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「悠日」でライブ

2018年04月28日 23時06分58秒 | ギター日誌
 「悠日」でライブ

 今日(27日)は「悠日」でライブだった。
ランチを食べながらの音楽交流会だ。
美空ひばりの「津軽のふるさと」を弾こうとずっと練習していた。
最初のトレモロになかなか自信が持てず、まだステージで弾けるレベルには達していないと判断。
急遽、他の曲を探していて選んだのは江部賢一の「エターナリー」
これなら前にライブで弾いたことがあるし、ちょっと練習すれば大丈夫だろう。
もう一曲は映画音楽つながりで「ひまわり」にする。
こちらも前にライブで弾いた後、だいぶ易しい運指に変えて、ずいぶん楽に弾けるようになっていた。

 今日は、考えがあって、椅子に座って弾くつもりで譜面台と足台を持っていった。
お店に着いて(一番乗り)舞台を見ると、しゃれた丸テーブルが置いてある。
あれに譜面をのせて弾けば、「カフェ」で弾いているようでいい感じじゃないか、
さっそくセッティングして弾いてみると、なんとかなりそうなので、このスタイルで弾くことに決める。

 迎えた本番、一番先に弾くことになった。
今日は響きを楽しんで弾こう、気持ちに余裕があった。
膝を組んで弾くのに違和感があったが、なんとなく緩い感じのスタートだったので、
気にしないで「エターナリー」から弾き始めた。
弾いてみると、最初からつまづき、その後はミスってばかり。
これじゃ、さすがにひどい。
途中で最初から弾き直そうか、いや、それはまずいと心の葛藤があったが、
音楽は始まったら止まっちゃいけないの意識が勝った。
緊張しているのではない、気持ちはいたって冷静。
楽譜は見えていたはずなのに、見えていなかったとしか思えない。
練習では考えられないところでミスの連続。
いや、ああいうのはミスと言わないか。
それ以前の、発表会での初心者のような演奏だった。
あんまりひどい演奏なので気が動転したのか、最後まで平静さを取り戻せなかった。
「ひまわり」は「エターナリー」ほどはひどくなかったけど、
「エターナリー」のひどさが後を引いていた。

 演奏の完成度を100%とすれば、練習の段階では90%くらいはいっている。
本番では練習の70~80%でしか実力を発揮できないとすれば、
60~70%で弾ければ御の字(上出来)だろう。
その伝でいけば、今日の出来は「エターナリー」は30%、「ひまわり」は50%というところか。

 今日は主演者が少なかったので二巡することになった。
「よしっ、リベンジだ」
今度はいつものようにあぐらで弾いた。
それが功を奏したのか、さっきとは打って変わってリラックスして弾けた。
「エターナリー」「ひまわり」のどちらも80%くらいで弾けたんじゃないか。
練習で弾けるパフォーマンスにかなり近い演奏ができた。
よかった、これで最初のひどい演奏の後を引きづらないですむとホッとする。

ライブが終わってやっと束縛から解放される。
ライブの一週間くらい前から、ライブで弾く曲の練習をしなきゃという強迫観念があって、
新曲が弾けない、本が読めない、映画が観られないなど、いろいろと制限される。

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