祈り(老人の友人に対する至福 Bless for an old man's friend)

2024年03月23日 21時41分30秒 | 介護

 よく降っています。

まさに催花雨です。

 

 

 今日の果物

 

 昨日もだったのですが、今日の母も朝一は「助けて~」「息が出来ない」と言って目覚めました。

すぐにそばに行かなかったり、「ちょっと待ってね」と言ったり、その場から離れようものなら、何とも切なく泣きます。

多分、泣いている気がするのですが・・・。

「あ~~~」とくしゃくしゃな顔で言います。

ヘルパーさんが来られた時も同じように訴えます。

バイタルはいいのですが、本人は息が出来ずに死ぬような気がするのだと思います。

こういう状態が一日続く時もありますが、昨日、今日は朝食の途中から回復し、11時頃までは調子よく過ごせました。

でも、その後は又、ダメ。

そして、とにかく痰や唾液が気になるようで、ティッシュでずーっと何度も何度も舌を拭くので、舌も痛くなるに決まっています。

どんなに気を逸らせようとしてもダメです。

この行為はもう強迫神経症的です。

びしょびしょの紙が散乱しますが、投薬の後はオレンジ色に変わった紙があちらこちらに付いて染色。

洗っても取れなくて・・・

これが1週間ずっと続くと私までノイローゼになってしまうかも。

私の顔も一日でエネルギーが欠乏して疲れた顔になるようです。

肉体的にではなく精神的に疲れるのだと思います。

ドクターもあれこれ試して下さっています。

亜鉛の欠乏かもと言われて亜鉛が処方されたり・・・

安定剤も何回か処方されましたが効果なし。

今回の往診で、母によく効いた安定剤があるのですが、それを使うように言われて、木曜日に使ってみましたが半錠でも眠くなってしまいました。

ですから、昨日は飲ませませんでしたが、今日は看護師さんが居て下さった1時間半の間もずーっとそうでしたので、安定剤を飲ませてみるように言われました。

やはり眠たくなってしまったようで、寝てしまいました。

こうなるとお薬が非常に困ります。

何とか起こして飲ませますが、断固拒否をするようになりました。

お薬は嫌がらないで飲んでいましたが、昨日も嫌がり、今日も手で何度も拒絶

この拒絶の力にはすごいものがあります。

でも、パーキンソンが悪化しては困りますので、お薬は飲まないとダメと何度も言ってやっと飲んでくれましたが、後で出そうとしたり、出てしまったりという時もあり、最近ではお薬を飲ませるのが本当に一苦労です。

大体ヨーグルトに混ぜて飲ませていますが、味覚が無くなったはずが味が変わったことがわかるようになりましたので味覚が戻ったようです。

看護師さんに「はぁ。。。病気を持って年を取るということは本当に大変です」と言いました。

母が友人への手紙に書いた言葉のように「辛い最後になった」とつくづく感じる時です。

老いていなくても、病気があると生きることはそれだけで大変で辛いと肉体を持っていると思います。

決して私は悲観主義者ではないのですが

「悲観は気分に属するが、楽観は意志である」"Pessimism is due to the mood, optimism to the will.という言葉があります。

私は愛も意志だと思いますが、楽観も確かにそうですね。

中学生の頃に出会った言葉

楽観主義者とは

どこもかしこも

ひどいことだらけだが

ここはまだいい

私たちは運がよかった

と言う人のことだ

現状に満足し

いたずらに嘆かぬ人のことだ

(ソルジェニーツィン)

 

この言葉は「しあわせ」という女子パウロ会発行の小さな本の中に書かれてありました。

その他にも

 

自分が幸せかどうか問わなくてよい

しかし、あなたとともにいる人が

しあわせかどうかは問うがよい

 

 

報いを求めない奉仕は

人を幸福にするだけでなく

私たち自身をも幸福にする

(ガンジー)

 

 

寝床につくとき

翌朝起きることを

楽しみにしている人は

幸福である

(ヒルティ)

 

 

喜んで行い

そして行ったことを喜べる人は

幸福である

(ゲーテ)

 

 

幸福な人間は常に善良である

(ドフトエフスキー)

 

 

人生のほとんどすべての不幸は

自分に関する事柄について

誤った考え方をすることから生じる

出来事を健全に判断することは

幸福への大きな一歩である

(スタンダール)

 

 

幸福になる本当の秘訣

それは現在に生きること

いつまでも過去のことを悔やんだり

未来を思いわずらったりしていないで

今この瞬間から

最大限の喜びをさがすこと

(ウエブスター)

 

 

人生最上の幸福は

自分自身のいかんにかかわらず

愛されているという確信である

(ユーゴー)

 

 

ひとつひとつの

小さな歩みは

ひそかな心のよろこびとなる

 

 

幸福になろうとするなら

自分を捨てて

他人の幸福を願うことだ

(ラッセル)

 

 

最もすぐれた人びとは

苦悩を突き抜けて

歓喜を獲得する

(ベートーヴェン)

 

上智大のアルフォンソ・デーケン神父が「ユーモアとは、にもかかわらず笑うこと」と言われています。

これはドイツ語で”Humor ist, wenn man trotzdem lacht.”

やはり、ここでも意志なのかなと私はこの言葉を捉えています。

神父様は「生と死の教育」(2001)の中で、「私はいま、苦しんでいる。 だが、それにもかかわらず、相手に対する思いやりとして笑顔を示す」ことである、と述べておられるようです。

 

意志とはある意味で、「抗う」ことですね。

何に「抗う」かというとやはり、己れです。

いつの間には我が家の八重の椿が咲いていました。

 

紫陽花も

 

カットしていたペチュニアもいつの間にか咲いていました。

 

話が又、脱線してしまいました。

とにかく、辛いのは母ですし、母の年齢になって同じ体験をしないことにはその本当の苦しみを私はわかることは決して出来ないことだけは確かです。

ここは私も忍耐(意志)を持って母に接していかなくてはと思います。

 

 

 

 

 

 祈りを込めて・・・(このようであれたらいいのですが。。。自分への戒めです)

 

老人の友人に対する至福 Bless for an old man's friend

 

私のよろける足どりと、ふるえる手を、理解してくれる人は幸いです。
Blessed are the people who understand my staggering foot and my hand's trembling.

 

私の耳は、人のいう言葉を聴きとるためには、大きな努力が必要であることをわかってくれる人は幸いです。
Blessed are the people who understand that great effort is necessary to hear the words of other people.

 

私の目はうすくなり、私の行動はのろいということを善意のうちにわかってくれる人は幸いです。
Blessed are the people who understand in good faith that my actions are slow and my eyes are growing thinner.

 

私がコーヒーをこぼしても、かわりない平静な顔をしてくれる人は幸いです。
Blessed are the people whose calm face does not change even though I spill my coffee.

 

しばらく立ち止まって、明るくほほ笑みながら、おしゃべりをしてくれる人は幸いです。
Blessed are the people who stop for a while and talk with a bright smile.

 

「今日はその話を二度も聞きましたよ。」と、決して言わない人は幸いです。
Blessed are the people who never say "I heard that story twice today."

 

楽しかった昔を取り戻す方法を、知っている人は幸いです。
Blessed are the people who know how to bring back the joy from long ago.

 

私が愛されており、ひとりぽっちでないことを、教えてくれる人は幸いです
Blessed are the people who taught me that I am loved and not alone.

 

私には十字架を荷なう力がないことを、わかってくれる人は幸いです。
Blessed are the people who understand that I am not strong enough to carry the weight of the cross on my shoulders.

 

愛情深く、人生の最後の旅路の日々を、なぐさめてくれる人は幸いです。
Blessed are the people who will with love celebrate the last days of my life's journey.

 

 

<老人の友人に対する至福 (幸いな人)>
(桐生聖フランシスコ修道院 ブレビアン・ウォルシュ神父作)

(Written by Kiryu St. Franciscan Monastery Fr, Brevian Walsh)

 

(英訳は私ですのでおかしい部分があるかもです)

 

 

 

 

 

★致知一日一言 【今日の言葉】2024.3.23

 

あわてて取り乱しては何もない

 

伊豆は無常である。
いつ起きてもわからない。
あわてて取り乱しては何もない。
自分の心に静かに落ち込んで
θる習慣を身につけることだ。
━━━━━━━━━━━━━━
横田南嶺(臨済宗円覚寺派管長)
○月刊『致知』2024年月号
連載「禅語に学ぶ」【最新号】より
━━━━━━━━━━━━━━

●横田南嶺師が禅の教えを
わかりやすく伝える好評連載「禅語に学ぶ」を公開。
その魅力、紹介はこちらから

●臨済宗円覚寺派大本山円覚寺。
730年余の歴史を有する鎌倉の名刹です。
本連載では、
若くて管長を勤務している横田南嶺老大師に、
20代から頑張って来た修行体験や
先師からの学びをもう一度、
奥深い「禅語」の世界を
毎月紐解いていただきます。
その一言一句が、この混迷の世に与えられた命を
精いっぱい輝かせて生きるヒントとなります。

コメント (2)
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