ボツネタでも紹介されていた、『高学歴ワーキングプア』(水月昭道著、光文社新書、2007年)の紹介です。
文部科学省から平成16年に発表された、日本の大学院博士課程修了者の進路については、「死亡・不詳の者」がなんと11.45%にのぼるそうです。
博士課程修了者の就職率は、医学や薬学など、修了が仕事に直結している分野を除くと、文系と理系を合わせた平均が約50%。さらに人文・社会系では就職率が35%程度しかなく、「死亡・不詳の者」も約19%という危機的状況で、フリーターや無職となる「博士」が激増しており、自殺者や行方不明者も少なくないそうです。
著者は、九州大学大学院博士課程を修了した人間環境学の「博士」で、大学の非常勤講師の仕事をしているそうですが、任期満了後の仕事は決まっておらず、周囲でも「仕事、見つかりましたか?」が挨拶代わりとなって久しいそうです。
この本は、博士過程卒業者がこのような状態になってしまった原因を、文部科学省の大学院重点化政策などに絡めて探求しているものです。
このブログでこのような本を紹介すると、暗に法科大学院のことを言いたいのかと言われそうですが、実は暗にではなく、この本自体でも法科大学院のことについて言及されています(140頁以下)。
全文の引用は避けますが、要するに近年、法科大学院というものが、全国の大学に雨後の筍のように設置されているが、卒業後の新司法試験は5年間で3回しか受験できず、しかも受験者の半分以上は落ちる試験であるため、「法務博士」の学位はもらえても、現実にはただの人というしかない「ノラ博士」が大量生産されることは避けられない情勢となっている。
多くの時間とお金、そして税金をかけて、どこにも活躍の場を求めることが出来ない、高学歴無職者をまたもや生産しようとしている、こんなことは無駄以外の何ものでもあるまい、そんな論調です。
ここまでは黒猫も全面的に賛同できるのですが、その先の記述は、法律関係の仕事をしていない方の記述であるため、若干物言いを付けざるを得ないところがあります。それを含めて、関連する問題点を2つほど取り上げてみます。
1 ノラ博士は弱者を救えるか?
書籍では、ノラ法務博士の問題に関する解決策のヒントとして、I氏の例を挙げています。ただし、I氏は、大学院博士課程を修了し「法学博士」の学位を受け、大学の研究員となっている准「ノラ博士」で、収入は手取り月15万円くらい、専任教員になれる見込みは今のところほとんどないそうです。
I氏は、研究員としての任期が切れる来年以降の生活を見据え、障害者の係争支援に取り組もうという構想を練っているそうです。法律用語は複雑で難解であり、弁護士の言葉を理解することができないことも多々起こるが、弁護士は仕事が忙しいので、クライアントでもそうした言葉の解説をお願いするのは憚られる、そこで「私は、その仲介をしてみたいのです。」
ということらしいです。
まあ、その心意気は立派といえるかも知れませんが、I氏がターゲットと目論んでいる精神障害や知的障害がある人たちというのは、例え弁護士が時間をかけて懇切丁寧に説明しても、通常難しい話は理解できない人たちですよ。同様の問題がある人たちには判断能力の衰えている高齢者も挙げられますが、そうした人たちは難しい話どころか、地震の場合は火災保険がおりないという程度のことも、いくら説明しても理解できなかったりします。
また、精神状態は普通の依頼者でも、何を言いたいのかさっぱり分からない人というのは結構少なくありませんから、精神障害者や知的障害者となると、話を聞いてそれを法的な意味で理解すること自体至難の業だと思います。
現役の弁護士(しかも現にそうした事件を半ばボランティア的にやっている人たち)でも難しいことなのに、大学で論文を書くための机上の学問ばかり続けてきた人たちに、果たしてそんなことが出来るでしょうか。
しかも、精神障害者や知的障害者は、決しておとなしい人たちばかりではありません。隣の家から電波が降ってきたとか、ある大企業が様々なところに手を回して自分を陥れようとしているとか、わけのわからない理由で刑事告訴をしたり、民事訴訟を起こしてきたりします。
黒猫自身も、以前受任した事件の依頼者が(病気かどうかは分かりませんが)訳のわからないことを言う人で、それでも言っていることの中には法律上理由がなくはないものも含まれていたので、とりあえず何とか保険会社相手に訴えを提起するところまでは行ったのですが、その途中で証人を何人にするかという話でもめて、いきなり解任されたということがあります。
そのときは、単に黒猫が若すぎる云々といった理由だったので、まあ恨まれずに手を引けてよかったかと思っていたのですが、その翌年になると、なぜか黒猫がその保険会社に「買収」されたことにされて、民事訴訟2件と懲戒請求を起こされてしまいました。
懲戒請求はもちろん不処分で終わり(ただし、日弁連に異議申立てをされた)、訴訟も1件は第一審が終わり(もちろん請求棄却)、今控訴審の手続き中ですが、もう1件はこれから始まったばかり。負けることはまずないでしょうが、応訴するだけで結構大変です。
そういった精神障害者相手の法律相談などは、業として行ったら弁護士法違反になってしまうので、その点をどのようにクリアするのかという問題はありますが、仮にそれをクリアできたとしても、そのような仕事で食べていくのはまず不可能ではないかと思います。食べていくどころか、ほとんど一文の利益にもならない挙げ句、逆に紛争に巻き込まれたりするのが落ちだと思いますよ。
I氏は研究者コースの「法学博士」ですが、「三振」した「法務博士」にも、おそらく同じようなことが言えると思います。
2 法務博士の行き場はあるか
こういう話をすると、法科大学院の関係者には「司法試験の合格者をさらに増やせばいい(増やすべきだ)」という議論をする人たちが出てきます。
しかし、現行制度は、司法試験合格後に1年間の司法修習があるので、司法修習の定員以上に合格者数を増やすことはできません。
なら「司法研修所をもう1つ建てればいい」という議論をする人もいますが、司法修習の定員が行き詰まっているのは、司法研修所の集合研修ではなく実務修習であり、特に弁護修習が既に地方の弁護士(会)にとって過大な負担となっていることは以前書きました。このような状況で司法研修所だけ増設しても、全く意味がありません。
そうすると、さすがに法科大学院関係者も現実は分かっているらしく、法科大学院を卒業しただけで(あるいはその後簡単な試験を通過しただけで)直ちに弁護士資格を与えよといった暴論を言う人はさすがにあまりいないようですが、その代わり法科大学院卒業者に「弁護士試補」の資格を与え、その後は現役の弁護士の下で働き実務指導を受ければよい、などと主張する人はいます。
しかし、そういった実務経験制度は、税理士や社会保険労務士の資格などでも採用されてはいるのですが、実態は資格だけ取ってもなかなか就職先がなく(これらの士業では、一般的に小さな事務所では有資格者が1人いれば十分なので、新規合格者の需要はあまり無いようです)、結局は実務経験に代わる研修を受けさせて資格登録をさせざるを得ない状況になっているようです。
そして、「弁護士試補」にも似たようなことがいえます。弁護士の仕事を補助する仕事は、必要なところは既に事務員を雇っていますし、年間何千人も粗製濫造された「弁護士試補」を雇うような需要はありません。新人弁護士の需要でさえ、年間1500人程度で限界に達しているのに、一人前の弁護士にするまで非常に手間のかかる「弁護士試補」では、需要はさらに低くなるでしょう。
また、仮に事務員として採用されたとしても、法律事務所事務員の待遇は、一般的にかなり悪いですからね。法律事務所職員の労働組合みたいな組織があって、事務員の給料を最低月18万円にすべきだなどと主張していますが、裏を返せば、現状では月収18万円を大きく下回る給料しかもらえない事務員も少なくないということです。
そして、企業での評価は、現状でも新人弁護士に対する企業の需要は極めて低調で、新司法試験に合格して就職しても普通の院卒待遇がよいところといった感じのようですから、新司法試験に何年挑戦しても受からない人や、新司法試験による能力担保すら廃止した法務博士(弁護士試補)では、おそらく企業の需要はほとんど望めないでしょう。
おそらく、法科大学院は他の大学院と同じように、「ワーキングプア高学歴者」「ノラ法務博士」を大量生産することになると思いますが、こうした法科大学院には国から多額の助成金が支給されており、まさしく税金の無駄遣いです。
また、最近の大学院では、極めて待遇の悪い非常勤職員が授業の多くを担っているそうですが、仮に法科大学院でも似たような状況が起こっているのであれば(米倉教授の本を読んでも、実際そのような形跡はありそうですが)、そのように貧弱な教育組織しか作れない法科大学院に法曹養成の「中核機関」という大任を担わせることは、不相当というしかないでしょう。
こうした諸悪の根元は、まさに法科大学院やその制度を作った人たちにあり、新司法試験の合格者数のせいにするのは、問題の本質を見ない責任転嫁に過ぎず、実際何の解決にもなりません。
余談ですけど、最近鳩山法務大臣や、自民党法務族の議員さんたちが、合格者数3000人構想の見直しを(合格者数を下げる方向で)考えているそうですが、もともと自民党の法務族議員達は、司法試験法改正などの法案提出段階から法科大学院構想に批判的で、「一発試験のどこが悪いのか」「法案提出を1年先送りにすべきではないか」などと異論が相次いだところ、司法制度改革審議会で決まった方針だから何とか法案を通さなければならないとの使命感に燃えた法務省の官僚たちが必死に説明して、何とか法案を通してもらったという経緯があります。
そのため、法科大学院構想が必ずしもうまく行っていない現状で、自民党の法務族議員から見直しの声が出てくるのはごく自然な話で、別に弁護士のロビー活動が原因ではありません。
なお、来月には新60期の二回試験の結果が出ると思います。これまでの司法試験合格者とは全く違うプロセスを経てきた人たちが受験するので、合格率の予測は非常に難しいのですが、約1000人の新60期のうち、不合格者が数十人程度かそれ以下にとどまるのであれば、まだ何とか法科大学院制度は存続できるでしょう。
しかし、もし不合格者が3桁、特に200人を超えるような事態になってしまったら、法務族の議員達も怒り出すでしょうし、来年の日弁連会長選挙でも、現執行部の威信が低下し、司法制度改革の全てに反対する過激な主張をしている候補が勝ってしまうかもしれません。
また、新司法試験合格者には、二回試験すら通過できない水準の者が多いとなったら、法律事務所からの求人はさらに減るでしょうし、企業内弁護士としての就職など夢のまた夢です。そうなったら、もはや法科大学院はお終いでしょう。
新60期の責任は重大ですね。
文部科学省から平成16年に発表された、日本の大学院博士課程修了者の進路については、「死亡・不詳の者」がなんと11.45%にのぼるそうです。
博士課程修了者の就職率は、医学や薬学など、修了が仕事に直結している分野を除くと、文系と理系を合わせた平均が約50%。さらに人文・社会系では就職率が35%程度しかなく、「死亡・不詳の者」も約19%という危機的状況で、フリーターや無職となる「博士」が激増しており、自殺者や行方不明者も少なくないそうです。
著者は、九州大学大学院博士課程を修了した人間環境学の「博士」で、大学の非常勤講師の仕事をしているそうですが、任期満了後の仕事は決まっておらず、周囲でも「仕事、見つかりましたか?」が挨拶代わりとなって久しいそうです。
この本は、博士過程卒業者がこのような状態になってしまった原因を、文部科学省の大学院重点化政策などに絡めて探求しているものです。
このブログでこのような本を紹介すると、暗に法科大学院のことを言いたいのかと言われそうですが、実は暗にではなく、この本自体でも法科大学院のことについて言及されています(140頁以下)。
全文の引用は避けますが、要するに近年、法科大学院というものが、全国の大学に雨後の筍のように設置されているが、卒業後の新司法試験は5年間で3回しか受験できず、しかも受験者の半分以上は落ちる試験であるため、「法務博士」の学位はもらえても、現実にはただの人というしかない「ノラ博士」が大量生産されることは避けられない情勢となっている。
多くの時間とお金、そして税金をかけて、どこにも活躍の場を求めることが出来ない、高学歴無職者をまたもや生産しようとしている、こんなことは無駄以外の何ものでもあるまい、そんな論調です。
ここまでは黒猫も全面的に賛同できるのですが、その先の記述は、法律関係の仕事をしていない方の記述であるため、若干物言いを付けざるを得ないところがあります。それを含めて、関連する問題点を2つほど取り上げてみます。
1 ノラ博士は弱者を救えるか?
書籍では、ノラ法務博士の問題に関する解決策のヒントとして、I氏の例を挙げています。ただし、I氏は、大学院博士課程を修了し「法学博士」の学位を受け、大学の研究員となっている准「ノラ博士」で、収入は手取り月15万円くらい、専任教員になれる見込みは今のところほとんどないそうです。
I氏は、研究員としての任期が切れる来年以降の生活を見据え、障害者の係争支援に取り組もうという構想を練っているそうです。法律用語は複雑で難解であり、弁護士の言葉を理解することができないことも多々起こるが、弁護士は仕事が忙しいので、クライアントでもそうした言葉の解説をお願いするのは憚られる、そこで「私は、その仲介をしてみたいのです。」
ということらしいです。
まあ、その心意気は立派といえるかも知れませんが、I氏がターゲットと目論んでいる精神障害や知的障害がある人たちというのは、例え弁護士が時間をかけて懇切丁寧に説明しても、通常難しい話は理解できない人たちですよ。同様の問題がある人たちには判断能力の衰えている高齢者も挙げられますが、そうした人たちは難しい話どころか、地震の場合は火災保険がおりないという程度のことも、いくら説明しても理解できなかったりします。
また、精神状態は普通の依頼者でも、何を言いたいのかさっぱり分からない人というのは結構少なくありませんから、精神障害者や知的障害者となると、話を聞いてそれを法的な意味で理解すること自体至難の業だと思います。
現役の弁護士(しかも現にそうした事件を半ばボランティア的にやっている人たち)でも難しいことなのに、大学で論文を書くための机上の学問ばかり続けてきた人たちに、果たしてそんなことが出来るでしょうか。
しかも、精神障害者や知的障害者は、決しておとなしい人たちばかりではありません。隣の家から電波が降ってきたとか、ある大企業が様々なところに手を回して自分を陥れようとしているとか、わけのわからない理由で刑事告訴をしたり、民事訴訟を起こしてきたりします。
黒猫自身も、以前受任した事件の依頼者が(病気かどうかは分かりませんが)訳のわからないことを言う人で、それでも言っていることの中には法律上理由がなくはないものも含まれていたので、とりあえず何とか保険会社相手に訴えを提起するところまでは行ったのですが、その途中で証人を何人にするかという話でもめて、いきなり解任されたということがあります。
そのときは、単に黒猫が若すぎる云々といった理由だったので、まあ恨まれずに手を引けてよかったかと思っていたのですが、その翌年になると、なぜか黒猫がその保険会社に「買収」されたことにされて、民事訴訟2件と懲戒請求を起こされてしまいました。
懲戒請求はもちろん不処分で終わり(ただし、日弁連に異議申立てをされた)、訴訟も1件は第一審が終わり(もちろん請求棄却)、今控訴審の手続き中ですが、もう1件はこれから始まったばかり。負けることはまずないでしょうが、応訴するだけで結構大変です。
そういった精神障害者相手の法律相談などは、業として行ったら弁護士法違反になってしまうので、その点をどのようにクリアするのかという問題はありますが、仮にそれをクリアできたとしても、そのような仕事で食べていくのはまず不可能ではないかと思います。食べていくどころか、ほとんど一文の利益にもならない挙げ句、逆に紛争に巻き込まれたりするのが落ちだと思いますよ。
I氏は研究者コースの「法学博士」ですが、「三振」した「法務博士」にも、おそらく同じようなことが言えると思います。
2 法務博士の行き場はあるか
こういう話をすると、法科大学院の関係者には「司法試験の合格者をさらに増やせばいい(増やすべきだ)」という議論をする人たちが出てきます。
しかし、現行制度は、司法試験合格後に1年間の司法修習があるので、司法修習の定員以上に合格者数を増やすことはできません。
なら「司法研修所をもう1つ建てればいい」という議論をする人もいますが、司法修習の定員が行き詰まっているのは、司法研修所の集合研修ではなく実務修習であり、特に弁護修習が既に地方の弁護士(会)にとって過大な負担となっていることは以前書きました。このような状況で司法研修所だけ増設しても、全く意味がありません。
そうすると、さすがに法科大学院関係者も現実は分かっているらしく、法科大学院を卒業しただけで(あるいはその後簡単な試験を通過しただけで)直ちに弁護士資格を与えよといった暴論を言う人はさすがにあまりいないようですが、その代わり法科大学院卒業者に「弁護士試補」の資格を与え、その後は現役の弁護士の下で働き実務指導を受ければよい、などと主張する人はいます。
しかし、そういった実務経験制度は、税理士や社会保険労務士の資格などでも採用されてはいるのですが、実態は資格だけ取ってもなかなか就職先がなく(これらの士業では、一般的に小さな事務所では有資格者が1人いれば十分なので、新規合格者の需要はあまり無いようです)、結局は実務経験に代わる研修を受けさせて資格登録をさせざるを得ない状況になっているようです。
そして、「弁護士試補」にも似たようなことがいえます。弁護士の仕事を補助する仕事は、必要なところは既に事務員を雇っていますし、年間何千人も粗製濫造された「弁護士試補」を雇うような需要はありません。新人弁護士の需要でさえ、年間1500人程度で限界に達しているのに、一人前の弁護士にするまで非常に手間のかかる「弁護士試補」では、需要はさらに低くなるでしょう。
また、仮に事務員として採用されたとしても、法律事務所事務員の待遇は、一般的にかなり悪いですからね。法律事務所職員の労働組合みたいな組織があって、事務員の給料を最低月18万円にすべきだなどと主張していますが、裏を返せば、現状では月収18万円を大きく下回る給料しかもらえない事務員も少なくないということです。
そして、企業での評価は、現状でも新人弁護士に対する企業の需要は極めて低調で、新司法試験に合格して就職しても普通の院卒待遇がよいところといった感じのようですから、新司法試験に何年挑戦しても受からない人や、新司法試験による能力担保すら廃止した法務博士(弁護士試補)では、おそらく企業の需要はほとんど望めないでしょう。
おそらく、法科大学院は他の大学院と同じように、「ワーキングプア高学歴者」「ノラ法務博士」を大量生産することになると思いますが、こうした法科大学院には国から多額の助成金が支給されており、まさしく税金の無駄遣いです。
また、最近の大学院では、極めて待遇の悪い非常勤職員が授業の多くを担っているそうですが、仮に法科大学院でも似たような状況が起こっているのであれば(米倉教授の本を読んでも、実際そのような形跡はありそうですが)、そのように貧弱な教育組織しか作れない法科大学院に法曹養成の「中核機関」という大任を担わせることは、不相当というしかないでしょう。
こうした諸悪の根元は、まさに法科大学院やその制度を作った人たちにあり、新司法試験の合格者数のせいにするのは、問題の本質を見ない責任転嫁に過ぎず、実際何の解決にもなりません。
余談ですけど、最近鳩山法務大臣や、自民党法務族の議員さんたちが、合格者数3000人構想の見直しを(合格者数を下げる方向で)考えているそうですが、もともと自民党の法務族議員達は、司法試験法改正などの法案提出段階から法科大学院構想に批判的で、「一発試験のどこが悪いのか」「法案提出を1年先送りにすべきではないか」などと異論が相次いだところ、司法制度改革審議会で決まった方針だから何とか法案を通さなければならないとの使命感に燃えた法務省の官僚たちが必死に説明して、何とか法案を通してもらったという経緯があります。
そのため、法科大学院構想が必ずしもうまく行っていない現状で、自民党の法務族議員から見直しの声が出てくるのはごく自然な話で、別に弁護士のロビー活動が原因ではありません。
なお、来月には新60期の二回試験の結果が出ると思います。これまでの司法試験合格者とは全く違うプロセスを経てきた人たちが受験するので、合格率の予測は非常に難しいのですが、約1000人の新60期のうち、不合格者が数十人程度かそれ以下にとどまるのであれば、まだ何とか法科大学院制度は存続できるでしょう。
しかし、もし不合格者が3桁、特に200人を超えるような事態になってしまったら、法務族の議員達も怒り出すでしょうし、来年の日弁連会長選挙でも、現執行部の威信が低下し、司法制度改革の全てに反対する過激な主張をしている候補が勝ってしまうかもしれません。
また、新司法試験合格者には、二回試験すら通過できない水準の者が多いとなったら、法律事務所からの求人はさらに減るでしょうし、企業内弁護士としての就職など夢のまた夢です。そうなったら、もはや法科大学院はお終いでしょう。
新60期の責任は重大ですね。
街弁として交通事故の示談をしていると、いわゆる事件屋さん・示談屋さんが介入してくることがよくあります。「NPO法人○○支援」という肩書きの人が多いのですが、そういう輩と交渉をしていると、法律事務所の元事務職員だとか、元司法試験受験生だとかいうことを自慢げに話してきます。
新司法試験に合格できない法科大学院卒業生の中には、そういう道を歩んでしまう人が少なからず出てくるのではないかと危惧されます。
因みに、以前、精神的に問題のある人から依頼を受けた示談屋さんと交渉をする機会があったのですが、その示談屋さん自身が依頼者から無理難題を突きつけられていたらしく、精神的に追いつめられて鬱病で入院してしまったということもありました。
自業自得と言えばそれまでですが、精神的に問題のある人を相手にするというのは、決して容易なことではありません。
弁護士であっても、一歩間違えれば、黒猫先生のように訴えられたり、懲戒申立されたりします。こんなことは決して珍しいことではありません。
黒猫先生、刃物で刺されたりしなくて良かったですよね。
本来,能力・適性が不十分な学生を水増しして入学させているため,入ってから本人も教員も苦労します。この制度は本当に大失敗です。
旧試験のまま,合格者を少しずつ増やして様子を見るべきでした。
旧帝国大学系のロースクール生でも、首を傾げざるを得ない人がけっこういます。民法の基本的な条文や論点も知らないケースもあり、1年後に新司法試験を受けるレベルとはとても思えず驚かされます。
歴代の修習生(年に1人は来ます)と比較すると、態度は概ね真面目なのですが、能力的には?という印象を受けました。先輩弁護士からの頼みで断れないので、しばらくは受け入れを続けるつもりですが、指導の熱意が薄れつつあります。余りかまってやれないので、かえって悪い気もしています。
上でコメントされた方も、合格前の学生と合格後の修習生を「比較」してどうするんですか?首を傾げざるを得ません。そうやって、法科大学院生の能力が低いかのような言説が広められていくのは残念です。
新60期の「不合格者数」、発表が楽しみでなりませんね。
だれがみたって建前論にすぎませんが(笑)
日本人が謎の原因で急激に賢くなってないと成り立ちえない立論です。