民話 語り手と聞き手が紡ぎあげる世界

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「ネット通販」 マイ・エッセイ 16

2015年10月26日 00時06分03秒 | マイ・エッセイ&碧鈴
 「ネット通販」
                                            
 今までいろいろな趣味に手を出し、さまざまな習い事に首を突っこんできた。そして、そのたびにあっちこっちの本屋に顔を出しては、入門書や上達本を買いあさった。
 凝り性なのか、負けず嫌いなのか、人に聞いたり、教わったりするのがイヤな性質なのだろう。からだで覚えるより、本を読んで覚えるやり方をずっと通してきた。
 小遣いのほとんどは本代に消えていった。
 現役を退いてからは、自由になる金も少なくなり、もっぱら図書館を利用するようになる。読書の幅が段違いに広がり、量も桁違いに増えた。  
 パソコンでキーワードを検索する。関連本が(こんなにあるのか)と驚くくらい出てくる。市にある全部の図書館がわたしの書庫のようなものだ。その中から、インターネットで調べて、よさそうな本を選んで予約する。図書館で本を探すことはほとんどない。
 借りてきた本が、ハズレでつまらなければ読まないし、アタリでおもしろければ読む。そんな読み方を五、六年続けてきた。
 ところが、つい最近のこと、とうとう禁断の果実を口にしてしまった。
 中古本のインターネット通販だ。
 たいがいの本が一円で買えてしまう。配送料が別にかかるが、それでも三百円でお釣りがくる。その安さに自制心を失って、買いまくるようになった。
 わたしは本を読むとき、できれば赤鉛筆で線を引いたり、書き込みをして読みたい。図書館の本ではそれができない。それで気に入った本はつい買ってしまう。
 どうせ買っても、また捨てるだけじゃないか。だいぶ前に、買い集めた本を大量に処分したことを思い返し、注文をためらう。そんな時は(コーヒー一杯飲んだつもりで)と言い聞かせ、(エイッ)と決心をつける。 
 せっかくすっきりした本棚に、また本がたまっていくのを見て、自分に問いかける。 
 コーヒーは飲んでしまえばそれで終わり、あとが残らない。本も同じようになぜできない。
 一度読んでしまえば、どんなにいい本だって、すぐには読まない。捨ててしまえ。捨てられないんだったら買うな。また読みたくなったら、コーヒーをお代わりするように、また買えばいいじゃないか。


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