。

疲れていたので、転寝もしました。

その間に、ダンスの先生からラインが入っていて、明日、体調がいまいちなのでキャンセルをしたいとのことでした。

私も何となくほっとしました。

やはり疲れているのだと思います。

2日間旅をして、木曜日の朝は特定検診。

午後には母が帰ってきます。

忙しく疲れたままですと、心に余裕がなく母に優しく接することは難しくなります。

今週は家に居て英気を養うのが一番だと思いました。

 

 今日はBSで午後1時から『レ・ミゼラブル』がありました。

何度も観ましたが録画しつつ、観ました。

この本は人生の一番最初に両親が私に与えてくれた本です。

小学校の4年生か5年生位だったと思いますが、夜寝るのも忘れて読みふけりました。

多分、私の本好きはここから始まりました。

ちなみに人生初の音楽はイ・ムジチの「四季」のレコードでした。

それ以来、私はクラシック好きになりました。

 

映画『レ・ミゼラブル』予告編

 

 映画が終わって、少し歩きに行きました。

ポプラちゃん

 

 

大地に近い方に厚い雲が見えますが、冬独特の雲の形状でしょうか。

よく見ます。

 

 

 

 

一番最初に今年初の椿を見つけた木です。

こんなに咲いていました。

 

 

この木は何でしょう

今日も一万歩を超えました

 

 

 我が家のバラ「ダフトゴールド」が綺麗に咲いてくれています。

 

 

 

 アマゾンでカムカム英語と同時に注文していた本が届きました。

 

 

 ところで、「カムカムエブリバディ」の地元岡山では、NHKの夕方のニュース番組「もぎたて」の中でいつもこのドラマに関することが取り上げられます。

今日は先日のこの建物

 

 

戦後は本当に「将校クラブ」として使われていたようです。

 

ロケは6月にあったようです。

 

 

 今日はさっさとお風呂に入って、夜の9時からBSで『最高の人生の見つけ方』をしていました。

これも観たことがありますが、いい映画でした。

・・・と言うことで、観ていたら、又、ブログアップがこんな時間になってしまいました。

 

映画『最高の人生の見つけ方予告編』

 

 

 今日の母は又、一日はパズルをしていたようですが、「全然出来ない」とぼやいていました。

食後に赤ちゃんのげっぷと同じように、ゆっくり食べて、なるべく姿勢を崩さないようにして、少し静かにしていた方がいいと言っておきましたら、それを守ってくれたようで「心配していたけど、しばらくじっとしていたら大丈夫だった」と言っていました。

今、怖いのは誤嚥性肺炎です。

 

 

 

 

★致知一日一言  【今日の言葉】

 

天職は
特別な人にだけ与えられるものではなくて、
それぞれの人間に、それぞれの場所で、
天職がある。
有り難いと受け止める感性が大事

――――――――――
山谷えり子(参議院議員)
――――――――――

 

 

 

★致知一日一言  【今日の言葉+α】

 

「人間は何でこの世に
 生まれてくるか知っているか。
 人に喜んでもらうために
 生まれてくるんやよ」

浄土真宗の僧であり、
篤志面接院の西端春枝さんが
一燈園の三上和志さんから聞いた
言葉だそうです。


師走で慌ただしい今月、
少しでも読者の皆様の心に温もりを
お届けできればと考え、
ある少年の話をご紹介します。

3分程度で全文をお読みいただけますので、
隙間時間にご覧いただければ幸いです。


───────────
「恩を送る生き方」

西端 春枝(真宗大谷派淨信寺副住職)

『致知』2016年9月号
特集「恩を知り 恩に報いる」
───────────

〈西端〉
これはもう60年以上も前の話ですが、
ある夜、お隣の佐藤さんが一燈園の三上和志先生という
立派な方が来られるというので、
子供を連れて行ったことがあります。
分かりやすく心に響くお話という意味でも、
その時、三上先生が泣きながら語られた実話を
少し紹介させていただきます。

三上先生は警察関係の病院に招かれて
入院中の人々や職員に話をされました。
院長室に戻ると、院長がお礼を述べた後に、

「実は、余命10日の18歳の卯一という少年がいます。
 不幸な環境で育ったこともあり、
 暴言を吐き、皆に嫌われています。
 しかも開放性の結核なので、
 一人隔離されて病室にいるのですが、
 せめて先ほどのようなお話を10分でも20分でも
 してやってもらえませんか」

とお願いされました。
2人は少年の部屋に入ります。
院長はマスクにガウンの完全防御、
三上先生は粗末な作務衣のままです。

卯一は、院長が「気分はどうか」と声を掛けても
「うるせえ」と地の底からの声を出し
相手にしようとしません。
2人が諦めて部屋を出ようとした時、
卯一と三上先生の目が合うんですね。

その目は、燃えるような人恋しい、
孤独のどん底にいる目でした。
先生は病気が感染することを覚悟で、
卯一を一晩看病させてほしいと頼みます。

  ・  ・  ・

三上先生は荒れ狂っていた卯一をなだめながら、
骨と皮ばかりになった足をさすり始めました。
やがて卯一は自分が生まれる前に父親が逃げたこと、
母親は産後すぐに亡くなったこと、
神社で寝ては賽銭を盗んで食い稼ぐ生活を
続けてきたことなどを話し始めるんです。
そして、一晩中足をさすり続ける先生に

「おっさんの手、お母さんみたいやな」

と言うんですね。

そのうちに粥を食わせてくれるよう頼みます。
生ぬるいお粥さんが梅干しと一緒に置かれている。
幾匙か口にした後、卯一は言うんです。

「もうええ。おっさんもお腹空いたやろ
 俺の残り食うてくれ」と。
しかし、結核患者が口にしたものです。
先生は「一晩くらい食べなくてもいい」
「そんな言わんと食うてくれ」「いい、いい」
「おっさん、食えや」「私はお腹が空いていない」……

次第に卯一の声の調子が変わっていくんですね。
「親切そうにしているけど、おまえの真心はほんまか」と。
先生は長い長い合掌をして、粥をいただかれるんです。

――合掌をしながらも、心で葛藤しておられたのでしょうね。

〈西端〉 
「我が子であればと思おうとするけど思えない」と
先生は講演でおっしゃっていました。
卯一が「長いこと拝むんやな、おっさん」と言ったと聞いて、
私はゾクッとしました。
私もその場にいれば同じだったはずですから。

 

粥を食べた先生に卯一は
「おっさん、笑わへんか」と聞きます。
「なんや、言うてみい」
「いや、笑うやろ」「笑わへん」
「それなら言うぞ。一回でいい。おっとうと呼ばせてくれ」

一回は小さい声で「おっとう」、
2回目には少し大きな声で、
3回目にはありったけの声で
「おっとーう!」と叫んで、
声を上げて泣き崩れたそうです。

先生も一緒に泣かれて

「人間は何でこの世に生まれてくるか知っているか。
 人に喜んでもらうために生まれてくるんやよ」

と諭されるんですね。
そうしたら卯一が「おっさん、俺の話も聞いてくれ。
おっさんあっちこっちに講演に行くやろ? 
親を大事に思わん者が哀れな最期を遂げた、
と俺の話をしてほしい」と頼みます。

2人はそこで別れるのですが、
卯一は「おっさーん」「おっさーん」といつまでも呼び続け、
その直後にお浄土に帰っていくんですね。
顔には静かに笑みを浮かべ、手は合掌していたといいます。

―――――――――――

 

 

 

★エドガー・ケイシー

今日(12月13日)の珠玉のリーディングをお届けします。


あなたが為すべきと知っていることを、今日行いなさい!そして、その結果は、その報酬は、その効果は、あなたの神の御手に委ねなさい。

DO that thou KNOWEST to do, TODAY!
Then leave the results, leave the rewards, leave the effects into the hands of thy God.

(518-2)

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最上のわざ(Life's Greatest Task)&足あと(Footprints)

2021年05月01日 20時15分01秒 | 祈り

 朝からの雨予報が当たって、青空が広がっていましたが、雨がぽつりぽつり。

でも、それ以上は降りませんでした。

生温かい風の強い一日でした。

 今朝、母は「よく寝てすっきりした」と言ってすでに目を覚ましていました。

  

いちごの下に藁でも敷けばいいのですが、手に入りませんのでそのままにしています。

昨年は確か巻きすで対応した気がします。

  

今日も2個収穫。

大きい方を母に

地のものはやはり甘くて美味しい

母は、今日は自分から伝い歩きしてお台所に来ました。

 

 

 今朝の果物

朝食後、「何か美味しいものがほしいわぁ」と言いますので、ぜんざいを作りました。

その後ナッツも食べていました

 

 9時過ぎに小多機のスタッフが来てくれましたが、又、「朝は送迎で忙しいからおむつ交換だけになります」

ケアマネさんのお話が浸透していないようです

母はその後、書類のチェックに根を詰めて止めるように言っても聞かず

結局、しんどくなりました

 

 

 11時半にケアマネさんが5月の予定表の書類にサインがほしいということで来られました。

人手がないのでもう今のサービスでいっぱいいっぱいのようです。

歩行訓練もひとり誰かスタッフがつかないといけないので出来ないと言われていました。

そんな大げさなものでなくてもいいのですが、とにかく、スタッフが足りないようです。

また、最近の母がどんなにゆすっても起きないくらい寝てしまっていて心配だと言われていました。

それは私も感じていて、ドクターや看護師さんにもよくお聞きしていることです。

やはり、実際に会ってお話するのとしないのちでは違うと感じました。

ワクチンのお話などもして、少し距離が縮まった気がしました。

 

 その後、母は本人の希望で何とか台所に来て、昼食を食べました。

今日は変な取り合わせですが、お赤飯とチーズフォンデュ(中身は初めてエビフライを揚げて使ってみました。そのほかはブロッコリーなどのお野菜)。

母はお赤飯を普通のお茶碗に1杯と大きめのエビフライを3尾、あとはブロッコリーを中心に食べました。

その後本当は寝たいところだったのでしょうが、1時半から看護師さんが来て下さることになっていましたのでそのままお台所の椅子に5分ほど座ったままでいてもらいました。

そうこうしているうちに看護師さんが来て下さってバイタルチェック。

荒い息をしていましたが、バイタルは異常なし。

今日はボディミルクを付けて足のマッサージをしてもらって気持ち良さそうにしていました。

3時前に皆で母の好物のコーヒーゼリーを食べ、3時のお薬を飲んで、少しうとうとしかけましたが結局、眠れないようでした。

看護師さんとも話をしたのですが、老いていくことは本当にしんどいことです。

見ているとつくづくそう思います。

ましてや病気がある場合はなおのことです。

見ている私までエネルギー枯渇状態になり、しんどくなってきます。

母と同い年の95歳(母は5月12日で96歳になりますが)でも、お元気な人はお元気。

毎朝公園を10周し、ひとりでに自立して生活されています。

要介護認定も受けておられません。

また、田舎のお友達の中には田んぼに出ている人もいます。

耳が少し遠いくらいでお元気です。

母も「予定ではパーキンソン病になったりするはずではなかった」と言っていますが、こればかりはわかりません

先日、お風呂で転んで亡くなった小学校からのお友達はどこも悪くなくて、一番元気でした。

お風呂場で転んで打ち所が悪かったようです。

 その後、折角寝かけたかなと思ったら、小多機が夕方の訪問(4時半頃)に来られ、結局眠れず。

「今日はもう夕食は要らない」と言いました。

でも、お薬があります。

あまり早い時間に飲ませても血中濃度の関係で良くないので、とにかく7時までは何とか寝ないでいてもらい、お薬を飲んで、吸入も済ませて、やっと本格的に寝られる体制に。

 今日は本当にしんどそうで、看護師さんに又来て頂いた方がいいのではないかとか、入院した方が楽なのではないかと思いましたが、入院してもショートステイに行っても同じで、「コールしてもなかなか誰も来てくれないし、家がいい」と言いました。

こんな母をショートステイに行かせるのはどうなのと思ってしまいますが、毎日、こんな状態の母を見ていると私の方がもたなくなるかも。

それはそれでいい気もしますが、共倒れになってしまっては元も子もありません。

やはり、母を私が見送らなくては

2人切りの限界を感じます。

老い、老いていくということは本当に大変なことです。

こんな時に思い出すのは今まで何回もアップしてきたヘルマン・ホイヴェルス神父様(Hermann Heuvers:元上智大学学長)の随想選書「人生の秋に」に書かれている「最上のわざ」という詩と、「足あと」という詩です。

本当に辛い時、どなたか上の方が背負って歩いて下さっているのでしょうか。

「足あと」を読むと、うるっときます。

 

 

最上のわざ

 

この世の最上のわざは何?
楽しい心で年をとり、
働きたいけれども休み、
しゃべりたいけれども黙り、
失望しそうなときに希望し、
従順に、平静に、
おのれの十字架をになう。

若者が元気いっぱいで
神の道を歩むのを見ても、ねたまず、
人のために働くよりも、
謙虚に人の世話になり、
弱って、もはや人のために
役だたずとも、
親切で柔和であること。

老いの重荷は神の賜物、古びた心に、
これで最後のみがきをかける。
まことのふるさとへ行くために。

おのれをこの世につなぐ鎖を
少しずつ外ずしていくのは、
真にえらい仕事。
こうして何もできなくなれば、
それを謙虚に承諾するのだ。
神は最後にいちばん
よい仕事を残してくださる。
それは祈りだ。手は何もできない。
けれども最後まで合掌できる。

愛するすべての人のうえに、
神の恵みを求めるために。
すべてをなし終えたら、
臨終の床に神の声をきくだろう。

「来よ、わが友よ、
われなんじを見捨てじ」と。

 

ヘルマン・ホイヴェルス神父

 

 

Life's Greatest Task


What is this life's most important task?

To grow old with a cheerful heart,

To be still even when I would like to be active,

To be silent when I would like to talk,

To have hope in times of frustration,

To carry my cross in humility and serenity of heart,

To put aside envy even when I see younger people walking God's path full of health and energy,

To humbly accept help from others when I would rather work for the sake of others,

So when I can no longer be useful for others because of frailty I need to gently and humbly accept the heavy burden of old age as a gift from God.

I have an aged heart that has been in use a long time and now God is giving it a final polishing so that I can return to my true home all shining.

To gradually release myself from the chains that bind me to this world is indeed a wonderful work.

When I cannot do things let me humbly accept these circumstances in humility.

 

However for my closing years God has kept for me the most important work of all, and that is:

Even if I can no longer do anything else with my hands, right to the very end I can join those hands in prayers.

I can pray, asking for God's blessings upon all those I love.

 

And when I come towards my end, approaching death may I hear God's voice when He says to me;

"COME ! YOU ARE MY FREIND ! I WILL NEVER DESERT YOU !"

 

Hermann Heuvers

 

 

あしあと


ある夜、わたしは夢を見た。
わたしは、主とともに、なぎさを歩いていた。
暗い夜空に、これまでのわたしの人生が映し出された。
どの光景にも、砂の上にふたりのあしあとが残されていた。
ひとつはわたしのあしあと、もう一つは主のあしあとであった。
これまでの人生の最後の光景が映し出されたとき、
わたしは、砂の上のあしあとに目を留めた。
そこには一つのあしあとしかなかった。
わたしの人生でいちばんつらく、悲しい時だった。
このことがいつもわたしの心を乱していたので、
わたしはその悩みについて主にお尋ねした。
「主よ。わたしがあなたに従うと決心したとき、
 あなたは、すべての道において、わたしとともに歩み、
 わたしと語り合ってくださると約束されました。
 それなのに、わたしの人生のいちばんつらい時、
 ひとりのあしあとしかなかったのです。
 いちばんあなたを必要としたときに、
 あなたが、なぜ、わたしを捨てられたのか、
 わたしにはわかりません。」
主は、ささやかれた。
「わたしの大切な子よ。
 わたしは、あなたを愛している。あなたを決して捨てたりはしない。
 ましてや、苦しみや試みの時に。
 あしあとがひとつだったとき、
 わたしはあなたを背負って歩いていた。」

 

マーガレット・フィッシュバック・パワーズ

 

 

FOOTPRINTS


One night I dreamed a dream.
I was walking along the beach with my Lord.
Across the dark sky flashed scenes from my life.
For each scene, I noticed two sets of footprints in the sand,
one belonging to me
and one to my Lord.

When the last scene of my life shot before me
I looked back at the footprints in the sand.
There was only one set of footprints.
I realized that this was at the lowest and saddest times in my life.

This always bothered me and I questioned the Lord about my dilemma.
"Lord, you told me when I decided to follow You,
You would walk and talk with me all the way.
But I'm aware that during the most troublesome times of my life there is only one set of footprints.
I just don't understand why, when I needed You most,
You leave me."

He whispered, "My precious child,
I love you and will never leave you
never, ever, during your trials and testings.
When you saw only one set of footprints
it was then that I carried you."

Margaret Fishback Powers

 

我が家の今日のバラ

 

大天使ガブリエル

シェエラザード

今日は外の空気を胸いっぱいに1度も吸っていませんでしたので、夕方、急いで公園を1周(約5分)だけしました。

 

 

 

★致知一日一言 【今日の言葉】

 

(5月1日)

道を究めていこうと思えば、
周りから見れば苦しい練習も
苦しいとは思わなくなる。
楽しいこと、当たり前のことに思えてくる

――――――――――
伊調馨(ALSOK所属レスリング選手)

 

 

 

★エドガー・ケイシー   珠玉のリーディング

 

(5月01日)

すべての魂にとって、物質世界に入る目的は、ナザレのイエスの生涯に実現されているように、父なる神の御心と栄光と目的を最重要なものにすることです。
And it is for that purpose that each soul enters a material manifestation, that it may put the will, the glory, the purpose of the Father-God first and foremost, as exemplified in the life of Jesus of Nazareth.
(2081-1)

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< 老人の友人に対する至福(幸いな人)>

2021年02月20日 23時12分48秒 | 祈り

 今日はとても風が強かったです。

最高気温16.5℃、最低気温マイナス0.3℃。

朝は寒かったですが、日中は風がなければきっと暑かったと思います。

 今日の果物

午前中は大洗濯をしたりし、午後からは公園にお散歩へ行きました。

 

オーロラのような

 

 

 

我が家のバラ

葉が出て来ました。

 今夜は私の大好きな葦原瑞穂さんの著書「黎明」のグループで、オンライン懇親会(飲み会)が7時からありました。

2時間の予定でしたが、3時間を経過してもまだ盛り上がっています

私は残念ながら飲めないのでほうじ茶で参加しました。

今日はまだブログを書いていませんでしたし、すでに眠くなってきましたので、お先に失礼して退出してきました。

今はあちらの世に行かれた葦原さんの裏話がたくさん聞けて大笑いし、楽しい時間を過ごすことが出来ました。

 今日の母は割と早目にしんどさが消えたようでしたが「もう長くない気がする」と言っていました。

この言葉を母は結構何年も前から言っていますが、最近の母を見ていますと(実際には会えませんので見ていませんが)、残された時間はそんなに長くはないのかもしれないと思ったりします。

そこで、いつもと同じように普通に接すことが一番いいのかなと思いながらも、今まで指針としてきました以前も何回かアップしたこともある好きな祈りを再度アップしたいと思います。

英文は当時のセルビアの先生に直して頂きながら私が英訳しました。

< 老人の友人に対する至福(幸いな人)>

(桐生聖フランシスコ修道院 ブレビアン・ウォルシュ神父作)

私のよろける足どりと、ふるえる手を、理解してくれる人は幸いです。

私の耳は、人のいう言葉を聴きとるためには、大きな努力が必要であることをわかってくれる人は幸いです。

私の目はうすくなり、私の行動はのろいということを善意のうちにわかってくれる人は幸いです。

私がコーヒーをこぼしても、かわりない平静な顔をしてくれる人は幸いです。

しばらく立ち止まって、明るくほほ笑みながら、おしゃべりをしてくれる人は幸いです。

「今日はその話を二度も聞きましたよ。」と、決して言わない人は幸いです。

楽しかった昔を取り戻す方法を、知っている人は幸いです。

私が愛されており、ひとりぽっちでないことを、教えてくれる人は幸いです。

私には十字架を荷なう力がないことを、わかってくれる人は幸いです。

愛情深く、人生の最後の旅路の日々を、なぐさめてくれる人は幸いです。


  

This prayer is one of my favorite prayers.
I translated this into English while asking my English teacher .

(Written by Kiryu St. Franciscan Monastery Fr,Brevian Walsh)

Blessed are the people that understands my staggering foot and my hand's trembling.
Blessed are the people who understand that great effort is necessary to hear the words of other people.
Blessed are the people who understand in good faith that my actions are slow and my eyes are growing thinner.
Blessed are the people whose calm face does not change even though I spill my coffee.
Blessed are the people who stop for a while and talk with a bright smile.
Blessed are the people who never say "I heard that story twice today."
Blessed are the people who know how to bring back the joy from long ago.
Blessed are the people who taught me that I am loved and not alone.
Blessed are the people who understand that I am not strong enough to carry the weight of the cross on my shoulders.
Blessed are the people who will with love celebrate the last days of my life's journey.

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「最上のわざ」について(人生の秋に)

2020年11月06日 20時55分22秒 | 祈り

 今朝の空

 

今朝は久し振りに早く(5時40分ですが)目が覚めました。

しかも、暖かい。

スマホを見ると9℃でした。

そこで、歩きに行くことにしました。

明日からお天気が崩れるせいか曇っていました。

(が、その後晴れました)

 

6時10分

 

 

 

曇っていても空模様が刻々と変わりますので見飽きません。

 

 

 

 

 

 

我が家のお花

 

 

 

 

今朝の果物

 

 今日は読みたい本が沢山ありましたので、家のことをしてからは読書三昧。

先日、ご紹介した「最上のわざ」はヘルマン・ホイヴェルス神父様の随想選集「人生の秋に」の中の「年をとるすべ」の中に書かれてあります。

そこに旧約聖書のコヘレトの言葉12章3節~5節が引用されています。

ホイヴェルス神父様は次のように書いておられます。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
「そのときになると、家の番人はふるえ
力持ちは、かがみこみ、
窓に太陽はかげって、
臼ひき女は仕事を休む。
彼女たちの数は少なくなったからである。
そのときになると、窓からのぞくふたりの者はかくれ、
道へのとびらは閉じられる。
粉つき場の音は静まり、
小鳥の声はより細くなり、
歌声もやむ。
そのときになると、からだはのぼり道を恐れ、
長い道をいやがる・・・・・。」

 「番人」とは手とか腕のこと、人は手で自分と自分の物を守り、働くのですが、年をとるとその手や腕は弱ってくるというのです。
 「力持ち」とは足のことです。年をとるとまず足が弱りかがみこんでしまいます。
 「臼ひき女」とは歯のことです。ご存じのとおり、年をとると歯も抜けていき、ものもよくかめません。もっとも、現代には義歯という便利なものがありますがー。
 さて、つぎは「窓からのぞくふたりの者」ですが、これは二つの眼のことです。年をとると、視力が弱まり、目はひっこんでしまいます。
「道のとびら」とは耳です。年をとると、耳が耳がだんだん遠くなってついに聞こえなくなあります。
「粉つき場の音」は声のことです。年をとると声は弱くなり、小鳥のさえずり細くなり、ついに消えてゆきます。
 こうなると心臓は弱くなり、息苦しくなり、老人は「のぼり道を恐れ、長い道」が歩けなくなります。
面白い比喩ではありませんか。それにしても気の毒な状態です。どのような心で、人はこの老境をむかえるべきでありましょう?

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

そして、故郷ドイツに一時帰国なった時に南ドイツの友人からもらったというこの詩を紹介されています。


最上のわざ

この世の最上のわざは何?
楽しい心で年をとり、
働きたいけれども休み、
しゃべりたいけれども黙り、
失望しそうな時に希望し、
従順に、平静に、おのれの十字架をになう。

若者が元気いっぱいで神の道をあゆむのを見ても、ねたまず、
人のために働くよりも、
謙虚に人の世話になり、
弱って、もはや人のために役たたずとも
親切で柔和であること。


老いの重荷は神の賜物、
古びた心に、これで最後のみがきをかける。
まことのふるさとへ行くために。
おのれをこの世につなぐくさりを少しずつはずしていくのは、
真にえらい仕事。
こうして何もできなくなれば、
それを謙遜に承諾するのだ。


神は最後にいちばんよい仕事を残してくださる。
それは祈りだ。
手は何もできない。
けれども最後まで合掌できる。
愛するすべての人のうえに、神の恵みを求めるために。


すべてをなし終えたら、
臨終の床に神の声をきくだろう。
「来よ、わが友よ、われなんじを見捨てじ」と。

 

 ホイヴェルス神父様はまもなく33才になられる時にドイツから宣教師として志願して来日されました。

来日されて1週間後関東大震災を経験され、その後、なんと岡山教会に赴任しておられたようです。

その秋の岡山赴任中に玉島カトリック教会の裏山にあった石の仏像にとても強い影響を受けられたようです。

(玉島にいらしたということは知っていましたが、この時のお話も「日本の暮らしの見習い」「わたしの悟り」の中に書かれてあります。)

神父様は後楽園がお好きだったようです。

その後、上智大学長等を務め、87才で御ミサに与っておられる途中に急性心不全で日本でお亡くなりになったそうです。

 

 私が洗礼を受けた頃、岡山教会はホイヴェルス神父様が所属なさっていたイエズス会からスクート会に替わっていました。

スクート会(淳心会)はベルギーで設立された会でしたので当然のことながらベルギー人の神父様がとても多かったです。

ですから、私の洗礼の時の神父様もベルギー人でした。

中には帰化なさった神父様もいらっしゃり、多くの神父様は母国に帰られることなく日本の土となられています。


 

 3時になって、お天気もいいし座ってばかりもよくないと思い、ウォーキングに出掛けました。

早速、かわいい雲が出迎えてくれました

 

 

 

教会に寄ってちょっとお祈り

 

午後からの雲は このパターンのようです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

カエデも紅葉し始めました。

 

ご近所の空き地もついに工事が始まりました。

シェエラザードとブルームーン

 

何雲って言うのでしょうか

写真を撮る時には特に何も障害物のない自然豊かな場所へ行きたいと思います。

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< 老人の友人に対する至福(幸いな人)>

2020年11月03日 20時23分47秒 | 祈り

 昨夜0時30分過ぎくらいに寝たところ、目が覚めたのは6時半近く

歩きに行く時間はもうありませんでしたので瞑想して後、台所に降りました。

母の寝起きの様子はいまいちでしたが、果物も目玉焼きもサラダも食べました。

今日はトーストもご飯も食べませんでしたが、ミロは飲みました。

 

 今朝の果物

(いつもと一緒です。カラフルなのでアップしているだけです

 

 ヘルパーさんが9時半~10時まで来て下さっている間に歩きに行きました。

ママ友ガーデンもイルミネーションの準備をしていました。

 

 

 

 

雲一つない、いいお天気

  

 

 

 今日の我が家のお花の写真はこのバラだけです。

 

 母はありがたいことに食欲はあります。

昼食も中華あんかけそばを1人前とゆで卵を食べました。

その後はベッドへ。

3時のおやつはバームクーヘン。

 

その間私は読書をして過ごしました。

間もなくやっとこの「サイレント・ブレス」を読み終わります。

在宅医療に携わっておられる女医さんと終末期の患者さんのお話です。

この「なんとめでたいご臨終」も再び読み始めました。

元気が出ます

 

「サイレント・ブレス」を読み終わったらこの「ディア・ペイシェント」を読む予定です。

 

京乃雪からミニ(0.14L)ボトルをプレゼント。

マッサージクリームとかシャンプーを使っていますので。

(シャンプーは母も使っています)

かわいいです

 

 

 母の夕食

私はうなぎやあなごが苦手ですので食べませんが、母は大好きです。

これにお漬物とゆで卵をまた食べて、みたらし団子も1本半食べました。

(残りの1本半は私に残してくれたようです

 

 

 夕方になって風が出て寒くなってきました。

明日の朝は6℃予報です。

 

  この祈りは以前もアップしたことがあるのですが、私の好きな祈りのひとつです。

英文は先生に直して頂きながら私が英訳しました。

今、介護をしていますのでこの祈りを指針や戒めとしています。

 

 

< 老人の友人に対する至福(幸いな人)>

(桐生聖フランシスコ修道院 ブレビアン・ウォルシュ神父作)

 

私のよろける足どりと、ふるえる手を、理解してくれる人は幸いです。

私の耳は、人のいう言葉を聴きとるためには、大きな努力が必要であることをわかってくれる人は幸いです。

私の目はうすくなり、私の行動はのろいということを善意のうちにわかってくれる人は幸いです。

私がコーヒーをこぼしても、かわりない平静な顔をしてくれる人は幸いです。

しばらく立ち止まって、明るくほほ笑みながら、おしゃべりをしてくれる人は幸いです。

「今日はその話を二度も聞きましたよ。」と、決して言わない人は幸いです。

楽しかった昔を取り戻す方法を、知っている人は幸いです。

私が愛されており、ひとりぽっちでないことを、教えてくれる人は幸いです。

私には十字架を荷なう力がないことを、わかってくれる人は幸いです。

愛情深く、人生の最後の旅路の日々を、なぐさめてくれる人は幸いです。


  

This prayer is one of my favorite prayers.
I translated this into English while asking my English teacher .

 

 

(Written by Kiryu St. Franciscan Monastery Fr,Brevian Walsh)

 

Blessed are the people that understands my staggering foot and my hand's trembling.
Blessed are the people who understand that great effort is necessary to hear the words of other people.
Blessed are the people who understand in good faith that my actions are slow and my eyes are growing thinner.
Blessed are the people whose calm face does not change even though I spill my coffee.
Blessed are the people who stop for a while and talk with a bright smile.
Blessed are the people who never say "I heard that story twice today."
Blessed are the people who know how to bring back the joy from long ago.
Blessed are the people who taught me that I am loved and not alone.
Blessed are the people who understand that I am not strong enough to carry the weight of the cross on my shoulders.
Blessed are the people who will with love celebrate the last days of my life's journey.

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再び、「最上のわざ」(Life's Greatest Task)

2020年11月01日 17時57分34秒 | 祈り

 昨夜も0時を過ぎて寝ました。

(又、少しうたた寝していました

そして、昨日と同じように5時10分に目が覚めました。

瞑想後、歩きに行きました。

 昨日のハロウィンの飾りが残っていました。

 

夜に外に出ないのでわかりませんが、もうこのお宅ではイルミネーションが始まっているのかもしれません。

又、見に行ってみようと思っています。

小さくかわいい畑ながら充実していて、しかも綺麗で私の見本です。

公園の回り

 

今朝の空

6時41分

 

西の空

 

ちょうど東のプロテスタントの教会の十字架に太陽がかかっていました。

こちらが西のカトリック教会。

 

同じ町内に2つも教会がありますが、お寺もあります。

 

 

紅葉と朝の光が綺麗です。

 

久し振りにママ友ガーデンへ

 

 

 

 

 

公園の🌸桜並木の紅葉

 

 

こちらはお友達のポプラ

 

 

 

日に日に色づいて来て綺麗です。

 

 

 

我が家のお花

八重の椿の蕾がいつの間にかこんなに大きくなっていました。

 

 

「わかな」は薄緑色ですが、赤が入っているようです。

 

  

今日は畑のレタス類を全部収穫しました。

お皿にたっぷり2杯以上ありました。

 

今朝の果物

 今日の母は夕方になってしんどくなってもうベッドに入りました。

血圧が170~180になっていました。

更衣のお手伝いに来て下さったヘルパーさんが母の顔を見られて、あまり反応がなくしんどそうですので「あんな顔を見ると不安になるよね」と言われながら帰って行かれました。

 以前アップしましたが、今一度私の好きな「最上のわざ」をアップしたいと思います。

OGPイメージ

95歳にしてスマホデビュー&最上のわざ (ヘルマン・ホルヴェルス)Life's Greatest Task (Hermann Heuvers ) - セカンドライフの【暮らしの愉しみ】~日々を愛しみ丁寧に生きることによって、一隅を照らせますように~

今朝の空エアコンを入れて寝ましたが、多分2回目が覚めて、起きたのは5時10分過ぎでした。5時27分教会のお花今日は昨日よりも少し気温が低いと...

95歳にしてスマホデビュー&最上のわざ (ヘルマン・ホルヴェルス)Life's Greatest Task (Hermann Heuvers ) - セカンドライフの【暮らしの愉しみ】~日々を愛しみ丁寧に生きることによって、一隅を照らせますように~

この詩はヘルマン・ホルヴェルス神父様の「人生の秋に」に入っています。

人生の秋に読むのにとてもいい本だと思えましたので今日、この本を注文しました。

ヘルマン・ホイヴェルス神父様はドイツ人の神父で上智大学長を務め、87才で日本で亡くなりました。

この世の最上のわざは何?

楽しい心で年をとり、
働きたいけれども休み、
しゃべりたいけれども黙り、
失望しそうなときに希望し、
従順に、平静に、おのれの十字架をになう。

若者が元気いっぱいで神の道を歩むのを見ても、ねたまず、
人のために働くよりも、
謙虚に人の世話になり、
弱って、もはや人のために役だたずとも、
親切で柔和であること。

老いの重荷は神の賜物、
古びた心に、これで最後のみがきをかける。
まことのふるさとへ行くために。
おのれをこの世につなぐくさりを少しずつはずしていくのは、
真にえらい仕事。

こうして何もできなくなれば、
それを謙虚に承諾するのだ。

神は最後にいちばんよい仕事を残してくださる。
それは祈りだ。
手は何もできない。
けれども最後まで合掌できる。
愛するすべての人のうえに、神の恵みを求めるために。

すべてをなし終えたら、
臨終の床に神の声をきくだろう。
「来よ、わが友よ、われなんじを見捨てじ」と。


            ヘルマン・ホルヴェルス

Life's Greatest Task


What is this life's most important task?

To grow old with a cheerful heart,

To be still even when I would like to be active,

To be silent when I would like to talk,

To have hope in times of frustration,

To carry my cross in humility and serenity of heart,

To put aside envy even when I see younger people walking God's path full of health and energy,

To humbly accept help from others when I would rather work for the sake of others,

So when I can no longer be useful for others because of frailty I need to gently and humbly accept the heavy burden of old age as a gift from God.

I have an aged heart that has been in use a long time and now God is giving it a final polishing so that I can return to my true home all shining.

To gradually release myself from the chains that bind me to this world is indeed a wonderful work.

When I cannot do things let me humbly accept these circumstances in humility.

However for my closing years God has kept for me the most important work of all, and that is:

Even if I can no longer do anything else with my hands, right to the very end I can join those hands in prayers.

I can pray, asking for God's blessings upon all those I love.

And when I come towards my end, approaching death may I hear God's voice when He says to me;

"COME ! YOU ARE MY FREIND ! I WILL NEVER DESERT YOU !"

                    Hermann Heuvers

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ニーバーの祈り

2020年10月11日 21時00分00秒 | 祈り
 今朝の空

今朝も☁曇っていました。

5時44分








少しずつ色づいて来ています。










🏠我が家のお花












朝は☁曇っていましたが、お昼前には青空が。
でも、その後また☁曇ってしまいました。


今日のおやつは🥝🍍🍊果物🍏🍇🍎
 
 
 昨夜はあれから(9時半頃)又、母が軽い喘息の発作を起こしました。
「吸入をしよう」と言っても嫌がりました。
このままでは母はしんどくて眠れないでしょうし、私は心配で眠れない。
10時近くになった時に「じゃあ、10分したら又来るからその時に収まっていなかったら吸入しよう」と言うと母も了解しましたので、私は寝る準備の為に自分の部屋へ。
チベット体操等も済ませて階下へ降りると10時05分。
母はなんと眠っていました。
喘鳴もなく、肩で息をするでもなく少し安心して、自分の部屋に戻りましたが、やはり、心配で眠れませんでした。
こんな時はろくな事を考えませんので、フランキンセンスを嗅ぎながらなるべく、「大丈夫」と言い聞かせました。
何かあれば、音でわかりますし、呼び出しブザーもあります。
それでも、10時55分、0時45分と気になりそっと見に行きました。
穏やかに息をして眠っていました。
結局、朝まで浅い眠りでよく眠れませんでした。
歩きに行く前もよく寝ていましたので出掛けました。
結局、母は一晩中よく寝ていました。
こんなことでは私の方が睡眠不足で不調になり、母の面倒をみるどころではなくなりますので、考えなくてはなりません。

そこで、思い出したのが「ニーバーの祈り」です。


ニーバーの祈り

原文

God, grant me the serenity to accept the things I cannot change,
Courage to change the things I can, and the wisdom to know the difference.

日本語(訳:大木英夫)

神よ
変えることのできるものについて、
それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。
変えることのできないものについては、
それを受けいれるだけの冷静さを与えたまえ。
そして、
変えることのできるものと、変えることのできないものとを、
識別する知恵を与えたまえ。

コメント (2)
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ある無名兵士の詩

2020年10月09日 20時42分00秒 | 祈り
 今朝の空
 
今朝も☁曇っていました。
台風14号の影響は明日の未明からのようです。
 
5時32分


まだ暗いですが、この時間帯に一番沢山の方が歩かれています。


今朝もがんばって10周歩きました。


🏠我が家のお花











 今日は以前右脇腹が痛くて病院に行った時に予約でいっぱいだった為にこんなに延びてしまっていたエコーの予約日でした。
昨夜9時から絶食。
予約時間は10時でした。






受付で待っていますと、かつての同僚でボランティアコーディネーターでもある私よりも若い男性が声をかけてくれました。
どこか悪いのか心配して下さったようです。
相変わらず優しそうで見るからに癒やし系です。
彼はホスピス時代、主に患者さんと直接関わっていました。
彼からの依頼で、死にゆく患者さんと直接お会いしたことも何度もあります。
患者さんが私を呼ばれる時主に彼が中継役をしてくれていました。
そんなお話もまたいつか機会があれば書きたいと思います。
 
今、コロナでボランティアはどうなっているか聞いたところ、お花のグループは活動していましたが、かつて私と一緒に新聞を作りお茶会を開いていた僧侶の友人は今は写経の会を開いているそうですが、活動が出来ないので、書いたものをお寺に送っているそうです。
私も書いてみませんかと誘って下さったので、喜んで書かせて頂くことにしました。


早速持って来てくれたのが上の紙です。
「また、書けたら訪問看護師にでも託けて下さい」とのことでした。
 
そんな話をしていると、順番が来て呼ばれました。
ついでに検査結果も聞いて帰りました。
やはり、脂肪肝😓
お酒も飲まないのに、まだ太り過ぎなのでしょう。
ドクター曰く「これ以上食事の量は減らせないでしょうから内容を見直して下さいね」
タンパク質を中心に摂取するように言われました。
代謝が落ちているからなかなか痩せないそうです😢
 
 
⤵️帰り道のけやきの並木道





 病院から用事を2つ済ませて家に帰ったのは11時10分でした。
病院は何故か緊張しますし、疲れます。
今日はいつもの大病院ではありませんでしたのでさほどではありませんでしたが、それでも疲れて、午後から本を読みながら寝てしまっていました。
 
そんなこともあり、なかなか、自分の弱さを受け入れることが出来ずに悩むことがありますが、そんな時には「ある無名兵士の詩」を思い出します。
この詩もとても有名なのでご存じの方もいらっしゃることと思います。
この詩は「140年前にアメリカの南北戦争に従軍し、戦傷者となった南軍の兵士がニューヨーク州立大学病院の病室に記した詩」と言われています。(一説にはある神父が書いたとも言われています)
 
 
〜ある無名兵士の詩〜
 
「苦難にある者たちの告白」
-ある患者の詩
 
 
大事を成そうとして、
力を与えてほしいと神に求めたのに、
慎み深く、従順であるようにと
弱さを授かった。
 
より偉大なことができるように
健康を求めたのに
よりよきことができるようにと
病弱を与えられた。
 
幸せになろうとして
富を求めたのに、
賢明であるようにと
貧困を授かった。
 
世の人々の賞賛を得ようとして、
権力を求めたのに、
神の前にひざまずくようにと
弱さを授かった。
 
人生を享楽しようと
あらゆるものを求めたのに、
あらゆることを喜べるように
命を授かった。
 
求めたものは一つとして
与えられなかったが、
願いはすべて聞き届けられた。
 
神の意にそわぬ者であるにもかかわらず、
心の中の言い表せない祈りは
すべてかなえられた。
 
私はあらゆる人の中で
最も豊かに祝福されたのだ。
 
(訳者不明)
 
 
 
A CREED FOR THOSE WHO HAVE SUFFERED
 
I asked God for strength, that I might achieve
I was made weak, that I might learn humbly to obey...
 
I asked for health, that I might do greater things
I was given infirmity, that I might do better things...
 
I asked for riches, that I might be happy
I was given poverty, that I might be wise...
 
I asked for power, that I might have the praise of men
I was given weakness, that I might feel the need of God...
 
I asked for all things, that I might enjoy life
I was given life, that I might enjoy all things...
 
I got nothing that I asked for -- but everything I had hoped for
Almost despite myself, my unspoken prayers were answered.
 
I am among all men, most richly blessed!
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昨夜は大変でした&The Prayer of St. Francis フランチェスコの平和の祈り

2020年10月04日 17時19分00秒 | 祈り

 今朝の空

今日は一日どんよりとしていました。

6時11分


ご近所のお花

















🏠我が家のお花










「ブルームーン」が今日は綺麗です❤️







今朝の🥝🍍🍊果物🍇🍏🍎



旬のものはまだいいのですが、🍌バナナ等は身体を冷やしますので、そろそろ止めた方がいいのですが、母が好きなので少しだし大丈夫かなと思いつつ朝食の時に出しています。 


 最近、母は時折軽い喘息を起こすようになっていました。

昨日も朝から時折、ヒューヒュー。

ところが、昨夜の7時半過ぎあたりからひどくなってきました。

何かあった時には訪問看護ステーションに電話し、そこからドクターに連絡が行く仕組みですので、電話をしましたが、「どうしよう」「どうしよう」と言われ、なかなか決まりません。

やっと「一応病院に聞いてみます」と言われ、連絡待ち。

しばらくして、お電話があり「外来も閉まっているし、当直医が外部からのドクターで、しかも神経内科だから、収まらないなら救急車で他の病院に行って下さい」と言われました。

今まで「何かがあれば連絡して下さい」と言われていた小規模多機能施設も、土曜日のせいか誰も出られず、ケアマネージャーに連絡しました。

お返事は同じで「救急車で病院に行って下さい」

母はと言えば、「治るわけがないし病院には行かない、ましてや救急車なんてとんでもない」と言います。

救急車使用は娘にも止められています。

(彼女は医者です)

でも、本当にヤバい場合はそんなことは言っていられません。

この場合は静かに看取るというケースでもありませんし。

かなりしんどそうに見えますが、私の判断で仕方がないので、「とにかく楽になるから、病院へ行こう」と言い、車にやっとのことで乗せました。

パーキンソン病のせいもあり、足がふらふらなのでとても危ないし、素人の私にとっては一人での介助はとても怖い。

でも、助けがない以上、私が一人で何とかする以外にありません。

車に乗せた後で、なぜタクシーで行くと言うことを思い付かなかったのかと思いましたが、とにかく「何とか一人でがんばって病院に連れて行かなくては」と思ったのです。

病院へは連絡していましたが、心臓発作やその他の救急患者さんがおられて待たされました。

でも、幸い一番ひどい発作は約30分位で収まっていました。

やっと順番が来て、吸入をして下さいましたが、効果なく1時間の点滴になりました。

点滴が終わっても息をする時にまだ時折ヒューと聞こえてきました。

点滴でも収まらなかった場合は入院と言われていましたが、レントゲン結果も以前と変わりなく、酸素濃度もOKと言われて、お薬と訪問医師へのお手紙を頂いて帰ることになりました。

家に着いたのは11時半。

母は処置をして頂くと楽になることが分かったようです。

それにしても我慢強いと言いますか。。。

私は幼い頃から喘息があり(それを母は知りません)、20歳の誕生日の夜には京都の叔母のところで危うく死ぬところでしたので、喘息については知っています。

(もちろんその時には 病院に行きました。おまけに私には強烈なお蕎麦アレルギーもありますが、それも母は気のせいだと言って未だに信じていないようです💦


私は病気を持っての出産等今まで2回死ぬ目に遭っています)

病院から連れて帰ってきたものの大丈夫かなと思い、昨夜は何度も目が覚めましたが、私がベッドに入る頃には母は気持ちよく寝ていました。

もう本当にやれやれ😥

私の来世でフィアンセとなるらしい友人🤣が「よく頑張った‼️」と言ってくれました🤗

今日は母はお薬が効いているようで、安定した呼吸をしています。

本当にいろいろあります😓が、こうしてひとつずつ乗り越えていく以外にないですね。

それに、病院でつくづく思ったのですが、皆、それぞれが苦しみ又、がんばっている。今、何も苦しみや悲しみがない人でもかつてあったかも知れないし、いずれ体験することかも知れない。

よく覚えていないのですが、息子を亡くし嘆き悲しんでいた母親にお釈迦様が言われたそうです。

「この村で一度も悲しんだことがない人(確か、死人を出したことのない家だったと思います)を連れて来なさい」

誰も居なかったそうで、母親は立ち直られたそうです。

生きて行くって大変ですが、「死」の向こうに、多くの賢人達が見つけられた世界があると私は信じたいです。


 ところで、今日は10月4日。

私の霊名(クリスチャンネーム)の保護の聖人の祝日です。

私の霊名は「マリア・フランチェスコカ」と言います。

聖母マリアとアッシジの聖フランチェスコが守護聖人です。

このクリスチャンネームはカトリックに独特のものです。

名前は自分で選ぶことも出来ますし、神父様が考えて下さる場合もありますし、自分の誕生日から決めたりも出来ます。

聖フランチェスコは映画「ブラザーサン シスタームーン」でも有名ですね。

清貧で謙虚な人生を歩まれた方です。

いつかイタリアのアッシジにも行ってみたいです。

今日はこの聖人の有名な祈りをご紹介したいと思います。

世界宗教者会議の場所にも選ばれたアッシジ。

マザーテレサも愛した祈りです。


FOR PEACE

Lord, make me an instrument of your peace,
Where there is hatred, let me sow love;
Where there is injury, pardon;
Where there is doubt, faith;
Where there is dispair, hope;
Where there is darkness, light;
Where there is sadness, joy;

O Divine Master,
Grant that I may not so much seek
To be consoled as to console;
To be understood as to understand;
To be loved as to love.

For it is in giving that we receive;
It is in pardoning that we are pardoned;
And it is in dying that we are born to eternal life.


Saint Francis of Assisi


平和を求める祈り

神よ、
わたしをあなたの平和の道具としてお使いください。

憎しみのあるところに愛を、
いさかいのあるところにゆるしを、
分裂のあるところに一致を、
疑惑のあるところに信仰を、
誤っているところに真理を、
絶望のあるところに希望を、
闇に光を、
悲しみのあるところに喜びをもたらすものとしてください。

慰められるよりは慰めることを、
理解されるよりは理解することを、
愛されるよりは愛することを、わたしが求めますように。

わたしたちは、与えるから受け、ゆるすからゆるされ、
自分を捨てて死に、
永遠のいのちをいただくのですから。

アッシジのフランチェスコ

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THE SERENITY PRAYER ニーバーの祈り

2020年09月13日 20時00分28秒 | 祈り

 今朝の空

昨夜遅くまで京都のバラ十字会の友人とラインをしていましたので、1時間遅くなりましたが、気温は22℃で心地よかったです。

 

5時54分

東の空はどんよりとしていましたが

北西の空は少し明るかったです。

ふと見ると久し振りのあのお母さんと息子さんを見つけました。

ほっこりします。

 

 

いつものように1周だけして6時20分頃には公園を出られました。

ご近所の「売地」の看板が復活していました。

まだ売れていないようです。

我が家のお花

このオレンジのバラと桔梗が虫食いに

シェエラザードはピンボケになっていました

 

 代わり映えしませんが、朝のフルーツ。

髙くて甘~いシャインマスカットは少しずつ食べています

そして、今朝も「ゆめぴりか」を1合だけ炊きました。

そして、卵御飯、海苔、さつま芋のお味噌汁、サラダの朝食。

 

今朝はゆっくり新聞を読みました。

アルフォンス・デーケン神父様の「死生学」の始まりについて等書かれてありました。

ユーモアのある方で「何もでーけん」なんて言われていましたっけ。

 

興味ある移住の話。

また、遠く離れて暮らす昔のペンフレンドとの関係や死を迎えた時のことについて書かれてある文章があり、そういう存在がいる人がいるので「ラビアンローズの会」のメンバーにラインで送りました。

 

 

THE SERENITY PRAYER

O God, give us
serenity to accept what cannot be changed,
courage to change what should be changed,
and wisdom to distinguish the one from the other.

Reinhold Niebuhr


ニーバーの祈り

神よ、

変えることのできるものについて、
それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。
変えることのできないものについては、
それを受けいれるだけの冷静さを与えたまえ。
そして、
変えることのできるものと、変えることのできないものとを、
識別する知恵を与えたまえ。

ラインホールド・ニーバー(大木英夫 訳)

 

 

 

 

★ 致知一日一言 【今日の言葉】

 

9月13日

人間は自分のことばかり考えているうちは、
悩みが尽きることはありません。
ところが、いつも周囲の人や
多くの人のことを考えている人には、
悩みというものはありません
━━━━━━━━━━━━━━
鍵山秀三郎(イエローハット創業者/日本を美しくする会相談役)

 

 

★エドガー・ケイシー 珠玉のリーディング

 

(9月13日)


あなたはむしろ、あなたの選んだ活動の中で、父である神がその力を現されるための水路になることを求めなさい。
Be rather thou the channel through which He, God, the Father, may manifest His power - in whatever may be the chosen activity of the entity.
(3183-1)

 

 

 

 今日の歌

 

朝の庭 夜中に降りし 雨の跡 漂いし来る 湿りし木の香

心地良き 風を感じる 22度 1度違えば 涼しさ変わりて

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台風が去った後&ゲシュタルトの祈り

2020年09月07日 22時18分24秒 | 祈り

 昼下がり、まだまともに歩けないので居間から外を眺めながら過ごしています。

お陰様で私の地域では何の被害もなく台風が通り過ぎました。

快晴ですが、まだ風がとても強いです。

でも、底抜けに青い空を眺めるとまた浄化が進んだのかなと思ったりします。

 

 今朝の空

5時48分

鉢も大丈夫でした。

ジュリアが又咲きそうです。

9時18分

今朝の朝日新聞によりますと、アルフォンソ・デーケン神父様がお亡くなりになったようでです。

私も講演を聞いたことがあります。

「死への準備教育」「生と死を考える会」等やホスピスに与えた影響等、この方の日本に与えた功績はとても大きいと思います。

ドイツのお生まれですが、とうとう最期まで日本にいらして、日本の土となられたのですね。

イエズス会員ですから、フランシスコ・ザビエルと同じです。

イエズス会の神父様方による黙想指導はとても深いので私はとても好きでした。

昔、瀬戸神父様と言われる方が、「サマリアの女」の箇所だけで2時間以上お話をなさったことがありました。

(以前は広島の修道院長でいらっしゃいましたが、今は最後の日々を東京でお暮らしとか。

でも、教会に最近行っていませんので、わかりません

こんなに微に入り細に入りキリストが彼女を愛情を込めて導いていらっしゃることに気が付きませんでしたので、あまりの感動に涙が止まらなかったのを覚えています。

今は教会にも滅多に行かなくなりましたが、それでもやはり教会は好きですね。

また足が治って、涼しくなったら御ミサに与ろうかな。

カトリック教会には私の居場所があるような感じですので、教会に行かなくても、それが外国でも関係がないという感じです

帰る家があるといった感じでしょうか。

幼稚園からミッションスクール育ちですからある意味、当然でしょうか。

今、学んでいる神秘主義のバラ十字会のお勉強は宗教に関係ないですし(宗教を信じていても信じていなくてもOK)ずっと学ぶことを止めないと思いますが、正式にはカトリックの教義とは相容れない部分があります。

例えば、輪廻転生などはそのいい例です。

(昔はキリスト教も輪廻転生説でした。多分4世紀位まで

私は輪廻転生は多分間違いなくあると思っていますので、その意味ではカトリック信者とは言い難いです。

でも、カトリックは一見厳しそうですがとても大らか。

私の臨床心理士の友人もカトリックですが、輪廻転生を信じていますし、教会にも可能な限り限り毎日曜日通っています。

勝手な言い草ですが、宗教を超えてしまって、何でもありになってしまいました~。

昔からですが、お寺も神社も大好きでよく行きますし。

友人の中にはお坊さんも何人かいます。

皆、仲良しでトラブることは全くありません。

もっと言えば、自然の中に神を感じると言った方がいいかも。

と同時に、神は我が内にいらっしゃる。

 

 12時35分

 

 今日は、「ゲシュタルトの祈り」をご紹介したいと思います。

人間関係で疲れた時、助けになると思います。

 

「わたしはわたしの人生を生き、あなたはあなたの人生を生きる。

わたしはあなたの期待にこたえるために生きているのではないし、

あなたもわたしの期待にこたえるために生きているのではない。

私は私。

あなたはあなた。

もし縁があって、私たちが互いに出会えるならそれは素晴らしいことだ。

しかし出会えないのであれれば、それも仕方のないことだ」

(原文)
I do my thing, and you do your thing.

I am not in this world to live up to your expectations,

And you are not in this world to live up to mine.

You are you, and I am I, and if by the chance we find each other, it’s beautiful. If not, it can’t be helped.

 

~ここより夕方~

 

一日よく晴れていましたし気温も35℃を超えていましたが、やはり、エアコンを入れていると微妙に肌寒く感じるようになりました。

特に朝晩は顕著です。

風は一日よく吹きました。

 

4時07分

母を送って来て下さった看護師さんが「ご近所の『売地』の看板がなくなっていたから売れたのかと思ったら、台風で倒れていただけだった」と言われたので、外に出たついでに見に行ってみました。

(暇人

確かに倒れていましたね~。

 

 今日の私の夕食はお魚(タラとお野菜の甘酢揚げ)とご飯2口のみ。

動かないので体重が減りません

コメント (2)
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