細田暁の日々の思い

土木工学の研究者・大学教員のブログです。

真の理解

2012-01-15 13:02:48 | 人生論

「無知の知」とは良く言ったもので、人間とは本当に、知らないことだらけです。

先ほど読み始めた「シャーロック・ホウムズの冒険」もあまりにも面白くて困っておりますが、「見ることと、観察することは違う」とのホウムズの言葉です。研究指導をしていると、学生が見ているつもりでも、実際には全く観察できていないことがしばしば。

ユリウス・カエサルは、「人間は自分の見たいものしか見えない」ところを、「人の見たくないところまで見通して」帝政への舵を切った人です。

さてさて、我々凡人は、どこまで自分のことを知っているでしょうか。年を重ねるほど、自分のことを、もしくは自分との付き合い方を深く知っていくのかと思います。私もまだまだ自分のことについて知らないことだらけ。知るのは、トラブルに遭遇したとき、がほとんどです。

約10年前に自身との折り合いを付け始めたのが、歯の健康。約6年前にほぼ付き合い方を確立し、ここ10年近く、歯医者のお世話になることがほぼゼロ。今は、自身にできるベストと思われることを日常では実施しているので、定期的に検診してもらうことを付け加えていこうと思います。

今年の年初からの肩痛をきっかけにハイレベルの整体と出会い、考え方が大きく変わりました。自身の体をもっといたわらないと、長い年月にわたってハイパフォーマンスを維持することはできないと悟りました。今後のためにとても大きな転換点だったと思います。

食生活や歩行などの生活習慣は以前に大きく見直しています。

タバコは6年前に完全に絶ちました。

脳みそも体も、とても酷使しているので、適切にいたわらないと、長持ちしません。国家的なインフラの長寿命化を目指す研究者、技術者が、自分の体を適切にメンテナンスできなくては説得力が全くありません。

古代ローマのようにインフラ(ハードもソフトも)を長く機能させるためには、国家が強い意志を持ち、尽力しないといけません。

我々が自身の肉体、精神を長く健全に保つためには、自身が強い意志を持って、努力しないと達成できません。

古代ローマのインフラは何のためにあったか。人間が人間らしく生きるために必要不可欠な大事業でした。

我が肉体・精神の健全は何のためにあるでしょうか。

結局、人間とは、生きていく過程で、特に老いながら、自分自身に対して真の理解を深め、それを社会に還元すべきなのかと思います。