ギャラリー酔いどれ

売れない絵描きの世迷い言&作品紹介

2007-06-17 10:49:58 | Weblog
 画はアメリカの戦意高揚ポスターです。

 死神=フランクリン・ルーズベルトの罠

 

 
   開戦間も無い頃からつい最近までルーズベルトは真珠湾の奇襲を事前に知って いたのではないかと言う疑惑が出ては消え、出ては消えて来た。  
 それが1999年12月発売のロバート・B・スティネット著「DAY OF DECEIT :THE   TRUTH OF FDR AND PEARL HARBOR」、(日本語訳 「真珠湾の真実 ルーズベルト 欺瞞の日々」妹尾作太男 訳 文藝春秋 2001年6月30日 刊)により決定的な情 報が得られたことが明らかになった。
 公開された膨大な政府資料を駆使して得られた情報である。

 即ちルーズベルトは奇襲を事前に知っていたのは勿論、日本を対米戦に踏み切らざ るを得ない状況に追い込む政策を1年前から計画的に実施して日本がまんまとその 謀略に乗せられてしまったのが真相と言う驚愕すべき内容。

 すなわち、

 欧州戦線に置けるナチスドイツの勝利は米国の安全保障に脅威と認識し、ドイツの 攻撃に苦戦する友邦イギリスを助けたい政府だが国民には欧州の戦争に巻込まれた くないという厭戦気運が濃厚であった。

 これを打破すべく1940年9月27日の日独伊三国同盟締結の直後、米海軍情報部で作 成された1通の覚書が米国の新しい外交政策として提案された。
 同年10月7日、海軍情報部極東課長アーサー・H・マッカラム海軍少佐作成になる、 日本を挑発して明らかな戦争行為をとるよう企図したものである。
 即ちハワイのアメリカ陸、海、空軍部隊ならびに太平洋地域のイギリスとオランダ の植民地前哨部隊を、日本が嫌でも攻撃せざるを得ない状況に追いこむことであ  る。
 そうすればアメリカが参戦する理由が出来るからである。
 それは又闘えば必ず勝つ自信もあった事になる。

 ルーズベルト大統領に密かに報告し翌日から早速組織的に実行される事になった。

 マッカラムの戦争兆発行動8項目覚書の概要は以下のようである。

 A.太平洋の英軍基地、特にシンガポールの使用についての英国との協定調停

 B.蘭領東インド(インドネシア)内の基地施設の使用及び補給物資の取得に関する オランダとの協定締結

 C.蒋介石政権への可能なあらゆる援助の提供

 D.遠距離航行能力を有する重巡洋艦一個船隊を東洋、フィリピンまたはシンガポー ルへ派遣すること

 E.潜水船隊二隊の東洋派遣

 F.現在、ハワイにいる米艦隊主力を維持すること

 G.日本の不当な経済要求、特に石油に対する要求をオランダが拒否するよう主張す ること

 H.英帝国が押しつける同様な通商禁止と協力して行われる、日本との全面的な(ア メリカの)通商禁止

 マッカラム提案は翌日から着々と実施された。

 アメリカ側における顕著な事象はF項に関する葛藤である。
 F項に対しては合衆国艦隊司令長官艦ジェームス・リチャードソン大将は米海軍艦船 及び将兵を多大な危険に晒すこんな馬鹿げたことは到底認められないと強硬に反対 した。
 1941年2月艦隊を大西洋艦隊と太平洋艦隊の二つの艦隊創設を決定し、リチャード ソンは更迭され太平洋艦隊長官にルーズベルトの言いなりになるハズバンド・キン メル少将を大将に昇格させ任命した。
 日本に真珠湾を攻撃させる為の囮である。

 日本にはB項及びG項が早速深刻な影響を与えた。
 40年10月オランダ(インドネシア)の石油輸出非協力に続きアメリカもくず鉄、石 油を禁輸を決定。インドネシアの石油は完全に輸入できなくなった。アメリカの石 油については建前禁輸だが実際は米政府管理(把握)下で輸出が続けられた。タン カーの動きは全て米海軍無線方位測定所で徳山の日本海軍燃料貯蔵施設まで追跡さ れていた。
 1941年7月にはH項を完全実施して全面禁輸。
 これまでにアメリカ側は日本の石油貯蔵量を正確に把握しており、日本が闘うには 充分だが勝利するには不充分な量の石油貯蔵をアメリカがコントロールしたことに なる。

 米軍は日本艦隊の動きも正確に把握していた。全て公式には無線封鎖をしたと言わ れている日本海軍が実はその禁則を破り無線連絡を頻繁に行っていた事から無線盗 聴・暗号解読によるものである。

 二手に分かれた空母部隊の大移動の様子が刻刻と追跡された。
 一つは東南アジアに向かう部隊、一つは択捉島・単冠(ヒトカップ)湾に終結し更 にハワイ方面に移動する部隊である。

 これらの移動状況及び他の電文内容から日本軍のハワイ攻撃は明らかであった。
 ところがこれらの情報は太平洋艦隊司令長官キンメルには伝えられなかった。海軍 情報部で暗号解読の責任者であったアンダーソン大佐を少将に昇格させキンメルの 部下として派遣したのは、情報がキンメルに届かないようにする為であった。

 マッカラム提案の実施と併行して行われた日米交渉で日本が妥協に次ぐ妥協をした のにも拘わらず、突如としてそれまでの交渉経緯をまったく無視する内容の11月26 日のハル・ノートにより開戦は決定的となった。

 アメリカ側の計画通り日本は謀略に乗せられ、真珠湾を奇襲した。
 おまけに日本側の宣戦布告が予定より遅延し「卑劣な日本」の汚名を世界に広める プレゼントまでしてしまった。

 米政府は開戦後キンメル長官の責任を追及し降格と罷免で報いた。
 その名誉が回復されたのは1999年5月の上院、2000年10月の下院の採択まで待たね ばならなかった。
 しかし多分米政府は公式の名誉回復はして無いと思うし、今後もしないであろう。

 参考文献
  諸君 2001年9月号 「真珠湾の真実」をまだ信じない人たちへ
            R・スティネット/櫻井よしこ/妹尾作太男/田久保忠衛  
 
    
 追
 映画「硫黄島からの手紙」についての投稿
 2007/06/05 16:42:51 投稿者:クロテッドクリームさん

 そもそも大東亜戦争は、西欧列強の陣取り競争に、有色人種の日本人が参加してき たことに対する、白人達の反発がきっかけになっています。

 戦争を始めた張本人、F・ルーズベルトが人種差別主義者であることは有名な話で す。日本人は黄色人種だから、人間じゃない。だからどんなに残酷に殺したってか まわないんだという意識を彼はもっていました。
 指導者がそんなんだから、当然アメリカ兵の日本兵に対する扱いも酷いもの でし た。

 まだ息のある負傷した日本兵の金歯をナイフで切り取ったり、捕虜となった日本兵 を飛行機からバンバン投げ落として殺すのも普通でした。
 硫黄島で塹壕にガソリンを巻いて火あぶりにしたのも、人種差別意識があるからこ そそんな事ができたのです(映画には出てきませんが)。

 原爆投下だってそうです。黄色い猿が何万人焼け死のうが、人間じゃないからかま わないんです。


 60年前の白人が支配していた世界は、そんな差別意識にみちみちた世界でした。
 でもこの映画はまるでアメリカ人が日本人を平等に扱っていたように撮られていま す。

 大東亜戦争のおかげで、アジア・アフリカ諸国の独立が次々となされ、そのため世 界は次第に人種差別をなくす方向に変わってきました。
 アメリカ自身もその世界の潮流の中で人種差別はタブーになりました。

 でも、大東亜戦争の時代は、人種差別が当たり前の世界だったんです。
 そのことを描ければ、本当の戦争映画になると思います。

 


 
    

 



 




 
 

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