改めて京都「冬の特別拝観2024」の旅②& ペインクリニックのリハ⑤

2024年02月29日 22時27分00秒 | 旅行

 ペインクリニックへのリハの日でした。

リハは予約制ですし、リハ20分、電気10分の計30分で終わりますので気が楽です。

 

 

 今朝の果物

リハから戻ると枳殻邸から早速届きました。

着払いで850円。

ご丁寧にお手紙が入っていましたので、又、無事に届いたお礼の電話をしました。

京都で買ったお土産のお漬物

 

こちらは上の「西利」の賞味期限の迫った特売品。

プリンはスタンプラリーで頂いて持って帰ってきたものです。

母へのお土産。

あと買ったお土産は同じく「西利」の桜茶と福寿園のお抹茶入り煎茶。

 今日のお昼は最高の贅沢~~~

京都尽くしです。

ちりめん山椒をご飯にかけて、なすのお漬物と生姜の奈良漬け。

かけたお茶はもちろん買って来たばかりのお抹茶入り煎茶。

 

美味しかった

幸せ~な時間でした

 

 

 

 母は元気に3時半過ぎに戻ってきましたが、6時以降から不調に。

今はなかなかお薬も飲めない状態です。

 

 

 改めて京都「冬の特別拝観2024」の旅②

おうどんの「たわらや」を出て向かった先は今回の旅で一番に行きたかった場所です。

仁和寺

ここで、五大不動明王さまに会えます。

どの明王様とご縁が深いか会えばわかるとお聞きしては行かずにはいられません。

 

大きなお寺でした。

多分、一度は来たことがある気がしますが。

 

お天気は雨が降ったり快晴になったり曇ったり、あっという間に目まぐるしく変わりました。

 

 

御室の桜で有名な所でした。

普通の桜よりもかなり遅れて咲くそうです。

 

 

 

つづじが咲いていました。

 

 

藤井壮太棋士の竜王戦記念

 

 

明王様の小さなグッズを買いたいと思っていましたが、御朱印かクリアファイルしかありませんでした。

そこで、帰りに再び寄ってご縁の深いとわかった明王様のクリアファイルを買うことにしました。

そして、同じく、ここでは桜のお守りを購入しようと決めていました

 

こんなに晴れていましたが

 

次の瞬間、雨。

五大明王様はお堂の裏に描かれてあります。

お坊様が本堂で説明をなさっていたので、ラッキー。

お話を一緒に伺い、裏へ。

暗い寒い場所で、机などを置いてお勉強などをなさっていたところのようです。

なのでこうして綺麗に保存されたいたとのこと。

「第51世門跡の晋山を記念した初公開まで372年間非公開であった金堂裏堂の五大明王壁画。令和5年秋、第51世門跡の再任を記念して5年ぶり2度目の公開をいたしました。」HPより

本当に鮮やかな色で、全く色褪せていませんでした。

おひとりずつ面白く説明して下さいました。

不動明王の説明のところで永観堂の「みかえり阿弥陀」と同じような説明をなさったので、うるっときて「この方だわ」と思いました。

でも、最後の明王様のお話も心打たれて・・・しかも、表のお顔は阿弥陀如来と言われるではありませんか

では、では、不動明王は

段々とお坊様との距離が縮まって、最後の明王様の前ではお坊様の真ん前。

明王様の表のお顔と裏のお顔についてもっと知りたく思ったのと餓鬼道について知りたかったのでこの2つを説明が終わったあと思い切ってお聞きしてみました。

①金剛夜叉明王(こんごうやしゃみょうおう)

②降三世明王(ごうざんぜみょうおう)

③不動明王(ふどうみょうおう)

④軍荼利明王(ぐんだりみょうおう)

⑤大威徳明王(だいいとくみょうおう)

この表のお顔をお聞きしました。

覚えきれないのでスマホに打ち込みました。

何度も間違えましたが、最後まで丁寧に教えて下さいました。

①ふくうじょうじゅ・不空成就如来

②あしゅくにょらい・阿閦如来

③大日如来(これは漢字がわかりました)

④ほうしょうにょらい・宝勝如来は別名、多宝如来

⑤あみだにょうらい・阿弥陀如来

不動明王の表のお顔は大日如来。

大日如来は私の保護の方だそうですから、じゃあ、やっぱり、なるほどと思いました。

友人は「よくわからないけど、最後の方かなあ」と。

私も阿弥陀如来もご縁がないとは言い難く、結局、クリアファイルはこのおふたりのものを購入。

友人曰く、最近では実際に恋しなくても追っかけや「推し」でも十分ハッピーになれるということで「推し」が流行っているそうです。

思わず、「不動明王を探してお参りする旅でもしようかしら」と言いました

「いいんじゃない」と友人。

彼女はサザン好き

それから、もうひとつの質問は子供や家族や身内によくすると餓鬼道に落ちると聞いてきましたので、お聞きしてみたところお坊様は「そうです。それは執着ですから」と言われました。

そして、お釈迦さまのお弟子さんのお話をして下さいました。

聞いたことのあるお話でした。

名前を忘れましたが「はっかい」ではなく「キサー・ゴータミー」だったに違いありません。

お坊様大好きな私としては有意義なお話が伺えて嬉しかったです。

まさか如来と明王が同一人物で表の顔、裏の顔として現れるとは思いもしませんでした。

 

 

格式の高いお寺にある3つの入口がここ、仁和寺にはありました。

この門は解脱の門。

「空」「無想」「無願」

 

塀のこの白い横線は皇室ゆかりの場所のみに許されているそうです。

 

こうしてお寺では絶えずどなたかが綺麗にお掃除をなさっていました。

 

続いて行ったのは妙心寺

 

ここも非常に大きなお寺でした。

又、青空。

 

 

雲龍図(狩野探幽)

 

今で言うサウナだそうです。

 

 

 

段々と寒くなってきました。

しかも中のお台所(大庫裡)の大きくて寒いこと。

まさしく、修行の場所という感じでした。

 

 

この鐘の大きさ、吊り下げ方も伺いましたが、忘れました

一番大きな鐘もお聞きしましたが同じく忘れました

 

 

この退蔵院も時間があれば寄りたかった。

 

 

 

同志社

 

 

クリンちゃんがアップしていた同志社のチャペルやアグネス教会も車窓から発見して、ひとりでエキサイトしました~

 

続いて行ったのは相国寺

 

このお寺も大きい

 

 

 

 

お庭が整然と美しい。

 

 

  

 

 

 

鳴き龍がありました。

なかなか響かせるのが手の形がおかしいのか難しかったですが、鳴るとすごく独特の音が響きます。

ここで、やっと念願の龍ちゃんをゲット。

中におみくじが入っていました。

この龍ちゃん、連れて歩きたいですが置物用です。

 

 

時間切れで、光源院、慈雲院には行けませんでした。

お寺は10時から5時で終わりですので、4~4時半には遅くとも入らなくてはなりません。

 

 

 

 こちらが有名は和菓子屋さん「出町 ふたば」。

売り切れも度々でなかなか買えないそうです。

あとで聞くと芦屋の友人が言っていた塩豆饅頭とは違いましたが。

 

すごい人でした。

なかなか買えないということで、タクシーの運転手さんにも頼まれました。

あとで「買ってもらったから」と言われてタクシー代をサービスして下さいました

 

1個から8個まで詰めていただけるのですが、一番人気は売り切れ。

それでも、この黒豆のお饅頭、と~っても美味しかったです。

豆は塩味でやわらかく、あんこの甘みも甘過ぎなくて、美味しかった

 

ふと見ると虹が。

 

ホテル到着。

最近はこんな感じでカード決済。

友人が途中で、明日もお願いしないかと言いました。

そうしたら、今日廻れなかったところも全部行けるからと。

明日のバスツアーのランチが捨てがたかったですが、最終的にバスツアーはキャンセルしました。

運転手さんです。

リッチモンドホテルプレミア 京都駅前

 

和モダンな感じの綺麗なホテルでした。

 

外国人向けにもいろいろ考えられていました。

 

日本文化体験もありました。

今回は押し花。

 

 

  

今回、初めてシングル。

友人が飲むといびきをかくし、お手洗いに起きるし、私が寝ると焦るし~ということで、初めてシングルにしましたが結果的にお互いに気を使わなくて良かった気がします。

 

シングルですがダブルベッドでしたので、広くて嬉しかったです。

ゴロゴロ遊びました

 

北山杉のイメージ

 

 

1階フロアーのこの絵が各お部屋の模様だと思いました。

このホテルはアフタヌーンティーや夜のお酒や飲み物はフリーなのですが、夕食が出来る場所がなく、スタッフのおススメをお聞きして食べに出ました。

 

ここはホテルから近い「いち膳」という京料理の旬のものをリーズナブルなお値段で提供して下さっている居酒屋さんです。

 

おまかせコースがおススメと言われ、それとステーキを注文して半分こ。

友人は飲むので、ちょうどいい感じでした。

前にもアップしましたが・・・

 

 

 

このお出汁が美味しかった~

京都のお出汁は本当に美味しいです。

 

 

友人はお蕎麦。

私はちりめん山椒のご飯。

 

こちらはホテルのアメニティー

 

 

バスソルトやヘアオイルまでありました。

 

そして、こちらがフリードリンク。

 

 

 

おつまみはナッツとしば漬け

私も少~し飲んでみました。

友人は6~7杯

 

押し花体験もしました。

出来上がったものはホテルが切手を貼って出して下さると言うサービス付き。

 北野天満宮で頂いたお菓子と梅茶。

そこでもお湯と椅子が用意されていて飲めます。

 

仁和寺で買ったファイルとお守り

  

拝観料が現金のみかと思って1万円だけ持って行きましたが、カードでも払える場所がありました。

こうして初日の2月26日(月)が終わりました。

寝たのは0時頃?

起きたのはやはり4時過ぎ

でも、今回の旅はなぜか今まで一番元気でした。

 

 

 

 

 

★致知一日一言 【今日の言葉】2024.2.29

 

必ず世間が助けてくれる

人間は誠実に懸命に自分の仕事に
全身全霊で打ち込んでいれば、
必ず世間が助けてくれる。
━━━━━━━━━━━━━━
田中真澄(社会教育家)
○月刊『致知』2024年3月号
連載「人生百年時代を生きる」【最新号】より
━━━━━━━━━━━━━━

●今年米寿を迎える社会教育家の田中真澄さんは、
人生百年時代をどう生きるかを
講演や執筆を通して伝え続けてこられました。
40代で大企業の管理職という立場をなげうち、
社会教育家として独立した体験に基づくお話は、
多くの人に感動を与え続けています。

今回の連載では、
「シニア起業家誕生のニュースは、
人々に勇気と希望を与える」をテーマに、
定年後の生き方について貴重な示唆を与えられています。

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改めて京都「冬の特別拝観2024」の旅①&河津桜咲き始め

2024年02月28日 22時13分20秒 | 旅行

 昼下がり、暖かくて気持ちが良くて眠くなりそうです。

河津桜はまだチラホラ。

木によっては七分咲きという木も何本かありました。

本当にいいお天気で気持ちがいい

心底温まっていくようなお風呂の中にいるような感じです。

間もなく河津桜の季節がやってきて、そしてソメイヨシノの季節が来て、仁和寺ではみむろの桜の見頃が来るのですね。
 
美味しいお弁当を食べて(昨夜、大阪で買って来て食べなかったもの)このまましばらくここで寝ていたい気持ちですけれど、明日は母が帰ってきますので、お買い物もしなくちゃいけないですし、ブログのアップも終わらせないといけないので帰ることにします。
 
・・・ということで、帰って来て、大阪で買って来たお肉を焼きました。
 
今は、2階のサンルームにPCを持って上がり、暖かい日差しを受けながらPCに向かっています。
 
明日は雨予報です。
 
 
明日は明日の風が吹くと昨日書きましたが、今日は河津桜の写真があるので、またまたいっぱいになりそうです。
 
 
 
 
 
 今朝の果物
 
 
昨日、大阪で買って帰ったお弁当。
 
昨日はもうおなかがいっぱいで、今朝、食べようと思っていたところ、ケアマネさんが来られました。
 
母の介護度が上がりましたのでプラン変更と異動のヘルパーさんの後任がなかなかいないというお話でした。
 
 
 
今日は10時から整体でしたので、食べる時間がなくなり、結局このお弁当と果物を持って、整体の後に河津桜の咲き具合を見に行き、そこでまったりしながら食べました。
 
友人は昨夕食べたそうですが、「味付けが上品で美味しかった」と言っていましたが、本当にそうで美味しかった~
 
河津桜を見ながら食べましたでのまるでピクニックかお花見みたいな感じでした。
 
ここは岡南飛行場の近くのエリア
 
 
 
 
 
一気に春が感じ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
きれい。。。
 
 
 
 
 
 
 
陽に透けると一層儚げで美しいです。
 
 
 
飛行場に行く途中の道路
 
 
 
そして、河津桜の並木。
 
こちらはまだもう少しかかりそうです。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
柳も芽吹いてきました。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ヘリコプターが離陸。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
あ~、本当に綺麗。。。
 
 
 
 
 
ヘルコプターは上空を一周旋回して一旦戻って来て、そのまま又飛んで行きました。
 
そして、セスナ機も離陸。
 
 
 
全く風のない(煙突からの煙が真っすぐに上っていました)のどかないいお天気。
 
 
帰りに教会に寄って、京都に無事に行けて帰ることが出来たことの感謝の祈りをし、少しご近所ウオッチィング。
 
 
梅がもう終わりそうです。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
今回の旅は「おとなび」を使いましたので、大阪までの往復の新幹線が安くなりました。
 
大阪からはJRで京都へ。
 
帰りも同じです。
 
ですから、大阪に早めに着いてお買い物をしました。
 
友人はよく知っていますので、チーズケーキとかあれこれ買っていました。
 
これもお勧め。
 
「今日の特売」でした
 
私は滅多にお肉を食べませんが、最近はこうして少し食べるようにしています。
 
 
 
母にも食べさせてあげたいと思いましたが、ミキサーにかからないので断念。
 
 
 
遅いランチです。
 
 
 
京都に旅して太って帰ってきました。
 
しっかり歩きましたが(一日10000~13000歩くらい)、関係ないみたい
 
朝食をいっぱい食べましたし、「「冬の特別拝観」のスタンプラリーで「おぜんざい」を頂き、ホテルに帰ってからもアフタヌーンティーで「きなこパフェ」を頂き、もう当分、甘いものは要らない状態。
 
・・・と昨夜は思っていましたが、よもぎ餅が残っていましたので、食べたところ少し硬くなってはいましたが、美味しかった~
 
一日目にタクシーの運転手さんが連れて行って下さったのですが、私の芦屋の友人が(今日、東京に引っ越しましたが)、京都に行くと「塩豆饅頭」を必ず帰って帰ると言っていましたので、それをお話すると多分ここだろうと言われてこのお饅頭のお店「ふたば」に連れて行って下さいました。
 
とっても人気のあるお店のようで行列をしていました。(また、写真をアップします)
 
タクシーの運転手さんも「なかなか買えない」と言われて、頼まれて一緒に買いました。
 
実際とても美味しかったのですが、芦屋の友人が言っていたお饅頭とは違ったようです。
 
 
 
 
 
 
 ところで、昨日、私は小銭入れを落としたようでした。
 
でも、もしかしたらどこかに入っているかもしれないと思いましたが、昨日帰って探しましたがやはりありませんでした。
 
そこで、聖ミカエルと龍ちゃんに「明日の朝、電話をしたら見つかりますように」とお願いして寝ました。
 
確かに朝、ホテルでポーチに入れた記憶がありましたが、一応、ホテル、タクシーの運転手さん、そして、廬山寺と電話をかけて、続いて、ここになかったらもうないに違いないと思って「渉成園(枳殻邸)」へ電話をしましたら、何と ありました~~~
 
お庭に落としていたのを庭師さんが拾って下さったようです。
 
ここでは、棟方志功の襖絵を観る時に全部の荷物をロッカーに入れないといけなかったので、このあたりで電話があったりしましたので、ここではないかと思っていましたが、落としたのはお庭だったようです。
 
早速、着払いで送って下さることになりました。
 
小銭入れなので大してお金は入っていませんでしたが、探さないでそのままにするのも忍びなくて
 
見つかりましたので、あったことを又、ホテル、運転手さん、廬山寺に電話をしたところ、スタッフの方々が想像以上に喜んで下さって「わざわざお知らせ下さってありがとうございます。本当に良かったです」
 
益々嬉しくなりました
 
 
 
 
 
 
 
 さて、ここまでも十分に長いブログになっていますが、改めて京都「冬の特別拝観2024」の旅①をどこまで入るかわかりませんがアップしたいと思います。
 
2月26日(月)
 
早朝の4時過ぎに目が覚めてしまいました。
 
いつものようにお味噌汁と果物を食べました。
 
 
新幹線が8時11分でしたので少し早めの7時15分位に家を出ました。
 
お天気は快晴
 
新幹線の中から
 
 
新幹線の中でパンとコーヒーを飲みながら、行く場所、方法を決めました。
 
新幹線とホテルと2日目のバスツアーは友人が予約してくれていて、特に今回の京都では「ここに行きたい」というのがないとのことでしたので、私の行きたい所へ付き合ってくれるということになっていました。
 
前日、たまたまTVを観ていたら北野天満宮の梅が満開というニュースをしていましたので、行けたらいいねと言いつつ・・・多分3つくらいが限界かなと話しました。
 
一応私のプラン(優先順位をつけて)では
 

●1日目

①仁和寺の金堂(五大明王)、

②大徳寺の法堂(鳴き龍)、仏殿、龍源院

③紫式部と小野篁のお墓

④六道珍皇寺

⑤建仁寺

⑥相国寺の法堂(天井の龍)、方丈、光源院、慈雲院

⑦泉涌寺の舎利殿、雲龍院(襖絵)

 

 

●2日目バスツアー

この日のこのコースしかもう空いていなかったようです。

~大河ドラマ「光る君へ」放映にちなんだ特別コース~【特別公開】紫式部と源氏物語ゆかりの地をたずねて

01
廬山寺ろざんじ
特別公開
「京の冬の旅」37年ぶりの公開
紫式部の邸宅跡。「源氏庭」や寺宝特別展示、「鬼大師像」や明智光秀の念持仏を祀る特別公開の元三大師堂(がんざんだいしどう)がみどころ。

02
渉成園(枳殻邸)園林堂しょうせいえん(きこくてい)おんりんどう
特別公開
渉成園は「京の冬の旅」51年ぶりの公開、園林堂は「京の冬の旅」初公開
光源氏のモデル・源融(みなもとのとおる)ゆかりの名勝庭園。通常非公開の「閬風亭(ろうふうてい)」、「園林堂」の棟方志功の肉筆の襖絵も合わせて拝観。

03
清凉寺せいりょうじ
特別公開
【本堂拝観(本尊特別御開帳)及び霊宝館の特別拝観】
ここに山荘があった源融の顔をモデルに作られたという阿弥陀如来坐像(国宝)を、霊宝館にてバスコース乗客の方のみ特別に拝観。本堂で三国伝来の釈迦如来立像(国宝)の特別御開帳も!

釈迦如来像の胎内から出てきた絹で作られた「五臓六腑(ごぞうろっぷ)」は必見

04
西陣魚新にしじんうおしん
京料理
安政2年(1855)創業、御所御用もつとめた風格ある西陣の老舗料亭で京料理をご賞味いただきます。

 

 

京都駅

 
 
 

そういうことで、まずはホテル(リッチモンドホテルプレミア京都駅前)に荷物を置いて仁和寺に行くことにしていましたが、行きはタクシーでホテルに行き荷物を置いてそのまま仁和寺に行ってもらう方がいいということになりタクシー乗り場へ。

ついでに観光タクシーならいくらか聞いてみようということになりました。

タクシー乗り場に着くと英語で話しかけられました。

そこは後で知ったのですが、外国人専用の観光タクシー乗り場。

日本人の観光タクシーはインフォメーションで聞いて下さいと言われて聞きに行きました。

2つの会社を紹介して下さったので、最初のところに友人が電話をすると(私はホテルに荷物が置けるか確認の電話をしていました)、すごく高額だったので、無理、無理となって、バス停へ。

するとものすごい長蛇の列

それを見て友人が、「無理 タクシーで行こう」

そこで、もうひとつの会社に電話をしてみたところ、2人で割ればまずまずリーズナブルなお値段でしたので「もうタクシーで行こう」となりました。

友人曰く「もう年寄りなんだから」

この「もう年寄りなんだから」をこの2日間の旅で10回は言いました。

本人も「言ったねえ」

多分、もうすぐ誕生日が来るから「年を取る~」と思っていたのかも。

 
 
 
タクシー乗り場は反対側でした。
 
その周辺はとってもいい香りのお香が漂っていました。
 
見るとお香のお店がありました。
 
タクシーの運転手さんにメモしたスマホ画面をお見せすると、まずは「北野天満宮に行きましょう」
 
北野天満宮
 
 
 
 
 
 
 
 
すごい梅の木の数に驚きました。
 
しかもしだれ梅。
 
 
 
中に入るとお菓子と梅茶を下さって、そこにはお湯も準備されていて座って頂くことも出来ましたが時間がないのでお持ち帰り。
 
 「このぼけ封じと足腰健康が必要」と友人
 
 
 
 
 
全然綺麗に撮れませんでしたが(ほぼほぼ歩きながらですし)、圧巻でとても綺麗でした。
 
 
 
 
 
 
 
夜はライトアップも。
 
 
 
この高台から見ると梅の里のようでした。
 
「ガラスの仮面」に出てくる梅の里ってこんな感じなのかな~と古い記憶を思い出しました。
 
 
 
こんなにたくさんお梅の木を見たのは初めて。
 
 
これは豊臣秀吉の都市計画の御堀跡。
 
桓武天皇だったかも作ったそうですが、規模がもっと小さかったとのこと。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
菅原道真が丑年生まれだったため、こうして沢山の牛の置物がありました。
 
撫でるとそこが良くなったり賢くなったりするそうで撫でました、あちらこちら
 
 
 
 
 
飛梅
 
 
 
 
 
 
 
龍ちゃん、見っけ。
 
 
 
 
 
花手水も豪華。
 
 
 
 
 
 
人の顔が写っていますが消せない (すみません
 
たくさんの鳥居があります。
 
そして、こちらが正面入り口の鳥居。
 
 
 
京都ではお寺は拝観料がいるそうですが、神社は要らないそうです。
 
又、西本願寺と東本願寺も要らないと言われていました。
 
ところどころに長蛇の列のお店がありました。
 
主にラーメン屋さんが多かったような。
 
 
この山は比叡山だそうです。
 
 
お昼ご飯は運転手さんお勧めのおうどん屋さんへ。
 
 
 
 
 
有名人もよく来ると言うお店でした。
 
 
 
 
 
 
 
おうどんも太いのが2本でびっくりでしたが、お出汁のあまりの美味しさに感動しました。
 
 
 
これ以上書くとアップ出来なくなりそうですので、今日はここまでで明日に続きます。
 
次回は一番行きたかった仁和寺で明王様にお会いします
 
 
 
 
 
 
 
 

★致知一日一言 【今日の言葉】2024.2.28

 

心を支えた『三国志』の名言

 

「鞠躬尽力(きっきゅうじんりょく)、
死して後(のち)已(や)まん」

これを必ず成し遂げるという
強烈な情熱と粘り強さを自ら行動で示し、
人の力を噛み合わせて初めて、
よい仕事ができる。
━━━━━━━━━━━━━━
藤澤正人(神戸大学第十五代学長)
○『致知』2024年3月号【最新号】
連載「私の座右銘」より
━━━━━━━━━━━━━━

●2022年、創立120周年の節目を迎えた神戸大学。
国立大学の中でも有数の歴史を持つ学府ですが、
現学長の藤澤正人さんは
同大医学部附属病院の病院長も務めた
泌尿器科の医師であり、
さらに国産では初の手術支援ロボット
〈hinotori (ヒノトリ)〉開発の立役者でもあります。

本欄では自身の座右の銘を踏まえ、
ご経験と学生たち、
神戸という町の未来も語っていただきました。
こちらから

 
コメント (4)
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京都から帰って来ました&母、要介護5へ

2024年02月27日 23時48分00秒 | 旅行

  19時半過ぎ、無事に京都から帰って来ました。

岡山駅に着いた時、夜風が心地よく感じられましたが、今日の京都は雪がかなり降りました。

その後は曇ったり晴れ間が出たりの繰り返し。

昨日よりも寒かったです。

友人は寒すぎてもう手がかじかんで冷たくなっていました。

でも、私の手はいつもぽかぽかなので唖然としていました~

家に帰ってママ友に連絡をしたところ「お天気が良くて良かったねぇ」

「あ~、やはり岡山は☀️晴れていたのだわ」と再認識。

この2日間の京都の気候は雨が降ったり止んだり晴れたりと本当に目まぐるしく変わり、風も強くて寒かった

 この2日間、結局、観光タクシーを利用しました。

そうでないと廻れなかったでしょうし、寒すぎました。

今朝はホテルから近かったので西本願寺に一番に行きましたが、飛雲閣の拝観は10時からということで諦め、まずは紫式部と小野篁(おの の たかむら)のお墓へ。

なぜこの2人のお墓が一緒なのか諸説あるようですが、又、明日以降に書きます。

続いて、大徳寺、廬山寺、建仁寺、六道珍皇寺、枳殻邸へ行きました。

 今日の写真もスマホから。

昨日、アップ出来なかったお夕食です。

ホテルに紹介して頂き行った「京都の旬のお食事が頂けるリーズナブルな居酒屋さん」です。

 

おまかせコースを1セットと和牛(丹波牛)ステーキを1皿注文し、半分こして食べました。

 

どれも本当に美味しかった

昨日のおうどんの出汁もと~っても美味しかったのですが、ここのお出汁もとっても美味しかったです。


 

 

友人はここで飲んで、ホテルに帰ってからもフリードリンクでしたので、日本酒を6~7杯飲んだようです。

ホテルのおつまみはナッツとしば漬け

このような押し花体験も出来ました。

出来上がったものはホテルが郵送してくれますので、私は母宛てに書きました。

「ひとまず100歳までがんばろう」


そして、今朝のお食事。

京のおばんざいが美味しくって。

私は和食中心、友人は洋食中心。

私はしっかり頂きましたが、友人は二日酔いで頭痛~~~

 

ホテルはリッチモンドプレミア駅前です。

 

こちらの一枚は大徳寺の中の「芳春院」。

時間的にまだ早かったので、こちらの盆栽を見ようと行きました。

前田利家とまつのお墓のあるお寺ですが、そこは拝観出来ませんでした。

ここでかなりの雪が降り続けましたので、しばし足止め。

貴船の方は雪景色となりました。

「こんなに寒いならいっそ雪の京都がいいね」なんて言っていましたら、本当に降りました。

でも、牡丹雪ではなく、吹雪きましたので積もりませんでした。

 大徳寺の後で行ったのは本物のわらび餅のお店。

廬山寺

紫式部のこの像だけは写真撮影OKでした。

このお庭は建仁寺



前回の京都の旅で、縁でしばし座ってお庭を眺めたことを思い出しました。

 最後は特に駆け足で廻った京都の旅でしたが、やっぱり京都はいいなぁ~~~と思いました。

歴史絵巻がそのまま目の前にあるのですから、本当にワクワクしました。

友人にあれこれなぜ知っているのか尋ねられましたが、やはり両親が好きでそのような話をいつもしていたからのような気がします。

 今日のことは今日アップしたいのですが(明日は明日の風が吹いて又、あれこれありますので)、とてもではないですが、沢山の写真を処理出来ませんので、明日以降にゆっくりアップしていきます。

 帰宅すると母の介護認定証が届いていて「要介護5」になっていました。

枳殻邸でまさに棟方志功の襖絵を見る直前にケアマネさんからお電話がありました。

この件と異動になられるヘルパーさんの後任の方のお話のようでした。

 今日も又、遅いアップになりました。

致知一日一言【今日の言葉】を2日分アップします。

 ★致知一日一言【今日の言葉】2024.2.26

真心を尽くす尊さ

お互い貫くべきはまごころ一つだ。
まごころをどこまでも貫いてゆけば、
どんな人でも、
世の中でも変えてゆくことが出来る。
━━━━━━━━━━━━━━
横田南嶺(臨済宗円覚寺派管長)
○月刊『致知』2024年3月号
連載「禅語に学ぶ」【最新号】より
━━━━━━━━━━━━━━

●横田南嶺師が禅の教えを
分かりやすく伝える好評連載「禅語に学ぶ」。
その魅力、紹介はこちらから

●臨済宗円覚寺派大本山円覚寺。
730余年の歴史を有する鎌倉の名刹です。
本連載では、
若くして管長を務める横田南嶺老大師に、
20代から打ち込んできた修行体験や
先師からの学びを交え、
奥深い「禅語」の世界を
毎月紐解いていただきます。
その一言一句が、この混迷の世に与えられた命を
精いっぱい輝かせて生きるヒントとなるでしょう。

★致知一日一言 【今日の言葉】2024.2.27

「まさに日清戦争前夜」

国を発展させていこうと思えば、
公のために何ができるか、
集団の中で規律を重んじ
どういう義務を果たさなくてはいけないか、
という発想が欠かせない。
━━━━━━━━━━━━━━
番匠幸一郎(元陸上自衛隊西部方面総監)
○『致知』2020年1月号
特集「自律自助」より
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●本日は2020年4月号に掲載された
ジャーナリストの櫻井よしこさんと、
元陸上自衛隊西部方面総監の番匠幸一郎さんの
対談の一部を紹介します。

お二人は対談中に「国難ついに来たれり」という言葉を
何度も口にされました。
緊迫化する台湾情勢など、
日本を取り巻く情勢はかつてない緊張関係にあるいま、
日本はどうあるべきなのでしょうか。
こちらから

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京都への旅

2024年02月26日 23時41分00秒 | 旅行

 今、京都のホテルにいます。

スマホから写真をアップしようと思いましたが、ランダムに挿入されてしまいますし、画面が小さいのでなかなか難しいです。
 
眠くてたまらないので簡単にアップして寝ます。
すでにうたた寝していました💦

昨夜、ブログをアップして旅の準備をして、さあ寝ようかと思ってるところへ携帯電話が鳴りました。
こんな遅い時間に一体
もしや母に何かあったのかと思って、画面を見ると母からの電話でした。
入れ歯を外してるので何を言ってるのかさっぱりわからないのですが、かろうじて聞き取れたのが体がどんどん悪くなっていってもう死ぬような気がするとか、スタッフの方で意地悪というかきつい方がおられるのがつらかったようです。
あとはクリームがないから顔がバリバリするとか。
16分ほど何とか話をして早く寝るように言いました。
京都に来ることは言っていませんが、母の動物的感が働いたのかなと思ったりしました。
 
今日は結局一昨日の夕方テレビで観た北野天満宮の梅の花からスタートしました。
 
 
京都駅
 
 

北野天満宮

 
 
梅の花が圧巻でした。

 

 
飛び梅
 
 



 
昼食にはおうどんを頂きました。
 
 
 
それから仁和寺、妙心寺、相国寺へ。
 
明日帰ってカメラの中の写真を見てみないとどこがどこだかわからなくなりました💦

 
 
 
 
  

 
 
 
 
 
 
美味しいおまんじゅうのお店
 
 
ホテルのエントランス
 


そして今居るお部屋です。

 
スマホでのアップに慣れていませんので、一体どのようなことになるのか心配ですが、もうそろそろ0時が来ますし、寝ることにします。
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明日から京都へ

2024年02月25日 21時43分00秒 | 介護

 昨夜から雨が降り始め、午前中降りましたが午後からは曇り。

お洗濯物を今日は浴室で乾かしました。

先週中、よく降りましたが、明日からはお天気です

 今朝の果物

母のショートのお迎えが8時40分と言われていましたが9時になっても来られませんでしたので、ゆっくり出来ました。

母はとにかく舌が気になって触るばかりします。

痰とよだれが気になるようで、こんなに触り続けると舌もピリピリするのは当たり前。

何となく強迫神経症的になっているような。。。

まわりはティッシュの山になります

言って聞かせたり、気を逸らさせようとしたりしますが、なかなか

調子がいい日は全く気にならないようですし、食事がきっかけとなって止まることもあります。

 母が無事にショートに行った後は、今日は月1の元お隣さんとのコメダでのモーニングデー。

もうすっかり恒例となり、これからもこの月1回のモーニングを続けることになりました。

2人共カフェオーレ。

このチョコクランチをくれました~

 コメダを出た時には雨が止んでいました。

帰って散歩がてら、旅に備えてひざサポーターを買いに行きました。

 

クリスマスローズがかわいい

我が家のクリスマスローズはまだ蕾。

 

 

 午後からは2ヵ月に1回のバラ十字会にオンラインミーティングがありました。

この日を毎回とても楽しみにしています

とてもいい時間でした。

 その後、母が出がけにご飯のお供に「お味噌が一番いい」と言いましたので、4時過ぎに買って持って行きました。

一目でも会えたら母も嬉しいかなと思いましたが、面会は出来ませんでした。

ショート先のまわりの菜の花畑

 

 バタバタしていてまだ明日の準備が出来ていませんのでこれからします。

ホテルは友人が駅の近くを探してくれて、予約済み。

合間合間に行きたいお寺を書き出して場所を確認して何となくマップが出来ました。

明日は10時頃に京都に着きますので、そんなには廻れないと思いますが、がんばって沢山の龍ちゃんに会って来たいと思います。

土地勘のない私の中では仁和寺の五大明王様からのスタートがいいのかなと思っていますが、明日、新幹線の中で考えることになりました。

友人は大学が大阪でしたので私よりは土地勘があります。

毎年秋に会いに行っていた永観堂の「みかえり阿弥陀さま」には今回は会いに行けませんが、バッグの中には入っています

母には心配したり不安がらせてはいけないので言っていませんが、ショート先には万一のことを考えてホテルや友人の携帯番号も伝えています。

 久々の旅。

楽しんできたいと思います。

明日のブログはスマホで撮った写真だけをアップしようかなと思っています。

旅の詳細は帰ってからゆっくりアップします。

★致知一日一言【今日の言葉】2024.2.25

世界の舞台で勝ち続ける選手の特徴

世界の舞台で勝ち続ける選手は
やはり「心・技・体」の三つすべてが
充実しています。
どれか一つだけが優れていても、
欠けていても世界の頂点を掴むことは難しい。
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増地克之(柔道全日本女子監督)
○『致知』2024年3月号【最新号】
特集「丹田常充実」より
━━━━━━━━━━━━━━

●東京2020オリンピックで
メダルラッシュに沸いた柔道全日本女子を
「準備力」をテーマに率いてきた増地克之氏。
バレーボール女子日本代表チームを復活させるべく、
5年ぶりに代表監督に復帰した眞鍋政義氏。

今年開催されるパリオリンピックに向けて
情熱を燃やすお二人に、
世界の舞台で勝利を掴む人材・組織を育てる要諦、
目指すべき指導者のあり方を語り合っていただきました。
こちらから

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ヘルパーさん

2024年02月24日 21時50分10秒 | 介護

 今日は久々に晴れて、お洗濯物が気持ちよく乾きました

 

 

 

今朝の果物

最近、🍎が加わりました。

今日は看護師さんが母の髪をカットしてくれました。

なんとも少女のようにかわいらしくなりました(親ばかならぬ娘ばか

看護師さんも「かわいい」を連発

「下手だけど、でも、かわいいよ」

その後、母は鏡をしばらく眺めていました。

 

 

 

 長い間、木曜日の夕方と土曜日の朝夕と来て下さっていた男性のヘルパーさんが施設へ異動になられてあと少ししか来て頂けなくなりました。

昨日、ケアマネさんから連絡がありました。

ケアマネさんも30分前に聞いたばかりでショックで~と言われつつ。

今朝、ヘルパーさんも施設よりは訪問が好きだと言われていました。

寡黙な方で黙々と母の世話をして下さるのですが、母のペースに合わせて下さりとても丁寧です。

目薬の入れ方も母曰く「他の人は口に入れるけど、○○さんはきちんと目に入れてくれる」

そして、母のことをNさんと唯一名前で呼んで下さるヘルパーさんでもあります。

どうしてヘルパーになられたかお聞きしたことがあるのですが、以前は美術関係のお仕事の営業をなさっていて、それが性格に合わず苦痛だったそうです。

そこで辞めて何をしようかと考えた時に、ゴミ収集かヘルパーかで悩まれたとか。

最初、ケアマネさんが同じ事業所のこの方を紹介して下さる時「男性で嫌かもしれないけれど、とにかく受け入れてみて。とにかくやってみて」と言われました。

と~ってもいい方でした。

母も一番好きなヘルパーさんになりました。

我が家がいつも朝が一番早く、夕は最後の利用者となるのですが、今日は異動でバタバタされると思われたのか、「7時半には出ないといけないので6時45分か50分に行かせてもらってもいいですか」と昨夕、お電話がありました。

我が家は何時でもいいので「こちらはいつでも構いませんが、早朝からすみません」とお返事しました。

ということで、今朝は6時40分に来られました。

朝、少し異動のお話をし、夕方最後なので又、ゆっくりとお話をしました。

この方は82歳のお母様と2人暮らしで、お母様が時々気を遣われて何か託けて下さったりします。

最近、血圧が高く、又鼻血が出たり、緑内障の手術もなさるようです。

息子さんがヘルパーさんならお互いにいいに違いないと思いましたが、なかなか自分の親を世話をするのは難しいと言われていました。

お年はおいくつくらいかわかりませんが、どうも想像以上にお若そう。

多分、50代前半

母も残念がっていますが、こればかりは仕方がないです。

ケアマネさんのお話では今度の木曜日が最後になるのではないかと思われます。

 

 

 

 

 今夜は曇っていて見えませんが(多分)、満月&十五夜です。

2月の満月はアメリカの農事暦では「スノームーン」と言うそうで、今夜の満月は2024年のうちで最も遠い満月だそうです。

満月の瞬間は21時31分 (月齢は 14.6)。

 

 

 

 

 

 

★致知一日一言 【今日の言葉】2024.2.24

 

震災などの困難にどう立ち向かうか

 

国民一人ひとりが国や自治体による
「公助」をあてにせず、
国民として当然の義務を果たす「自助」、
そして地域での助け合い「共助」に目覚める。
━━━━━━━━━━━━━━
濱口和久(拓殖大学防災教育研究センター長)
○『致知』2024年3月号【最新号】
特集「丹田常充実」より
━━━━━━━━━━━━━━

●時は幕末。
紀伊半島を襲った巨大地震と津波から村を救い、
藩や国のため多分野で
獅子奮迅の働きを見せた実業家がいました。
ヤマサ醤油七代目・濱口梧陵です。

防災や国防に精通し、
梧陵の顕彰にも尽力する濱口和久氏に、
和やかな元日に突如、
能登地方を襲った震災の教訓を交え、
この国難の時代を生きる道標を示していただきました。
こちらから

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ところ変われば&「百万本のバラ」の原曲

2024年02月23日 21時48分22秒 | 生活

 今日も曇り空でした。

夕方近くになって少し薄日が射してきましたが、なかなかお洗濯物が乾きません

 

 

 

 今朝の果物

今朝は母にフルーツジュースの他にパン粥を作りました。

初めての試みです。

レーズンバターロール2個、卵、牛乳1パック(母がショートから持って帰ってきたもの)、メイプルシロップです。

この形態はOKが出ましたので作ってみましたが、大丈夫そうです。

それから、ハンバーグも作りましたので

 

母のはつぶしてとろみを入れてみましたら、こんなになりました。

(お野菜は別)

母は看護師さんが来られる11時過ぎまでお台所で過ごしました。

今日は「天皇誕生日」で休日でしたので、看護師さんのスケジュールも変わり、リハもありませんでした。

朝食後、いなり寿司を作るのを手伝ってくれると言っていましたが、その前に2人でフェイスマッサージをして遊び、そのまま時間切れ

母と朝から看護師さんがいらっしゃるまでの間にBSで加藤登紀子の百万本のバラについての番組をしていました。

あれこれしたり、おしゃべりをしたりしていましたので、全部観ることは出来ませんでしたが、この番組には母も興味を示してしばらく観ていました。

原曲です。

本当に複雑で度重なる大きな苦しみ、悲しみを経たきた曲です。

 

Dāvāja Māriņa - Aija Kukule「マーラが与えた人生」アイヤ・ククレ(「百万本のバラ」の原曲)

 

 

 

 

 

 今日は一番小さな孫の誕生日でした。

海外に移り住んだばかりで、お誕生日のプレゼントが間に合いませんでした。

そこで、お婿ちゃんから今日も写真が送られてきた時に何か好きなものを代わりに買ってプレゼントしてくれるように頼みました。

と聞いてきましたので、お洋服と果物と答えますと、何とびっくり

あちらの国ではスーパーで子供は無料でフルーツを食べることが出来るそうです。

その前にも驚いたことがありました。

お婿ちゃんが送って来てくれた写真で孫達がクッキーをほおばっていました。

今日は小学校でクッキーやケーキが無料で食べられる日だったようです。

親にはコーヒー付き。

何とまあ、ところ変われば~

日本ではちょっと考えられません。

 

 

 

 

 

★致知一日一言 【今日の言葉】2024.2.23

 

天皇陛下のお祈りと、一般人の祈りはどこが違うのか?

 

天皇陛下の「祈り」は神武天皇の昔から、
ともに生きてきた国民の幸福を、
さらには世界の人類の幸福を、
ひたすら願う「祈り」です。
━━━━━━━━━━━━━━
松浦光修(皇學館大学文学部教授)
『日本は天皇の祈りに守られている』
(致知出版社)より
━━━━━━━━━━━━━━

●本日2月23日は天皇誕生日。
日々私たち国民・国家を思ってくださっている
天皇陛下の「祈り」に込められた思いとは? 
『日本は天皇の祈りに守られている』より、
著者・松浦光修さんの
「祈り」に纏わるお話を紹介します。

天皇陛下のお祈りと、
一般人の祈りはどこが違うのか?
Webchichiでご覧ください

 

 

 

 

★バラ十字会メールマガジン(毎週金曜日配信)

 

「名言」それとも「迷言?」- 新しいことを始めるとき


バラ十字会日本本部AMORC


【ぜひお友達にもこのメルマガを教えてあげてください】⇒

https://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M1103875&c=3304&d=ed84

 

こんにちは。バラ十字会の本庄です。


━…………………━

文章を以下に転載していますが、興味深い写真が掲載されていますので、下記のリンクをクリックして、公式ブログでお読みください。

https://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M1103876&c=3304&d=ed84

━…………………━


東京板橋では、寒い雨の日が数日続いています。

本格的な春が来るまで、もうしばらく辛抱が必要のようです。


いかがお過ごしでしょうか。



山形県に住んでいる、オヤジバンドでの演奏とお祭りが、三度の飯よりも好きだという私の友人から寄稿がありましたのでご紹介します。

▽ ▽ ▽

記事:「名言」それとも「迷言?」

バラ十字会日本本部AMORC 理事 山下 勝悦



以前にも同じタイトルで投稿させて頂きました。

今回はその続編ということで、しばしのお付き合いのほどをよろしくお願いします。


それでは早速に行ってみましょう。


最初は名言?からです。


『目標は立てるな、目的は持つな』。これが誰の言葉だったのかは記憶にないのですが。人は何か新しいことを始めよう、あるいは挑戦しようと決心した時に、まず頭に浮かぶのが「目標」あるいは「目的」を達成した時の自分自身の姿ではないでしょうか。

この際に気を付けなければならないことがあるのだそうです。


それは、目標・目的をきっちり定めている人ほど、目標・目的を達成した時点で、いわゆる「燃え尽き症候群」に陥る危険があり得るというのだそうです。



しかし、私の友人の場合は少し違います。


何か新しいことを始めるときに、自分自身に思いっきりハイレベルな目標を立てるのです。

次に寝食を忘れて努力を続けるのです。

そして最終的に目標を達成したと自覚した時点でスッパリと縁を切り、また別の世界に飛び込んで行くのです。



友人はこういった経験をフルに活用してユニークかつ楽しい人生を送っています。


まあ、ときおりユニーク過ぎる行動を起こして私らを楽しませてくれますが(笑)。



「私たちは誰しも無限の可能性を秘めているのです。目標や目的の高さを自分で限定して考えずに常に上を目指して生きて行きましょう。」という人もいるかもしれません。



そうは言っても、何ごとかに取り組み、精進・努力しておられる方々がよく言われる言葉に「壁に突き当たった」がありますよね。


そこで、それに対しての名言・迷言?です。


「壁と思うな、階段と思え!!」。



次からちょっと過激な迷言になります「壁はあっても天井はない!!よじ登って乗り越えろ!!」


さらに「壁? そんな物はぶち壊せ!! ベルリンの壁だって人が壊したんだから!!」。


さらに、こんな言葉を発する方も「壁? 見たこともなければ、ぶつかったこともないよ!!俺にはそんなことを考えてる暇などないよ!!」


前述の友人はこのタイプですね。



話が少し横にズレますが「努力」の二文字が出ましたのでもう一つ


「努力を買うと、いつの世も忍耐がオマケで付いて来るらしい……。」


タレントの伊奈かっぺいさんの言葉です(笑)



でも、忍耐とは人が神から授かった才能の一つなのだとか。


それを信じて日々頑張ってます。



さて、私はどの壁を選べば良いのでしょうか?


もしあるのであれば、壁を避けることの出来る回り道を探そうかと……。


「急がば回れ」の名言もありますからね。

△ △ △

再び本庄です。

聞いた話ですが、ベルリンの壁は市内でお土産として売られているそうです。

壁は壊したり越えたりできるということを思い起こすために、手元にあると良いアイテムかも知れません。



下記は山下さんの前回の文章です。


「陰陽師の新刊本、安倍晴明と蘆屋道満、『烏天狗ノ巻』の『梅道人』と『殺生石』」

https://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M1103877&c=3304&d=ed84



では、今日はこのあたりで


また、お付き合いください(^^)/~


==============

■編集後記

河津桜が開花しメジロが集まっています

https://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M1103878&c=3304&d=ed84

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まずは白寿に向けて

2024年02月22日 21時22分00秒 | 介護

 今週はよく降っています。

 

 

 今日は定期受診・・・と言いましてもこちらで勝手に日にちを決めていますので、3ヵ月以上も空くこともあるのですが、今月でドクターが定年を迎えられますので、行って来ました。

 

 

今朝の果物

今朝はお味噌汁と果物だけ食べました。

病院に行くことも(次回の眼科予約は10月)無くなりそうですので、今日はモーニングを食べてみようかと思ったりして出かけました。

今日は2月22日ですが、ふと前を見ると222

いつからか私のラッキーナンバーです。

ドクターはずっと勤務医として働いていらしたのでしばらく休息したいと言われていましたが、それが一体どういうものか想像が付かないとも言われていました。

家がご近所で、子供の頃遊んだ覚えもあるドクター。

今日はそんなお話をしました。

ドクターのご一家がアメリカから帰宅なさった時、お姉さんからアメリカのお洋服を頂きました。

グリーンのチェック柄のワンピースでした。

話が逸れて、最近の興味深い話として自我の話になった時に、自我にはいろいろ種類があるそうです。

代理自我とかいろいろ。

(これってどういう自我

私は観察自我が発達しているそうで、翻弄されているようで(されつつも)客観的に自分を見ていると言われたことなども話しました。

最近の高血圧についてはきちんと家で測って(せめて2週間)、データを提出するように言われました。

病院に行ったら上がるはずが今日は128/80。

おかしいなぁ~。。。

呼吸が浅くなっている気はします。

甲状腺の病気も婦人科系の病気も手術さえ出来ない、あるいは即手術というところから長い年月はかかりましたが、跡形もなく消えてしまったので(普通、良くなっても痕跡は残るそうですが)もうしかして治癒力や生命力はあるのかも・・・と思います。

「長い間、お疲れさまでした。」「又、ご近所で」お会いしましょう みたいな会話で診察室を後にしました。

患者さんも他に廻されていますのでもう診察室の前あたりは閑散としていました。

 

 

 

 折角なので、やはりモーニングを食べて帰ってみることにしました。

11時ぎりぎりに入りました。

550円。

 

帰りに梅の花を見に公園に寄りました。

 

 

勝手口に生けている桜が満開です

 

 

 母はいつもより遅い2時50分頃元気に帰ってきました。

ちょうど同時刻にケアマネさんが担当者介護の為にいらっしゃいました。

まだ認定書は届いていません。

母の担当のドクターが忘れていらしたようで、ぎりぎりに届くようです。

多分今まで通り要介護4ではないかと思うとケアマネさんが言われていました。

「5は寝たきりではないし、頭がしっかりしているのでまずないと思う。

3の可能性もなくはないけれど、どう考えても4だと思う。

しかし、たまに、えっってこともあるのでね。

こればかりは来てみないとわからないわ」

福祉用具の担当者さんは母が怪我をした一番最初からの担当の方で(もしかして60歳代70歳代)、その後も娘が産後家に帰っている時にたまたまいらして孫のJをすっかり気に入られて会うたびに聞いて下さっていました。

今日も「何歳になった

今朝、お婿ちゃんが送って来てくれた写真をお見せすると「大きくなったなぁ~。こっちが年を取るはず」と。

コーヒーを淹れながら、母のパンも準備していたところ、どのように食べさせるのだろうと思われていたようで興味津々。

そして、一番驚かれたのが母の食べっぷり(吸いっぷり)

「いや~、娘さんがよく食べるとよく言われていたけれど、年齢を考えるとまさかと思っていた。もうすごいとしか言いようがない。びっくりした

100歳の話が出た時、Jは今は海外にいますが「100歳のお祝いには帰って来られますね。」

ケアマネさんから99歳でお祝いをするものらしいという話が出ました。

「99歳は何ていうのでしょう」と私が言いますと、母が「100から1を引いて白寿」と言いました。

(ネットより・・・白寿は、99歳のお祝い。 百から一を引くと「白」となることに由来)

続けて母が「そうよ。99歳でするんよ」と言いました

皆、スマイル

それならば、今度5月が来たら盛大にお祝いしなくちゃ。

もちろん100歳は皆さんもとても楽しみにされていますので、100歳のお祝いも盛大にしなくちゃです

母にはおせちの時のようなペースト食の御膳があればいいなと思いますので、当たってみようと思っています。

 

 

 

 ところで、今朝、大工さんから連絡があり、すぐには工事がやはり難しそうで、見積もりも出ない状態です。

するなら大手でないと難しいと言われましたが、少し待ってももらえるなら・・・と言われました。

福祉用具の方も言われていました。

「とにかく、万博が終わらないとどこも物も人手も不足している。」そうです。

ですから、ここはひとまず落ち着いて待った方がいいようです。

 

 

 

 

 

 

★致知一日一言【今日の言葉】2024.2.22

 

剣道範士八段・宮崎正裕さんが語る強くなる秘訣

 

まずは手の届くところに目標を設定し、
自分の現状とその目標から逆算して
いま何をすべきなのか、
一日一日の努力を積み重ねていく。
━━━━━━━━━━━━━━
宮崎正裕(神奈川県警察剣道名誉師範)
○月刊『致知』2024年1月号
特集「人生の大事」より
━━━━━━━━━━━━━━

●強豪ひしめく全日本剣道選手権大会で
史上最多の6度優勝、
さらには史上初の2連覇(2度)という偉業を成した
神奈川県警察剣道名誉師範の宮崎正裕さん。

60歳になるいまもなお道場で剣を交え、
後進を教え導き、
日本剣道界を牽引し続けている宮崎さんが、
強くなるために実行していたあることとは。
こちらから 

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衣服の断捨離

2024年02月21日 21時21分21秒 | 掃除、片付け、断捨離

  お昼頃、いきなりのすごく大きな雷の音がし、それから雨が降り続けています。

少し離れた場所では地響きのような音がしたようで、雷だとはわからなかったそうです。

 

 

 

 

 今朝の果物

母が居ないと大きめのバナナの場合1本は多過ぎます。

が、甘くて美味しかった~

今日は整骨院と明日、母が帰ってきますのでショッピングの日。

午後からは家の改修も始まりますので断捨離をしました。

主にタンスの中の衣服の断捨離をしましたが、まだ着られると思うとなかなか手放せない。

牛窓に引っ越すと思ってもまだ遠い先ですし、本当にそちらに住むかわからないのでなかなか決断出来ず

それでも4時間で、大きな袋ひとつは処分(リサイクル)し、次女の好きそうなものは取っておく袋に入れました。

やはり物が少ないと整理整頓出来ますのですっきりします。

でも、終わってタンスを眺めると本当に置いておきたいもの(この場合、着たい好きな衣服等)はもっともっと少ないことに気が付きます。

定期的に断捨離し徐々に減らせてはいますが、何もかもがまだまだ多めです

 

 

少し前にお腹が空いた場合、出汁を飲むといいと聞いて実行していましたが、再び、始めてみることにしました。

今日の頂き物

 

 昨夜は夜更かししましたので、今日は眠い

明日は担当者会議もあったりちょっと忙しいです。

雨は降り続いています。

 

 

 

 

★致知一日一言 【今日の言葉】2024.2.21

 

ダイソ―創業者・矢野博丈さんのラストメッセージ

 

困難に揉まれ、人間が鍛えられた先に、
回り回って徳や運が味方につき、
自ずと運命は拓けていく。
━━━━━━━━━━━━━━
矢野博丈(ダイソ―創業者)
○月刊『致知』2024年1月号
連載「二十代をどう生きるか」より
━━━━━━━━━━━━━━

●100円ショップの先駆けとして知られる
業界最大手「ダイソー」。
同社をゼロから立ち上げ、
今日の繁栄へと導いてきた矢野博丈さんが
2024年2月12日にお亡くなりになりました。
80歳でした。

弊誌『致知』では何度も対談をしていただくなど、
多大なるご恩顧を賜りました。
生前のご厚情に感謝を表し、
最後の登場となった2024年1月号の
連載「二十代をどう生きるか」より、
後から来る世代への熱いメッセージをお届けします。
内容はこちらから

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眼科&母の面会へ

2024年02月20日 21時10分00秒 | 介護

 今日は一日曇っていましたが、気温がとても高くなりました。

最高気温は19.8℃、最低気温は12.7℃もありました。

びっくりです

 

 

 

 今朝の果物

今朝は昨日買って来たパンとコーヒーも美味しく頂きました。


 

 

 私はコンタクトレンズを使っているのですが、家では眼鏡をかけたりかけなかったり。

その眼鏡のフレームが1本外れてしまったので、コンタクトも眼鏡も長く使っていていて、今の視力と合っていないこともあって、いつもの眼科(総合病院)へ行こうと思っていましたが、もうコンタクトを取り扱っていないとのこと。

そこで近所の眼科へ行きました。

たまには別のところを受診してみるのもいいことだと思ったのが、とても丁寧で今の視力を裸眼、コンタクト、眼鏡2つを使った場合に分けて書いて下さいました。

右眼がよくなったとばかり思っていましたが、実はもっとよくなっていたのは左眼でした。

裸眼で1.2も見えていて矯正必要なしの状態。

遠近両用にしていますが、手元は裸眼が一番見えやすいと思ってきましたが、やはり裸眼が一番視力が出ていました。

スタッフの方が「よく見えられますね。ちょっと待って下さい」と拡大鏡で何度か確認されていました。

コンタクトは大学の頃からずっと使っていて、一番上の文字が見えなかったのですが、今や右眼も0.3~0.4になっていました。

今のコンタクトは2015年に購入したものですが、「やや過調整だけど使えないことはない」し、「丁寧に使えばもっと使えますよ」と言われました。

ドクターも全く傷がなくはないけれど、十分使えますと言われました。

結局、コンタクトも眼鏡も作り直さなくても大丈夫と言われました。

ただ眼鏡のフレームだけは直した方が私としてはいいかなと。

その他、瞳孔を開いて(今日は右眼だけ)検査して下さいましたが、緑内障も問題なく、ただ白内障がすこ~しあると言われました。

これには少々ショックでしたが「加齢に伴いこれは仕方がないです」と言われました。

自覚症状が全くないので困ってきたら手術。

当分は大丈夫でしょうと言われました。

納得の裸眼

今後はなるべく裸眼でいようと思いました~

視力って近視のせいもあるでしょうが、よくなるものなのですね

眼科での滞在時間は約2時間。

ちょうど12時前になりましたので、母のところへ面会に行きました。

 院内に入ると担当のドクターとバッタリ。

「家での食事の写真を介護ノートに貼っていますのでこの形態でいいかどうか見て下さい」とお願いしました。

(このことも介護ノートに書いてはいましたが)

その時、お食事のワゴンが通り2人で歓声をあげました。

真っ赤な🍓いちごがひとり5個くらいデザートで付いていました

食堂に行くとちょうどラッキーなことに管理栄養士さんが母の食事を見守って下さっていました。

 

そぼろ煮のかぼちゃやグリンピース、ミンチの形が残った状態でした。

とろみを付ければ、そしてしっかり母が覚醒していれば、このような形態でもOKとのことでした。

レパートリーが広がりますので良かった~

🍓いちごは3個分くらいのようですがとろみが付けてありました。

母はすっぱいのでいまいちだったようですが、「ビタミンCがたっぷりよ」と言うと完食。

今日はすべて完食とはいきませんでしたが、まずまず食べてくれました。

栄養士さんが「何かあったらいつでも電話を下さい」と言って下さって直通の電話番号を教えて下さいました。

 

トイレに行かせてもらいラウンジに来た時、「じゃあ、帰るからね」と言いますと、

「もう帰るん

「もう1時間もいるよ。本当はこんなにいてはいけないのよ。帰ってお洗濯しないといけないから帰るよ」と言いますと「うん」と頷きました。

 

母のいるショートの天井とラウンジの天井

母がお手洗いに入っている時に撮影。

 

今日は一日中曇り。

午後からも雨は降りませんでした。

 

 

お散歩に行きました。

外ではやはり見えにくいので一応、眼鏡を持って行きました。

 

 

 

沈丁花がもうこんな状態に

 

我が家のクリスマスローズのピンクも3つの蕾を付けていました。

 

 今日は8時頃、母が珍しく電話をしてきました。

どなたかに頼んでかけてもらったのかと思いましたら、「まぐれでかかった」と言っていました

入れ歯を外していましたので何を言っているのかよく分かりませんでしたが、わからないなりに17分位話をしました。

途中で夜勤帯の方が来て下さり、今日の母の様子を知らせて下さいました。

なかなか口が気になって食事が出来ないようです

でも、まずまずかな

 

 

 

 

 

★致知一日一言 【今日の言葉】2024.2.20

 

松下幸之助に教わった経営理念の本義

 

経営理念は覚えるものでもなければ、
唱和するためのものでもない。
実践し、自らの仕事を
完成させていくためにある。
━━━━━━━━━━━━━━
田中宰(松下電器産業元副社長)
○月刊『致知』2012年1月号
特集「生涯修業」より
━━━━━━━━━━━━━━

●立派な経営理念はあっても、
それを社内に浸透させることができない。
このような悩みを抱える
経営者の方は多いことでしょう。

一代で世界的企業を築き上げた
経営の神様・松下幸之助氏は、
「経営理念」を非常に大切にしていたといいます。

松下氏の謦咳に接した
松下電器産業元副社長の田中宰さんに、
経営理念を生きたものにする
秘訣を語っていただきました。

詳しくはWebchichiで

 

 

 

 

 

★致知出版社の「ご縁メール」

 

≪チームを勝利に導く「指導者の心得」≫

 

最新号では、東京2020オリンピックで
10位に終わったバレーボール女子日本代表チームを
復活させるために、5年振りに代表監督に
就任された眞鍋政義さんにご登場いただきました。

対談のお相手には、柔道全日本女子を率いる
増地克之さんです。

これまで代表監督として実績を積まれてきた
眞鍋さんですが、はじめて女子チームの監督として
選手と向き合った時には、驚きの連続だったとか。


そこで本日は、代表監督として土台となった
体験について語られているくだりをご紹介します。


取材の様子はこちら
───────────────────


【増地】
眞鍋さんは指導者の道に進む転機が何かあったのですか。


【眞鍋】
私は1999年に新日鐵を退社した後、
イタリアのチームや旭化成、
パナソニックで41歳まで現役を続けました。

最後の2年間は指導者になることも視野に入れ、
大阪体育大学の大学院で一からいろんな勉強をしました。

その中で実業団から監督のオファーを
たくさんいただいたのですが、
女子チームからのオファーが1件だけあったんです。

これまで男子バレー界でずっとやってきましたから、
自分が女子バレーに関わるなんて
夢にも思っていなかったのですが、
オファーをいただいたことで初めて
女子バレーの国内リーグを見に行ったんですね。

すると、表現はよくありませんが、
男子に比べて日本の女子バレーは
遅れていると思いました。


【増地】
それはなぜですか。


【眞鍋】
というのは、バレーボールの世界では、
だいたい男子バレーの戦術が10数年ほど経って、
女子バレーに取り入れられることが多いんですよ。

ですから、女子バレーの試合を見た時、

「男子バレーの戦術を少し教えれば、
 すぐに勝てるんじゃないか」

と単純に思ったんです。

それで女子バレーチームの
久光製薬スプリングスからの
オファーを受けることにしました。

ところが、選手たちを前にした最初の就任挨拶で、
自分のやりたいバレーボールについて
10分ほど熱く語ったところ、
30人くらいの選手全員が相槌(あいづち)も打たずに、
シーンとしているんです(笑)。


【増地】
反応がなかった(笑)。


【眞鍋】
その時に、うわぁ、
自分が来てはいけないところに来てしまった、
男子チームと同じ感覚ではだめなんだと痛感しましたね。

それからは一人ひとりと面談しながら
少しずつ理解を得て、
信頼を深めていく方針に切り替えたのですが、
いまでも覚えていますけれども、ある選手から

「監督、あの選手には10分間指導したのに、
 私は5分間なのはなぜですか」

と言われたんです。これにも驚きました。

要するに、どこもそうだとは言いませんが、
女子チームを指導する上では、
何よりも公平性を保つことが大事だということです。

で、公平性を保つにはどうしたらよいだろうかと考えて、
指導に取り入れたのが、実は“数字”なんですよ。

当時から国内の多くのチームがアナリストというスタッフを抱え、
相手の戦術などをデータ化して分析していましたし、
世界大会でもスパイク決定率やサーブ効果率など、
各チームの試合の様々な数字がインターネットで公表されていました。

ですから、私はそうした数字をもとに、
数字のいい選手から優先して
試合に起用することを明言したんですね。

 

 

 

 

 

★致知一日一言 【今日の言葉+α】2024.2.20

 

いまこそ読みたい「生きる力」になる厳選記事

 

だんだん寒さも和らぎ、
春の息吹を感じるようになってきました。
しかし、世界や国内情勢に目を向けると、
依然として混沌とした厳しい状況が続いています。

こういう時こそ、絶えず知識・見識、
人間力を磨き高め、いかなる状況にも
処していける心の姿勢を身につけることが求められます。

それを養ってくれるのが
『致知』にご登場される有名無名を問わず、
第一線で活躍されているの方々の体験談です。

スポーツキャスターの松岡修造さんも
次のようなメッセージを『致知』に寄せてくださっています。

「『致知』は自分にとって、
心を成長させてくれるなくてはならない存在。
自分が自分らしくいる為の心を届けてくれている。
それは、『致知』に登場する日本の先輩方からの
人間学を感じることができるからだ。
失敗や挫折からの体験、心の声から生まれた言葉。
それこそが僕の心が感じ動かされる。
そう、『致知』は、僕を本気で応援してくれている。」

そこで本日は皆様の心の栄養剤となることを願って、
読めば生きる力とやる気が湧いてくる厳選記事をご紹介します。

 

侍ジャパン前監督・栗山英樹氏が語る大リーグMVP・大谷翔平の勝利を手繰り寄せる「思考力」

一風堂創業者・河原成美に学ぶ「世界で戦う人物の資質」

山中伸弥氏が恩師・マーレー先生に教わった人生の指針

打たれ強さ、これに尽きる——羽生善治さんが語る棋士に求められる資質

掃除の神様・鍵山秀三郎氏がすべての社会人に伝えたい「成功の要諦」

「いのちの意味」と「人間の使命」——100歳、茶道裏千家・千玄室氏が語る

『致知』最新号注目のラインナップはこちら

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龍泉寺・吉備路&ペインクリニック⑩&リハ④

2024年02月19日 21時40分15秒 | 友人との時間

 夜中から大雨が降ったようですが、気が付きませんでした。

 

 

 今朝の果物

朝一でペインクリニックの日でしたのでタッパーに入れて持って行きました。

雨なので今日は人が少ないかと思っていましたが(並んでいる方々もそう言われていました)、むしろ多かったような・・・。

雨の中を外で長く待つのも嫌でしたので少し遅めに家を出ました。

ちょうど着いた時には雨が止んでいて、傘が必要ありませんでした。

今日は㉑番。

診察は10時半頃と言われました。

その後、すぐにリハがありました。

今日も腹筋や脚の運動など「やった感」がありました

ドクターがいらして「大丈夫ですか

ドクターもリハの担当の方も優しい~。

その後、1時間位で診察&ヒアルロン酸注。

ドクターがいらっしゃる少しの間に看護師さんがいろいろ聞いて下さいます。

京都に行くことを話すとそこで数人のスタッフの方と盛り上がりました

ドクターがいらした時、「京都に行かれるそうです」とナース。

「京都は坂、階段、じゃりが多いですから気を付けて下さい。特に嵐山方面」とドクター。

注射が終わってもサッと行ってしまわれるのではなく、私が靴を履いたり、診察室を出るまでドクターが丁寧に居て下さるので恐縮して返って焦ってしまいます

本当に丁寧な方だなぁとつくづく思います。

 

 

 

 その後、1週間前、雨予報で延期していた「吉備路でおぜんざいを食べることと龍泉寺に行くこと」を決行

今日も雨でしたし、この1週間雨なので京都から帰ってからでもいいかなとも思いましたが、行くことにしました。

まずは友人宅へ。

迷いつつもスムースに到着。

そして、龍泉寺へ。

降っていた雨が止みました。

 

何回か来たことがありますが、大きなお寺です。

 

 

この坂を下りると龍ちゃんがいます。

 

以前と比べて龍ちゃんがかわいらしくなっていました

 

ここは大寒の時に滝行が行われることで有名です。

毎年必ずTVのニュースで放映されます。

 

龍ちゃんの顎に無数の穴が開いたそうで、寄付依頼。

ちょっとだけ多めにご寄付しました。

 

 

やっぱりお顔がかわいらしくなっていると思えました

 

 

龍神の松

 

干支の像が以前より立派になっていました。

 

それぞれの干支の台座に書かれている箇所を触るとご利益があるそうで、2人して全部に触って歩きました

 

このハート形はへび。

 

もみじの季節にはさぞ美しいだろうと思いました。

新緑の頃も紅葉の頃も。

 

龍王池

 

 

 

 

 

六道地蔵

 

 

 

 続いて、吉備路へ。

土砂降りの雨が降り始めました。

でも、雨降りも墨絵の世界のようで美しいです。

目的地の「わらじの店」

私はもう何回も来ていて、特に我が家に来られる方は大抵ご案内していましたが、何と高校からの友人と行ったことが一度もないことが最近発覚しびっくり

多分、近いからいつでも行けるという感じだったのかも・・・と友人。

着いたのはちょうど12時。

店内はいっぱいでした。

先にコーヒーとお大根のお料理三種が出て来ました。

出て来たというより取りに行ったり、周りのお客さんが運んで来てくれます

 

友人はおうどんを注文しましたが、オーナーマスターおじさんご主人が「間違えた」と言われて、おぜんざい2つ。

 

🍋レモンと水菜

どーんとこんな感じです。

今回は「毒薬じゃ。飲むと元気になる」と言われて、濃厚梅ジュースも出して下さいました。

 

店内

おじさん(親しみを込めて)が「うどん、食べる

「え~。食べられるかな。半分こしようか」等と話していると「もう終わった」「うどんがない」

「え~」と私達。

どうも遊ばれていたようです。

最後には結局おうどんはあったそうですが、作るのが面倒だったとか

「又、食べに来て」

昔は本当に寡黙な方でした。

今日はお煎茶まで入れて下さいました。

長い間、何度も来ている私を覚えて下さっているかお聞きしたら「覚えとらん」

55歳でJR(車両の修理をなさっていたそうです)を退職後、このお店を始めて25年になるそうです。

え~、そんなことはない気がしますが。。。

最初にここを知ったのは父が連れて来てくれたからだったと記憶しています。

もうひとりいたお客さんは常連さんみたいで、「じゃあ、80歳じゃな」「申じゃろ。わしは羊じゃ」

その後は趣味の「乗り鉄」の話に。

その次が「撮り鉄」。

最近(10年くらい前からとか)では「食べ鉄」もあり

「乗り鉄」とは窓の外ばかりを見るそうです。

途中下車して観光もしない、駅弁も食べない。

駅弁を食べると下を向くからだそうです。

とにかく、移り変わる外の景色を決して見逃さないように、🍙おにぎりをいくつか食べるだけだそうです。

岡山から松山、高知を廻って、坂出、岡山と1日で廻られたとか。

その後は旅の話になりました。

主に戦争に関連している場所を廻っていらっしゃるそうです。

知覧や鹿屋での特攻隊の話、山口県周南市沖に浮かぶ大津島(おおづしま)での人間魚雷の回天の話、又、今ではうさぎで有名ですが、毒ガスを作っていた地図から消された島・大久野島の話をして下さいました。

そして、昔ご近所に満州にいた人がいらして、その方から聞かれたお話で、日本人が如何にアジアでひどいことをしてきたか、戦後賠償をしてこなかったか等、お茶をいれながら話して下さいました。

 

 

ひとり2杯ずつ、二煎目まで頂きました。

 

地図でそれらの場所を教えて下さっているご様子

 

最後にこのおみかんを頂きました。

これはお箸入れ

お金もセルフで自分で箱に入れて、おつりもそこから取ります。

今日は知らなかったことを沢山話して下さいました。

私達は思いがけずとてもいい時間を過ごすことが出来ました。

 

 

 

 2時間近く居て、パン屋さんへ。

岡山はパンの消費量が多くパン屋さんが多いのですが、特にここ総社市は美味しいパン屋さんがたくさんあることで有名です。

 

 

 

五重塔を見ながら、ここでもパンと抹茶ラテを飲みながら2時間位、友人とあれこれ話しました。

お店で食べる分だけパンを切って下さいます。

 

車の中から

いつ見てもまったりとする素敵な場所です。

 

黒姫塚

 

今度の日曜日の25日は「総社マラソン」の日のようです。

雨が上がり薄日が射してきたと思ったら、前方に虹が~

 帰り、友人宅へお邪魔し、京都の打ち合わせをしました。

 

 

 

日が長くなり5時を過ぎてもまだまだ明るくなってきました。

今日も一日いい時間を過ごすことが出来ました。

感謝です

 

 

 

 

 

★致知一日一言 【今日の言葉】2024.2.19

 

光を求めて歩み始めた

 

海から日は出で
満山の露が光る
まさに華厳
この時から
わたしはしっかりと
光を求めて歩み始めた
━━━━━━━━━━━━━━
坂村真民(仏教詩人)
〇『致知』2024年3月号
特集「丹田常充実」特集総リードより
━━━━━━━━━━━━━━

●坂村真民先生は、
『致知』を長く支えてくださったお一人です。
その人生や名言は、弊社ホームページでも
ご紹介しています。
こちらから

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洗濯三昧の一日

2024年02月18日 21時20分00秒 | 掃除、片付け、断捨離

 今日は雨降り前の最後の晴れの日でした。

気温は昨日よりも更に上がって、最高気温が18.7℃、最低気温は1.6℃でした。

あんまり晴れていいお天気でしたので、1時半位までお洗濯三昧。

一体何回洗濯機を回したやら・・・。

あれこれ、あれこれ良く洗いました。

外で陽が当ると暑いと感じました。

お洗濯物が次々に乾き、最終的に気持ちよく全部乾きました。

お布団も今日はお日さまの香りがすると思います。

 

 

 

 

 今朝の果物

左のボトルは母のジュース。

同じものが入っていますが、母には🍓いちごが2個と牛乳も入っています。

「趣味の園芸」で源氏物語のコーナーが始まった時、やはり興味があるようでTVを観ようと自分で車椅子を動かしました。

今週はクリニックのショート。

介護タクシーの方が9時半に迎えに来て下さいました。

今週も母を無事に送り出せて、ほっとしました。

空色と白色のパンジーがこんなに大きな株になりました。

 

やっぱりフリフリビオラやパンジーはかわいい

 

 

更に桜や

 

桃の花も花開いて、我が家は春真っ盛り~という感じです。

クリスマスローズの蕾を発見

 

水仙も満開です

 

 

 

 

 今、小澤征爾さんの追悼番組を観ていますが、2002年のウイーンフィルニューイヤーコンサートのテーマカラーは赤だったようです。

 

 今日はよく働きました

すでに眠いです

 

 

 

 

★致知一日一言【今日の言葉】2024.218

 

禅の泰斗が語る子供と大人の違い

 

わがままな自我の思いを
のさばらせることしかできないのは、
たとえ八十歳になろうと精神的には子供。
わがままな私をあるべきように調御できる、
手綱さばきができる人を、大人と呼ぶ。
━━━━━━━━━━━━━━
青山俊董(愛知専門尼僧堂堂頭)
○月刊『致知』2024年3月号
特集「巻頭の言葉」【最新号】より
━━━━━━━━━━━━━━

●『致知』の顔とも言える「巻頭の言葉」の
執筆陣に、90歳を超えてもなお
仏道修行に打ち込む青山俊董師が加わられました。
青山老師の滋味溢れた「巻頭の言葉」は、
ぜひ誌面でお読みください。

 

 

 

 

 

★致知出版社の「ご縁メール」

 

≪指導者の本気が人を育てる≫


まもなく、野球シーズンが到来します。

最新号では、かつてヤクルトやライオンズを
日本一に導いた名監督・廣岡達朗さんに
ご登場いただきました。

92歳のいまも野球評論家として
活動を続ける廣岡さん。

本日は、心身統一合氣道会会長の
藤平信一さんとの対談の中から、
指導者の「本気」とは何かが伝わってくる
くだりをご紹介します。


取材の様子はこちら
───────────────────


【藤平】
ところで、廣岡さんといえば、
「管理野球」という代名詞を思い浮かべる
人も多いのではないでしょうか。

グラウンドだけでなく選手の生活まで
厳しく指導されたことで、
そのような名称がつけられたと聞いています。


【廣岡】
あれはマスコミが勝手にそう名づけただけで、
誰が大の大人を管理したいものですか(笑)。

僕は1974年、万年下位と言われるほど
弱小チームだったヤクルトスワローズに
最初はコーチとして入りました。

その頃のプロ野球選手はいわば豪放磊落で、
朝まで酒を飲んでは二日酔いのまま
打席に立つような選手がたくさんいました。


練習中もオフのゴルフの話題ばかり。


本気で取り組みさえすれば
スターになれる選手が何人もいるのに、
これはとてももったいないと思いましたね。


野球選手に限らず、
人間は誰だって楽をしたいと考えます。

だけど、監督が選手に嫌われることを
恐れてこれを黙認している限り、
いつまでも下位チームのまま。

それを改めるには基礎教育と、
何より意識改革が必要だったわけです。


【藤平】
廣岡さんは常勝チームの
読売巨人軍でプレーをされていましたから、
そのことをより痛感されたのでしょうね。


【廣岡】
常勝チームの選手の主力選手で
楽をしたいなどと思う者は誰もいません。

私がまずやったのは門限を設けることでした。

それだけでなく選手が心待ちにしていた
オフシーズンをなくし年中無休の練習に挑戦させました。

それから飲酒やゴルフ、
当時は当たり前に行われていた
マージャンや花札を禁止し、
ユニフォーム姿での煙草、
練習中の私語も禁止しました。


【藤平】
選手側の反発も相当なものだったでしょうね。


【廣岡】
しかし、人を育て強いチームをつくるには、
嫌われることを覚悟でそれまでの
常識を覆すことも必要なんです。

何よりも大事なのは、
こちらが本気であることです。


僕は選手とひとたび縁ができたら、
全力でその子を育てると誓います。

本気でやり抜いて駄目だったら、
その時は自分に引導を渡す覚悟でやってきました。

コメント (2)
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今日は「天使のささやきの日」&ザ・スリー・ディグリーズ - 天使のささやき

2024年02月17日 21時55分22秒 | 介護

 今日は雲一つない真っ青な空で、陽射しが強く暑く感じられました。

来週は雨の日が多く寒くなるようですが、本格的な春の訪れも間もなくのよう。

 

 

 

 今朝の果物

当分、このパターンに🍓いちごが加わったりするだけで変わり映えしそうにありません。

 

 

 母と食後TVを付けたままにしていたところ、面白い番組をしていました。

最後の方を少しだけみただけなのですが、曲はよく聞いて知っているけれども、題名や作曲家がわからないというクラシックベスト5

5番目のラデツキー行進曲は50人のうち1人しかわからない難問

この曲はウイーンフィルのニューイヤーコンサートのアンコールで必ず演奏されます。

  

ワルツの父、ワルツの王って小学校の時に習いました。

 

曲はすべて知っていていますが、ルロイ・アンダーソンはわかりませんでした

庭にヒマラヤユキノシタが咲き始めていました。

エンドウ類もこんなに大きく育ってきました。

 

 大工さんが来て下さって、来週に見積もりを出して下さることになりました。

即、連絡を下さった大手の会社の方も来て下さいましたが、金額的にあり得ない額でした。

家が建ちそう

これからきちんとした見積もりを出すためにドローンまで飛ばして屋根の様子なども見ると言われびっくり

無料と言われましたが、断り辛くなりますのでお断りしました。

 

 

 

 その後、午後から看護師さん、眼科のドクター、ヘルパーさんと続いていらっしゃるので、午前中、母が寝ている間意に急いでお買い物に行ってきました。

車に乗るとナビが「今日は天使のささやきの日です」とアナウンス。

まぁ~、そんな日があるの~

天使のささやきという歌を昔聞いたことがあり、そのことなのか、本当に天使のことなのかなとしばし考えました。

 

 

 

 

今日のお昼はほうれん草の白和え

 

母の昼食です。

左下からいなり寿司3個分、濃い緑色がほうれん草の白和え、お吸い物、左端の上がサバの味噌煮を刻んでマヨネーズで和えたもの、コーヒーゼリー、たこ焼き(タコは抜きました)。

2時45分、初の眼科の往診のため、ドクターが「20分で着きます」と出発前にお電話を下さいました。

が、道に迷われたようで、いらしたのは3時半でした。

母はほぼ完食し「もういらない」

遠くから隠し撮り

優しいドクターでした。

母の眼圧は毎付き11日から1週間、緑内障の粉薬も飲みますのでその直後だったせいか、右の眼圧が14(右が悪い)で左が10でした。

眼圧まで測れるなんて本当に驚きました。

 

又、3か月後にいらして下さるそうですが、そんなには悪くないと言われほっとしました。

その後、母は再び食べて完食。

 

 今朝は母に5時27分に呼ばれました。

その後、ジュースを作って飲ませたりして結局そのまま起きていましたので眠かったのか5時半のヘルパーさんが帰られたあとから本格的に寝入ってしまったようです。

お昼も寝ていましたのでお薬がずれていますので、今日は最終が11時過ぎくらい。

もう1回残っています。

 

 

 

ザ・スリー・ディグリーズ - 天使のささやき(1976)

 

 

 

 

 

888hz【天使の祝福】エンジェルナンバー周波数と癒しの音楽~Fantasy Background Music

 

 

 

 

 

 

 

★致知一日一言 【今日の言葉】2024.2.17

 

アイデアの神様に好かれる秘訣

 

追い詰められて重圧がかかると、
意識していない遺伝子が目を覚まして、
アイデアの神様が降りてくることがあるんです。
━━━━━━━━━━━━━━
森岡毅(戦略家・マーケター)
○月刊『致知』2014年6月号
特集「長の一念」より
━━━━━━━━━━━━━━

●独自のマーケティング手法を武器に、
経営危機に瀕していた
USJ(ユニバーサル・スタジオ・ジャパン)を
V字回復へと導いた戦略家・マーケターの森岡毅さん。
数々の苦難を乗り越え、
組織を再生させてきた森岡さんに、
唯一無二のアイデアを生み出す秘訣を伺いました。
こちらから

 

 

 

 

 

★致知出版社の「ご縁メール」 

 

≪「なにくそ、負けてたまるか」食べログ百名店・焼き肉店≫

 

東京下町の辺鄙な場所にあるにも関わらず、
行列の絶えないスタミナ苑。

行列は3時間、4時間待ちが普通、
「総理大臣も並ぶ店」とメディアでも評判を呼び、
2018年には食べログ百名店に選ばれました。

このお店を切り盛りしている店主が、
本号に登場される豊島雅信さんです。

豊島さんは幼少期に右手の指に障害を負うという
ハンディキャップを抱えつつも、
「なにくそ、負けてたまるか」
との思いで努力に努力を重ねられた方です。

そんな豊島さんのお話からは、
並々ならぬ仕事に対する気迫、気合のようなものが
伝わってきます。

本日は、豊島さんの気迫、気合がより伝わる
エピソードをご紹介します。


取材の様子はこちら
───────────────────


──厳しい中でも努力を重ねてこられた。


右手が悪いからさ、
修業を始めた頃は包丁さえ持てないし、
ホルモンを入れてある大きなビニール袋も
開けることができなかったよ。

最初は途方に暮れたけれども、
何度も練習して包丁が使えるようになった。

ビニール袋は両手で押さえて、
口を使って開ける方法を考えた。

「ハンディキャップがあるからできない」
などとは絶対に思わない。

その頃の僕は
「なにくそ、負けてたまるか」
「前進あるのみ」、
その一念でしたからね。

人から「できない」と言われると、
コンチキショウって燃え上がる。

後ろなんか見るな、
前だけを向いて歩いて行きゃいいんだと。

それで30歳くらいの頃だったかな。
何となく肉の質が分かるようになってきた。
仕込みに徹底的にこだわるように
なったのはその頃からです。

先ほど言ったように
僕は休業日でもたった一人、
3時間の仕込みを続けてきたけれど、
誰も見ていないところで努力する。

いまもトイレの掃除は毎日自分でするし、
絶対に手を抜かない。

これが商売なの。誰がやるのでもない。

自主的にやるしかない。
それができないのはまだケツが青い証拠なんだ。

手を抜いたら明日客が一人来なくなると
思って自分を奮い立たせてきたね。そうして気がつくと
繁盛店になって、仕事に追われるようになっていた。


──人知れぬ努力が実を結んだのですね。


本もたくさん読んで、
苦しい時の心の支えにしてきました。

 

 

 

 

 

 

★致知一日一言 【今日の言葉+α】2024.2.17

 

【取材手記】「ホルモンの神様」が貫いた逆境に勝る生き方

 

東京都足立区・鹿浜。JRも地下鉄もなし、
〝陸の孤島〟と揶揄される辺鄙な場所に、
世界中から注目を集める焼き肉屋があります。

店の名は「スタミナ苑」。
席数50席のいたって平凡な店構えですが、
驚くのはその行列です。
2時間待ちは当たり前。
長い時は4時間を要するほど。
何しろ予約は不可で、
総理大臣や芸能人であっても
並んで入店すると言います。

今回取材をさせていただいたのは、
「スタミナ苑」の看板・ホルモンを担当する
料理人の豊島雅信さん。人呼んで〝ホルモンの神様〟。

豊島さんは、まだホルモンが
市民権を得ていなかった50年前から、
ホルモンの可能性を見出し、
最高の味を追求してきました。

取材を行ったのは、定休日の夕方。
いつもの如く、豊島さんは翌日の営業に向けて
仕込み作業を行っていました。
そんな中行なわれた取材は、
椅子に座って、ではなく、仕込みと同時並行。
氏はこちらの質問に応じながらも、
淡々と仕込みを進めていきます。

厨房に立てば一時たりとも無駄にしない。
そこに豊島さんの仕事への姿勢が垣間見えます。

「開店日は昼過ぎから朝の5時まで18時間、
ぶっ続けで店に立ちっ放しだ。
それでいまではスープの沸騰する音を聞いただけで、
出来具合が分かる。調理場にいながら電話で話し、
お客さんの声も聞こえる。従業員に指示もできる。
プロはそれが当たり前にならなきゃ駄目なんですよ。」

普段、仕込みの時間にはラジオや朗読を聴いて、
人間性や教養を養う勉強をすると言います。
手と視界は塞がっていても、耳は空いている。
豊島さんにとっては
どの瞬間も無駄が許されない真剣勝負なのです。

さて、豊島さんはどのような経緯で
スタミナ苑の職人となったのか。

「僕は鹿浜の肉屋のせがれとして生まれました。
4人兄弟の……

☆この続きはWEBchichiにて公開中。ぜひご覧ください!
詳細はこちら 

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空にうっとり&今日の母

2024年02月16日 22時11分30秒 | 自然

 今朝は「お~い」と呼ぶ母の声で目が覚めました。

時計を見たら、何と6時17分だったのでびっくり

こんな時間まで寝ているなんて驚きました。

母がいると責任も増しますが、人けがあり安心したのでしょうか

本当に慌てました~

朝は痰も絡み喉が渇くようです。

その後、バタバタと準備しました

 

 

 

 

 今朝の果物

ゴミを捨てに行ったり、お洗濯物を干す時に空を見上げると、今日は一層美しくって

 

このレースが大空に舞い上がったような飛行機雲。

雲の流れがとても速かったのでひるがえったのでしょうか

 

天女の羽衣のようでもあり、京都あたりの川で洗っている染物のようでもあり、レースのリボンが大空に舞い上がっているかのようでもあり。。。

 

 

そして、ふと見ると雲の中にブルー系の彩雲が

ここからは肉眼でははっきり見えましたが、カメラでは限界がありますので極彩色で4枚は撮影。

 

すぐに消えていきましたが、美しい青色系のキラキラとした彩雲でした。

 

雲が本当に綺麗でした。

朝はよく晴れていましたがすぐに曇ってきました。

 

お花達も雨上がりで生き生きとしています。

空もお花も美しい

 

 

 

 

家の中のお花も綺麗に咲いています。

桜も一気に咲き始めました。

 

 

髪のブラシがちょうど欲しいと思っていましたので、先日、美容院で注文していたところ、キャンペーン中だったようで、トリートメントと同じ素材で出来た櫛もプレゼント

このブラシはとっても気持ちがよくて頭皮がマッサージされて肩こりにもいいみたい。

とにかく気持ちがいいです

マッサージ効果大。

頭って意外に凝っているのですよね。

これでブラッシングすると髪もふわっふわになり軽くなります。

 

 

 今日の母は調子は悪くないと思うのですが、朝から変顔

ヘルパーさんが「最近安定していいですね」と言われましたが、母は「もう終わりみたい」と言いました。

昨日、あんなに元気だったのに一体何を言う

客観的に見ていて、バイタルもよく、口を触る回数や時間も減っています、今日は。

やはり、エンシュア効果かも。

薬剤師さんが言われていましたが、本当に体重も増え、調子が良さそうです。

調子が悪くても以前ほど悪くないと私には思えます。

食事には気を付けていますが、それでもエンシュアによって消化されやすく、微量栄養素も行きわたっているのではないかと思えます。

今日は眠り姫状態の時間が多かったのですが、看護師さんもリハの方も「健やかな穏やかな寝顔ねえ」と。

次のショートはクリニックなのですが、リハの方が「次は私の担当が2回あるよ~」と言われました。

彼女は在宅専門ですが、今、インフルエンザとコロナの罹患スタッフが多く、デイや病棟の人手が足りないので応援に行くそうです。

それを聞いて母は「もう会えんかもしれない。。。」と言いました。

でも、前ほどは悲壮ではない気がするのですが。。。

今日は朝はパンを食べましたが、フルーツジュースは飲まずお味噌汁を飲むと言ってくれて少し飲みました。

その後早めにベッドへ行き、深い眠りへ。

お昼ご飯にお芋ご飯と鯖の味噌煮、ほうれん草のソテーと具沢山の牛肉の野菜炒めを作っていましたが、結局、食べず。

その代わり、喉が渇くようでエンシュアを3本も飲みました。

お薬はヨーグルト、生クリームをたっぷり入れたコーヒーゼリーに混ぜて飲ませました。

エンシュアは私の中ではあくまで補助飲料なのですが、母は皆がいいと言うので努めて飲んでいるのかもしれません。

 

 

 

 

 

★致知一日一言 【今日の言葉】2024.2.16

 

人間形成の原点となる三原則

 

一、朝のあいさつ人より先に
二、「はい」の返事
三、履物を揃える。立ったらいすを入れる

──森信三先生が提唱された躾の三原則

━━━━━━━━━━━━━━
福永道子(実践人の家元副理事長)
○『致知』2024年3月号【最新号】
特集「丹田常充実」より
━━━━━━━━━━━━━━

●立腰教育や躾の三原則など、
人育ての神髄ともいうべき実践的な訓言によって、
没後30年以上が経ったいまも
多くの人を導き続けている教育者・森信三師。
若き日にその謦咳に接し、
半世紀にわたり教えを実践してきた福永道子氏に、
恩師との心温まる思い出を語っていただきました、
こちらから

 

 

 

 

 

 

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『スローターハウス5』ニヒリズムと時空の超越


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こんにちは。バラ十字会の本庄です。


━…………………━

文章を以下に転載していますが、初版本の表紙、著者の独特な風貌など、興味深い写真がいくつか掲載されていますので、下記のリンクをクリックして、公式ブログでお読みください。

https://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M1102924&c=3304&d=ed84

━…………………━


東京板橋ではこの2日ほど強い風が吹き続けています。

春一番ですね。昨日は気温が20度になり、季節外れに暖かい一日でした。


いかがお過ごしでしょうか。



今回は、当会の公認インストラクターであり私の友人の森さんが、なかなか「議論のある」本についての文書を寄稿してくださいました。


それは『スローターハウス5』という題のSF小説です。

1969年の初版の発行以来、現在に至るまで、生徒に悪影響を与えるという理由で図書館や学校からの排除を求める訴訟が米国で何度も起こされています。


1972年には映画化がされ、カンヌ国際映画賞やヒューゴ賞など、数々の賞を取っています。



文芸作品を神秘学的に読み解く42

『スローターハウス5』(Slaughterhouse-Five, or The Children's Crusade: A Duty-Dance With Death) -カート・ヴォネガット・ジュニア著

森和久


◆ 検眼医ビリー・ピルグリムとドレスデンの爆撃

これはビリー・ピルグリムの一生を述べた小説です。

彼は1922年に理容師の一人息子としてニューヨーク州イリアム(という架空の町)で生まれ、子供たちが成人してからは退屈で何の問題もない結婚生活を送っている検眼医です。


彼は上の下の成績でイリアム高校を卒業し、検眼医になるための学生でしたが、第二次世界大戦中に徴兵され、「バルジの戦い」の時にサウスカロライナの基地からルクセンブルクの最前線に移送されました。

彼は従軍牧師助手でした。そして周りに迷惑をかけながらなんとなく生き残って捕虜になった彼は、ドイツのドレスデンに送られ、「Schlachthof Fuenf」(シュラハトホーフ=フュンフ)と呼ばれる古い屠殺場に監禁されます。

ここにいたおかげで彼は「ドレスデンの爆撃」から生き延びることができました。ここの英語名が作品のタイトルになりました。


◆ 戦争からの帰還、PTSDと暗殺

帰還した彼は今で言うPTSDの症状により入院し治療を受けます

退院後、新たに検眼医の学校に入り、校長の娘と結婚し、ビジネスで成功し裕福な家庭を築きます。


有名になった彼が野球場で演説中、戦争中のいざこざを根に持ち続けた元兵隊仲間のポール・ラザーロから依頼された暗殺者によって射殺されます。

ラザーロは、復讐は「人生で最も甘美なこと」であると言い募(つの)ります。


◆ タイムスリップとトラルファマドール星人

しかしながらビリー・ピルグリムには2つの特異なことがあります

1つは、彼は時空をランダムに行き来するのです。それも彼の意思とは関係なしに。


ですから彼は自分が死ぬ状況も、瀕死の事故に遭っても助かることも知っています。

彼が何度も戦時中にタイムスリップすることで、彼がいかに戦闘において役立たずか、いかに兵隊仲間の足を引っ張ったかを読者は知ることになります。



彼の特異なことの2つめは、彼は娘バーバラの結婚式の夜に、トラルファマドール星人に拉致され、空飛ぶ円盤に乗せられ何光年も離れたトラルファマドール星に連れて行かれ、その星の動物園で、ドーム型になった檻にポルノ女優のモンタナ・ワイルドハックと入れられ見世物にされるのです。



トラルファマドール星人は時空連続体のすべての点を同時に観察し、四次元を見ることができると説明されます。

彼らは普遍的に運命論的な世界観を採用しています。

つまり、彼らにとって死は何の意味も持たず、死について聞いたときの共通の反応は“So it goes”(まあそういうことだ)というものです。

そのため作中で生き物の死や物質の崩壊が述べられると必ず「まあそういうことだ」と付け加えられます。


◆ 時空の超越とニヒリズム

「トラルファマドールで私が学んだ最も重要なことは、人は死ぬように見えるだけです。その人はまだ過去にも生きています。」

「過去、現在、未来のすべての瞬間は、これまでも存在し、これからも存在します。トラルファマドール星人はすべてを見ることができます。」

とビリー・ピルグリムは述べています。


また、彼はトラルファマドール星人に戦争のない世界を実現する方法をたずねます。


「このトラルファマドール星も今日は平和だ。だがお前がこれまで見たり読んだりした戦争と同じくらい恐ろしい戦争が行われる日々もある。」

「私たちにはそれに対してできることは何もないので、ただ見ないだけだ。私たちはそれを無視する。」

「私たちは楽しい瞬間を永遠に眺めながら過ごすんだ。素敵な瞬間じゃないか?」

というのが答えです。



ビリー・ピルグリムが除隊後入院した病室の隣のベッドには、エリオット・ローズウォーターという元大尉がおり、ビリー・ピルグリムにギルゴア・トラウトというSF作家の諸作品を紹介しました。

ビリー・ピルグリムはその作品群を夢中になって読みあさりました

それらの作品にはトラルファマドール星人にそっくりの宇宙人が登場します。



ビリー・ピルグリムは、なぜ宗教が戦争を止められないのかもギルゴア・トラウトの作品によって諭されます。

カート・ヴォネガット・ジュニアが本作の主人公を「巡礼者」を意味する「ピルグリム」という名前にしたのもさもありなんでしょう

そして副題は子供を奴隷扱いしたという『子供十字軍』:『死との義務的ダンス』と付けられました。


◆ トラルファマドールの哲学とタイムズスクエアの電光掲示板

「この物語には明確な性格を持つ登場人物はほとんどいませんし、劇的な対決もほとんどありません。

なぜなら、この物語に登場する人々の大部分は非常に病んでいて、巨大な力に弄ばれる無気力な遊び道具だからです。

結局のところ、戦争の主な影響の1つは、人々から人間らしい性格を奪い取ってしまうことです。」と文中のナレーター、つまり作者は述べています。



そうです、この作品にヒーローはいないのです。主人公のビリー・ピルグリムは戦争映画の英雄とは真逆の存在です。

いかなる反戦思想家よりもアンチ戦争者です。ですからお為ごかしの正義漢は隅に追いやられます。

独裁者や暴君、安っぽいヒロイズムも出る幕はありません。パロディにされるだけです。

個人崇拝も否定されます。これらはトラルファマドール星人からビリー・ピルグリムが教えられた思想に基づいています。

トラルファマドール的哲学を広めることで彼はアメリカで有名になります。



ビリー・ピルグリムが逃げ出してニューヨークのタイムズスクエアで見る電光掲示板に映し出されるニュースは、「どれも権力とスポーツと怒りと死に関するものばかり」でした。まあそういうことです。


BGMには作中よりJSバッハ編曲『われらが神は堅き砦』。それとThe Stranglersの“No More Heroes”を。この曲はヒーローたちの末路を憂いています。

さらに“David Bowie”のHeroesも。この曲は「僕たちなら一日だけヒーローになれる」と歌われます、僕たちが恋人同士ならと。


△ △ △

再び本庄です。


補足ですが、この小説の一部は、作者ボネガットの実体験が元になっています。

主人公のビリー・ピルグリムではなく彼自身がドイツ軍の捕虜として、1945年にドレスデンで行われた連合国の爆撃に遭遇しています。



この爆撃は凄惨なもので、東京大空襲と同じように火災旋風が生じています。

しかしボネガットは、臨時の捕虜収容所として使われていた屠畜場(スローターハウス)の地下にあった生肉貯蔵所に監禁されていたために助かったということです。



作者が、主人公に「ピルグリム」(巡礼者)という名前を付けていることからは、ユネスコ精神の生みの親と呼ばれるチェコの作家コメニウス(ヤン・アーモス・コメンスキー)の小説『地上の迷宮』(Labyrinth of the world)が思い起こされます。


『地上の迷宮』はチェコ文学の最高傑作の一つとされていますが、この小説にはコメニウスがバラ十字思想に深い関心を抱いていたことがよく表れています。


記事:『マララ・ユスフザイさんとコメニウス』

https://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M1102925&c=3304&d=ed84



冒頭でご紹介した『スローターハウス5』の禁書問題ですが、生徒が本を読む権利を明確に認めた画期的な判決を、1982年に米国連邦最高裁判所が出しているとのことです。



下記は前回の森さんの記事です。


記事:『仁和寺の老僧の失策』(「徒然草」52段より)-文芸作品を神秘学的に読み解く41

https://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M1102926&c=3304&d=ed84



では、今日はこのあたりで。

最後までお読みくださり、ありがとうございました。


また、お付き合いください。


==============

■ 編集後記

梅が咲いています

https://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M1102927&c=3304&d=ed84

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コメント (6)
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ペインクリニックのリハ③&母が帰って来ました

2024年02月15日 21時54分50秒 | 介護

 今日は曇っていましたが、気温の高い一日でした。

最高気温は18.5℃、最低気温も8.1℃もありました。

夕方、久々の雨が降りましたが、一時的で終わりました。

樹々は喜んでいるかな~

 

 

 今朝の果物

このおみかん、「ガウディ」で買ったものですが、昨日のケーキにも使われていました。

小さいおみかんですが、とても甘いです。

 

 

 今日はペインクリニックでのリハの3回目でした。

予約制なので並ばなくていいというのは本当に楽です。

クリニックの方も予約制にして下さったらいいのにと思います。

リハは負荷をかける運動を理学療法士さんがして下さるので、運動した感があります

腹筋と太ももの筋肉を鍛えなくちゃと思います。

 帰りに河津桜の様子を見に行ってみましたが、まだちら~ほら~という感じで、まだまだのようです。

 

写真で見ると消防局のヘリコプターだったようです。

 

まだまだ冬枯れています。

 

 

 

 3時に母が元気に帰って来ました。

「お腹が空いた」ということで、いなり寿司3個をミキサーにかけたところ完食。

その後、エンシュアにバナナとみかんを入れてミキサーにかけました。

嫌にゴソゴソしているなぁと思っていたらボトルを落としてこぼしてしまいました。

そこへ、ドクターが往診に来られました。

「調子良さそうじゃね」とドクター。

頷きながら「調子いい」と母。

皆でびっくりしました

大抵そこで「よくない」と言いますので。

帰りにドクターが「いや~、今日、初めて聞いたわ」と再び言われていました

血液検査の結果、亜鉛が少なかったようで、味覚障害や口の中が気になるのはそのせいかもしれないと言われて、亜鉛が処方になりました。

ドクターが帰られる時、ここのところいつもベッドに寝たままでしたが、今日は立ち上がって窓ごしに手を振りました。

ここまでは私もさほど驚かなかったのですが、お台所で何かをしていて、やけに音がすると思って振り返ると何と母が靴を履いて手すりを持ってこちらの方に来ようとしていました

何とまあ、危ない

ソックスに滑り止めはついているものの滑るからわざわざ靴を履き、和室へ行こうとしたようです。

どうしても掛け軸が気になって今日は調子がいいから見に行こうとしたようです。

「皆さんが紫式部を褒めて下さっていたよ~ 次は清少納言を飾るね」と話したからなのかどうなのか、でも、一番気になって行きたい場所はいつも和室。

先週も言っていましたが、元気がないから行けませんでした。

段差もあり少なくとも3つの部屋を通り過ぎないといけませんし、途中、手すりもないです。

「転んで骨折したら又、入院になるよ」と言うと諦めて戻りました。

ほっ。

全く元気なのは嬉しいのですが、油断も隙もないです。

リハの方が来て下さっている時に元気なら、運動やリハを兼ねて行くことも可能なのですが、リハの時間(金曜日の午後4時から)は大抵調子が悪いです

 

 

 

 

 今朝、他の方のブログを拝見していたら虹の写真をアップしていらした方がいて、それを見た途端、夢の中で虹を見たことを思い出しました。

夢なんて見ていないと思っていましたが、見ているようです。

何ともおめでたい夢でした。

たまに自分の笑い声で目が覚めることがあります。

何ともおめでたい私です。

 

 

 

 

ところで、今日しみじみ思ったことは、人生には失敗はない。ただ体験、経験があるだけということです。
 
 
 
 
 
 

★致知一日一言【今日の言葉】2024.2.15

 

『論語』が教える「君子」と「小人」の違い

 

君子は諸(これ)を己に求む
小人は諸を人に求む
━━━━━━━━━━━━━━
東洋古典『論語』
○月刊『致知』2024年3月号
連載「四書五経の名言に学ぶ」【最新号】より
━━━━━━━━━━━━━━

●『論語』の「衛霊公第十五」に出てくる名言です。

「小人は何事も他人の力を期待し頼りにして行う。
これに対して君子は、何事も他人の助けを頼りにせず
自力を尽して行う」といっています。

「吾(われ)少(わか)くして賤(いや)し」と
『論語』で告白している孔子の幼少期は、
決して恵まれたものではなく、
春秋時代の荒れ狂う戦火の巷を、
早くに父親を亡くし、母親を助けて暮らしました。
貧しくやるせい毎日であったことでしょう。

しかし、何事も自分で行うという
「自立の精神」はその頃に培われたもののようです。
この「自力主義」ともいうべき心構えの重視は、
しばしば『論語』にも登場する孔子らしさの一つであります。

さて、今回この名言を取り上げたのには、
少々訳があります。……

※以上、本文の引用です。続きは誌面でお読みください

●東洋思想研究家・田口佳史氏による
好評連載の魅力はこちらから

映画会社に勤めていた20代の頃、
とある事故により瀕死の重傷を負うも、
病床で『老子』の教えに救われ、
以来古典を愛読し続けてきた田口佳史氏。
これまでに、東洋思想とリーダーシップを
約2,000社以上の経営幹部に平易に説き明かし、
メンターとして多くの人に仰がれています。

『致知』ではそんな田口氏に、
東洋古典の中核をなす九つの経典「四書五経」より、
心に刻みたい名言を抜き出して
毎月解説いただいています。
2,000年以上の時の洗礼を経た珠玉の言葉を通じて、
人間の芯を養いたいものです。

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